潜水艦 伊400 アオシマ 1/700
ウォーターライン 
潜水艦 伊400 使用




諸元
水上 水中
排水量 (常)5,223トン 6,560トン
水線長 122.0メートル
最大幅 12.0メートル
吃水 7.02メートル
最大速力 18.7ノット 6.5ノット
航続距離 37,500海里(14ノット) 60海里(3ノット)
馬力 7,700馬力 2,400馬力
乗組員 157名
安全潜行深度 100.0メートル
艦載機 特殊攻撃機「晴嵐」×3
武装
魚雷 53cm魚雷発射管8門(艦首8)【魚雷20発搭載】
機銃 25mm3連装機銃3基(9門)、12.7mm単装機銃1基(1門)
主砲 40口径14cm単装砲1基(1門)


・作成
 細かいパーツのピンはデザインナイフで処理し、タミヤセメントの流し込みタイプで接着。
 各部署ごとに製作しておきます(構造物とか)。
・塗装
 塗装は缶スプレーによる塗装。艦載機は筆塗り
 木目甲板を先に塗り、その後マスキング
 グレー部分はMrカラーの軍艦色(2)
 木目甲板はMrカラーのタン
 14センチ単装砲はMrカラーのつや消しブラック
 艦底はMrカラー艦底色(ハルレッド)
艦載機
 上部はMrカラー暗緑色(三菱系)
 下部はMrカラー明灰白色(三菱系)
・改造点
 基本的にストレート組みです。
 艦首を若干丸く削り、備砲である14センチ砲をディティールアップセットのものを加工して装着
 甲板に短艇を設置
・設定
 付属のでカールでを貼り、「伊400」として製作
・感想
 でかい!
 駆逐艦よりもでかい。流石は帝國海軍最大の潜水艦。
 キットは昔のキットだったのでさすがに荒かった。
 しかし、大型の潜水艦であるためこれを迫力でカバーしている。
 海上艦とまた違った良さがあってこのキットも好きです。
 ディティールアップセットの「晴嵐」を使用したため、カタパルトと合わずにどの辺に置くか迷った。
 建造は約1週間
・伊400級 潜水艦  解説

 航洋潜水艦が開発されて以降、各国はこぞって航空機搭載潜水艦を試作しているがこのアイデアを実戦で使用したのは日本海軍だけであった。ほとんどは水上偵察機の搭載であったが、1942年の計画で建造されたこの「イ-400」型はパナマ運河攻撃を念頭に置いて建造された『潜水空母』である。
 遠い攻撃目標へ到達するために長大な航続距離を持ち、浮上時の交戦も考慮して砲・対空装備も搭載されている。水上攻撃機「晴嵐」はこの「イ-400」型に搭載するために開発された水上攻撃機で、艦橋と一体化した水密格納筒に一部分解して格納されている。
 しかし戦局の悪化により敵地攻撃は考えられなくなり、「イ-402」は航空燃料輸送用の潜水タンカーに改造されている。また「イ-405」は工事中止で解体、細々と建造が続けられていた「イ-404」も空襲で損傷し終戦直前に連合軍への接収を恐れ自沈処分されている。
 竣工した3隻(イ-400〜イ-402)は終戦後米軍に接収され、検証後に海没処分されている。この時の検証結果は米海軍の大型潜水艦(特に初期のミサイル搭載艦)開発に大きな参考となったようだ。


・潜水艦 伊400  解説

 伊400は昭和20年(1945年)4月20日に大連に入港し重油1700tを搭載。7月13日伊401と石川県七尾湾出港し、13日〜20日舞鶴寄港、21日〜23日14:00大湊寄港後、伊401と合流した。26日伊401と分離し、8月15日ウルシー南方で待機中、敗戦を知る。17日帰投命令を受領し搭載機、魚雷を投棄。29日金華山沖でアメリカ駆逐艦(DD744)ブルーに接収され横須賀に回航される。昭和20年(1945年)9月15日除籍、10月末、横須賀より佐世保に回航された。

 昭和21年(1946年)1月佐世保出港後グアム、ハワイ、オアフ島、真珠湾経由でアメリカ本土に回航され技術調査後6月4日ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分.された。
・艦載機  解説


・愛知 特殊攻撃機「晴嵐」

 太平洋戦争開戦直後に日本海軍は「地球上のいかなる地点へも往復可能」な大型航空機搭載潜水艦の建造に着手した。これが大戦末期に完成した イ-400(潜特型)潜水艦である。
 この大型潜水艦により敵根拠地へ接近し、カタパルトにより出撃、奇襲攻撃を行うための専用機体として当初は艦上爆撃機「彗星」の改造型搭載が予定されていたが新機種開発のほうが有利であるとの結論から海軍は愛知航空機に対して17試特殊攻撃機としての開発を指示した。これにより昭和18年11月に完成したのが、この特殊攻撃機「晴嵐」である。
 潜水艦への搭載のため特殊な組立機構を採用し、イ-400型潜水艦に3機の搭載が可能なサイズの機体が完成した。また、フロートは緊急時には投棄することが出来るようになっていた(最近ではフロート投棄は出来ない機構となっていたとする説も出てきている)。また、フロートを取り外し、通常の引き込み脚を装備した陸上機型「南山」も(性能試験用や訓練用として)同時に開発された。
 第一潜水隊は昭和19年末に当機を受領し、猛訓練を実施。イ-400、401号によるウルシー奇襲攻撃を目論んだが攻撃へ向かう途中に終戦を迎え、当機も実戦参加の場を永遠に失ってしまったのである。