第1・第2遣外艦隊司令官

本稿では、世界大戦終盤から上海事変まで大陸に駐留した2個遣外艦隊を取り上げる。

なお、初代第2遣外艦隊は第1特務艦隊を改称したものであり、中国駐留部隊ではないため、2代目のみを取り上げた。

 

第7戦隊U

遣支艦隊(大正7年8月10日−)

第1遣外艦隊(大正8年8月9日−)

11戦隊T(昭和8年5月20日−)

 

 

 

指揮部隊

所属部隊

大正6年12月1日

第3艦隊

千歳 宇治 鳥羽 伏見 隅田

大正7年8月10

軍令部

千歳 宇治 鳥羽 伏見 隅田 嵯峨

大正7年12月1日

須磨 宇治 嵯峨 鳥羽 伏見 隅田

大正8年8月9日

須磨  宇治 嵯峨 鳥羽 伏見 隅田 第29駆逐隊

大正9年12月1日

千歳 宇治 嵯峨 鳥羽 伏見 隅田

大正1012月1日

明石 宇治 嵯峨 鳥羽 伏見 隅田

大正1112月1日

対馬 安宅 隅田 伏見 鳥羽 嵯峨

大正1212月1日

対馬 安宅 宇治 隅田 勢多 比良 保津 鳥羽

大正1312月1日

利根 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 鳥羽

大正1412月1日

平戸 利根 安宅 宇治 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽

大正151210

平戸 利根 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 浦風 第16駆逐隊

昭和2年5月6日

利根 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 浦風

昭和2年12月1日

矢矧 利根 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 浦風

昭和3年1210

矢矧 利根 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 浦風 第24駆逐隊

昭和4年1130

平戸 矢矧 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 浦風

昭和5年12月1日

平戸 安宅 嵯峨 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 熱海 二見 浦風

昭和6年12月1日

平戸 天龍 対馬 常磐 安宅 宇治 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 熱海

二見 浦風 第24駆逐隊

昭和7年2月2日

第3艦隊

平戸 天龍 対馬 常磐 安宅 宇治 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 熱海

二見 浦風 第24駆逐隊

昭和7年12月1日

対馬 安宅 宇治 伏見 隅田 勢多 比良 保津 堅田 鳥羽 熱海 二見 浦風

24駆逐隊

昭和8年1115

対馬 安宅 宇治 伏見 隅田 鳥羽 勢多 比良 保津 堅田 熱海 二見 浦風

26駆逐隊

昭和9年1115

対馬 安宅 宇治 鳥羽 勢多 比良 保津 堅田 熱海 二見 浦風 栗 栂

昭和101115

安宅 鳥羽 勢多 比良 保津 堅田 熱海 二見 浦風 栗 栂 蓮

昭和1112月1日

安宅 鳥羽 勢多 比良 保津 堅田 熱海 二見 栗 栂 蓮

昭和131215

安宅 鳥羽 勢多 比良 保津 堅田 熱海 二見 栗 栂 蓮 第1水雷隊

昭和141115

第1遣支艦隊

安宅 鳥羽 勢多 比良 保津 堅田 熱海 二見 伏見

昭和151115

 

解隊

中国が世界大戦に際して中立を宣言したため、旧第3艦隊に属した河川砲艦は武装解除のうえ上海で抑留されていたが

大正6年に中国もドイツに宣戦布告したことによって、日本も再度駐留部隊を保有できることになった。

既存の河川砲艦3隻に加え、旗艦千歳と航洋砲艦宇治を派遣し、2代第7戦隊を編制したものが第1遣外艦隊のルーツとなる。

翌年に軍令部直轄の遣支艦隊に改称し、さらに翌年から第1遣外艦隊に改称した。

上海を本拠地として砲艦を基幹としつつも、航洋船舶は長江を宜昌関まで遡上できるので、老朽巡洋艦が旗艦を務めた。

昭和2年に一部を分離して第2遣外艦隊を編制、上海事変直後に第3艦隊を再編して指揮下に入った。

昭和8年度より第3艦隊も戦隊を編制することになり、第1遣外艦隊は第11戦隊に改称した。

司令官

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

大正6年1215

山岡 豊一

17

鳥取

軍令部員

第4戦隊司令官

第4戦隊司令官

大正8年11月8日

吉田増次郎

17

静岡

軍令部3班長

将官会議議員

第1遣外艦隊司令官

大正11年5月1日

小林 研蔵

19

鳥取

佐世保鎮守府参謀長

将官会議議員

第1遣外艦隊司令官

大正12年9月15

野村吉三郎

26

和歌山

軍令部3班長

軍令部員

横須賀鎮守府司令長官

大正14年4月20

永野 修身

28

高知

第3戦隊司令官

軍令部員

軍令部総長

大正15年8月20

荒城 二郎

29

東京

第2潜水戦隊司令官

艦政本部2部長

横須賀工廠長

昭和2年12月1日

宇川  済

28

長野

横須賀鎮守府参謀長

第5戦隊司令官

第5戦隊司令官

昭和3年1210

米内 光政

29

岩手

軍令部3班長

鎮海要港部司令官

海軍大臣

昭和5年12月1日

塩沢 幸一

32

長野

連合艦隊参謀長

軍令部員

横須賀鎮守府司令長官

昭和7年6月6日

坂野 常善

33

岡山

軍令部3班長

軍令部員

軍事普及部委員長

昭和8年1115

杉坂悌二郎

33

富山

上海特別陸戦隊司令官

大湊要港部司令官

大湊要港部司令官

昭和1012月2日

日比野正治

34

愛知

第1戦隊司令官

駐満海軍部司令官

呉鎮守府司令長官

昭和1112月1日

谷本馬太郎

35

広島

第8戦隊司令官

駐満海軍部司令官

佐世保鎮守府司令長官

昭和1212月1日

近藤英次郎

36

山形

第3水雷戦隊司令官

横須賀鎮守府幕僚

11戦隊司令官

昭和131215

杉山 六蔵

38

鳥取

軍令部幕僚

横須賀警備戦隊司令官

佐世保鎮守府司令長官

昭和141115

第1遣支艦隊直卒

 

 

 

昭和151115日解隊

 

 

 

 

第2遣外艦隊U

 

指揮部隊

所属部隊

昭和2年5月16

軍令部

平戸 対馬 第9駆逐隊

昭和2年12月1日

球磨 対馬 第9駆逐隊

昭和3年1210

木曽 対馬 第9駆逐隊

昭和4年1130

木曽 第9駆逐隊

昭和5年1215

球磨 第16駆逐隊

昭和6年12月1日

球磨 八雲 第13駆逐隊 第16駆逐隊

昭和7年2月2日

第3艦隊

球磨 八雲 第13駆逐隊 第16駆逐隊

昭和7年12月1日

平戸 第16駆逐隊

昭和8年4月20

 

解隊

第1遣外艦隊だけでは中国大陸全体を管轄することは困難なため、一部を青島に置いて華北沿岸を警戒することになった。

昭和2年に平戸を分離するとともに対馬を加え、第16駆逐隊と交代した第9駆逐隊で2代第2遣外艦隊を編制した。

実質的に1個戦隊ほどの小規模艦隊だが、昭和6年9月に満州事変が勃発したため、7年度が最大勢力となっている。

満州事変対策に第3艦隊を再編した際にその隷下に入り、8年4月に第3艦隊が組織改変を行う際に発展解消した。

司令官

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

昭和2年5月16

中島  晋

29

佐賀

軍令部員

軍令部員

第2遣外艦隊司令官

昭和3年4月1日

向田 金一

30

石川

呉人事部長

軍令部員

第2遣外艦隊司令官

昭和3年1210

伊地知清弘

30

東京

呉鎮守府参謀長

軍令部員

大湊要港部司令官

昭和5年5月21

津田 静枝

31

福井

軍令部員

旅順要港部司令官

駐満海軍部司令官

昭和8年4月20日解隊