周磨 要 「湯布院日記2003
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   周磨要の「湯布院日記2002       周磨 要のピンク日記      おたべちゃんの湯布院日記      Top Page 


●はじめに
 湯布院映画祭参加歴5年。日記内容がオフィシャルになったのは、1999年と昨年の2002年。1999年は湯布院映画祭実行委員会発行の「第24回湯布院映画祭シンポジウム採録」の特別寄稿の一篇としてで、2002年は皆様ご存知の本ホームページだ。今年参加したら、昨年の日記を多くの人が読んでくれていて色々反響があったのには驚いた。1999年版ではこんなことはあまりなかった。今や活字文化よりもネット文化といったところか。そういえば、私が常連の淀川長治さん創設の「映画友の会」も、最近はチラシや活字媒体を通じて来る人は皆無で殆どがネット情報からだ。私の日記に限っていえば人気ホームページのおたべちゃんとリンクを貼ってもらったのも効果大だったのかもしれない。
 さて今年は、これまで2度に渡り時系列的記述でまとめていたが、ここで少々趣向を変えてみようと思う。映画祭全体の流れも、皆さんは昨年の日記で掴んだと思うので、今年はエピソード単位にスポットを当てネタ切れまで続ける形をとり、気が付いたら全部を語りつくしていた。そんなことでいきたい。
 それから、去年は記述でおたべちゃんとだいぶ張り合ったが、今年は貼るのはリンクだけ、今年はこれ以後振りません。てなことでネット上はおたべちゃんここでさようなら。今年も楽しかったです。

概要
 まずは全体の概要を紹介する。テーマは次のとおり。
 ・東映京都撮影所 ・日本映画職人講座 編集マン 冨田功の人と仕事 ・新作特別試写
 東映京都撮影所特集の上映作品は、まず時代劇が日本初のシネマスコープ作品「鳳城の花嫁」、そして「股旅 三人やくざ」、集団時代劇からは「十一人の侍」、そして極め付けのアンソロジー、東映版「ザッツ・エンタテインメント」で「ザッツ・チャンバラメント」と名付けたい「ちゃんばらグラフィティー 斬る!」
 もう一つの看板のヤクザ映画からは、正統任侠の「明治侠客伝 三代目襲名」「緋牡丹博徒」鶴田浩二・高倉健・藤純子の3大スター揃い踏みだ。実録ヤクザは「北陸代理戦争」と昨年東京国際映画祭コンペティションに参加し今年封切られた「新・仁義なき戦い/謀殺」。さらにオールスター大作の「日本暗殺秘録」が加わる。
 映画上映以外の企画は「東映京都・岡田茂氏大いに語る」と「東映京都シンポジウム」。岡田茂のアシスタントに沢島忠監督が付き添う豪華版。シンポジウムの方は「新・仁義なき戦い」の関係者が中心で橋本一監督・プロデューサーの厨子稔雄・編集の米田武朗、別にもう一人プロデューサーの妹尾啓太といったメンバー。
 関連企画は湯布院駅アートホール「輝くカツドウヤの軌跡〜東映京都ポスター展」、以上が東映京都撮影所特集関係である。
 「日本映画職人講座 編集マン 冨田功の人と仕事」の上映作品は「僕らはみんな生きている」「宇野鴻一郎の濡れて打つ」そして幻の未公開ヴァージョンの「櫻の園」を併せて、昨年45歳の若さで急逝した冨田功の編集および編集一般について検証しようとの試み。
 「冨田功シンポジウム」のパネラーは、「僕らはみんな生きている」の滝田洋二郎監督とプロデューサーの小林壽夫、「宇野鴻一郎の濡れて打つ」の金子修介監督、「櫻の園」の中原俊監督、そして冨田功夫人でやはり編集者の冨田伸子といったメンバーである。
 新作上映は5本、いずれもゲストを迎えてのシンポジウムがある。最初は「ジャンプ」、ゲストは竹下昌男監督にプロデューサーの加藤悦弘、撮影の丸池納。2本目の「ヴァイブレータ」は廣木隆一監督、脚本で湯布院ゲスト常連の荒井晴彦、出演者の寺島しのぶと大森南朋。3本目「昭和歌謡大全集」、本映画祭のゲストのハイライトであろう主演松田龍平に鈴木光プロデューサー。4本目「福耳」は瀧川治水監督と脚本の冨川元文。最終日のトリ「油断大敵」はゲストが大挙来場、成島出監督に出演の柄本明・水橋研二、脚本の小松與志子・真辺勝彦に渡辺敦プロデューサー。
 パーティーは4日間の連夜、初日は金鱗湖畔の湯の岳庵、二日目は民芸村の庭、三日目がゆふいん麦酒館、最後は地元が総力挙げて郷土料理が勢ぞろいする健康温泉館。
 他に今回初の試みで、前夜祭の後の公民館における懇親会、98年に映画祭実行委員会が製作した「ゆふいんの夜」特別上映もある。
 以上を時系列的に再整理すると次のとおり。
 8月20日(水)前夜祭 「鳳城の花嫁」野外上映 懇親会
 8月21日(木)「明治侠客伝 三代目襲名」「ちゃんばらグラフィティー 斬る!」「日本暗殺
         秘録」「東映京都・岡田茂氏大いに語る」「ジャンプ」とシンポジウム「湯の岳
         庵パーティー」
 8月22日(金)「北陸代理戦争」「十一人の侍」「新・仁義なき戦い/謀殺」「東映京都シンポ
         ジウム」「ヴァイブレータ」とシンポジウム「民芸村パーティー」
 8月23日(土)「僕らはみんな生きている」「宇野鴻一郎の濡れて打つ」「ゆふいんの夜」「櫻
         の園」「冨田功シンポジウム」「昭和歌謡大全集」とシンポジウム「ゆふいん麦
         酒館パーティー」
 8月24日(日)「緋牡丹博徒」「股旅 三人やくざ」「福耳」とシンポジウム「油断大敵」とシン
         ポジウム」「健康温泉館パーティー」
 前夜祭を皮切りに、連日午前10時から午後12時まで、映画好きなら涎の流れるギッシリ詰まったスケジュール。さて、これからは時間の流れに囚われず、エピソード単位に思いつくままの談論風発と行きたい。このスケジュールと重ねあわせて、モザイクのように全体像を思い浮かべていただければ幸いである。(2003.9.6)
●「鳳城の花嫁」に思う 知ったかぶりは禁物 その1
 前夜祭の由布院駅前広場の野外上映は、完全に夏の風物として定着したようだ。地元観光協会も連動して、会場での焼き鳥・焼きイカ・飲み物の模擬店開設、上映に先立ち、子供を対象としたポニー乗馬会、神楽実演から菓子撒きへと続く。今年、改めて気がついたのだが、上映に合わせ会場近くの土産物屋は閉店消灯している。これは営業上はかなり損失だろう。由布院駅は、列車の発着時以外は消灯して協力しているのは気が付いていたが、土産物屋の協力は今回改めて気付いた次第、いずれにしても、地元の大きな協力を感じる。
 「鳳城の花嫁」は、東映スコープ第一作という以外、あまり作品的に評価されていない。私も未見だった。今回見て、その出来栄えの素晴らしさに驚いた。松田定次監督は、スコープ第一作という気負いもなく、将軍の甥の殿様大友柳太朗が理想の花嫁を求め市井に身分を隠して入り込み、悪旗本をこらしめる明朗時代劇を、軽妙にまとめてみせる。ただ、冒頭の城内の馬術訓練やら、入城する行列やらのワイドスクリーンを巧みに使ったスペクタキュラーな演出はしっかり抑えている。
 東映城のお姫様の一人、大友の花嫁となる長谷川裕見子の古典的美貌は映えるし、妹役の中原ひとみは最初はちょっと時代劇の顔じゃないなと思わせて、ミュージカル風な唄でアクセントをつける役回り、現代的味付だ。この斬新さが当時評価されなかったのは、すぐ傍に沢島時代劇があった
からだろうか。いずれにしても、映画通の東映時代劇史から殆ど無視されている松田定次再評価の時期なのかもしれない。
 そして、これを見て私は赤面物の事態に思い至る。本映画祭でも3日目に「編集マン 冨田功の人と仕事」特集の一環として上映される「僕らはみんな生きている」の私の「読者の映画評」が、93年のキネマ旬報7月上旬号に掲載されているのだが、そこで「これだけの大作を、荘重なスペクタクルにせず、喜劇仕立てにしたのだから、日本映画のセンスも進歩したものである」とヌケヌケと書いている。「鳳城の花嫁」の存在も知らず、偉そうに厚顔無恥も甚だしい。ホントに赤面物である。
 昔、古参の映画評論家南部圭之介さんが、「世間には、長い間映画を見て十分な鑑賞力を有しているが、表現の場を持たない人は沢山いる。鑑賞力が無いのに書ける場を持っているというのは、逆に不幸なことかもしれない」との意味のことを言って、若手評論家を嗜めた。当時20代で若手評論家を支持していた私は反発を感じたが、今は全面的に共感する。映画史をロクに勉強しないでの知ったかぶりは禁物である。
 投稿の場合は、それを採用した審査者も、無知だったということの証明になる。そちらも反省すべきなのだろう。余談だが、映画祭名物男の高齢で悠悠自適、全国映画祭巡りを楽しんでいる浜松のTさんに先日東京の無声映画鑑賞会でバッタリ出会い、「最近はキネ旬の読者評、書いてないのかね」と声をかけられ、「私は何も変わってません。多分、審査基準が変わったんでしょ」と答えた。「暁の挑戦」の渡哲也ではないが「俺が変わったんじゃねえ、時代が変わったんだ」の心境である。余談はともかく、今回の私のように不勉強赤面物の原稿は、投稿の場合には審査者も無記名の世界といえ赤面物ということになろう。
 最初に参加した1999年の映画祭の鑑賞作品の殆どについて、読者評に投稿したら、私としては舌足らずで最もよく書けていない「皆月」評が、何故か掲載された。舌足らずな文章であるから、案の定「映画芸術」誌上で荒井晴彦さんから手厳しい批判を受け、それがきっかけで私は荒井さんと「映画芸術」に縁ができ、これなどは私にとっては、キネ旬審査者の怪我の功名にあずかったわけか。と、ベテラン投稿小父さんとしては、色々なことに思いを巡らせたのであった。
 さらに赤面物が一つ。「鳳城の花嫁」は映画祭常連のやはり高齢で映画キャリアの長い東京のTさんと並んで見て、後の会話でこんなことを聞いた。東映スコープ第一作で失敗したら傷は大きい。当時の両御大の片岡千恵蔵・市川右太衛門に傷はつけられない。将来ある若手の中村錦之助・東千代之介・大川橋蔵も、別の意味で傷はつけられない。そこで、安全牌は中間的な存在の大友柳太朗で、内容も大きく構えず明朗時代劇コメディになったと、当時伝聞されていたとのことだった。なるほど、そんな裏もあったか。荒井晴彦さん流に言えば「何でもかんでも監督の功績にするなよな」といったところだ。松田定次再評価なんて性急にハシャいで、これも赤面物である。

●「鳳城の花嫁」に思う 知ったかぶりは禁物 その2
 「鳳城の花嫁」のクレジットタイトル、何と上下の文字が大きく切れている。ということは、画面がスクリーンから切れてるということだ。「映写機とスクリーンの距離が悪いんですね」「ワイドスクリーンの上映は初めてじゃないですよね」「いや、何度もありますよ」「湯布院映画祭らしからぬ手抜かりですね」そんなことを横にいたTさんと話す。これも無知で赤面物の一幕であった。
 最終日のパーティーで、映画祭映写技師の飯山庄之輔さんと話をした。16ミリプリントなので、ワイドの場合は技術的な問題でプリント段階で上下が切れるのはやむを得ないとのことであった。「ヘー16ミリだったんですか」「映画ファンならちょっと振り返って映写機見てもらえば分かったはずですよ。1台しかなかったでしょ」確かに35ミリなら1巻には納まらず、切替で2台必要となる。「いつもは2台置くんで、足場は怖いし、今年は切替もないから私は楽させてもらいましたけど」と飯山さん。知ったかぶりして「手抜かり」なんて邪推して恥ずかしい話である。
 その後、伊藤雄委員長に声をかける。「<鳳城の花嫁>、16ミリだったんですね。映写機を見りゃ気がついたんだけど、今飯山さんに教えられまして。参加者で指摘した人いますか」「いや、一人もいなかったですね」見識不足は私だけでなさそうで、独り善がりで少々安心する。「35ミリでやりたかったんですけどね。番組を決めた時、まさか記念すべき東映スコープ第一作の35ミリプリントが無いとは思わないですもんね」と伊藤委員長。プリントに関しては、本映画祭で別のエピソードもあるのだが、それは項を改めてということにしたい。(2003.9.7)
●懇親会での自己PR その1 「映画芸術」
 「鳳城の花嫁」終了後、有志集っての乙丸地区公民館での実行委員と参加者との懇親会となる。今年からの初の試みだ。と言っても、上映会場からちょっと離れており、そのまま流れ込む人はそれ程多くなかった。見回したら顔馴染の常連が殆どといったところ。当然大いに盛り上がる。
 私が初参加した1999年では、最終日のパーティーが金鱗湖畔で、終了後は湯の岳庵に流れ込んで実行委員の慰労会となり、参加者の方もどうぞと声がかかり、夜を徹しての酒宴となった。余談だが、私もかなり酩酊していて話の内容は全く覚えていないが、寺脇研さんを挟んで荒井晴彦さんと二言三言言葉を交わし、世間では気難しいとか言うけど同年代の楽しく飲めそうな人だなという印象の初遭遇の日だった。(今でもその印象は変わらない。荒井さんはウンザリしてるだけかもしれないが)翌2000年を最後にパーティースケジュールが見直しになり、この行事はなくなったそうだ。(2000年は私は途中で帰ったからよく知らないが)何でも、次の日は平日でもあり、湯の岳庵がついに音を上げたとか上げなかったとか。いずれにしても実行委員の慰労会を兼ねた参加者との酒宴は途絶えていた。「前の最終日のパーティーの後みたいだね」と古参の参加者から声が出る。「初日からあんな風に盛り上がったら持たないよ」てなことで、初の試みワイワイと楽しく盛り上がる。
 ゲストからの唯一の参加者は映画評論家の渡辺武信さん。「映画芸術」の最新号で約50枚の素晴らしい蔵原惟繕論を展開している。感激して私は話をする。「素晴らしいです。荒井さんが編集後記で原稿料の無い雑誌とか身も蓋もないことを言ったり、前号で望月六郎監督もそんなこと言ってますが、そんな後ろ向きにボヤくより、渡辺武信さんのような著名な人が原稿料なしであれだけの力作を寄せる前向きな面こそ歌い上げるべきじゃないでしょうか。それも含めてあの蔵原論には感動しました」渡辺さんちょっと照れた感じで「あれ実は70枚になったんですが、紙数の関係で50枚にしたんです。私は昔は同人誌などもやってますし、そんなに大したことではありませんが」とのことであった。
 古株参加者と実行委員だけということで、一人づつが何かを語る羽目になり「デカイ面してるわりには参加歴5年の周磨です」と二桁参加者をさておいてさらにデカイ面で「映画芸術」の宣伝をする。「私が連載をしています。若い女性もいるので内容は控えますが買えば何だか分かります。会場ロビーの売店で売ってます。私の拙き原稿はさておいても、ここにいらっしゃるゲストの渡辺武信さんの素晴らしい蔵原惟繕論があります。是非買って下さい」とぶち上げた。後で別の参加者から「渡辺さんかなり照れて、最後は顔が引きつってましたよ」って、やっぱり奥床しい方である。
 もっとも、「映画芸術」の販売活動には上がいて、初日以降の会場で「映画芸術」に限らないのだが、実行委員の販売活動に全面的協力をしている古株参加者がいた。カボスの清涼飲料水を売り声張り上げて売り切るは、入場待ちの行列に「映画芸術どうですか、できたら年間購読者になってください」と突撃勧誘、ウーム、さすがに私はそこまで出来ない。

●懇親会での自己PR その2 活弁公演
 昨年、私が活動弁士として初舞台を踏んだ「蛙の会」公演、例年の8月末の予定が諸般の事情で大幅に後ろにズレ込み11月30日(日)になった。そのため、今年は湯布院はフル参加できた次第。ただし、あまり先過ぎて今年はまだチラシができていない。そこで個人的なチラシを作成し映画祭の友人に配るべく準備をした。伊藤雄委員長にもお渡しする。「部数は?」「いや、個人的に作ったもので友人に配る程度にしか」「では会場に貼りましょう」てなことで今年も貼り出してもらってしまった。東京近郊からの映画祭参加者のうち何人かが来ていただければ幸いである。場所は門前仲町の門仲天井ホールで、私の演し物は大河内傳次郎の「血煙り荒神山」。本ホームページで興味を持った方、私の自己紹介の最後に「蛙の会」(マツダ映画社内)の連絡先が記してありますので、詳細はお問い合わせ下さい。
 翌日のパーティーでは荒井晴彦さんにもPRする。荒井さんとの有意義な(と私だけが思ってる?)会話の数々は別エピソードで項を改めて、ここではこの話題に限定して述べる。「お客さんなんて来るのかい」「定員百名弱の狭い会場ですけど、毎年立ち見が出ますよ。今回から映芸の執筆陣に加わった夢月亭清麿師匠も毎回来てくれてます」「誰だろうと面白いもの書けば、書いてもらうけど、お前も面白いもの書けよな」そんなところに寺脇研さん登場、待ってましたと早速に寺脇さんにもPR。「俺も寺脇も忙しいんだからな。つまんないものに声かけるなよ」と荒井さん。(ここで、お断りしておくが、荒井晴彦さんの話は言葉だけにすると凄くきつく感じるが、実際に話すとニコニコとちょっとシニカルな感じの笑みも加えたソフトな語りで、全く嫌味がない。この荒井さんの持味だけは、直に話してみないとなかなか理解してもらえない。ついでに言えば、私の話は言葉だけにすれば「ですます調」で丁寧みたいだが、実際には大きなダミ声でまくしたて、遥かに態度がデカい。今後もそのニュアンスを頭において読んでいただけると幸いである)
 ついでに余談をもう一つ、去年のホームページを読んだ人から、「酒も入ったパーティーの席上のことをよく覚えてますね」と言われた。でも、人間って自分の印象に残ったことだけは覚えてるもんですよね。別にメモもテープも取ってないので、そういうことにしかなりません。ということで、あいつは何でも覚えていそうだからパーティーでうっかりしたこと喋れないよな、なんて思われませんように。自分にとって印象に残ったことだけはよく覚えてるという皆さんと同じレベルで御座います。
 1日目のパーティーの終盤で司会をしていた前事務局長の横田さんが、「参加者の方でPRがあればどうぞ」と呼びかけ、寺脇さんが「周磨さん、活弁のPRやったら」と背中を押してくれたのだが、一瞬の躊躇でタイミングを逸したのは残念だった。活弁の先輩からは、とにかく機会をみつけて色々な人の前で話すのに慣れろ、舞台度胸をつけろ、稽古仲間の前だけでやっていては駄目だ、とかねがね言われており、良いチャンスだったのに残念なことをした。寺脇さんが折角背を押してくれたのに、一瞬躊躇してしまうあたり、まだまだ修行が足りないということである。
 活弁は、スクリーンがないとできないが、上映に先立ち日曜洋画劇場の淀川長治さんの如く2分程度の前説をやる。これが、案外怖い。活弁とちがって台本を読みながらというわけにはいかないからだ。いや、つかえたら適当にムニャムニャ言って「それでは上映します」って逃げちゃえばいいよって先輩は言うが、それこそ舞台度胸があるからできること。活弁もさることながら、前説は結構ビクビクものなのである。練習&予告編として適当な場所だったのに、一瞬の躊躇も含めて、まだまだ未熟者である。それでも最期の晩に部屋に集まった数人の前でやらせてもらい、少々は度胸がついた。以下、ここでも予告編がてら、その前説の草案を紹介いたします。

 周磨要でございます。
 これから上映する「血煙り荒神山」、昭和4年大河内傳次郎主演作品で御座います。荒神山といえば吉良の仁吉が有名で御座います。(ここでちょっとテンションを上げて)「義理と人情を量りにかけりゃ、義理が重たい男の世界」、高倉健の「唐獅子牡丹」では御座いませんが、渡世の義理のために愛しい恋女房のお菊と切ない別れをしなければならない吉良の仁吉のお話で御座います。
 吉良の仁吉を演じます大河内傳次郎。まあ、大河内傳次郎と申しますと、戦後の皆様にとりましては、東映時代劇の脇役で、善良な家老などをやりまして、(大河内傳次郎の声帯模写で)「お主たちの気持ちも分からんではないが、ここはまず一つ殿の御意向を伺って、オヨヨ、オヨヨ、オヨヨ」と言っていた印象しかないのかも知れませんが、戦前の大河内傳次郎、これは大スター、大チャンバラスターで御座いました。
 この時代は、現代のようにコンピュータグラフィックもワイヤーアクションもありません。殺陣は文字どおりの生身の肉体をぶつけあっての壮絶なもので御座いました。この映画のクライマックス、荒神山の喧嘩(でいり)のシーンでも、そのあまりの壮絶さの故に十数人の怪我人が出たとの、伝説が残っております。
 とりわけ、終盤に見せます大河内傳次郎の危険なアクション、これはもう「クリフハンガー」のシルベスター・スタローンもかくやと申すような危険なものでございまして、ま、風の便りに聞きますと、スタローンの方は命綱を付けとりまして、後でコンピュータグラフィックで消したなんて噂も伝わってきたりしてますが、大河内傳次郎の時代には、勿論そんなものがある訳は御座いません。見方によっては大河内傳次郎はスタローン以上の危険なアクションに挑戦した、ということが言えるのかもしれません。そのへんも見ていただけたらと思います。
 それでは、昭和4年作品、大河内傳次郎主演、「血煙り荒神山」、どうぞごゆっくり御鑑賞ください。

 さあ、これで映画が見たくなった方、是非11月30日の日曜日、門前仲町の門仲天井ホールにお出掛け下さい。(2003.9.8)
●任侠映画はやっぱり健サン
 映画祭初日、「明治侠客伝 三代目襲名」上映からスタートする。この項では、任侠映画を中心にあれこれ語ってみたい。
 「三代目襲名」と2日目上映「十一人の侍」を、今の時点で改めて再見すると、歴史的名作というよりは、過渡期の佳作ということを感じる。「三代目襲名」は、鶴田浩二と藤純子のギリギリ追い込まれていく情感の密度は圧倒的であるが、刺青が乱舞する「不良性感度」の俗悪性や、殴りこみシーンの様式の不徹底、特に丹波哲郎の「偉い!男は意気だ!心意気だ!」なんて失笑ものの怪演など、ガサツな部分が入り混じった過渡期の作品といえる。加藤泰の任侠美学が円熟するのは4年後の「緋牡丹博徒 花札勝負」あたりであろうか。
 「十一人の侍」も、力作であることは認めるが、「十三人の刺客」「大殺陣」の凝縮度よりは、かなり落ちており、やはり、このあたりを最後に東映集団時代劇が消えていったのも必然なのがよくわかる。
 と、クールなことをいっておきながら、最終日上映の御贔屓高倉健サン客演「緋牡丹博徒」となると、多少の欠点に目をつぶって喜んじゃうんだから、ファンとは現金なものである。前述した浜松のTさん(名前は何と私と同じ要である)もこの手のものが好きらしく、緋牡丹お竜の仁義に続くメインタイトルで年甲斐もなく(失礼!)、「イヨー!」と掛け声かけて拍手する。私も早速呼応する。でも、さらに呼応したのは常連大分市役所のOさん他の少々であった。「藤純子」「高倉健」のタイトルでもめげずに拍手で盛り上げる。W杯と「スター・ウォーズ」と任侠映画は乗ったもん勝ち、皆さんもっと乗りましょうよ。でもエンド後の拍手は、確かに映画祭上映作品の中でも、ひときわ高かった。皆さん心の中で乗っていたのはまちがいない。
 さらに余談、「緋牡丹博徒」の上映は最終日のトップ、これも後の項で詳述するが、今年のパーティー終了後の宿での懇親会は、色々あって連夜3時は過ぎるが4時にはならないというデスマッチ。また、これも別の項で詳述するが、私は「緋牡丹博徒」上映後、最近三百人劇場で見たばかりの「股旅 三人やくざ」をパスして、サイクリングに行く計画だった。でも、疲労はピーク、熱射病で倒れたら洒落にならないよな、宿で寝てるかな、とも思ったが、「緋牡丹博徒」見てすっかり生き返り、予定どうりサイクリングも決行できた。素晴らしい映画である。
 と、あんまりはしゃいでもいけないので、少しはクールに見よう。「緋牡丹博徒」シリーズ第一作ということで、藤純子はもう一つというところがある。橋の下の健サンとのやりとりは完全に貫禄負けしている。そもそも、「緋牡丹博徒」は大映の江波杏子の「女賭博」シリーズに触発されたものであり、この時点では、男のように腰で帯を締めたクールビューティーの江波に比べて、重量感は今一つといった感じだった。娘衣装で立ち回りをするという所が緋牡丹お竜の魅力だとしてもである。口の悪い奴は、何だか「おはなはん」みたいな女博徒が出てきたなと、言ったものである。緋牡丹お竜に圧倒的存在感が出るのは、これも翌年の「花札勝負」あたりからであろう。
 勿論、第一作ながらの初々しい美しさはある。特に緋牡丹お竜の前身、お嬢さま矢野竜子が見られるのは一作目ならではでの魅力で、山下耕作の牡丹を巧みにあしらった演出が見事だ。一の子分フグ新が息を引き取る時、白い牡丹を前にしたお嬢さま竜子から、紅い牡丹を前にした緋牡丹お竜に変じ、黒い牡丹で息を引き取る情感の美しさは圧巻であった。山本麟一演じるフグ新が一作目で殺されたのは惜しかった。待田京介の不死身の富士松との喧嘩仲間コンビでシリーズを湧かせてもらいたかったが、フグ新が殺されなければ殴り込みのきっかけができないのだから、いたしかたないのではあるが。
 2日目の特別試写「ヴァイブレータ」のゲストで寺島しのぶさんが来たが、映画祭で「三代目襲名」「緋牡丹博徒」と上映されたのは気の毒だった。寺島さん本人語るところの丸裸(文字通りに!)にされた大熱演は、今年の主演女優賞候補と言えようが、さすが本人の前では言えないが、母親の方が10倍、いや100倍凄い!私がそう言って否定する人は一人もいなかった。
 寺島しのぶ31歳、藤純子「三代目襲名」の時20歳、「緋牡丹博徒」23歳、27歳で引退。如何に藤純子が凄かったか。溜息の出るような足跡である。しかし、私にとっての最大の魅力は高倉健サンだ。あの寡黙ですべてを表現するのはたまらない。(お前が日頃喋り過ぎるからだろ、と言わんで下さい)鶴田浩二は「三代目襲名」で「堪忍してくれ、堪忍してくれ、今のワイはワイであってワイでないのや。木屋辰三代目の看板を背負った菊池浅次郎なんや。アホな男や。そやけど、こういう生き方しかできへんのや」と情緒綿々と饒舌である。健サンはちがう。「緋牡丹博徒」でも、兄弟分の大木実の破廉恥な行為に、バシッと殴りつけ「加倉井!(大木の役名)おめえ、恥ずかしくねえのか!!」この一言である。お竜さんに仇と誤解された時も「お竜さん、すまねえ。俺の言えるのはそれだけだ」最後にお竜さんを庇って死に、今わの際に「あんたに人殺しをさせたくなかった」「あたしのために」「俺のためだよ」ウワーッ一生に一回、こんな言葉言ってみてェー、とここで興奮しても仕方がないが、やっぱり健サンが最高である。
 健サンは鶴田と対照的で、男っぽく色気は乏しい。ガキ大将がそのまま大きくなった感じである。そして、本映画祭の「三代目襲名」と「緋牡丹博徒」、加藤泰と山下耕作、藤純子を挟んで、実に象徴的にその対比を見せてくれた。「三代目襲名」の汗と体臭が香るような切々たる濡れ場に対し、「緋牡丹博徒」は花を象徴的にあしらったようにすべてが植物的である。藤純子の美しさも全く動物の分泌物を感じさせない花の美しさだ。私はそのような高倉=藤コンビが好きだ。
 映画を語り合う時に私はよく「そう感じないあ。俺、淡白だから」と口にする。「何がお前が淡白だよ」と笑われるのだが、任侠映画の好みからもそう思う。そして私の淡白な感性はこの後の「ヴァイブレータ」「油断大敵」の特別試写・シンポジウム・友人との語らいによりポイントになってくるのだが、それはまた後の話しである。

●私の今年の湯布院観光
 映画祭参加者は、殆どが全面的に映画漬けだが(今年はそうでもない人がいることも知った)、私はせっかく湯布院まで来たのだから、空き時間での観光も心掛けている。
 一昨年あたりから前夜祭で、野外上映に先立って神楽を披露してくれるのも楽しみの一つである。昨年は湯布院神楽、一昨年は湯平神楽だった。今年もそれを楽しみに、さすがに子供を対象としたポニー乗馬会にまで付き合う気はないが、時間に合わせ早めに野外上映会場に足を運ぶ。案の定、映画漬けのみの常連は誰もいない。前の項で紹介したTさんと二人だけだ。Tさんも神楽は楽しみの一つだそうだ。私は、これも恒例、模擬店で仕入れた缶ビール・焼き鳥・焼イカで一杯やりながらの鑑賞となる。
 今年の神楽(謂れは確認しそこなった)は、舞手が二人と少ない。ただ、子供さらい伝説に基づいたものなのだろうか、怖い面をつけた舞手が小さい子を抱いて連れ去ってしまう。気の弱い子は本気でワーワー泣き、気丈なお姉ちゃんが可愛い弟の危機とばかりに、空のペットボトルではあるが、本気で飛びついて舞手の小父さんをビシバシ殴るなどの微笑ましい光景が楽しかった。
 続いては菓子撒き、多分子供たちが走りまわっての騒ぎになろう。タレが溜まってるイカ焼のトレイが蹴飛ばされてシートを汚してはいけない。「ゴミ捨ててきます」と中座する。案の定、もどってみたらTさんの目の前までも菓子が飛んできて、スナック菓子を一つ入手したとのこと。「私食べませんからどうぞ」って頂いて、わが部屋のパーティー終了後の懇親のツマミに加えさせていただきました。ありがとう御座います。
 明けて映画祭第1日、「三代目襲名」「ちゃんばらグラフィティー 斬る!」を見て、次の「日本暗殺秘録」上映はパスして、私の観光時間となる。13時15分から15時50分までの約2時間半である。
 「日本暗殺秘録」は、公開当時見逃していて、つい最近に浅草で見た。「昭和の劇」を読み素晴らしい期待に胸膨らませたからだが、見てガッカリした。あの、笠原和夫の苦闘のシナリオが、こんな映画にしかならないのって感じだった。もっとも、これはネチョネチョ派中島貞夫の世界ではないし、「昭和の劇」を先に読んで期待をパンパンに膨らませてなければ、そこそこの映画なのかもしれない。いずれにしても、湯布院で再見する気は起きない。
 今年のお目当ては、昨年の辻馬車案内で紹介された湯布院アミューズメインストリートの散策。由布岳他の連山に囲まれ青々とした苗がまぶしい道のりの散策は、毎度のことながら気持が良い。途中、足だけ浸かる温泉も楽しみながら、ゆふいん博物館に入場。ここで、ゆふいん近代美術館の割引券を入手し、割引で入場したら、美術館には博物館の割引券が置いてあった。何のことはない。博物館を通り過ぎて美術館で割引券を入手し、戻って博物館に入場すれば、両方割引料金で入れたわけだ。まあ、旅行先でチマチマした考えはよそう。
 博物館・美術館については、私は特にその類のものに関心があるわけではないので、感想も特にない。ただ、窓の外に前述した湯布院の風光明媚な情景が広がっているのが、何ともゆったりした気分にさせてくれる。私にとっての湯布院アミューズの魅力はそんなところか。
 会場付近に戻る。「岡田茂大いに語る」開始までには、まだ1時間弱ある。限定販売・豊後牛のハンバーグで、遅めの昼食で腹ごしらえすることにし、旅行気分で散策の汗の後のビール一本も当然である。ハンバーグでビールのコップを傾けていたら、二人連れの女性客が来店し、やはり豊後牛ハンバーグを注文するも、本日は後1人前のみとのこと。私のが最後の二つ目だったのか。別に私が悪いわけではないが、何となく恐縮してしまう。この夜の特別試写「ジャンプ」の男と女の出会いが在庫一つの香水を巡ってのものであり、後でその偶然に驚くことになる。(「ジャンプ」のテーマの中心をなすのも「偶然」である)まあ、こっちは映画のように色気のあるもんじゃないが。「ジャンプ」については、項を改めてということで。
 翌日、上映会場に向かう途中で、常連の倉敷のツタヤ店長のOさんが自転車に乗って来るのに出会う。「どうしたんですか」「レンタサイクルですよ。昨年のホームページでみんな映画漬けって書いてましたけど、私はけっこう観光もしてますよ。今日の映画は前に見てるので、これから町を巡ります」ウーム、レンタサイクルとは気が付かなかった。湯布院は盆地で起伏が少ない。サイクリングは絶好かもしれない。私は、別項で述べたが最終日の「股旅 三人やくざ」をパスして観光を考えていたが、アミューズストリートは行ったし、この時点で予定は全く立てていなかった。サイクリングに決め、第2日目の会場に向かった。
 そして、別項で述べたが、連日の明け方近くまでの痛飲でフラフラなのにも関わらず、最終日の「緋牡丹博徒」に力を与えられ、雲で陽射しも和らぎ爽やかな風も吹いてくるという天候も味方して、「緋牡丹」終了の11時38分から、特別試写「福耳」開始の14時まで、地鶏うどんを味わいビールも一杯傾けたりして、サイクリングを楽しんだのであった。「緋牡丹博徒」と高倉健サンの効果抜群である。
 来年の空き時間は観光案内書片手にレンタサイクルで、湯布院の穴場スポットを探訪することにするか。(2003.9.10)
●岡田茂氏の威圧感と私のサラリーマン根性
 初日で、本映画祭最初の映画上映以外の催しは「東映京都 岡田茂氏大いに語る」、アシスタントに沢島忠監督という豪華版。やはり圧倒的に面白かった。
 戦後間もない頃の東横映画の苦闘時代。ハラワントキネマと揶揄された中で、周囲の反対を押し切り起死回生の「きけ、わだつみの声」をヒットさせる。ただ、配給網は大映のため、客は入っても金は入らない。東映配給網を確立すべく、当時の超大物永田雅一との掛け合いなど、興味深い話が次々と披露される。
 時代劇で黄金時代を築くも60年代に入り、その時代劇に陰りが出てくる。次の鉱脈の任侠映画確立のために尾崎士郎を訪れる。「人生劇場」を映画化したい。ただ、「人生劇場」という題では今の時代は駄目だ。「飛車角」として飛車角を中心に映画にしたい、と申し入れる。「俺はどうなるんだ」と尾崎士郎、自画像の青成瓢吉の扱いのことである。出てきますよ。梅宮辰夫で考えてます。(当時の梅宮は、今の凄みある不良中年になるとは想像もできなかった端正な二枚目だった)とか何とかで映画化を了承してもらい、これがきっかけで任侠映画ブームが起こる。
 61年の東京撮影所長就任は自ら「左遷」と称し、合理化・人員整理を巡って竹中労と激しく渡り合ったりと豪放な話題はつきない。映画のジャンルの寿命は十年、時代劇も任侠映画も実録ヤクザもそうだった、スタープロは絶対成功しない、残ったのはやり方に工夫があった石原プロだけ、スピルバーグも自分で製作を始めて駄目になった、今客が来てるのは日本だけ、遠からず日本でも客は来なくなるだろう、と快刀乱麻、バッタバッタと痛快に映画界を切りまくる。
 話題は尽きず、気が付いたらアシスタントの沢島忠監督の出番がロクにないまま時間が尽きていた。これは勿体無かった。「股旅 三人やくざ」の上映もあったことだし、別ステージのゲストとしてお迎えしてもよかったのではないか。
 翌日の「東映京都シンポジウム」で最新の一部CGを使った東映マークが話題になった。参加者の評判は極めて悪い。やっぱり、東映は実写一本で豪快な波しぶきを狙わなくっちゃってことである。東映の皆さん、どう思ってます、と投げかけられる。そういうことは、昨日の岡田さんに聞いてよ、と苦笑するパネラー達。いや、昨日は質問の時間がなかったので、と参加者。本音を言えば、大きな声では言えませんか嫌いですねと一部のパネラーが言う。私も、東映マークがCGを使っちゃいけないと思う。
 と、いうことで「岡田茂氏大いに語る」の残念な所は、熱弁に気合が入り、参加者との対話の時間が取れなかったことであった。沢島忠監督の出番が乏しかったのと共に、好企画ながら惜しい部分である。お忙しいせいか夜のパーティーも参加せずに日帰りで戻ったようだ。まあ、酒については、昔は飲んだが今は体のことを考えて控え気味とのことなので、遠慮したのかもしれない。
 もっとも、私は、質問の時間があっても、パーティーで同席しても、言葉を交わせたたかどうか疑問である。サラリーマン生活が長い人間の性、どうしても経営者みたいな人には威圧感を感じてしまう。別に東映に仕事で縁があるわけじゃなし、むしろ、映芸編集長の荒井晴彦さんにこそ威圧感を感じなきゃいけないのに、何故かサラリーマンに無い自由な空気を感じさせる荒井さんには軽口・へらず口を叩いてしまう。ほんとに身に染みついたサラリーマンの垢はどうしようもない。給料のために気に染まぬことをしていたのだから、せめて映画評の世界だけは自由でいたいとの思いの反映もあるのかもしれない。

●荒井晴彦さんとの遭遇
 「岡田茂氏大いに語る」を終えてロビーに出たら、荒井晴彦さんが見えている。「年末の映芸忘年会以来ですね」と挨拶し、「春のピンク大賞前夜祭で、里見瑶子嬢にサインもらっちゃいました」と、私が映芸に瑶子嬢について書いたページを喜々として見せる。荒井さん、早くもウンザリした表情。「あ、PGの一番気に入った写真の下にも、もう一つもらっちゃいました」とそれも見せる。荒井さん、ますますウンザリした表情。
 「渡辺武信さんの蔵原論、素晴らしいですね」「あれ、もっと長かったんだよ」「渡辺さんから聞いてます。70枚を50枚にしたそうですね。昨日の懇親会で映芸を売り込みましたから。私の拙き原稿はさておいても、渡辺さんの素晴らしい蔵原論がありますって」ここから軽口第2弾、「そしたら、買ったら周磨さんサインしてくれますかって奴がいて、俺にそんなものできるわきゃないだろって言いましたけどね。でも、後4年もたつと、私は再就職先も定年、そしたら名刺が映画評論家・活動弁士(年金生活者)ってなりますよね。サインの一つも覚えるかな」荒井さんのウンザリした表情ますますひどくなり「普通に名前書きゃいいじゃないか」
 そこにタイミングよく、実行委員の人が参加者パネルの荒井さんの分を持ってきて、サインお願いしますとやってきた。確かに荒井さんは、普通の字で書いている。荒井さんのサインは本映画祭の話題であった。何てったって名著「昭和の劇」を生んだ人である。「厚い」「硬い」「高い」という本として大きな三重苦のハンデを背負いながら、よく売れているそうなのがうれしい。私もお祝いを述べたが「その類のものとしては売れてるということで、大したことはないよ」と謙遜していた。でも、あの大冊の本を湯布院まで荒井さんのサインをもらおうと持参してきた人は少なくなかったようで、パーティーで盛んにペンを走らせていたが、これも普通の字だった。後で寺脇さんのパネルを見たら、寺脇さんも普通の字だった。ただ、野村正昭さんのパネルはサイン書体だった。何かサインの話題で横道にそれた。話を本筋に戻す。
 軽口の第3弾、前にも少々触れたが「蛙の会」公演のPRである。「荒井さんみたいなビッグネームに来てもらえるとは思いませんけど、あ、早乙女宏美さん知ってますよね。彼女も活弁と日本舞踊を披露します。荒井さんですか、存じてます、来ていただいたらうれしいわ、って言ってました。荒井さん、こういうの一番効くでしょ、効かないか」
 荒井さん、この軽口3連打にかなりウンザリした模様。「あのな、こないだのお前の原稿な、お前がシナリオ読む力が、全く無いってことが分かったよ」来た来た、すごい反撃が始まったぞ。私の連載「サラリーマン ピンク体験記」で、荒井さんの弟子の黒沢久子脚本の「美人保健婦 覗かれた医務室」に触れた件である。
 「あのラストは俺がアドバイスして直させたんだよ。分からないとか異次元空間とか変なこと言ってるけど、あれは<ここより他の何処へ>ってことだよ」「いや、あのラストの解釈は、監督から聞いたことをそのまま書いただけで」「だから監督も分かってないんだよ」
 シナリオと演出の話題は、夜の金鱗湖畔のパーティーでも引っ張る。「あんたに限らないけど、みんな映画を基点にしてシナリオを語りすぎるんだよ。シナリオの方が先にあるんだよ」「いや、シナリオを先に読んだケースもありますよ」「順序のこといってるんじゃないんだよ。一つのシナリオから、演出次第で3本も4本も違った映画ができるということなんだよ」「確かにシェークスピアみたいな戯曲だとそんな風に考えますけど、映画の場合は考えないですね。結局、映画の顔は監督ということで、シナリオの面も含めて、すべて監督に質問がいったりするんですよね」「ファンとしてそういうことで聞くならいいよ。でも、あんたの場合は、シナリオを取り出して演出との関係を論じたんだろ。だったら、そこをキチンとしなきゃ駄目だよ。女優からサイン貰って喜んでるファン感覚じゃ駄目なんだよ」イヤー強烈なストレートが帰ってきた。
 渡辺武信さんのことにからめて、映芸の編集後記を話題にする。「思うんですけど、原稿料を払えない雑誌とか、赤い羽根や足なが基金とか言う奴がいるとか、マイナスのボヤきみたいなことよりも、そんな中で渡辺武信さんのように力作を寄せてくる人がいるというようなプラス面を強調した方がいいと思うんですが。まあ、あれを書いているのは荒井さんじゃなくて(A)氏で、あえて使い分けて本音を出してるのかもしれませんけど」「よく分かんないこと言うな。俺は赤い羽根とか足なが基金みたいなこという奴を否定してるんだし、それに(A)ったってみんな俺のことだって知ってるよ。俺は署名原稿だろうが(A)だろうが、いつも本音だよ。そういう風に考えるのか。お前ってホントにサラリーマンだよな」軽口のジャブ3連打に対して、強烈なカウンターのワンツーストレートが帰って来た感じである。完全なKO負けだ。
 ただ、結局私は37年サラリーマンやって、叩き上げ下級管理職で定年になり退職金も貰って、再就職先も斡旋してもらったということは、人並みにまあそこそこのエネルギーを費やして、それなりの格好をつけたということだろう。だから、サラリーマン根性が染みついてるのもやむをえないし、ファン気質以上のものが乏しいのもいたしかたない。人間そんなに過去に累積してきた自分から急変できるわけもないのだ。それを現実的に認めながら、どうするかということだろう。この後の映画祭の中で、前の項で述べた「淡泊」そして「サラリーマン根性」「ファン気質」は、結構「映画と私」にとっての重要なキーワードになり、映画祭後もそうなっていくと思う。具体的にはエピソードを重ねる中でおいおい紹介していきたい。(2003.9.15)
●「映画の虚構」と「映画的真実」  特別試写「ジャンプ」
 「ジャンプ」とは「失踪」のことだそうだ。この映画を結末から逆に追うと次のようになる。「幼い娘一人の平凡だが幸せな三人家族がいました。それは無限の偶然の累積による結果でした」
 主人公原田泰造は、ほんの偶然から笛木優子と恋人同士になった。が、ある日笛木は失踪してしまう。結局、彼は同僚の牧瀬理穂と結婚し、幸福な家庭を築く。そして、5年後、笛木と再会、笛木は失踪でも何でもなかった。些細な偶然の行き違いが二人の連絡を遮断したというのが真相だった。
 この偶然が心理的要素が皆無で、すべて微小な物理的なものであるのが、興味深い。二人の出会いは在庫が一つしかない香水を、同時に買い求めようとしたことだった。失踪と勘違いした始まりの夜、酒の飲めない彼がカクテルを一気飲みして悪酔いしたのも偶然、買い忘れた林檎を彼女が彼と別れて一人で買いに行ったのも偶然。そこで旧友の急病に遭遇したのも偶然。心理的要素のない物理的偶然の累積が、人の心に、そして人生に大きな変貌を与えていく。
 湯布院の地で、こういうものを見せられると、私は感慨でいっぱいになる。1999年の日記に書いたのでここでは繰り返さないが、私が湯布院の地に立ったのはほんの偶然で、湯布院映画祭に行こうと思い立ったのもかなりの偶然の累積である。それが、多くの人と知り合い、キネ旬誌上まで介しての荒井晴彦さんとの出会い、「映画芸術」との関係(よせばよいのに、シンポジウムの発言にかこつけてこれをネタにし「ついでに映画芸術、買って下さい」とやっちゃった)etc、湯布院参加歴は5年を重ね、そこをキックにした信じられないフィールドの広がり。このホームページに寄稿してることだって、その一つだ。偶然の累積により今ある現在。本当に感慨深い。
 ただ映画では、一つだけ牧瀬理穂の仕掛けた必然がある。そして、これはドラマ展開の中で、結構比重が高い。ここは私としては、前述の感慨からすると、もう少し必然の要素を薄くしてほしかったところだ。
 「ジャンプ」は、「映画の虚構」を語り方で納得させてしまう面白い映画だと思った。映画は現実とは違う。いや、現実と同じなら面白くも何ともない。「映画の虚構」で「映画的真実」を見せるのが魅力である。もし、この話を逆から真相を明らかにする描き方でなく、順序を追って描いていたら多分矛盾だらけになろう。偶然の積み重ねにかなり無理があるし、連絡の行き違いにしても不自然さが目立ってしまうと思う。倒叙式に語ることによって、その不自然さをすり抜け、「偶然が与えた結果の人生の機微」というテーマにたどり着くのである。「映画の虚構」で「映画的真実」を構築したのである。
 ただ、この「映画の虚構」というのが曲者だ。私は「ジャンプ」の「映画の虚構」を許容したが、断じて許容できないという人も少なくなかった。倒叙式に語ろうがどうしようが、不自然なものは不自然だというのである。当然ながら、そういう人はこの映画を評価しない。「映画の虚構」をどこまで許容するかとの問題は、かなり奥が深い。その人の感性だけに止まらず、人生経験や思想に関する部分にまで関わっているかもしれないからだ。だから、映画の見方・評価は人によって様々で、それが面白いということになるのだろう。この命題は映画祭を通じて、私を捉え続けることになる。
 携帯電話が発達し伝言メモやら何やら機能が多彩な現代に、あんな行き違いは不自然過ぎるというのが、許容しない人の意見である。私は携帯電話は、定年退職し再就職して第一線から離れた時に、解放された気分で業務用携帯を後任者に引継ぎ、解放されたのに何でそんなもの持つ必要があるのって思いで、今も携帯は持っていない。もともと、電話は喋れりゃいいやってタイプで多機能にも興味がなかった。私がこの映画の「映画の虚構」を面白くみたのは多分そんな所にあり、多機能を使いこなしている許容できないという人の意見も分からなくはない。ただ、そう言われたところで、私が「映画の虚構」として面白く見てしまったのも事実である。
 そんな中で、ある人が興味深いことを指摘した。失踪した笛木優子を探すために原田泰造が出した休暇届の年号が平成15年だったというのである。映画の終了はその5年後だから、平成20年の未来ということなのか、単に小道具係のミスなのか、別の意味があるのか、ということである。私はそこに気が付かなかったが、別にラストが平成20年でも、今の低成長時代それ程大きく何かが変わるわけもなし、どっちでもいいんじゃないのと言ったのだが、いや、ラストは平成15年みたいなんです、駅に今年の小林幸子のリサイタルのポスターがありましたから、と地元の人らしいきめ細かい指摘をした。
 とするならば、休暇届の年号がミスで、失踪と誤解したのが平成10年だったらどうなるか。携帯の多機能は飛躍的にここ数年で強化されている。ウーム、5年前、その頃だったらこの行き違いあり得るかもしれない、と否定派も頷きかけたが、でも平成10年の話ってのをそれならもっと意識的に強調すべきでしょ、となった。シンポジウムからパーティーそして終了後の懇親会へと同好の士と断続的に延々と、そんな話をしたのである。
 年号の疑問に関しては、パーティーでゲストの関係者に聞いてみた。さあ、そこまで細かく考えてませんでした。どう、取ってもらってもいいんですが、ポスターまでは気が付きませんでしたね、という程度であった。
 もう一つの私の疑問も聞いてみた。「ジャンプ」=失踪がメインテーマだとすると、ラストの原田泰造の微妙な表情は、失踪を匂わせているんですか。そうなると、「偶然の果てに現在の幸福がある」という私の見方も、かなり修正の必要が出てくるんですが、という疑問である。それについては、失踪するのか、やっぱり家庭に帰るのか、どう取ってもらってもよく、自由に見てほしいとのことであった。
 これらのことを併せると、作り手側はあまり細部に拘らず、観客の自由裁量に委ねたようでもある。ただ、それが人によっては詰めが甘いとの印象になったのではないか。「ジャンプ」の弱点は、そのあたりだと思う。

●懇親会でのデスマッチ 仁義なき(?)映画祭での確執 (この項には下記に補足があります)
 何せ、湯布院はデスマッチの体力戦だ。パーティーの終了は連日12時、それから宿に帰って酒盃を重ねながらの映画談義。まあ、例年だと一日目は1年振りの再会を祝して重くやるが、二、三日目とやや控え、最終日に一気り盛り上げ体力を使い果たして燃え尽きるというのが、パターンである。これが、何かでタイミングが狂うと連夜にわたり夜を徹する体力限界のデスマッチになってしまう。去年は活弁公演のため三日目で帰る私が、それをいいことに連夜遅くまで引っ張ったようにである。(フル参加の人たち、スミマセンでした)今年も二、三日目でハプニングがあり遅くなったが、去年のこともあるので、まあ、私は人のことはあまり言えません。
 今年も飲み物とつまみを大分市役所のOさんにお世話になってしまった。割り勘にしましょうといっても、皆さんは遠くから交通費使って来たんだからと、受け取っていただけない。適当に買ってきて足して置けばいいんですよ、と他の人に言われ、なるほどその手があったかと思いつつ、ついついうっかり買いそびれて、私が出したのは前の項で述べた菓子撒きでTさんから頂いたスナック菓子だけで終わってしまった。毎年、このホームページでご馳走さまを言うだけで恐縮ですが、今年もご馳走さまでした。
 さて、一日目の夜は、前項の「ジャンプ」を中心にそこそこの映画談義で終始したが、二日目から映画談義にプラスアルファーの話題が出てきて、予想以上に夜を徹してしまう。話題の主は四国の松山から参加しているTさんで、実は学生の頃は九州にいて、実行委員の一員だったとのことである。その頃の実行委員会内部の確執(?)について数々の話が紹介された。まあ、実行委員会内部で色々あったことは、以前「キネマ旬報」の連載記事でオフィシャルになっていることでもあり、Tさんもあの記事は概ね正確であると言っており、目新しい話はないのだが、やはりリアルタイムの体験者の話は迫力がある。古株の常連者にとっては馴染みのある名前も出てくるようで、あまり後口の良い話題ではないのだが、「喧嘩だ!喧嘩だーッ」とはしゃぐヤジ馬根性は江戸っ子の私(といってもちょいと外れた千住の生まれだが)だけに限らないらしく、みんな好奇心旺盛にあれやこれやと関心を示す。かくして、時間は限りなく4時に近くなり、二日目からこれじゃ持たないよなー、とか呟きながらやっと散会になった。
 明くる三日目の最初の上映は、私は以前見ている「僕らはみんな生きている」、私はしっかり「死んで」熟睡してしまいました。ゲスト参加されていた滝田洋二郎監督ごめんなさい。でも、これで体力がやや回復できました。
 そして、三日目のパーティー終了後、最終日の明晩に備え、宿での懇親は程々にしようと思っていたところ、またまたハプニングの話題が勃発する。常連参加者の一人の人が、「あなたに聞いてほしい」と言って、委員長以下、何人かの実行委員に不満をぶつけたのである。私が聞いた限りでは、そんなに拘って不満を根に持つ程の問題ではないと思うのだが、こればかりは個人の感覚だから致し方ない。「映画祭が不満なら、参加は自由なんだから来なければいいわけだし」「いや、あなたとか、その他色々素晴らしい人と会えるので今後も来ます。でも、実行委員の何人かは許し難い」やれやれ、私は頭を抱えることになる。
 実は東京の「映画友の会」で、類似の事態に遭遇しているのである。「映画友の会」は毎月第三土曜日の2時から5時まで集まって映画談義をし、その後は有志で喫茶店で二次会、散会後はそれぞれ気の合ったグループで三次会をやっているようだ。私は自称「友の会中年探偵団」と称する数名のグループと飲むことになっている。ついでに言うならば、この日は私は映画を見てから出席するから、まあ、これに温泉・宿泊がついて4日連続になる拡大版が湯布院ということか。裏を返せば月一の「映画友の会」がミニ湯布院とも言える。
 「友の会中年探偵団」メンバーには、一昨年湯布院にも参加した東京電力のSさん(現在は電気事業連合会に愛知万博推進室副室長として派遣され、原子力問題と無縁に全世界のテーマパークを視察するのが仕事という結構な身分である)、その大学時代の先輩で湯布院にも興味を示している日本鋼管の役職者Fさんがおり、共に40代の働き盛りの役職者にして、いずれもキネ旬読者評の論客である。その他数名が三次会飲み仲間ということで、その中の一人がある時、やはり「あなたに聞いてほしい」と言って、「映画友の会」の実行委員に不満をぶつけ、今後は顔を合わせたくないので3次会だけに合流します、と言ってきたのである。話を聞くと今回の湯布院と同様に、私にしてみれば拘って根に持つようなことではないと思うのだが、これも個人の感覚なんだから致し方ない。「別にそれは個人の自由で、仕事などの理由で3次会だけに合流する人もいるんだから、構わないんじゃないんですか」と言っておいた。
 しかし、やはり不協和音は起きるものだ。我々は一次会まで含めた「映画友の会」総体が好きなのに、実行委員が厭だから三次会だけ来るとなると、話題によっては実行委員に対する非難も出て来る。これは他の人にとっては気分の良いものではない。現に不快に感じて中座した人が出たこともあった。湯布院で不満を持ってる人にもこの例を話して、「実行委員は嫌いだけど、会いたい人がいるから来るっていうのは、不協和音の要素にはなりますよ」と言っておいた。
 でも、遥々九州まで来て、何で似たような問題が俺のところに来るのかなあ。大分市役所のOさんから「人徳の致すところじゃないですか」ってお世辞を言われたが、そんな人徳なら無い方がましである。
 こういう話は不快なんだけど、熱が入ってしまうという変なところがある。かくしてこの日も4時も近くなり、でも明日の最終日の朝一の上映は「緋牡丹博徒」、健サンだものな、純子さんだもんね、絶対上映中に寝るわけにいかないよね、サイクリングやっぱりパスしてその時間に一眠りするかと悩みつつ、結局健サン・純子さんにパワーを与えられ、予定をすべて消化したのは前述別項のとおりである。
 かくして最終日のパーティー後の懇親、今度は常連の一人が「切れたー!」と騒いでる。何でも、私はあまりよく知らない人なのだが、常連で最近急逝した人がいて、参加者のあるグループのその人への哀悼の意の表し方で意見の齟齬があり揉めたとか。毎晩、そんな話に関わりたくないので、私はソッとその話題から避け、普通の映画談義に終始した。
 それにしても、実行委員会内部・実行委員と参加者・参加者内部といった具合に確執のパターンがすべて出揃ったわけだ。まあ、人の集まる所に仁義なき(?)確執は必ずありということか。だから面白いとも言えるのかもしれないが、とにかく映画好き同志、仲良くやりましょうよ。

●ニュープリントの話題
 今年の話題の一つに、映画祭に先立っての「十一人の侍」ニュープリント化協力のお願いの呼びかけがある。そして、「十一人の侍」は二日目にニュープリント上映された。
 映画会社は費用を負担すればニュープリントを作成してくれる。東京に川島雄三の熱狂的支持者の集まり「川島クラブ」が、川島雄三全作品のニュープリント化を目標に、上映会で費用を捻出しながら逐一ニュープリント化していることで、私はそのことを知った。ただし、ニュープリントを貸し出した後は映画会社の財産になるという何とも映画会社にとって虫のいい話ではあるのだが。
 映画祭での「十一人の侍」ニュープリント上映のために、湯布院映画祭からの協力お願いを受けた時、さてどうするかと悩んだのは私だけでなかったようだ。一瞬考え、これも付き合いだから協力するかと、一口3000円を寄金した。映画祭に参加して、他の常連に聞いてみたら、みんなそんな気分の果てに殆どが寄金を出していた。
 ところが、映画祭パンフレットの25頁、大々的に寄金を寄せた人の名簿が掲載されている。野村正昭・平山秀幸・渡辺武信など著名人と名前が並ぶのはよい気分のものだ。「悩んだけど出してよかったね。これで出してなかったら、あいつ偉そうなこと言ってるけど寄金にも協力しなかったのかって言われかねないもんね」まずは、若干の祝杯のネタにはなったのであった。
 二日目、「十一人の侍」の前に上映された「北陸代理戦争」のプリントが最悪である。何せ東映マークまで吹っ飛んでいる。その夜のパーティーで伊藤委員長を冷やかしてしまう。「委員長、策士ですね。<北陸代理戦争>のひどいプリントは、<十一人の侍>のニュープリントを引き立たせるためでしょ」委員長苦笑いで「いやいや、<北陸代理戦争>は三百人劇場の深作特集で最近上映したので、プリントが悪いはずはないと思ってたんですよ」「でも、この機会にスーパーを作成して写したら良かったかもしれませんね。大変お見苦しかったと思いますが、次の<十一人の侍>は皆様のご協力で、ニュープリント上映ができるようになりましたのできれいです、って出して、<十一人の侍>上映後に、いかがでございましたでしょうか、今後とも機会がありましたらニュープリント化協力の寄金をよろしくお願いします、っていいんじゃないですか」とまあ、そんな他愛の無いことを話したのであった。(2003.9.20)
●細かい話題あれこれ
 その1 「懇親会での自己PR その1」で、「ゲストからの唯一の参加者は映画評論家の渡辺武信さん」というのは間違いで、成島出監督も参加されていたとおたべちゃんから指摘されました。紹介があったのに浮かれてて聞き漏らしたのかな、いずれにしても「唯一」という表現は今後とも要注意。そういえば「概要」のところで「油断大敵」のゲストを紹介したのだが、改めて数えたら6人しかいない。確か7人参加されてたような気がしたのだが。どなたかフォローして下さい。
 その2 2年続けて湯布院行きは天候不順に遭遇している。普通は、暑い東京の熱帯夜を避けて、涼風の夜を過ごせるのが湯布院行きのもう一つの魅力なのだが、去年は日記に記したように台風通過後に冷気が入り、涼しいのを通り越して寒い思いをした。今年は、出発の日の8月20日頃の東京は、梅雨が戻ったような低温の雨続き、福岡空港についたら「何だか、北海道から東京に帰ったみたいだね」との声がしていた。夏をの暑さを味わいにわざわざ湯布院に足を運んだのも珍しい。(もっとも東京も1、2日後には夏が戻ったそうだが)
 その3 湯布院映画祭の特徴は、日本映画オンリーで外国映画を上映しないこと。一昨年だけ禁を破って日韓プロデューサー・シンポジウムに因んで韓国映画を上映した。もう一つ、アニメを上映しないというのが暗黙のうちにあるそうな。ただ、今年の休憩時間、場内に「千と千尋の神隠し」の主題歌が流れていた。音楽は許容範囲なのかな。
 その4 ロビーのゴミ箱に「燃やされるゴミ」「燃やされないゴミ」と書いて貼ってあった。ゴミの立場にたった表記は珍しい。
 その3、4については、冷やかしがてらにロビーで伊藤委員長に話したけど、「ウム」といったきり反応がなかった。受けない親父ギャグを出して恥じ入った気分になった。

●東映京都シンポジウム 撮影所システムの栄光は彼方に
 映画祭二日目、東映京都シンポジウムのパネラーは前の項でも紹介したが、「新・仁義なき戦い/謀殺」の関係者が中心で橋本一監督・厨子稔雄プロデューサー・編集の米田武朗さん、さらに妹尾啓太プロデューサーが加わり、司会は映画評論家の野村正昭さん。
 冒頭に野村さんから、映画業界の会社に働いていた頃、映画各社のあまりにも違いすぎる社風を感じたと、面白い話が紹介される。東宝は、商社みたいな普通のサラリーマンの会社、松竹は老舗の和菓子屋さん、東映は(一瞬一拍置いて)何でもありのところです、言外にその筋の恐い人まで混じってるみたいなニュアンスも漂う。
 ただ、「新・仁義なき戦い」の関係者中心というのが、東映京都のテーマにそぐわなかった。撮影所システム全盛期を知るのは、若い頃助監督としてかろうじて関わった厨子プロデューサーのみ、後はみんな80年代以後の入社の人ばかりである。毎週2本を叩き出していた時代だからこそ、「東映京都撮影所」を大々的に取り上げる意義があるので、現代のように年数本、場合によっては1本なんて年もあり、後はTVが中心という現状では、「撮影所」自体がテーマになりえない。まあ、そんな現状を紹介してもらった価値はあるのだが。
 とにかく、今の製作は社外も含めた委員会方式だから時間がかかるとの、両プロデューサーの話だった。昔は速戦即決、社長がやれといったらその日から動き出す。今は、あっちに話を持って行き、こっちに話を持って行きで合意を取るのだから、時間ばかりがどんどんたってしまうとのことである。
 ただ、自由度は大きくなったそうだ。社長が決断したらOKということは、昔は社長が駄目といったら絶対駄目だった。今は、東映ではできないけど他に話に乗るところがあるかもしれないよ、なんてことになり、結果として他社が話に乗り、東映社員でありながら、他社のプロデュースに携わるなんて自由もあるそうだ。昔なら社長が駄目を出した企画をどうしてもやりたければ、会社を辞めてやるしかなかったとのことである。
 でも、その自由さが良い映画を生んでいるかというと、撮影所システム全盛の上意下達の方がキラ星の如く佳作・傑作が量産されたのだから皮肉なものだ。
 例えば、最近実写映画の興行収入記録を更新した「踊る大捜査線」、良質プログラムピクチャーの乗りで一気に勢いで楽しく見せてくれるが、やはりパート2が5年後というのは長すぎる。撮影所システム全盛期なら、何ヶ月の単位で連作されたものである。現に「仁義なき戦い」は1年で4本を叩き出した。5年もたってしまうと、バブル崩壊後十数年、もうキャリヤ・ノンキャリのテーマもかなり色褪せて古めかしくなってきている。
 しかし、撮影所システム全盛を知らない映画友の会で知り合った若いファンは、5年もたって殆どのスタッフ・キャストが欠けないで勢揃いしたことだけでも凄いと、感心したそうだ。そういう見方もあるか。撮影所システムが確立されていた時代にはあたりまえにできたことが、今は驚異の対象になるのかもしれない。
 ただし、社長の鶴の一声ですべてが決まり、それ以外のものは許容されない形に近い撮影所システム全盛期は、良いことばかりではない。かつて、他社出演をめぐって永田雅一大映社長と看板スター山本富士子との間で軋轢があり、結局山本富士子はフリーになるのだが、それ以後映画各社は足並みを揃えて山本富士子を干して現在に至るまで彼女の映画出演は無いという経緯に至る。結果的には映画界は山本富士子という貴重な戦力を失ったわけだ。社長が駄目といったら駄目、鶴の一声ですべてが決まるというのは、そういう一面を持つ。
 我々は、撮影所システム全盛の頃はその閉鎖性を非難し、崩壊した現在ではその持っていた力を懐かしんで惜しむ。一概にどちらが良いと言えるものではないのである。
 昔、東映京都撮影所作品といえば、それ自体で一つの個性であった作品群があった。前日の岡田茂氏の講演も含めて、その歴史を確認したというのが、本映画祭の特集の意義であろう。(2003.9.24)
●特別試写「ヴァイブレータ」と不快の原点
 特別試写の「ヴァイブレータ」、良い映画である。表現の凝縮度は濃密でゲストにも見えた寺島しのぶさんは主演女優賞の有力候補の一人だろう(この一言だけはパーティーで寺島さんに伝えたかったのだが、チャンスを逃し残念だった)。シンポジウムで「丸裸にされた気持です」と話していたが、比喩でなく本当にオールヌードを晒しての熱演であった。梨園のお嬢さんも最近は度胸がいいものだ。今年を代表する日本映画の一本であることは間違いない。「赫い髪の女」ように「身も心も」のように、それと匹敵する傑作である。故に私にとっては、不快で大嫌いな映画である。困った、本当に困った映画だ。
 自分の嫌いな映画に対し高みの位置に立ち、如何にその映画が駄目なのか得々と語る人がいる。そんな人は私は苦手で、私はそういうスタンスは取らない。自分と映画の出会いは、人と人の出会いと同じと私は思っている。「あの人が嫌いだ」と言う時、一方的にその人が悪いということはない。嫌いになるのは、双方に問題がある。だから、「ヴァイブレータ」を私が不快で大嫌いだと思っても、それは映画に責任はない。私の問題である。
 話をちょっと横道に逸らす。淀川長治さんがご健在だった頃の「映画友の会」で、淀川さんは欠かさず毎月3つのスローガンを語りかけた。「苦労来たれ」「他人歓迎」「私はまだかつて嫌いな人に会ったことはない」である。けれども、淀川さんと付き合いの長い映画業界の人が、「ああ言ってるけど、あの人くらい人の好き嫌いがハッキリしてる人はいないよ」ということを陰で言っていた。もっとも、私がサラリーマン働き盛りの多忙時期で「友の会」に顔を出していなかった晩年の頃はもっと正直になって、「私は嫌いな人に会ったことはありません。嫌いな人には会わないようにしてますから」と冗談交じりにおっしゃっていたとのことも、漏れ聞いた。
 横道に逸れたが、要は私の言いたいのは、嫌いな人には避けて会わないのと同様に、嫌いな映画についてはもうあまり触れない、それは映画の問題でなく私の問題なのだから、悪いところをあげつらって自分を正当化したりもしない、ということなのである。
 ただし、ここでひっかかる。1999年の湯布院で初めて荒井晴彦さんと近しく言葉を交わさせていただいた時、私がキネ旬に書いたことに対し、「<身も心も>が不快であるって、何故不快なのか書くのが批評だろ。それをプライベートな話だから公表する気はありませんって、それじゃ批評じゃねェよ」と言われたのは重く残っている。そして今年は「ファン感覚では駄目」と釘を刺された。この不快に向きあわねばならぬのか、向き合うのが批評なのか。何とも気が重くなってきた。困った、本当に困った映画だ。
 だから、シンポジウムで唯一私が発言しなかったのはこの「ヴァイブレータ」だった。発言も参加費の中だから、シンポジウムは発言しなけりゃ損々というのが私のスタンスで、そう思った経緯は1999年の日記に書いたのでここでは繰り返さないが、その私が沈黙するしかなかった。この不快な気分を胸に発言したら、何を話し出すか分からないからである。
 映画の重さとは裏腹にシンポジウムは和やかに進められた。脚本の荒井晴彦さんが、勝負作という気負いを全く見せず、「原作そのまま写しただけじゃないかって言われましたよ」という軽口を飛ばす。原作よりも時間経過が一日少ないのは何故かという質問にも、「製作費が無くなったんじゃないの」とサラリとかわす。他の質問でも似たような答を何度かして、廣木隆一監督が「荒井さん、あまり製作費、製作費って言わんでください」って合いの手を入れ、重いムードの作品の割には、笑い声に包まれたシンポジウムに終始した。最後に今後の予定として、大西巨人を題材に内務班を取り上げると語った時、荒井さんにキリッとした表情が垣間見えた。
 パーティーでも、不快を抱えていたので、荒井さんとの話の中では作品の内実にはあまり触れなかった。「<赫い髪の女>意識してました?」「20年以上たってるんで、裏を返して女の側から描いてみようって思いはあったよ」「寺島さんは主演女優賞の重要な候補の一人ですね」「目的はそれだけだもん。これは大した脚本じゃないよ。俺、社会派だから」荒井さんはシンポジウム同様の軽い乗りだった。
 「俺は社会派だ」荒井さんは今年この言葉をかなり発した。でも、考えたら荒井さんのフィルモグラフィーで社会派らしい作品は、最近の「KT」(「絆」もその範疇か)くらいである。荒井さんシンパの倉敷のツタヤ店長のOさんは、「だけど荒井さんが男と女のことを描かなかったら誰が書くんですか」と言っても、「黙れ、俺は社会派なんだ」と言い続けていた。また、話の流れの中で私は「俺は学生運動やってたんだ。お前なんかに分かんないよ」と言われた。1999年の最初に近しく言葉を交わさせていただいた時に、私が「所詮、無学歴の叩き上げの人間の心はあなたにわからない」と言ったのを、切り返されたような気がした。
 小川徹さん時代の「映画芸術」の片隅に、20歳の頃に私の写真が載ったことがある。川喜多和子さんのシネクラブで鈴木清順特集を企画し、日活が貸し出しを拒否し、抗議デモに参加した時の写真である。この時、松田政男氏率いる全共斗ヘルメット軍団が大島渚監督と共に雪崩れ込み、一気に抗議運動が静かな市民運動から過激なものへ転換していった日であった。何年か前にその写真のコピーを湯布院で荒井さんに見せ、「奇遇ですね、荒井さんもこの中のどこかにいたんですよね」と言ったら、「俺は行かなかったな」とのことであった。
 24回映画祭パンフレットのプロフィルによれば「在学中に学生運動と映研の二足の草鞋を履いて(中略)除籍後<映画芸術>を手伝い始める」とあるから、当然いる者と私は思い込んでいた。その後、本人のお話では、ピンク映画界からロマンポルノと生活の糧を得て、研鑚の果てに現在の日本を代表する脚本家に登りつめたようである。実は、荒井さんの本当になりたかったのは、脚本家でも映画人でもなかったのではないか。学生運動の延長上で政治家かそれに類する世界に行きたかったのではないだろうか。女を描ける稀有な男の作家という今のポジションは不本意で、もうそれなりに名を遂げ生活も安定し(今のポジションならそう思うのだが)、これからは映画を通じて本当にやりたいことだけをやっていきたい。そんな真情の「社会派宣言」なのではないだろうか。勿論、「昭和の劇」編纂の仕事の中で、笠原和夫氏に深く関わったことも影響していよう。
 勝手ながら、荒井さんの存在が、やけに身近に感じられてきた。映画が好きで好きで仕方なかったが、貧しく義務教育を終えたら自分で稼がねばならず、食うために企業内学校に入り好きでもない電気の仕事で定年まで勤め上げ、関連会社に再就職している私。退職金も貰い遠からず年金の世話になり、経済的にはもうこれ以上も以下もなくそこそこ安定し、低成長の時代に今の会社では地位も給料も下がりこそすれ上がるはずもなし、仕事も大きな責任はないが処理しなければ困る人がいる程度の質・量だけは適当にあり、もういいか、好きな映画の方への比重を重くしていくか、私のそんな心境と重なるのである。(「同い年だからって勝手に結びつけるなよな。そういうの牽強付会・我田引水って言うんだよ」って言われそうだが)でも、再就職してもうあと5年程度しかないのに、親会社時代の栄光を追ったり、親会社に愛嬌振り撒いたり、「アバウト・シュミット」の冒頭みたいにこの期に及んで上昇志向のある人は今も少なくない。多分、それが本当のサラリーマン「根性」なのだろう。いずれにしても荒井さんの「社会派宣言」期待してます。少なくともその方が、私にとって不快な作品は出てこないような気はしますので。
 パーティでは、ここから別のゲストとの別の話題に重点を置き、私は「ヴァイブレータ」についてはこれまでとなる。別の話題については次項に譲る。
 だが、宿に帰っての懇親で、再び「ヴァイブレータ」の話題となる。私は、嫌いな人間には会わないとの同様の精神で、「ヴァイブレータ」の話題にはつきあわなければいいんだが、酒も入っており「何故不快なのか書くのが批評だろ」「ファン感覚じゃ駄目だ」との荒井さんの言葉も重く残っていたのか、話題に参加してしまう。
 「とにかく不快だよな。あのヌラっとした感じが堪らなく厭だよ。俺、シャキッとしたのが好きだから」「ウン、鶴田よりも健サンがいいっていうあなたの好みは分かる気はする」「確かに現代の閉塞的状況で、精神的に不安定で拒食と過食を繰り返してるあんな女いそうだし、その女がダンプの運ちゃんと何日か行動を共にして関係して、生き直せるような気がするって、その心理も濃密に凝縮して描かれてるよ。だから、何だっていうの。あの女31だよ。シングルが今みたいに当たり前の時代でない少し前なら、殆どが二児くらいの母親になってる年だよ。甘ったれてる暇なんてないよ。ホントに不快だよな」
 結局、突き詰めていくと、自分の価値観・人生観に行くしかない。酔いもあって話はあちこちに飛び火してエスカレートしていく。最近感動した「デブラ・ウィンガーを探して」を引き合いに出すことになる。ロザンナ・アークエットが34人の女優にインタビューしたドキュメンタリーだ。女性の社会進出・セクハラ・年齢による制約と、女性を取り巻く問題の縮図が展開されるのだが、とりわけ比重が大きかったのが、家族・子供と仕事・女優業を両立させる悩みだった。彼女達ののたうちまわるような告白を聞き続けている時、私はある思いにとらわれた。現代の日本ではシングルがかなりの数に登る。彼女達もシングルで生きればいいじゃないか。そうすれば、女優業に全エネルギーを注ぐことができ、育児との間に引き裂かれる悩みもないではないか。そこで、私はあることに気が付いた。人間は、親やその他の大人から、膨大なエネルギーを注がれなければ大人になれない生命である。その結果の今の大人が、エネルギーを自分のためだけに使い果たして死んでしまったらどうか。人類は滅亡するということである。彼女達の悩みはまっとうで正当なのだ。そして、私の考え過ぎだと思っていたら、ラストは母の墓参りをするロザンナであった。「あなたは5人の子供を育て、社会へ向かってはその才能を発揮することはなかったけど、ありがとう、おかあさん」という意味のナレーションが被さるのである。私が取りとめも無く思っていたことと、ロザンナの言いたいことは、そう遠くはなかったのだ。
 そう考えると、ますます「ヴァイブレータ」の主人公が不快になってくる。映画でその心理がどんなに見事に濃密に描かれていようと、関係ないことである。「人の道ってどう考えてるんだ。ウダウダ勝手な御託を並べてんじゃねえよ!」と、言いたくなってしまうのである。
 ただ、この私の「デブラ・ウィンガーを探して」についての意見は、聞きようによってはかなり誤解を招く。子供を産まない女は駄目だと言って物議をかもした森前総理の発言と類似に聞こえるからだ。私は別に女性に限って言ってるわけではないし、夫婦は子供を持つべきだと言ってるのでもない。ただ、人は他人に膨大なエネルギーを与えられて大人になるのであり、だからエネルギーの何分の一かは自分のためでなく、次世代のために費やすのが、最低限の人類の義務だと言いたいのである。
 ちょっと脱線する。シングルの多い「映画友の会」でこの意見を表明した時は、ちょっと勇気がいった。森前総理発言の同工異曲とらえられたら、大ブーイングは必至である。幸い、議論は有意義な方向に転がった。「私の職場で子供を産む女性にエネルギーを感じた。でも、それにより産休のフォローなどで負担が増え、反発も感じた。社会環境について考えさせられた」と言ったシングルの女性。「彼女達は女優で名声もある。金もあるから優れたベビーシッターを雇って、良い育児環境はいくらでもつくることができる。名声も子供との生活も欲しいってのは、我儘で贅沢なのではないか」と語った若い男性。「映画友の会」では、私の発言を真摯に受け止めてくれて意見交換の輪が拡がった。湯布院で私の話を小耳に挟んだ人達が、誤解してとらえシングルや子供のいない人はそれこそ「不快」な思いをしただろうか。気になるところではある。
 「あなたの言う自分のためだけにエネルギーを使うのはエゴだというのは分かりますよ。ただ、それも人の自由というものだし、人類レベルにまで広げてまでものを考えなくてもよいと思いますが」と言われ、酔っているせいか、私は小松左京の「果てしなき流れの果てに」を引き合いに出し、さらに話をエスカレートさせてしまう。
 「主人公が時空を越えて人類存亡の闘争に巻き込まれるんですね。ある時、恋人と寝るわけです。カーテンの隙間から星が見えるんです。今、自分は目の前の女の肉体に夢中だ。でも心は、自分の肉体の外に1ミリも出ることはできないし、女の心の中の本当のところもわからない。外に見える星の光、あれは実際には何千光年の彼方だから、今発した光ではない。あの星はもうないかもしれない。肉体から1ミリも外に出られない心が、人生の何百倍もの時空に思いを馳せることが可能だ。人間って何なのだろう。そんな件りがありました。私は感動しましたね。ただ、毎日生きていくうえで、人類なんて概念は何の役にもたたないし、自分の人生全体からみればスパンが長過ぎて関係ない。でも、そういう自分に関係ない部分に想像力を広げることができる、それが人の素晴らしさじゃないんですか。私はそこに人間の価値と美しさを感じます」
 酔っていたせいか、随分と乱暴で飛躍した意見ではあったが、ただ、人の想像力に美と価値を見る私の考え方はそのとおりである。私はSFが好きだが、強引にいうならば優れた芸術はすべてSFだと思っている。SFを「感覚の解放」と言い換えればわかってもらえるだろうか。例えば私にとっては夏目漱石の「吾輩は猫である」は立派なSFである。
 「ヴァイブレータ」は不快な人間が出るから、不快な映画と感じたというのは、実は正確ではない。不快な人間だけを問題にするなら、翌日の「昭和歌謡大全集」には、無為に過ごす若者集団やバツイチ有閑マダム的おばさんグループ、私が不快に感じる人間が大挙して登場する。でも、こちらの映画は爽快だった。バイオレンスの拡大の果ての感覚の解放があるからだが、詳しくは項を別に改めてということにしたい。
 それにしても、好きな映画を論じる過程で話題がどんどんエスカレートするのは楽しいが、不快な映画の不快な理由を考えてエスカレートするのは、やっぱり後味が悪い。それをするのが批評?やっぱり俺は「ファン」でいいのかなあ。

●最近の映画の傾向と編集シンポジウム先取り
 最近の映画の傾向と搦めて、「新・仁義なき戦い/謀殺」の橋本一監督に是非聞きたいことがあった。二日目のパーティーでは不快な「ヴァイブレータ」の話題はそこそこに、橋本監督に近づく。
 私は、シーンの最初はロングから入り、アップへと繋いでいく映画演出が好きである。ロングによる全体像を目にすることで、続くアップの時もスクリーンの外にまで広がる空間を感じるからだ。映画の醍醐味である。「鳳城の花嫁」は入城する行列・場内の馬術訓練と、広大な城中をタップリ見せてから大友柳太朗以下のアップに移行するから、スクリーンの外に広い城中のスケールを感じる。鷹狩の山中をロングで見せてから松平斎厚のアップに続く「十一人の侍」も然りである。「仁義なき戦い」の第一作も、熱気に溢れた闇市をトップでロングで見せるから、菅原文太等のアップに続いても、スクリーンの外にまで溢れかえる戦後の焼け跡の熱気を感じる。
 でも、最近の映画はアップから入るものが多い。「三代目襲名」と「新・仁義なき戦い/謀殺」が、その新旧の映画の傾向を典型的に表していた。。冒頭で刺客が親分を襲うというところが両作とも共通しているが、旧作の「三代目襲名」の方は祭りの雑踏をロングでとらえた後に、汐路章の刺客にカメラが寄っていく。しかし、「新・仁義」の方は、いかにも現代の映画らしくアップから入る。物陰にかくれて獲物を待つヒットマンから緊張の汗が吹き出しているドアップがファーストショットだ。この傾向の変化は何なのだろうか。確かに二次利用まで考えれば、ブラウン管ではロングショットは効果的どころか間延びした感じを与える。それも関係あるのかどうか。
 この質問に橋本監督は、次のように答えてくれた。「私は、アップでもっていきなり観客をドラマに引き込みたいと思ってます。今回に限っていえば、ロケ地の条件でカメラをあまり引けなかったということもありますが」とのことであった。ただ、製作条件が厳しくなり、なかなかロングに引けなくなったということはあるそうだ。
 「ロングからアップへと繋ぐというのは、編集者の基本のセオリーとしても教えられますよ」編集の米田武朗さんが話題に加わって下さる。「だからこそ、新しい編集に挑戦してみようとの気持も起きるのですが」ということである。編集というのは、我々ファンという部外者の立場だと、どうもよく分からないところがある。明日の「冨田功シンポジウム」を先取りして、編集を話題にしようと思い立つ。
 実は、編集に関しては、懐かしい思い出がある。20代前半の頃、誰の口利きかは覚えていないが、とにかく映画友の会の若者(私もその頃は若者である)3、4人で、編集マンの浦岡敬一さんの編集室にお邪魔したことがある。浦岡さんは、親切に応対してくれ、自らフィルムをカットしムビオラで見せることまでしてくれた。汽車が走るロングのカットに続き、次に風景が映り右側から汽車が走り込んでくるというカットの繋ぎである。最初は風景に汽車が走り込んでくるまでの時間が長い。「文芸映画の感じでしょ」、次に「まあ、ちょっと切り方はラフですが」とおっしゃって2カット目を何駒かバサリと切って繋げて見せる。カットが変るとすぐ画面に汽車が走り込んでくるように変化する。「ね、アクション映画の感じになったでしょ」、その手品みたいなテクニックに我々は唖然としたものだ。
 ストップモーションというと、次の駒で止めると思っている人が多いが、それだけではない。深作欣二監督は「軍旗はためく下に」では何駒か飛ばした後の駒をストップモーションとして繋げたから、ダイナミックな感じが出たとか、興味深い話も聞かせていただいた。
 そんな話を米田さんにして「浦岡さんはご存知ですか」と聞くと、「編集者協会を作って、編集者の地位を向上させた大先輩です。高齢で引退されましたが。それにしても、あなた素晴らしい経験しましたね。私が体験したかった」とうらやましがられてしまった。「そういえば外国では、編集者はエディターのタイトルで1枚ですね。日本では<青幻記 遠い日の母は美しく>の浦岡さん以外ではそんな例はないと聞いています」と私、しばしの編集マン談義となる。
 「編集に詳しく細かく指示を出す監督もいますし、逆に詳しくない人には何駒切るとかいっても理解されにくいので、<深作調>でとか<小津調>でとか言うと、分かりやすいことがありますね」などなど、思いがけず明日のシンポジウムのレクチャーになり、私にとって有意義なパーティーとなったのであった。(2003.9.25)
●ここでお詫びを
 「懇親会でのデスマッチ」のエピソードで、御意見をいただいた。反響があるのはうれしいことだが、人様に迷惑がかかるようでは、悦に入ってはいられない。<常連の一人が「切れたー!」と騒いでる>以下の件りである。あれだけでは「事実誤認」になりかねないとのことだ。確かに<毎晩、そんな話に関わりたくないので、私はソッとその話題から避け>たのであるから、事実の詳細も知りようがない。<実行委員会内部・実行委員と参加者・参加者内部といった具合に確執のパターンがすべて出揃った>という文脈の語呂で、ついつい便利に使ってしまいました。事実はかなりちがうようで、その事実もあまりよく知らない。よく知らないことを書いてしまい誠に申し訳ありませんでした。今回の日記は自分探しの旅も兼ね、結構、身も蓋もなく書いてやろうとおもってますが、あくまでそれは自分自身のことに限るべき、人様のことまでフライングしてはいけません。反省いたします。
 ついでに、もう一つ、この日記は著名人以外は匿名で(著名人は有名税ってもんがありますもんね)、一般参加者は古株とか常連とかの表現を使ってますが、何を定義に使い分けてんのと言われると、これもはたと困る。文脈の流れの中で調子がいい方を使ってるだけです。「古株」という表現が自分だと思い当たって気に触った方がいたら、これも御免なさい。(2003.10.1)
●映画を製作する映画祭の話 隠れた名作「風の見える街」のこと 五日市映画祭の思い出
 映画祭三日目は「日本映画職人講座 編集マン 冨田功の人と仕事」、上映作品は「僕らはみんな生きている」「宇野鴻一郎の濡れて打つ」幻の未公開ヴァージョン「櫻の園」に続いての「冨田功シンポジウム」だが、「濡れて打つ」に先立って湯布院映画祭実行委員会製作、1998年度作品「ゆふいんの夜」が上映される。舛田利雄監督の下に、原田芳雄・荒井晴彦が両助監督という豪華版だ。ただ、上映時間4分30秒、記念撮影風アトラクションという軽いものではある。
 湯布院も後2年後に30回、30周年を記念して、あくまで噂の域を出ないのだが、本格的な映画製作をするとかしないとかということを小耳に挟んだ。そこで、このコーナーでは、私の知る範囲での「映画を製作する映画祭」の話題と、私が隠れた名作と思っている映画祭製作作品「風の見える街」について紹介すると共に、五日市映画祭の追憶と少々戯れてみたい。
 映画を製作する映画祭は、私の知るところ二つである。五日市キネマ団なるアマチュア製作集団を有する東京都下の五日市映画祭(現・あきる野映画祭)と、若手映画作家に製作の場を与える大阪の伊丹映画祭だ。1994年に日本でただ二つの映画製作する映画祭ということで、五日市映画祭会場で両映画祭の二人の監督がエールを交換したのだから、多分間違いないだろう。
 伊丹映画祭は、現在はプロとして活躍している三原光尋監督の1993年製作の「真夏のビタミン」、今思い出すと女の子版「ウォーターボーイズ」といった趣で、コテコテの関西弁の元気印の女子高生が躍動する。16ミリの中篇だが、94年に東京の中野武蔵野ホールで劇場公開もされた。
 あきる野映画祭の方は、PFF入賞の実績があり映画祭実行委員で、五日市役場(現・あきる野市役所)職員の小林仁監督が、1993年に製作した「風の見える街」。95分35ミリの本格的な作品だ。(なお、あきる野映画祭はフィルムコンテスト、通称フィルコンを併せて開催するのも特徴の一つである)スタッフはすべてアマチュア、都下八王子市在住の斎藤耕一監督が技術指導し、出演者は女優つゆき由美を除いて全員が五日市町の住人。つゆき由美が毎週末に五日市に通って、休日を利用して完成したという作品である。(斎藤監督は銭湯の主人という役でも出演し、渋い名演を見せる)地元の斎藤耕一監督は、湯布院で言えば荒井晴彦さんのような存在だろうか。欠かさずゲスト参加され、スケジュールが許す限り自作の最初の特別試写はあきる野映画祭で上映するという支援者である。
 「風の見える街」は、都心に住む若い娘のつゆき由美が、バイト代の割がいいので老婆のホームヘルパーとして五日市町を訪れる話である。しなびた駅、さらに奥多摩の山奥へと向かう。「ウソーッ、本当に東京なの?ここ、東北地方じゃないの」首都圏のすぐ郊外にある過疎の地、ボケ老婆の世話をしながら、地元の人達と交流し、老人介護問題を中心に、首都圏に隣接して存在する過疎の問題が、堅苦しくなくメルヘンタッチで爽やかさを維持しつつ展開する。
 素晴らしいのは地元の人達のナチュラルな演技、ボケ老婆を演じた山下タネさん(本当は全くしっかりしているそうだが)は助演女優賞物の名演である。そういう中に一人だけプロの女優を置くと、つゆき由美が素晴らしく輝きを見せる。都心からやってきた若い娘という輝きだけでなく、スターのオーラみたいなものまで感じさせてしまう。実にうまい設定の映画だ。
 あきる野映画祭は、都下のあきる野市開催であるから、湯布院のように泊り込みではない。お目当ての映画を目指して、東京近郊から日帰りで通う人達で賑わう。「ドラえもん」などの人気アニメ上映時は近隣からつめかけた親子連れで満員になる。1日幾らで出入自由というチケットであるが、ベタでいる人は少なく、作品によってガラリと客層が入れ替わってしまったりする。
 ただし、第10回の節目の1994年と、五日市町と秋川市が合併し、あきる野市誕生を記念した1996年には、秋川渓谷で一泊のキャンプが開催され私も参加した。つゆき由美さんは93年以降のゲストの常連で、キャンプでは「劇場公開されたら、主演女優賞いけますよ」なんて私もヨイショしたりした。つゆきさんは、その後歌手の方に活動分野を広げ、1996年のキャンプでは歌も披露したりしていたが、結局平均的女性の幸福を求めたようで、2001年の映画祭で主婦となり母となった姿で挨拶していたのは感慨深かった。
 斎藤耕一監督夫人は、「紀ノ川」でデビューした有川由紀である。結婚して引退したのだが、94年のキャンプでは知る人が殆どいなかったのをよいことに、私が独占状態で懐かしき映画談義に耽ることができた。私と同い年位だが、まだ十分に美しかった。「紀ノ川」公開の1966年、私は19歳で変電所の機器を点検し、それこそ額に汗して油に塗れた生活だった。唯一の楽しみの休日のスクリーンの向こうに眩しく有川由紀さんが輝いていた。もし、現在の私がタイムマシンで過去の自分に、「約30年後、あの有川由紀さんと秋川渓谷のキャンプ場で親しく言葉を交わすことになるよ」と伝えても、絶対に信じないだろう。元「週刊ファイト」編集長井上義啓氏(この人のプロレス論はもう哲学です)の名言、「時間という名の魔術師」というのは、本当に存在するのだと痛感した。
 「風の見える街」は、白井佳夫さんが「東京の(中略)田舎(中略)から素朴で爽やかな自己主張」「新しい風を予感」「ういういしい作品」「日本映画の未来に(中略)期待がもてる」との賛辞を寄せ、1995年に都下の立川シネマシティで公開されて、一般映画としても認知された。その後、どの程度公開されたかは知らないが、同年のキネマ旬報ベストテン選考のコメントで三留まゆみさんが「ベストテンからはみ出しちゃったけれど(中略)未熟な部分はあるけれど小林仁監督の熱意を買う」と記していた。(ちなみに「真夏のビタミン」は1994年の61位であった)。いずれにしても首都圏の過疎・老人介護の問題を描き、映画史の中に五日市町・秋川渓谷の存在を刻んだことは間違いない。再開発で立派になってしまった武蔵五日市の駅を見るにつけ、若き日のつゆき由美さんが初めて下車する今やスクリーンの中だけにしか存在しない「風の見える街」の旧武蔵五日市の駅舎は、それだけで貴重な記録であると感じるのである。
 どこまで具体的な話かどうか知らないが、もし湯布院映画祭が本格的な映画製作をするのなら、多分荒井晴彦さんあたりが中核になろうが、湯布院ならではの存在を大きく映画史の中に刻んでほしいと思う。
 以上、湯布院映画祭映画製作の噂にひっかけて長々と、私はいずれどこかで大々的に評価しておきたかった「風の見える街」の存在の紹介、及びあきる野映画祭のキャンプの追憶と戯れてみた(有川由紀さんと親しく言葉を交わしたことを懐かしく喜んでるなんて、やっぱりおまえは「ファン感覚」を越えないよなと、どこからか声が聞こえてきそう)。(2003.10.1)
●冨田功シンポジウム 編集者に個性はあるか?
 「ゆふいんの夜」を間に挟んで、「僕らはみんな生きている」「宇野鴻一郎の濡れて打つ」「櫻の園」と3本の冨田功編集作品が上映され、シンポジウムへと続く。パネラーは滝田洋二郎・金子修介・中原俊の上映作品の3監督と、「僕らはみんな生きている」のプロデューサー小林壽夫、そして冨田功夫人で編集者の冨田伸子といった豪華版だ。
 シンポジウムの開始までの雑談で、幻の未公開ヴァージョン「櫻の園」がもっぱらの話題になる。「どこが違った?」「あそこのシーン、前は無かったんじゃない?」「いや、あったと思うよ」「あの場面はもっと短かったでしょ」「同じだったみたいだけど」結局、パネラーの説明ではシーンを一箇所入れ替えた程度で、もう一度昔の公開バージョンを見直さなければ違いが分からない程度のものであった。十数年以上もたてば、記憶も曖昧になるものである。
 さて、編集とは映画にとって、どういうものなのか。我々素人にはよく分からない。パネラーの誰かが、映画の最初の観客であると表現する。何となく理解できるが、もう一つである。監督は撮影中も、編集のことを念頭においている。では、編集者の役割はどこにあるのか。そこで、「編集者に個性はあるか?」というのが焦点になった。答えは「ある」ということだった。冨田功さんは独自の編集技術を有し、監督が触発され撮影フィルムの力以上のものが引き出されることもあったそうだ。逆に監督の意と異なる編集になり、「あのカット使ってないけど、どうしたの?って聞いたりしたな。冨田は自分に気に入らないフィルムを隠したりするんだよね」「え、私の時はそんなことなかったな」「俺、相性が悪かったのかな」と、そんな監督相互のやりとりもあったりして、会場は笑いに包まれた。
 私は「濡れて打つ」で、主人公と憧れのお姉さまの対話をモノクロスチールで処理し、声だけかぶせた点を金子監督に聞いてみた。シナリオ段階からあったのか、編集段階の処理なのか、そうだとしたら監督のアイデアか冨田さんのアイデアなのか、ということをである。これは、監督のシナリオ段階からのアイデアだったそうだ。「<仁義なき戦い>でスチールショットに会話が被さるのが、贅沢な感じで好きなんですね。自分が監督になったら絶対やってやろうと思って、最初からスチールとして撮って編集しました。ところで深作さんはどうだったんですか?」と、急に参加者席にいた東映編集マンの米田さんに振られる。「深作さんは、実写として撮影したものから、スチールを起こしてました」と米田さん。「本当の贅沢なんですね」と金子監督。深作映画の豊かさの秘密を垣間見た思いであった。
 北野武監督が編集・監督のタイトルを出しているのも話題になった。「本当に編集しているんですかね」「指示を出すだけで繋ぐ人は別にいるんじゃないですか」「それなら我々だってやってるよ」というのが、出席された監督の話であった。
 結局、編集とは何ぞや、分かったようで分からない。長いサラリーマン生活に鑑みて、私は次のように愚考した。課長発信文書は課長が作るわけではない。副長なり主任なり担当者なりが作る。良ければそのままハンコをついて承認され、それは課長名の正式文書となる。駄目なら課長が修正を指示する。場合によっては、課長自ら書くこともある。作成者の力量によっては課長の力量を超えた良い文書になることもあろう。課長を監督、副長以下がスタッフで、その中の一人が編集者、そんな風に考えたら検討外れだろうか。パーティー席上で、編集者の誰かに聞いてみたかったのだが、三日目のパーティーで聞きそびれ、最終日は編集者の方は全員帰っていた。ちょっと残念である。

●特別試写「昭和歌謡大全集」と龍平クン・フィーバー
 三日目の特別試写「昭和歌謡大全集」のゲストは、主演松田龍平に鈴木光プロデューサー。松田龍平のゲストは本映画祭最大のハイライトだろう。前日に実行委員の横田さんに声をかける。「警備体制は万全ですか」「何のことですか」「松田龍平が<御法度>でキネマ旬報新人賞に選考された時、表彰式に前日から20人位の泊まり込み組が出て、会場の朝日ホールはビックリするし、キネ旬史上始まって以来のことだったそうですよ。表彰式程度でそれですよ。今晩あたり徹夜組が出るんじゃないですか」「いやだなあ。脅かさないで下さいよ。だけど、ここは東京と違って田舎だから」「でも、湯布院っていったら、九州の軽井沢とか清里とか言われて、若い娘の人気観光スポットですよ。この機会に来てみようって娘が、大挙してつめかけてもおかしくはないですよ。そんな動きありませんか」「パーティーに出るんですか?なんて問い合わせはありますけど、わかりませんって答えてますけどね」私としては情報提供のつもりだったけど、脅かしちゃったかなあ。心なしか、横田さんの笑顔がひきつってたみたい。
 徹夜組を説得しお引き取り願ったということがあったかどうかは知らないが、当日は開映のかなり前から長蛇の列になったのは確かだ。全日券の我々は優先入場だから心配することはないのだが、それでも煽られてしまい、そちらの列も早めに長蛇となった。最終的には補助席もビッシリの超満員となったのである。
 自分たちだけの孤独なコスプレコンサートをやっている松田龍平・池内博之・安藤政信らの無気力少年チームと、バツイチで有閑マダム生活を貪っている樋口可南子・岸本加世子・鈴木砂羽らのカラオケ大好きオバサンチームが、ひょんなことから壮絶な殺し合いに至るお話である。話だけ聞くと、現代の閉塞状況を象徴した「ヴァイブレータ」同様、私にとり不快の極みの主人公の同類が大挙して登場し、不快な愚行を展開する正に徹底的な不快映画になりそうだ。だが、映画は実に爽快だった。
 またまた誤解を恐れずに言うが、無気力に過ごし衝動殺人に走る少年は論外だが、バツイチおばさん連中も、私には人格欠損者の集団としか思えない。現代は、嫌いな人間と一緒に暮らすことはないと、バツイチに寛大で、昔のように社会から白い目でみられることはないが、やはり私は人格欠損なのだと思う。育ちも性格も価値観も異なる他人が、まして性まで違う二人が共同生活をすることは大変なエネルギーを要することで、それを回避してエゴイズムを全面に出したら、バツイチに至るしかあるまい。昔はモラルがそれに歯止めをかけ、ある部分は耐えたり妥協して折り合いをつけていった。そこに人としての節度と、強いては美があると思う。まちがってもらっては困るが、ここでも私は女性だけを問題にしているのではない。男女双方の問題として言っているのだ。
 最近、TV放映で「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」を再見した。寅さんの世界の人情は、時が移ろい時代が変わろうとも永遠不滅だと誰もが思っていたが、そうでないことに気が付いた。21世紀の現代では、完全に「時代劇」と化していたのだ。タコ社長の娘・美保純演じるアケミが、夫婦仲が悪くて家出をし、寅さんが呼び戻しに走ったりして、よってたかって元の鞘に戻す話である。二人がやりなおして愛を確認しあうならともかく、ラストでも夫は相変わらず仕事に追われ妻の方を向いていない。今なら、何で別れないの、別れちゃえば、で終わりだろう。夫婦を維持するためにはエネルギーを注ぐべきであるとのモラルがなくなった現代では、完全にこれは「時代劇」的結末としかいうしかない。
 寅の方は、例によってミイラ取りがミイラになり、アケミを連れ戻しに行った式根島の先生の栗原小巻に恋をする。その栗原は、いい人だが冴えない子持ちやもめの川谷拓三と結婚を決意し、「いい人だと思う。でも、これで身を焦がすような恋の情熱は、永遠に封印するのね」と、寅に告げて去っていく。今なら、不倫でも離婚でもすりゃいいじゃないか、「永遠に封印」なんて大袈裟だよ、で終わりだ。ここでも「男はつらいよ」は、夫婦を維持するためのエネルギーは善だというモラルが存在した時代の「時代劇」なのである。
 「男はつらいよ」の世界に心地良さを感じ、それが「時代劇」と化してしまった21世紀を憂う私。多分、私はのモラル感はガチガチに古いのかもしれない。「ヴァイブレータ」を不快とする根底はそれなのだろうか。
 その古いモラル感の私が、不快と感じる集団が登場する「昭和歌謡大全集」を、何故爽快に感じたか。リアルに殺し合いを演じられたら、これはもう不快の極みだっただろう。ところが、この映画は暴力のエスカレートの果てに、次第にシュールな世界に飛翔してしまう。筒井康隆の初期の短編のようにである。刃物から始まった殺し合いは、少年がトカレフを持ち出すと、オバサンは自衛隊から闇でバズーカを入手して報復する。ついには核兵器が調布に炸裂する事態に至るのである。ここまで非現実に雪崩れ込むと、現代の閉塞状況を吹き飛ばしてしまう爽快感へと通底する。少年が訪れる金物屋の店主・原田芳雄が、「トカレフ?あるよー」「原爆?あるよー」と何でも出してしまう快演は痛快だ。
 「ヴァイブレータ」で不快の原点を考えたのだから、「昭和歌謡大全集」の爽快の原点も、これから考えていかなくてはなるまい。爽快な映画を語り合って、話題をエスカレートさせていくのは、楽しいものである。残念ながら、この後、女子高校生らしき二人組と行動を共にしたり、次項で述べるがおもいがけないゲストに出会ったり、前の項で述べたが、宿に帰ったら実行委員への不満を聞かされたりとかで、結局湯布院ではこの映画についてあまり語り合えなかったのは残念だった。公開はこれからなので、東京へ帰ったら映画の友人と是非この映画について、意見交換をしてみたいものだ。
 ただし、意見交換は、映画を評価する人とに限る。評価しない人は、たいがい自分を高みに置いて、いかに映画の方が駄目かをクールに論理的に得々と語るのが多いからだ。そんな人に対して、何故良いか私が言い訳めいたことを言っても不毛であるし、そんな義務もない。映画というのは評価するもの同志で話題をエスカレートさせ深めていくのに限る。きっと、「ヴァイブレータ」の不快探りのエスカレートよりも、遙かに有意義な爽快探しの旅があると思う。
 「昭和歌謡大全集」の題名のとおり、ここでは懐かしのヒット歌謡曲が、効果的に使われる。オバサン達が最初の犠牲者の葬式で合唱する「星の流れに」は、彼女達の心情を鮮やかに表現する。。オバサンを殺した時「チャンチキおけさ」が聞こえたという少年、自分が殺された時にもいまわの際にそのメロディーが聞こえる、「チャンチキおけさ」は本当は寂しい歌なんだという異化効果がユニークだ。トカレフ殺人に絶妙にマッチする「港のみえる丘」。そしてキノコ雲にかぶさる「また逢う日まで」誰しもが「博士の異常な愛情」を思い出し「ヤッター!」と拍手喝采したくなる。 タイトルに使われた曲は8曲、半数の4曲が決まっているのだから、合格点といえるのではないか。冒頭の「恋の季節」は松田龍平のピンキーのコスプレを見せるのが狙いならば準合格。「錆びたナイフ」もおっさんが懐かしむナツメロ代表と考えれば、これも準合格か。「骨まで愛して」と「君といつまでも」だけが、どんな歌とも差し替え可能のような気がするが、このように見ると総合点では歌謡曲の扱いは合格だろう。
 上映終了、シンポジウムに入る。多数の参加者が予想されるので、会場をいつものように2階に移動せず、引き続いて広いホールでの開催になる。ただし、全日券以外の人は、いったん退場し参加費を払っての再入場である。「席取っといてもらえますか」隣に座っていた若い娘二人組に頼まれる。「昨日、物を置いて退場しないようにって実行委員が言ってたから注意された時は仕方がないけど、いいよ」結局、席はそのまま確保できた。実行委員の方、ルール違反だったら御免なさい。
 「松田龍平がお目当て?」「ハイ、龍平クン、見に来ました」(以降、私も呼び捨てにできず、龍平クンと言うようになる)「どこから」「東京からです」「シンポジウムで発言するのも参加費のうちなんだから、遠慮しないでドンドン発言した方がいいよ」とアドバイスする。
 龍平クンと鈴木光プロデューサーを迎え、シンポジウム開始となる。司会はエースの伊藤雄委員長。大変だなあ、御同情申し上げるなあ、若い女性ファンの挙手が集中し、「私が先に挙げたのに、ひどーいっ」なんて騒ぎにならないだろうか。と、思ったら意外や龍平クンファン、全く静かである。発言は、もっぱら常連・古株のいつものメンバーのみ、それも監督がいないから、あまり盛り上がらない。私は、前述した感想を要約して発言し、隣の女の子に「ほら、こんな風に、チャンスだよ、龍平クン、すぐそこにいるんだから、聞けば答えてくれるんだから」と促しても、「いえ、皆さん、難しいことおっしゃってるし」と引っ込み思案である。確かに常連キューブリックさん(苗字と名前を音読みにするとキューブリックさんになる人がホントにいるんです。どんな字なのかはご想像下さい)は、ラストシーンの所でスタンリー・キューブリックを引き合いに出したりはした。でも、監督がいないと、常連だけの発言ではアッという間に行き詰まってしまう。場内は沈黙の間が多くなり気まずくなってくる。「無ければやめますよ」ついに委員長の爆弾発言が出る。「ほら、終わっちゃうよ、何でもいいんだから、映画にからめて適当な質問して、ついでですけどとか言って、好きな食べ物なんですかとか、本命の質問を付け加えちゃえばいいんだから」と、おっさんは海千山千の悪知恵をつけるが「でも」とかいって、本当におとなしい娘たちである。
 結局、やめられちゃ困ると、常連が代わる代わる「二度目で恐縮ですが」と発言を重ね引っ張る羽目になる。私も鈴木プロデューサーが「映画を見ただけではダイジェストなので原爆は作れませんが、実際に全部の手順を踏めば作れるようになってます」との発言に対し、「<太陽を盗んだ男>では原子力発電所にプルトニウムを盗みに行きますが、この映画ではそんな描写もないし、プルトニウムもウランもなくて、原爆って作れるんですか」と、どうでもいい質問をする。この映画の通称「原爆」は「貧者の原爆」と称されている大量破壊兵器で、厳密には核兵器ではないそうだ。
 シンポジウムも終盤に入り、やっと昭和58年生まれと称する龍平クンファンらしい女性から発言があった。出てきた歌謡曲の殆どを知らなかったので、よく分からない所があったとの感想だった。私も二人連れの娘に聞いてみたら、「君といつまでも」がかすかに聞いた記憶があるだけで、後は知らなかったそうだ。少年が死の淵で「チャンチキおけさ」のメロディーを聞くというのは、ちょっと無理があるみたいである。いずれにしても、もっと早い時期に龍平クンファンの若い娘の発言があれば、それにつられて発言が続いたやも知れず、シンポジウムはもう少し盛り上がったのにと思うと残念だった。
 「パーティーには出るの」「ええ、どこなんですか」「ちょっと歩いたところ、じゃ、いっしょに行こうか」「龍平クン、出るんですか」「実行委員の人がわからないって言ってたけど、この時間なら今晩湯布院に泊まるのはまちがいないし、出るんじゃないかな。それにしても、もっとキャーッとか騒ぎになると思ったら、みんな静かだったね」「騒ぎになんかなりません。龍平クン、アイドルじゃありませんから、カリスマですから」なるほど、カリスマか。TVなんかにあまり出てほしくないとも言っていた。確かに龍平クンはミニシアター系の映画が活動の中心であるようだ。
 道々歩きながら、パーティーのコツなどを話して知恵をつける。「龍平クンあたりのスターになると通用するかどうかわからないけど、まずゲストがステージで紹介されて乾杯するの。それからゲストがフロアに降りてきて懇親になるんだけど、有名人って自分から動けないわけね。参加者も始めのうちは何となく遠巻きにするだけだから、ゲストの人って、意外と始めの頃はポツンと寂しそうなの。だから、乾杯終わったら、すぐお目当てのゲストに話しかけちゃうのね。ゲストの人もホッとした感じで話に乗ってくるわけ。そのうち他の参加者も大勢群がってくるから、そうなってからでは遅いわけよ」
 そうこうしているうちに、会場の麦酒館に到着する。「パーティーは飲み放題・食べ放題だけど、この会場の地ビールだけは2杯目から有料なのね。1杯目の引換券もらってるでしょ。乾杯用にまず地ビールもらってさ」と言ってカウンターに向かうが、二人の娘はその手前でヒソヒソ・モジモジしている。「どうしたの、あ、未成年(ここで高校生かなと認識する)、大丈夫だよ、おじさん先生じゃないし、旅先ならその位いいと思うよ」「ハイ」とか言いながら、カウンターの前を言ったりきたりして、結局ウーロン茶のカウンターに行った。今時は、中学生でもビールくらい飲む不埒なのがあたりまえのご時世に、真面目な娘たちである。
 残念ながらパーティーの進行がいつもと若干異なり、おじさん伝授のパーティー心得は通用しなかった。最初に龍平クンがステージで乾杯の音頭をとったが、取材が入ってるとかで、そのまま中座してしまう。以降はいつもどおり、ステージ上で他のゲストを紹介、ゲストがフロアに降りてきた。「龍平クン、もう戻らないのかしら」、不安そうな二人組。「ウーム、何とも言えないなあ。そうだ、委員長の顔知ってるでしょ。シンポジウムで司会してた人、多分龍平クンに付きっきりだから、その人の顔がパーティーで見えたら、取材は終わったと思っていいから、そのタイミングで会場をキョロキョロしてみたら」と、あまりに心細い表情なので可愛そうになり、そんなアドバイスをする。
 そんな時、次項で詳細は記すが、ゲストとしているはずのない友成純一さんがいるので仰天し、私は近付いて色々話をする。一段落したら会場に伊藤委員長の顔が見えた。早速娘二人組に知らせようと見回したら、近くにいてニコニコしている。「ありがとうございました。さっきの話聞いてたんで探したら、龍平クン、入り口近くに来てました。それ以上中に来ないで帰っちゃいましたけど、握手できました」と感激している。折角湯布院まで足を延ばしたのだから、人ごとながら私もよかったよかったと思う。
 もっとも、龍平クンとファンとの接触は、人によって運・不運の差が激しかったようだ。2ショットに成功したなんて娘の話も聞いたし、翌日の朝食時に近くにいた娘は、付き人(男女各2名の4人位いたそうだ)に阻まれて手紙も渡せなかったと嘆いていた。「パーティーでサイン頼むのはマナー違反だって知ってますからお願いする気ありませんでしたよ。でも、手紙渡すくらいは、湯布院のパーティーはオープンだって聞いてきたのに」と悔しそうだった。「まあ、お父さんの松田優作はオープンな人だったから、彼もまだ20歳だし、そのうち付け人の言いなりにならないように自分を主張するんじゃないの」近くのおじさん連中、慰めともつかず、そんなことを話したのであった。
 それにしても、どこから来たかにもよるが、湯布院参加は若い娘たちにとっては、結構半端な出費じゃなかったと思う。節度あるおとなしいよい娘が多かっただけに、もう少し心残りが出ないようにしてやれなかったのかなという気持に私はなった。唯一の救いは、非難は付き人に対してで、実行委員に向けられていなかったことである。
 話は当日に戻る。それやこれやでパーティーは散会。「皆さんはいっしょのところに泊まるんですか」と二人連れの娘。「うん、おじさん達、宿に戻って、これからまた大宴会だよ。君たちどこなの」「決めてません。これから探します」一瞬私は絶句した。時間は夜中の12時近い。ここは東京の新宿じゃない。湯布院である。「あ、ちょっと委員長に話してあげるよ。委員長が宿知ってるわけじゃないけど、顔広いだろうし、ここには観光協会の人も沢山いるみたいだから」「いいです。私達で探します。お金、そんなに持ち合わせてないし」「だったら、むしろここなら予算を言えば適当な宿を紹介してくれるんじゃないの」「いいです、いいです」と急に後ずさりして散会者の人混みに紛れて消えてしまった。湯布院の町で夜中の12時に、どうするつもりなんだろう。駅にでも泊まったということか。いずれにしても、翌日以降に若い娘二人組が関係した不祥事はなかったようだから、何とかなったのだろう。真面目そうな娘達だったんだけど、やっぱり最近の娘はよく分からない。
 翌日、横田さんに「無事終わってよかったですね」と声をかける。横田さんホッとしたようで満面に笑みを浮かべ「そうでしょ、あなた、脅かすんだもの。東京と違うんだから、騒ぎなんて起きないですよ」「いや、私も認識不足で。昨日若い娘に、龍平クンはアイドルじゃなくカリスマだから、騒ぎなんて起きませんって言われましたよ」いずれにしても、華やかなスターの中から、結果として湯布院に相応しい適切なゲスト選定をしたということのようだ。(2003.10.4)
●友成純一さんが来ていた!
 時間はやや遡る。娘二人組みに、「委員長を目印に龍平クンを探しなさい」とアドバイスした直後、何と!視線の先にいるはずのないSF作家で映画評論家の友成純一さんがいた。昨年の日記でも記したが、昨年は私が活弁講演で途中帰京したこともあり、映画評論家の磯田勉さんから、元気だったとの情報を得たのみで会って話ができなかったのである。
 友成さんのことが気になっていたのは、SFマガジンで「人間廃業宣言」という恐ろしいタイトルの90年代ホラー映画論を連載しており、巻末の執筆者紹介で近況報告が記してあるのだが、一昨年の湯布院以降あたりから書いてることが半端でなくアブないのである。いくつか紹介すると、ザッとこんな感じだ。「この五月、人間廃業状態に陥った」「神経がおかしくなって−自立神経失調症になって、アル中ですな、アル中、要するに」
 ところが、今年のSFマガジン8月号連載では、ついに本文のディッビッド・クローネンバーグ論で、クローネンバーグそっちのけにプライベートな苦衷が延々と述べられている。離婚し子供の養育をめぐっての両親との確執。「一種の鬱状態(中略)飲んでも飲んでも、ますます滅入るばかりで眠れない」「三度の結婚と三度の離婚を繰り返し(中略)娘をめぐってのゴタゴタが未だに続いている」「はっきり言って、狂った。もはやアルコールでは追い付かず(中略)おクスリの力で何とか正気を保っている」「今仮に私が両親を殺したら、中学生の頃から不良化し、反社会的な活動に加わり、三回も結婚と離婚を繰り返した挙げ句、零落れて親元に逃げ帰ったアルコール依存の男が、ついに年老いた哀れな親を殺したという、凶悪きわまりない事件として報道されることになるだろう」なんて書いてるんだからおだやかでない。その後に「こんな精神状態に陥ると、クローネンバーグの映画が妙に判りやすい」って、そりゃないよね。娘が読んだら「これ自殺のパターンだよ」って、オイオイ、今年は湯布院でお会いできるのかなあ、無理かなあ、と気にかかっていたのである。そうしたらSFマガジン9月号の近況では「八月一杯まで、娘を連れてバリ島、娘は母親とバリで、私は一人、スラウェシかフローレスを転々」となっている。そうか、外国に行って娘さんを母親に引き継いでから一人旅か。磯田勉さんには会えるだろうから、様子を聞いてみようとSFマガジン8月号の記事のコピーまで持参してきたのである。ところが、今年に限って磯田さんの顔が見えない。と、思ったら、当の友成さんが女性ファンらしき人とにこやかに話している。ビックリするなと言う方が無理である。
 「友成さん!元気そうじゃないですか。外国にいたんじゃないんですか」「ああ、予定変りました」「SFマガジンのクローネンバーグ論の凄まじさ、湯布院で磯田さんに会ったら様子を聞こうと思って、話の種にコピーまでしてきたんですよ」それを聞いた女性ファン、「読ませていただけますか」、「あ、それは」と友成さん。「あ、それはって、これ友成さんがSFマガジン誌上でオフィシャルにした原稿ですよ」「そりゃ、そうですね」、かくして磯田さんとの話の種にするつもりだったコピーは、その女性ファンに進呈し、まずは無駄にはならず、よかったのであった。
 「磯田勉さんの顔が見えないですね」と私、「そういえば連絡とれないんですよ」と友成さん、今度は磯田さんが行方不明か。そう言えば最近キネ旬誌上でも名前を見かけないような気がする。大丈夫なのかいな。
 2年前の「その映画に女ありて」のシンポジウムを懐かしく思い出す。進行役の荒井晴彦さんは二日酔で半分死んでるは、「ホラーとスプラッタの僕が何でこんな所にいるの?」と友成さんは言い出すは、テーマは発散するはで、全然盛り上がらなかったシンポジウムであった。私は「宇宙戦艦ヤマト」から「新世紀エヴァンゲリオン」に至るアニメの女性像の変遷ってテーマもあると思ったのだが、荒井さんや森崎東監督の前で森雪や惣流アスカ・ラングレーや綾波レイなんて口走るのは、どうしてもミスマッチに思えて遠慮した。パーティーで友成さんが同じ思いだったことを後で確認した。二つの間に「機動戦士ガンダム」の存在があると、友成さんはさすが鋭い指摘をする。話はドラえもんにまで及んだが、こういう話をできる人は湯布院では残念ながら友成さんくらいしかいない。
 「ニコニコされていて、あの原稿が嘘みたいですね」「いえ、顔だけです。気持はあんなもんですよ」ってどうしてもそうは見えないのだが、SFマガジンの連載は今後も要注意である。

●予告 
延々と続いてきた湯布院日記もいよいよクライマックス、残るエピソードはあと次の3つを残すのみとなりました。
 ・ラスマイのホッと一息 特別試写「福耳」 
 ・素晴らしきフィナーレ 特別試写「油断大敵」
 ・祭りの終わり、緩やかな日常への回帰
 ただし、「油断大敵」は思い入れがタップリあり、私の湯布院自分探しの旅のフィナーレでもあり、かなりのボリュームになると思います。しばらく、お待ち下さい。(2003.10.6)
●ラスマイのホッと一息 特別試写「福耳」
 祭りの終わりが着々と近づいてくる。残すところ、泣いても笑っても特別試写の2本を残すのみ、祭りのクライマックスへの高揚感の裏に、終わりが近いことへの寂しさも、ヒシヒシと近寄ってくる。
 ラスマイの一本として「福耳」は適切な選定だったと思う。瀧川治水監督デビュー作、冨川元文脚本で、御二方がゲスト参加。「ぴあの」など朝の連続テレビ小説の冨川脚本らしく、軽いタッチの明るいほのぼの篇である。
 舞台は老人ホーム、田中邦衛・司葉子・坂上二郎・谷啓・横山通乃・弓恵子・多々良純・千石規子・宝田明、豪華絢爛の芸達者老人パワーの終結である。過去にも何かあったのかもしれないので、うっかり「初めて成し得た日本映画の成熟」などとは言うまいが、とにかくこれだけの熟年終結は、最近の日本映画では珍しい。
 田中邦衛は司葉子に想いを残し昇天する。司葉子に言い寄る男が多いのが心残り、そこで若い看護士の宮藤官九郎にとりついてしまう。宮藤の顔は鏡に映ると田中となり、時に田中は体外に飛び出したりして口論になる。他人にはいっさい見えないから、狂って独り言を言ってるとしか思われない。ベテラン田中に伍して堂々と渡り合う脚本家としても高名な宮藤の芝居が素晴らしい。監督の言によると、見かけよりはCGを使っておらず、鏡で向き合っての二人芝居は、二人羽織のようなタイミングの要領で撮ったそうだ。
 司葉子も生前の田中邦衛に想いを寄せていたことが確認されて田中は成仏し、ゲイの宝田明(これが絶品の演技!)の子供の結婚話など、さまざまなドタバタをサブエピソードにして、宮藤は好きだっ高野志穂と結ばれそうだし、すべてが予定調和のハッピーで終わる。老人が世を去り、変って若者同士は結ばれて子供ができ、人の世は絶え間なく続いていくとの、最近の映画には欠けがちな平凡な人生への賛歌が私は好きである。
 ただ、ここのところ「黄泉がえり」「星に願いを」と、死者の降臨という映画が多いので、そこのところは食傷気味で「またかいな」と思った。偶然なのか、触発されたのか、または他の理由があるのか、私はシンポジウムで聞いてみた。脚本の冨川さんの言では、触発されたということもないけれど、偶然というか時代の流れなんでしょう、今、癒し系みたいなことに向かうと、どうしても死者の蘇りみたいになってしまうんですね、とのことであった。
 冒頭である参加者が「私は楽しく見ましたけれども、湯布院映画祭はヒネクレ者が多いので、こういう映画を素直に喜ばない人もいますが、気にしないで下さい」と牽制球を投げる。その割には、素直に良かったという人が多かったのだが、最後の3人程で辛口発言が出て、「司葉子をラブホテルにまで引き込んだなら、ヌードのベッドシーンまでやらなきゃ駄目」とのとんでもない意見もあったりして、まあ、湯布院らしさも出て良かったのではないだろうか。

●素晴らしきフィナーレ 特別試写「油断大敵」
 オーラスの「油断大敵」は、私にとって素晴らしい映画だった。本映画祭のベストムービーである。感動に打ちのめされて、しばし呆然とした。フィナーレにこういう作品に出会うのは無上の至福である。通常、拍手は上映が終了し場内が明るくなる直前に起こるのだが、私は感動のあまり、その少し前の監督・成島出のタイトルで拍手してしまった。後を追うようにドッと拍手が爆発した。平均的には感動した人が多かったようで、シンポジウムでもそれは確認できた。
 役所広司と柄本明、最近はあまりにも出過ぎで、日本に他に役者はいないんかと茶々も入りそうな顔合わせだが、現在の日本映画で最高の競演の一つであることも、否定できない。泥棒係の刑事と追われる泥棒という役で見事な演技合戦を見せる。演技賞レースを両者で賑わしそうな名演であるが、残念ながら公開は来年1月の有楽町スバル座だそうだ。1月公開というのは、年末の賞レースにはかなりのハンデとなるのは否めない。(その点でも11月公開の「ヴァイブレータ」の寺島しのぶは、「六月の蛇」の黒沢あすか・「ぼくんち」の観月ありさを一歩リードすると思う)パーティーで渡辺敦プロデューサーにそのことを話したら、やはり12月公開で賞を獲り勢いをつけられると良かったんですが、こればかりはどうしようもないですねと、少々残念そうであった。
 妻を喪い、小学生の娘を抱えた警察官の役所広司は、交代勤務ができなくなり、日勤の泥棒係に配置転換になる。新米の時にベテラン泥棒の柄本明に翻弄され、しかし、次第に経験を積み重ねて、ついに逮捕、取調室で柄本を「落とす」。柄本もこの刑事になら「落とされて」もよいと役所を認めたようである。「落とす」「落ちる」と、刑事ものではよく使われる表現だが、その丁丁発止の心理戦のやり取りは絶妙としか言いようがない。「飢餓海峡」の伴淳三郎と三国連太郎以来の名シーンと言えるだろう。
 話はもう一つある。母を早く喪った小学生の娘と役所広司の父との絆である。娘は保母の夏川結衣になついていた。娘を媒介にして、いつしか役所と夏川は惹かれあい一夜を共にする。それに気が付いた少女は、意外にも、病を装い4日間の絶食で抵抗する。役所は土下座して夏川に詫び、別れを告げるしかない。父に「あの人はもう来ない」と告げられると、少女は急に布団から飛び出て、洗濯機に汚れ物を放り込み、掃除機をかけ始め、台所で炊事を始める。「お父さん、私、何でもできる、できるんだからね」と繰り返し言いながらである。
 この娘の父に対する執着は不自然・異常という人もいた。ただ、私はそうは思わなかった。役所はかつて交番の交代勤務だった。私も電力会社なので、娘が小学校の頃に交代勤務の経験があるのだが、世間の父親と比べて信じられないくらい子供と接触する時間は多くなる。交代勤務の形態は色々あるが私の一例を述べる。例えば、通常の人が退社する17時から、出社してくる翌朝9時まで勤務すると、二日分だ。世間から見ると、昨日の昼間子供と遊んでいた父親が、今日の午後も子供と遊んでいる。まさか、その間に二日分働いて、夜勤明けで一寝入りして起きてきた、なんてことはまず分からない。休日はほぼ一週間に2連休なのは日勤者と同じだが、日勤者の祝日の休みとのバランスで3連休の時もある。夜勤明けから連休に入るから、3日ないし4日、いや夜勤前を勘定に入れると、4日ないし5日連続で昼間に家にいるように見える。
 曜日に関係なくそんなサイクルを繰り返すのだから、なかなか世間には理解しがたい存在だ。世間には、例えばデパートやスーパーの勤務のように休日出勤が多く、代休で平日の昼間に家にいる父親は珍しくないが、平日・休日に関係なく、いつも昼間いるように見える父親は、特異過ぎる。私の娘は小学生の頃友達に「お父さん、働いてるの?」と聞かれたそうである。近所の半分趣味で自転車修理店を開いてるお爺さんにも、「お宅の会社、休みが多くていいね」と冷やかし半分に言われ、「いや、働いてる時間は皆さんと同じですよ。電力会社の交代勤務です」と答えると、「そうなの、大変なんだ、夜中に配電盤のメーターなんか見てるんだ」と励まされてしまった。
 まあ、昼間在宅してる時間が長い父親でも、子供好きでなければパチンコ屋通いなどしてるから、交代勤務だから親子の距離が近くなるとは一概に言えないが、役所広司の役作りは、交代勤務の頃は子供とよく接触していた人柄を彷彿させており、母を失った後の少女の父への執着に、私は十分な「映画的真実」を感じた。
 交代勤務をキーワードにした私の見方は、それを経験した私の一方的な思い込みかと思ったら、パーティーで渡辺プロデューサーと話して、製作側にも意図としてあったことが確認できた。そして渡辺プロデューサーは、「だから、実体を知ってる人にとって大きな嘘もあるんですよ」と語った。私も「分かってます」と答えた。
 これまでの話だけ聞くと、男手ひとつで子供を育てるなら、それほど時間的余裕のある交代勤務の方が、むしろいいんじゃないかと思う人が多いだろう。しかし、交代勤務では、決定的に駄目なのだ。交代勤務はまず夜間不在になる。そして、職場に存在していることが仕事なのだから、咄嗟の応対は取れない。日勤の泥棒係の役所が張り込み中に、子供の急病の連絡が入り、同僚に後を託して即時駆けつけるというシーンが冒頭にあるが、交代勤務では、代わりの人間が来るまでは絶対に動けないのである。
 ただし、渡辺プロデューサーの言った「大きな嘘」も分かる。泥棒係なんて第一線を抱える日勤の仕事についたら、交代勤務に比べて、自由になる時間は極端に減少する。子供を育てられる時間的余裕が取れるわけがない。人事的配慮で交代勤務から日勤に配置転換するならば、第一線と関わりを持たない純然たる内勤の事務職になるはずだ。ただ、それだと、このドラマは最初から成立しないことになってしまう。以上のことを私は話し、「映画を成立させるための<映画の虚構>として私は許容します」と、渡辺プロデューサーに言った。
 「ジャンプ」のコーナーで、「映画の虚構」を積み上げて、「映画的真実」に到達するのが「映画」である、と私は述べた。この「映画の虚構」をどこまで許せるか許せないかが、映画の評価の分かれ目になるとも述べた。そして「映画の虚構」の許容範囲は、個人の資質によるとも述べた。私はこの映画の虚構を許したが、私と同じ交代勤務と日勤の双方の経験をした人間でも、いや、経験しているからこそ、逆にこの「映画の虚構」は嘘として断じて許せないという人も出てこよう。映画の評価とは、結局そういう風に人により異なってくるものだ。
 父娘の絆の深さを痛感させるもう一つのエピソードがある。母から娘へと、延々と引き継がれたぬかみそ樽だ。ぬかみそというのは、毎日かき回して手入れを続ければ、半永久的に持つ。少しでも手入れを怠れば、一発でダメになる。小学生の娘が母の味を引き継いで父親に味あわせようと手入れを続けたその想いに、父への深い想いが感じられる。
 娘は成人し、看護婦として外国へ出ることを父に告げる。父の役所は「許さん!」と激怒する。ここは、すこし類型的でいただけなかった。娘への思いが強い父親は、それ故に娘を別の人格として認識しているものであり、だから、成人になった娘が自分の生きる道を見つけた時は、寂しい想いを胸に秘めながら、認めるものだと思う。(役所も最終的に認めるのではあるが)そして、ぬかみそ樽は娘から父へと引き継がれる感動の終幕に至る。
 この役所刑事と柄本の泥棒とのエピソードに、母を早く亡くした父と娘のエピソードが、並行して語られていくのだが、この二つのエピソードがどこで接点をもつのかと思いつつ見ていたら、最後に鮮やかな合流を見せる。
 刑事と犯人が「落とす」「落とされる」という関係になるのは、半端ではない。犯人の生い立ちにまで迫り、情に訴え、取り調べる刑事も自分をさらけ出す。そして、柄本が泥棒で生きていくしかなかった悲しい過去を知った時、泥棒をすることが彼の「翼」であったことを認識するのである。その時、娘が外国行きを決意したのは、それが彼女の「翼」であったことに気づくのだ。そして、役所刑事は呟く。「俺には翼がない」ここに至って、私は号泣しそうになった。いや、心の中では号泣していた。
 私事であるが、私は昨年6月末で、36年勤務した電力会社を定年退職し、関連会社に再就職した。それを挟んだ前1ヶ月と後半年の長期にわたり、色々な形で色々な場所で多くの慰労を受けた。大組織であるから、仕事・地域・趣味、私は企業内学園の出であるから学校時代も含めて、実に組織内の様々な集団に属していたことを、実感した。それらの多くから、数え切れない程、定年を祝っていただいた。そんな席を通して、しみじみと公益事業の端くれに携わっていた36年に、走馬燈のように思いが至らないわけはなかった。
 20代の若い頃、世界でも類のない電力系統の総合的な自動化システム開発の末席に携わり、定年時の職場ではそれが現実となり、最終試験を終了し本格的実運用になるのを目の当たりにした感慨。猛暑で電力不足・水不足、連日いつ東京大停電が起きてもおかしくなかった平成2年夏、指令室に入る度に今日は生きてこの部屋を出られるだろうかと思い、大袈裟でなく「地獄を見た」と伝説になっている「地獄」の中に私はいた。全電力会社が集まっている全国組織の指令所の当直長でいた時、夜勤の暁を襲った阪神・淡路大震災の衝撃。コンピュータシステムは現代のバベルの塔なのか?2000年問題に半年以上取り組み、Y2K非常災害対策本部に詰め異様な緊張感の下で固唾を飲んでいた1999年12月31日から2000年1月1日までの緊張、その瞬間が何事もなく過ぎ去った時の思わず沸き起こった中央司令室での拍手。また、公益事業に在籍した故に、第一線監督者研修を担当した縁でつきあわせていただいた富士学校の自衛隊員の方を始め、企業は実に沢山の色々な世界の人と私を引き合わせてくれた。大したこともしたわけではないけれど、まずはそれなりに良かった・充実したと思えるであろう半生ではあった。半年強、そんな思いに浸らせてもらった。
 だが、残念ながら、これは私の「翼」ではない。喰うための結果の軌跡である。断じて「翼」ではないのだ。役所刑事が、妻を喪ったことで交代勤務ができなくなり泥棒係になり、札付きの泥棒柄本に握手を誘われはたき返されてコケにされた新米刑事が、ついにはたき返すほどのプライドを有する名刑事に至ったとしても、断じてそれは彼の「翼」ではなかったのと同様にである。
 「翼」をついに持ち得なかった一生(いやまだ半生か)、その切なさはどうしようもない。いや、まだ半生ある、これからも十分に「翼」を保ちうるという見方もあるだろう。しかし、「翼」なき半生が過ぎたというのも厳然たる事実なのだ。
 映画人、まして監督にまで上り詰めた映画人は、「翼」を持ち、そして見事に飛翔した人だと私は思う。そのような成島出監督が、何故「翼」を持てなかった男の切なさを描いたのだろう。私はシンポジウムで質問してみたが、質問の意図があまり理解されなかったようで、「脚本を書いても、監督になっても、結局私の描こうとするものは、すべて同じになってしまうんです」との曖昧な回答であった。
 映画人は映画の仕事が「翼」であると思うのは、私の思い込みに過ぎないのかもしれない。前の項で述べたが、荒井晴彦さんの「社会派宣言」といい、学生運動をしていた荒井さんにとって映画というのは「翼」であったのかどうかとの思いは、別の項ですでに記した。「油断大敵」に私の思い入れを込め過ぎたようだが、やはり人間の普遍的な心を描いた優れた映画なのも間違いなかろう。上映後の拍手の爆発、好評に終始したシンポジウムへの連なりは、それを証明していると思う。
 勿論、瑕疵のない映画はない。私は役所刑事に「俺には翼がない」と言わせたのは余分であると思えた。彼が柄本と娘の「翼」に気が付いた時、それは明確になっていた。台詞で言わせたのはちょっとくどかった。シンポジウムで聞きそびれたので成島監督にパーティーでそのことを話そうと思っていたが、何故か話せそうなタイミングになると監督は所用で実行委員から呼び出しを受けて、ついに機会を逃してしまった。渡辺敦プロデューサーとは話す機会があったので、この件を訪ねたら、やはり台詞で言わせるか言わせないかは悩んだところで、映画とは説明し過ぎてもくどいし、説明しないと分からないと言われるし、難しいところです、とのことであった。また、公開題名も悩んで色々検討したそうだが、結局「油断大敵」のままで行くことになったという。私としてはこの題だと追いつ追われつの活劇調のイメージを与え、作品にそぐわないような気がするのだが、さて公開された時、どんな風に受け止められるだろう。
 シンポジウムでは「映画の虚構」をどこまで許せるかというのは、やはり色々話題になる。柄本明の少年時代の赤いシャツが、「あれは戦前でしょ、戦前なら白いランニングだと思います」との意見があると共に、「そんなことはどうでもいい、大したことじゃない」という人もいた。また、そこにコカ・コーラの自販機があったことについて何か意味があるのかとの質問もあり、「すみません、写っちゃったのは気づいたんですけど、まあ分からないかと思ってたんですが、やっぱり細かく見られてしまうんですね、ミスです」との監督の釈明もあった。これなどは万人が許せない「虚構」だろう。「映画の虚構」の許容範囲というのは色々あるものだ。
 パーティーで少々話した中では、荒井晴彦さんはあまり評価していないようだった。荒井さんに限らず、この映画を評価しないという人はそれなりに存在する。評価しない人のポイントは、概ね役所刑事と夏川結衣の保母の関係の詰めが甘いという。「あれっきりで別れるなんてこと普通ならないよね、絶対ラブホテルかなんかでその後も逢うよ」というわけである。そこまではいかないが、作品に好意的な人でも、シンポジウムで「あの後の二人の関係をもう少し追ってほしかった」との意見はあった。
 しかし、私はあれでいいと思う。「映画的虚構」として許すのではなく、「人間的真実」としてあのとおりだと思う。小学生の娘が4日間も絶食して訴えた強い絆、それでもさらに裏切り続けて、もし発覚したら少女は決定的に壊れる。そこまでのリスクを背負ってラブホテルに行くなんてことがあれば、私に言わせれば二人とも人間じゃない。ありえない。パーティー後の懇親でそれを言ったら、「やっぱり、あなたが健サンが好きなのが分かった。ストイックなんだ」と言われた。しかし、私に言わせればこれはストイックとはちがう。自然な「人間的真実」に基づいた感情だと思う。いや、それを「人間的真実」と感じる資質が、私の「淡白」の証明なのかもしれない。
 役所と夏川の関係は、純然たる男と女の恋愛の出会いから始まったのではない。子供の保育を媒介にして、あの人が母となってくれるなら、あの娘の面倒を親として見られるなら、という生活のパーツも含めての恋愛関係である。その肝心の娘が、4日間の絶食を持って拒否したのだ。前提が崩れたら、残るのは「性」の関係しかない。「性」だけの関係に、子供の人格崩壊のリスクを背負ってまで執着するものだろうか。私は、どうしてもそうは思えない。
 前の項で紹介した元「週刊ファイト」編集長井上義啓氏は、プロレスを「底の見えない底なし沼」あるいは「底の丸見えの底なし沼」と評した。証言を果てしなく積み上げても、永遠に真実は見えてこない、との意味である。(ネ、この人、哲学者でしょ)私は、「性」も同様の「底なし沼」だと思う。超プライベートな部分であり、誰も真実を白日の下に晒すことはない。だから、真実とは別の威勢のいい言葉ばかりが、表面化する。前述のような私の意見があまり出てこないのは、「人間的真実」か否かよりも、やれ、男としての精力に乏しいんだろうとか、モテない奴のひがみに過ぎないとかの、次元の低い卑猥な領域にいってしまうからである。(ただ、モテる人間というのは、天性のものもさることながら、やはり「性」の関係に対して大きなエネルギーを注いでいることは確かだ。あまりそこに価値観を見出さない「淡白」な人間は、エネルギーを注がないからモテないとも言えるのか。結局、個々の感性と資質の差である)
 40年程前のかなり昔であるが、社会党のガチガチの堅物のオールド理論家向坂逸郎を、これ以上やわらかい週刊誌はないと言える「平凡パンチ」がインタビューするというミスマッチ記事があった。「平凡パンチ」のインタビュアーは、卑俗な方向に話を引っ張るのだが、向坂は全く乗らない中で進むという何とも楽しい内容で、話を「性」に持っていっても、「あんなものぁ、みな同じだよ」の一言でおしまいだ。「やってみなけりゃ、同じかどうかわからないでしょう」とさらに突っ込むインタビュアーに、「やらなくったって分る!同じだ!!」と一刀両断したのを、私は結構痛快に感じた。
 心情とか生活とかが関係してくる「愛」と異なり、「性」の関係は物理的に言えば単なる「摩擦」に過ぎない。単なる「摩擦」なら、確かにみな同じである。私には「摩擦」が人の全存在をかけるものとは、どうしても思えない。まあ、前述したように「モテる」ことに大きなエネルギーを注ぐ人には、それは全存をかけるものと思えるのかもしれない。結局、感性と資質の違いに尽きてしまうのであるが。
 話がずいぶんわき道にそれたが、だから「油断大敵」の役所と夏川の関係は、私にとっては「映画的真実」として十分だと思う。この映画を評価する人も少なくないのだから、口に出して言わないだけで、多分私と似たような気持ではないか。ただ、「性」は永遠の「底なし沼」なのであるから、それぞれの人の心の底の真実は最後まで分からない。映画の評価というものも「底なし沼」なのだ。
 「油断大敵」という一本の映画について、随分長々と語ってしまったが、私にとりそれなりにインパクトが大きかった作品ということであろう。だからこそ、本映画祭の総括として、私にとっては素晴らしいフィナーレであったのだ。

●祭りの終わり、緩やかな日常への回帰
 祭りの終わりというのは厭なものだ。湯布院映画祭では、最後のシンポジウムが終わり、パーティー会場に向かう時に、それを痛感させられる。公民館のロビーを通る。シンポジウム開始前にあった数々のポスター・チラシ、映画書籍の売り場、それら映画祭モードはすべて消え、図書館の展示を中心にした日常モードに回帰している。明日は平日の月曜日、それも当然のことだ。「油断大敵」という素晴らしいフィナーレ、盛り上がるパーティーの中で、私の心の中に祭りの終わりの寂しい風が、静かに序々に吹き込んでくる。
 最後の至福の一夜は明けた。後は馴染みのみなさんと挨拶し、三々五々に別れていくしかない。この祭りの終わりの空虚を、この後どう埋め合わせていけばいいのだろう。日常の中の小さなイベント、それを小祭りとして位置付け、少しづつ火照りをさましていくしかあるまい。8月31日(日)は「蛙の会」の例会がある。9月6日(土)は、昨年「蛙の会」の舞台にたった筑摩書房の長嶋美穂子さんが、玉川美穂子の名で浪曲の勉強を始め、月1度女流浪曲師の太田もも子さんと組んでのライブの日である。いつしか「蛙の会」や社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」のメンバーが集まる場所になり、公演後、昼食を共にしながらよもやま話に花を咲かせる場所になっている。20日(土)は前にも述べたミニ湯布院とも言える「映画友の会」もある。これらを小祭りとして認識しながら、祭りの狂熱を冷ましていくしかないようだ。別れる時、大分市役所のOさんは言った。「東京は、そのようにまだ色々あるからいいです。私なんて、映画のことをこんな風に話題にできる人と会えるのは、また1年後の湯布院だけですよ」祭りの終わりは切ないが、これで良しとするしかあるまい。
 9月6日の日、「蛙の会」で活弁の指導をしてもらっている飯田豊一先生(本業は著述業だそうだが、活弁はもちろん講談やら小説・評論・新作浪曲の原作執筆やら演出やら、多彩な方面で活躍し名前もいくつあるか分らない、最近は講談の高座名を桃ノ井ゆたかにしてまた一つ名前が増えた)から「芸に当たる」と言うお話を伺った。「食当たり」で下痢をするようなもので、悪い芸に「当たる」と大変なことになる、ということである。先生の場合は、しばらく原稿が書けなくなるそうだ。あっち亭こっち師匠が呼応した。私も、「当たる」としばらく稽古の調子がおかしくなります、とのことだった。
 私は、そういうことはない。悪ければ悪いなりに、それを楽しんでしまう。無声映画鑑賞会でつまらない作品だと飯田先生は帰ってしまうこともあり、「あなたよく見続けていられるね」と言われたこともあった。「つまらない作品はつまらない作品なりに、それを見たことで後で良い作品を見た時に、より面白くみられる糧になることもありますから」とお答えした。
 結局「当たる」ということは、このひどいものを自分ならどうするかと考え始め、自分なりの決論を出すまでは先に進めなくなるということらしい。私には、どうもそういうところが皆無だ。
 本ホームページにも登場している104さんにも、「あなたはピンクにつまらない作品が混じっていても、必ず3本全部見てくるのは凄い」と言われた。確かに、104さんは面白くない映画は途中退場するということも聞いた。104さんは脚本を執筆する創作者でもある。
 私は創作者になれるとは思えないが、表現者にもなれないのではないか。結局、消費者以上にはなれぬということか。こんなことで、表現者として活弁をきちんと勤め上げられるのだろうか。「ファン感覚」では駄目。湯布院での言葉が今でも重く残っているようだ。こうして湯布院の祭りを日常に引き摺り、それがゆるやかに日常に溶融して、いつしか祭りのほとぼりが日常へと回帰していく。そして、日常から次の祭り(それはまず「蛙の会」公演になるのかな)へと連なり、人生は続いていくのだろう。
 長々と最後までお付き合い下さった方(そんな奇特な人がいたかどうか知らないが)、これで私の湯布院日記は終わります。このホームページでのピンク日記は続きます。「映画芸術」の連載も続いていきます。11月30日には「蛙の会」公演の舞台に立ってます。月に1度の「映画友の会」には欠かさず出席しています。来年はまた湯布院の地に立っているでしょう。映画ファンはファンであり続ける限り、間接にしろ直接しろに常にまたいつかは会えるものと信じています。

 それでは、また、いずれかの場所でお会いしましょう。さようならは言いません。(2003.10.13)
●ぼくら新聞舎より 
 約1ヶ月半に渡って掲載してまいりました、「周磨要の湯布院日記」は今回で終了です。最後までご覧戴いた皆様、ありがとうございました。これで今年の夏も完全に終わりです。尚、周磨氏の本文中にもありますように、「周磨要のピンク日記」は引き続き当HPで掲載中です。そちらのほうも、引き続きご覧いただければ、幸いです。(2003.10.13)


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