15駆逐隊司令

駆逐艦を4隻単位の隊として運用する試みは、日露戦争中に進められており、戦後も継続して駆逐隊編制を推進することになった。

横須賀鎮守府配属の名簿筆頭を第1駆逐隊とし、呉・佐世保・舞鶴の順に通し番号を打たれた。

大正7年4月1日より、横須賀所属は1〜10、呉所属は1120、佐世保所属は2130、舞鶴所属は3140の番号が割り振られた。

この番号制度は駆逐隊・潜水隊はもとより、番号航空廠にも適用されており

横須賀1〜5・呉6〜10・佐世保1115と割り振った掃海隊番号が数少ない例外である。

13駆逐隊は3度、第14駆逐隊は2度編制されている。

どちらも初代が7年度変更を受けただけで、編制回数そのものが少ない。

 

15駆逐隊T敷波・巻雲

日露戦争で捕獲した水雷砲艦ガイダマークとヴサドニクを転用し、大湊に配置した。

小型低速の水雷砲艦だけに、駆逐艦には類別したものの水雷戦隊には使えず、2年ともたず解散した。

以後、駆逐隊を組まず単艦として南清艦隊で2年を過ごし、戦闘に巻き込まれることなく退役した。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

明治43年2月25

 

 

 

 

 

 

 

明治441013日解隊

 

 

 

 

 

15駆逐隊U山彦・文月

百鬼夜行の第3駆逐隊から暖簾分けされた元レシーテリヌィ・シールヌィのコンビである。

文月の退役に合わせ、1年余で解散したが、山彦の引退はまだ先のことになる。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

明治45年2月1日

 

 

 

 

 

 

 

大正2年4月1日解隊

 

 

 

 

 

15駆逐隊V桃・樫・檜・柳

24駆逐隊T(大正7年4月1日−)

地中海派兵によって手薄になった西日本の水雷戦力を補うために新編成した桃型4隻の部隊である。

ところが結成と同時に、佐世保に残らず追加派兵部隊に指定され、地中海へ遠征する羽目になった。

遠征中に番号が変わり、帰国後も直後1年間だけ1水戦に呼ばれ、ようやく4年度編制まで長期休暇をいただいた。

3年度と上海事変臨戦態勢時に第1遣外艦隊に召集されており、国内より国外で華々しく活躍した部隊だった。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

大正6年4月1日

河合 退蔵

27

福井

第12駆逐隊司令

多摩艦長

艦政本部3部長

 

大正8年12月1日

杉浦 正雄

30

愛知

第6駆逐隊司令

第26駆逐隊司令

扶桑艦長

27dg司令

大正1012月1日

後藤  章

31

宮崎

第31駆逐隊司令

第25駆逐隊司令

第6戦隊司令官

22dg司令

大正1112月1日

岩崎 本彦

31

福島

夕風艦長

 

 

 

大正1212月1日

岩代 茂身

33

高知

帆風艦長

 

 

 

大正1312月1日

広岡 正治

33

兵庫

第1号駆逐艦長

勝力艦長

 

 

大正141020

 

 

 

 

 

 

 

昭和2年5月1日

石川哲四郎

33

茨城

第3駆逐隊司令

第1駆逐隊司令

日進艦長

 

昭和3年1月15

三木 太市

35

山口

練習艦隊参謀長

第3駆逐隊司令

第5戦隊司令官

 

昭和3年1210

斎藤 二朗

36

東京

菊月艦長

第27駆逐隊司令

第1水雷戦隊司令官

 

昭和4年1130

柳原 信男

36

高知

叢雲艦長

 

 

 

昭和5年12月1日

中田  操

37

東京

 

 

 

 

昭和7年8月8日

坂野 民部

38

山形

第5駆逐隊司令

第21駆逐隊司令

 

 

昭和8年1115

河原金之輔

39

神奈川

綾波艦長

 

 

 

昭和9年7月10

 

 

 

 

 

 

 

昭和9年1115

高橋 一松

40

新潟

暁艦長

鈴谷副長

第2海上護衛隊司令官

 

昭和9年1215

 

 

 

 

 

 

 

昭和12年5月31日解隊

 

 

 

 

 

15駆逐隊W萩・藤・薄・蔦

樅型後期の草ロット4隻で編成した部隊である。

編制と同時に1水戦で艦隊デビューし、1314・昭和3・4・5年度も1水戦を勤めた。

13年度に久しぶりに艦隊に呼ばれ、第4艦隊直卒部隊として渤海方面の警護を担当した。

14年をもって解散し、4隻とも哨戒艇に改造の上、上陸支援や船団護衛を担当。

萩改め33号がウェークに強行上陸して放棄されたのを皮切りに、藤改め36号がオランダに接収された以外、3隻は戦没した。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

大正10年6月1日

松山  茂

30

長崎

教育本部員

欧米出張

軍令部次長

 

大正11年2月20

 

 

 

 

 

 

 

大正1212月1日

木田 新平

32

香川

 

第5駆逐隊司令

佐世保港務部長

 

大正1312月1日

蒲田 静三

33

青森

 

 

 

 

昭和2年12月1日

染河 啓三

34

鹿児島

 

大湊防備隊司令

 

 

昭和3年1210

高島田政耕

35

高知

 

 

 

 

昭和4年1130

郷田喜一郎

35

山梨

第27駆逐隊司令

 

 

 

昭和5年12月1日

福原 一郎

37

栃木

初雪艦長

 

 

 

昭和6年11月2日

神山 徳平

38

熊本

夕霧艦長

 

 

 

昭和1112月1日

成田 忠良

42

福島

暁艦長

 

 

 

昭和1212月1日

崎山 釈夫

42

鹿児島

磐手副長

第11駆逐隊司令

三隈艦長

 

昭和131215

高橋 一松

40

新潟

第23駆逐隊司令

第14駆逐隊司令

第2海上護衛隊司令官

14dg司令

昭和14年2月20日解隊

 

 

 

 

 

15駆逐隊X黒潮・親潮・早潮・夏潮

陽炎型初期ロットの潮型で統一した部隊で、早潮の竣工日を編制日とする。

すぐに2水戦へ召集されたが、開戦半年前に黒潮・夏潮が峰雲と衝突し、突貫工事で戦線復帰を果たしたことがある。

フィリピン・東蘭印攻略に参加し、マカッサル攻略中に夏潮を失った。

ミッドウェー海戦後、ソロモンに進出し、輸送・護衛・戦闘を重ね、ラエ増援作戦で早潮が戦没した

コロンバンガラ輸送作戦で親潮・黒潮を同時に失い、駆逐隊は全戦力が消滅し、部隊は解散となった。

 

司令氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

昭和15年8月31

植田弘之介

42

茨城

第7駆逐隊司令

 

 

 

昭和16年6月18

佐藤寅治郎

43

山形

第4駆逐隊司令

神通艦長

神通艦長

 

昭和171226

牟田口格郎

44

東京

安宅艦長

横須賀第2海兵団教官

伊勢艦長

 

昭和18年6月20日解隊