414345525361駆逐隊司令

駆逐艦を4隻単位の隊として運用する試みは、日露戦争中に進められており、戦後も継続して駆逐隊編制を推進することになった。

横須賀鎮守府配属の名簿筆頭を第1駆逐隊とし、呉・佐世保・舞鶴の順に通し番号を打たれた。

大正7年4月1日より、横須賀所属は1〜10、呉所属は1120、佐世保所属は2130、舞鶴所属は3140の番号が割り振られた。

この番号制度は駆逐隊・潜水隊はもとより、番号航空廠にも適用されており

横須賀1〜5・呉6〜10・佐世保1115と割り振った掃海隊番号が数少ない例外である。

3134駆逐隊は2度、第32駆逐隊は3度、第33駆逐隊は1度編制されている。

番号変更から舞鎮廃止まで5年、舞鎮復活から敗戦まで6年と短期間しか母港が存在しなかったため、短期間で転籍している。

 

41駆逐隊T山雲・夏雲・朝雲・峰雲

第9駆逐隊X(昭和141115日‐)

朝潮型中期ロットで編制した部隊で、当初は横須賀所管の1〜10駆逐隊が満席だったため41駆逐隊を名乗り

世代交代や舞鶴転出などで空席ができた9駆逐隊へスライドした。

艦隊デビューは遅く16年度から4水戦に召集された。

リンガエン上陸作戦に参加したが、山雲が触雷して落伍し、3隻でタラカン・バリクパパン・スラバヤ攻略に臨んだ。

ミッドウェー海戦後ソロモンに進出。サボ沖海戦で夏雲、スタンモア海戦で峰雲を続けて失った。

残る山雲・朝雲はマリアナ・フィリピン海戦に参加したが、19年3月をもって隊は解散していた。

解散後も同一行動を取ったが、スリガオ海峡で猛攻撃を受け、2隻とも戦没した。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和13年2月10

高間  完

41

広島

第8駆逐隊司令

厳島艦長

第11水雷戦隊司令官

 

昭和13年7月22

板垣  盛

39

岩手

第10駆逐隊司令

第5防備隊司令

呉警備隊司令官

 

昭和14年1月15

新美 和貴

40

熊本

第6駆逐隊司令

多摩艦長

洲埼艦長

 

昭和1511月1日

篠田 勝清

44

福岡

第30駆逐隊司令

施設本部総務部課長

山城艦長

 

昭和16年4月10

佐藤 康夫

44

神奈川

第5駆逐隊司令

第8駆逐隊司令

第8駆逐隊司令

 

昭和18年2月15

小西 要人

44

鹿児島

第7駆逐隊司令

阿武隈艦長

雲龍艦長

 

昭和18年8月18

井上 良雄

48

埼玉

雲鷹副長

第18駆逐隊司令

第18駆逐隊司令

 

昭和19年3月31日解隊

 

 

 

 

 

41駆逐隊U涼月・冬月・霜月・宵月

秋月型で編制した部隊で、宵月の就役が遅く、涼月がたびたび戦傷しているため、4隻そろって行動したことはない。

フィリピン海戦には霜月と冬月で赴く予定だったが、呉に移動中、冬月も戦傷して脱落した。

孤立した霜月は脇田司令を乗せたままフィリピン海戦に参加し、帰還する間もなくオルモックで戦没し、脇田司令も戦死した。

戦傷から回復した涼月と冬月は菊水作戦に加わり、奇跡的に生還したものの、涼月は再起不能となった。

宵月は能美島、冬月は門司で対空戦を継続し、駆逐隊は維持したものの共同作戦は一度も実施できなかった。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和19年9月15

脇田喜一郎

48

鹿児島

第21駆逐隊司令

1125日戦死

41駆逐隊司令

 

昭和20年3月1日

吉田 正義

50

山口

43駆逐隊司令

予備役

41駆逐隊司令

 

 

 

 

 

 

 

 

 

43駆逐隊T竹・梅・桃・杉・槙・楓・蔦・椎

松型で編制した部隊で、ほとんどの期間を船団護衛で過ごした。

槙がフィリピン海戦、竹がオルモック作戦、桃が礼号作戦に参加したのが数少ない戦闘である。

戦没艦は梅と桃のみで、強靭ぶりを発揮した。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和19年7月15

菅間 良吉

50

宮城

 

 

 

 

昭和20年1月17

吉田 正義

50

山口

 

41駆逐隊司令

41駆逐隊司令

 

昭和20年3月1日

作間 英邇

50

山口

冬月艦長

予備役

43駆逐隊司令

 

 

 

 

 

 

 

 

 

45駆逐隊T朝風・松風

第5駆逐隊を半個隊に2分割し、45駆逐隊を編制した。

しかし半個隊に分割してもメリットはなく、トンボ釣り要員としても召集されなかった。

分割から3年も経たず、元の5駆逐隊と合併した。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和131115

江戸兵太郎

40

福井

第29駆逐隊司令

長良艦長

第31戦隊司令官

5dg司令

6dg司令

昭和131215

佐藤寅治郎

43

山形

兵学校教官

第18駆逐隊司令

神通艦長

 

昭和141115

 

 

 

 

 

 

 

昭和16年4月10日第5駆逐隊に統合

 

 

 

 

 

 

 

52駆逐隊T樫・檜・萩・梨・樺

松型で編制した部隊だが、樫が編制前にサンホセ突入を実施したほかに外戦の経験はなく

外戦が終了した後に編制した部隊であるため、船団護衛が主任務となった。

岩上司令はサイゴン−マニラ護衛の復路で檜とともに戦死している。

内地で対空戦を継続しつつ、本土決戦に温存されたが、梨が戦没着底し、戦後にサルベージされ護衛艦わかばとなった。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和191129

岩上 次一

50

石川

第7駆逐隊司令

20年1月8日戦死

52駆逐隊司令

 

昭和20年3月10

杉谷 永秀

51

石川

涼月艦長

予備役

52駆逐隊司令

 

 

 

 

 

 

 

 

 

53駆逐隊T柿・楠・菫

松型で編制した部隊だが、史上最後の駆逐隊でもあり、舞鶴に退避しており、作戦にまったく従事できなかった。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和20年3月15

豊嶋 俊一

51

長崎

 

予備役

53駆逐隊司令

 

 

 

 

 

 

 

 

 

61駆逐隊T秋月・初月・照月・涼月

秋月型で編制した始めての駆逐隊だが、新月は駆逐隊入りする間もなく単艦で戦没している。

ソロモンに派遣され、対空戦で戦火を挙げている一方、戦隊旗艦に転用されることも多く、指揮官先頭の伝統に従い損傷も多い。

ソロモン撤退からマリアナ海戦の間は船団護衛に従事したが、本土近海で涼月が雷撃され、泊司令が戦死している。

4代の司令全員が軍艦艦長または61駆逐隊司令として戦死している。

フィリピン海戦で囮部隊に加わり、秋月と初月を一挙に失ったため解散した。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和1710月7日

則満 宰次

46

東京

北上艦長

機雷学校教頭

筑摩艦長

 

昭和18年2月3日

大江 覧治

47

岡山

第19駆逐隊司令

摩耶艦長

摩耶艦長

 

昭和181212

泊  満義

46

鹿児島

軍務局御用掛

1月16日戦死

61駆逐隊司令

 

昭和19年3月20

天野 重隆

47

大阪

第10駆逐隊司令

191025日戦死

61駆逐隊司令

涼月艦長

昭和1912月1日解隊