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ブーンが幽霊にとり憑かれたようです

(^ω^)
 図書館の立ち並ぶ本棚の間をぼくはゆっくりと歩いていた。
その日、高校からの帰り道、同じクラスにいる幼馴染が正面からやって来るのを見つけたぼくは逃げるようにこの図書館に入った。
きっと、顔を合わせればまた何か言われるに違いない。彼女はいつも何かとぼくにつっかかり文句を言ってくる。
ぼくはそんな幼馴染の無愛想な態度に辟易していた。
幼馴染を避けるために入った図書館。そこには当たり前だけれど大量の本があった。
これだけ本があれば、一冊くらい、読みたい本があるかも知れない。そんな後付けの理由でぼくは図書館内を歩き始める。
まるで巨大な迷路の壁のようにぼくを囲む本棚達。
そんな中を本の背表紙を見ながらゆっくりとぼくは歩いた。
奥に進むほどに棚に並ぶ本は専門的になり、その為、本を探して歩いている人も減っていく。
すでに棚は聞いた事も無いような単語が並ぶタイトルの本ばかりになっていた。
きっと、こんな専門誌ばかりではぼくが読める物は何も無いだろう。
それでも、ぼくは歩き続け、やがて、そこにはぼく以外の誰もいなくなった。
ふと、おもしろそうなタイトルの本を見つけ、内容が分かる気はしなかったが、手を伸ばした。
棚から本を抜き取り、その場で表紙を開く。
パラリパラリと頁をめくり、10頁ほど読み進んだところで、ふと何かの気配を感じた。
顔をあげ、周りを見回すと、右奥の棚の前に今までいなかった女の人がいた。
年齢はぼくより少し上だろうか。整った顔立ちに、透き通るように白い肌。そして、絹のようにサラサラの髪を頭の両脇で結んでいる。
そのヘアースタイルは少し子供っぽかったが、それでもその人にはとても似合っていた。
彼女はとても美しかった。
だが、ぼくは直感していた。

 ――あれは幽霊だ。

もちろん、今まで幽霊なんて見たこと無かったし、霊感だってあると思った事すら無い。
それでも、その女の人が幽霊だということが分かっていた。
それは、本能だったと思う。
そして、その本能が告げていた。
「目を合わせてはいけない」と。
ぼくは気付かないふりをして本を読み続けた。
しかし、その女の人があまりにもかわいかったので、ぼくはもう一つの本能に従い、再度、彼女を見てしまった。
――そして、彼女とぼくの目が合った。
目を合わせた何てもんじゃなかった。本気で、彼女の瞳に吸い込まれるんじゃないかと思った。
それは、恐怖のためじゃなく、彼女の、その澄んだ瞳の美しさからだった。
そして、彼女は言った。
「わたしが見えるの?」
彼女がぼくを見て微笑んだように見えた。
しかし、次の瞬間、彼女――幽霊は消えてしまった。

(^ω^)
 ぼくは図書館を出た。
たった今、体験した出来事に恐怖は感じなかった。
むしろ、もう一度会いたいとさえ思った。
――それにしても、幽霊って本当にいるんだ。
「うーん。僕たちが幽霊を見て怖がるのは、目に見えたその姿自体が怖いのでは無く、幽霊というのはいつも身の回りにいるものだ、という事に気付くのが怖いのかも知れないお」
そんな事を考えながら家に向かって歩いていると、ふと誰かに呼ばれた。
「ねぇ、君!」
立ち止まって、周りを見回すが誰もいない。
気のせいだと思い、再び歩き出す。
すると、もう一度ぼくを呼ぶ声。
「ねぇってば!」
再び周りを見回すが、やはり誰もいない。
やはり気のせいだと思い、歩き出そうとしたその時、突如、視界の上方から女の人の顔が現れた。
「無視しないでよ!」
「おぉうっ!」
叫び声と共に現れたのはさっきの幽霊だった。
幽霊はふわふわ浮かびながら、驚くぼくを後ろから頭越しに覗き込んでいる。
「あー、やっと気付いてくれた」
そう言って、にこりと笑う彼女。
「あうあう」
ぼくは驚きで声が出ない。
そんなぼくに彼女が息もつかせぬ勢いで話し始めた。
「それにしても、やっと外に出られたよー。いやー、何でか知らないけど地縛霊になっちゃったのよねー。しかも図書館。どうして? 何で図書館? 暗いし静かだし。ほんと、地味だったわー」
そう言いながら、首をこきこきと回したり、伸びをしたりしている。
「あうあう」
未だにしゃべれないぼく。
「君があそこで気付いてくれたおかげで助かったわよー」
ぼくを置いてけぼりにして話し続けていた彼女がそこで話すのを止めて、真っ直ぐにぼくを見つめた。
どこまでも澄んだ瞳に、それを縁取る長いまつげ。
お互いに見つめ合った形でしばらくの沈黙。
ぼくは改めて彼女の美しさを確認し、ドキドキしていた。
「……とりあえず、これが最後のチャンスかもって思ったから――」
話を再開する彼女。その瞳はやっぱり綺麗でぼくはもう「あうあう」言う事さえ出来なかった。
そして、彼女は言った。
「君に取り憑いちゃった」
にっこりと笑う彼女。
「おかげで外に出られたよ。ありがとー」などと言う。
そして、ぼくはやっぱり「あうあう」言うしか無かった。

(^ω^)
「――つまり、ぼくは取り憑かれて、殺されちゃうんじゃないのかお?」
「そんな事する訳ないじゃない。わたしは外に出たかっただけなんだから」
数分後、ぼくは幽霊の彼女から説明を受けていた。
彼女は幽霊、しかも地縛霊になってしまい、図書館から出る事が出来ずにいた。
そこで、彼女に気付いたぼくに取り憑いて、彼女は図書館から出る事にしたという。
誰かに取り憑けば、その人が移動すると、取り憑いた幽霊もその人と共に移動するのだと言う。
つまりは、彼女は地縛霊から憑依霊にレベルアップ(?)し、彼女はぼくの行く所に付いて回る。
「大体、わたしが君を殺して何の得があるのよ?」
説明を終えた彼女がそう言って笑った。
そして、そんな彼女の笑顔につられて、ぼくも笑う。
「分かったお。それで――、何処に行けばいいんだお?」
ぼくは早速、彼女にそう聞いた。
それを聞いて、彼女が不思議そうな顔でぼくを見つめてくる。
「何処って?」
「だって、ぼくの行くところに幽霊さんはついて来るっていう事は、逆に言えば、幽霊さんが行きたい所があったら、そこにぼくが行かないといけないんじゃないのかお?」
ぼくの言葉に彼女は「あ。ああ、そうか」と言い、悩み始めてしまった。
「外に出て、何処かに行きたかったんじゃないのかお?」
「あそこから出ることばかり考えていて、出た後に何処に行こうとか考えてなかったわ」
そうして幽霊さんはしばらく考えた後、結局、「どこでもいいわ」と言った。

(^ω^)
 どこでもと言われても思いつく場所も無く、ぼくはいつもの自分の散歩コースを歩く事にした。
まずは本屋で新刊チェック。
本屋の入り口に立ち、自動ドアが開く。
そして店に入ろうとすると、突然、自動ドアがぼくの目の前で閉まってしまった。
驚いたぼくの背後から声が聞こえた。
「ちょっと……、今までずっと本に囲まれてて、これ以上何をしろって言うのよ?」
振り返ると頬を膨らませた幽霊さんが不満そうに立っていた。
なるほど、言われてみればそうだ。
「じゃあ、次だお」
ぼくは再び歩き始める。
何と言う事の無い、いつもの街。雑踏の中、ぼくは幽霊さんを引き連れて歩く。
後ろを見ると幽霊さんはひとごみを文字通りすり抜けてついて来ていた。
それにしても、やはり他の人には見えないのだろうか?
誰一人、幽霊さんを避けようとしない。
 しばらく歩いて目的地の公園に着いた。
ここの公園は緑が多く、広さもそこそこあって気持ちがいい。
広い芝生の上をゆっくりと歩く。
二月の公園はまだ寒く、人もあまりいなかった。
「ちょっとー、何でせっかく外に出られたのにこんな天気なのよ!」
そう言われて見上げた空は冬の鉛色の空だった。
「ご、ごめんだお」
思わず謝ったぼくに幽霊さんは目を逸らしながら「まぁ、君のせいじゃ無いけどさ……」と言った。
実際、天気が悪いのはぼくのせいでは無いけれど、それでもぼくはせっかく幽霊さんが久しぶりに見た空がこんな空なのが少し悲しかった。
さらに残念なことに、ぼくは、この後に行くところが何処も思いつかなかった。
「他に行きたい所とか見たいものは思いついたかお?」
ぼくの問いに、幽霊さんは再び考え込み、しばらくして呟いた。
「大学に……」
「大学?」
その小さい声を聞いたぼくが幽霊さんに聞くと、幽霊さんは首を振って言った。
「ううん。やっぱりいいわ」
二人の間に沈黙が流れた。
「じゃあ、海にでも行くかお?」
ぼくはありきたりだと思いながらもそう提案してみた。
「海? うん、そうね。じゃあ、海に行こう」
ぼくの提案に幽霊さんは即座にそう答えた。

(^ω^)
 バスに乗って海に向かった。
バスに乗っている間、幽霊さんは姿を消していた。
乗車する時、幽霊さんは運転手さんと目が合い、ぎょっとされてしまったらしい。運転手さんは霊感があるのだろうか?
そして幽霊さんは「こんな事で動揺されて、事故でも起こされちゃかなわないわ」と言って姿を消したのだ。
別に幽霊さんは事故に遭っても関係無い気もしたが、ぼくは事故に遭いたく無いのでそのまま姿を消してもらっていた。
それでも、ぼくにはすぐそばに幽霊さんを感じ、幽霊さんも声だけはぼくにかけてきた。
「こうして意識してみると、バスって案外景色が見れないのね」
そう言って、一所懸命に外を見ようとしている幽霊さんの気配だけが伝わってきた。
やがて、バスが目的地に着き、ぼく達はバスを降りた。
 ここはバス停のある歩道の横が堤防になっていて、その向こうに砂浜とそこから始まる海がある。
ぼくは少し離れた、堤防を越える階段に行き、そこを昇った。
堤防の上に立つと海からの風が強く、冷たかった。
そして、海は灰色の空をそのまま映していて、何だかあまり明るい気分にはなれなかった。
「さっ、寒いお」
そう言って震えるぼくにいつの間にか姿を現した幽霊さんが言った。
「何言ってんのよ。自分から言い出しておいて」
「そ、そうだけど……」
「それに、海は寒くて人がいない方がいいわよ。夏の暑くて人で一杯の海なんてうんざり」
そう言って、幽霊さんは砂浜へ降り、波打ち際へ歩き出した。
砂浜に幽霊さんの足跡がつけられていく。
ああ、幽霊でも足跡が残るんだ。
そんな事を思いながら、ぼくは両手をポケットに突っ込んだまま、砂浜を幽霊さんの後姿を追って歩いて行く。
ぼくが近づくと幽霊さんもその分、海に向かって歩いて行く。
やがて、幽霊さんは波打ち際で立ち止まり、ぼくもよろよろとその横にたどり着いた。
「海だお……」
「そうね……」
それから、ぼく達は無言で海を眺めていた。
灰色の空と灰色の海。そして冷たい海風。
しばらくすると、体が冷えて来た。
ぼくは幽霊さんの方を見た。
すると、ふいに幽霊さんが言った。
「じゃあね」
「どうしたんだお?」
「ここで、お別れ」
少しだけ寂しそうな幽霊さんの横顔にぼくは何か言いたかったけれど、何を言ったらいいのか思いつかなかった。
「わかったお。じゃあ、これで……」
ぼくの口からはそんな言葉しか出て来なかった。
「うん。ありがとう」
幽霊さんがぼくに振り返り笑顔を見せてくれた。
そして、ぼくは砂浜を引き返し、バス停へ向かった。
堤防の階段を昇りきって振り返ると、もうそこには誰もいなく、海に陽が沈もうとしていた。

(^ω^)
 家に着いたぼくは部屋の電気を点けてベッドに寝転んだ。
そして、そのままボーっと天井を見つめて考えていた。
――今までの出来事は夢だったんだろうか?
その時、ふいに声が聞こえてきた。
「ねぇ……」
ぼくは起き上がって周囲を見回した。
すると、部屋の隅にさっきの幽霊さんが立っていた。
やっぱりさっきのは夢じゃなかった!
「ど、どうしたんだお?」
ぼくは驚いて幽霊さんに聞く。
「あそこでお別れしようと思ったんだけど……」
「けど?」
そして幽霊さんはばつが悪そうな表情を浮かべて続けた。
「――どうやって離れたらいいか分かんなかった」
そう言って、目をそむける幽霊さん。
少しの沈黙の後、ぼくはプッと噴き出してしまった。
何だか、そんな幽霊さんがとてもかわいくて。
「ちょっと! 笑わないでよね!」
怒って頬を膨らませる幽霊さん。
その様子がおかしくてかわいくて、ぼくはますます笑ってしまう。
「あー、もう怒った! 当分、取り憑いてやるんだからね!」
腕を組んでそんな事を言う幽霊さん。
そして、ぼくは笑いを押さえながら言った。
「分かったお。しばらくよろしくだお」
ぼくの言葉を聞いて、幽霊さんは頬をふくらませるのを止めた。
「ぼくは内藤ホライゾン。みんなはブーンって呼ぶお」
ぼくが自己紹介をすると、幽霊さんも自己紹介をしてくれた。
「そう。わたしはツン。よろしくね、ブーン」
そう言って、幽霊――ツンさんは、幽霊とは思えないまぶしい笑顔でぼくに微笑みかけてきた。

(^ω^)
 翌朝。セットしておいたアラームが鳴り響き、ぼくを夢の世界から引き戻す。
ぼくは布団の中から手だけを出してそれを止め、再び布団に手を戻して体を丸める。
寝ぼけた頭の中ではもう遅刻の言い訳をあれこれ考えている。
いいや。出がけに体調が悪くなった事にして遅刻しちゃおう。
そう思い、体を伸ばして、再び身体を布団に預ける。
その時、突然首筋に冷たい物が押し付けられた。
「ひっ!」
ぼくはびっくりして飛び起きる。
するとそこにはツンさんがいた。
「おはよー。起きる時間なんでしょ?」
「今、何か冷たい物が……」
「ん。ブーンが二度寝しそうだったから手で首筋に触った」
ツンさんはそう言って、ぼくに向かって手をひらひらさせた。
「冷たくて驚いたお」
「そうね。だって幽霊だからね」
――幽霊。
そうだ。ツンさんは幽霊だったんだ。
そして、昨日の出来事は夢じゃなかったんだ。
ぼくはツンさんの顔をボーっと見つめていた。
「何よ、まだ寝ぼけてるの?」
その時、窓の外から女の子の声が聞こえてきた。
「内藤! 時間よ! 起きなさい! 内藤ー!」
声は続く。
「あんたが遅刻するとわたしのせいになるのよ!」
ぼくは窓を開けて、力無く、声の主に言い返す。
「起きてるお」
窓の向こう、隣の家の小さなベランダに声の主はいた。
ストレートの黒髪をふたつに結んでおさげにした女の子が腕を組んでこっちの窓を睨んでいる。
「あら。珍しくちゃんと起きてるのね。起きてるんなら、早く返事しなさいよ」
彼女はにこりともせずにそう言った。
そして、彼女のそんな言葉にぼくが無言でいると、彼女はぷいとそっぽを向いて言った。
「その調子で毎朝ちゃんと起きなさいよ!」
それから背を向けて、「まったく。隣だからって、いい迷惑よ!」と言い残すと、ベランダから家の中に入って行ってしまった。
「はぁ……」
ぼくは窓枠に手をかけたまま、力なくうなだれた。
「――今の、誰なの?」
ツンさんがぼくに聞いてきた。
「隣に住む幼馴染だお。毎朝、ああやって起こして来るんだ」
「へぇ、仲良いんだ」
そう言ってにやにやするツンさん。
一体、今のやりとりのどこを見てツンさんはそんな事を言うんだろう?
「違うお。全然、そんなんじゃないお……」
実際、余計な世話を焼いたり、それなのに勝手に怒ったり、ぼくに文句を言ったりする幼馴染にぼくはちょっとうんざりしていた。

(^ω^)
 学校に着くと、幼馴染は既に来ていて友達と話していた。
一瞬、彼女と目が合った。しかし、彼女はすぐにぼくを睨みつけ、目を逸らした。
「何だっていうんだお。まったく……」
そう言いながらぼくは自分の席につく。
「朝はあんなに仲良さそうだったのにねぇ」
ぼくの独り言にツンさんが答えた。
ツンさんはぼくから離れる事が出来ないので、学校にも姿を消して憑いて来ていた。
「だから、違うんだお!」
思わず叫んだその瞬間、ざわめいていた教室が静まりかえった。
「――何よ、内藤。一人で叫んだりして」
幼馴染がぼくに突っかかる。
「な、何でもないお」
ぼくはそう答えて鞄を開けて、教科書やノートを机に入れ始めた。
少しの間を空けて、教室がふたたびざわめきを取り返した。
いけない、いけない。ツンさんと話す時は気をつけないと。
ツンさんが姿を消したままククク、と笑い、ぼくはその笑い声の方にベーッと舌を出した。

(^ω^)
 学校が終わり、帰宅部のぼくは家に帰ると、着替えてすぐにツンさんに外へ連れ出された。
ツンさんは今日も外を見たいと言う。
「今日はどこに行きたいんだお?」
「どこでもいいわ」
ぼくの問いにツンさんは飄々と答える。
「どこでもって、それが一番難しいお」
ぼくの抗議にツンさんは「じゃあ、一つだけお願いがあるの」と、秘密を打ち明けるかのようにぼくに言った。
「……本がいっぱいある所以外で」
そして、ツンさんが笑った。
仕方なく、ぼくも笑う。
結局、宛ても無く家を出て、宛ても無く街を歩き回った。
それでも、ツンさんは満足なようで、ぼくの周りを50メートルくらいの範囲であちこち見ながら憑いて来た。
この距離が憑いてる人から離れられる限界なんだろうか?
 それにしても、ツンさんと一緒に歩くのは少し楽しかった。
デートってこんな感覚なんだろうか?
ぼくはこんな美人と一緒に歩いているというのが誇らしかった。
「それに彼女はぼくから離れられないんだお!」
まぁ、他の人にはツンさんは見えない訳なんだけれど。
そしてこの日、ぼくはある発明をした。
ツンさんと話しをするのが不自然にならない方法だ。
一緒に歩いていて、ツンさんと会話をしていても、他の人から見ると単なるぼくの独り言だ。
たまに、かわいそうな人を見る目でぼくを見ながら横を通り過ぎて行く人がいる。
そこで、考えたのだ。
携帯電話で話しているふりをすれば、誰もぼくの事をおかしいと思わない。
「あはは。よく考えたね」
ツンさんもそう言って感心してくれた。
ああ、携帯電話がある時代に生まれてよかった。
それから、携帯電話を耳にあてっぱなしだった。
綺麗なツンさん。
ツンさんとおしゃべりしながら歩くのはとても楽しかった。
ツンさんには大人の魅力があった。
そして、そんな中で、時々見せる子供っぽい感じがより一層、ツンさんを魅力的に見せた。
気が付けば、ぼくはすっかり、ツンさんに夢中になっていた。

(^ω^)
 ぼくはすっかりデート気分で、街中を歩き廻った。
夕方、さすがに歩きっぱなしで疲れ、少し休もうとコーヒーショップに向かった。
「ちょっと休憩するお」
目的のコーヒーショップに着き、自動ドアの前に立つ。
自動ドアが開くと、そこには幼馴染がいた。
「………………」
「………………」
無言で向かい合うぼくら。
だが、すぐに彼女が口を開いた。
「――邪魔よ」
ぼくは一歩横にずれる。
彼女がぼくの横を通り過ぎ、ぼくが店に入ろうとすると彼女が言った。
「こんな所で何やってるのよ?」
ぼくは店に入るのをやめて彼女の方を振り返り答える。
「散歩だお」
ぼくの答えに彼女は口を尖らせて言った。
「昨日も夜までふらふら出歩いてたでしょ」
「どうして知ってるんだお?」
「だって、部屋の電気がずっと消えてたから……」
「………………」
ぼくが無言でいると彼女がぼくに言った。
「毎日そんなふらふらして。いいの? 今日は帰って勉強でもしたら?」
そしてぼくから目を逸らせて嫌そうに言う。
「どうしてもって言うなら……、勉強、教えてあげてもいいわよ」
「だが、断る!」
ぼくは即答すると、彼女を置いて店に入って行った。
「ラテ。Lサイズで」
ぼくはカウンターで不機嫌に注文を告げる。
「どうしたの? ブスッとして」
「せっかくツンさんとデート気分で楽しかったのに、あいつに会って台無しだお」
ぼくは携帯を耳にあてるのも忘れてそう言った。
店員が見ていたが気にしなかった。
「あらら」
ツンさんはそれしか言わなかった。
ラテはいつもより苦く感じ、ぼく達は家に帰った。

(^ω^)
 家に帰って、夕飯を食べ終わるとテレビをつけた。
短いニュースと天気予報に続いて、毎週観ている恋愛ドラマが始まった。
すると、ツンさんが反応した。
「あー、これ観てたわ」
そして、物語が進むと聞いてきた。
「あれ? でも、この二人は何で付き合ってるの? この人はあの人が好きなんじゃないの?」
母親は洗い物をしていたので、きっと気付かないと思い、ぼくはそのままツンさんにこれまでの話の流れを説明した。
「ふーん、そうなんだー」
そう言って、それっきりテレビにのめり込むツンさん。
それにしても、恋愛ドラマを真剣に観る幽霊。たまに、笑ったりして妙に明るい。
幽霊ってみんな、こんななんだろうか?
そして、きっちり次週の予告編まで見終えると、ツンさんがぼくの方を向いて聞いてきた。
「ねぇ、ブーンは彼女いないの?」
「ちょっ!」
うっかり反応してしまったぼくに途中から隣で一緒にテレビを観ていた母親が振り返る。
「何? どうしたの?」
「……と、部屋に戻るお」
何とかごまかして、二階の自分の部屋に引き上げるぼく。ツンさんがくすくす笑いながら憑いて来る。
部屋のドアを閉める前に母親に告げた。
「友達と電話するから、邪魔しないでだおー」
下から「はいはい」と声が聞こえた。
部屋に入り、一応、鍵をかける。
そして、ツンさんに振り返った。
「どうしてそんな事を急に聞くんだお?」
「いや、さっきドラマ観てて、そういえばブーンはどうなんだろう? って気になって聞いてみただけよ」
ツンさんの突然の質問にぼくは正直に「いないお」と答えた。
すると、ツンさんはその答えに満足しないのか、信じられない事を聞いてきた。
「隣の、幼馴染の彼女は?」
「ありえないお!」
ぼくは思わず叫んだ。
「嫌いなの?」
ツンさんは尚も追及の手を緩めない。
「……ぼくが、じゃないお」
ぼくは溜め息をつくと、幼馴染との関係を説明した。
「昔はもっと仲が良かったんだお。でも、去年の夏ぐらいからあいつがぼくに文句ばっかり言うようになって……。それで、ぼくも言い返すようになって……」
そして、肩をすくめて言った。
「きっと、彼女はぼくの事が嫌いなんだお」
ぼくの説明にツンさんは意味有り気に「ふ〜ん」とだけ言った。
そんなツンさんの興味の矛先を変えようと、ぼくはツンさんに言った。
「ぼくはツンさんみたいな人がいいお」
言った直後、何だか後悔と期待が入り混じった緊張が全身をかけめぐった。
今ぼくが言った言葉は半分以上本気だった。
ぼくは全身を硬直させて返事を待つ。
そして、緊張するぼくにツンさんが口を開いた。
「あらそう。光栄ね」
そう言ってツンさんは微笑んだ。
ぼくの勝手な緊張も空しく、ツンさんはまったく本気にしなかったようで、ぼくは軽くあしらわれてしまった。

(^ω^)
 翌日、学校に来てぼくは顔面蒼白になった。
どれくらいかと言うと、幽霊であるツンさんに「顔色が悪いわよ」と心配される位だった。
「すっかり忘れてたお!」
ぼくは声に出して後悔する。
今日は大事なテストがあったのだ。
そうか、昨日、幼馴染が「勉強しなくていいの?」みたいな事を言ってたのはこの事だったのか。
ぼくは斜め前に座っている幼馴染の後頭部に向かってぼそっと呟く。
「もっと、分かりやすく教えてくれお」
すると、聴こえるはずも無いのに幼馴染がぼくの方を振り返った。
ぼくは驚いて、目を逸らす。
――ああ、それにしてもピンチだ。
「……助けて、神様」
ぼくは手を組んで、空を見上げる。
「何よ、ブーン、キリスト教なの?」
ツンさんが声をかけてきた。
「違うけど、もう助けてくれるなら、神様だって仏様だって何だっていいから助けて欲しいお」
小声でそう答えるぼくに、ツンさんは薄っすらと姿を現すと、胸をはり腕を組んで言った。
「ブーン。今、頼りになるのは神様でも仏様でも無くて、幽霊だよ」
ぼくは意味が分からず、顔をしかめる。
「幽霊。つまりは私よ」
そう言ってツンさんは自分を指差す。
「まぁ、昨日勉強出来なかったのは、私のせいもあるしね。助けてあげるよ」
そして、にっこり笑うと「このクラスで一番、勉強が出来るのは誰?」と聞いてきた。

(^ω^)
 数日後、テストが返却された。
ぼくは平均を遥かに超える、クラストップレベルの点を出した。
――カラクリはこういう事だ。
ぼくから、クラスで一番勉強が出来る生徒を聞いたツンさんは、テストが始まると、姿を消したままその生徒の答えを見に行く。
そして、ぼくにしか聴こえないその声で、ぼくに答えを伝えてくれた。
その結果、ぼくはこんな得点を取る事が出来た訳であり。
本当は、こんなに高い点を取るつもりは無かった。もう少し低い点で十分だった。
でも、それには、いくつかの答をわざと間違う必要がある。
けれど、当然、伝えられる答のどれが正解でどれが不正解かなんて分からない。
適当にやれば、最悪の場合わざと間違いにした答が正解で、そのまま写したのが不正解、という事態が多発し、目標の点数に届かない可能性もある。
そんな訳で、結局のところ、クラス一の秀才の答えの丸写しになってしまったのである。
「いやー、私が答られればいいんだけど、高校の勉強なんてすっかり忘れちゃったよ」
ツンさんに問題を解いてもらって、正解数を調整するという作戦はツンさんのそんな一言で実行不可になった。
まぁ、とにかくテストをクリヤー出来たわけだし、良かったとしよう。
でも、このテストは無かった事にしよう。さすがにこの点数は取りすぎだ。
そう思い、テスト用紙を誰にも見られないようにコテンコテンに折りたたんでいると、斜め前方の幼馴染が振り返って言った。
「何よ、そんなに折りたたんで。また悪い点を見られないようにしてるの?」
幼馴染はぼくがいつも悪い点を取ると、小さく折りたたんでしまう癖を知っているのだ。
その時、テストを返却し終えた先生が言った。
「今回のテストは平均点が悪かった。でも、中には凄くがんばった生徒もいるぞ。内藤だ!」
教室中の顔がぼくの方に振り返る。
――ぼくはすごく居心地が悪かった。
「内藤はクラスで二番だった。内藤、がんばったな」
丸写しをしたはずなのに、それでも間違えるぼく。
「さて、今回のテストで間違いが多かったのが――」
先生はさっさと次の話に移行してくれた。
ほっとするぼくに幼馴染が再び振り返って言う。
「ふ、ふーん。いい点だったんだ。カンニングでもしたんじゃないでしょうね?」
図星だった。
ぼくは焦って小声で言い返した。
「どこにそんな証拠があるんだお。何だお、人を疑う事しか出来ないのかお!」
確かに、証拠は出ない。出ても誰も信じない。
でも、こんな言い方はちょっと良くない。
ぼくのそんな言葉に幼馴染は急にしゅんとなり、謝ってきた。
「ご、ごめん」
ぼくも自分の発言に少し嫌気がさして謝る。
「ぼくも嫌な言い方してごめんだお」
すると、幼馴染は瞬時に復活してぼくに言い放った。
「ま、まぁ許してあげるわよ。せいぜい、次もがんばりなさいよ!」
――やっぱり、ぼくは謝らなくても良かったかもしれない。

(^ω^)
 家に帰って、ツンさんとの散歩に出かけ、夕方、再び家に戻った。
ただいまー、とドアを開けると、玄関で出迎えたのはにこにこ顔の母親だった。
「今日、テストの点が良かったんだって?」
「……どうして知ってるんだお?」
ぼくはぶすっと聞く。
「さっき教えてもらったのよ。隣にクラスが一緒の幼馴染がいるって便利ねぇ」
やっぱりそうか。
「褒めてあげて下さい。って言われたわよ」
まったく、余計な事を。
「最近、帰って来てはすぐに出歩いてばかりだったから心配してたけど、大丈夫みたいね」
母親が話を続ける。これは長くなりそうだと思い、ぼくは「着替えてくるお」と、さっさと二階の自分の部屋に引っ込んだ。
部屋に入ると、窓から隣の幼馴染の部屋が見えた。
幼馴染がベッドに横になって本を読んでいた。そして、ふとこちらに気が付いた。
しばらく、ぼく達は目が合ったままお互いに動かなかった。
しかし、幼馴染がすっと立ち上がると、そのまま窓に近づいて来た。
そして、ぼくが何か言おうと口を開いたその瞬間、シャッとカーテンが閉められてしまった。
ぼくは口を開けたまま、幼馴染の部屋の紺色のカーテンを間抜けた顔で見つめる事になった。
背後でツンさんが「あーあ、残念」と声を出した。

(^ω^)
 夕飯を食べ終わり、ぼくは新聞を広げた。
そしてテレビ欄を上にしてテーブルに置くと、小声でこっそりとツンさんに聞く。
「今日はどれか観てたドラマあるのかお?」
ぼくの質問にツンさんは新聞を指差す。
それはぼくが今まで観ていなかったドラマだった。
ぼくは母親に「これ、友達が面白いって言ってたから見てみるお」と言い訳をしてチャンネルを合わせる。
「これも話が進んでるねー。この人は誰なんだろう?」
ツンさんがそう聞いてくるが、何しろ初めて見るし、隣には母親がいるので返事が出来ない。
ツンさんも別に返事を期待していたわけでは無いようで、それからは何を聞いてくるでもなく、ドラマを観ていた。
そんな中、ぼくは考えていた。
――今、放送しているドラマを《見ていた》って事は、ツンさんが死んだのはこのドラマが始まってからなんだろう。
と、言う事は比較的最近なんじゃないだろうか?
 ドラマが終わり、ぼく達は二階に上がった。
そして、ぼくはツンさんに思い切って聞いてみた。
「ねぇ、ツンさん……。ツンさんはどうして幽霊になっちゃったんだお?」
「それって、どうして死んだかって聞いてる?」
ツンさんが振り返り、そう聞き返してきた。
「あ、う、うん。そうか、そういう事になるおね。ごめんだお」
何だかひどくツンさんを傷つけてしまったような気持ちになってぼくは謝っていた。
でも、そんなぼくにツンさんは別に怒ったふうでも無く、答えてくれた。
「病気でね」
そうして、ツンさんが話をしてくれた。

(^ω^)
 ツンさんが死んでしまったのは病気のせいだった。
ある日、体調が悪くなって入院。
その時既に、ツンさん本人は知らなかったが、治癒する見込みは無かったらしい。
そしてそのまま、ツンさんは病院を出ることは無かった。
ツンさんは入院する時、両親に頼んで、自分は海外留学した事にしてもらっていた。
それは、周りの人に病気で弱っている自分を見られたくなかったからだった。
両親はツンさんの願いを聞き、学校や友達にツンさんは留学している、と告げた。
その話をした時、ツンさんが溜め息をつきながら言った。
「あーあ、でも死んじゃうって分かってればなー。無様でもいいから、もう一度あの人と話しておきたかったなぁ」
「あの人って誰だお?」
「ん? わたしの行ってた大学の助教授」
ぼくの質問にツンさんはそう答えると、そこからその助教授の悪口を並べ立て始めた。
曰く、だらしがないとか、大した人じゃないとか。
しかし、そう言った直後には、すごく素敵だとか、実力があるとかべた褒めする。
「きっと、論文だってまだ書けて無いに違い無いわ」
ツンさんはそう言って肩をすくめる。
「論文って?」
ぼくの質問に、ツンさんは目を輝かせて、その助教授が論文にしている理論がいかに凄いかを説明してくれた。
しかし、いくら説明されても、内容が専門的すぎて当然ぼくにはまったく理解出来ない。
ぼくは「よく分からないけど、凄そうだお!」と正直に言った。
「ま、そんなに役に立つような理論じゃないけどね」
「え? そうなのかお? でも今、凄いって……」
「でも、あれだけの内容だし、論文が完成して投稿すれば間違いなくアクセプトされて掲載されるわ」
「それはすごい事なのかお?」
「数ある専門誌の中でも一番権威のある専門誌《ヴィップス》に投稿するつもりらしいからね。これが掲載されたら大きな功績にはなるわ」
「それはすごいお」
「でもまぁ、あの人の英語力じゃあ、ちゃんと読んでもらえるかさえ怪しいわね」
「………………」
ツンさんの話の支離滅裂さ。
尊敬しているような、見下しているような。
最後にツンさんは天井を仰ぎながら「あーあ、完成した論文読んで、あの人と話ししたかったな」と言った。
それから、何かを思い出すように遠くを見つめながら一人、微笑んでいた。
そしてその時、そんなツンさんの表情を見てぼくはやっと気が付いた。
――これはツンさんの照れなんだ。
本当はツンさんはその助教授の事をすごく尊敬しているに違いない。
でも、自分でも知ってか知らずか、その事を隠すために、いちいち否定的な事を付け足すのだ。
そして、もう一つ気付いた事があった。
ツンさんが、初めて《生前》に対して固執していたのだ。

(^ω^)
 ツンさんが、初めて《生前》の事に対して固執している。
図書館から出ても、行きたい場所も特に無く、それから毎日、散歩をしても、目的地を持っていないツンさん。
ドラマだって楽しそうに観てはいたけど、ぼくが勧めなければ観たいとは言わなかった。
そんなツンさんが初めて「やりたい」と思っている事だった。
そういえば、初めて会った時、行きたい場所を聞いたらツンさんは何て答えた?
「大学」と、そう言ったはずだ。
結局、否定したけれど、大学に行きたいと、そう呟いたじゃないか。
それは、その助教授に会いたかったからなんじゃないだろうか?
ツンさんはきっと、その助教授にもう一度会いたいんだ。
そして、ぼくにはもう一つ思いついた事があった。
ツンさんが幽霊になって図書館にいたのも、その助教授が理由なんじゃないだろうか?
いや、きっとそうだ。
あの図書館の奥、ツンさんのいたあの場所に、その論文が載る雑誌が置かれているに違いない。
ツンさんはあそこで、助教授の論文を待っていたんだ。
そして、ぼくはもうほとんど確信していた。
――ツンさんはきっと、その助教授の事が好きなんだ。
直接、助教授のいる大学に現れるのでは無く、その人の書いた論文が読めるようになる図書館に現れたツンさん。
その理由はさっきのツンさんを見ていたら分かる気がした。
でも、やがてツンさんは外に出たくなった。それは心の何処かでやっぱり助教授に逢いに行きたかったからだろう。
ぼくは全てを理解し、同時に哀しくなった。
――こんなに想っているのに、その気持ちが伝えられないなんて。
そんなツンさんを見ていると、ぼくの中に「何とかしてあげたい」という気持ちが沸き起こって来た。
やがて、その気持ちは押さえきれなくなり、ぼくはすっくと立ち上がるとツンさんに向かって叫んだ。
「明日、その人に会いに行くお! ぼくがツンさんとその人の間に入って話しを出来るようにしてあげるお!」

(^ω^)
「ど、どうしたのよ、いきなり?」
ぼくの突然の行動にツンさんがうろたえる。
「ぼくが、ツンさんの言葉をその人に伝えてあげるお!」
ぼくはもう一度そう言った。
「いっいっ、いいわよ! 別にあんな奴!」
ぼくの言葉の意味を理解したとたんに、ツンさんが真っ赤になって照れ始めた。
「だ、大体、いきなりわたしの代理って……。何の用も無く突然行ったら変よ!」
ツンさんはそんな訳の分からない事を言って、ぼくの提案を拒否しようとする。
ぼくは考え、そして、言った。
「明日はバレンタインだお! ツンさんがチョコレートを作って、ぼくが『ツンさんから』ってその人に渡すお! そして、そのついでに話をするんだお!」
「何よ、それ!」
ぼくの案を聞いて、ツンさんはますます赤くなった。
「い、嫌よ! 絶対に嫌! 何だってあんな奴にチョコレートなんか!」
真っ赤なツンさんはぼくのベッドに置いてあったクッションを抱きしめ、顔をうずめて目だけを出してぼくを見ている。
しばらく、二人でにらみ合う形になった。
仕方が無い。ぼくは最終手段に出た。
「行かないんなら、もう何処へも連れていかないお! ぼくは引き篭もりになるお!」
その言葉を聞いて、ツンさんはぼくをじっと見つめると溜め息をついて言った。
「……確かに、あんた、引き篭もりになりそうね」
――言い争いはぼくの勝利に終わったが、最終的に負けた気がするのは何故だろう?
それから、急遽ぼく達は夜遅くまでやっているスーパーへ材料を買いに走り、家に戻りキッチンへ直帰。
「今時は男子から渡すのが流行りなんだお!」
母親にそんな嘘をついて、キッチンを使わせてもらった。
それから、「絶対に見に来ちゃダメだお!」と強く念を押した。
――これから、このキッチンではポルターガイストさながらに鍋やボウルが飛び交いながらチョコレートが作られるのだ。
「ブーンが言い出したんだから手伝いなさいよ!」
そう言われて、ぼくはそんなオカルトなキッチンでツンさんを手伝って一緒にチョコレートを作った
人生で初めて、自分が関わるバレンタインデーイベント。
それは、チョコレートを貰うのでは無く、渡す立場になった。
いや、それどころか初めて関わったバレンタインチョコレートは自分の手で作られる事になったのだった。

(^ω^)
 翌日、ぼくは学校をさぼってツンさんを大学に連れて行った。
「この時間なら、自分の研究室にいるはず」
ツンさんはそう言って、研究室へぼくを案内した。
それにしても、大学ってこんなに広いのか。
ぼくはきょろきょろ周りを見回しながら歩いた。
そして、ぼく達は目的の部屋に着いた。
扉をノックしようとするとぼくをツンさんが「待って」と言って止めた。
ツンさんは緊張していた。
そして、それを見たぼくにも緊張がうつる。
二人で、大きく深呼吸をした。
そして、ノック。
中から「どうぞ」と声が聞こえて来た。

(^ω^)
 ドアを開け中に入ると、パソコンを前に一人の男の人が座っていた。
見るからに優しそうな、ある意味、頼りなさそうな男性。
それが、ツンさんの助教授だった。
「あれ? どなただっけ?」
助教授はぼくを見てそう聞いてきた。
「ぼくは、ツンさんの……」
ぼくがそこまで言うと助教授は「おー。ツンくんかぁ!」と言って破顔した。
「そうかー。彼女、元気?」
「げ、元気ですお!」
助教授は、そうかそうか、と微笑んでいる。
「ああ、ごめんよ話を切ってしまって、『ツン君の』何だっけ?」
「えっと……」
ぼくは言葉に詰まった。最初は「ツンさんの使いで来た」と言うつもりだったが、時代劇じゃあるまいし、それも変だ。
「えーっと……」
固まるぼくにツンさんが言った。
「おっ、弟って事にしなさい!」
「おっ、弟だお!」
言われるままにそう答える。
すると、助教授は少しも疑わずに言った。
「そうか、弟さんか。そう言えば、似てるねぇ」
「よ、よく言われるお。ふひひ……」
ぼくは冷や汗をかき引き攣りながら笑った。
「それにしてもなー」
助教授はまったく気付いていないようで、話を続けた。
「お姉さん。突然、留学でいなくなっちゃってさ、びっくりしたよ」
それから少しすねたような口調で言った。
「全然連絡もくれないしさ。ついに愛想つかされちゃったのかと思ってたよ」
そんな助教授を見て、ぼくの横でツンさんが微笑んだ。
その微笑みは、今まで見た事が無いくらい柔らかく、そして愛に満ちあふれていた。
ツンさんの微笑みを見ていると、何だかぼくは胸が苦しくてしょうがなかった。
「それで――」
助教授の言葉にぼくは現実に連れ戻された。
「今日は何かな?」
ぼくは鞄からリボンの付いた紙袋を取り出し、助教授に差し出した。
「これ、ツンさ……ツン姉さんが作って、送ってきたチョコレートです。あなたに渡して欲しいって頼まれて」

(^ω^)
「ええっ!? 本当に!?」
助教授が驚いてすっとんきょうな声をあげた。
「……ど、どうしたんですかお?」
「いや、僕は彼女に嫌われてるんだと思ってたから……」
差し出されたチョコレートをまじまじと見ながら助教授はそう言った。
「どうして、そう思ったんですかお?」
助教授の意外な言葉に今度はぼくが驚いて聞いた。
「――君のお姉さん、僕にはすごく無愛想でさ。いつも僕のやる事に口出しして文句言って、それで何でか怒るんだよね」
ぼくの質問に助教授は頭をポリポリかきながら話をしてくれた。
「その文句も、やれ、部屋が汚いから始まって、研究の取り組みかたにまで多種多様。『そんなだから駄目なのよ』って具合」
助教授が肩をすくめる。
「それでも、僕が何かを成功させたとする。それでも僕の事を否定するんだ。『偶然じゃないの?』とかね」
ここまで話して、助教授は笑い出した。
「あははっ。こうして言ってみると、実にひどい子だなぁ」
「ほんとだお」
ぼくも半分呆れながらも笑ってしまった。
当のツンさんはぼくの隣で口をとらがせてそっぽを向いていた。
「――でも、何だか嫌いになれなかったなぁ」
そう言いながら、助教授はぼくの手からチョコレートを受け取った。
そして、まるでそれがツンさん本人かのように、手に持ったチョコレートを優しい目で見つめる。
「でも彼女にもいいトコもあったんだよ? たまにね、多く作り過ぎたから、とか言ってお弁当をくれたりしたんだ」
助教授が嬉しそうにそんな話をした。
横を見ると、ツンさんが照れた顔でうつむいている。
ぼくには分かった。――違う、多く作り過ぎた、なんて嘘ですよ。それはあなたのために作ったんです。
ぼくには今、横で嬉しそうに笑うツンさんの笑顔が視える。きっと、彼女はあなたの事がすごくすごく好きなんです。

(^ω^)
「やっぱり視えないか……。まったく、ほんとに鈍感なのね」
ツンさんがぽつりとそう呟いて、助教授に近づき、その顔を覗き込んだ。
それから、フンっという感じで助教授に言う。
「そのチョコレートはブーンに無理やり作らされただけなんだからねっ!」
しかし、助教授はもちろんツンさんの声が聞こえず、何の反応もしない。
そんな助教授を見て、ツンさんは少しだけ寂しそうな表情をすると、今度は真っ直ぐに助教授を見つめて言った。
「……一所懸命作ったんだから、ちゃんと食べてよね」
そして、ツンさんは静かに微笑ながら、助教授を見つめていた。。
その表情は、やっぱり少しだけ寂しそうだったけれど、とても優しく穏やかだった。
「――いや、でもほんと、無愛想だったなー」
助教授がチョコレートを見つめたまま、そう言って再び笑った。
ねぇ助教授? ぼくは知ってるんですよ。あなたに向けられた、その無愛想さはツンさんの照れなんです。
ぼくは口には出さないが心の中で助教授にそう告げる。
「彼女どうしてる? 突然チョコをくれるなんてどうしたんだろう?」
助教授が視線をチョコレートからぼくに戻して聞いてきた。
――ツンさんは今、あなたのすぐ横にいます。
そして、微笑みながらあなたを見ています。
助教授を見つめるツンさんは限りなく美しく、ぼくの目から見ても、溢れる程の愛が感じられた。
ねぇ、助教授。なのにどうして?
――どうしてあなたには視えないんですか!?
あなたがほんの一瞬でもいいから、今のツンさんを見る事が出来たら、ツンさんのこの表情を見れたなら。きっとあなただって全てが分かるはずだ――。
でも、彼にはツンさんが視えず、その想いにも気付かない。
ツンさんの微笑みが美しければ美しいほど、その瞳が優しければ優しいほど、ぼくは悲しくなっていく。
ぼくの寂しげな表情に気付いたのか、助教授がぼくに言った。
「ああ、ごめんよ。変な聞き方して、失礼だよね。いや、お姉さんからチョコレートが貰えて、舞い上がってるのかな? 僕は」
ぼくはハッとして答える。
「あ、違うんですお。ちょっと考え事してて」
そして、本題を切り出した。
「えーっと、ツンさ……ツン姉さんから伝言を言付かってるので伝えますお」
そして、携帯電話を開く。ツンさんの言葉をメールを読むふりをして伝えるために。

(^ω^)
 ぼくはツンさんの方を見て小さく頷いた。
ここからは、ぼくはツンさんの為のスピーカーに過ぎない。
「先生、お久しぶり。元気そうね」
ツンさんの言葉を助教授に伝える
「先生、お久ぶり。元気そ……元気ですか?」
そして、それからツンさんは例の調子で余計な一言を付け加えながら話し始めた。
でも、ぼくはあえてそれらの余計な言葉は伝えない。
「先生。論文、楽しみにしてるんだから、しっかり書いて下さいよ」
ぼくは助教授に言葉を伝える。
「まぁ、私以外に読もうなんて人はいないだろうしね」
ぼくは伝えない。
「この部屋で先生と一緒にお弁当食べたじゃない? 私のお弁当ほんとに美味しかった?」
少しの修正をして、ぼくは伝える。
「でもほんと、たまたま多く作っただけなんだからねっ!」
ぼくは伝えない。
「先生が教授になるのを楽しみにしています」
ぼくは伝える。
「ま、あんたなんかじゃ、いつなれるか分かんないし、なったとしても大した事出来ないだろうけどね」
ぼくは伝えない。
終始こんな感じでぼくはツンさんの言葉を助教授に伝えたり、伝えなかったりした。
でも、助教授に向かって話をしているツンさんは楽しそうで、その笑顔は今までぼくが見たツンさんの笑顔の中でも一番輝いていた。
そして、ツンさんが付け加える余計な一言を聞いていて、誰かに似ているなと思った。
でも、それが誰なのか思い出せなかったし、目の前のツンさんの笑顔を見ていたら、そんな疑問はどうでもよくなっていた。

(^ω^)
 帰り道、ぼくは黙って歩いていた。
正直に言うと、助教授に対して怒っていた。
あれからも、ツンさんの話を皮肉や余計な一言を全て省いて助教授に伝えた。
なのに、それなのに助教授はツンさんの気持ちにまったく気付かなかった。
助教授はツンさんのあの笑顔を見る事も出来ず、言葉からもまったく何も気付けない。
そして、部屋に来た学生にチョコレートを貰った事をからかわれて、「いや、もちろん義理チョコだよ」等と言い、しまいには「みんなで食べようか」等と言い出した。
それから、「そんなのダメだお!」と叫んだぼくに学生達が興味を示し、「ツンの弟? 似てなーい」とか騒ぎ出したため、ぼくはばれる前に逃げるように部屋を出て来てしまった。
結局、ツンさんと助教授の関係には、チョコレートを持って行く前と何の変化も無かった。
二人で黙ったまま、しばらく歩いていたが、先に口を開いたのはツンさんだった。
「先生、みんなにからかわれちゃったねー。ちょっと悪い事したかな?」
「いいんだお!」
ぼくは即座に否定した。
「まったく、あんな鈍感な奴、見たこと無いお!」
ぼくは本気で、ツンさんを視る事も、気持ちに気付く事も出来なかった助教授に怒っていた。
でも、そう言って怒るぼくを見て、ツンさんは笑い、そして言った。
「あははー、君が言うかなぁ?」
ぼくはツンさんの言葉の意味が分からずに、言い返す。
「だって、だって! どうしてぼくに視えて、あの人にはツンさんが視えないんだお!?」
そして、その言葉を吐いたとたんに、ぼくは泣いてしまった。
泣きたくなんか無かった。
ぼくなんかより、ツンさんの方が辛いという事が分かっていたから。
でも、こぼれ始めてしまった涙は止める事が出来ずに、ぼくは鼻をすすりながら歩き続けた。
「ブーン。ありがとね」
そう言って、ツンさんがぼくの頭を撫でてくれた。
ツンさんが言ってくれたその一言に、ぼくはずいぶんと救われた。
「ねぇ、ツンさん」
「ん? 何?」
「今みたいに……」
ぼくは涙を拭いてツンさんに言った。
「もっと素直になった方がいいお」
ツンさんは一瞬、まじまじとぼくの顔を見ると、鼻にしわを寄せて、「余計なお世話よ」と言うと嬉しそうに笑った。

(^ω^)
 家の前に着くと、隣の家から幼馴染が駆け出して来た。
そして、ぼくの顔を見るなり不機嫌そうに聞いてきた。
「何処行ってたのよ?」
「大学だお……」
「何よそれ? 何かあったの?」
「いや、何て言うか……」
「学校休んで、大学っていったい――」
そこから、ぼくへの非難が始まりそうな気がして、ぼくは話を遮った。
「ごめん! 疲れてるんだお。もういいかな?」
「――! ……いいわよ」
幼馴染はそう言って、ぼくへの言葉を止めた。
そうして、ぼくは家の門を抜け、幼馴染は自分の家に向かった。
しかし、ぼくが玄関のドアを開けようとすると、幼馴染が再びぼくの方へかけてきた。
そして、小さい紙袋をぼくへ寄越した。
「――それ、余ったから。だからあげてもいいわよ」
そう言うと、幼馴染は隣の家に走って戻った。
部屋に戻り、ぼくは呟きながら紙袋を開ける。
「何だお、『余った』って。余計な物はぼくに押し付けるのかお……。まったく」
紙袋の中には綺麗にラッピングされた箱があり、ぼくは更にそのラッピングも解いた。
すると、そこに入っていたのは少し形の歪なチョコレートだった。
どうやら手作りらしい。
「………………?」
黙ってチョコレートを見つめるぼくにツンさんが楽しそうに言った。
「ふふ、こんな手作りチョコは余ったりしないわよねぇ?」

(^ω^)
 その夜、深夜に目が覚めた。
時計を見る。午前二時十五分。
布団の中から窓の方を見ると、外が明るかった。
きっと、隣の幼馴染の部屋の電気がまだ点いているのだろう。
窓の横、机の上には夕方、幼馴染がくれたチョコレートが乗っていた。
ぼくはベッドから起きると、机の前に立ち、幼馴染のくれたチョコレートを手に取って見た。
「どうしたの?」
ツンさんが聞いてきた。
「うん」
ぼくは生返事をした。
そして、意を決して窓を開けると、向かいの窓に、昔、お互いを呼び出すためによくやったように消しゴムを投げてぶつけた。
幼馴染はやっぱり起きていたらしく、すぐに合図に気付き、窓を開けた。
「何よ?」
そう言いながら、慣れたしぐさで消しゴムを投げて返す。
ぼくは消しゴムを受け取ると、おずおずと切り出した。
「あ、あのさ。チョコレートの事だお……」
「あ、ああ、あれね。うん」
幼馴染は返事をしながらぼくから視線を逸らし、ぼくの後ろを見つめた。
そして、一瞬、目を見開き動きを止めると、次の瞬間、多分に怒りを含んだ口調でぼくに言った。
「ホワイトデーのお返しは30倍よ!」
激しく音を立てて窓を閉めた幼馴染は、そのままカーテンをひくと、部屋の電気まで消してしまった。
――何だ、やっぱりそういう事? ホワイトデーのお返し目当てか。
それにしても30倍って……。せいぜい三倍だろう。常識的に考えて。

(^ω^)
 翌日、学校で幼馴染に会い、声をかけた。
「チョコレート美味しかったお。……ありがとうだお」
幼馴染は鞄から教科書を出す手を止めて、でもぼくの方を見ずに言った。
「そう。食べたんだ」
「うん。でも……」
「何よ?」
ぼくは怒られるんじゃないかと少しびくびくしながら言った。
「さすがに、30倍のお返しは無理だお」
だが、予想に反して幼馴染は静かに言葉を返してきた。
「いいわよ。お返しなんかしなくても」
「え? でも……?」
ぼくの態度に幼馴染が言い返す。
「いいって言ってるでしょ!」
少し大きくなった声に驚いて、ぼくは謝る。
「ご、ごめんだお」
――少しの沈黙。
「そんな事より……」
幼馴染が呟いた。
「彼女がいるなら、いるって先に言いなさいよ……」
ぼくは彼女が何を言っているのか分からなかった。
「何の事だお? 彼女なんかいないお?」
幼馴染はぼくに向き直って言った。
「嘘つかないでよ! 昨日の夜、部屋に女の人連れ込んであんな時間まで一緒にいたじゃない!」
幼馴染の声に教室中が振り返った。
「な、何でもないお……」
ぼくは必死で言い訳をする。何だか最近、教室のみんなに一斉に見られてばかりだ。コッチミンナ。
みんながまたそれぞれの会話に戻った。
「女の人なんか連れこんだ事ないお……」
ぼくはうつむく幼馴染にそう言った。
幼馴染がぼくの顔をじっと睨む。
「ほんとに?」
「ほんとだお」
それからもしばらくぼくの顔を睨んでいたが、ぼくが嘘をついていないと分かったらしく、幼馴染は睨むのをやめた。
そして、口を開く。
「そうかー。よかっ…いや、そうよね! あんたに連れ込まれる女の人なんかいるはず無いわよね!」
ぼくは何だかほっとした。
幼馴染がいつもの調子に戻ったから。しかし、そんな事を言われてほっとした自分に気が付くと、今度はやっぱり腹が立ってきた。
「ましてや、あんな、年上の大人っぽい美人があんたの彼女な訳ないかー。何だったの、あれ? ポスターの見間違い?」
ぼくは幼馴染の言葉を無視して自分の席に座り、鞄から机に物を入れ始めた。
「返事ぐらいしなさいよ、内藤! あ、それからお返しはやっぱりいるからね」
尚も、調子に乗ってぼくに話しかけてくる幼馴染。
その時、ふと、幼馴染の言った言葉がひっかかった。
『年上の美人』
――それは、もしかしてツンさんの事じゃないだろうか?
幼馴染にはツンさんが視えるんだろうか? いや、でも今までも何回か会っているが視えていなかった。今までと何が違うんだ?
ぼくは必死に昨日の事を思い出した。
そして、夕べの最後に幼馴染が電気を消して真っ暗になった窓を思い出し、その違いを発見した。
「そうだ! 夜だからだ!」
思わず声に出してしまい、幼馴染や他のみんながまたぼくの方を振り返った。
……コッチミンナ。
ぼくはもう一度「な、何でもないお」と言い、みんなまたそれぞれの会話に戻った。
――そうだ、きっと夜。それも深夜だったからだ。
ツンさんは幽霊だ。
幽霊と言えば深夜、それも丑三つ時に出るもの。昼間、幽霊に会ったなんて話はあまり聞かない。
昨日、幼馴染がツンさんを見たのも午前二時。
と、言う事は、その時間ならばツンさんは誰にでも視えるんじゃないか?

(^ω^)
 その日の深夜。ぼくはこっそりと家を抜け出して、自転車で助教授の家に向かっていた。
学校から帰ると、ぼくはツンさんに考えた事を話した。
もしかしたら、深夜なら助教授もツンさんを視る事が出来るかも知れないと。
その話をするとツンさんは「試してみたい」とだけ言った。
でも、一つ問題が会った。
助教授にツンさんが視えたとして、何て説明すればいいんだろう?
留学しているはずのツンさんが突然現れる。それも深夜に。そして夜明け前には帰ってしまい、昼には会えない。
どう考えたっておかしい。
その事をツンさんに言うと、ツンさんは真剣な顔でぼくを見て言った。
「例え、幽霊だとばれてもいい、夢だって思われてもいいから、わたしはあの人と話したい」
そして、ぼくは計画を実行する事にした。
まぁ、計画と言っても、助教授の家に行ってツンさんだけが助教授に会う、というだけなんだけど。
ツンさんが独りで行ければそれでよかったんだけど、ぼくに憑いているのせいでぼくと一定の距離以上は離れられないので、一緒に行く事になった。
そんな訳で、助教授の家が何とか自転車で行けそうな範囲だったのは幸いだった。
夜の街をツンさんと二人乗りで走り続けた。
二人乗りとは言っても実際は、ツンさんは後ろに乗っているというか、ふわふわと憑いて来ているだけなんだけど。
 暖冬とは言え、未だ二月。深夜ともなれば結構寒かった。
そうして、指先が寒さで痺れ、運動不足の足が痛くなる頃、ようやくぼく達は助教授の家に着いた。
助教授の家はドラマに出てくるような小さいアパートで部屋は二階にあった。
部屋の電気が消えている。
「寝てるみたいだお」
「そうね」
ぼくは時計を見た。
「午前二時――。草木も眠る丑三つ時だお」
「幽霊なわたしの本領発揮の時間帯ね」
ツンさんがそう言って微笑んだ。
「――じゃあ、行ってくるといいお」
ぼくの言葉を合図に、ツンさんは少し緊張した顔で階段を昇り始めた。
部屋の前に着くと、ツンさんがぼくに振り返って言った。
「ブーン。ありがとう」
そして、ツンさんはドアをすり抜けて助教授の部屋に入って行った。

(^ω^)
 二時間後、気の早い鳥が鳴き始めた頃、ツンさんが助教授の部屋から出て来た。
ツンさんのその表情を見ただけで、何も聞かなくても計画が成功した事が分かった。
それでも、ツンさんはぼくに駆け寄って来ると、「視てもらえた! ちゃんと直接に話せた!」とぼくに抱きついてきた。
ぼくは抱きつかれた事にどきまぎしながらも、「計画通り!」とにやりと笑おうとしたが、歯の根が合わずにちゃんとしゃべる事が出来なかった。
「けっけっけっ、けいひゃくほおり」
さすがに、この寒空の下、二時間も待っているのは寒すぎた。
ツンさんが震えるぼくに気が付いて謝ってきた。
「あっ、ごめんね。ブーン、待っててもらって寒かったよね? 早く帰ろう?」
ツンさんがさっきみたいな笑顔になれるんだったら、これぐらいはどうって事も無いと思った。
ぼくは「大丈夫だお」と言うつもりで「ひゃいひょうふはお」と言い、「ツンさんが喜んでくれたなら寒さくらい何でもないお」と言おうとして、「ひゅんひゃ」で断念した。
そして、帰り道。自転車をこぎながらぼくは「明日はもっと厚着をして来よう」と思った。
そう、ぼくは明日もツンさんをここに連れて来てあげるつもりだった。
――でも、それは叶わなかった。

(^ω^)
「39.2度」
母親が体温計を見て、ぼくにそう告げた。
「今日は学校休んでいいから、おとなしく寝てなさい」
母親はそう言いながら、部屋を出るとぱたぱたと階段を降りて行った。
さすがに、夕べのあれは寒すぎたみたいだ。
ぼくは風邪をひいてしまった。
「ごめん、ブーン」
ツンさんがぼくを覗き込んでそう言った。
ぼーっとする頭でツンさんを見る。
心配そうな顔。
「今日は嫌いな授業があったし、ちょうど良かったお」
そう答えて、微笑むと目をつぶった。
眠っているのかいないのか、まどろみの中で玄関の方から声が聞こえた。
「内藤君、出て来ないんだけど……」
不安そうな声。
ああ、あれは幼馴染だ。
今朝も窓越しにぼくを呼んだんだろう。でもまったく気付かなかった。
「ああ、あの子、風邪ひいちゃってね」
母親がそう答えている。
「そうなんですか。じゃあ、先生にはわたしが伝えておきます」
「いつもありがとうね」
そうして、ドアが閉まる音がした。
やがて、ぼくは眠りに落ちた。

(^ω^)
 一眠りして、目が覚めた。でもまだ熱があるらしく、頭がぼーっとする。
「あ、ブーン。起きた? どう? 具合は」
ぼくが目を覚ましたのに気が付いてツンさんが近寄って聞いてくる。
「熱が全然下がって無いみたいだお……」
ぼくがそう言うと、ツンさんが少し考えた後に言った。
「……しょうがない。わたしの体、使っていいわよ」
「え?」
熱のせいだろうか? ツンさんがとんでも無い事を言ってきたような気がする。
「ほら、わたし、幽霊だから体が冷たいでしょ? この体で熱を冷ましてあげるわよ」
「ええっ!?」
ぼくは驚いて声をあげた。
――雪山で遭難した二人が裸で抱き合って暖を取る。
よく聞くそんな話。もしかして、あれの冷やす版だろうか?
想像が膨らみ、ぼくは慌てふためく。
「いや、いやいやいや、いや。いいおいいお。そんな事してもらわなくても。そんな。いや、はずかしいお……」
そんなぼくを見てツンさんが言う。
「ほら、顔が赤くなってるわよ。 熱上がってるんじゃないの? 遠慮しないでよ。熱が出たのだってわたしのせいなんだから」
そして、ツンさんがぼくの事を正面から見据えて言った。
「昨日はうれしかったの。だから、わたしが役に立つなら何でもしてあげるよ?」
ツンさんの瞳は美しく、それに見つめられたら、こんなの断れるわけが無かった。
「じゃあ、お願いするお……」
そう言って、ぼくは目をつぶった。
次の瞬間、額がひやりと冷たくなった。ツンさんの手がぼくの額にあてられたのだ。
しかし、いくら待っても他に何も起らなかった。
ぼくはうっすらと目を開ける。するとそこにはツンさんがニコニコ顔でぼくを見つめていて、そして言った。
「どうよ。冷たくて気持ちいいでしょう?」
ここに来てぼくは自分の勘違いを知り、ますます顔を赤らめる事になった。
「あれ? おかしいなぁ。何かさっきよりも赤くなってない?」
そう言って、ツンさんが顔を近づけてくる。
ぼくは赤い顔のまま、間近にあるツンさんの瞳を見つめながら言った。
「ありがとうだお。ツンさんはやさしいお」
すると、今度はツンさんの顔が赤くなった。
そして手はぼくの額に乗せたまま、そっぽを向いて言う。
「あんたに取り憑かないといけないからなんだからねっ! 早く治してまた外に連れて行ってもらう為なんだからっ」
――ああ、ツンさんが照れている。
「ツンさん、かわいいお」
ぼくは思った事をそのまま口に出した。
「なっ、何言ってんのよ!? 年下の病人のくせに生意気よ! 熱で頭がどうかなったんじゃないの?」
熱のせいだろうか? 何だか、そうやってますます照れて、理不尽な悪態をつくツンさんに幼馴染の姿がダブって見えた。
――そうだ。あの日、助教授に余計な事を言って照れるツンさんはあいつと似てたんだ。
ぼくはそんな事を考えながら、額を冷やしてくれるツンさんの手が気持ち良くて、再び眠りに落ちた。

(^ω^)
 夕方、誰かと誰かの会話が聞こえてきて目が覚めた。
「これ、学校で渡されたプリントです」
声の主は幼馴染だった。学校帰りに家に寄ったらしい。
そして、次に幼馴染は信じられないような事を言った。
「あの……、ちょっと内藤君に様子見て行ってもいいですか?」
すると、「勿論よ! さぁ、入って入って」と言う母親の声と共にドアの閉まる音が聞こえ、「おじゃまします」という幼馴染の声に続いて、階段を昇ってくる足音が聞こえた。
足音はぼくの部屋のドアの前で止まり、ノックに続いて幼馴染の声がした。
「内藤? 入るよ?」
ドアが開き、幼馴染が部屋に入って来た。
「……久しぶり」
部屋に入った幼馴染は開口一番そう言った。
ぼくはベッドで上体だけを起こし、そのまま壁にもたれて座ると言った。
「毎日、学校で会ってるお」
ぼくの返事に幼馴染が部屋を見回しながら答える。
「あ、うん。そうだけど、何か内藤の部屋に来たのが久しぶりだったから、つい」
手持ち無沙汰に立ち尽くす幼馴染。
会話が途切れてしまい、沈黙が部屋を埋めていく。
幼馴染がぼくに背を向け、本棚を見始めた。
「……あ、この漫画。こんなに出たてたんだ。途中までここで読んだな」
幼馴染がそんな事を言った。
そして、そのまま本棚を見ながら言う。
「ほんと、懐かしいな。いつ以来だろう?」
「たぶん、去年の夏ぐらいだお」
ぼくがそう返事をすると、幼馴染は呟くように言った。
「そうか。そうだったね……」
幼馴染は何だかいつもと違う感じだった。でも、ぼくに見えるのはその背中だけ。
そして、再び沈黙が部屋に降り始める。
「内藤!」
その時突然、幼馴染が意を決したようにぼくに向き直った。

(^ω^)
「な、何だお?」
驚き、焦るぼくに幼馴染はずんずんと近づき、やがて、ベッドに膝を乗せると顔をぶつけんばかりに近づけてきた。
「あ……、あのね。あの……」
そこから、幼馴染の長いためらいの時間が始まった。
いつまでも躊躇い続け、言葉を継げない幼馴染。
いつしか、視線はぼくから逸らされ、ひたすらに目が泳いでいた。
それでもたまに、ぼくに視線を戻し、またすぐに、まるで見てはいけないものを見たかのように急いで視線を逸らす。
そんな事が何度となく繰り返された。
そして、その長い時間、ぼくは幼馴染の顔を見続けた。
目の前の幼馴染を見ながら、ぼくは「こいつ、こんなにまつげ長かったっけ」などと思った。
そして、それから、彼女の顔をよく見た。
ぼくから目線を逸らしているために伏目がちな瞳は大きく、ふと見つめられた時には、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
顔の中心を通るすっと通った鼻筋に形のいい鼻。そしてその下には、小さく、やわらかそうなくちびる。
そのくちびるを見たとたんにぼくの心拍数は上がった。
ドキドキしながら彼女を見つめていた。
何だか、目の前の幼馴染がぼくの知らない人みたいに思えた。
こんなに近くで幼馴染を見たのはいつ以来だろう? いや、こんなに幼馴染と近づいたのはいつ以来だろう?
何時の間にか、ぼくの知っている幼馴染はぼくの知らない幼馴染に成長していた。
そうして、どれくらい経ったのだろう。
ぼく達は何も言わないまま、顔と顔とがぶつかりそうな距離で目線を絡ませたり、解いたりしていた。
やがて、幼馴染が小さく息を吐いた。まるで、何かを諦めたように。
そして、小さい小さい声でぼくに言った。
「……早く、良くなってね」
それから、その顔をさらにぼくに近づけると、額と額を当てて言った。
「うん。熱はもう無いみたいね」
そうして、ギシっとベッドを軋ませて、幼馴染は立ち上がった。
そして一言、「じゃあね」と言うと部屋を出て行った。

(^ω^)
 翌日も学校は休んだものの、午後にはすっかり体調が良くなり、ツンさんと海に行くことにした。
バスはおもしろくない、というツンさんの希望で、海よりも少し手前でバスを降りて、ふたりで海に向かって歩いていた。
「いやー、それにしてもほんと、どうなるのかとドキドキしたわよー」
何回目だろう? ツンさんがにやにやしながら言ってくる。
「それにしても、あのシチュエーション。絶対キスすると思ったんだけどねー」
昨日、幼馴染が帰って以来、ずっとこの話だ。
「ブーンがもう少し積極的だったらねー。あんた、せっかくわたしが気を利かせて消えてたの、気付いてなかったでしょう?」
「……もう、その話はいいお」
ぼくは不機嫌にそう言った。
まぁ確かにちょっと意識はした。
――いや、かなり意識した。
「どう? やっぱり彼女は『ありえない』の?」
そういえば、以前にそんな話をツンさんとしたな。
「ねぇねぇ?」
ツンさんが前に回りこんで聞いてくる。
「あ、そういえば――」
「何? 何?」
ぼくはもうこの話題を終わらせたくて、別な話を切り出した。
「おととい、ツンさんに言うのを忘れてたお」
「おととい? 先生の家に行った時?」
「そう、あの時。助教授の家に入る前のツンさんに言おうと思ってたのに忘れてたお」
「何を言い忘れたの?」
ツンさんが不思議そうな顔で聞いてくる。
そして、ぼくは少しだけ意地悪な顔で言った。
「『今日は素直になる事』って」
ツンさんの動きが止まった。
「どうだったんだお?」
ぼくはふふん、とツンさんを見て聞く。
「も、もちろんばっちりだったわよ!」
ツンさんはくるりと前を向いてぼくの顔を見ずにそう言った。
「すごーくすごーく、素直でかわいらしかったんだから。……見せたかったわよ!」
そう言いながらぼくを置いて、すたすたと先に歩いて行くツンさん。
途中で振り返ると「何やってんのよ! 早く来ないとわたしがこれ以上進めないじゃない!」とぼくに叫んだ。
そんなツンさんを見てぼくは、「ああ、これはきっとやっぱり素直になれなかったんだな」と思った。

(^ω^)
「ツンさんは助教授にずっとそんな感じだったのかお?」
さっきとは立場が逆転。今度はぼくがツンさんに聞く立場になった。
「そんな感じって何よ?」
前を歩くツンさんは振り返りもせずに言う。
「いや、そんな感じだお」
ぼくはそう言った。本当はツンさんも何の事だか分かっているのだ。
ツンさんは何も言わなかった。すたすたと歩きながら、「あー、今日は暖かいわね」などと独り言を言っている。
そうして、ぼく達は海に着いた。
今日は風も無く、鏡のような海面がキラキラと輝いていた。
ぼく達は砂浜に下り、波打ち際まで歩いて行った。
ふたり分の足跡が砂浜に残る。
ぼくと、ぼくより少し小さいツンさんの足跡。
そうしてまた二人で遥か水平線を見ていた。
しばらくすると、ツンさんが呟くように言った。
「……分かってるのよ」
ツンさんはもう一度言った。
「分かってるのよ。――本当は、もっと素直になった方がいいって事」
それから、ツンさんは空を見上げて話を始めた。
「最初はね、全然普通だったのよ?」
「うん」
ぼくは水平線を見たままツンさんの話を聞いた。
「楽しくおしゃべりして、褒める事もお礼を言う事も普通にしてた。でもね……」
ツンさんが小さく溜め息をつき、言った。
「ある日、先生の事が好きだーって気付いてから。何だかまともにおしゃべりが出来なくなっちゃった」
空を見上げたままツンさんは話を続ける。
「褒めるのもお礼を言うのも、全部が全部、わたしの気持ちを知られちゃうんじゃないかと思えて、怖くなっちゃったの」
「どうして知られちゃいけないんだお?」
ぼくがそう聞くと、ツンさんはぼくの方を向いて言った。
「だって、相手に自分の気持ちを知られたら、答えを貰わないといけないじゃない? ――そして、その答えがわたしの望む答えだとは限らない。でしょ?」
そして、少し寂しそうな表情で続ける。
「でも、本当は心の何処かで、先生にわたしの気持ちに気付いてもらいたいと思ってた」
そこまで言って、ツンさんは首を振った。
「ううん、違う……。気持ちに気付いてもらいたかったんじゃない。わたしの気持ちに気付いて、そしてわたしが何も言わなくても、先生の方から、気持ちを伝えて欲しかったんだ」
それから少しの間、ツンさんはうつむいていた。
「結局、わたしは臆病だったんだね」
ツンさんがぽつりと言った。
そして、顔をあげて再び海を見ると、まぶしそうに目を細めて言った。
「その結果、わたしは何にも手にすることが出来なかったんだ」
ぼくはツンさんにかけるべき言葉を何も思いつかなかった。
ツンさんを軽くからかうつもりでかけた言葉が、何時の間にかぼく達をこんなところまで連れて来ていた。
そんな事態に戸惑っていたのもあるけれど、どこかで、ツンさんの言う通りなのかも知れない、とも思っていた。
そして、ツンさんはその事が心残りでこの世に残っているのかも知れないな、と考えていた。
その時、ふいにツンさんが言った。
「あの子はすごいよ。自分から言うつもりだったんだね。最後に力尽きたけど、わたしはあそこまでも行けなかった」
ツンさんが何の事を言っているんだかぼくには分からなかった。
「あの子って誰だお?」
ぼくがそう聞き返した時、ツンさんがぼくの後ろを見て驚き、動きが止まった。

(^ω^)
 海岸を反対側から誰かがやって来る。
ツンさんにはもうそれが誰だか分かっているみたいだが、ぼくにはまだ分からない。
そうして、やって来たその人は助教授だった。
「やぁ、こんな所で会うなんて偶然だねえ。散歩かい?」
助教授はそう言って、ぼくにやわらかい笑顔を見せた。
ぼくが頷くと、助教授は話を続けた。
「僕は論文が行き詰まっちゃってね。それで来たんだ」
助教授が水平線を見つめながら言った。
「君のお姉さんがよく『海は寒いのがいい』、って言っててさ」
そう言う、助教授が見ているのは水平線の彼方、ツンさんが行っている事になっている外国の地なんだろうか?
「実際、寒い海風に吹かれてると頭がシャキっとして論文の引っかかってた所が解決したりしてね。それで、よく来るようになったんだよ」
それから助教授はその視線を水平線の彼方からぼくに戻し、「今日は暖かくて全然だけどね」と、そう言って笑った。
助教授が再び海を見た。ぼくも海を見て、ツンさんも海を見た。
それからしばらく三人で海を見ていた。
キラキラと太陽の光が反射する海面を見ていると何だかこの時間が永遠に続くように思えた。
「この前、お姉さんが夢に出て来てね」
ぽつりと助教授が言った。
それはきっと一昨日の夜の事だとぼくは思った。
「夢の中でもあいかわらず、厳しいことを言われたよ」
それを聞いて、ぼくはツンさんの方を見た。
案の定、ツンさんはぼくから目を逸らせて、頬を膨らませた。
そしてぼくは、やっぱりツンさんは素直になれなかったんだな、と少し可笑しかった。
「でも」と助教授が穏やかに付け足した。
「やっぱり悪い心地はしなかったな」
そう言った助教授の表情は穏やかで、目の前の静かな海と相俟って、何だか世界が優しさで満ち溢れているみたいに思えた。
「……それで気が付いたんだけど」
助教授は話を続けた。
そして、少しはにかみながら、助教授は言った。
「――ぼくは結構彼女が好きだったんだよ」

(^ω^)
 そう言うと、助教授は時計を見て「っと、もうこんな時間か」と呟いた。
そして、「お姉さんに連絡くれって言っておいてくれないかな。また、彼女と色々話したいんだ」と言うと、やって来た方へ帰って行ってしまった。
突然の事で、ぼくは何も言えず黙って助教授の背中を見送っていた。
そして、やっと我に返り、振り返る。
すると、そこではツンさんが涙を流していた。
笑顔で涙を流すツンさん。
ツンさんも助教授の背中を見ていたが、ぼくに気付くと「えへへ」と照れ笑いをした。
そして、「嬉しいの……。嬉しくて、嬉しくて涙が出るの」とさらに涙をこぼした。
気が付くと、ぼくも笑顔になっていた。
「おっおっおっ」
ぼくは笑った。
しばらく、ふたり見詰め合ったまま笑っていた。
それからふいにツンさんがぼくに言った。
「ねぇ、内藤」
「何だお?」
そして笑顔のままぼくに告げた。
「わたし、消えるみたい」

(^ω^)
「消える?」
ぼくはツンさんが言っている意味が分からずに聞き返した。
「うん。消えるの。もう、この世にいられないみたい。何となく感じるの」
ツンさんがこの世から消える。
それはつまり、もうツンさんには会えなくなるという事だった。
「何でだろうね? 急に」
そう言って、首をかしげるツンさん。
でも、ぼくにはその理由が分かっていた。
「きっと、ツンさんがこの世にとどまっていたのは、さっきツンさんが言っていた『何も手に出来なかった』って後悔が原因なんだお」
ぼくはツンさんに理由を話し始めた。
「でも今、助教授の言葉を聞いてツンさんは、『自分は何も手に出来なかったわけじゃなかった』って分かったんだお」
そう。助教授は自分でも気付かないで、ツンさんの表面の冷たい態度じゃなくて、その奥にある本当のツンさんの事を見続け、そして、惹かれていたんだ。
「ブーン、ボーっとしるのによく人の事見てるよね」
「ボーっとしてるは余計だお!」
ぼくの反論にツンさんはふふふと笑った。
「――ツンさんとの日々、楽しかったお」
それからぼくは精一杯笑ってツンさんにそう言った。
「うん。わたしも」
「いなくなると寂しいお。ぼくはツンさんの事が好きだったんだお」
ぼくの二度目の告白にツンさんは「だめよ、わたしはもう予約済なの」と言って笑った。
それから、助教授の去って行った方向を見ながら「今度、先生に会ったら、わたしは留学先で彼氏が出来たみたいだって言っておいて」と言った。
そう、今さっきとても嬉しい事が起きたけれど、残念ながらそれはもう遅かったのだ。
「わかったお」
そう返事をしたぼくは「そうか、残念だな」と言って力なく笑う助教授の顔が想像出来た。
「ブーン、いい恋をしなさい!」
突然、ツンさんがそう言った。
そして、その力強い視線で真っ直ぐにぼくを見て言う。
「君、わたしの事も視えたんだから、もっと色んなものを視なさい」
その時、ぼくはツンさんがやわかく光ながら少しずつ透き通ってきているのに気が付いた。
「君の事を見てる子もきっといるわよ」
小さな声でそう言うツンさん、でもその足はもう完全に見えなくなっていた。
ツンさんも自分の変化に気付いていた。
徐々に薄くなっていく自分の手を見ながらツンさんが言った。
「もうすぐみたいね」
そして再びぼくをやさしく見つめ、笑いながら言った。
「来年のバレンタインデーは作るんじゃなくて、作って貰えるようにがんばりなさい」
もうほとんど見えないツンさんにぼくは言い返した。
「ツンさんは次に生まれ変わる時には、もう少し素直になるといいお」
「ふふ。余計なお世話よ」
ツンさんはそう言って笑い、やがて完全に消えてしまった。

ぼくはそれからもしばらく、砂浜に座り込んでキラキラと反射する海面を見続けていた。
やがて、日が傾く頃、やっと重い腰を上げ、砂浜を道路に向けて歩き始めた。
砂浜に残る帰りの足跡は、ひとり分だけだった。

(^ω^)
 バスに揺られているうちに、哀しみがやってきた。
心にぽっかりと大きな穴が空いていた。
ひとりでバスに乗っているのが寂しかった。
バスを降り、それから魂が抜けたように歩いていた。
そして、何とか家の近くの公園まで歩いて来たが、ぼくはそこで力尽きた。
公園のベンチにひとり座り、そして泣いた。
大きな喪失感がぼくの中にあった。
あの日、図書館で会ってからずっとぼくのそばにいたツンさんが、今はもういなかった。
ツンさんがいないのが寂しかった、もうツンさんと話を出来ないのが単純に哀しかった。
ぼくは泣き続けていた。
その時、公園の外から誰かがぼくを呼んだ。
「内藤?」
声のする方を見ると、そこには学校帰りの幼馴染がいた。
そして、ぼくを確認すると、ぼくに罵声を浴びせながらずかずかと近づいて来た。
「馬鹿じゃないの? こんな所にいたらいつまで経っても風邪が治らないでしょう!? それとも何? 風邪は治ったの? 風邪で学校休んだくせにこんな所にいるなんてサボり!? とにかく、こんなところで何やっ……」
しかし、すぐ近くに来ると、ぼくが泣いているのに気が付いたらしく、言葉が止まった。
「……どうしたのよ?」
幼馴染がそう聞いて来たが、ぼくは何も言わずに泣き続けていた。
しばらく、幼馴染はぼくの前に立ち尽くしていたが、やがて、ぼくの隣に座った。
「今日……」
それから更にしばらくして、ぼくは幼馴染に話し始めた。
「今日、幽霊さんがいなくなったんだお」
ぼくはそう始め、それからツンさんと助教授の事を一所懸命に話した。
でも、こんな事を言われても、幼馴染には何の事だか分かるはずも無い。
もっとも、それ以前に、泣きながら喋っていたぼくの言葉は鳴咽まじりで何と言ったかさえ分からなかったかもしれない。
それでも、幼馴染は頷きながらぼくの話を聞いてくれた。
そして、ぼくの話が終わってからも、幼馴染は何も言わずにずっとぼくの隣に座っていた。
いつの間にか太陽も沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。
やがて、幼馴染がぼくの方を向いて言った。
「げっ、元気出しなさいよ! 何だかよくわからないけど……、あんたがしょぼくれてるとこっちまで暗くなるじゃない!」
そう言って、頬を膨らませてそっぽを向く幼馴染。
それ以上、彼女は何も言わなかったけど、ぼくには彼女の気持ちが伝わって来た。
彼女の膨らんだ頬が紅く染まっていた。

ずっと、彼女の無愛想な態度が嫌だった。
顔を合わる度に何かとぼくにつっかかり、冷たい態度をとる彼女。
でも、ツンさんのと日々がぼくを変えたみたいだった。
こうして――、隣に座って頬を赤くする彼女を見ていると、何だかそんな彼女も好きになれそうな気がした。


2007.02.14掲載


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