茶臼山 (古名 山代山  171m)
 風土記の丘を歩いた時に、出雲国の国庁跡が近くで確認されている地であることはわかっていた。出雲国の政治の中心地ということになる。この国庁跡と茶臼山頂は、直線距離にすると1kmほどである。近くの神納山は比婆山伝説の山だが、三角点もないし登るのは無理だろう。峠を通ったが、周辺にそのいわれの筋合いらしいものの看板は見あたらなかった。

出雲國風土記には神名樋野として登場する。
神名樋野 郡家西北3里129歩。高80丈。周6里032歩。東有 松。三方、並有 茅。〜出雲國風土記〜

「かんなび」は、神の隠れこもれるという意味で、「かんなび山」は信仰の対象として古代人に祭られていた山のことを指すということのようだ。一般には「神奈備」と書くようだが、出雲国風土記には「神名火山」、「神名備野」、「神名樋野」など登場している。




山代二子塚古墳は、大正14年(1925)に日本で初めて「前方後方墳」の名付けられた島根県最大の古墳である。全長94m、後方部の高さ9.5mという墳丘


山代二子塚古墳をすぎ、民家脇の神名樋野登山口 踏み入るとあぜ道 粘土質の滑りやすい道だ




落ち葉の中に山栗のイガ 南側からのルートが合流するのだろうか!?しっかりした踏跡がある




案外ひろい山頂が一面のカヤ。景色はいいが、ほとんど人が訪れないようだ。説明板によると、中世に山城として山頂は平らにされたということだ 二等三角点 点名 茶臼山(ちゃうすやま) 171.41m 北緯35度26分9秒,東経133度5分38秒選点明治26年8月17日 埋標明治26年10月19日 埋蔵文化財(城跡)




神名火(樋)山が四つある。仏経山(神名火山)、朝日山(神名火山)、大船山(神名樋山)、茶臼山(神名樋野)である。この4座は宍道湖の4隅に位置する場所となると、入海(宍道湖)と関連があるかもしれない。かんなびは神のやまであるとともに、里人が仰ぎ見る位置の山でもあったともされる。神名火(樋)山は風葬の地とする民族研究もある。風葬の習慣は、日本では沖縄周辺に残っていた。島津氏の支配とともに仏教が伝わってから失われていき、明治にはほとんど残っていなかったといわれる。朝鮮半島やミクロネシア諸島など海に関わる地域に見られるようだ。この地では、南方海洋系民族の風習と出雲の関わり合いがあったかどうか已然に、海でなくなった死者を追葬することではなかろうか。梓林太郎の風葬連峰は読んだが、・・・




東側になるはずだが、トラロープがあり笹が刈られているので、アプローチは三カ所にあるのだろうか




中海側の山並には鉄塔が林立 松江の街並みと宍道湖 松江城の亀田山はかなり小さいが、遠景の山並みは朝日山本宮山のようだ。
麓を流れる意宇川の源流は天狗山




国庁の場所は、江戸時代から諸説あり、昭和39年松江の郷士史家・恩田清氏が、江戸時代の『元禄四年意宇郡大草村検地帳』に「こくてう」と書かれた文字を発見したことから、調査が行われ役所の建物跡や遺構が見つかった、という経緯のようである。周辺には多くの史跡のほか、風土記の丘として知られる古墳や国宝級の史跡もある。
風土記は、元明天皇・和銅6年(713)の勅命に基づき、地名の由来、特産物、古老の伝承、など五項目を調査し、62国が編纂したものだ。そのくだりの中に「その郡内に生ずるところの銀銅彩色草木禽獣魚虫等の物の色目を録し」と自然の産物の品目を記録することがあった。多くの産物を記録したのは、播磨、常陸、出雲といわれる。

出雲國風土記では、鳥10種、獣8種、草本47種、樹木41種、竹2種、きのこ1種とされている。
出雲、陸奥、播磨、豊後、肥前の5国の写本が現存するということだ。ほほ完本は出雲だけで、他30の国々は逸文ということだ。唯一の完本の国の国庁の場所がわからなかったわけだから、尋常ではない研究作業である。ただ、この完本についても論議があり、原本は早い時期に喪失したともされている。
最古の写本とされる慶長2年(1597)に細川幽斎が書写したとされる細川家本、尾張徳川家寄進の日御碕本など数あるようだ。他の諸国が数年で完成したのに対し、出雲は20年を要している。他国より記述が詳細だといわれるが、漢文体と地名伝承に関わるところは、音訓の仮名を用いた漢文体である二種の表現が用いられている。当時の新羅との情勢や奥付の完成年月日や編纂責任者や最終筆録者名、中央との力関係など色々の謎は含まれているようだ。また鎌倉の世に、卜部兼方が文永11年(1274)以降、正安三年(1301)以前の時期に、「釈日本紀」に各風土記の逸文を引用しており、出雲風土記も登場する。

 茶臼山という山名は、全国至る所できかれる。北八ヶ岳の茶臼山を歩いた記憶がよみがえる。茶臼山のかなりが戦国の陣跡であることから、縁起の山として陣をはったことにより、多いのではないかという説もきかれる。
 国土地理院の三角点のある茶臼山は、71座あるようだ。鳥取県天神川西に93m・島根県では、三瓶山西に485m・三隅川河口南に292m、横田町中村に444m、安来市西母里に改竄中1座、と併せて少なくとも両県6座。ちなみに丸山は全国で590座ある。実際には、両山名ともかなりの数になるのだろう。
 古老の話によると、かって松江の連隊が茶臼山で訓練をしていたということだ。





後日余談
国庁跡がどんなところか気になってやってきた。神納峠付近の岩坂陵墓参考地もみつかった。

出雲國風土記。國之 大體、首震 尾坤。東南山。西北臨海。東西137里019歩。南北182里193歩。
「出雲國風土記」の写本は数あり、その距離などの解釈はことなる。183里とするものもあるようだ。




律令政治のもと出雲は大・上・中・下の四等級のうちの上国であったといわれている。国庁跡は意宇川脇のたんぼの中のちいさな集落にひっそりとあった。国庁の構造は、周囲を塀などで囲み、その内部に前殿、正殿、後殿が一直線に並び、これらの殿舎と脇殿が「コ」の字型に配置されている。周囲に民家もあり、調査はまだ半分ほどしかすすんでいないらしいが、諸国と構造は同様と言われている。
出雲国国庁跡復元図




大草古墳群案内板 大草古墳群を少し歩いてみたが、かなりの数があるようだ。要所には指導標があるが、藪コギもあり荒廃している気配だ。




明治33年、宮内庁が全国十数カ所の比婆山伝説中保存すべきものと認定した。岩坂陵墓参考地として宮内庁が管理している。
熊野を除いて比婆山・國境の御墓山母塚山、まだ歩いていないほかの伝承の山は、::県境中国山地の比婆山と猿政山だ。
 

みだりに域内に立ち入らぬこと
魚鳥等を取らぬこと
竹木等を切らぬこと
と宮内庁・・・




其の神避りし伊邪那美神は、出雲国と伯岐国との堺の比婆の山に葬りき〜古事記〜
この神納(かんな)峠・神納山は、比婆山伝説の葬ったという記述とは異なり、『雲陽誌』に伊邪那美は自ら魂をここに葬ったから神納としているところだ、と村は紹介している。八雲の比婆山とする向きもあり、意宇川の対岸には、比良坂とは別の黄泉の穴伝承地もある。『雲陽誌』は、1717年年(享保2年)松江藩の儒者黒沢石斉(長尚 撰)のまとめたものということだ。その雲陽誌に以下の記述がある。

雲陽誌巻之三 意宇郡 大庭
・・・一書に曰紀伊國熊野有馬村に葬とも、出雲と伯耆の界比婆山に葬とも爾説なり、・・・
・・・【日本紀】に詳なり、【古事記】【奮事記】にも比婆山に葬るといへり、昔より此所を比婆山と号し待とも両國の境に非す、或人の曰比婆山は能義郡母里郷日婆山なり、日波と比婆と和訓おなし・・・




猿政山は2002年6月12日中国新聞で記事となった。希少植物の盗掘や農作物まで荒らされた、林業被害、排泄物、ゴギが姿をけしたなどで、地権者が登山禁止として閉鎖した経緯がある。地権者たちは、生活の場所でもあり、後生にも残したいので理解して欲しいと訴えているようだ。広島側は登山道に通じる林道を封鎖しているようだ。登る山のおおよそは民有地であり、地権者の理解のもとに成り立っている。大切に利用し保存していきたいものだ。




2005年1月に初歩き、以来10年近い。山容も変わりなく麓の様子にも変貌はないようだ。風土記の神名樋野に比定された山が、そうそう変わり果てても困るが・・・。
このところ、代々木の森からか・・・デング熱が広がり、草むらで蚊の居る樹林は気が引けるが・・・ヒトスジシマカは見ない一帯だろう。

雲陽誌 巻三 意宇郡 山代
山代山 【風土記】に載る押名樋山なり、西北廿町九間あり、俚民茶磨山の古塁といふ、村井伯耆守の城跡なり、

出雲の山城 高屋茂男編に、「迎接寺曼荼羅由緒記」 から亀井能登守が居城していたとみる向きもあろうといている。 
迎接寺(ごうじょうじ)所蔵の両界曼荼羅や仏具を寄進し周辺には影響力 があった。
また、雲陽軍実記【元春より米原平内兵衛を津田山越にて茶臼山を廻り別所へ懸り】馬潟・大庭・日吉で軍事行動が確認 大内・毛利の富田城攻撃の重要拠点であったことが伺えるとしている。




山代二子塚古墳 住宅街から望む山容




登り口変わりない 西に見える尖った森はどこだろうか・・・




樹元に祀りもの 柔らかい感触と急な上りに記憶が・・・ さっそくヤブ蚊が襲いかかる




前回も落ちていたイガはまだ青い 樹間は明るくなった




南口 直下の分岐標識は深い草 西口




今年はあちこちで見かけるセンニンソウ。花弁に見える4枚は萼片で、全草が有毒で葉や茎の汁に触れると皮膚炎に、誤食すると胃腸炎や嘔吐などし、多量に食べると生命の危険にも・・・ チップを埋設された三角点と神名樋野標識







南西に風土記の丘の山並み 右に中海




松江の町と宍道湖




東に大山の姿が現れた。草が腰を越える密集だ。草の台地は夏はよした方が良さそうだ。蚊や虫が飛び交って鬱陶しい。かろうじて踏跡で草が倒れ・・・みーも森づくり事業は県に団体が申請する保全事業らしい。初めてお目にかかる看板だ。