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ちょっとディープな管理人プロフィール… 〜 上山和樹 『「ひきこもり」だった僕から』 に寄せて 〜


 ‥‥ウェブ上に、どのあたりまで自分の深部を露出していいのかわからないのだが‥‥。

 21世紀の今日、不登校から引きこもりまで、人が社会に触れ、何らか適応し、その成員になってゆく場面でさまざまな障害、困難を感じて、そのどこかに場を得ることができなくなってしまう現象が、もはや少数の問題を抱えた人たち、という数を超えてしまっているらしい。
 私は、世代的には‘団塊の世代’のひとまわりあとの世代に当たる。早く昭和40年代に学校不適応を起こし、中学校で本格的に‘引きこもっ’てしまった人間である。小学校4年生の時に登校が異様に苦痛になり、市の教育研究所に通わされた。5、6年生はまた登校するようになり、中学校に進学すると、小学校時にまさる学校恐怖を感じだした。当時の中学校は男子は丸刈り強制であり、部活動も運動部入部が勧められ、そうした雰囲気に、小学校時代に、いな幼稚園期から感じていた、“おとなになってゆくこと、おとなの社会に入ってゆくこと”に対する強い恐怖・圧迫感を、いよいよつらく感じてきていた。

 中学1年時に転校したが、転校先の中学校の雰囲気 ― 校風、あるいは教員組織の空気? ―がややソフトだったことに若干気持ちが安静化するとともに、2年生に進級したあと、登校できなくなり、本格的な不登校生活が始まった。その後、2度留年したあと、3年次は少し登校し、あとは市の教育研究所に通って出席日数としてもらい、卒業。通信制高校に入ったけれども、自主性の全くない私は単位も取らず、翌年、ある全日制私学にゴリ押しで入れてもらい、欠席がちながら卒業し、私大の哲学科に入った。
 哲学科は、論理学と外国語が得意でないと、大学院進学どころか、学部の授業も全く面白くなく(入った学科には東洋哲学はなかった)、完全に落ちこぼれた。就職への行動がどうにも取れず、つまり今日の「引きこもり」、「ニート」とほぼ変わらない暮らしをしているうち、父が死に、若干残った産で、大学院入学という形で‘ニート’化をゴマかした。大学院は、就職の可能性の高いところはまず入れてくれないだろうと考え、とりあえず入れてくれそうなところの修士(博士前期)課程に入った ― こう書くと、同じところの出身者がお読みになったら、不愉快に感じられるかもしれないが、私の出た専攻に限り、といえばまあ客観的な評価だろう。急遽補注^^; ―。もちろん、専門は落ちこぼれた‘横文字’から‘縦文字’に変えた。安易さの極致である。

 修士論文は、いちおう書くだけ書いた、というていのもので、それなりの‘新見’は入れたつもりだが、次のステップにつながったり、ライフワークになりうるようなものではなかった。それを基に書いた公刊論文は、他の研究者の論著にも参照されているから、全く他から参照されない論文しか書いていないというわけではないけれども、それは、いわば後期課程に進んだことの免罪符、というくらいのものである。修士だけ出ても、教員免許もない (指導教授はそれに驚いていたが、専門が全く違うので学部をひとつ出直すくらい単位を取らなくては教員免許は取れなかった) し、そのまま後期課程へ進む。そこで‘学会’という世界に触れ、一流の研究者や、その卵の人たちと、少しばかりお付き合いをさせてもらい、今までに味わわなかった‘自分が居られる(かもしれない)’場所という感触を、薄くながら感じたが、学会で発表するようなテーマはとても作れなかった。そのあと、その関連のところの任期制職に就き ― 名目は研究職だが、実際はそうとうアクロバティックな予算管理と事務雑事の嵐。ここでの体験は、ちょっとした異界遍歴譚だった^^。機会があればまた… ― 任期満了とともに非常勤の若干のコマを与えられるが、‘お情け’雇用なのであるから、必要な人材では全然なく、仕事は当然減りつつ、塾などの仕事を増やしている、という典型的な院卒ワーキング・プアの、それも完全な自己責任組、という次第。


 最近、水月昭道『高学歴ワーキングプア』(光文社新書、2007年)が話題になっており、Amazon.co.jpのサイトでのカスタマー・レヴューには、その内容や著者を露骨に嘲弄するものが殺到しており、いわばこの種のワーキング・プアは、一般の非難・嘲笑を最も受けやすい、ないし、受けるべきと考えられている存在であるということだろう。
上山和樹『「ひきこもり」だった僕から』  上記書の著者は、博士学位を取得し、単著もある人で、内実的にはもう一人前の研究者であるのだが、ポストに就くことの困難さを述べるやいなや嘲弄の嵐である。この書に関しては、また別に触れることがあるかと思うが、私は博士学位も持たないし、それに向けての研究もしたことはない。まさにどうしようもない‘穀つぶし’だ。そういう自覚を強くしつつあった昨年(2007年)、“引きこもり”の、まさに体験者が、引きこもりの体験と、そこから脱出することの凄まじさを、圧倒的な筆力で描いた、上山和樹氏『「ひきこもり」だった僕から』(講談社、2001年)を読んだ。これは、凄かった。

 著者は、幼少期からの自身の成育を、時には読んでいるほうがつらくなるくらいに、赤裸々に語る。が、基本的には健全で‘元気’な小学校時代を送るのだが、中学受験へ向けての時期からしだいに波乱ぶくみになってくる。阪神圏の受験の名門、甲陽中学を受けて、落ち、そのあと身体症状をも伴なう、たいへんな葛藤を体験し、高校も転校から中退と進み、公立大学に進学し‥‥その過程で‥‥書かれた体験は、どう形容していいかわからない‥‥が、ダイナミックだ。このあと、父上の死ということがあり、そのあとも引きこもり状態の中で凄まじい葛藤を乗り越え(と、言っていいのか…)、引きこもりの人びとの‘親の会’の場で、自身の体験を語り出したことがきっかけとなり、そこから社会とのつながりを再発見しようと、これまた苦闘の嵐…。

 興味のある方には、Amazon.co.jpマーケットプレイスの古書でも買えるので、古書か図書館蔵書で読んでいただきたく ― 復刊は待望されるけれど! ― 内容全体についてはこれくらいにしておき、読み進めていて、とくに印象深く、言い換えれば、じーんと身に沁みた、さらに言えば、愕然とさえした部分にだけ、触れることにする。


 著者は、小学生時代に関しては、基本的には私から拝見すれば、うらやましいほど元気な子ども時代を過ごしている。3年生の時の‘恋心’と、性への関心が綴られている(22頁)が、健全そのものと読める。身体症状から登校不能に苦しみだす中学時代以降の、性に関する記述はもっとずっと強烈だが、このあたりは、本全体の説得力を高めている。
 ‘性の問題の重要さ’に関する重要な指摘が、後半部 「いま(いまから)」 にあるのだが、このことを書いてくれた著者には、私は何か複雑な感謝といったものを覚える。Sexuality は、生全体に大きくかかわる問題なのだが、私自身の性に関することがらは、著者のようにストレートに書けるようなものではない。そして、このサイトでは、私は自分の vita sexualis にはあまり立ち入らないことにしたい。
 立ち入らないことにしたいのだが‥‥本書で最も印象的だった箇処は、後半部にある 「性的な挫折」 (151頁)だ。上山さんは、以下のように言う ―
 ひきこもりは、普通は「社会的・経済的挫折」と見なされます。それはわかりやすい話です。実際、そうですし。でも、私が思うに、ひきこもりには、もう一つ重大な挫折が秘められています。これまではあまり触れられていないんですが、「性的挫折」です。これは、決定的です。
 ここには私も決定的な印象を持った。少しとんで‥‥
 仕事だけなら、「一生、できなくてもいい」と思えるかもしれません。しかし、性的な関係となれば…。
 これはむしろ、ひきこもり、あるいはもっと広く、適応に困難を感じている人には、逆ではないのかといった気もする。私の場合は (言いにくいことだけれど) 「人生は性だけが重要なのではないのだから…」とこの方面はなるだけ等閑に付すようにし、それ以外の部分で社会とかかわろうとしてきた ― かかわろうとした、というのがウソっぽければ、、かかわろうとするフリをしてきた。
 とりあえず、親や周囲の人間にしてみれば、“セックスがどうだろうと知らん、働いてくれればいい”なのではないか。なのだけれど、この上山氏の指摘は、ショッキングであり、真実を言い当てており、このところの私自身には、上山さんの文脈とは異なる文脈で、しかし大きく通底するところを持ちつつ、深刻に味わった。

 私は、性的関係というものを、ずっと、‘関係’としては、無いまま、ないし持ちえないままこの年齢に至って、かえって、「性」の「生」全体に占める大きさを感じている。上山さんは、上の部分で「性」を、「生」の中の他の要素、たとえば「仕事」より重要なものと表現しているように、一見見えるのだけれども、じつは「性的関係」をうまく持てることと、良好な社会的関係一般 ― まさに就労など ― が築けることとは、思いのほか深いつながりがあることをも、上山さんは言ってもいるのではないか。

 今はまだうまく表現できない、あるいは言いたくないのだが、「性的関係」と広い範囲の社会的関係には深い連関があることを、私はあまり感じていなかった、まさにそのことが、加齢にともなって、ますます社会的・経済的関係に不具合を生じていることの原因であるように思われるし、つまり ― これが本書を読んで得た最大の衝撃なのだが、私は、私自身が、多くの引きこもりの人たちが堕ち込んでいた(いる)状況に、まさにあることを、これから次第次第に自覚してゆく のだろう、ということに気づかされたことだ。私自身は就労の経験がないわけではないが、そういう問題ではないのだ。
 「性」は、何も一義的に現実の恋愛関係や性行動をのみその実現と考える必要はないけれども、上山さんの指摘は、「性」のあり方の多様性、というような議論では少しばかり解決しがたいことがらを指摘していて重要だ。この問題は、このくらいにしておこう…。


 著者は(著者だったり、上山氏だったり、上山さんだったりで恐縮だが…)社会的関係の回復、とくに就労という次元では、学習塾の講師をしている。著者が学習塾の仕事を始めた際のキツさや苦労は、意外にもあまり書かれていない。むしろ、この仕事を続けることは <天職> ではない、と感じて苛立つ。
 続けていた学習塾のアルバイトは無遅刻、無欠勤を続けていたが、まさかこの仕事を四十歳になっても五十歳になっても続ける、そんなことは考えるだにゾッとしたし、そもそもそんなことがやりつづけられるとは思っていなかった。(110頁)
 私自身も、著者が始めた年齢よりずっと遅れてだが、お金をもらったのは塾講師が最初だ。そして、今、だんだん塾講師の仕事しかなくなってきている。まさに、上山さんが 「四十歳になっても五十歳になっても続ける、そんなことは考えるだにゾッとした」 仕事しか、50代に至って、無いのだ! もちろん、塾講師は、先掲の水月氏の著書にも書かれるとおり、行き場のない院卒者が生活の資を得る仕事の代表であり、上山さんの文脈はまた異なる。が、上に書いたように、本質的に‘引きこもり’であるという自覚を深めつつある昨今、まさに私は、「<天職>への模索」(110頁)を続ける上山さんとは逆の方向を歩んでいるのだな、という感触を、こんな行文を読んでも感ずる。

 塾などのシステムについては、上山氏は、続く部分で、不登校の生徒の家庭教師を依頼されたことを述べ、
‥‥彼は、学校の勉強の遅れを取りもどすべく大学生の家庭教師に来てもらっていたが、不登校の経験を持たない大学生は、勉強は教えられても「学校に行けない」つらさを理解できず、相談に乗ることができない。(中略)
 家庭教師に行ってみると、僕は、いつも学習塾でしている授業よりも格段の居心地のよさを感じた。こっちだ、僕が貢献したいのは。ひきこもりの親の会で感じたのと似た感覚。そういえばいつも、「学校に行っている」中学生たちの間で、僕はあの十数年前の自分と同じ冷や汗に似た緊張感を味わっていたのだった。
 略した部分に、上山さんは、不登校経験者が不登校生徒の講師として派遣されるようなシステムがあれば、と提案する。このこと自体は、引きこもり支援と同じく、経験者がよい支援者たりうるとは限らないという、よく言われる問題も横たわっていて、難しいところだが、上山さんが 「いつも、「学校に行っている」中学生たちの間で、‥‥冷や汗に似た緊張感を味わっていた」 と言うのには、まったく共感する。学校にほとんど何の違和感もなく登校し、教員の指導を、サボりつつも従順にこなし、部活も…といった子どもたちを前にして、あるいは終業後思い出すと、“彼らこそよき市民、人間としていい社会を維持するメンバーになれる。私はそんな彼らの前で講師づらなどしてよい人間ではない”というような自責の念とも劣等感ともいえぬものに駆られることがある。

 塾での仕事というのは‥‥小〜中学生を教えるといっても、実際には、人格的な広さも知識的な広さ、確実さも、意外に本格的なものが必要ではある。子どもが今、必要としている知識を、今最も受け入れやすい形で、正確に、即座に提供できて初めて、金がもらえる塾講師なのだ…と書いているはなから、辞めたくなる…。


 本書を読んで…思ったことはまことに多く、このページでは書ききれないことでもあり、別の機会・ページに触れることにして ― 上山さんが‘人と人とのつながり’について書く中、プラスの意味でもマイナスの意味でも最も身に沁みたのは、「「求められる」ことなしには」(157頁) の部分だ。
 私自身は、ひきこもりとは直接はなんの関係もない友人たちとの出会いによって家を出ました。
 これは要するに、「求めてもらえた」からなんです。つまり、「上山を助けてやる」ではなくて、「来てほしい」。あるいは「出会えてよかった」。つまり、一方的に見下されてできた治療関係ではなくて、私の中にある才能なり感性なりを評価してもらえて、向こうが私との出会いを喜んでくれた。(中略)
 そういうものでないと、本質的な出会いじゃない。
 続いて、
 「人に求めてもらえる」話を、具体的につくりたいわけです。「求められる」ということは、「誰かの欲望に求められる」ということで、欲望というのは人工的には作れませんから、作為ではなくてやはり「出会い」ということになるわけです。
と、そのような関係を作ることを、引きこもり者支援の中に設けようとしていることを述べている。
 他者に 「求めてもらえる」 ‥‥何とすばらしいことか まったく、こうした関係でないかぎり、本質的な「関係」とは言いがたい、ということには深く首肯せざるをえない。とはいえ、社会の中で適応して生活している人たちの間でも、これはなかなかに難しいことなのではないだろうか。
 とくに、仕事という局面では、このような関係を実現できている人は、その多くは自らの努力の結果でもあろうが、幸せである。たいていは仕事そのものがとてもつらいものであろうし、そうでない場合でも、‘求められている’人となると、それを実感しながら生きている人は多くはあるまい。。
 たとえば、私自身のことを言えば、‘教える’仕事の現場には慣れてきて、口から出る言葉はスムーズになる、つまり仕事はラクになってきているものの、では私が、塾であれ何であれ、そこで働いていてよいのかということになると、明らかに「辞めたほうがよい、私でないほうがよい」という答えが、私自身から返ってくる。雇用している側から見ても、私である必要性はむしろないばかりか、他の、もっと有能な者のほうがよいのである。それは、明瞭に言われることはないにしても、職場の状況が変わるときには露呈する。

 そして ― 仕事以外の場面では、ある意味、仕事以上に、この問題は苛酷である。
 私の経験になるが、これは、不登校だった人の多くも似たことを経験しているのではないかと思うこと ― それは、成長にともなって‘自分は少しおかしいのではないだろうか’ということを口にすると、親や、他の大人、学校教師も、ときには他の不登校児の親御さんでも、「そんなことないわよ。あなたはしっかりやっていける」という旨のことを言ってくれる。もとより、それは‘何ごともなく学校へ通い続けて欲しい’という望みの表現なのだが、実際に「おまえはふつうだ」という真面目なメッセージも含んでいないわけではなかったろう。

 この言われ方をして、そのときに意識していたのではないにしても、さまざまなニュアンスを受け取っていたようだ。ひとつは、まず「おまえは異常ではない」という安心のメッセージ。もうひとつは、「おまえには異常なところはないから、登校などを免れることはできない」という不許可のメッセージ。さらに、‘隠された implicit’メッセージとして「おまえは異常かもしれないが、その理由で登校などを免れることはできない」というメッセージ、および、「おまえは、異常性を持っているにせよ、そのことを周囲は顧慮しないよ」というメッセージ。この4種のうち、あと2種はどうも最近になって気づいてきたようだ。


 幼いときから今日まで、世間でいう‘オレ、オマエの間柄’のレヴェルの友人を、ひとりとして持たない私は、それが居心地よくもあったのだけれども、仕事を離れて、あるいは仕事で知り合いつつもプライヴェートにつきあう、という意味での「居場所」がまったくないことを、私自身がどう味わいなおすかという課題を感じている。言ってしまおう ― 上山さんがいう、「求めてもらえる」とは逆に「そこにいないでくれることを求められる」感 (この「感」は、「妄想」や「思い込み」に近く、しかし同時にやはり、客観的にもそうであると感じられる) を、いつも感じるのだ。
 実際に引きこもりや不登校に陥っている人も、この感じを持っている人は多いのではないかと思うが、まさにその点で、私は今、引きこもり状態にあるといってもいいのかもしれない、と思う。

 私の日常感覚は、ひとりで何かに集中することが得意な性格ではなく、いわゆる飲み会のように、集まって酒を飲むことなどは大好きである。が、他方、今までほんとうに懇意な友人や、配偶者なしで暮らしてきたことは、これこれで楽だった。反対に、小さいころ「おまえはふつうなのだから、ありのままに人と接しなさい」と言われたとおりに、短期間でも就職して職場で人と接すると、たちまち大摩擦を起こした。そういうことを、遅まきながらの社会接触、低密度ながらの就労体験を重ねるにつれ、経験してくると、「私はそこにいないほうがよい」感が、だんだん強固なものになってくる。
 この辺は、少しく霊的スピリチュアルな次元まで考えないでもない (ここでいうスピリチュアルは、トランスパーソナル的な意味合いから心霊的な意味合いまでを広く曖昧に含んでいる)。江原啓之氏編の『新潮45別冊 A*NO*YO』(新潮社、2006年12月)に、聖心会シスター・鈴木秀子さんと江原さんとの対談が載っているが、この中で鈴木さんは、一種の臨死体験後に、
なぜだか私の入るお店というお店、はじめはがらがらなのに、あっという間にものすごく混んで、品物が飛ぶように売れるようになったり。それで、超能力ってこういうことか、とちょっと面白がっていたんです。(39頁)
と述べていて、私の感じているのは、これの逆ではないか、と思った。こういう理解は、ある面、分析を拒んでしまうのだが、そうとしか表現しようのない部分が、人間にはあるような気がする。

 斎藤 環氏の『社会的ひきこもり』(PHP新書、1998年)には、引きこもりの心理的要因として、現代の教育の特色としての「去勢否認」=「《子どもの万能感を断念させ、社会への適応を受け入れさせる》ことの欠如」をあげている。
 まず問題とされるべきは、子どもたちが学校において「誰もが無限の可能性を秘めている」という幻想を強要されることです。これが問題となるのは、すでに去勢の過程を済ませつつある子どもたちにとって、このような幻想が、あたかも「誘惑」として強いられることです。つまりこれが、去勢の否認です。(207頁)
 これは、伝統的学説に基いた、精神科医としてのオーソドックスな見解といえるが、この「誰もが無限の可能性を秘めている」幻想(?)を元凶視する考え方は、きわめて説得力があるように見えるのだが、しかし、教育の現場のどの具体的な局面が、ここにつながってくるかということになると、どうもあまり説明されることがないようにも思う。

 私の体験では、中学校の体育祭が近づく時期、マスゲームの練習で、体育担当教員だったか声の大きい教員が、生徒が動作を覚えるまで、毎日夕方遅くまで怒鳴り声を張り上げていた。そのような飽くなき「動きの斉一化」と「服従」を求める教育を続けたあげく、一方では「引きこもり」に陥って生活が困難になる者、他方では旺盛な生活力を謳歌しながら社会的なマナー感覚が極度に希薄な者、の両者を生んできたのは皮肉と言うほかない。

 実のところ、中学生だった時に、マスゲームを指導する教員の怒鳴り声を聞きながら、そういうことはもう予感していたような気もするのだ。少なくとも、当時、治療機関で知りあった、同学年で不登校のA君とは、こんな教育をやっていたら、とんでもなくよろしくない社会にはなるだろう、というような話をしていた。親たちは「そんな理屈ばっかり言うてるから学校に行けへんのや」と言っていたし、それこそ私たちの「去勢否認」だったのかもしれない。が、その時に二人の話していたことだけは、35年が経った今、みごとに当たっているという気がする。ここ10年、毎年、自殺者が3万数千人という世の中になったのだ。ここ10年で、ほぼ40万人が、自死して果てたのである

 ・上山さんの本に寄せてこの問題を考えると、いくらでも書いてしまうので、とりあえずこの辺で。私の文章の中には、現在、社会化に困難を感じている方が読まれたなら、かえって希望を失ってしまうようなことがらも書いてしまっているかもしれない。だが、思うところを書かなかったり、極度に希薄化することはできなかったので、思うままを書いたつもりなので、ご了承の上、お読みいただきたい。ただし、事実については、脚色を加えたり朧化したりしている。

 ・不登校や引きこもりには、身体症状を伴う場合と、そうでない場合とがあるが、私の場合は、緊張をもたらす場面で吐き気を催した。これは、院生時代も通じて、塾講師のアルバイトなどでもたいへんに障害になったが、ある時、ひどいめまいを経験してから症状が劇的に軽くなった。そのあと、それまでの平衡感覚はかなり失われ、フラフラしている。もちろん脳外科を受診もしたが、とくに異常はなく、頸椎のひとつがやや歪んでいるということだった。頸椎のゆがみがかえって、生来の緊張時の吐き気を抑制しているとしたら、ちょうどメニエル氏症候群の逆で面白いし、椎骨と健康との深い関係を唱える野口晴哉の整体ともからんで、さらに興味深い。

 ・こうしたケースによく見られる強迫行動も私にはあったが、長い間、医師も「気がすむまでその行為をやるとよい」という指示をしていたのだが、こういった強迫観念は、いわば脳=ハードウェアの過熱が原因だ、とする、J.M.シュウォーツ『不安でたまらない人たちへ』(吉田利子訳、草思社、1998年)が大いに参考になり、救われた。ただ、この訳書の中では、「強迫性障害(OCD)」(11頁)と最初に紹介される病名の「OCD」という略が、何の略なのか説明がないのはよろしくない ― Obsessive-Compulsive Disorders とひとこと欲しい…。


2008年2月


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