第3・第4水雷戦隊・第31戦隊

 

第3水雷戦隊

31戦隊(昭和19年8月30日−)

本稿で取り上げる3水戦は、世界大戦・日華事変。太平洋戦争の3度編成されたが、いずれも最前線部隊となっている。

1水戦・2水戦よりも老朽化・軽武装というハンデを背負いつつも、それゆえに最前線に出し惜しみせず酷使されたといえる。

初代3水戦は青島・ウラジオストク方面への進出を主眼としている。

1年間の短命に終わった2代3水戦は1個駆逐隊・2個水雷隊からなり、長江遡上任務に特化しているし

また解隊後に本格化した日華事変においては、両水雷隊は長江を遡上して陸上部隊制圧・陸戦隊上陸・機雷掃討に活躍している。

太平洋戦争時に最前線のソロモンに送られた3代3水戦は睦月・吹雪型で編成され、後期は全艦が睦月型という老朽艦部隊だった。

秋山司令官がクラ湾夜戦、中川司令官がサイパン地上戦、江戸司令官がオルモック湾で戦死しており、

酷使された駆逐艦部隊の惨状が垣間見られる。

19年8月に第22駆逐隊が消滅し、代わりに第43駆逐隊・第933航空隊・第21海防隊を編入し、護衛に特化した31戦隊に昇華した

フィリピン海戦・オルモック作戦と不完全ながら一部部隊が参加し、多大な損害とわずかな成果を上げた。

20年度からは行動が本土近海に制限され、最終的に七尾や舞鶴に分散退避した状態で終戦を迎えた。

 

所属部隊

戦隊旗艦

所属駆逐隊

大正4年4月1日

第3艦隊

 

第5駆逐隊

第14駆逐隊

 

 

 

 

大正4年1213

春日

 

 

 

 

大正5年12月1日

第6駆逐隊

第7駆逐隊

 

 

 

大正6年12月1日

阿蘇

第2駆逐隊

第4駆逐隊

第14駆逐隊

 

 

 

大正7年12月1日

対馬

千早

第5駆逐隊

第12駆逐隊

 

 

 

 

大正8年12月1日

対馬

第7駆逐隊

第31駆逐隊

 

 

 

 

大正9年12月1日

千早

第6駆逐隊

 

 

 

 

大正1012月1日

解散

昭和1112月1日

第3艦隊

北上

第23駆逐隊

第1水雷隊

第21水雷隊

 

 

 

昭和1212月1日

解散

昭和15年5月1日

第1艦隊

川内

第12駆逐隊

第20駆逐隊

 

 

 

 

昭和151115

第11駆逐隊

第19駆逐隊

 

 

昭和17年4月10

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昭和18年4月1日

第8艦隊

第22駆逐隊

第30駆逐隊

 

 

 

昭和19年1月1日

川内

夕張

 

 

 

 

昭和19年8月10

連合艦隊

名取

 

 

 

 

昭和19年9月1日

第5艦隊

五十鈴

第43駆逐隊

933航空隊

21海防隊

 

 

昭和20年3月25

連合艦隊

花月

第52駆逐隊

 

 

 

 

昭和20年4月20

花月

第7駆逐隊

第17駆逐隊

第41駆逐隊

 

昭和201025

解隊

 

第3水雷戦隊司令官

31戦隊司令官(昭和19年8月30日)

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

大正4年4月1日

岡田 啓介

15

福井

第1水雷戦隊司令官

技術本部2・3部長

海軍大臣

大正4年10月1日

吉嶋重太郎大佐司令官心得

 

 

 

大正4年1213

吉嶋重太郎

14

佐賀

薩摩艦長

待命

第3水雷戦隊司令官

大正5年12月1日

荒川 仲吾

15

鹿児島

朝日艦長

待命

第3水雷戦隊司令官

大正6年2月7日

田所 広海

17

高知

第1水雷戦隊司令官

鎮海要港部司令官

鎮海要港部司令官

大正7年1110

小林研蔵大佐司令官心得

 

 

 

大正8年6月1日

小林 研蔵

19

鳥取

舞鶴鎮守府参謀長

佐世保鎮守府参謀長

第1遣外艦隊司令官

大正8年12月1日

桑島 省三

20

兵庫

伊勢艦長

第2水雷戦隊司令官

鎮海要港部司令官

大正9年12月1日

大谷幸四郎

23

高知

扶桑艦長

第1水雷戦隊司令官

呉鎮守府司令長官

大正1012月1日

解散

昭和1112月1日

近藤英次郎

36

山形

横須賀警備戦隊司令官

第11戦隊司令官

横須賀鎮守府幕僚

昭和1212月1日

解散

昭和15年5月1日

藤田類太郎

38

愛媛

軍令部幕僚

第11航空戦隊司令官

第2遣支艦隊司令長官

昭和16年9月1日

橋本信太郎

41

和歌山

日向艦長

水雷学校長

第5戦隊司令官

昭和18年2月14

木村 昌福

41

鳥取

舞鶴海兵団長

第1水雷戦隊司令官

兵学校防府分校教頭

昭和18年3月6日

江戸兵太郎

40

福井

紀伊防備隊司令

横須賀第2海兵団長

31戦隊司令官

昭和18年3月23

秋山 輝男

41

熊本

佐世保第2海兵団長

7月6日戦死

第3水雷戦隊司令官

昭和18年7月7日

伊集院松治

43

東京

金剛艦長

軍令部幕僚

第1護衛船団司令官

昭和1812月5日

中川  浩

42

茨城

日向艦長

7月8日戦死

第3水雷戦隊司令官

昭和19年8月15

江戸兵太郎

40

福井

横須賀海兵団長

1125日戦死

31戦隊司令官

昭和1912月1日

鶴岡 信道

43

東京

呉鎮守府補給長

呉工廠潜水艦部長

呉工廠潜水艦部長

昭和20年8月15

松本  毅

45

山形

第11水雷戦隊司令官

予備役

31戦隊司令官

昭和201025

解隊

 

第4水雷戦隊

本稿で取り上げる4水戦は、初代は潜水艇からなる潜水戦隊であるため、名称では3代、実質は2代編成された。

2代は日華事変対応の増援部隊で、水雷隊を例外として全艦が吹雪型で編成された強力な部隊である。

ただし4水戦を継承した第3艦隊が担当する華中沿岸・長江流域では活躍の場がなく、半年弱で解散した。

3代目4水戦は、性能に若干の不安はあるものの、初春後期型・白露型・朝潮型からなる若い部隊である。

さらに一時期は陽炎後期型からなる第4駆逐隊も加わっていた。

いずれも3水戦と同様にソロモン方面に送られ、旗艦由良が戦没するなど、全艦が激戦を重ねた。

解隊間際には、第2駆逐隊は五月雨、第27駆逐隊は時雨・夕暮がかろうじて生き残るほど激しく消耗した。

 

所属部隊

戦隊旗艦

所属駆逐隊

大正4年6月30

 

 

 

 

 

 

 

 

大正8年4月1日

第1潜水戦隊に改称

昭和12年7月28

第2艦隊

木曽

第6駆逐隊

第10駆逐隊

第11駆逐隊

 

 

 

昭和1212月1日

第3艦隊

第1水雷隊

 

 

 

昭和13年4月19

解散

昭和141115

第2艦隊

那珂

第6駆逐隊

第7駆逐隊

 

 

 

 

昭和151115

第2駆逐隊

第9駆逐隊

第24駆逐隊

 

 

 

昭和16年8月11

第4駆逐隊

 

 

昭和17年4月10

第8駆逐隊

 

 

昭和17年7月14

由良

第27駆逐隊

 

 

 

昭和18年4月1日

長良

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昭和18年7月20

解隊

 

第4水雷戦隊司令官

 

司令官氏名

本籍

前職

後職

最終職

 

初代第4水雷戦隊司令官は第1潜水戦隊司令官を参照されたし。

 

 

昭和12年7月28

細萱戊子郎

36

長野

通信学校長

第1航空戦隊司令官

第5艦隊司令長官

昭和13年4月19

解散

昭和141115

栗田 健男

38

茨城

第1水雷戦隊司令官

第7戦隊司令官

兵学校長

昭和1511月1日

西村 祥治

39

秋田

榛名艦長

第7戦隊司令官

第2戦隊司令官

昭和17年6月20

高間  完

41

広島

榛名艦長

第2水雷戦隊司令官

第11水雷戦隊司令官

昭和18年7月20日解隊