マラリア発熱

 ビルマの悪性マラリヤは九十九パーセント死に直結し、私達の中隊でも、この半年で十人程が帰らぬ人となっていた。
 雨期もすっかり終わり、晴天で平穏な数日が続いた。そんなある日、私たち四、五人は、タンガッブにある野戦の食糧倉庫に糧秣受領に行った。待っている間に私は寒気がしてきた。
 その悪寒は急激に増し、ガタ、ガタ、ガタと音を立てて歯が震えてくる。いくら日のよく当たる場所に行ってみても、寒いばかりてある。ああ、マラリヤだと感じた。
 しかし、ラングーンでかかった三日熱ぐらいではなかろうか、そうであって欲しいと思った。 そうならばニ、三日もすれば熱は引くだろうと思った。しかし荷物を受け取り帰る間に悪寒は急激に増し、次に発熱を感じてきた。
中隊に帰るとすぐに医務室に行き診断を受けた。マラリヤだということで医務室に続く病室に入った。ここも粗末な竹づくりの小屋であった。
 やがて、石川軍医の診察が始まった。期待して診察を受けたが、「これはマラリヤだ」と言っただけだった。衛生兵がビタカン一本を注射し、キニーネを五粒ずつ飲むように、と言って袋をくれた。午後もその夜も高熱が続き、体が次第に弱ってくる。
 眠ったり目が覚めたりうつらうつらしている間にその夜も明けた。だんだんと心細くなってくる。食べる物は何も食べられず、その日もお茶を飲むだけである。隣に寝ている戦友 が 「心配するな、三、四日すればよくなるよ、大丈夫だ」と言って励ましてくれた。
 それを聞くと、自分のことはひいき目に考えられ、この熱はきっと下がり自分だけは必ず治ると思った。
 私は、小便のために建物外の便所まで行くのが苦痛になりふらふらする体を庭の立ち木につかまりながら、支えて行くのがやっとであった。
 小便の色は濃い茶色で、恐ろしいほどの濃さだ。血が溶けて出ているのではなかろうか。クラクラする頭、よろめく足もと、下痢も始まり、血のような粘液物が混じった大便。夜になったが熱は一向にに下がらない。体温計は四十度一分を指したままで、汗は全然出てこない。
 衛生兵もこの悪性マラリヤにはホトホト手を焼いている。私も、次々に倒れ死んていった兵士達の姿を見てきた。
 先日も久保田君の最後の姿を見届けたばかりであり、死の恐怖をひしひしと感じる。しかし、自分だけはそのコースを取らないでよくなるだろうと、欲目なことを思うのである。
 棚子の葉で葺いた屋根の隙間から残月の明かりが病室に差し込んており静まっている。内地から持って来て肌身離さず着けているお守りをもうー度固く握り直してみると、母の姿が思い浮かんでくる。
「敦ちゃん、お母さんがー生懸命信心しているから、元気をだせ。お前のためにー心にお祈りをしているから、お前はきっとおかげを頂けるから」と、母がはっきり夢枕に立ち、いくらか気分が落ち着いて来た。そして「神様どうか助けて下さい」と深く厚いお祈りをした。声には出さないが悲壮な願いであった。
 高い熱にうなされ体を反転させ、うつらうつらしている間に夜が明けた。今日も暑い日である。
 発病してから四日になる。一日一日と悪くなっていくだけで、またしても不吉な予感に襲われる。周囲の者も「小田はもうだめだろう」と感づいているのだろう。誰も声をかけてこない。
 奈落の底に転落する様だ。