第3戦隊・第11戦隊(U)司令官

本稿では、4代にわたり存在した第3戦隊を挙げた。

いずれも高速を活かした遊撃部隊であり、初代・3代は巡洋艦、2代・4代は巡洋戦艦で構成された。

2代第3戦隊は第4戦隊に鞍替えしたのちに、巡り巡って4代第3戦隊として帰ってくるが、第4戦隊時代は別に記述する。

一時期、機動部隊である第3艦隊に属したこともあるが、原則として第1艦隊と第2艦隊を行き来している。

なお、最後の第3戦隊は2分割の上、新たに2代目第11戦隊を編制したため、同時に取り上げた。

初代第11戦隊は第1遣外艦隊を改めたものであるため、別項に譲る。

 

第3戦隊T

 

指揮部隊

所属部隊

明治361228

第1艦隊

千歳 高砂 笠置 吉野

明治38年1月12

笠置 千歳 音羽 新高

明治38年6月14

第2艦隊

笠置 千歳 音羽 新高

明治381220

 

解隊

9隻の2等巡洋艦のうち、新しい後期4隻で組んだのが初代第3戦隊である。

いずれも旅順口哨戒任務にあたったが、吉野が衝突、高砂が触雷で失われ、巡洋艦による偵察任務に深刻な影響を与えた。

のちに小型の音羽・新高を加えて戦隊を維持したが、解散後に笠置・音羽・新高を海難で失い、無事生涯を終えたのは千歳だけだった。

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

明治361228

出羽 重遠

福島

常備戦隊司令官

第4艦隊司令長官

第1艦隊司令長官

明治38年6月14

小倉鋲一郎

東京

横須賀鎮守府参謀長

人事局長

人事局長

明治381220日解隊

 

 

 

 

 

第3戦隊U

 

指揮部隊

所属部隊

大正3年8月18

第1艦隊

鞍馬 筑波 金剛 比叡

大正4年2月5日

金剛 比叡 鞍馬 筑波

大正4年1213

第2艦隊

榛名 比叡 霧島

大正5年12月1日

榛名 金剛 霧島

大正6年12月1日

金剛 比叡 霧島

大正7年12月1日

榛名 比叡 霧島

大正8年12月1日

榛名 比叡 金剛

大正9年12月1日

金剛 霧島

大正1012月1日

 

第4戦隊に改称

中盤以後は第2艦隊1番隊に収まり、第2艦隊司令長官直卒部隊として攻撃部隊の中枢にあった。

編制当時は待望の金剛型超弩級巡洋戦艦が続々と就役し、比叡と霧島を軸として、金剛と交代で戦隊に加わった。

大正11年度から第4戦隊に番号は下がったものの、相変わらず第2艦隊1番隊の地位を昭和初期まで維持し

昭和11年、各戦隊を転々としていた金剛4姉妹は再び古巣の第3戦隊に勢ぞろいすることになった。

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

大正3年8月18

山屋 他人

12

岩手

海軍大学校長

第1南遣枝隊司令官

横須賀鎮守府司令長官

大正3年12月1日

上村 翁輔

14

鹿児島

第4戦隊司令官

第2戦隊司令官

舞鶴工廠長

大正4年2月1日

山屋 他人

12

岩手

第1南遣枝隊司令官

軍令部次長

横須賀鎮守府司令長官

大正4年8月6日

栃内曽次郎

13

岩手

第4戦隊司令官

技術本部長

佐世保鎮守府司令長官

大正5年12月1日

第2艦隊司令長官直卒

 

 

 

大正1112月1日第4戦隊に改称

 

 

 

 

 

第3戦隊V

 

指揮部隊

所属部隊

大正1012月1日

第1艦隊

球磨 多摩 大井 木曽

大正1112月1日

球磨 多摩 大井

大正1212月1日

五十鈴 多摩 夕張

大正1312月1日

鬼怒 大井

大正1412月1日

鬼怒 阿武隈 神通

大正151210

阿武隈 鬼怒 球磨

昭和2年12月1日

阿武隈 那珂

昭和3年1210

名取 由良 長良

昭和4年1130

川内 由良 長良

昭和5年12月1日

神通 那珂

昭和6年12月1日

那珂 阿武隈 由良

昭和7年12月1日

阿武隈 由良 名取

昭和8年5月20

 

解隊

先代第3戦隊が第4戦隊に改称した当日、入れ替わりに量産中の5500トン級巡洋艦が3代第3戦隊に任じられた。

昭和期には魚雷が小さい球磨型が戦列を離れ、長良型・川内型で戦隊を切り盛りしているが

性能差が少ないので混用されることが多い。

昭和8年に解散したが、戦隊に属した巡洋艦たちは水雷戦隊・潜水戦隊旗艦として終戦まで第一線で働いた。

後継艦が就役しないので引退したくてもできなかった事情はあるにしても…。

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

大正1012月1日

飯田 久恒

19

東京

第4戦隊司令官

馬公要港部司令官

馬公要港部司令官

大正101226

百武 三郎

19

佐賀

教育本部2部長

鎮海要港部司令官

佐世保鎮守府司令長官

大正1112月1日

小林 躋造

26

広島

イギリス大使館武官

軍務局長

連合艦隊司令長官

大正1212月1日

大角 岑生

24

高知

軍務局長

海軍次官

海軍大臣

大正1312月1日

永野 修身

28

高知

軍令部3班長

第1遣外艦隊司令官

軍令部総長

大正14年4月20

寺岡 平吾

27

秋田

横須賀鎮守府参謀長

待命

第3戦隊司令官

大正1412月1日

古川 四郎

27

愛知

佐世保鎮守府参謀長

艦政本部2部長

航空本部技術部長

大正1512月1日

立野徳治郎

28

山口

呉鎮守府参謀長

横須賀工廠長

横須賀工廠長

昭和2年12月1日

大湊直太郎

29

山形

砲術学校長

教育局長

舞鶴要港部司令官

昭和3年1210

藤田 尚徳

29

東京

人事局長

横須賀工廠長

呉鎮守府司令長官

昭和4年1130

湯地 秀生

30

熊本

軍令部幕僚

馬公要港部司令官

馬公要港部司令官

昭和5年12月1日

松下  元

31

福岡

人事局長

兵学校長

佐世保鎮守府司令長官

昭和6年12月1日

堀  悌吉

32

大分

軍務局長

第1戦隊司令官

第1戦隊司令官

昭和7年1115

鈴木 義一

32

兵庫

佐世保防備隊司令

第7戦隊司令官

佐世保警備戦隊司令官

昭和8年5月20日解隊

 

 

 

 

 

第3戦隊W

 

指揮部隊

所属部隊

昭和11年6月1日

第1艦隊

榛名 霧島

昭和1212月1日

金剛 霧島

昭和141115

金剛 榛名

昭和16年9月1日

金剛 榛名 比叡 霧島

昭和17年7月14

第2艦隊

金剛 榛名

昭和18年4月1日

第3艦隊

昭和19年8月15

第2艦隊

昭和191215

榛名 長門

昭和20年1月1日

 

解隊

昭和11年、性能差が著しく、大所帯となった第1戦隊を2分割して、最後の第3戦隊を結成した。

編制当初は比叡を練習戦艦として戦力外にしていたため、金剛・榛名・霧島で切り盛りした。

比叡が再武装して戦線復帰した対米臨戦体制において、ついに金剛型4隻が勢ぞろいして戦隊を独占した。

しかしミッドウェー後の再編でまたも2分割され、比叡・霧島は第11戦隊に移籍して戦没した。

残った金剛・榛名はフィリピン沖海戦まで健在だったが、本土帰還中に金剛を喪失。

帳簿上は長門が金剛の穴を埋めたが、燃料不足のために横須賀の長門と呉の榛名は合流できず、20年元旦にコンビを解消した。

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

昭和11年6月1日

原 敬太郎

33

高知

第1戦隊司令官

鎮海要港部司令官

鎮海要港部司令官

昭和1112月1日

有地十五郎

33

東京

第4戦隊司令官

鎮海要港部司令官

鎮海要港部司令官

昭和1212月1日

片桐 英吉

34

山形

霞ヶ浦航空隊司令

舞鶴要港部司令官

航空本部長

昭和131115

南雲 忠一

36

山形

水雷学校長

海軍大学校長

中部太平洋方面艦隊

司令長官

昭和1511月1日

小沢治三郎

37

東京

第1航空戦隊司令官

海軍大学校長

海軍総司令長官

昭和16年9月6日

三川 軍一

38

広島

第5戦隊司令官

第8艦隊司令長官

南西方面艦隊司令長官

昭和17年7月12

栗田 健男

38

茨城

第7戦隊司令官

第2艦隊司令長官

兵学校長

昭和18年7月22

鈴木 義尾

40

山形

軍令部2部長

191121日戦死

第3戦隊司令官

昭和191121

欠員

 

 

 

 

 

昭和20年1月1日解隊

 

 

 

 

 

11戦隊U

 

指揮部隊

所属部隊

昭和17年7月14

第3艦隊

比叡 霧島

昭和171220

 

解隊

ミッドウェー後の改編で第3戦隊を2分割し、第3艦隊に引き渡されたのが2代第11戦隊である。

これによって機動部隊と高速戦艦の共同作戦が可能になり、南太平洋海戦に参加した

第3戦隊のガダルカナル島砲撃が成功したことを受け、1ヶ月後に第11戦隊での砲撃を実施したが、

比叡は1113日に水雷戦隊、霧島は15日に戦艦戦隊により阻止されて自沈し、わずか4ヶ月で喪失した。

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

昭和17年7月14

阿部 弘毅

39

山形

第8戦隊司令官

待命

11戦隊司令官

昭和171220日解隊