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ブーンと風鈴のようです

(^ω^)
 おじいちゃんの軽トラックの荷台から見えるもの。
どこまでも蒼く、果てしなく高い空。白い大きな入道雲。視界の端から端まで広がるうっすらと黄緑に色付いた田んぼ。その奥を囲む濃い緑の森とそこから続く山々の稜線。
そして、聞こえるのはひたすらに蝉の声。
 夏休みの最後、ぼくはおじいちゃんの家にやって来た。
電車に乗ること三時間、そこから更にバスに乗り、そして最後にバス停まで迎えに来たおじいちゃんのトラックに今ぼくは乗っている。
周りはすっかり山に囲まれ、ビルなんて一つも建っていない。それどころかバスを降りてからコンビニだって一軒も見ていない。
でもぼくはこれからここで数日間を過ごすのだ。
 以前に来た時はお父さんやお母さんと一緒に来たけれど、ぼくももう小学校六年生、来年からは中学生だ。だから、今回は一人で来た。
そして、ここまでまったく迷ったりせずに来られた事で、ぼくは少し大人になった気分がしていた。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
すれ違う車がまったくいないのをいい事にぼくは荷台からちょっと乗り出して運転しているおじいちゃんに話し掛ける。
「ん? 何だ?」
「裏の山にある川はまだ泳げるかお?」
おじいちゃんの家から歩いて30分ぐらいの所に川があって、ぼくは以前もそこで泳いでいた。
「んー、水は冷たいけどまだ大丈夫かな?」
おじいちゃんはそう答える。
「ちょっとぐらい冷たくても大丈夫だお。だってこんなに暑いもん」
そう言ってぼくは空を見上げた。日差しは強く、風に当たらないとじっとりと汗が出て来る。
「そうだな。でも――」
おじいちゃんがぼくに言った。
「ここは山だから、ちょっと早く夏が終わっちゃうし、終わる時はころっと季節が変わるんだ」
「そうなのかお」
今までは夏の一番暑い時期に数日しか来たことがなかったから知らなかった。
「その分、初秋も楽しめるけどな」
おじいちゃんはそう言ってから、でもまぁ、と続けて言った。
「とりあえずはまだ夏だ。存分に楽しんでいけ!」
「うん!」
ぼくは頷き、これからの数日間、何をしようかと考えながら、荷台から再び景色と空を眺めた。

(^ω^)
「おーい! ブーンが着いたぞー!」
「ブーンちゃん、いらっしゃい! よく来たねぇー」
おじちゃんの呼び声に家の奥からおばあちゃんの声が聞こえてきた。
おじいちゃんとおばあちゃんはぼくの事をブーンと呼ぶ。
小さい頃からそう言って走り回っていたぼくについたあだ名みたいなものだった。
「さあさあ、上がって上がって」
台所からエプロンで手を拭きながらおばあちゃんがやって来た。
「おばあちゃん、久しぶりだお!」
おばあちゃんはぼくを見て、にっこりと目を細める。
「さぁ、こっちだよ」
ぼくの荷物を一つ持って、おばあちゃんはぼくを奥の部屋に連れて行く。
「この部屋を自由に使っていいからね」
家の角、いつもは使っていない部屋をおじいちゃんとおばあちゃんはぼくの為に用意してくれていた。
「ありがとうだお!」
お礼を言うぼくにおばあちゃんは「どういたしまして」と微笑む。
それからおばあちゃんはぼくの荷物を置いて、ぼくの部屋から去り際に言った。
「さ、荷物整理が終わったら居間においで。とうもろこしを茹でてあるからね」
ぼくは湯気をたてながらつやつやと光るとうもろこしを想像し、それが早く食べたくてものすごい勢いで荷物を片付けた。

(^ω^)
「ちょっと遊びに行ってくるお!」
とうもろこしを食べ終えたぼくはおばあちゃんにそう告げ、家を飛び出した。
まだまだ外は明るいし、このまま家にいるなんてもったいない。
「ブーン!」
ぼくはいつもの掛け声で両手を広げ走り出す。
誰よりも速く、誰よりも遠くへ。
田んぼの中の一本道を走っていくのはとても気持ちが良かった。
抜けるような青空の下、目に入るのは自分の前に続く道、その両脇に広がる田んぼ、そして世界を囲む山々。
山にはまるでそこに住む巨人みたいに何本もの送電線が立っている。
 走り続けるぼくは途中、山へと続く小道を見つけ、ぼくはそのままの勢いで山へと入って行く。
山に入ると蝉の声は密度を増し、うるさいぐらいに大きくなる。
まるで蝉の鳴き声の中を通り抜けているような感じだった。
生い茂る木々で日陰になった山の中は少し涼しく、頬に受ける風が心地良い。
時々、目に入る木漏れ日にの眩しさに目を細めながら、ぼくはスピードを上げ、走り続けた。

(^ω^)
 どれくらい走っただろうか、ぼくは道の脇に何かが置いてあるのを見つけた。
「お?」
足を止め、それを見た。
それはぼくの胸ぐらいの高さの小さな神社みたいな物だった。
でも、ガラガラ鳴らす鈴も付いていないし、賽銭箱も無い。
「これは何だお?」
中を覗いて見たけれど何かが入っている様子も無い。
「ふうーむ」
ぼくは腕を組み、考える。
その時、ふと何処かから誰かに見られているような気がした。
「んお?」
背後や周囲を見渡す。
「誰かいるのかお?」
ぼくは声に出して聞く。
だけれどぼくの問いに答える者は無く、ただ森の中をざぁっと風が吹き、木々が震えた。
改めて周りを見る。
気が付けば日が傾き、山の中は薄暗くなって来ていた。
カナカナとひぐらしが鳴き始め、木陰は所々が暗闇となって森を侵食し始めていた。
ギャー!
突然頭上で何かの鳥が鳴き、ぼくはその声に驚きびくっと体を強張らせた。
「……そ、そろそろきっと夕飯だお」
ぼくは一人言い訳をし、来た道を急いで帰った。

(^ω^)
 おじいちゃんの家に戻ったぼくは夕飯が出来るまでの間、持って来た夏休みの宿題をやっていた。
普段は嫌な宿題もこういう所でやると凄くはかどる。
今日の分はあっという間に終わり、少しだけ明日の分もやった。
このペースで行けばこんな宿題あっという間に終わるに違いない。ぼくはにんまりと笑い、宿題帳を閉じた。
 窓から見ると、外はすっかり暗くなっていて、星がぽつぽつと見えていた。
そして、昼間の蝉の声と入れ替わって聴こえてくるのは蛙の声だった。
時々、ジジッと鳴く他の虫を圧倒するその音量。
蛙の合唱なんてもんじゃない。蛙のオーケストラだった。

「今日は何処へ行ったんだ?」
夕飯の席でおじいちゃんが聞いてきた。
「田んぼから山に続く道があったからそこをずっと行ってみたお」
「どこまで行ったんだい?」
おばあちゃんがにこにこと聞いてくる。
ぼくはあの小さい何かを思い出して答えた。
「山の中を進んで行ったら、小さな神社みたいなのがあって、そこまで行ったお」
「ああ、あの祠か」
おじいちゃんがそう言った。
「ほこらって言うのかお?」
ぼくが聞き返すとおばあちゃんが教えてくれた。
「そうだよ。祠も神様とかが祭ってあるものだから、ブーンちゃんの言う小さな神社ってのも正解かもしれないねぇ」
おばあちゃんの答えにぼくは自分の考えた事が間違って無かったと分かり、少し誇らしい気持ちになった。
「その道、ずっと進んで行くと今は使われて無い学校があるぞ」
おじいちゃんがぼくにそんな事を教えてくれた。
「ほんとに? 明日行ってみるお!」
ぼくは新しい遊び場の存在を知り、喜んで言った。
「ちょっと遠いけど大丈夫かい?」
おばあちゃんの問いにぼくは「大丈夫だお!」と胸を張る。
「でも――」
それからぼくは問いかける。
「どうして使われて無いんだお?」
おじいちゃんが口をへの字に曲げて教えてくれた。
「この辺の子供の数が減っちゃったからなぁ」
「そうなのかお」
そういえば、ここに来てから他の子供を全然見ていない。

「じゃあ、ぼくはもう寝るお。お休みなさいだお」
ご飯を食べ終え、それからテレビを観終わるとぼくは自分部屋に戻った。
部屋に入るとおばあちゃんが点けておいてくれた蚊取り線香の匂いがした。
布団に入る。枕は少し硬くて中に何かざらざらした物が入っているやつだった。
「ふぅ、明日からいっぱい遊ぶお」
ぼくは明日からの楽しい日々を想像しながら目を閉じた。
外では蛙はうるさいくらいに鳴き続け、これじゃあ寝られないよと思ったが、その数分後にはぼくは眠りに落ちていた。

(^ω^)
「行ってきますだお!」
朝ご飯を食べ終わるや否やぼくは家を飛び出し、山へ向かった。
今日は昨日おじいちゃんに聞いた学校へ行ってみよう。
 そしてぼくは今日はゆっくりと森の中を進む
もしかしたらかぶと虫とか、それとも自分の家の方では見た事も無いような生き物がいたりするかもしれない。
ぼくはそびえ立つ木の幹や枝、それに所々に転がる大きな岩なんかを見ながら歩き続ける。
昨日と同じく、降り注ぐように聴こえてくるのは蝉の声。
地面には木漏れ日から差す光で不思議な模様が描かれている。
そんな山道を歩き続け、ぼくは昨日の祠に辿り着いた。
これが小さな神社なら、きっとお祈りすれば願いが叶うはずだ。
ぼくは祠に手を合わせ、願う。
「楽しい夏休みが過ごせますよーに」
そして、再びぼくは歩き出した。

 それから歩き続ける事、数十分。
結局、見つけられたのは蝉の抜け殻ばかりでかぶと虫はおろか蝶々一匹さえ見つけられなかった。
「ふぅ」
歩き疲れたぼくは喉が渇いて、水筒を持ってくれば良かったなぁと考えていた。
「お?」
その時、前方の木々の隙間から何か建造物が見えた。
ぼくは興奮して駆け出す。
きっと、あれが学校に違いない。
進むにつれ、徐々に全体が見えて来る建物、ぼくは早くそれが見たくて、走る速度を上げた。
そしてぼくはついに学校にたどり着いた。
学校は山の中に切り開かれた敷地にあり、校舎は木造の二階建てだった。
決して広いとは言えないけれど校庭には鉄棒やジャングルジムが設置されていて、そこには朝顔や何かの植物が絡まっている。
誰もいない無人の建物になった学校の発見にぼくは何だか冒険家とか探検家になった気分だった。
「インディ・ブーンズ、謎の古代遺跡を発見しましたお」
「わかりました。至急、中を調査して下さい」
「了解ですお!」
一人でそんなやりとりをし、ぼくは校庭を横切り、校舎へと足を進めた。

(^ω^)
 校舎に近付くと水道があり、ぼくは自分が喉が渇いていた事を思い出し、蛇口をひねった。
「おお!」
水道はちゃんと水を出し、ぼくはそれをごくごくと飲んだ。
「ぷはー! 水おいしいお!」
蛇口から出てくる水は何の臭いも無く、とても冷たかった。
「よし、探検開始だお!」
ぼくは再び校舎に進む。
 校舎は右端と左端にそれぞれ入り口があり、ぼくは右の入り口から校舎内に入る事にした。
入り口は鍵もかかっていなくて、扉を押すとギイッという音と共にすんなりと開いた。
そしてぼくが中に入ると扉は再びギイッと鳴り、閉まる。
蝉の声が扉を隔てたせいで小さくなった。
入り口のガラスから入る日光以外の光が無くて、昇降口は少し暗かった。
何台かの下駄箱が静かにそびえ立っている。
ぼくは靴のまま昇降口から上がり、校舎内へと進んだ。
廊下が歩く度にギシギシと鳴る。
 校舎内は何もかもがそのままで、しかもあまり汚れておらず、少しがんばって掃除をしたらそのまま使えそうな感じだった。
教室を覗き込みながら廊下を進んで行くと、ちょうど真ん中に来た所で二階へと続く階段があった。
そこから先の廊下は窓側が森になっているせいで日光があまり差し込まず、薄暗かった。
何となくちょっと不気味で、ぼくはそこから先に行かず、階段を昇る事にした。
階段もやっぱり廊下と同じようにギシギシと鳴り、もしかして穴が空いて落ちてしまうんじゃないだろうかとぼくは少し不安だった。
そして、二階に着くと、ぼくはそこから左のまた明るい方の廊下を進んだ。
再びギシギシと廊下を歩き、一番端までたどり着くとぼくはそこの教室に入ってみる事にした。
カラカラと教室の扉を開ける。
すると建物の中を風が通り抜け、何処からかちりんと涼しい音がした。
教室内を見回す。
見ると、窓辺に風鈴がひとつ吊るしてあった。それが鳴ったのだ。
ぼくは風鈴の吊るしてある窓辺に近寄った。
窓から外を見る。校庭とその先のぼくが通って来た森が見えた。
ぼくは視線を風鈴に戻し、息を吹きかけた。
風鈴は再びちりんと鳴った。
恐い位に綺麗な音色だった。
聴くだけで涼しくなる。――いや、背筋がゾッと冷たくなる位だ。
「発掘品だお」
ぼくは声に出してそう言い、風鈴を手に取った。

(^ω^)
 家に帰ってきたぼくは自分の部屋の窓に学校から持ってきた風鈴を吊るした。
風が吹き抜け、風鈴が鳴る。
やっぱりその音色は美しく、ぼくは暑さを一瞬忘れた。
でも、その後は風がぴたりと止んでしまい、風鈴はその音色を響かせる事は無かった。
「お昼ご飯ですよー」
おばあちゃんの声にぼくは部屋を出た。

 お昼ごはんを食べ終え、ぼくは縁側の畳で昼寝をした。
風は止んだままで蒸し暑く、扇風機からの風が心地よかった。
やがて、目が覚めるとそのままごろごろしつつ腕に付いた畳の痕を指でなぞりながら考える。
遊びに行きたいなぁ、でも宿題もやらないといけないなぁ。
「――昨日、今日の分を少しやってあるし、ここだとはかどるから今日の分は明日やってしまえばいいお」
ぼくはそう呟き、今後の計画を立てた。
一日目に二日目の分を少しやって、三日目に二日目の残りの分をやれば二日目は宿題をしなくていい。
天才的な閃きにぼくは飛び起き、遊びに行くことにした。

「今日は何してたんだ?」
夕飯の席でおじいちゃんが聞いてきた。
「午前中は学校に行って、午後は川を見に行ったお!」
「おお、あそこまで行ったのか」
おじいちゃんが感心したように言う。
「あの学校、ブーンちゃんのお父さんも通ってたのよ」
おばあちゃんがそんな事を教えてくれた。
その言葉にぼくは思わず小学生のお父さんを想像してみる。
けれど、想像した小学生のお父さんのその顔はやっぱり今のお父さんで何だか変な感じだった。

「お休みなさいだお」
夜も更け寝る時間になり、ぼくは部屋に戻って布団に入った。
そういえば今日はぼくの好きなアニメの放送日だ。こっちでは放送していないから留守録をセットしてきたけれど、ちゃんと録れているだろうか?
そんな事を心配しながら、ぼくは眠りに落ちた。

(^ω^)
「う……ん……」
寝ているとどこからか音が聴こえてきた。
恐いくらいに澄んだ音色。
――ああ、これはぼくの風鈴の音だ。
うとうとしながらそんな事を考え、それから徐々に目が覚めてきた。
そして、その異様な空気に気がついた。
気が付けば、あんなにうるさかったかえるがただの一匹も鳴いていない。聴こえてくるのは風鈴の音色だけ。
リーン、リーンと風鈴は鳴り続ける。
その音にぼくはぞっとした。
風鈴の音色がこんなに恐い物だ何て考えた事も無かった。
そして、そんな音の中、ぼくの耳に届く何かの足音があった。
ぴたぴたと人間よりもずっと軽いその足音は廊下を真っ直ぐにぼくの部屋に向かって来た。
いや、きっとこれは足音なんかじゃない。ぼくは全神経を耳に集中させ、その音が何なのか考えようとした。
ぴたぴた、ぴたぴた、その音はぼくの部屋に近付く。
だけれど、いくら考えてもその音の正体は思いつかず、そして聞けば聞くほどそれは足音以外の何物でもなく思えた。
ぴたぴた、ぴたぴた、足音はぼくの部屋に近付く。
そして、足音はぼくの部屋の前で止まり、次に入り口の障子がすーっと開く音が聴こえた。
――体が動かせなかった。
金縛りにあっている訳では無い。ただ、恐怖で体が動かせなかった。
足音は止み、聴こえてくるのは風鈴の音だけだった。
そしてぼくは直感していた。これはあの風鈴のせいだ、と。
それからしばらく、静寂が続いた。
足音が室内に入って来る事は無かった。
終わったのか?
そう思い、恐怖の中、ぼくは少しだけと目を開けた。
月明かりで部屋の中は薄っすらと明るく、物の輪郭が浮かび上がっていた。
ぼくは目だけを動かし、ゆっくりと障子の方を確認する。
そして、ぼくは見てしまった。
月明かりの届かない部屋の入り口の暗闇、そこに狐のお面がぼうっと浮かんでいるのを。
それを見た瞬間、ぼくは声を上げる事も出来ず、恐怖で気を失ってしまった。

(^ω^)
 翌日、ぼくは風鈴を持って学校に向かっていた。
風鈴を返さないといけない、それだけがぼくの行動理由だった。
昨日の幽霊はきっとこの風鈴を学校から持って帰ったせいで出たんだ。
 脇目も振らず、せかせかと山道を歩き学校に到着した。
そして、学校に着くと今まで良かった天気が急に悪くなり始めた。
空は今にも雨が降り出しそうで、ぼくは雨から逃れるために、引き寄せられるように校舎に入った。
校舎内は雲で太陽が隠れてしまったせいで昼間だっていうのに暗くて、所々真っ暗な闇になっていた。
 とても心細かった。でもぼくはここから二階に昇って、一番奥の昨日の教室に風鈴を返さないといけない。
ぼくは意を決し、一歩を踏み出す。
しかし、廊下は一歩進む度にギイギイと鳴き声みたいな音を立て、より一層ぼくを心細くさせた。
ふと、階段の奥、廊下の陰に昨日の狐の面が見えたような気がした。
思わず、足が止まる。
あの狐のお面があんなに恐い物だ何て思いもしなかった。
今まで、わりとあの狐の面が好きだった。何か力が秘められてそうで、ぼくが手にしたらきっと特殊能力が発揮されるんじゃないかと思っていた。
でも今はそんな狐の面は恐怖の対象でしか無く、ぼくの足を止めさせるものだった。
それでも、――前に進まないといけない。この風鈴をあそこに返さないといけない。
ぼくは勇気を振り絞り、動こうとしない足を無理やりに踏み出す。
そして、その一歩を踏み出した直後、ぼくの体はぐらりと傾いた。
踏み出されたぼくの足は着地点を失い、体は重力に引かれるままに落下を始めた。
「――えっ?」
視界に映る全ての物がものすごい勢いで動いている。
これは一体?
そしてその直後、全身に衝撃を受け、ぼくは自分に何が起こったのかを理解した。
「い、痛いお。何で突然……」
ぼくは穴に落ちていた。
そう、これは間違いなく落とし穴だ。
しかし、ただの落とし穴では無い筈だ。
だって、さっきまで何とも無かった廊下に突如としてこの穴は現れたのだから。
「あ、あうあう……」
ぼくは震えながらその穴から這い出る。
「や、やっぱり帰ろうかお……」
再び心が折れそうになる。
でも、ここで引き返したらまた夜にはあの幽霊が出る。そんなのもっと嫌だ。
ぼくは震えながらも階段を昇り始めた。

(^ω^)
 階段を無事昇り切り、ぼくは校舎の二階に着いた。
だけどここから、また反対向きにこの薄暗い廊下の一番奥まで行かないといけない。
外は一段と雲が多くなり、校内は益々暗くなる。
早く行かないとこのままだとぼくは真っ暗闇に取り残される事になるかもしれない。
「よし――、行くお」
ぼくは自分を奮い立たせるために声に出してそう言い、目的の教室がある側を向き、一歩踏み出した。
その時、ぼくの後ろ、廊下の反対側からぽーんと何かが跳ねるような音がした。
音に驚き、振り返る。
ぽーんぽーん、とその音は間隔を徐々に短くしながらこっちに近付いてきた。
そして、廊下の奥の暗闇からその音にあわせて小さい丸いなにかが跳ねながらぼくに向かって来る。
じっと見たけれど、距離があってそれが何の生き物だかぼくには分からない。
ぽーんぽーん、とそれは空中を舞うように跳ねながら一直線にぼくに近付いて来る。
「あ、あわわわわ……」
ぼくの目はその生き物に釘付けになる。
ぽーんぽーん、それはどんどんぼくに近付いて来る。
「うわー!」
ぼくは恐怖に耐え切れず、叫び声をあげてその場にしゃがみ込んだ。
そうして、足を動かすことも出来ず、ただしゃがんで震えるだけのぼくのそばをそれは通り過ぎて行った。
「――お?」
よく見れば、それはテニスボールだった。
ただテニスボールが弾みながらこっちに来ただけだったのだ。
「何だ、ただのテニスボールかお」
ぼくはほっと胸をなでおろした。
すると次にまた廊下の奥の暗闇から今度はダーンとさっきよりも強い音がした。
ダーン、ダーン。その音はさっきと同じく間隔を徐々に短くしながらこっちに近付いてくる。
そして、再び暗闇からぬっとさっきよりも少し大きなものが音に合わせて上下しながら現れた。
今度のそれはバスケットボールだった。
ボールは再びぼくの横を通過する。
「今度はバスケットボールかお」
ぼくは再び安堵し、呟く。
そして呟きながら、ぼくは考えた。
「あれ? でも何で――」
何でボールが勝手に転がってくるんだろう?
ボールが勝手に弾んで来る訳は無いよな。
だとしたら?
だとしたら――、あの暗闇の奥にボールを転がしている何かが、――いる?
そう思った直後、暗闇からガターンと今までよりももっと大きな音が鳴り響いた。
そして今度は一つでは無く、大量の音がそれぞれの間隔で鳴りながら近付いて来る。
「――――――」
ぼくは息を飲んで暗闇を見つめた。
そして、それらは現れた。
大量のボール、野球ボールやバスケットボール、バレーボールそれによく分からないものまでが弾みながらこっちに向かって来た。
「うきゃー!」
ぼくは叫び声を上げ、全力で走り出した。
両手を広げる事も忘れ、ただひたすらにやって来るボールから逃げる為に走った。
そして、目的の教室に駆け込むとポケットから風鈴を取り出し、教室の前に置いてあった教卓に放り投げるように置き、そのままUターンして教室から駆け出した。
「うわあああああん」
半泣きで廊下を駆け抜け、転がるように階段を降り、ほとんど目を瞑りながら校舎から飛び出した。
――視界がかっと明るくなった。
空を見上げるといつのまにかすっかり晴れていてさっきまでの暗かった空が嘘のように青空が広がっていた。
ぼくはへなへなとその場に座り込んだ。
 ふと振り向くと水道の所に籠に入った真っ赤なトマトがあった。
ぼくは誘われるように手を伸ばし、それを手に取った。
トマトは冷えていて、とても美味しそうだった。
緊張で喉の渇いていたぼくはそのトマトをかじりついた。
トマトは今までぼくが知っていたトマトとは全然別物という位美味しかった。
トマトを食べ終え、一息ついたぼくは学校を後にした。
校門を出る時、風鈴の音が聴こえた気がした。
でもそんな音が聴こえるはずは無かった。だってぼくは風鈴が鳴るように吊るしてなんかいない、ぼくは風鈴を教卓に置いてきたのだから。

(^ω^)
「今日は何処へ行ったんだ?」
夕飯の席でおじいちゃんが聞いてきた。
「が、学校だお」
ぼくはどもりながら答える。
だって、今日の事は思い出したく無かった。
あれはきっと夢だったんだと、そう思いたかった。
そうして、夕食を食べながらおじいちゃん達と話をして笑い、テレビを観て笑い、お風呂に入る頃にはぼくの心はすっかり落ち着いていた。
帰って来てからずっと何も無かったし、お風呂で髪を洗う時に目をつぶるのが恐かったけれど、それだって結局何も起こらなかった。
「お休みなさいだお!」
とにかく、風鈴も返したしこれで全ては終わったんだ。
そう思い、お風呂から上がりパジャマに着替えたぼくは自分の部屋に入ってその考えが間違いだった事を知った。

(^ω^)
 始めは、何も気が付かなかった。
何かが部屋にいた訳でも無いし、不吉な気配がした訳でも無かった。
ただ、ぼくが部屋の中に入った時、同時に部屋を風が通り抜けた。
そして、ぼくの耳にちりんという音が聴こえてきた。
「――!?」
ぼくは反射的に音の聴こえてきた方へ振り返る。
すると、窓の外、網戸の向こうに、昼間ぼくが返したはずの風鈴が風に揺れていた。
「あわわわわわ」
ぼくはガタガタと震え、それでも風鈴から目を逸らす事が出来なかった。
――何で? どうして?
何かを考えようとしても、考える事が出来ず、ただ目の前にある風鈴を信じられない思いで見つめる事しか出来なかった。
 ぼくは風鈴から目を離さないままで枕を手に持った。
そして、尚も風鈴を見つめたまま部屋を出ると、障子をきっちりと閉め、おじいちゃんとおばあちゃんの部屋へ向かった。
「お、おじいちゃん、一緒に寝るお」
ぼくがそう言うとおじいちゃんは「ん。おお、いいぞ」と布団を空けてくれた。
ぼくはそこに入り込み、眠ろうと目を瞑る。
だが、考えてしまうのは風鈴の事ばかり。
でも、そんな事を考えると幽霊がやって来そうで恐くて必死になって違う事を考えようとした。
なのに、そう思えば思う程、恐い事を考えてしまう。
目を開けたらまた何かが見えてしまうような気がして、動いたらそこにいる幽霊に見つかってしまうような気がして、ぼくは暗闇の中、独りじっと恐怖に震えていた。
そして、ぼくの部屋からは、風鈴が一晩中その音を響かせ続けていた。

(^ω^)
 翌日、ぼくは学校の校庭に立っていた。
校舎を見上げ、大きく深呼吸して校舎に向かう。
昨日と同じく、晴れていた空はぼくが校舎に入ると暗転し、今日は雨まで降り出した。
ぼくは緊張と恐怖に体を強張らせながらも廊下を歩き始めた。
廊下はやはり一歩を進む度にギイギイと不気味な音を立て、ぼくを逃げ出させようとする。
昨日、突如として落とし穴になったところに着いた。しかし、床はどうにもなっていなくて、穴が空いていた様子はまったく無かった。
それでもぼくはそこを避けて壁際を通り、続く階段を昇った。
階段の折り返し地点になっている踊り場で一呼吸する。
手がじっとりと汗をかいていた。
それから二階を見つめ、再びぼくは階段を昇り始める。
 階段を昇り切り、右側を一切見ずに、教室のある左へ一歩踏み出した。
その時、ぼくの足はまたも着地点を失い、体は重力に引かれるままに落下を始める。
――ドスンと衝撃を受け、ぼくは理解する。
ああ、また落とし穴に落ちたんだ、と。
無我夢中で穴から這い出し、ぼくは泣きそうになりながらも一気に教室を目指す。
そして、教室にたどり着くと扉を開け、ゴールに着いたような安堵感で教室内に飛び込んだ。
だが、天気が悪いせいで教室の中は暗く、そして一番後ろ、壁際に設置された物入れの前に誰かが立っているのが見えた。
「……だ、誰だお?」
ぼくの問いに影になったその人物は返事をしなかった。
その時、雷光が光った。
そして、その一瞬の光の中にその人物の姿浮かび上がった。
――その人物は真っ白な骸骨だった。
次の瞬間、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
「うきゃー!」
ぼくは叫び声を上げ、その場にへたり込む。
するとその時、空から雲がさーっと退き、教室に太陽の光が差した。
「――お?」
青空は見る見るうちに空一面に広がり、教室の中は明るさを取り戻した。
そしてぼくは明るい教室に立つ髑髏を再び見て、今度は怒り出した。
「だ、誰だお! こんな物をここに置いたのは!」
教室の後ろに佇む髑髏。それは学校の理科室なんかによく置いてある骨格標本だった。
「まったく。こ、こんなのちっとも怖くないお!」
ぼくは髑髏に向かってそう言い放つ。
でもそんな事を言いつつも、ちょっとだけまだその骨格標本が恐くてぼくはそれに近付く事は出来なかった。
「さぁて、もう帰るお」
ぼくはそう言うと持ってきた風鈴を教卓へ置き、教室を後にした。

 校舎を出ると、昨日の水道の所に今日は桃が置いてあった。
周りを見回しても誰もいない。ぼくは水道に近寄り、桃を手に取った。
桃は手で皮が剥ける程、よく熟していた。
皮を剥き、ぼくはかぷっとかじりついた。
桃はよく冷えていて、そしてとても甘かった。
 校門を出るぼくの耳にまた風鈴の音が聴こえてきた気がした。
そして、ぼくはもしかしたら、という思いを持ちながらも学校を後にした。

(^ω^)
 ――信じられない事に、風鈴はまたぼくの部屋に戻って来ていた。
夕飯を食べ終え、テレビを観終わって部屋に戻ったぼくの前に、風鈴はまるで今日返したという事実など無かったかのようにそこにあり、静かに風に揺れていた。
でも少しだけ、そうなるような気もしていた。
きっとこの風鈴はぼくに取り憑いていて、返しても返しても、ぼくの元に戻って来てしまうんだ。
ならばいっそ、風鈴を壊してしまおうか――。
一瞬、そう思ったけれど、そんな事をしたら何かに呪われそうで、恐くてそんな事は出来なかった。
それにもし、壊した風鈴がその後再びぼくの前に姿を現したら、ぼくはもう何の言い訳も出来ず、恐怖でどうにかなってしまうかもしれない。
「き、きっと誰かのいたずらだお」
ぼくはそう呟くと風鈴から目を逸らし、枕を持っておじいちゃんの部屋へ向かった。

(^ω^)
 また、学校に来ていた。
ここに来るまでの間に暑くてかいた汗は、学校を目にした瞬間、それまでとは違う何かじっとりとした何か別な嫌な汗に変わった。
ぼくはなるべく校舎を見ないように校舎の入り口に歩み寄る。
だってもし、見上げた校舎の窓から何かが見えたりしたら、ぼくはもう校舎に入る事さえ出来なくなってしまう。
校舎に近付くと天気は相変わらず悪くなり、空には雲が低く立ち込めてきた。
ぼくは仕方が無く校舎に入り、二階の教室を目指す。
廊下や階段はやっぱりギイギイと鳴き、その音も、そしてその音がしないシンと静かな無音の校内もやっぱり恐かった。
何度目だろうとちっとも慣れなかった。
いつまでたっても恐いものは恐い。純粋な恐怖だけがそこにはあった。
どうせ学校に来ても恐い思いをするだけだし、何度返してもそれは戻って来る。だったらもうここに風鈴を持って来るなんてしなければいい、そう思いもした。
けれどやっぱりそれが自分の部屋にあるのは堪えられない位に恐かった。
だから、なんとしても手放したかったのだ。
 そうして、ぼくは今日も落とし穴に落ち、誰もいないはずの教室から聴こえる足音に怯え、何故かどこの窓から見ても常にぼくの方を見ているデッサン用の石膏に恐怖しながら教室を目指した。
震える足で何とか教室に着くと風鈴を置いて猛ダッシュで校舎から出る。
そして、どういう訳か水道に置いてある冷たく冷えた果物を食べ、ぼくは家に帰った。

 ――そして、そんなぼくの努力にも関わらず、風鈴は今夜もぼくの部屋で揺れていた。

(^ω^)
 ある日の夜、お父さんから電話がかかってきた。
「どうした、ホライゾン? 毎日寝不足なんだって? 宿題は? ちゃんとやってるか?」
お父さんが電話の向こうで笑いながら聞いてくる。
そしてぼくは確かに寝不足だった。
毎晩、幽霊が現れるんじゃないかと怯え、暗闇の中でじっと息を潜め、朝が来るまで安心して眠れない。
そして、朝が来ればぼくは風鈴を持って学校に行かないといけない。
帰って来れば、夕方までは束の間の安息。ぼくは縁側で毎日、夜の分も取り返すべく長い昼寝をした。
そんな風にぼくが毎日長い昼寝をするのでおばあちゃんがお父さんにそう言ったのだろう。
そういえば、宿題もあれから全然進んでいない。
「うん、まぁそうなんだお……」
幽霊のせいで、等と言う訳にもいかず、ぼくは言葉を濁らせる。
それからぼくはお父さんに幽霊の事を聞いてみることにした。
これで、お父さんがこの正体を知っていればぼくは安心して眠る事が出来るようになるかもしれない。
案外、その正体は本物の狐で学校からぼくの家に風鈴を咥えて持ってきているだけだったりするかも知れない。
「お父さん、お父さんの通ってた学校に何か不思議な話ってあったかお?」
「どうしたんだ? 突然」
お父さんが不思議そうに聞いてくる。
「お父さんの学校に行ってみたんだお」
「そうか。懐かしいなぁ」
お父さんはそう言って、話を続ける。
「うーん。お父さんの学校の恐い話かー」
いや、怖い話じゃなくて不思議な話だお、そう言おうとするぼくにお父さんは話を始めた。
「――まぁ、どこの学校にでもあるような七不思議はあったけど。そうだな、怪談系の話で本当っぽかったのと言えばあれだな」
お父さんはそこで言葉を切り、ぼくは改めてお父さんに聞いた。
「あ、あれって、何だお?」
お父さんは声をひそめて答えた。
「『つー』だよ」
「つー?」
ぼくはその名を繰り返す。
そして、お父さんが言った。
「そう、『つー』。つーはね、山から夏の間だけ学校にやって来るお化けなんだよ」
お化け――。話の雲行きが怪しくなってきていた。

(^ω^)
「お化け? 幽霊って事?」
ぼくがそう問い返すとお父さんは答えた。
「いや、そうじゃないな。父さんもよく分からないけど、あれは幽霊や妖怪じゃなくてどっちかっていうともっと妖精っぽい感じの」
そう答えるお父さんは何故か少し楽しそうだった。
「――でもやっぱり『お化け』ってのが一番しっくりくるな」
お父さんの答えにぼくは聞く。
「その『つー』は風鈴のお化けなのかお?」
「風鈴? そういえば風鈴が何か関係してたようなのは聞いた事あるなー」
「何だお!?」
お父さんの曖昧な答えにぼくは食らいつく。
「風鈴で人を呼び寄せるんだったかなぁ? 何だったかなぁ?」
お父さんはそう言い、最後には「もう昔の事で忘れちゃったよ」と話を終えてしまった。
なんて事だ、肝心な事が何も分からない。
「それじゃあ――」
ぼくは続けて質問する。
「何で夏だけなんだお?」
「何でだろうな? 怪談の季節だからじゃないか?」
お父さんはすごく適当にそう答えた。
それから「いや、逆なのか? 夏に出るから夏は怪談の季節なのか?」と一人で悩んでいた。
 とにかく、あの風鈴はつーというお化けの仕業で、そしてぼくがつーに目をつけられたのは今が夏だからという訳だ。
何で夏なんだ。冬にしてくれればよかったのに。そしたら、雪に阻まれてあの学校に行く事も無かった。
そして、そうしたらこんな恐い思いをしないですんだのに。
「そういえば――」
お父さんが急に声のトーンを低くし、ぼくに言った。
「つーは夏にしか現れないからめったに遭う事はないんだけど」
その真剣は声にぼくは思わずごくりと息を飲んだ。
「そんなつーに何度も遭うと呪われる、何て話もあったな」
お父さんはそう言ってはははと笑った。
安心するための電話で、ぼくは昨日以上に怯える事になった。
そして、その晩、部屋に戻ると風鈴はやはりそこにあった。
――この風鈴はつーの呪いで、僕は日々その呪いを体に染み込ませているのだろうか?
そして、最後にはぼくは死んでしまうのだろうか?
風に揺れる風鈴が恐くて仕方が無かった。

(^ω^)
 でもある時、ぼくはそれを見てしまった。

その日も、ぼくは重い足取りで学校へ向かった。
しかし、ふと思いついて、いつもとは反対側の入り口から校舎に入る事にした。
こっちから入ると自分が校舎の影になってて暗い方を進む事になるのだけれど、もしかしたら暗い方から明るい場所を目指した方が恐くないのではと思ったのだ。
そして、ぼくは暗い廊下を進み、階段の手前の柱の影になった場所でそれを見てしまったのだ。
 柱に隠れるようにしながら廊下を覗き込むそれ。
白い体は二頭身で、だけど不気味な形では無くて、むしろぬいぐるみみたいな愛嬌のある形。
それはそわそわといつものぼくが来る方向を見ていた。
きっとぼくがそっちから来ると思っていて、ぼくを待っているのだろう。
大きな目をわくわくと期待に輝かせて、口なんかアルファベットのAを逆にしたみたいな形にして楽しくてしょうがないといった様子。そして手には狐の面を持っていた。
それが、つーだった。
そして、それを見てから急に全てがまったく怖く無くなった。
だってそれは、子供が誰かを驚かそうと仕掛けをして待っているのと何の変わりも無かった。
 ぼくの歩みに廊下がギイっと鳴った。
そして、それでぼくに気付いたつーがこっちを振り返る。
突然背後に現れたぼくを見て、つーは気まずそうにぼくを見ながらじりじりと後ずさりする。
そして、ゴロンと自分の作った落とし穴に落ちた。
「あ――」
ぼくが声をあげ、落とし穴に一歩近付くとつーは落とし穴の中からぼくをじっと見つめて、そしてそのままふっと消えてしまった。
「………………」
ぼくは日が差して来た校舎内を進み、教室に風鈴を置くと家に帰った。

(^ω^)
「ブーン、今日も学校か?」
夕飯の席でおじいちゃんが聞いて来る。
「うん」
ぼくは返事をし、それから改めておじいちゃんに聞いてみた。
「――おじいちゃん」
「何だ?」
「ぼく、学校で変なのに会った」
「ああ、つーか」
おじいちゃんはそれが不思議な事でもなんでもないような口ぶりでそう言った。
「知ってるの!?」
慌てて聞くぼくにおじいちゃんは微笑んで答える。
「ああ、ただのいたずら好きのお化けだよ」
――やっぱり、『お化け』なのか。
そんな事を考えるぼくにおじいちゃんは続けて言う。
「人にいたずらするのが好きなだけで、害は無いよ」
そして笑って聞いてきた。
「何かくれたりするだろ?」
「――トマトと桃とか貰ったお」
ぼくがそう答えるとおじいちゃんはおかずの里芋を箸でつまもうと苦戦しながら教えてくれた。
「人と遊びたいくせに、それでも夏休みにしか来ない、恥ずかしがりの妖怪なんだよ」
そして、里芋をつかむ事を諦め、箸で差してを口に入れた。
「こらっ!」
おばあちゃんがそんなおじいちゃんを見て注意する。
おじいちゃんは里芋を飲み込むとぼくを見て言った。
「おじいちゃんも昔、一度だけ会ったことあるよ」
「ぼく、ここのところ毎日会ってたお」
ぼくの言葉におじいちゃんは「ほぉ、珍しいな」と言った。
「――お父さんはつーに何度も遭うと呪われるって言ってたお」
続けてぼくがそう言うとおじちゃんは里芋を今度はちゃんと箸でつまみ、口に入れるとぼくに言った。
「そんな事は無いだろう。多分、つーはそんな事しないよ」
「そうなのかお?」
ぼくがそう言うとおじいちゃんは「でも確かに……」と眉を寄せて呟いた。
「確かに、つーがそんなに何度も絡んで来るなんて聞いたこと無いな」
「……じゃあ、やっぱり?」
心配そうにそう言ったぼくにおじいちゃんは少し考えると笑いながら言った。
「廃校になってずっと誰も来ないから寂しかったんじゃないかな?」
その言葉にぼくは廊下で遭ったあのつーの楽しそうだった表情を思い出した。

その夜、ぼくが部屋に行っても風鈴は戻ってきていなかった。

(^ω^)
 翌日、ぼくはまた学校に行った。
天気は晴れで、抜けるような青空に輝く太陽がとても眩しかった。
日陰になっていた森を抜け校庭に入ると日光が暑くあっという間に汗が吹き出てきた。
蝉の声を聞きながら校庭を通り抜け、校舎に入る。
日陰な分、校舎の中は少し涼しかった。
そしてぼくはやっぱりギイギイと鳴る廊下を歩き、階段を昇っていつもの教室に行った。
 そこに風鈴は無かった。
ぼくは窓枠に手をかけ、外を眺めた。
校庭とその先の濃い緑の森。空は青くて山の向こうには大きな雲がより大きくなろうとしている。
その時、ふと何かの気配を感じた。
ぼくは咄嗟に教室を見回し、後ろに設置されていた大きなロッカーに隠れた。
丁度、目の高さに換気用のスリットが入っていて、ぼくはロッカーの中から教室の中を見ることが出来た。
 からからと扉が開き、そして入って来たのはつーだった。
つーはとぼとぼと教室の前にある教卓に歩み寄り、ひょいと跳ぶとその天板に腰掛けた。
そして、まるで溜め息でもつくみたいにつーは肩を落とした。
 次の瞬間、ぼくは行動を起こした。
「バーン!!!」
出来る限りの大声を出しながらロッカーの扉を開け、ぼくはそこから飛び出した。
突然のぼくの登場につーは驚き、ビクっと体を震わせた。
「あはははは!」
そしてそんなつーを見て、ぼくは笑いながら言った。
「今日はぼくの勝ちだお」
笑っているぼくをつーはその大きな目を丸くしたまま見ていた。
「ふふふ。いつも驚かされてばかりじゃないお」
ぼくがそう言うとつーは驚きからやっと回復した。そして、楽しそうな表情でつーはきゃっきゃと笑った。

 それからぼく達はかくれんぼだか驚かし合いだかよくわからない遊びをして過ごした。
どちらかが隠れ、それをもう一方が探す、でも見つかったら負けじゃなくて、隠れた方が探している方を驚かしたら勝ちなのだ。
何だか勝敗が良く分からなかったけれど、とても楽しかった。
やがて、陽が傾き始め、空はうす紫の夕暮れになった。
ぼくはつーに手を振って別れ、家に帰って行った。

そしてその晩、ぼくの部屋には再び風鈴が揺れていた。

(^ω^)
 その日、ぼくは校舎の一階にあるトイレで準備を済ませ、いつもの教室へ続く階段を昇っていた。
ぼくは階段を一段一段、とても慎重に昇った。
何故なら、いつ何時、ぼくは昇っていた階段を降りていたりするか分からないからだ。
つーにはどうやら何でも無い場所を落とし穴にする能力があるらしい。
だったらどうして、つーには『時間を止める力』が無いと言い切れるのだろうか。
だから、ぼくは慎重に階段を昇り、そしてもし、自分が何をされたのか分からないような事態になった場合でも決して驚かないように自分の意識を最大限に保った。
 階段を無事に昇りきり、ぼくは目的の教室に辿り着いた。
でもぼくはいつも使っていた教室の前側の入り口をそーっと通り過ぎる。
そして、教室の後ろ側の入り口に手をかけ、一気にその扉を開けた。
「ふおおおお!」
扉を開けてぼくは驚き、叫んでしまった。
何故なら、教室の後ろから入ったはずなのに、ぼくは教室の前に立っていたのだ!

――あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは教室の後ろの入り口から入ったと思ったらいつのまにか教室の前に立っていた』
な… 何を言ってるのか わからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…。
頭がどうにかなりそうだった…。

 驚きと混乱でぼくの体は思わず後ろに一歩下がった。
すると、一歩下がったぼくの足は着地点を失い、体は重力に引かれるままに落下を始める。
これは――。
ぼくは落下しながら理解した。
これは、つーのいつもの落とし穴だった。
ぼくはいつも通り、つーの発生させた落とし穴に引っかかってしまったのだ。
 たたたっ、と足音が近付いて来る。
落とし穴に引っかかったぼくを見につーがやって来たのだ。
そうしてやって来たつーは落とし穴の中のぼくを覗き込み、――ぼくの顔を見て驚愕の表情で後ろによろよろと後退して行った。
そして、教室の入り口の小さな段差に躓き、後ろ向きにがたんと倒れた。
「おっおっおっ!」
ぼくは笑いながら落とし穴から出て、倒れたつーを見下ろす。
つーはそんなぼくの顔を見上げ、未だに目をきょとんとさせている。
無理も無い、今のぼくは絶世の美女なのだ。
朝、家を出るときにおばあちゃんの化粧台から顔を白くする化粧品や真っ赤な口紅、まつげを濃くするやつなんかをこっそり持って来たのだ。
そして、さっき一階のトイレでそれらを使い、ぼくは女装をしていた。
倒れているつーに手を差し伸べ、引っ張って起こしながらぼくは言う。
「今日はぼくも驚いちゃったし、引き分けだお」
そう。全てはつーを驚かす為だった。
あれから、ぼく達は驚かし合いをゲームのように毎日続けていた。

(^ω^)
「それにしても今日のつーの仕掛けはどうなってるんだお?」
ぼくは聞きながら改めて教室を見る。
入った入り口と違う入り口が開く。つーは空間を捻じ曲げる力でも持っているのだろうか?
そして、教室を見たぼくはすぐにその仕掛けに気が付いた。
それは催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ 断じて無かった。
もっと……、もっと単純な物だった。
「机が全部後ろ向きに並べてあるだけだお……」
それは教室の机を全部後ろ向きに並べ、教卓も後ろに置いてあるだけの単純なトリックだった。
そういえば、黒板が机の後ろにしか無い。
「これは、一本取られたお」
ぼくはそう言ってつーに持ってきたアイスを一つ差し出した。
つーは満足げに笑うとぼくからアイスを受け取った。
そして、改めてぼくの顔を見て笑う。
つーは楽しそうだったし、ぼくも楽しかった。

 そうやって、ぼくは毎日このお化けと一緒に遊んでいた。
学校に着くとまずは驚かし合い。
その日の勝敗を決め、それから普通のかくれんぼをしたり、黒板一杯に落書きをしたり、音楽室に残された楽器で適当な演奏をしたりして遊んだりし、疲れるとぼくが持って来るおやつか、どこからかつーが持って来る果物なんかを一緒に食べた。
そうして、ぼくが帰ると夜にはぼくの部屋に風鈴が吊るされている。
そして、ぼくはそれを返すために翌日にまた学校に持って行くのだ。

(^ω^)
 ぷぷぷぷぷっ、とつーが西瓜の種を飛ばす。
その日、ぼくとつーは校舎の入り口で外に向かって西瓜の種飛ばし競争をしていた。
最初は距離を競っていたのだけれど、つーが口からマシンガンみたいに連発で飛ばすのを見てぼくもやり始める。
でもそれは結構難しくて、出来るようになった頃にはぼくは口の周りから喉までが西瓜の汁でべとべとになっていた。
そうやって、教室の窓辺に二人並んで座り、校庭に向かって種を飛ばしている時、ぼくはふと思った。
そういえば、つーはこの西瓜とかトマト、桃やぶどうなんかを持って来てくれるけど、一体どこから持って来てるんだろう?
「ねぇ、つー?」
ぼくがそう聞くとつーが種を飛ばしながらぼくを振り返った。
「…………」
そして、ぼくは振り返ったつーから飛んで来た種を浴びるはめになった。
「――やったな」
ぼくは西瓜を大きく一齧りし、急いで食べると種マシンガンをつーに向かって撃った。
つーはぼくの種を浴びると両手に西瓜を持って構えた。
ぼくももう一つ西瓜を掴み、構える。
そしてぼく達は両手の西瓜を交互に食べながらお互いにマシンガンを撃ち合った。
 撃ち合いは続き、段々と西瓜をかじって食べて種だけにするのがもどかしくなり、ぼくは軽く噛みくだいた西瓜をそのまま発射した。
「赤色拡散砲・レッドスプラッシュ!」
ぼくの新必殺技が炸裂した。
西瓜の赤い実と汁が霧の様に広がり、その威力は絶大だった。
しかし、直後。ぼくはつーにべしっと頭を叩かれた。
つーが厳しい顔でぼくを見つめる。
「そ、そうだおね。食べ物を粗末にしたら駄目だおね」
そこでぼく達の撃ち合いは終了し、ぼく達は改めて自分達の姿を見た。
もう上半身は西瓜の汁まみれで、全身からは甘い匂いと緑の匂いが漂っていた。
ぼく達は手や体を洗う為に水道に行った。日向ぼっこをしていた蜥蜴がちょろりと走って逃げた。
水道を前回で出し、手や体、それに着ていたTシャツも脱いで水道でざぶざぶ洗う。
そしてTシャツをじゃーっと絞ると鉄棒に持って行って架けて干し、自分は上半身裸のままでその横のジャングルジムに昇り、頂上に座った。
つーもぼくの横に昇って来て座る。
見上げた太陽は眩しく、照りつける日光は圧力を感じる程に力強かった。そして、その強烈な日光に肩や背中が焼けていくのが分かるようだった。
ぼくの体を焼く頭上から照りつける太陽。その太陽に向かって咲く、校庭の一角に密生した向日葵。木から聴こえて来る蝉の声。青い空。白い雲。
――そこには夏があった。
ぼくは夏を満喫していた。

(^ω^)
 それは教室の窓際につーと並んで校庭を見下ろしながら、つーが持って来た梨を食べている時のことだった。
その日はおばあちゃんにお弁当を作ってもらい、それをつーと一緒に食べて、ぼく達は午後まで遊んでいた。
見下ろす校庭に一台の車が入って来た。車は校舎の入り口近くに停まり、中から作業着を着た二人の男の人とスーツを着た男の人が一人出てきた。
「何だろう?」
ぼくの質問につーもぼくを見返す。
見ていると三人は校舎に入って来た。
その時、その中の一人がこっちを見上げ、ぼく達は慌てて窓から引っ込んだ。
ぼくとつーはそのままこっそりと階段まで移動し、校内に入って来た四人を観察した。
作業着の男の人達は校舎の壁や柱、それに床なんかを見ながら校舎内を見回して歩いている。
「――どうですか? これなら作業は簡単に済みそうですか?」
スーツを着ている人がそう聞いた。
「そうだな。これなら問題は無いだろうな。工期は、まぁ二週間ってとこかな」
作業着を着た中の髭を生やした人がそう答える。
「それにしても、もったいないよなー」
頭にタオルを巻いた若いお兄ちゃんが言った。
「ちょっと掃除したらまだまだ使えそうじゃん。それなのに壊しちゃうなんて、ほんともったいねー」
――え?
ぼくはその言葉に一瞬、考えが止まった。
スーツの人がそんなタオルのお兄ちゃんに言い返す。
「何言ってるんだ。廃校になってもう何年も経つこんな古い校舎、誰も使っていないのにこのままいつまでも置いておく方がもったいない。さっさと解体した方がよっぽど――」
――え? 解体する?
解体するってこの校舎を? どうして? 何の為に?
ぼくは混乱する。
「この土地はもっと有効な事に使う事になってるんです」
スーツの人がそう言い、手にした書類の束を見た。
そして、もう一度言う。
「だから、早いとこ解体して――」
その瞬間、ぼくは階段の陰から飛び出し、三人に向かって叫んだ。
「そんなのダメだお!」

(^ω^)
 突然現れ、そんな事を叫ぶぼくに三人の大人達は驚き、そして言ってくる。
「びっくりしたなぁ。坊主、どこから出て来たんだ?」
スーツの人がぼくに言う。
「どっから入り込んだんだ、この子供は? おい、ここはもう私有地なんだ。さっさと出て行け」
髭のおじさんがぼくに近付き、しゃがんでぼくの目線になるとぼくに言った。
「ここはもうすぐ解体工事が始まるんだ。工事が始まったら危ないからもう入っちゃ駄目だぞ」
でも、ぼくはもう一度繰り返す。
「そんなのダメだお!」
「駄目って、何が?」
タオルのお兄ちゃんが聞いて来る。
ぼくは三人を順番に見つめ、そして言った。
「だから、この学校を壊したら駄目だお――!」
しかし、そんなぼくの言葉に聞く耳を持たず、スーツの男の人はぼくに言う。
「五月蝿いぞ、子供はさっさと帰れ」
「でも――」
ぼくは食い下がる。
「ここにはお化けがいるんだお!」
そして、三人を睨み付け、ぼくは言った。
「きっとそんな事をすると呪われるお!」
ぼくの言葉に三人はお互いの顔を見合わせ、そして、一斉に笑い出した。
「あーっはっはは!」
「何だよ、呪いって。そりゃあ、ちょっとは雰囲気あるけどさ」
「お化けかよ。恐い恐い」
髭のおじさんがもう一度ぼくに目線を合わせ、言った。
「分かるよ。遊び場が無くなっちゃのが嫌なんだろう? でもさ、しょうがないんだよ」
そしてスーツの人が続けて言う。
「ほらほら、さっさと帰れ」
ぼくはスーツの人をもう一度睨み付けた。
でも、ぼくに出来るのはせいぜいそれぐらいで、それ以上何かをする事なんて出来なかった。
ぼくは仕方なく校舎の出口に向かって歩き出す。
三人はそんなぼくを確認すると、階段を昇り、二階へ向かった。
悔しいけれど、ぼくには何も出来なかった。

(^ω^)
 その直後だった。
二階から三人の悲鳴が聞こえてきた。
「うわあああああー!」
「助けてー!」
「ひぃいい」
そして、三人は階段を落ちるように駆け下りて来るとぼくを追い抜かし、校舎から出て車に飛び乗り、その勢いのまま学校から出て行った。
その様子をぼくはあっけにとられて見つめていた。
「つー?」
そして、階段の方を振り返り、つーを呼んだ。
ぼくにはすぐに分かった。きっとつーが何かをしてあの三人を驚かせ、追っ払ったんだと。
それにしても、大人って意外と情けない。ぼくでさえ逃げ出さなかったつーの仕掛けからあっさりと逃げ出すなんて。
でもぼくはちょっと爽快な気分だった。
これできっとこの学校が壊される事は無い。
「つー!」
ぼくは再びつーを呼んだ。
ねぇ、つー、これからも一緒にここで遊べるよ。
ぼくはそれをつーと喜ぼうと思った。
でも、いくら呼んでもつーは出て来なかった。
「つー!?」
また隠れてぼくを驚かそうとしているのだと思い、ぼくは学校中を探した。
でもやっぱりつーは見つからなかった。
やがて、陽も傾き、校舎内が薄暗くなってきた。
「今日はもう帰るお」
ぼくは姿を表さないつーにそう言った。しかしつーからの返事は無い。
「風鈴、持って帰っちゃうお!」
それでもやっぱり返事は無かった。ぼくは風鈴を手に教室を後にした。
校舎から校庭に出ると、そこにはどこからともなく現れたトンボがいっぱい飛んでいた。

(^ω^)
 翌朝、少し肌寒くて目が覚めた。
「行ってきますだお!」
いつものように家を出ようとするぼくにおばあちゃんがシャツを一枚渡してきた。
「夕方には寒くなるかも知れないからこれ持って行きなさい」
「わかったお」
シャツを背中にマントみたいに縛られて、ぼくは家を出発した。
学校へ向かう途中、空を見上げるといつもとは違って、雲はずいぶんと高いところに浮かんでいた。
そして、気がつくと田んぼはずいぶんと黄緑になっていて、その上をとんぼが飛んでいた。
「お、明日は虫取り網を持って来てつーととんぼ取りをするお」
そう呟きながら歩いていると、後ろから一台の車がぼくを追い抜いて行った。
その車は昨日の工事の車で、窓からは昨日のスーツを着た人がちらっと見えた。
「――ブーン!」
ぼくは掛け声をかけ、両手を広げて走り始めた。
――また、あの人達が学校を壊そうとしているんだ。
止めないと、やめさせないと。
ぼくは山に入ってもそのスピードを緩めず、わき目もふらず一直線に学校を目指した。
そして、足がもつれ転びそうなほどに疲れながらもぼくはノンストップで学校に着いた。
 工事の人達はもう校舎内に入ったようで校庭に停められた車には誰もいなかった。
ぼくも校舎内に駆け込む。
すると、階段の手前に工事の人達がいた。
ぼくは息を切らせて叫びながらよろよろと駆け寄る。
「止めてよ! ここにはつーがいるんだお!」
ぼくの声にみんなが振り返る。
「何だ、昨日の坊主じゃないか」
髭のおじさんがぼくに気づいて言う。
「おー、お前かぁ。昨日はさすがに驚いたぜ。お前の言った通りほんとに何かいるんだなぁ、ここ」
タオルの人がそう言い、続けて聞いて来る。
「あれ何なんだ? 妖怪とか幽霊の類か?」
「違うお! つーはお化けだお!」
ぼくはむきになって答えたけれど、みんなはぼくが何を言ってるのか分からないといった風にぼくを見る。
「――まぁ、何でもいいさ」
スーツの人が静かに言った。
「悪霊だろうと何だろうとこいつが祓ってくれるさ」
その時、ぼくは昨日とは違い四人目の大人がいる事に気が付いた。
白い着物を着たその人は見るからに異質な雰囲気を放っており、そして、その手には日本刀が握られていた。
「御祓い屋さ。これであいつには消えてもらう」
スーツの人がにやりと笑った。

(^ω^)
 階段を昇ろうとするお祓い屋さんの前に立ちふさがり、ぼくは両手を広げて阻止する。
「止めてよ! つーはぼくの友達なんだお!」
「友達?」
お祓い屋さんがぼくに聞いてきた。
「そうだお」
ぼくはそう答え、お祓い屋さんを睨みつける。
するとお祓い屋さんがぽつりと呟いた。
「御主――、憑かれておるな」
「え?」
戸惑うぼくにお祓い屋さんは無表情に続けて言う。
「ならば――、斬らないといけないな」
そして、手に持っていた日本刀をすらりと抜き、ぼくに向けた。
「おいおい! 止めてくれよ、こんな子供斬るとかシャレにならねーよ!」
髭のおじさんが慌てて後ろからお祓い屋さんに言う。
するとお祓い屋さんはそっちに向き直った。
「――邪魔立てするか」
そして三人に一歩進み出て刀を振り上げ言った。
「ならお前らも一緒に成敗してくれる!」
「なっ、なんだとこの野郎!」
タオルのお兄ちゃんが言い返す。
しかし、お祓い屋さんは何の前触れも無く、その刀を振り下ろした。
「うわあああああ!」
刀は誰にも当たらなかったが驚いたみんなは全力で壁際まで後退した。
「やっ、やめろ! 何を考えているんだ!」
スーツの人が前に一歩出てそう言ったが、やはりお祓い屋さんは刀を振り上げる。
「ひいいいいっ!」
スーツの人は尻餅をついて、そのままずるずると後ろに下がる。
そうして、お祓い屋さんは壁際に固まったみんなを見てふっと笑うと、ぼくの方へ振り返った。
「おい、坊主! 逃げろ!」
髭のおじさんがそう叫んだ。
ぼくは咄嗟に階段を駆け上がった。
そして、踊り場に着き、そこから折り返して更に二階に昇ろうとした時だった。
家から全力で走って来た足はここに来てその力を使い果たし、ぼくは足がもつれて転んでしまった。
立ち上がらないと、そう思っても恐怖と疲労でぼくの足はもう動かなかった。
 お祓い屋さんは刀を手に一段、また一段とゆっくりと階段を昇って来る。
ぼくはもう体を動かす事も声を上げる事も出来ずにただただ鈍く光る刀を見つめる事しか出来なかった。
「さぁて――」
踊り場に辿り着いたお祓い屋さんが刀を頭上高く構え、唱えた。
「悪霊退散」
そして、刀を振り下ろしながらぼくに踏み込んで来た。

(^ω^)
 次の瞬間、刀を振り下ろしながら一歩踏み込んだお祓い屋さんがぼくの視界から消えた。
そして、それと同時につーがぼくの前に現れた。
それを見てぼくは理解した。
お祓い屋さんはつーの仕掛けた落とし穴に落ちたのだと。
それは正解で、つーの後ろには大きな穴が空いていて、そこからお祓い屋さんの腕と足が見えた。
「ううう……、何が……?」
お祓い屋さんは頭を振りながら穴から這い出て来る。
そして、つーを見つけるとかっと目を見開き、再び刀を振り上げた。
「悪霊退散! ハァーッ!」
しかし次の瞬間、ガタンと音がし、階段の段が一斉に倒れ、階段はまるで滑り台のような一枚の板状になってしまった。
「うおおおおお!」
お祓い屋さんは声を上げ、滑り台になった階段を滑り落ちて行った。
下にいた工事の人達は滑り落ちて来たお祓い屋さんを避け、お祓い屋さんは派手な音と共に壁にぶつかった。
「こっ、これは……」
ぼくは階段を見て呟いた。
つーが仕掛けたのだろうか。何と言うかもう……。
「大掛かりすぎだお……」
ぼくはそう言い、それからつーに聞く。
「もしかして、昨日、姿を現さなかったのはこれを一所懸命作っていたせいだったのかお?」
ぼくの問いにつーがぼくを見てきゃっきゃと笑った。
「――うおおおおお!」
雄叫びを上げながらお祓い屋さんが刀を構えて滑り台を駆け上って来た。
しかし、後一歩の所で足を滑らせそのまま再び階下へ落ちて行く。
そしてまた派手な音を上げて壁にぶつかった。
「あははははっ!」
その様子がおかしかったのと緊張が解けたのとで、ぼくは思わず笑ってしまった。
そして、笑いながらつーを見た。きっとつーも笑っているに違いない。
だけど、違った。
つーは驚きの表情を見せたまま動かなかった。
「どうしたの? つー!?」
ぼくはつーに近づき、そして気付いた。
つーの背中に短剣が刺さっていた。
下を見ると御祓い屋さんがにやりと笑った。
つーはふらふらとよろけ階段に近づいてしまった。そして、階段の下からはお祓い屋さんが再び駆け上って来ていた。
「つー!」
ぼくはつーを引き戻そうと手を伸ばした。
だが、一瞬、それは遅く、つーの体をお祓い屋さんの日本刀が貫いた。
貫かれたつーの体から閃光が起こった。
光はどんどん強くなりやがてぼくの視界を覆う。
「ぬぉおおおお!」
お祓い屋さんがつーから弾き飛ばされ、壁に打ち付けられた。
最後に閃光は爆発のように激しく広がった。
そして光は収まり、ぼくはゆっくりと目を開ける。
そこにはつーの姿は無かった。
つーは消えてしまった。

(^ω^)
「――坊主、大丈夫か!?」
髭のおじさんがぼくに聞いて来る。
ぼくはよろよろと立ち上がり、無言で頷いた。
「そうか」
髭のおじさんはそう言うと他の二人に聞いた。
「どうするよ? 一応殺人未遂だし、警察に行くか?」
階下ではタオルのお兄ちゃんが気を失ったお祓い屋さんから刀を取り上げ、ロープで手を縛っていた。
「そうっすねぇ」
「事が公になるのは困ります。ここは内々で処理したいのですが……」
「知らねーよ、お前が連れてきた奴だろう?」
三人はそんな事を言い合っている。
だれも、つーが消えた事なんか気にしていなかった。
「……ぼく、もう帰りますお」
ぼくがそう呟くと髭のおじさんが「気を付けて帰れよ」と手を振ってくれた。
ぼくは階段を降り、みんなの脇を通って出口を目指し歩いた。
後ろで髭のおじさんとタオルのお兄ちゃんが「どっちにしろ、こりゃー作業は当分休みだな」と言っていた。
 ぼくは校舎から出るとポケットに入れてあった風鈴を水道の上にことりと置いた。
山から吹いてくる風は少し肌寒くて、ぼくは持って来た上着を羽織ると家に向かってとぼとぼと歩き出した。

(^ω^)
 家に帰り着き、ぼくは薄暗くなった部屋を横切り縁側に向かった。
すると、そこにはつーが座っていた。
つーは足をぶらぶらさせ、空を見上げていた。
「つー?」
ぼくが声をかけると、つーが振り返った。
つーは何でも無い表情でぼくを見た。
「なっ、なんだお! てっきりお祓い屋さんに消されちゃったのかと思ったお!」
ぼくは嬉しいのに何故か泣きそうになりながらつーに近付いた。
すると、つーまで後一歩というところでぼくの体は支えを失い、世界がすごい勢いで回りだした。
「…………やられたお」
落とし穴からぼくはつーを見上げ呟く。
つーは穴の中のぼくを見てきゃっきゃと笑う。
そして、ぼくは落とし穴から出るとふいに、つーがぼくに風鈴を差し出した。
「くれるのかお?」
ぼくがそう聞くとつーはこくんと頷いた。
でもぼくはそれを受け取らなかった。
「……そうしたら学校に行く理由が無くなっちゃうよ」
ぼくはつーにそう言った。
そうだ。ぼくは毎晩自分の部屋に現れる風鈴が恐くて、それを返しに学校に行くんだ。
だから、それがぼくの物になってしまったら、もう学校に返しに行くことは無くなってしまう。
ぼくが風鈴を受け取らずにつーを見つめると、つーは縁側から見える山を指差した。
「山に、帰るのかお?」
つーが頷いた。
「――でも!」
ぼくは慌てて言った。
「工事は休みになるみたいだし、まだしばらくあの学校は無くならないお!」
――だから、まだ一緒に遊べるよ!
それでもつーは首を振る。
その時、ぼくは気が付いた。
あんなにうるさかった蝉の声が今日は殆ど聞こえない事に。

そうか――、もう夏も終わりか。

ぼくはそこで全てが終わりを迎えた事を知った。
つーが学校に現れるのは夏の間だけ。
夏が終わったらつーは山に帰ってしまう。
でも多分――、来年の夏にはもうここにはつーの来る学校は無い。
工事は一時的には止まるだろうけど、きっと来年にはあそこは違う何かになってしまっている。
何だか、とても寂しかった。
つーは、これからどうするんだろうか?
「ねぇ、つー。ぼく――」
ぼくはつーに振り返る。
――別れは唐突で、そしてあっけなかった。
振り返るとつーはもういなくなっていた。
誰もいない縁側、その下の庭では鈴虫が鳴き始めていた。
 ふと縁側を見るとそこにはつーの置いていった風鈴があった。
夏が終わって、怪談の季節も終わり、そしてお化けであるつーもいなくなってしまった。
ぼくにとってつーは何だったんだろう?
「――あら、ブーンちゃん帰ってたの?」
台所からやってきたおばあちゃんがぼくに気付き声をかける。
「あれ? 一人かい? 今、誰かと話してなかった?」
おばあちゃんの問いにぼくは答えた。
「うん、今ぼくは――」
そうだ、ぼくはきっと夏と――
「夏と話をしてたんだお」
「そうかい。もうすぐご飯が出来るよ」
おばあちゃんはそう言って台所へ戻って行った。
「うん」
ぼくは返事をし、それから縁側から山を見つめた。
また来年、夏がやってきたら、つーは何処かに現れるだろうか?
――うん、きっとつーはまたやって来る。
だって来年も、夏はまた来る。だから、ぼくにとって夏そのものだったつーもきっとやって来る。
学校の跡地に建設される予定の建物、それが何だかは分からないけれど、もしかしたらつーはそこにひょっこり現れるかもしれない。
誰かを驚かそうと、期待に目を輝かせて。
ぼくは初めて遭った時のつーを思い出してクスリと笑った。
 そうだ、きっとつーはやって来る。
そしたら、この風鈴をまた返しに行こう。
そしてその時は今までに無いぐらい大きな仕掛けでつーを驚かしてやろう。
そして、また一緒に夏を過ごそう――。
そう心に思い、ぼくは風鈴をちりんと鳴らした。


2008.09.09掲載


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