ビデオコンピュータシステム

 Video Computer System

       copyright,atari,1977


 「ビデオコンピュータシステム」は、アタリ社が開発した当時はまだ珍しいカセット交換式の家庭用TVゲーム機。

 1977年10月14日(8月1日や9月11日説も)に199ドル(当時の日本円で4万5000円程)で、アメリカで発売される。

 ビデオコンピュータシステムは、略されてVCSと表記される事が多い。本体同時発売タイトルは5本。

 CPUにはモステクノロジー社の「MOS6502」の縮小版である「MOS6507」(1.19Mhz)が使用されている。搭載RAM容量は128バイト。

 解像度は160x192。16諧調の8色のカラー表示が可能であり、走査線毎に色を付ける事で理論上は128色同時表示も可能である。

 サウンドはモノラル2チャンネルで、音量、音色、音高を組み合わせて、主に効果音として使用される。

 世界で初めて家庭用ゲーム機に、スプライト機能(アタリはオブジェクトと呼んでいる)を搭載した名機である。

 本体には電源、難易度x2、テレビタイプ、ゲームセレクト、リセットを切り替える6つのレバーが付いている。

 コントローラはジョイスティック型で、赤いボタンが1つ付いている。右手でジョイスティック、左手でボタンを操作する。

 本体と一緒にジョイスティックコントローラx2、ボリュームコントローラ、ゲームソフト「コンバット」が同梱されている。

 発売当初から当時全米第1位の小売業者であるシアーズ社がOEM供給を受けており、シアーズ社が展開する大手スーパーや

 カタログによる通信販売では、同年11月下旬頃(9月22日説も)から「テレゲームビデオアーケード」の名で販売されている。

 日本では1977年に東洋物産が9万4800円、1978年に河田が8万5000円、1979年にエポック社が5万7300円で代理販売をしている。

 1982年に発売された後継機「アタリ5200」登場時に、「ビデオコンピュータシステム」は「アタリ2600」に名称を変更している。


   (1)copyright,atari,1977   (2)copyright,atari,1977

 (1)は1977年10月にアタリから発売された「コンバット」。業務用の「タンク」と「ジェットファイター」の移植作。「VCS」に同梱された。117万本。
 (2)は1977年10月にアタリから発売された「エア・シー・バトル」。別名で「テレゲームビデオアーケード」に同梱された。91万本。


 1975年にシアーズ社と協力して、家庭用「ポン」を成功させたアタリ創業者のノーラン・ブッシュネルは、

 1976年に発売されたフェアチャイルド社の世界初のカセット交換式家庭用TVゲーム機「ビデオエンターテインメントシステム」

 (後に「チャンネルF」に改称)を見て、アタリで開発を進めていた新型の家庭用TVゲーム機を、カセット交換式で発売する事を決断する。

 しかしアタリ社には大量生産出来る程の資金はまだ無かったので、映画会社を傘下に持つワーナー社にアタリの株式を売却し、

 親会社となったワーナー社から資金協力を経て、1977年10月に「ビデオコンピュータシステム」(以下「VCS」と表記する)が発売される事になる。

 「VCS」は発売初年度に25万台を売り上げ、1978年に本体製造場所を香港に移し、コストを下げて55万台を売り上げ、販売台数は計80万台になり、

 他社との競争には勝ったが、これまでのゲーム機と比べて定価が高かった事で売り上げは当初の予想を大きく下回ってしまう。

 「VCS」はカートリッジで利益を上げる仕組みだった為、本体が売れなければソフトからの利益も見込めず、

 アタリ社の会長のブッシュネルは、「VCS」の事業中止を提案して、価格を下げて在庫を処分しようと考えたが、

 「VCS」に多額の資金を投入していて、継続を図りたいワーナーの副社長のエマニエル・ジラードと予算会議の場で激しく口論になり、

 怒ったブッシュネルは、ワーナー社の役員を除いて重役会議を開いた事がきっかけで、アタリ社を追放されてしまう事になる。

 1979年に「VCS」はローンチタイトルの「ブラックジャック」の続編「カジノ」と本体付属品を増やした効果もあり、90万台を売り上げたが、

 ブッシュネルの代わりに新たにアタリの社長兼CEOに抜擢されたワーナー側の人物であるレイモンド・カサールが、

 待遇に腹を立てた「VCS」のゲーム開発者に対して、「代わりは幾らでもいる」旨の発言をした事から、

 8月にアタリのデザイナー兼プログラマーが独立し、10月にアクティビジョン社を設立して、さらに主力が次々とアタリを去る事になってしまう。


   (3)copyright,atari,1979   (4)copyright,atari,1979

 (3)は1979年9月にアタリから発売された「カジノ」。「ブラックジャック」「ファイブスタッドポーカー」「ポーカーソリティア」を収録したトランプゲーム。
 (4)は1979年12月にアタリから発売された「アドベンチャー」。家庭用TVゲームに隠し要素を仕込んだアクションアドベンチャーゲーム。


 しかし1980年に「VCS」ソフトの「アドベンチャー」(121万本)と、日本で「VCS」を販売していたエポック社の提案により、

 タイトーから許諾を受けて発売された「スペースインベーダー」(236万本)が大ヒットし、

 アクティビジョンも「VCS」用ソフト「フィッシングダービー」(48万本)と「ボクシング」(72万本)を制作して、

 6月からアタリに無断で発売して大儲けしており、「VCS」は100万台を売り上げる事に成功する。

 1980年6月に正式に全米で販売された家庭用TVゲーム機「インテリビジョン」に対抗する為に、

 「VCS」は年末に本体価格を130ドルに下げて、ここから販売台数を驚異的に伸ばす事になる。

 1979年からアタリはナムコとの日本での独占販売権を強引に打ち切った事で、ナムコと裁判沙汰になっており、

 1980年10月に業務用部門の社長であるジョー・ロビンズが、ナムコとの和解で訪日した際に、

 発売されたばかりの業務用TVゲーム「パックマン」の家庭用移植への許諾を得る事に成功する。

 一方でアタリは7月にアクティビジョンを裁判で訴えていたが、「VCS」にはセキュリティチップ等の防護装置が無く、

 独立した元アタリの開発者は、アタリに訴えられても勝算がある事を弁護士と調査してからアクティビジョン社を設立していた。


   (5)copyright,atari,1980   (6)copyright,activision,1980

 (5)は1980年1月にアタリから発売された「スペースインベーダー」。家庭用TVゲームで世界初のミリオンセラーを達成したキラーソフト。
 (6)は1980年6月にアクティビジョンから発売された「ボクシング」。1つのボタンでも十分白熱するボクシングゲーム。


 1981年4月にはアタリのアーケードからの人気作「ミサイルコマンド」(256万本)が移植されて人気を博し、

 8月には「アステロイド」(400万本)が移植され、バンク切り替え技術を導入して4KBを超えるROMが使用されるようになる。

 また、アクティビジョンもアタリの業務用TVゲーム「アバランチ」をリメイクした「カブーン!」(107万本)をヒットさせ、

 この年だけで「VCS」は200万台を売り上げ、累計480万台の販売台数を達成する。

 アクティビジョンの成功により、アポロ社もVCS用ソフト「スキートシュート」を発売した為、

 アタリはアクティビジョンと争ってきた問題の解決を迫られる事になる。

 また、この年に世界初のワイヤレスコントローラを同梱させた「アタリ2700」を発売する予定だったが中止になっている。

 これは単品で1983年4月に70ドルで発売されるが、反応やバッテリーの持ちが悪かった為にほとんど売れていない。


   (7)copyright,atari,1981   (8)copyright,activision,1981

 (7)は1981年8月にアタリから発売された「アステロイド」。バンク切り替え技術により、8KBのROMを使用して実現した移植作品。
 (8)は1981年にアクティビジョンから発売された「アイスホッケー」。「ボクシング」と同様に対戦が熱い2対2のアイスホッケーゲーム。


 1982年には長期間裁判で争っていたアクティビジョンと和解し、ライセンス制を導入してサードパーティが誕生する事になる。

 (コンピュータ業界では本体販売元のメーカーをファーストパーティ、本体販売元のメーカーと密接に関わっている会社をセカンドパーティ、

 本体販売元のメーカーから完全に独立した会社をサードパーティと呼んでいる)

 これを受け、1981年に元アタリと元マテルのゲーム開発者たちが設立したイマジック社も、アクティビジョンに続いて2番目に「VCS」に参入する。

 そして1982年の3月に全米で大人気となっていた業務用TVゲーム「パックマン」の移植である「VCS」版「パックマン」が発売され、

 後に本体価格を100ドルに値下げして、名称を「アタリ2600」に改称した本体に同梱した事で、「パックマン」は728万本を売り上げる快挙を達成する。

 アクティビジョンは9月に「ピットフォール!」(421万本)、10月に「メガマニア」(103万本)、12月に「リバーレイド」(149万本)を発売して大ヒットし、

 イマジックは3月に「デーモンアタック」(199万本)、7月に「アトランティス」(118万本)、9月に「コズミックアーク」(99万本)をヒットさせて人気メーカーとなる。

 8月には家庭用TVゲーム機「コレコビジョン」を発売したコレコ社が、「ドンキーコング」(136万本)の「VCS」版を同時発売し、

 ボードゲーム「モノポリー」の販売元として有名な玩具会社のパーカーブラザーズは、

 8月に「フロッガー」(206万本)、「スターウォーズ」、10月に「スパイダーマン」(87万本)等のアーケードや映画からの許諾作品を発売する。

 9月には映画配給会社として有名な20世紀フォックスが、パソコンゲーム会社のシリウスソフトウェア社と提携したソフトを発売し、

 元アタリの技術者兼デザイナーのロバート(ボブ)・ブラウンが在籍するアルカディア社(10月にスターパスに社名を変更)は、

 「アタリ2600」のRAMを6KB拡張させて263スキャンラインの高解像度グラフィックスを実現する周辺機器「スーパーチャージャー」(70ドル)を、

 安価な専用カセットテープソフト「フェイザーパトロール」と同時に発売して、ホビーストを中心に人気を集める。

 10月には「インテリビジョン」を展開するマテル社も、Mネットワークブランドで自社ソフトを供給するようになる。

 アタリ社も「パックマン」以外に5月に「ヤーズリベンジ」(73万本)、6月にディフェンダー(99万本)、8月に「バーザーク」(68万本)をヒットさせ、

 勢いに乗った「VCS」は600万台を売り上げて、1977年の発売から計1000万台(「アタリ5200」を含む)の販売台数を突破する。

 1982年にアタリは20億ドルを稼ぎ、アタリの純利益は親会社のワーナーを超える3億2000万ドルに到達する事になる。

 1982年11月にアポロ社が事業計画に失敗し、破産手続きを開始する。この出来事は対岸の火事ではなかった。


   (9)copyright,atari,1982   (10)copyright,imagic,1982

 (9)は1982年3月にアタリから発売された「パックマン」。「アタリ2600」で最大の728万本(世界累計781万本)を売り上げたメイズチェイスゲーム。
 (10)は1982年3月にイマジックから発売された「デーモンアタック」。199万本(世界累計213万本)を売り上げたシューティングゲーム。


 サードパーティの参入により、市場に出回ったカートリッジは6ヶ月で4倍に増大し、販売店では棚にソフトを置けない供給過多の状態に陥っていた。

 アタリは需要予測を見誤って「パックマン」を1200万本も製造してしまい、在庫が大量に売れ残っていたが、

 移植と呼ぶにはあまりにお粗末な、アタリが制作した「VCS」(以下「アタリ2600」と表記する)版「パックマン」が売れた事で、

 ゲームを遊びもせずに利益しか考えていないワーナー側の経営陣は、人気映画のタイアップなら次もたくさん売れると考え、

 11月にインディ・ジョーンズの「レイダース・オブ・ザ・ロストアーク」(46万本)を発売したが、売れ行きは当初の予想を大きく下回り、

 アタリは1982年12月8日に収益予想の下方修正を発表する。前年比50%の所得増加を約束されていた投資家たちは激怒して売りに走り、

 この影響で親会社のワーナーの株価が1日で32%もダウンし、翌日にさらに7%も下落する事態に陥った。

 そして2100万ドルのライセンス料を払って6週間で開発された「E.T.」(184万本)を、500万本生産して12月のクリスマス商戦に発売し、

 賞金総額15万ドル(3500万円相当)の宝がもらえる「ソードクエスト」(全4部作)等、理不尽なゲームを大規模な宣伝をして次々と発売した事で、

 ついていけなくなった一般ユーザーから見放され、販売店からの返品が急増してしまう事になる。

 アタリがマテル社の家庭用TVゲーム機「インテリビジョン」(1980)に対抗する為に開発していた後継機「アタリ5200」も、

 さらに性能の高いコレコ社の家庭用TVゲーム機「コレコビジョン」(1982)の登場によって発売を急がねばならず、

 1982年10月に見切り発車の末に発売した「アタリ5200」は、本体が無駄にでかい上に299ドルと価格が高く、

 コントローラの故障が相次ぎ、発売されたソフトも「アタリ2600」で発売したゲームのリメイクばかりで、

 しかも内容がほとんど変わらなかった事も、アタリユーザーの失望と反発を招く事になる。

 1983年に「アタリ5200」は改良されて再販され、7月に発売された専用のアダプターを接続すれば「アタリ2600」のゲームが

 「アタリ5200」上でも遊べるようになったが(再販版のみ)、既に失われた信頼を回復するのは困難だった。

 (アダプターによる互換性も完璧ではなく、「ピットフォール!」と「マウンテンキング」で不具合が発生する)


   (11)copyright,activision,1982   (12)copyright,atari,1982

 (11)は1982年9月にアクティビジョンから発売された「ピットフォール」。サードパーティで421万本(世界累計450万本)を売り上げたアクションゲーム。
 (12)は1982年12月にアタリから発売された「E.T.」。184万本(世界累計197万本)を売り上げたが、ゲーム内容は多くの親と子供を裏切った。


 米国では日本とは違い、販売店が売れなかった分をメーカーに返品出来るので、日本のように売り逃げという事が出来ない。

 返品された商品は検品をして、未開封ならば再販売される可能性もあるが、基本的には廃棄される事になる。

 アタリが何千万ドルものライセンス料と広告宣伝費を投じたゲームソフトは、在庫が大量に売れ残り、市場ではソフト価格の暴落が始まっていた。

 1983年7月にアタリの会長兼CEOのレイモンド・カサールが、違法なインサイダー取引と赤字経営に陥った責任を追求される形で解任され、

 代わりにタバコ会社の副社長だったジェームズ・モーガンが会長兼CEOに就任する。アタリ再建の為に従業員の半数以上が解雇され、

 不良在庫が廃棄されて、「アタリ2600」のホームコンピュータ化構想「グラデュエイト」等の複数の進行中のプロジェクトがキャンセルされる事になる。

 とはいえ1983年の「アタリ2600」のソフトは、アタリが3月に発売した「ミズパックマン」(154万本)、「センチピード」(126万本)、

 4月の「ギャラクシアン」(72万本)、6月の「ジャングルハント」(103万本)、7月の「ポールポジション」(110万本)、8月の「バトルゾーン」(58万本)、

 10月の「ムーンパトロール」(105万本)、「ジャウスト」(101万本)、「ディグダグ」(152万本)、11月の「マリオブラザーズ」(148万本)に、

 日本のサン電子が自社開発して、6月にアタリから両機種で販売した「カンガルー」(67万本?)等のアーケードの人気作品の移植が軒並み好調で、

 アクティビジョンが2月に発売した「エンデューロ」(81万本)、9月の「ピットフォール II」(122万本)と、決してソフトがまったく売れなかったわけではない。

 ただし、店頭にはアポロ、ウルトラビジョン、データエイジ、ミシコン、ザイマグ社等が発売した低品質のソフトや、

 ゲーム会社が倒産して返品出来なくなったソフトが1〜5ドルで投売りされていたので、今までのように1本25〜35ドルで売る事が出来ず、

 質の高い作品を作っても当然利益は大幅に減少する事になり、以前のように魅力的で美味しい商売では無くなってしまった事は事実である。

 また、売り逃げされた販売店は慎重になり、アタリやアクティビジョンはまだしも得体の知れない新参メーカーは信用されず苦境に立たされた。

 1983年の年末までには、「アタリ2600」で多くのゲームを出していたデータエイジ、テレシス、USゲームズ、ゾノックス等、

 ヒット作を作れなかった会社が次々と倒産する事になる。「アタリ2600」の店頭価格は50ドルまで落ち、

 1983年に400万台を販売するも(「アタリ5200」を含む)、アタリの売り上げは10億ドルに半減し、5億3900万ドルの赤字を計上する事になる。


   (13)copyright,atari,1983   (14)copyright,activision,1983

 (13)は1983年3月にアタリから発売された「ミズパックマン」。この出来栄えで「パックマン」が移植されていればと悔やまれるほどの完成度。
 (14)は1983年4月にアクティビジョンから発売された「キーストーンケーパーズ」。警官を操作してデパートに逃げ込んだ泥棒を捕まえるのが目的。


 1984年に入ってもまだまだやっていけたはずのアタリの家庭用TVゲーム事業を一変させたのは、

 後にメディア王と呼ばれるルパート・マードックがワーナーの株式を購入し、ワーナーに対して敵対的買収を仕掛けた事である。

 買収を恐れたワーナーは、マードックの購入した株式を買い戻す事で多額の損失を抱え込む事になり、

 アタリがパソコン市場で展開していた「アタリ800」は、コモドール社の「コモドール64」との低価格競争に敗れていて、

 すぐにでもまとまった資金が欲しいワーナーは、事業縮小の一環としてアタリを2億4000万ドルで売却する事を決める。

 1984年7月にアタリの家庭用部門は、元コモドール社長のジャック・トラミエルに買収され、

 彼が5月に設立していたトラメル・テクノロジー社に吸収されて、アタリコープ社として生まれ変わる事になる。

 (アタリの業務用部門はアタリゲームズ社となり、1985年2月にナムコがワーナーから株式を40%以上買い取り、経営権を取得している)

 ジャック・トラミエルがアタリの開発部に乗り込み、「うちは今日からパソコン会社だ」と発言した事で、

 発売直前だった「アタリ5200」の後継機「アタリ7800」は、すべて倉庫行きとなってしまう(これは1986年5月に発売される)。

 また、任天堂が米国での「ファミリーコンピュータ」の販売をアタリの下で行う計画を持ちかけたものの、

 トラミエルはアタリをパソコン会社に変更する計画の真っ最中だった為、この話を拒否する事になる。

 1984年末にアタリは在庫の「アタリ2600」と「アタリ5200」をすべて出荷し、200万台を販売してホームコンピュータへとシフトする事になる。

 1982年8月に家庭用TVゲーム機「コレコビジョン」を発売して、アタリのライバルであったコレコ社も、

 1983年11月に発売したパソコン「アダム」で失敗していて、1984年中に「コレコビジョン」の製造中止を決定する。

 任天堂が米国で「NES」(海外のファミコン)を発売する1985年には、米国の家庭用TVゲーム市場は無くなっていたのである。

 〔「VIC-20」(1981)、「コモドール64」(1982)、「アタリ800 XL」(1983)、「アタリ520 ST」(1985)等のパソコン市場に流れていった〕

 1985年の新作ソフトは「アタリ2600」の「ゴーストバスターズ」(42万本)と「コレコビジョン」の「アルカザール」のみで、

 共にアクティビジョンの作品である。「アタリ5200」の新作ソフトは、1985年に1本も出ていない。

 ただし「NES」ブーム時に一時的に復活し、「アタリ2600」は1992年まで公式の新作ソフトが作られ続けている(最終ソフトは不明)。

 最終的に「VCS」は北米で1400万台以上の販売数を記録している。販売されたゲームタイトルはおよそ450本。

 欧州では西ドイツで1980年3月から1984年の間に、45万台が販売されたのが確認されている。


   (15)copyright,activision,1984   (16)copyright,atari,1986

 (15)は1984年3月にアクティビジョンから発売された「H.E.R.O.」。鉱山に生き埋めになった炭鉱夫を救出するのが目的のレスキューゲーム。
 (16)は1986年にアタリから発売された「ソラリス」。「スターレイダース」の作者が手掛けたエリア移動方式のシューティングゲームの名作。


 1978年6月にキーボードコントローラ「CX50」が発売される。テンキー型のタッチパッドコントローラで専用ソフトは6本。

 1978年末にボリュームコントローラを1つ加えて再販される。本体は香港製になり、形状も若干異なる。通称「ライト・シクサー」モデル。

 1980年末に本体の難易度切り替えスイッチ2つの位置を背部に変更し、小型化して130ドル(3万円程)で発売される。上部画像の品。

 1982年に「VCS」は「アタリ2600」に名称が変更され、本体前面の木目を無くし、ボリュームコントローラが別売りになり、

 「コンバット」の代わりに「パックマン」を同梱して、100ドル(2万4000円程)で発売される。通称「ダース・ベイダー」モデル。

 1983年5月に日本で新デザインのコントローラ(スティックとボリュームの一体型)が2つ付いた「アタリ2800」(4ポート)が、2万4800円で発売される。

 また、シアーズ社は日本の「アタリ2800」に「スペースインベーダー」を同梱して、「ビデオアーケード II」の名で米国で発売している。

 1983年7月にトラックボールコントローラ「CX22」が45ドルで発売される。

 1986年に本体がさらに薄く小型化された「アタリ2600 Jr.」が、50ドル(8000円程)で発売される。

 1987年に日本のコントローラに近くなった新版の「アタリ2600 Jr.」が発売される(「アタリ2600Jr.」は1992年で製造終了)。


   (17)copyright,atari,1987   (18)copyright,atari,1989

 (17)は1986年にアタリから発売された「ミッドナイトマジック」。ハード末期ならではの素晴らしい完成度のピンボールゲーム。
 (18)は1989年にアタリから発売された「シークレットクエスト」。ノーラン・ブッシュネルがデザインしたアクションアドベンチャーゲーム。


 日本で普及しなかったので、日本での知名度はマニアでも聞いた事はある程度だが、米国では非常に有名なゲーム機である。

 しかし2005年に登場した動画投稿サイト「YouTube」の中で、海外で人気のAVGNが紹介した事や、

 2014年に「E.T.」の発掘調査が各所で「伝説のクソゲー」等の煽り文句で報じられた事で、日本でも認知度は高まりつつある。

 このゲーム機が米国で普及していなければ、日本のファミコンも出ていなかったかもしれない事を考慮すれば、

 ゲームの歴史上、極めて重要な存在であり、今改めて見直すべき機種であると言える。

 この時期の海外TVゲーム機の動向やソフトの詳細は、日本の文献やサイトでは絶対的に情報が不足しており、

 米国の雑誌や新聞、100件以上の海外サイトを読んで、英文を訳しつつ書き出して、何百時間もかけて調査してまとめて書き続けているが、

 日進月歩のゲーム界でソフトの正確な発売日が分からなかったり(英Wikipediaでも月どころか年が間違っている事も多い)、

 本体販売台数も大雑把な記録が多く、現在これらを特定するのは非常に困難であり、参考程度に留めてもらいたい。

 これは日本のセガの家庭用TVゲーム機「SG-1000」ソフトの発売日や、パソコンゲーム等でも同様なのだが、

 当時は機種や国、または時期や地域によっては問屋を使わずに、販売店から注文のあった商品だけが直接卸されていたので、

 店によって新製品の入荷時期が違い、正確な記録が残っていない事が原因である。

 さらに米国は大陸が広いので、輸送も時間がかかるし、国内で時差がある事も影響しているかもしれない。

 ファミコン以前の家庭用TVゲーム市場を伝える重要なゲーム機である為に、知られざる名作を数多く紹介する予定なので期待してほしい。


     copyright,atari,1978     copyright,atari,1980


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