THTヒストリー

このページではTHT高根沢放送の歩みをごらんいただけます。

1.ひょんな開局〜最初は動物の映像だった

 THT高根沢放送は2004年の5月30日に開局した。この開局まではとんとん拍子で話が進んだ。しかし、開局までには試験電波を発射する期間がある。この試験電波、最初に送出されたのはゴールデンウィークのことだった。現在はほとんど使用されないコンセントで電源を送出する14・15ch装置は局近くのホームセンターで5千円近くして購入した高価なものだった。そして、ビデオデッキの出力端子に映像・音声ケーブルを接続し、いざ電波オン!その瞬間映像は発射された。だが、出てきたのがNHKの映像。著作権的にもまずいため、すぐにローカル出力チャンネルに変えて、出来上がる前のスタジオが映し出され、試験電波発射は終わった。そして、電波の強度測定、エリア調査などを済まして、2004年5月30日に開局となったのである。開局時のキャッチコピーは「高根沢で最初の放送局」や「高根沢密着型放送局」だった。また、今では信じられない話だが、番組表などは普通の一般家庭で見られている番組を放送するという無謀なことを考えたりしていたが、結局オール自社製作をモットーにがんばってきた。ところで開局のとき、放送開始時刻は06:40。最初に放送された番組は「天気予報・お知らせ・催し物案内」だった。そして、ついにスタジオ初の番組「THT朝のワイドニュース」をはじめた。いつもより、短めの7時で切り上げたが、以降は特別編成で伝えられた。

2.放送されない番組たち〜後世に残される考え

 THTは小学生(現在はオール中学生スタッフである)で放送されていたため、平日は休んでいた。開局当初は土日祝のみとしていたが、2004年7月からはなかなか番組の製作時間もなく、局内で話し合った結果「おもしろい番組をしていない日曜午後にしてみよう」という結論に達した。すぐに代表2人が相談し、番組表はできた。12:55開始、12:56からはニュース・天気・お知らせ、13:00からは1時間ごとに番組を区切った。「まちゃかのミチュテリー」などパクリに近い番組もあったが(笑)、結局放送されなかった。そして、10月からはワイド番組中心の編成にし、その分開始時間は7時55分とする。また終了時間も11時5分で終わる。とした。また、局では初の交通情報(トラフィックリポート)、インフォメーション(町の情報など)を伝えた。これらの編成は今後に多大な影響を残す結果となった。

3.テレビを縮小・ラジオ開始〜2メディア時代

 THTではテレビを縮小することとした。一方でその年の10月23日に発生した「新潟県中越地震」を教訓に高根沢などで大規模災害などが発生したときに備え、移動型の放送ができないかどうかを議論した。結果、‥澱啣堝扱織謄譽啻信機を導入▲薀献放送機を導入することを決めた。技術担当でもある代表2人で2つとも買ってきた。FM放送はテレビ放送と似たような編成にしたが、なるべくタイトルなどを変えたりした。そして、2004年12月11日にFMラジオ放送「高根沢タウンエフエム」を開局した。午前7時55分からの放送では1日代表が勤めた。そのFM放送は今後のTHTに大きな発展をもたらしてくれた。

4.ラジオ放送の迅速性〜速報などなど

 高根沢タウンFM開局間もない12月終盤。年末でかなり忙しい時期に大雪に見舞われた。このときにエアコンがまともに動かない寒いニューススタジオから30分近く大雪情報を伝えた。原稿もなく、ただテレビのテロップなどを記憶して伝えた。すべてアドリブで放送だった。寒い日だったが、THTでは思い出話のひとつとなっている。その後、年始の特別番組を長野県の黒姫高原で行う予定だったが、社内会議でなしとなった。今でも理由は不明だ。ところで、FM放送機と電池稼動型テレビ送信機を導入したことの理由の一番に「簡単」というのがある。以前のテレビ送信機は録画した映像をビデオテープから流すためにビデオコードなどが数本必要となり、配線設備で時間が食われた。一方でこれらはスイッチひとつ、準備するものをしておけばすぐにできるという利便性がある。そのために導入された。一方で速報性の話に戻るが、この後にも関東地方で震度5近くの地震が起きると、随時特別放送を実施した。それはたとえ放送時間以外でもである。その他にも大雨で警報が発令されたらされたですぐに放送を行い、注意・警戒するようにと呼びかけるなどまさに「地元密着型の放送」を実施してきたわけである。

5.FM放送ワイド番組増加の傾向〜一方テレビの衰退は否めない

 FM放送は2005年の2月に改変し、朝・昼・夕・夜の4時間帯のワイド番組を編成した。これらは放送されることはなかったが、2005年の10月に大改編では大きな進歩を遂げた。これは「THTおはよう/おかえりラジオ」のためである。おはようラジオは最終的に06:00〜15、07:10〜15の二部制に、おかえりラジオも17:30〜17:45のそれぞれ15〜20分間の番組を放送した。内容としてはニュース・天気情報に加え、ラッシュ時の交通情報やキッチンで調理する主婦へ向けての情報などいろいろ旬の情報を伝えた。これら2番組の特色は5分後とに最新情報をどうぞだった。オープニングが終わるといきなりヘッドラインニュース・気象・交通情報、スポーツや情報コーナーをはさんでまたニュース・天気・交通・生活情報、そしてエンディング前にまたニュース・気象・交通情報とかなり情報量はあった。また、これらの番組によりTHTへの励ましなどのメールも増えた。そして、この番組は2006年3月に放送担当者たちが中学生になり忙しくなるので惜しまれながらも終了した。

6.新型FM送信機購入は故障から

 ある日だった。78.2MHzの電波は放送がそれほど飛ばず、困っていた。そこで、技術担当の代表が配線をいじっていたところ、ぷつっと切れてしまい、電波も声も出ない状況に。放送はやむを得ず中止され、会議などで検討が始まった。その結果、壊した代表本人負担で送信機を購入ということだった。近くのホームセンターに行った。確か冬の寒い日だった。お正月を過ぎたものの、財布の中には結構な金が。ホームセンターで見ていると、ヘッドホン端子から音を貰って電波に乗せるというFMトランスミッターがあった。値段は4,5千円した記憶がある。それで現在の放送が成り立っている。

7.THTの大改革

 THTでは2006年の10〜12月に大きな大改編を行った。まず、両メディアのワイド番組をすべて終了。その分、ニュースなど情報タイムを拡大し、各種情報を放送できるまでになった。また、バラエティーでは「日本道楽党」が復活。しゃべるだけという番組が生まれた。そして、FM開局時からの夢だった、CDなどデジタル機器を駆使した放送だった。どのような放送かというと、今まではカセットを再生状態にさせておき、マイクの録音と同じ状況にさせておいて放送していた。言うにBGMがなしの状況というもの。また、ニュースなどのオープニングもすべてが生音声出し。時には声がかすれて咳き込むことも。それらがあったために、事前に「道路交通情報です」と録音したテープをパソコンで編集し、またBGMもフリー音源などから仕入れ、一枚目のCDができた。しかし、音楽の順番がめちゃくちゃでニュースがCDの15番だとすると、次の天気予報が31番などと音を変えるまでにとても時間がかかった。それを修正するために技術担当などが編集し、CD二枚目が誕生した。CD一枚目は第二放送送出機で主にミュージックタイムの際に使用している。また、ミュージックタイムの音楽も今までは80分に一回だった曲名アナウンスなどを10分に一回にし、受信者にもわかりやすくした。それと、情報タイムの道路交通情報は今まで30分に一回だったのが、時間を考えて、2時間〜3時間に一回ぐらいになった。生活情報も町の予定やゴミ情報、季節情報などとても詳しくした。

8.これからのTHT

まず、テレビ放送はすぐに放送できるようにしたいというもの。放送休止状態を復活させたいのが担当者の願い。FM放送は番組の多彩化を目標にがんばりたい。両メディア共通の課題難題は聴取者拡大だ。法ぎりぎりの線とまではいかないが、少しでも多くの方に高根沢放送を電波だけ出なくても聞いてほしいと切に願っている。