アコンカグアへの挑戦

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世間の年末の忙しさを他所に講師2名と生徒8名は成田空港に出発3時間前には

全員集合。プラパッケージにパッキングされた食料等以外の共同装備を分配し、

荷物の整理。そして密かにX線を潜り抜けようと鉄製品に小型の酸素ボンベを

一人一個づつ隠し持つ。余裕をもったはずの時刻もだんだん慌しくなってくる。

さてチェックイン。一人、二人と呼ばれる。酸素ボンベがばれてしまったのだ。

結局は全員のが見つかり、除去しての再パッキング。高度障害に不安のある自分

としては何かいやな予感。

初めて使うアメリカン航空、定刻に離陸。さすが太平洋路線。エコノミーでさえ

なかなかの設備。チャンネル付きの各自1個のLCDディスプレーには関心させ

られる。栃木からのS氏などよっぽど嬉しかったのか一晩中見てたようだ。

シカゴでのトランジット。問題なし。次はマイヤミで同じく。夜景が美しい。

クリスマスイブゆえ余計にそうだったのか。

12月25日

日はかわり、早朝、サンチャゴに到着。手配済みのマイクロバス2台に荷物と

共に分乗し、ホテル「NIPPON」へ。ここはゆっくり長い飛行機の旅の

疲れを癒す。町をぶらつく者、ホテルでゆっくりする者、さまざま。

H氏がホテルでインターネットに接続で成功。小生も家に無事チリに到着を

知らせる。そしてさっそく町に出かけ念願のケーナを購入。

専門的なことはわからないが、なんとなく日本で買うより1/5以下か。

飛行機内でLCDテレビに熱中しいたS氏は下痢。キャラバンを明日に控え

心配なところである。

12月26日

昨日のマイクロバスで再び飛行場へ、そしてメンドーサに移動。登山のパー

ミッションを取り、スーパーにてチャラバン中の食料と行動食を購入する。

そしてアコンカグアの麓、Penitentesのロッジに4時間かけて到着。

標高はもうここで2500m。スキー場のロッジである。Grajalesとゆう名の

遠征、トレッキングのエージェントにMule等の打ち合わせ。夜は赤ワイン。

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実にのんびりしたやつ達、キャラバンの開始場所Vacasに着いたのはもう昼

近くになっていた。Lenasまで5時間あまり、花あり、渓流あり、荷物は

Muleにまかせの、のんびりとしたトレッキングであった。

Pampa de Lenasで最初のテント泊。

 

 

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Muleでの渡渉で始まったPiedraへの一日。高低さのない平凡なのんびり

したトレッキングである。しかしノーマルルートの経験はないが、そちらは

全く緑のないガレ場だけのつまらない行程らしく、それに比較すればもっと

トレッキングとしてもポピユラーになってもいいのにと思う程すばらしい場所

でもある。昼過ぎ3100m地点で初めてアコンカグアの姿を発見。

6時間のトレッキングでCasa de Piedra。広い川原の中ののんびりしたキャンプ

地である。

 

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3200mの標高。早くも頭痛で目覚めたこの日、不安が頭をよぎる。しかし

歩き始めると快調になりそれも忘れていた。大きく現れたアコンカグアの姿に

いよいよとゆう思い。3700m高度あたり、突然に歩行が苦しくなる。不安が

的中した。心拍計をみながら、また呼吸も意識的に深くしようとするが、調子

は上がらない。完全に皆とは遅れ始める。心拍も少しまともな速さにしようと

すると150-160にもなる。ついに「むかつき」と頭痛が気力をなくさす。

皆に遅れること3,40分。やっとBC4070m)に到着。悪いと思いながらも

食料等の整理、テント設営も岩に座り込んで眺めるだけの体たらく。

夕食はBCで注文してのステーキの豪華版。しかしこちらはお茶を飲み

ながらただ眺めるながら早く終わらんかと、待ち遠しい。

登山パーミッションのチェックが終わると早速にテントに沈没。

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最悪。完全な高度障害。他の隊員が全くその気配ないのを尻目に悲しく順応

の為に一時下山である。BCで休養より思い切って高度を下げる手段は成功で、

正しい判断だったように思う。

3時間程で3300mの水場のある所にビバーク地を見つける。しかし日が沈む

までの長い9時間あまりである。

洗濯、体を拭く、軽いながらも食事の準備、そして陽気なUS人との取り止め

のない、互いに順応の失敗を慰めあうような会話でその時間を過ごす。

そしてやっと音が出始めた程度のケーナを楽しむ。誰もいないので気兼ねが

いらない。やっと暗くなりかけた時には「ほっ」としたもんだ。

満天の星空を眺めながらのビバークは通常では得がたい貴重な経験である。そう

言えば子供のころの夜空はこんなだったよなあ。天の川がその白濁の道を見せる。

これは ”Milky way”と呼ぶのが相応しいと感じる。アンデスの山奥深く、ただ

一人この自然の壮大さを満喫できる満足感は図りしれない幸せ。しかしちょっと

日本を思い出してもみる。

ケーナとサンポーニャにオカリナ

12月31日

夜中に少し雨に降られたが、濡れるのも気にならない程度でおさまる。目覚めは

快適である。昨日は暇にまかせて、さんざん水分を取ったせいもあり、順応は

上手くいっているようである。目覚め時の脈拍=70の数値も証明する。

7:00の早めのBCへの出発。少々気負い気味か? 9:00には本隊のBC

との交信。皆は休養中とのこと。追いつくチャンス。途中、本日で下山する

エージェントのS氏とすれ違い、I氏の出迎えを受けて昼前にはBCに到着。

途中の脈拍も120を越すこともなく快調で、一昨日とは大変な違いである。

今日は大晦日。BCのスタッフ等によるカウントダウンの後も遅くまで騒ぐ大きな

声も余り気にならず快眠。

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元旦。今、思えばそんな言葉はすっかり意識から抜けていたように思う。こんな

状況では時間も季語も意味を持たないのかもしれない。

いよいよC1への順応である。体温、脈拍、SaO2の数値もまずまず。ガレ場を

登り、ガイドブックで見たPenitentesを興味深く眺めながら、4500mまで快調

に飛ばし、ここで交信。最後のガレの登りはかなりきつく脈拍も140を超える

ことしばしば。よれよれになりながらC1に着いたときは、もう後から出発した

はずの本隊の一部に追い着かれてしまった。こいつ等は高度とか空気の薄さを

感じないドン感な輩だ。全く可愛げがない。

本隊はここで寝て、翌日、C2への順応である。出会ったのもつかの間、また別れ

の時である。C1を後にして、BCに着いたのは16:00。

今日は風邪で休養中のK君と二人の夕食。話す事も少なく「ボソボソ」とした

会話の後、早々にテントに沈没。

1月2日

気温―5℃。それほど寒くは感じない。脈拍=65、SaO2=84、いいんじゃない?

二人揃ってC1へ向かう。早過ぎないように慎重に足を進める。途中、Penitenntes

で写真を撮ったり、出会った外人に発音を聞いたりの余裕さえでる。(ちなみに

「ペネタンタス」って感じでアクセントは後ろに、何せ帰りにその人に出会った

時、復習させられんだから忘れられない。)

ついでにガレの登りを避け、このPenitentes の中を直登する道を行く。厳しさは

同じだろうが気が紛れる分、楽チンか?

C1に着いたときは、頭痛もあり、気分は良くなかったが、秘密兵器(ケーナ)

を吹く内にこれがちょうど腹式呼吸になるのだ。酸素を自然と十分にとれる。

かなり快適に近くなってきた。

意外と美味い「かつ丼」を夕食の後、睡眠に入る。

Penitentesを登る

 

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昨夜はあれだけ快調だったのに、やっぱり睡眠中に酸素不足が襲うのか、目覚

めは絶不調である。SaO2=65は最低の数値。

コルあたりの風がかなり強そうなので今日の荷揚げは止め、順応だけにC2

目指すことにする。しかし歩くこと10分もしない内にK君に軽く追い抜かれ

コル近くになるとかなり風も強く、今回で始めて寒さを感じる。上下のヤッケ

でコルからC2へ方向を変えるころは風も納まり、快適..となるなずが、

なにせこちらの体調が最悪。酷い頭痛に、ついには吐き気ももようすありさま。

いらいらがつのって、後輩のK君には八つ当たりするわ、C2から上に伸びる

せっかくのポーランド氷河の写真を撮ることさえ忘れて下山に向かっていた。

思えばこれが最後に目前にするポーランド氷河ルートの景色だったのに残念。

1時間弱でC1に降りるも頭痛は治らず、早々にBCへと向かう。

よっぽど哀れな姿に見えたのか、途中ずっと陽気なUSのクライマーに付き

添われての下山。荷物から果ては手まで貸そうかのお誘い。それほどでも

ないので ”No Thank you”の繰り返し。しかし彼とのポツポツとした

会話は気分を和らげてくれる。名はMoriss君。

ようやくBCに着くころは軽い吹雪になっていた。お茶と軽い食事を受ける

内に気分も良くなり、これは明日からは本隊と合流し、孤独な一人旅でなく

なるかに思えた。しかし甘かった!

1月4日

下痢だよ。止まらないんだよ。テントから飛び出るようにトイレに向かう

ことさえた度々。体もしんどいが、それより順応が追いつけなかった辛さ

が身にしみる。完全に今日は休養となる。みんなはC1C2、そしてC3

への順応と進んで行くのに。まあ1日ぐらいいいか。まだ大丈夫!

1月5日

下痢が止まらない。無理することも可能だが、まずゆっくり体力の回復を

待つとしよう。本日も休養と決める。

100m程度下山し、写真を撮ったりするうち、明日への希望がでてくる。

一昨日のMoriss氏のテントを訪れる。明日は彼もC1からC2へといよいよ

アタックの準備。小生の体調を気遣う言葉に励まされ、また再開を誓う。

彼は登頂できたのだろうか?

 

BCにてMorrisと

1月6日

体温、脈拍、SaO2はかなり良いのに、下痢だけが止まらない。これは高度

のせいではないのでは、と疑問がわく。BCの医者を相談するが、彼の口から

は、ただただ ”soon go don”を繰り返すのみ。隊長に交信で話すと

「だいたい医者はそんなもんだ。」ってなこと。最終的には全くその通りだった。

食欲も今日はかなりある。もう医者も信用しない。こんな所にこれ以上いれば

体が腐ってくる。絶対に明日はC1へと向かうぞ。万が一それが無理ならMule

で下山、”House back”のトレッキングだ。心は決まった。久しぶりの米の食事

をして快眠。

1月7日

体が実にだるい。それもそのはず。3日も下痢に悩まされながら、ごろごろして

たのだ。すっかり調子がおかしい。それでも登るしかない。

ゆっくり ゆっくりとC1を目指す。苦しいが、これは高度障害の影響ではない

と確信で きる。ただ、だるいだけである。

よれよれになって、C1で休養中の皆の顔を久しぶりに見る。思えば今回の

遠征中、ほとんど本隊とはすれ違い、出会いと分かれの連続であった。

1月8日

「 火事だあ!」

何たる事でしょう。初歩的なミスで全てこれで終わり。

テントの中で、それも近くの火のついたコンロがあるにも関わらず、ガス交換

をしてしまっての失態である。

これも高度のせいなのだろうか。通常では考えられないミス。また同じテント

に居た自分もその行為の一部始終を「ボー」っと眺めてしまっていたように

思う。何せ一瞬の出来事だったため、その時の心理をはっきりとは思い出せない

が。奥に居た小生とUさんはテントから逃げ出せなく、一瞬、ダメかと思った

ほど。偶然に火の海の一部にできた空間に判断良く飛び出ることができた。

軽いやけどですんだが、当の本人と隣にいたK君は週間程度の負傷。

哀れな顔に変わり果てていた。

元気な者でC2の撤収。自分は怪我人を連れ、BCへ。そしてただちにMule

手配をし、下山を2日間、早める準備を進めた。C2で腰を痛めたH氏のことも

ありヘリーを頼むが、無理との事。1万円以上の入山料をとっておきながら、

アルゼンチンのこいつらは全くの誠意なし。夕方、全員 BCに揃う。

いまさら反省も話し合いもなし。ゆっくり体を休め、気持ちを落ち着かすこと

のみか。

 

 

1月9日

皮肉にも、今頃になって元気いっぱいの自分とUさん、I氏でC1の荷下げに

向かう。諦めきれない人もいるだろうが、しかたない。のんびりとお別れと

なったアコンカグアの景色を、氷河のなせる景観を楽しみながら。

1月10日

下山。

悔しい思いのやり切れない人もいただろうが、まずは表面的には何もなかった

ように、冗談をかわしながらの長いLenasまでの道のり。

19:00 ようやく到着。しかしMuleと荷物が着かない。待つこと一時間、

ようやく着いた荷物から食事の用意ができたのは、すっかり夜もふけていた。

1月11日

キャラバンの開始点、Vacsまでのだるい道のり。そしてHotel los penitentes

に入り、S氏を待つ。暇な時間。洗濯する者。休む者。いろいろ。こちらは

何故か終わった後になった元気いっぱい。Muleでのhouse back とワインで

夕食までをすごす。

1月12日

旧のチリ−アルゼンチンを結ぶ国境線を見学。相変わらず時間のルーズなバス

の到着をみたんのはもう16:00を過ぎていた。面倒な国境超えの手続きも無事

終了し、22:00頃に見慣れたHotelNippon”に到着。

1月13日

一日、自由行動。われわれはチリの海岸まで海も幸を求めて、5時間の

ドライブ。安くて、美味いカニ、エビ、その他のsea-foodにたらふくのワイン

に十分満足をする。ホテルに着いたのはもうすっかり日も暮れていた。

1月14日

自由行動。ほとんどの者が、みやげ等の買い物。

夜中、サンチャゴ空港を離陸。

1月15日

日本に近づくにつれ、登頂の失敗が、頭を過る。ましてや盛大な壮行会を

された人にとっては辛い帰国かもしれない。ダラスでトランジット。

1月16日

成田に予定の時刻に到着。くたくたの体で家につたのは、22:00

左がアコンのポーランド氷河ルート