日米文化、枝葉末節


200056

 


 新聞、テレビ、雑誌などで、米国に関するの話題がない日はないといっても過言ではないほど、日本にとって米国は身近な国である。そんな中、私とアメリカとの最初の接点は、1995年春に始まる。大学主催の短期英語研修に参加し、3週間ほどアメリカ中西部にある、アイオワ大学で過ごしたのが最初である。当時、「銃、麻薬、レイプ」という暗いイメージをアメリカに対して持っていた私は、生のアメリカ文化に触れて大変に驚いた。なぜなら、私が持っていた暗いイメージとは違い、アメリカ人は陽気で、親切で、何よりも自分自身をエンジョイできる、という能力を持っているように感じたからだ。また、わずか三日間ではあったがアメリカ人家庭におけるホームステイを通して、アメリカ家庭の子供に対する厳格なしつけ、近隣住民との深い付き合いなど、個人主義が持つ冷たく自分勝手なイメージとは全く異なる現実に直面し、アメリカに対する考えを変えざるを得なかった。ここでは、私がアメリカ文化に触れる事で考察を深めるに至った事柄について、極一部であり、さらに枝葉末節といわれるかもしれない内容だが、記してみたい。


 日本では、高校生が年賀状配達のアルバイトをすることは珍しいことではない。アメリカでもそのように、特に高校生、主として女子高校生が担当するアルバイトがある。それはベビーシッターである。私の知り合いのアメリカ人女子高校生、あるいは中学生は、ほぼ全員、ベビーシッターのアルバイトをしている。ベビーシッターは、アメリカではこのように非常に身近な仕事であり、古くからある制度でもある。しかし、日本ではベビーシッターという言葉こそあるものの、制度としてはあまり普及していないのが実情ではなかろうか。これについて、大学時代の私の英語担当教授が面白い考察をされていた。「アメリカでは、両親の間の「愛」が、家庭内で一番重要視される。お互いの誕生日や結婚記念日には、両親二人だけで映画や外食に行く。そのため、その間の子供の面倒を見るベビーシッターが必要となった。文化の特性から生まれたものであるので、ベビーシッターという制度はアメリカ文化にそのままとけこむことができた。しかし日本では、両親と子供の関係がもっとも重要視される。もし両親が、子供を家において、あるいは近所に子供を預けて映画や外食に行ったらどうなるであろうか。きっと近所から「子供を殺す気なのだろうか?あの両親は。」と噂されるに違いない。したがって、日本ではベビーシッターという制度そのものが定着しなかった。」


 私自身の経験から、アメリカでは両親の間の「愛」が最優先される、というのは事実だと思う。私のホストファミリーであったご両親も、車で外出時には運転席には夫、助手席には妻というルールを絶対に崩さなかった。例え実の子が「自動車免許取得に向けて助手席に座って運転の勉強をしたい」と訴えても、妻が同乗するならば夫は子供を助手席に座らせることはなかった。日本だったらどうであろうか?実の子に対し、ここまで両親の間の「愛」を厳密に優先させるであろうか?生活の基盤となる家庭における違い、これが日米文化を考える上での大きな鍵の一つだと思う。


 「男女平等の国、アメリカ」。これも多くの日本人が持つ、アメリカに対するイメージではないだろうか。実際に男女が平等に扱われているか否かは別として、ひょんな事から日米の男女に関する共通点を見つけてしまったので、ここで書いてみたい。その「ひょんな事」とは、アメリカの天気予報であった。
 アメリカで天気予報を見ていたとき、一つ気になったことがある。それは台風に人名がついている、ということだ。ダン、アンドリュー、ボブ…etc。日本だったら「台風一号、二号…」などのように、必ず番号で区別される。何故アメリカでは人名なのか。一体、誰がどのような基準を用いて名付けているのか。何人かのアメリカ人にこの質問をしたときに、男女の本質を知る上で面白い話を聞くことができた。それは、「昔は、台風には必ず女性の名前が付けられていた」ということだ。「男女平等の国で、何故女性だけの名前が?台風のように、荒れ狂う巨人のような天候ならば、男性の名前の方がイメージに合うのではないか?」私の疑問は増えるばかりであった。そこで、「女性の名前しかつけられていなかったのは何故か?」を複数のアメリカ人に尋ねてみた。すると、「荒れ狂う台風の動きは予測不可能だ。これは、女性の感情と全く同じと言って良い。だから台風には女性の名前が付けられていた。しかし近年、男女平等が叫ばれているので、男性の名前も使われるようになっている。」との回答があった。これは、「女性は感情で動く」という、日本で時々耳にする風説と見事に一致する。したがって、「女性は感情的」というのは日米共通の考えらしい。「キャリアウーマン」と言う言葉が似合うアメリカ人女性、すなわち、男性と対等に交渉したり仕事をするアメリカ人女性を日本のテレビや新聞で多く目にしていた私にとって、人間の本質を語る部分の認識が海を越えても一致していた、という事実は非常に興味深いのである。


 男女の違いについて、科学的に分析した本がある。その本によれば、脳の構造上、女性はどちらかというと感情的、男性はどちらかというと理論的になり易いとの事である。したがって、海を隔てた日米においてこのような共通の認識が生まれたということも、頷けるのではあるが。
 誤解のないように最後に記しておくが、私はフェミニストである。フェミニストとは、日本では「女性に優しい男」との意で用いられることも多いが、それは誤訳である。正しくは「男女同権主義者」のことである。私がフェミニストであることを断言し、私が経験、考察した中の極一部ではあるが、日米文化の違い、共通点の話を終わらせたい。

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