大崩海岸は 静岡県の焼津市と静岡市の境に位置し、写真のように断崖絶壁の海岸です。晴れた日には富士山や駿河湾を挟んで伊豆半島を望むことが出来ます。旧国道150号線(現 県道416号線)が絶壁の中腹にあり、その景勝を望むことができます。

道路は片側一車線で、道のり約5,4キロメートル、幅員は約4〜5,5メートルで。大型貨物、大型バスの通行は出来ません。見通しの利かないカーブが連続し、道幅が狭く歩道もありません。ハイカーや自転車もいます。そのうえ、交通量も少なくないので、カーブの先に何があるか分かりません。その為、地元の車でもゆっくり走っています。

実際、事故が絶えず、転落事故も少なくありません。バイクや車の峠族ブームの時代には多くの若者の命が奪われました。しかし、道路から眺める眼窩の景色は素晴らしく、夕日の浴びる時などは見事の一言です。


↑焼津側には立派なホテルが建つ。アンビア松風閣(左)と焼津グランドホテル(右)
   どちらも黒潮温泉が引かれています。

フォッサマグナの西側、糸魚川静岡構造線の南の端は大崩海岸であるとされています。
東側は新発田−小出構造線と柏崎−千葉構造線を結びます。フォッサマグナとはラテン語で 大きな溝という意味だそうです。この溝の中に関東一円を含む巨大な地域がすっぽりと入ってしまいます。 この溝は、国土が形成される過程で海中に沈んでいた部分と思われます。 そして、かつては超巨大な”溝”だったものも現在は堆積物や隆起などの地殻変化により関東一円形成されています。 糸魚川市の フォッサマグナミュージアム で詳しく学ぶことが出来ます。
●断崖絶壁の親不知海岸 (おやしらずかいがん)
大崩は、古くから「東海の親不知」と呼ばれています。本家の「親不知海岸」は日本海にあります。断崖絶壁の海岸で大崩海岸の風景に共通点があるから、「東海の親不知」と呼ばれるのでしょう。 親不知海岸は日本海側フォッサマグナ端大崩は太平洋側フォッサマグナの端といった点で似た風景ができたのでは?大崩海岸には石部海上橋が有名ですが、親不知海岸にも同じく海上橋があります。共通項が多いので姉妹提携できそうですが・・。
 

道の駅 親不知ピアパークから日本海を望む。

親不知海岸はかつて交通の難所であり、過酷さゆえに数々の逸話があります。 現代では想像も出来ませんが、この海岸を越すには、命がけだったようです。


この写真はPIYOさんから頂きました。



平成21年8月11日午前5時7分、駿河湾を震源とするマグニチュード(M)6.5の駿河湾地震が発生しました。寝ていた人の大半は飛び起きるほどの揺れで最大震度は6強を記録する大きな揺れでした。その時に、「ついに来たか東海地震」と皆が思いました。しかし、駿河トラフを震源としていないため東海地震とは判断されませんでした

駿河湾地震の震源は「駿豆断層(すんずだんそう)」と言う、あまりなじみの無い断層付近でした。駿豆断層は1977年に茂木清夫により提起されたもので、伊豆半島の石廊崎付近から駿河湾を横断し焼津の大崩〜高草山〜藤枝市の市之瀬〜を通るとする断層です。西端は当時のレポートを観覧してもはっきりしていませんが、地震分布図を観察すると川根付近まで到達していると考えてもよさそうです。


石廊崎断層は地形的に見て通るように、はっきりとしていますが、対面の駿河側では地形での判断はしにくく、1978年に恒石幸正氏と杉山雄一氏が調査をし、駿河側の断層を確認したと発表しました。しかし、後の詳しい調査により、駿豆断層は断層とは認められることが出来ませんでした。しかし、この駿豆断層付近にはM6クラスの地震が1857年、1935年、1965年、1974年、2009年に起こっているのは事実であり、あえてここに掲載することとします。


駿豆断層は上の写真のように大崩付近と石廊崎を結び駿河湾を横断する断層と考えたものです。下の図は石廊崎断層。矢印を結ぶ線上に断層がはっきりしています。

石廊崎断層は伊豆半島沖地震1974年5月9日AM8時33分に発生しマグニチュードは6.9でした。最大震度は5とされているが当時の被害状況を見るともっと上の震度ではないかと思われます。この地震で石廊崎断層は水平で最大50cm移動していたことが分かりました。しかし、この航空写真ではその数倍のずれが確認できます。つまり、石廊崎断層は過去に何度もの地震活動によりズレを大きくしてきた断層だと推測されます。

駿河湾地震の震源地と駿豆断層



8月11日5時〜8月18日の期間の震央(気象庁-元化震源)を陰影図に重ねた図海上保安庁平成21.8.21第183回 地震予知連絡会資料を加工

駿河湾地震発生時より群発した余震が赤の点で、紫の線で駿豆断層を書き加えました。駿豆断層周辺域に発生していたことがわかりますが、駿豆断層そのものが認知されていない以上因果関係は証明できません。しかし、この下田〜焼津線上付近は駿豆断層以外にも、確認されている断層が複数あり地震の多発地帯であることは間違いありません。
2009.10.24 追記


静岡駿河湾沖地震についての考察!


●高草山は火山だった?

駿豆断層が出来るよりも昔の、今から1500万年前の高草山〜大崩の地形は海底火山によりつくられたと思われています。高草山と大崩を構成する玄武岩は火山岩の一種であることから、高草山は噴火活動があったと推測されています。 大崩海岸に続く浜当目海岸ではアルカリ玄武岩の枕状溶岩が広く分布し、簡単に目にすることが出来ます。
■枕状溶岩のできかた

枕状溶岩は地表から湧き出す溶岩が海水などにより急激に冷やされ体積が小さい球状に収縮します。

溶岩は次々に出てきては冷やされ無数の枕状の溶岩が出来ていきます。そうして出来た枕状溶岩の間に新たに溶岩が滲み出し、隙間を埋めます。

この写真は焼津市の浜当目海岸にて撮影しました。

●崩れやすい地盤
大崩海岸は、幾度となく落盤や落石を繰り返しています。大崩海岸は火山生の性質の違う火成岩が積み重なり層となっています。厄介なことに微細な沸石を多く含み非常にもろく、とても崩れやすくなっています。

写真の岩肌は海岸付近のもので、波による侵食が進んでいます。岩肌のクラックに手を入れ多少の力を加えると容易に剥がれます。




  ●旧150号線 生き埋め死亡事故
先に述べたように、大崩海岸の絶壁はもろく、台風などの大雨で崩壊することも多々あります。旧国道150号線はこの脆い山腹に作られた道路なので、絶えず崩壊と修復を余儀なくされています。

中でも昭和46年7月5日午前8時45分ごろに起きた石部第五洞門(昭和44年設置)の崩落事故では、山腹(約99メートルの高さ)から約八千立方メートルの土砂が崩落し、洞門を押しつぶし走行中の車両の一台が埋没し、この事故で23歳の若者の命が奪われました。

崩落した土砂の重さは約6千鼎反簑され、5田度の岩がごろごろしていたそうです。前日までの三日間にわたっての雨にあわせ、事故のおよそ13時間ほど前に小さな地震があったことも関係したと考えられています。

洞門でこれを防ぎけれなかったのは、過去の崩落の規模から推定し最大1300田度の落石を想定していました。が、これを遥かに上回る土砂が直撃したからです。
この事故をきっかけに落石を避けるように道は大きく海上へ逃げるように建設されました。



ほぼ当時の姿を残す洞門であるが、比較的簡単に内部まで行けてしまう。しかし、実際に洞門から転落事故も起きている。

 
 鉄骨製の洞門には数千トンの衝撃がかかった。


●道路崩落

大崩海岸は崖が崩れるだけでなく、道路も崩れてしまいます。
1991年竣工の「たけのこ岩トンネル」は、1989年2月に海沿いの道路が雨により崩落した為に施工されました。崩落の第一発見者は深夜、自宅のある焼津市へ帰宅途中に道が崩れ落ちていることに気付き、警察に通報しました。さいわい怪我人がなかったことがなによりです。この崩落により旧150号線は十数ヶ月間の通行止めになりました。

崩落した場所には、コンクリート製の待合室があるバス停留所があり、車三台ほど停めれるスペースもありました。焼津側からだと、かなり急カーブだったのでこのバス停から転落する車も年一台ペースでありました。当時は転落車両を引き上げず放置することも多かったので絶えず2〜3台の転落車両がありました。

この崩落でバス停も転落車も道路諸共、海の中に崩れ落ちてしまいました。崩れた土砂は2000峭發20メートル幅7〜8メートルでした。


↑ほぼ崩落した状態です。
↓海から見ると崩落した規模が分かります。

●線路崩壊
JR東海道線の静岡と焼津を結ぶ石部トンネル。

現在のJR石部トンネルは用宗〜焼津をひとつのトンネルで結びますが、昔は「石部トンネル」と一旦海岸線に出て「磯浜トンネル」と続いていました。今でも残っているのは「石部トンネル」です。しかし、台風を含めた海岸侵食はトンネルの土台をさらいトンネルの自重で崩壊しています。
現在この場所は危険なため立ち入りできないようになっています。



トンネル内部数十メートル奥からは人為的に土砂で封鎖されています。ホームレスもいます。これはこれで遺跡にもなりそうな風景ですが、あまりにも危険なので、どうすることもできません。



 ●大正時代の写真位置的には、崩壊したトンネル付近のものと思われます。

 

●磯浜トンネルの貴重な写真

焼津側の磯浜トンネルは現在、産業廃棄物で埋め立てられ、見ることができません。
埋め立てられる前の非常に貴重な写真を、焼津市在住のFZX様から拝借できましたので、ここに掲載させていただきます。 磯浜トンネルの写真は非常に貴重でまさに奇跡の写真です(笑)1970年代 当時もここまで来るのには冒険が必要だったようです。

 

そして、この下の写真は1946年の米軍による航空機による写真です。中央に弧を書いた部分に線路がありトンネルへと続いているのがわかります。

 

■今も油断できない!崩落は続
現在でも崩落が危惧されています。浜当目〜小浜間の斜面に大きな亀裂が発見され、崩落の危険があり、鉄骨組みの洞門が設置されています。洞門の屋根には使用済みのペットボトルを利用した落石からの衝撃緩衝材が施されています。(写真左)

岩肌が露呈する大崩海岸用宗付近では、バレーボールほどの大きさの落石はごく普通にみうけられ、このサイズ以上の落石には全てマーキングされており、落石の調査、管理がされているようです。(写真右)



大正時代の写真を見ると、たけのこ岩は浜の上だった。当時は焼津から用宗へ普通に歩いて行けたそうです。 わずか百年足らずでこの有様です。この様に海岸浸食が激しく、侵食された岩肌はさらに崩落ちていきます。焼津港が建設されてから瀬戸川河川から自然に運ばれる土砂が減少し拍車が掛かったようです。
 


現在のたけのこ岩

■黄色い車
大崩という名前からしても心霊スポットにぴったりです。特に放置された黄色い車が有名で、90年代に全国ネットでTV放映されました。
その黄色い車に触ると祟られるという噂がありました。車内はゴミ?が目いっぱい詰め込まれていましたが、フジテレビの番組の企画の中でお払いの名目で爆破されたようです。

放置されていた場所には非常に小さな民家があります。←写真でもちょっと見えています。この民家は二十数年前は空き家だったようで、当事、不法侵入した人の話では、家の中に古いアルバムがあり着物を着た人の写真が無数にあったそうです。着物を着ている時代では写真を撮るということはハイカラでそこそこ裕福な人たちです。何故そんな写真があばらになった家にあったのか?現在は「住居に付き立ち入り禁止」の看板が立っています。当然ですが、不法侵入は犯罪です。立ち入らないようにしましょう。


■慰霊碑
昔から多くの人が自らの命を絶ってきた大崩海岸。そのほとんどは身投げです。崖下を見ようにも足がすくんで見ることすらできません。そんな崖を降りて釣りしている人も信じられませんが・・。


二十年程前の事です。夏の日の土曜の夜、私は大崩海岸を通り自宅へ帰る途中でした。連続したカーブにさしかかった瞬間リヤタイヤから大きく滑りそのまま転倒してしまいました。

バイクはガードレールの支柱に激突し、自走不能なほど大破しました。なんとか安全な場所にバイク移動し、通りかかった車に助けてもらい帰ることができました。全身擦り傷だらけで着ていた服もボロボロでしたが幸いにも大きな怪我はありませんでした。

翌朝、手配したトラックを借りてバイクを引き上げに行き、もぎ取れた部品を拾っていました。「なんでこんなカーブで転んだんだろう」そう思いながら、なんとなくガードレールの向こう側が気になりました。鬱蒼と茂ったガードレールの向こう側です。「何かがある・・・・・」私はガードレールを乗り越え、草をかき分けました。するとそこには、ひっそりと佇む小さな小さな慰霊碑を見つけました。・・・・・・一気に力が抜けたことを覚えています。 慰霊碑のすぐ向こう側は断崖絶壁です。そこに立つと視界には海しか映りません。

慰霊碑には男性と女性の名前だけが刻まれ、他には何の記述がありません。その二人の経緯を伺い知る事は出来ませんが、結末だけは、悲しいものと想像できました。そして、現在、この場所は私以外は誰も知らないでしょう。



■ラップ音
昭和から平成に差し掛かる頃、峠族の若者が夜な夜な集まっていました。ある冬の寒い日の夜、二人の若者が他の仲間が来るのを待っていましたが、誰も来ません。二人で焚き火をしながら話をしていると時は深夜になっていました。「明日の仕事に影響するからそろそろ帰ろうか」そう言って火を消すと一気に静寂の闇の中です。次の瞬間、二人の背後の山から「パキッ」。枝を折るような激しい音が反響しました。二人は「動物・かな」と話しましたが、今度は「バキ・・バキ・・」と先ほどと違う方向から聞こえます。かなり大きな音です。動物なら複数いるか、瞬間移動したとしか考えられません。「・・ヤ、ヤバイだろ」すかさず大慌てで車に乗り込み、大慌てで逃げたそうです。当時から「ラップ音」という言葉がありましたが経験した彼等は、あれは間違いなくそうだと主張していました。

大崩にはいろいろな鳥たちがいます。 驚くべきことに、冬には大鷲が飛来するそうです。こらは非常に珍しいことで本州、特に北部以外で見られるのは滅多に無い事のようです。暖冬の影響からか飛来する時期がずれてきているそうですが、毎年観察されるのは、同じ大鷲のようです。どうやら十数年通っている真面目な大鷲さんなのです。

大鷲は全長1メートル前後で、翼を広げると約2メートル以上。サハリン、北海道の宗谷岬の辺りに生息し、主に肉食、魚などを食べるそうです。海や池などの水辺に住み、繁殖には断崖に巣を作るそうです。

この写真は古くから大鷲を撮影されているA.M様より頂いたものです。ちなみにA・M様の望遠レンズはバズーカみたいでした。値段は普通車を買えますね。びっくり!



一方、こちらの下手な写真は私の撮影です。イソヒヨドリという鳥だそうです。

この写真はLUMIXの光学最大で切り貼りで〜す(汗;)並べちゃいけませんよね。

イソヒヨドリがコンクリートの穴から出てきたところです。巣穴かな?オスは写真のような色合いをしていますが、メスは青みががった茶色です。名前のように、主に磯や断崖に生息していて北海道以外何処にでもいるようです。大崩海岸でも良く観察されるようです。




■とりあえずでかけよう静岡 2008.4.12 2009.10.24追記

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