JMM連載 「レバノン〜揺れるモザイク社会」 バックナンバー


連載第64回 最終回

行き詰まった国際法廷

○専門家を育てない組織

 1990年代半ばのある日。NGO現地駐在員としてパレスチナ自治区で活動して
いた私は、日本の通信社のエルサレム支局特派員と食事をとっていた。

 その特派員は任期を終え、帰国が決まっていた。赴任から3年目のことである。

「どうしてメディアはたった3〜4年で特派員を替えてしまうのでしょうか?」

 それまで抱いていた素朴な疑問を、私は去り行く特派員に投げかけた。彼が在籍す
る通信社だけではない。他の新聞社もテレビ局も、ことごとくエルサレム特派員を2
4年くらいの間隔で交替させていたからだ。

 それが不思議でならなかった。私がパレスチナ問題やアラビア語を日本やアメリカ
の大学で学び始めて7年目、実際にパレスチナの地に暮らし始めてから4年が経とう
としていた。パレスチナ問題の背景は複雑で根が深く、シオニズムとパレスチナ民族
主義の関係、あるいはパレスチナ民族主義とアラブ民族主義の関係など、基本的な構
図をひととおり理解するだけでも数年かかる。頭で理解したつもりでも、実際に現地
に暮らしてみれば全然違うものが見えてきたりする。

 基本的な状況がわかりはじめ、ようやくバランスのとれた分析が出来るかもしれな
い…現地在住4年目の私の場合、それが実感だった。なのにメディアはどうしてたっ
た数年で特派員を替えてしまうのか?

「メディアは特派員が専門家になっちゃうと困るんだ」驚くほど明快でシンプルな答
えが返ってきた。「日本の視聴者や読者が、複雑なパレスチナ問題について受容でき
る情報の量なんて、たかが知れている。特派員が何年も現地に居て、歴史や政情に精
通してしまうと、彼らの送る情報は日本の読者に理解出来ないレベルに達してしま
う。それでは困るんだ」。

 うーん、なるほど。私は唸った。ひとことも反論出来なかった。そりゃあそうだよ
な、確かに。メディアと言えども商業ベースでやっているのだから、送る情報が読者
や視聴者の関心を集めぬようでは立ち行かない。

○「マーケットが無い」レバノン問題

 私は反論出来なかったが、納得出来ない部分も残った。

 本当にそれでいいのだろうか? 既成メディアは「売り物」になる情報だけを送
り、売れない情報は研究者に任せておけばいいのだろうか? 少子化と法人化の煽り
で、大学も官公庁の外郭系シンクタンクも人員削減を進めており、「売り物」になら
ない特定地域研究のマーケットは縮小する一方だ。メディア・研究機関を問わず、日
本の組織が金にならない地域研究や報道を切り捨てていけば、日本は世界の動きから
どんどん取り残されることにならないか?

 1990年代と言えば、ボスニア紛争、更にチェチェンやコソボの紛争が世界の注
目を集めた時期である。メディアどころか研究機関にさえ、旧ユーゴやチェチェン情
勢を専門に追う人材が居らず、辛うじてロシア語の知識のある旧ソ連・ロシア情勢専
門家ばかりがメディアに引っ張られた。私はそれが不満だった。

 確かに、セルボ・クロアット語やチェチェン語が出来ても、なかなか日本で就職の
機会はないだろう。しかし好むと好まずに関わらず、日本は世界経済に大きな影響を
持つ人口一億二千万人の大国である。その中にボスニアやチェチェンの文献や報道を
現地語から直接読み下し、ロシアとは違う立場から現地の状況を説明出来る人材がま
ったく居ない。本当にそれで良いのだろうか?

 2004年に在レバノン日本大使館の仕事を終えた私が、レバノンに残りレバノン
情勢を専門に発信するウェブサイトを始めた背景には、10年前の特派員の言葉へ
の、そんなわだかまりがあった。 

 パレスチナ問題が複雑で難解だと書いたが、レバノン問題はそれに何倍も輪をかけ
て複雑だ。最近でこそファタハとハマースの対立など、パレスチナ内部の問題も複雑
になってきたが、パレスチナ問題の大枠は昔も今もシオニズム(イスラエル)対パレ
スチナだ。それに対しレバノン問題では宗派間対立、地域間対立、さらにシリアやイ
ラン、米国、フランス、イスラエルなど関係諸国の動きが縦横に錯綜する。分かり難
さはパレスチナ問題の比ではなく、日本でレバノン情勢に関心を寄せる人はパレスチ
ナ情勢よりも更に格段に少ない。

 カネにはならない。それは仕方ない。でも一億二千万人の日本人の中に、毎日レバ
ノンで起きる出来事を微に入り細に入り追っかける物好きがひとりくらい居てもいい
だろう。もし私の送る情報が何らかのかたちで日本人の中東認識を深めるのであれ
ば、なお良い。そんなつもりで私はサイトを始めた。

 以前からの蓄えが少しはあったし、翻訳などの仕事もたまに入ったので、とりあえ
ずの生活は何とかなった。しかしサイトへのアクセス数が一向に伸びないのには参っ
た。書いても書いても一向に読者が増えない。文才の乏しさのせいなのか、それとも
やはり日本ではレバノン情勢の「マーケット」が無いのか。いずれにせよ、読んでも
らえないのでは執筆意欲も湧いてこない。

 そんな時に知人の紹介で出会ったのがJMMだった。

 今から思うと、よくぞ編集部はこんなマイナーな企画を認め、連載にしてくれた。
村上編集長がいつか書いておられたことだが、もしJMMがお金には換算できない
「バリュー」を私の寄稿に見出してくれなければ、連載はとうに打ち切りになってい
ただろう。

 昨夏第五次レバノン戦争が起きた時、日本中のメディア、フリージャーナリスト、
NGOなどから戦争の背景や状況について問い合わせが殺到した。みんな示し合わせ
たように「JMMの連載で勉強させていただきました」と言った。この時ばかりは
「連載を認めてくれた村上氏とJMM編集部には、時代を先読みする能力でも備わっ
ているのだろうか」と内心舌を巻いた。誇張ではない。「この連載を評価して下さる
方は、まずJMM編集部の慧眼を評価して欲しい」、これが私の偽らざる気持ちです。

○ 国際法廷問題、安保理へ

 さて、残された紙面で最後のレバノン情勢レポートをお送りします。

 前回は3日に国会議事堂で和気藹々と抱擁する与野党議員の姿を報じたが、やはり
あれは腹芸だったらしい。と言うのも、その原稿を送った直後、与党議員70名が潘
基文国連事務総長に嘆願書を送り、「レバノン国会で国際法廷合意文書の批准をはか
ったが、万策尽きた。この上は国連で何とか法廷を設置して欲しい」と申し入れたか
らである。

 70名分の署名の中には外遊中の議員のものもあった。だから嘆願書は3日より前
に準備されていたことになる。つまり、与党議員は野党の抵抗を振り切って国際法廷
問題を国連に持ち込む算段を整えながら、あの日なごやかに野党議員と談笑していた
わけだ。とんだ狸である。

 与党がやったことは簡単に言うなら「レバノン問題の国際化」である。「レバノン
をシリアから守り、これ以上の暗殺事件やテロ事件を防ぐためには、国際法廷を設置
してシリアを裁くしかない。しかしレバノン国内の親シリア勢力(野党)が法廷設置
を許さない。だからレバノン国家に替わって、国連が責任を持って法廷を設置して欲
しい」。これが与党の論理だ。

 ベッリ議長が国会を開かない以上、与党がいずれ国連への嘆願に打って出ることは
予測出来た。しかしタイミングが問題である。アラブ・サミットが終わり、サウジが
再びベッリとハリーリの会談をお膳立てする中で、何故与党は対話の可能性を完全に
閉ざす嘆願書提出という戦術をとったのか?

 5月に退任が迫ったシラク仏大統領が、何とか在任中に国際法廷設置への道筋をつ
けようと焦り、与党をけしかけたという見方もある。しかし真相はわからない。

○「本性」を顕したヒズボッラー

 当然のように野党は反発した。FPMはこれまで国際法廷問題については、合意文
書の修正を求めるヒズボッラーやアマルとは一線を画し「無修正でも賛成する(ただ
し与党が内閣改造に合意することが条件)」という立場をとってきたが、そのFPM
のアウン党首さえ「与党は国内問題を安保理に持ち込んで、レバノンの主権を放棄し
てしまった。反逆罪に相当する」と激昂している。

 さらに野党の実質的な総帥ナスラッラー・ヒズボッラー議長も、8日にダーヒヤ
(ベイルート南郊外)の集会で国際法廷問題に言及。「(シリアを有罪とする)判決
は既に下っており、国際法廷はそれを宣告する場に過ぎない」と、国際捜査・裁判そ
のものに対する不信感を初めて表明した。

 ヒズボッラーとアマルは、2006年3月に始まった円卓会議で国際法廷設立への
賛成を表明した。しかし一年余の国連との交渉を経て、セニオラ政府が国際法廷規約
を可決しようとした時に、閣僚を辞任させた。それ以降は「与党が内閣改造に応じ、
野党に拒否権(3分の1閣僚ポスト)を譲るのであれば、法廷規約に修正を施した上
で承認する」と主張。つまり、「法廷設置に反対するわけではない。決定に参加させ
ろと言っているだけだ」、そういう立場だった…はずである。

 ところが8日のナスラッラーの言い分では、そもそも国際捜査自体が、アサド政権
を追い詰め、後ろ盾を失ったヒズボッラーを武装解除せんとする米欧イスラエルの陰
謀ということになってしまう。国際法廷そのものを拒否したに等しい。

 与党は「とうとうヒズボッラーが本性を顕した。ヒズボッラーは何が何でも法廷設
置を妨害し、アサド政権を守るつもりなのだ。これまで『国際法廷設置を支持する』、
『ハリーリ暗殺の真犯人を解明する』と言ってきたのは全部嘘だったのだ」と、ヒズ
ボッラー非難を強めている。

 サウジとの二重国籍を持ち、米仏両国との太いパイプを生かし、首都ベイルート偏
重の大規模開発を進めた世俗的なスンニ派政治家、故ラフィーク・ハリーリ。対し
て、イラン革命の落とし子、南部やべカーの貧困地域を地盤に、殉教精神で対イスラ
エル闘争を続けるシーア派組織のヒズボッラー。

 およそ、ハリーリとナスラッラーの間には接点らしい接点が無い。だが、シリアの
傘の下で両者は協調を続け、二人の間には個人的な信頼関係も生まれた。ハリーリ暗
殺事件発生直後には、ハリーリ家はナスラッラーに捜査協力を要請さえしている。

 水と油のハリーリ派とヒズボッラーは、シリアの属国化したレバノンが、国際政治
の激動から切り離された間は辛うじて協調関係を維持出来た。今のレバノンは違う。
米欧イスラエルと、シリア・イラン同盟の間の、新たな東西冷戦の最前線と化してし
まった。その中でハリーリ派とヒズボッラーは国際法廷問題を焦点に、正面から対峙
する。

 この連載第一回のテーマはメヘリス捜査報告書だった。そして最終回の今回も国際
法廷問題がキーワードである。期せずしてこの連載はハリーリ暗殺事件に始まり、ハ
リーリ暗殺事件で終わった。

 暗殺事件の真相が明らかになるまでは、まだまだ曲折があるだろう。それを最後ま
で報告出来ないことだけが心残りである。

 それではご愛読、どうもありがとうございました。読者の皆様のご健康と、またレ
バノン情勢を皆様に報告出来る機会が回ってくることを祈りつつ、筆を擱くことにし
ます。



連載第63回(2007年4月4日配信)

リヤード・サミット

○連載終了のお知らせ

 この連載が始まったのは2005年10月だから、この4月で1年半になる。

 連載第1回で扱った話題は、ハリーリ暗殺事件の国際捜査だった。その後この1年
半の間に、レバノンでは政治家暗殺事件や、デンマーク大使館焼き討ち事件、そして
昨夏の第五次レバノン戦争と、世界的な関心を集める事件がいくつも起きた。隣のイ
スラエル・パレスチナでもシャロン前首相が倒れたり、ハマースがPLC選挙に大勝
したり、と大きな動きがあった。

 それを間近から眺め、JMMの13万人読者の皆様に向けて報告出来たのは、中東
情勢分析の仕事に携わる者として、最高に幸運だったと思う。

 ずっとここレバノンに残って、この仕事を続けていきたいという気持ちも捨て難い
のですが、日本国籍しか持たない子供たちの教育など、将来のことを考えて、今月半
ばから帰国して東京で暮らすことにしました。従ってこの連載はあと1回で終わらせ
ていただきます。最終回の次回は、日本の中東報道に対する私の考えなどについても
書きたいと思います。

○敵と相対する時

 さて、今回は「平時に敵に相まみえた時に、どう振舞うか」という問題がテーマで
す。戦争や内戦続きの中東では、これがなかなか見ていて面白い。

 たとえば今日、4月3日。レバノンの与党所属議員約60名と野党議員40名が国
会議事堂に集結した。

 これまで報告してきたように、野党アマルの党首でもあるベッリ国会議長は、国会
本会議の会期が始まったにもかかわらず、「セニオラ政府は非合法政府である、合法
政府が出来るまでは本会議を開かない」と言って、ハリーリ暗殺事件の国際法廷合意
文書を批准しようとしない。

 今日与党議員が大挙して国会議事堂に集結したのは、ベッリに向かって「国会を開
け」と怒鳴り込むためである。野党議員が集まったのは、与党が国会議長抜きで、勝
手にセッションを開き、強行採決するのを防ぐためだ。

 今日の国会議事堂では怒号と罵声が飛び交い、ひょっとしたら血を見る修羅場にな
ると誰もが予測したのは当然だ。私も朝からテレビをつけっぱなしにしてライブ中継
映像を眺めていた。

 ところが、案に相違して与党議員と野党議員は和気藹々とやっている。議事堂ホー
ルではあちこちで両派の議員がにこやかに談笑し、握手し、抱擁して左右の頬にキス
している。与党側はマッカーリ国会副議長が代表して、ベッリに本会議開催を呼びか
ける穏やかな内容の声明を読み上げた。次いで野党側からもニコラ議員(アウン派)
が「その前に与党は内閣改造に応じるべき」と、反論する声明を読み上げる。野次に
その声が掻き消されることもない。

 拍子抜けするほど、「文明的」・平和的な雰囲気のままでこの日の応酬は終わった。

「そりゃ、与野党に分かれていると言ったって、所詮は同じレバノン国民だし、国会
の朋輩同士の話じゃあないか」と思われるかもしれない。しかし今のレバノンはそん
な生ぬるい状況ではない。場外では連日のように、与党は野党をシリアとイランの傀
儡呼ばわりし、野党は与党をアメリカとフランスの犬と罵っているのである。両派支
持者の間の、散発的な武装衝突も各地で発生している。

 外に目を向ければ、核問題に英軍水兵の拘束問題が加わり、イランと西側の関係は
極限まで緊張、「米国のイラン攻撃間近か?」と噂されるまでになった。米仏を後ろ
盾にする与党と、イラン・シリアに頼る野党とは、もはや「同胞、朋輩」と言うより
も「敵同士」と言った方が正しい。

 そう言えば、与党の総帥サアド・ハリーリ議員も、つい先日支持者に向かって「野
党に11閣僚ポストを与えるのは政治的自殺行為であり、ラフィーク・ハリーリ(前
首相)暗殺計画の完遂を認めるに等しい」と言った。

 与党19、野党11ポストと言うのはサウジの調停案の一部だ。ハリーリはこの枠
組みを受け入れた上でベッリと交渉し、ふたりしてテレビカメラの前で馬鹿笑いして
いたのではなかったのか?「誰が相手の要求をのむものか」と心の底で誓いつつ、あ
れほど親しげに振舞えると言うのはやはり大した腹芸というしかない。

○イスラエルの場合

 1999年にヨルダンのフセイン国王の葬儀がアンマンで営まれた時、参列したイ
スラエルのワイズマン大統領(当時)に、どこか見覚えのある顔の男性が近寄り、親
しげに握手を求めてきた。ワイズマンはこの男がPLO構成組織のDFLP(パレス
チナ解放民主戦線)党首、ナーイフ・ハワトメであることに気づいた。

 DFLPと言えば、PLOがアンマンやベイルートを拠点にしていたころ、最も先
鋭的な反イスラエル武装闘争をやったマルクス主義組織である。特に学童ら26名が
犠牲になった1974年のマアロート村襲撃事件を起こしたことで、ハワトメとDF
LPの名はイスラエルでは極悪「テロリスト」として永久に記憶されることになった。

 ワイズマンは相手がそのハワトメと知って、若干躊躇したが、結局は手を差し出し
て握手を交わした。厳粛な葬儀の場で事を荒立てるわけにもいかず、そうするしかな
かったのであろう。案の定、イスラエルでは「大統領はテロ事件犠牲者遺族の感情を
踏み躙った」と、この一件はメディアの格好の餌食になったが、ワイズマンは「平和
を求めてくる相手ならば、悪魔とでも対話する」と開き直った。結局この問題はそれ
以上には広がらなかった。

 仇敵と握手したワイズマンに対し、シャロン前首相は仇敵との表面的な和解さえ拒
んだ。

 シャロンはネタニヤフ内閣の外相を務めていた1998年当時、米国のワイ・リバ
ー・プランテーションの和平協議で、仇敵アラファトPLO議長とはじめて同席した。
首相のネタニヤフ(当時)は、野党時代こそ「テロリスト」アラファトと交渉するラ
ビンやペレスを厳しく非難したが、1996年に政権を握ると、米国の強い圧力に抗
しきれず、アラファトと直接交渉を開始。握手や挨拶は勿論のこと、食事をともにす
る機会さえ持つようになっていた。

 しかし、ワイ・プランテーションでアラファトと初会見したシャロンは自分の流儀
を貫いた。かつて1982年に国防大臣としてベイルート包囲戦を指導、アラファト
抹殺を図ったシャロンは、16年後の1998年になっても、「アラファトは殺して
おくべきだった」という信念を曲げなかった。協議場でアラファトから軽い会釈を受
けたシャロンは、一瞥もくれず、会談中にもまったくアラファトと口をきくことがな
かったと言う。

 後にリクード党首となったシャロンは2000年9月にバラク政権(当時)の反対
を押し切って、挑発的なハラムッシャリーフ(「高貴な聖域」=アル・アクサ・モス
クがあるエルサレムのイスラーム教の聖地。ユダヤ教徒にとってはソロモン王の神殿
の跡地)訪問を強行。これが導火線となってアル・アクサ・インティファーダが勃発
すると、アラファトをラーマッラーに隔離幽閉する。アラファトは遂に軟禁状態の中、
波乱万丈の生涯を閉じた。アラファトに対する憎悪を貫き通したシャロンだから、実
はアラファトを毒殺したのではという噂も根強く聞かれる。

○ラフードと潘事務総長

 話が逸れた。レバノンに戻ろう。3月28、29日の両日リヤードで開かれたアラ
ブ・サミットでは、レバノンはとうとう統一代表団を組めず、昨年に引き続き今年も
ラフード大統領とセニオラ首相が率いる代表団に別れて参加した(セニオラらはゲス
ト扱いで、連盟非加盟国からの来賓に混ざって着席)。ラフードはわざわざ辞任した
サッルーフ前外相とサッラーフ前環境相を随行者に選んでいる。セニオラに対する露
骨なあてつけだ。

 ホスト国サウジは1月にファタハとハマースの連立内閣合意をまとめた。お陰で、
パレスチナからはアッバースPA議長とハニーヤ首相が仲良くサミットに参加してい
る。「それに比べてレバノンの奴らの恩知らずなことと言ったら……」さんざん調停
工作に骨を折ってやったというのに、とうとうサミットにまでふたつの代表団を送っ
てきたレバノンに対するアブダッラー国王の胸中は穏やかではなかったろう。

 アブダッラーはラフードとセニオラの出迎えにリヤード行政区副長官を派遣し、他
の各国元首に対するように自ら直接空港まで出迎えなかった。サミットの議題の中で
も、パレスチナ問題、核拡散問題、イラク情勢などの影に隠れて、レバノン問題の影
はすっかり薄くなってしまった。

 サミット2日目の最終セッションが始まる前、潘基文国連事務総長の視界にラフー
ドが入った。この時の潘事務総長の胸中を推察するに、1999年のワイズマンと同
じ心境だったのではなかろうか?「参ったなあ、どう対処すれば良いだろう? こっ
ちに気づかずに向こうへ行ってくれないかなあ」

 何しろラフードは国連決議第1559号を蹂躙して任期延長を果たした人物である。
だから国連にとっては目障りな存在で、本来ならボイコットしたいところだ。しかし
ここはアラブ・サミットの場である。アラブ連盟はラフードを正統なレバノン国家元
首として招待している。さあ、どう対応するべきか。向こうに行ってくれたならそれ
に越したことはない。

 しかしラフードはめざとく潘を見つけると、にこやかに近寄ってきた。そして開口
一番、「閣下、事務総長へのご就任、おめでとうございます」と祝福したのである。
これに潘がどう応じたかは報じられていないが、「いやいや、閣下の方こそ、安保理
決議に屈せず見事任期延長を果たされた。ご同慶の至りです」と返答しなかったこと
だけは間違いないだろう。

 ラフードはこの後、口角泡を飛ばす勢いで潘に「セニオラ内閣は非合法です」「私
は国際法廷設置に反対はしていない。ただ法廷が政治的に利用されてはならぬと申し
ている」と自説を開陳したので、辟易した潘は「明日からのレバノン訪問で、現実を
良く見て、もっとレバノン情勢を理解したいと思います」と逃げた。

 潘は翌30日から31日にかけてレバノンに来訪、ベッリやセニオラら要人と精力
的に会談したが、とうとうラフードのもとは訪問しなかった。

 そう言えば、サミットの舞台裏でもラフード、セニオラの両名は各国代表団と華や
かな外交折衝を繰り広げたが、とうとう最後までお互いを無視したままであったとい
う。



連載第62回(2007年3月27日配信)

対立激化不可避か

○「ゲームを初めからやり直し」

 政局が膠着した昨秋以来、レバノンのテレビ各局は現状を慨嘆するCMをそれぞれ
に製作放映し始めた。その中でも最近NTVという局が流しだしたCMは秀逸である。

 内戦中の市街戦や虐殺事件のビデオ映像が冒頭に流れる。レバノン内戦が終わった
のは1990年。当然、カラーの記録映像がいっぱい残っているが、それをあえてセ
ピア色で流す。「過去」のイメージを強調するためであろう。映像はやがて廃墟と化
したベイルートに切り替わり、画面中央に英語で「ゲーム・オーバー」の文字がかぶ
さり点滅する。ビデオ・ゲームの画面を模しているのだ。「ゲーム・オーバー」の文
字がふっと消えたと思うと、今度は画面左上にメニュー・ウィンドウが現れる。カー
ソルが上から下へと移動し、「ゲームを初めからやり直し」の項目をクリックする…
…。

 終わった筈の、あの悪夢のような内戦が、このままだと再び現実のものとなってし
まう……多くの人々の心にひそむ恐怖心を鋭く突いた佳品だ。

○ハリーリとベッリの直接協議

 内戦再発の暗い予感が強まったのは実はつい最近である。2月から今月前半にかけ
てはそれほどでもなかった。むしろ「破局には至るまい」と楽観的な見方をする人の
方が多かっただろう。

 1月の23、25日に起きた与野党支持者の武装衝突は、その後拡大せずに収拾さ
れた。2月14日の与党大集会も治安状況の悪化にはつながらなかった。そして何よ
りも、今月初めには与野党双方の背後に控える大国サウジとイランがサミットを開き、
レバノン情勢鎮静化を協議した。内外の当事者がこれほど明確に危機収拾への意志を
示しているのだから大丈夫だろう。これが楽観論の根拠だった。

 楽観ムードが頂点に達したのは、3月8日にサアド・ハリーリ議員が国会議長公邸
にベッリ議長を訪ねた時である。殺された前首相の息子で跡取りのハリーリは、与党
反シリア連合の総帥とも言うべき立場にある。政敵ラフードが大統領の座に居る限り
は首相にならないつもりらしいが、影の総理と言ってよい。

 一方のベッリは昨夏の戦争以来、地下潜伏を強いられるヒズボッラーのナスラッラ
ー議長から全面的な信任を受け、彼の代理人として米国や与党と交渉を行ってきた。
だからハリーリとベッリの直接会談は、与野党トップ会談に等しい。それまで4ヶ月
の間、断交状態にあった両者が突然に直接会談を始めた背景にサウジとイランの強い
働きかけがあったろうことは想像に難くない。

 二人の協議の場から報道陣は完全にシャットアウトされたが、協議に入る前の和気
藹々とした雰囲気は映像になって茶の間に流れた。2人ともスーツではなく普段着で
くつろいでいた。ハリーリは亡父の旧友ベッリにすっかり打ち解けた様子で、2人し
てカメラに向かい冗談を言っては馬鹿笑いする。とてもとても破局寸前には見えない。
そして口を揃えて「楽観している」と言うのだから、否が応にも「合意間近」という
印象が強まった。

 ハリーリは次の日も、そしてアブダビ出張から戻った12日にもベッリと会談して
いる。その度に2人は記者団に「合意成立はそこまで迫っている」と語った。野党系
のメディアは「合意は既に成立している。ただ米国が反対しているので発表出来ない
だけだ」とさえ報じた。

 しかしその割には、何をどう合意したのか、具体的な情報が一切漏れて来ない。与
党は野党に11閣僚ポストを譲ると決めたのであろうか? 野党は国際法廷設立を承
認したのか? ハリーリ・ベッリ会談が回を重ねる度に、最大の争点となっているこ
の二点について、協議は平行線をたどっているらしいことが明らかになってきた。

 19日から、ハリーリはシラク大統領から叙勲を受けるためにパリに向かった。叙
勲式出席を口実に、ジャアジャアLF議長、ジュンブラートPSP党首ら反シリア連
合首脳がハリーリに同行して一斉にパリへ飛んだ。ベッリとの交渉が行き詰まり、ハ
リーリはシラクも含め、反シリアの盟友たちとの協議に迫られているらしいことがこ
れではっきりした。

○ベッリの暴露会見

 曲りなりにも続いていた対話ムードが一変したのは20日である。

 春季国会開催日にあたるこの日午前、与党各派所属議員44名が国会議事堂に集結、
国会を召集しハリーリ暗殺事件国際法廷合意文書を批准する様ベッリに迫ったのであ
る。本会議場の扉は閉じたままなので、与党議員らはホールで記者会見を開き、口々
に野党とベッリを非難した。

 昨年11月以来、「シーア派閣僚を欠いたままの現政権は他宗派共存の原則を説く
憲法の精神に違反しており、正統とは言えない。与野党が合意し挙国一致内閣が成立
するまで国会本会議は召集しない」と言うのがベッリの立場。それを承知で、しかも
自分と交渉中のハリーリが自派議員20名以上を国会議事堂に送り、自分を非難させ
たわけだからベッリはキレた。

 数時間後にベッリは議長公邸で大々的に記者会見を開く。そして昨年11月以来の
与党との交渉の内幕を暴露したのである。

 ベッリは言う、「パリに行く前のハリーリ議員は、与野党それぞれ2名ずつの合同
委員会をつくり、国際法廷規約の修正協議を行うこと、改造内閣の閣僚ポスト配分を
与党19、野党11とすることで了解していた。唯一残った問題は、11人目の閣僚
をどうやって任命するかという点だけだった」。にも関わらず、今になってハリーリ
は合意などした覚えは無いと言う。あまつさえ、自派議員を使って、自分(ベッリ)
が立法機関を麻痺させているかのように非難する。あんたは本当に交渉して問題を解
決させる気があるのか? ……これがベッリの言い分だ。

 これまで何度か書いてきたことだが、憲法上、全閣僚の3分の1より多数が不在と
なると内閣は倒れる。30閣僚のうち、野党が11ポストを握った場合、野党はいつ
でもこの11名を辞任させて政府の決定をブロックすることが出来る。従って与党は
野党に10ポストまでは与えても、11は与えられない。もし与えるのであれば、そ
の11人目が絶対に辞任しないという保証が必要だ。

○野党、判事任命権掌握を狙う?

 23日になると、クウェート紙「ラーイ」がイラン筋の情報として「ヒズボッラー
とアマルはシリアと結託し、準国際法廷の受け入れを決めた。そしてその法廷の判事
の過半をレバノン人で固める計画である」と報じた。

 これも若干解説が必要だ。

 セニオラ政府と国連が設立を合意した「国際法廷」とは、厳密には完全な国際法廷
ではなく、準国際法廷である。法廷の経費はレバノン政府も負担し、レバノン法も適
用される。外国人判事4人にレバノン人3名の計7名の判事が任命される。

 もしベッリが国会召集を拒み続けた場合、レバノン国会はこの規約を批准出来ない。
その場合、米国やフランスなどは国連憲章第7章に基づき、純然たる国際法廷を設置
してハリーリ暗殺犯を裁くつもりだ。費用は一切国連が持つ。そのかわりレバノン法
は適用されず、判事もすべて国連が選ぶ。レバノン主権の外で裁判が行われることに
なる。

 シリアが犯行に関与していたとして、現行の準国際法廷と、純然たる国際法廷のど
ちらが厄介か? もちろん後者である。前者ならば、シリアはレバノンの同盟者を通
じて、自国の息のかかった判事を送り込める可能性がある。後者ならばお手上げだ。
「ラーイ」紙の記事はそこを指摘している。ヒズボッラーとアマルはシリアの意向を
呈して、今後与党に対して法廷規約の修正を求め、外国人とレバノン人判事の比率を
現行の3対4から4対3に変更、シリアに甘い判事を送り込もうとしている、という
わけだ。

○与党合同声明

 断っておくが、クウェート紙のレバノン報道はあてにならない。根拠薄弱なトンデ
モ記事が頻繁に掲載されるからだ。あるいは上に紹介した記事も、反シリア派が情報
操作のために流したガセネタかもしれない。

 しかしそうであっても、いや、そうであればこそ、この記事からは与党側の危惧が
見てとれる。野党の真意がはっきりしない以上は、与党は絶対に野党に拒否権を渡せ
ないのである。野党がもしシリアと裏でつるんでいるなら、11閣僚ポストを譲った
が最後、野党は拒否権を楯にとって国際法廷を骨抜きにしてしまいかねない。

 23日夜、ジュンブラートPSP党首、ジャアジャアLF議長、ジュマイエル元大
統領ら与党首脳はクレイトムのハリーリ宮殿に集まり、野党への譲歩を断固拒否する
姿勢を打ち出した。合同声明は、はっきりと「国際法廷設置は、シリア(によるテロ
行為)からレバノンと国民を守る唯一の手段であり、譲るわけにはいかない」と述べ
ている。さらに、野党には11閣僚ポストを与えず、拒否権行使は許さないと宣言し
ている。

 声明は一応、野党との対話継続を求めている。しかし野党側の最低要求項目ふたつ
(11ポストと国際法廷規約修正)のうちふたつともを撥ね付けているのだから、事
実上、対話の可能性を閉ざしたと言うべきだろう。

 昨年末のアラブ連盟の仲介工作に続き、イラン・サウジ両国の調停もこうして失敗
に終わった。28日からのアラブ・サミットには昨年に続き、今年もラフード大統領
の率いる代表団と、セニオラ首相の代表団が別個に出席するのが確実になった。

 そのサミットでも、イラク情勢やイランの核問題、パレスチナ和平問題などに押さ
れ、レバノン問題は主要議題としては扱ってもらえないようだ。2年続けて代表団を
ふたつ送り込んで来るような国はもはや統一主権国家とは言えない、協議するのも馬
鹿馬鹿しい、と突き放された観さえある。

 サミット後も膠着が続いた場合、与党はベッリを迂回して国会副議長(ハリーリ派
に所属)が国会を召集、国際法廷合意文書の批准を強行するかもしれない。野党の側
も不服従運動というカードをチラつかせている。今後はよほど劇的な地域情勢の変化
……例えば米国のイラン攻撃などが起きない限り、レバノン情勢はゆっくりと、しか
し確実に一層の緊張に向かいそうだ。



連載第61回(2007年3月18日配信)

ファタハ・イスラーム細胞の摘発

○難民キャンプの記者会見

 顔をぐるぐると巻いた頭巾の隙間から、両眼だけが鋭く光る。

 頭巾は白地に黒の格子模様。故アラファートPLO議長がトレードマークにしてい
た、あれと同じだ。四人が四人とも、迷彩服に同じ柄の頭巾という服装をしている。

 両端の男はボディガードだろうか、それともゲリラのポーズを装っているだけなの
か。カラシニコフ銃をこれ見よがしに構え、報道陣を威嚇するように突っ立っている。

 二人に両脇を囲まれる形で置かれた机に肘をつき、やはり同じいでたちの男二人が
腰掛ける。頭上の壁には黒地に白で「ラ・イラーフ・イッラッラー(アッラーの他に
神は無し)、ムハンマド・ラスールッラー(ムハンマドは神の使途なり)」と染め抜
いた布が。イラクの反米武装勢力や、パレスチナのハマースなどがメディアに送りつ
ける犯行声明ビデオと雰囲気が似ている。

 しかしここはイラクでも無ければパレスチナでも無い。レバノンだ。しかも、場所
はイスラエルから最も遠く離れた北部トリポリ市郊外にある、ナハル・アル・バーリ
ド難民キャンプの中である。

 椅子に掛けた二人のうち、右側に座る人物がアブ・サリーム・タホ。ファタハ・イ
スラームのスポークスマンと称する人物である。その隣の眼鏡の男がシャーケル・ア
バシ。パレスチナ系ヨルダン人で、ヨルダンで米国外交官暗殺事件を引き起こした後、
シリアを経由してレバノンまで逃れてきた。この男がファタハ・イスラームの創設者
とされる。

 もっとも、後述するようにファタハ・イスラームなる組織の実態はほとんどわから
ないし、両名が本名を名乗っているかどうかも謎だ。ついでに言えば、覆面をしてい
るから本当にこの二人なのかどうかさえわからない。

 アブ・サリームを名乗る男の方が、駆けつけた記者団を前に声明を読み上げる。曰
く、「ファタハ・イスラームの目的はただひとつ、聖地エルサレムの解放である」
「今度の件にはファタハ・イスラームは一切関係していない。今度の件は、パレスチ
ナ難民キャンプを攻撃し、いずれはパレスチナ人を追放せんとするレバノン当局の
でっち上げである」…。

○初の犯人摘発

 記者会見は3月13日夜に開かれた。この日午前中に、レバノンの各メディアは
「ファタハ・イスラームのメンバーらがアイン・アラクの連続バス爆破事件実行を自
白した」という治安筋の情報を一斉に報じ始めた。

 アイン・アラクのバス爆破については連載第58回で報じた。ちょうど一ヶ月前、
ハリーリ暗殺事件の2周年記念大集会の前日に、カターイブ党の本拠地に近いアイン
・アラク村で走行中のマイクロ・バス2台が相次ぎ爆破され、死者3名が出たテロ事
件である。

 この事件への関与容疑で取り調べを受けていた男たちが犯行を自白、ファタハ・イ
スラームへの所属を供述した、というのである。当局が公式発表をためらううちに話
に尾ひれがつき、「男たちはアル・カーイダの指示で犯行を実行した」、「いや、シ
リアの指示で実行した」、「このグループはUNIFIL部隊への攻撃を計画してい
た」と、各派のメディアが自派に都合良く、好き勝手に内容を加工して報道し始めた。

 政府も流石にこのままでは放っておけず、たまたま当日夜に予定されていた臨時閣
議でISF(内務治安部隊=警察に相当)のリーフィ長官やミルザ検事総長ら治安司
法機関の首脳を招集、事実関係の報告を受けた。閣議後にはサバア内相が記者会見を
開き、今回のファタハ・イスラーム細胞組織の摘発について公式発表を行った。

 サバアの言い分はこうだ。「容疑者の内偵を続けるうちに、アジトとなったアパー
ト4箇所を探りあてた。これまでに逮捕したのは4名で全員シリア人。いずれもナハ
ル・アル・バーリド難民キャンプを根拠地とするファタハ・イスラームのメンバーで
あり、2月14日の反シリア派大集会を妨害するため爆破事件を起こすよう指令を受
けたと自供した。4名のうちひとりは一台のバスに爆弾を仕掛けた実行犯で、もう一
人の実行犯は逃亡中である」。

 サバアは続ける。「ファタハ・イスラームはシリア諜報機関の一部を構成してい
る」。

 レバノン政界は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。何しろ、2004年9月に
安保理決議第1559号が採択されてからこんにちまでに、ハリーリ暗殺事件を含め、
15件の暗殺・テロ事件が起きているが、ただひとつとして犯人を決定付ける証拠は
挙がっていないし、自供もとれていない。それが遂に、犯人グループを摘発し、自供
を引き出した、しかもその組織はシリアの諜報機関の一部だと言うのだ。事実ならば、
一連の犯罪の真相解明に向けた突破口になるだろう。

 与党・反シリア勢力はファタハ・イスラーム細胞組織の摘発を「一連の事件の真相
解明につながる快挙」と手放しで賞賛している。

 一方、ナハル・アル・バーリド難民キャンプでは冒頭に記したように、糾弾された
側がサバアとほぼ同時刻に、弁明の記者会見を開いた。シリアでもムアッリム外相が
「シリアは世俗国家だ。イスラーム原理主義組織とは関係ない」と容疑を撥ね付けた。

 レバノンの親シリア各派は「捜査を進め容疑を固めるのは司法の仕事であり、内相
の仕事ではない。捜査も進まぬうちからシリアの関与を断定し、事件を政治利用する
つもりか」と一様にサバアを非難した。

 親シリア派は、摘発の発表がEU外相に相当するソラナ外交問題上級代表の2年ぶ
りのシリア訪問の前日に行われたことに注目、「政府の狙いは『シリアはテロ国家だ、
欧米は対シリア・ボイコットを解除してはならない』というメッセージを発すること
にあるのでは」と疑心を深めている。

○ファタハ分裂の歴史

 渦中のファタハ・イスラームとは一体どんな組織なのか?

 それを知るためには、ファタハの歴史からさかのぼらねばならない。パレスチナ解
放運動=ファタハは1950年代末から60年代前半にかけて、アラファトやハリー
ル・ワズィール(ゲリラ名アブ・ジハード)、サラーハ・ハラフ(アブ・イヤード)
ら、ガザ周辺出身のムスリムが中心となって設立したゲリラ組織である。1964年
にエジプトのナセル大統領の主導で、アラブ連盟は公認パレスチナ解放組織PLOを
設立するが、ファタハはパレスチナ民族代表の座をめぐりこのPLOと張り合った。
1967年の第三次中東戦争の惨敗でナセルの権威が失墜した後の1969年、ファ
タハは首尾よくPLOを乗っ取る。以降、2005年のPLC選挙でハマースに大敗
を喫するまで、ファタハはパレスチナ人代表の座をほぼ独占してきた。

 しかしファタハとアラファトの地位は、この間ずっと安泰であったわけではなく、
幾度となく身内の造反や、アラブ諸国の介入により危機にさらされた。最も深刻な危
機は1983年に起きたファタハ・インティファーダである。1982年にイスラエ
ル軍がベイルートに侵攻、アラファトら首脳がチュニスに逃亡した後、レバノンに残
ったファタハ部隊の中で、アラファト執行部に対する反乱が起きた。シリアはこの反
乱を全面支援、アラファト派は反乱派によってレバノン北部から一掃されてしまう。
この反乱派をファタハ・インティファーダ(インティファーダは「蜂起」「反乱」の
意)と呼ぶ。

 この事件以降、レバノンにおけるファタハ(アラファト派)の影響力は南部のキャ
ンプに限定され、北部のキャンプではファタハ・インティファーダやPFLP−GC
など親シリア派が優勢という状況が固定した。

 ところが、昨年夏の第五次レバノン戦争の後、トリポリ近くにあるバッダーウィ難
民キャンプとナハル・アル・バーリド・キャンプで、ひげもじゃの見るからに原理主
義者といった風貌の男たちが武装して徘徊する姿が目につくようになった。

 当初この男たちは、ファタハ・インティファーダのメンバーとしてシリアからやっ
てきたらしい。しかし昨年11月の終わりになって、バッダーウィ・キャンプの中で、
この原理主義者たちと他のゲリラたちの銃撃戦が起きた。原理主義者たちはバッダー
ウィを立ち退いてナハル・アル・バーリドに結集、ファタハ・インティファーダの事
務所を占拠した上、ファタハ・インティファーダからの独立とファタハ・イスラーム
結成を宣言したのである。つまり、ファタハ・イスラームはファタハの分派の、その
また分派ということになる。

 反シリア派は当初からファタハ・イスラームを強く警戒し、「ファタハ・イスラー
ムはレバノンで破壊工作を行うためにシリアが送り込んだテロリスト集団だ。彼らは
レバノンの反シリア系要人30数名を標的にしている」と主張してきた。一方、親シ
リア派や米誌「ニューヨーカー」のセイモア・ハーシュ記者などは「ファタハ・イス
ラームはシーア派のヒズボッラーに対抗させるために米国が密かに支援するスンニ派
原理主義組織だ」と、まったく逆の立場をとる。

 実はバッダーウィの銃撃戦から間もない昨年12月8日に、ダマスカス在住のファ
タハ・インティファーダの大幹部アブ・ハーリド・アムラが突然親族とともに逮捕さ
れるという事件が起きている。その後アムラは釈放されたものの、現在に至るまで自
宅軟禁状態に置かれているらしい。1983年から一貫してアサド政権の意向に沿っ
て動いてきたアムラが突然受けたこの仕打ちを見ると、「シリアはファタハ・インテ
ィファーダを隠れ蓑にしてレバノンに原理主義テロリストを送り込もうとしたが、フ
ァタハ・インティファーダが協力しないので、お灸をすえた」と言うのが真相ではな
かろうか。

 もしこの見方が当たっているならば、サバアが発表した内容の信憑性は高くなる
(ただし、サバアはファタハ・イスラームがファタハ・インティファーダから分裂し
たというのは偽装で、両組織の実態はひとつという見方をとっている)。

 いずれにせよ、国内の難民キャンプに潜伏するグループが公然とテロ活動をやって
いる、と断定したからには、政府は今後キャンプに対して何らかの行動を起こさざる
を得ない。そうなるとただでさえ不安な治安状況が、一層悪化する恐れもある。



連載第60回(2007年3月9日配信)

まだまだ遠い春

○サウジ・イラン・サミット

 3月3日午後。

 サウジアラビアのリヤード空港に到着したイラン国営航空機からアハマディネジャ
ード・イラン大統領が降り立った。随行者の中にはムッタキ外相も居る。タラップの
下ではアブダッラー国王、サウード・アル・ファイサル外相らサウジ首脳が待ち受け
る。

 タラップを降りきった50歳のアハマディネジャード大統領を、「ハーディム・ア
ル・ハラメイン(アラビア語で『二つの聖地=メッカとメディナの管理人』。歴代サ
ウジ国王に与えられる尊称)」と呼ばれる齢83のアブダッラーが抱擁し、相手の左
右の頬に自分の頬を交互に押しあてる中東風の挨拶を交わす。

 ゆったりとしたマントにくるんだ長身の巨体。長い純白の頭巾、眼鏡の奥の柔和な
眼差し、そして悠揚たる挙措動作。アブダッラー国王には争えない長者の風格と威厳
がある。対して、小柄で貧相なアハマディネジャードの風貌には、革命防衛隊司令官
から叩き上げた経歴から来るのか、陰気な雰囲気が拭えない。「油断ならぬ曲者」の
相とでも評すべきか。

「長者」は、自分より30も年下のこの「曲者」が自らの息子であるかのように、そ
の手をしっかりとって、親密な態度で貴賓室へとエスコートした。この後市内に向
かった2人は、休憩の後に首脳会談を開始する。晩餐を挟み2人は延々5時間にも及
び、イラク、レバノン、パレスチナ情勢やイランの核開発問題について協議した。そ
の後、アハマディネジャードはリヤードに1泊することなく、まっすぐにテヘランに
戻っている。

○サミットの背景 

 サウジとイランのサミット(厳密にはイランの国家元首は最高指導者のハメネイ師
であるが、宗教権威でもあるハメネイ自身が自ら外国に出かけて外交を仕切ることは
まず無いので、レバノンのアラビア語メディアは揃ってアハマディネジャードとアブ
ダッラーの会談をサミットと表現している。ここではそれに従うことにする)は、わ
ずか2日前の1日になって唐突に発表され、電撃的に開かれた。

 しかしサミットに先立ち、両国間ではハイレベルの準備交渉が続いていた。交渉を
仕切ったのは双方の国家安全保障会議議長、バンダル王子とアリ・ラリジャーニ博士
である。バンダルは駐米大使を20年以上にわたって務めたサウジ政界の実力者。ま
たラリジャーニは核開発問題をめぐる西側諸国との交渉者としても知られる。

 現在の中東情勢を概括すると、まず昇竜の勢いのイランと、米仏両国を中心とした
西側諸国が対立する構図がある。イラクの核開発問題や、イスラエルとパレスチナ、
あるいはファタハとハマースの対立も、今はこの構図の一部になっている。

 これを縦軸とするならば、横軸はスンニ派とシーア派の宗派対立だ。イラクはもは
や米国でさえ認めざるを得ない血みどろの状況に陥ってしまった。ヒズボッラー率い
る野党とセニオラ内閣が睨み合ったままのレバノンも、いつイラクのような地獄と化
するかわからない。サウジの東部州はじめ、シーア派人口が多い湾岸諸国も危ない。

 縦軸においても、横軸においても、サウジとイランは当事者である。米軍の駐留を
受け入れるサウジは、イラクのバアス党政権崩壊後は西側の対イラン最前線、橋頭堡
の立場になってしまった。米国やイスラエルがイランを先制攻撃するような事態にな
れば、サウジの安全は誰も保障出来ない。

 また、聖地の守護者であり、圧倒的な財力を誇るサウジは、地域のスンニ派勢力に
とっては拠り所、パトロンでもある。サウジはイラクのスンニ派、レバノンの反シリ
ア勢力(特にハリーリ派)、パレスチナのファタハなどに大きな影響力を持つが、い
ずれも各地で親イラン勢力(イラクのシーア派、レバノンのヒズボッラー、パレスチ
ナのハマース)と対立している。

 これ以上、西側諸国とイランの対立に中東を巻き込ませないこと。そしてスンニ派
とシーア派の間の宗派紛争を、これ以上に拡大させないこと。サウジとイランの交渉
の目的はそこにあった。3日のサミットは、その両国の外交努力の結実であった。

○ジュンブラート訪米

 レバノンでは、このサミットが3ヶ月来膠着状態にある政局の打開につながるとい
う期待が高かった。正確に言うなら、与野党ともにメディアを用いて過剰に期待を
煽った。どちらの側も、もし進展がなかった場合「サウジとイラン両国は理想的な解
決案を提案してきた。しかし相手がそれを蹴ったために解決出来なかった」と、相手
に責任を押しつけるつもりだったのであろう。

 その傾向は野党側メディアに特に強かった。ヒズボッラー系のアル・マナール・テ
レビや、サフィール紙、アフバール(ニュース)紙など野党寄りのメディアは「改造
内閣のポスト配分は与党19、野党11」「改造後に、新内閣は国際法廷合意文書を
検討、修正を加えた上で国会が承認する」などなど、自派に都合の良い内容でサウジ
・イラン調停案を「リーク」した。ベッリ国会議長などはサミット前には「来週中に
も与野党の手打ちが実現する」、サミット翌日には「今後48時間以内に進展がある
はず」と楽観論を説きまくった。

 これに対し、与党の領袖ジュンブラートPSP党首は2日、外遊先のニューヨーク
で潘国連事務総長と会談した際に「国際法廷合意文書の修正は許さない」と発言して
いる。与党が野党と十分に審議せずに国際法廷合意文書にサインしたことが、今回の
危機のそもそもの発端だ。だから野党側が国際法廷設置を承認するにしても、最低限、
合意文書の修正を要求してくるのは必定。与党が考えるように、野党の背後にシリア
が居るのであれば尚更のこと、文書の修正無しには野党が国際法廷設置に同意する筈
がない。

 それを承知で「修正は許さない」とジュンブラートは言っているのだから、その意
図は明らかだ。つまりはどんなにサウジが迫っても、与党は国際法廷を譲らぬし、野
党に拒否権も渡さない、ということである。

 実は潘と会う前に、ジュンブラートはワシントンでチェイニー副大統領、ライス国
務長官、ゲーツ国防長官、ラムズフェルト元国防長官、さらにはブッシュ大統領とさ
えも会談している。合衆国大統領がレバノンの国家元首どころか、閣僚ですらない一
介の議員と会談するなど、普通では考えられないことだ。ましてやジュンブラートは
2003年まではレバノンの反米勢力の急先鋒で、ライス大統領補佐官(当時。現国
務長官)のことを「石油産業の利権の代弁者だ(これは事実だろう)。だから彼女の
顔は原油色だ(意味不明)」と人種差別的に揶揄し、バグダッドでウォルフォビッツ
国防次官(当時。現世銀総裁)が泊まるホテルがゲリラのミサイルに狙われた時には
「惜しかった、当たればよかったのに」と放言し、米国からビザ発給拒否を受けたよ
うな男だ。その男にここまで肩入れするのだから、対ヒズボッラー、対シリア最強硬
派となったジュンブラートに寄せるブッシュ政権の期待の高さがうかがえる。

 ジュンブラートもこの期待に十分に応えている。2月27日にはネオコンの牙城と
して知られるシンクタンク、アメリカン・エンタープライズで講演し、「ヒズボッラ
ーを通じたシリアのレバノン間接支配に戦うため」、セニオラ政府への政治支援のみ
ならず軍事支援までをも公然と要請した。

○ヒズボッラーとシリアの反発

 ジュンブラートのこの発言に、レバノン国内では波紋が広がった。ヒズボッラーは
ジュンブラートとジャアジャア(LF議長)が目指すのは「もはや単に調停工作の妨
害ではない。彼らは米国の拡大中東政策の一部となってしまった(ハッジ・フセイン
議員)」と批判。またジュンブラートと同じドルーズ派の政敵、ワッハーブ環境相は
「今度イスラエルがヒズボッラーを攻撃した場合、野党はレバノン国内のイスラエル
の同盟者をイスラエル同様に扱う」と発言、与党に対する軍事攻撃をはっきりと示唆
した。

 ワッハーブは今も頻繁にダマスカスを訪問する代表的な独立系親シリア政治家だ。
そのワッハーブが、サウジ・イラン・サミットの翌日にこんな発言をしているのであ
るから、シリアがサウジ・イラン両国の調停工作を快く思わず、国際法廷設置に抵抗
するつもりなのは明らかだろう。

 事実、シリアのムアッリム外相は6日、ダマスカスに来訪したベルギーのド・グ
シュト外相から国際法廷への協力とレバノンへの武器密輸取締りを要請され、「国際
法廷はレバノンの問題でシリアには関係ない。シリア人の容疑者が居たとしても国際
法廷には引き渡さずにシリアの法廷で裁く」「武器密輸の事実は無い。もし国連部隊
が武器密輸禁止のためシリア・レバノン国境に展開するというのであれば、シリアは
国境を封鎖(してレバノンを経済封鎖)する」と撥ね付けている。

 そんなこんなで、サミットを機に高まった情勢打開への期待は数日間で急速に萎ん
でしまった。やはり国際法廷問題が決着し、シリアが何らかのかたちで調停工作に関
わらないことには、前には進めそうにない。

 10日にはバグダードでイラク周辺国会議が開催される。この会議で米国は、イラ
ク戦争以後では初めてシリア、イラン両国と同席する。これで米国がシリア、イラン
両国排除政策を改めたと結論するのは早計であろう。しかし、もしこの会議がある程
度の成功をおさめれば、両国と米国の関係が好転し、レバノン危機緩和につながるか
もしれない。

 10日のバグダート会議に続き、15日に第四ブランメルツ捜査報告書提出、20
日には定例国会開催、28日にはアラブ・サミットと、今月はレバノンにとって重要
な政治日程がぎっしりと控えている。レバノンは希望に満ちた春を迎えることが出来
るだろうか。



連載第59回(2007年2月27日配信)

見えない出口

○ さびれるダウンタウン

 再開発が済み、ベイルートの新たな顔となった筈のダウンタウン一帯が急速にさび
れつつある。

 パレスチナで「アル・アクサ・インティファーダ」の嵐が吹き荒れた時も、米軍の
電撃作戦の前にあえなくバグダッドが陥落した時も、この一角にひしめく100軒近
いカフェテリアとレストランは繁盛を極めた。国会議事堂がある「星の広場」へと続
く石畳の上を、或いはライトアップされたローマ遺跡の列柱をのぞむテラスに、パラ
ソルとテーブルが整然と並び、夜更けまで水タバコのパイプを片手に談笑する客で賑
わった。

 余程の雷雨にならない限り、この賑わいは夏でも冬でも、昼でも夜でも変わらな
かった。内戦前のベイルートは中東のパリと呼ばれたが、「もうその頃よりも今のベ
イルートの方が綺麗だし、繁栄している」と豪語する人も少なくなかった。ダウンタ
ウン再開発を進めたハリーリ首相が殺された2005年2月には流石にこの地区も喪
に服したが、カラーミ内閣退陣、シリア軍撤退、国政選挙と、「杉の革命」の激動が
続く中でもダウンタウンの賑わいは変わらなかった。

 変わり始めたのは2006年の春に、国民対話円卓会議が国会議事堂で開催される
ようになってからだ。自由でオープンなレバノンの象徴だったこの一角に初めて厳戒
体制が敷かれた。そして同年夏には第五次レバノン戦争が勃発。前夜までこの一角で
絢爛たるレバノン料理に舌鼓を打っていた観光客らは、手遅れになる前に我先に脱出
していった。

 戦争が済み、停電トラブルも何とか解消され、やっとダウンタウンに人波が戻り始
めた矢先の12月1日。今度は内閣改造を求める野党支持者の座り込み、いや泊まり
込みが始まった。座り込みは爾来3ヶ月に及ぶが、セニオラ内閣は首相府を去る気配
をまったく見せない。テントに泊り込む側にも、撤収の動きはない。いい迷惑なのが
ダウンタウンの飲食業者らである。

 泊まり込みの青年たちと、観光客や来訪者との間で目立ったトラブルが起きている
わけではない。しかし広大な駐車場がテントに占拠されてしまっているのが痛い。鉄
道、地下鉄、市電など、自動車以外の交通手段が皆無のレバノンでは、自家用車でド
ア・ツー・ドアで移動する人が多い。ダウンタウンの高級レストランにたむろする人
にはことにその傾向が強い。座り込みが始まってから、ダウンタウンに向かう客足は
パタっと止まってしまった。

 テナント料が割高なダウンタウンは、そうでなくとも飲食ビジネスの大激戦地。こ
こに出店して一発当てれば全国規模の知名度を獲得出来る。しかし期待したように客
が集まらず、テナント料や内装費などの初期投資を回収出来なければ、開店後ほんの
数ヶ月で店を畳み、もっと物価の安い地区へと文字通り「都落ち」するしかない。

○ 膠着

 これまでと違うのは、今は飲食店が次々に「都落ち」するばかりで、まったく新た
なテナントがつかない点だ。資本力に乏しい無名の店ばかりでない。無国籍料理の
「カスパー&ガンビーニ」、レバノン料理の「アル・バラド」、金の無い学生風のた
まり場になっていた「ダンキン・ドーナツ」など、お馴染みの繁盛店が軒並み閉まっ
てしまった。

 ダウンタウンの飲食業組合は悲鳴を上げて、政府に保障を求めたり、アウンFPM
党首ら野党首脳に「別の場所で座り込みしてくれないか」と泣きついて回っている
が、政局は完全に膠着しており、らちがあかない。

 サウジとイランは相変わらず連絡を密にして、事態収拾のために様々に働きかけて
いるが、今のレバノン政治はこの両国だけの思惑で動かせるほど単純ではない。特
に、ハリーリ暗殺事件の国際法廷設置を何が何でも妨害するつもりのシリアと、ヒズ
ボッラーをあくまでもテロ組織視し、政権から排斥しようとする米国の意向はいずれ
も無視出来ない。

 日本も含めて、西側メディアはともすればシリアとイランをどちらも「ヒズボッ
ラーの支援者」と一括りにしてしまう。しかし、政教一致体制のペルシア人国家イラ
ンと、世俗的アラブ民族主義を掲げるシリアは、かつてのサッダーム・フセインや、
米国、イスラエルといった共通の敵が居るからくっついているだけで、本来なら水と
油の関係だ。ヒズボッラーに対する両国のスタンスも決して同じではなく、両国の利
害の食い違いが時々表面化する。今がまさにそうだ。

 「イラン革命の申し子」であり、神権政治や米国・イスラエル敵視など、イラン革
命の根幹思想をそっくりそのまま継承するヒズボッラーは、イランの現体制にとって
はいわば実子。これに対して、アラブ民族主義のバアス党が支配するシリアにとっ
て、ヒズボッラーは継子に他ならない。

 中東全域に影響力を拡大しつつある昇竜の勢いのイランと、八方すくみのシリアと
いう今の力関係から見れば、シリアにとってヒズボッラーはさしずめ「頭の上がらな
い盟友の息子」のようなもの。丁重に扱うしかないが、イランからヒズボッラーへの
経済・軍事支援はシリアの全面協力が無ければ不可能だから、「実父」イランといえ
どもシリアの意向を無視してヒズボッラーを自由に動かすことは出来ない。

 米国とイスラエルによる軍事攻撃を警戒するイランにとっての至上命題は、レバノ
ンの息子=ヒズボッラーを温存することにある。余計なレバノンの国内政争には巻き
込まれず、ヒズボッラーが強力な軍事力を維持し、イスラエルにとって脅威たり続け
てくれること。これこそがイランの国益に叶う。イランがサウジと組んで何とか穏便
に現在のレバノン危機を収拾しようとするのはそのせいだ。

 しかしシリアにとってのヒズボッラーは、レバノンで最も頼れる盟友であり、レバ
ノンが米国やイスラエルの掌中に落ちることを防ぐための最後の砦だ。現在の局面で
は、シリアの政権崩壊につながりかねない国際法廷設置を防ぐ上で最高の道具として
も使える。だからヒズボッラーが安易に与党と妥協するのを許さない。

 何はともあれ国際法廷設置を国会で承認してしまいたい与党。これに対して3分の
1以上の閣僚ポストを得、拒否権を握ることを最優先する野党。両者の溝は3ヶ月前
からまったく狭まらないままだ。

○ 相次ぐ爆弾発見と南部の緊張

 ハリーリ追悼集会(2月14日)の前日に起きた連続バス爆破事件以来、レバノン
では死傷者が出るようなテロ事件は起きていない。しかし、では治安状況が好転した
かと言われるとそうでもない。ここ一週間ほど、各地で爆発物やミサイル砲弾などが
見つかり、付近の住民の不安を煽る事件が頻発している。

 ほとんどのケースでは、爆弾は旧型だったり使用不能状態だから、無差別な殺傷を
意図したものというよりは、国民をテロライズ(恐怖させ)し、社会不安を煽ること
が目的なのであろう。或いは、国民同士を疑心暗鬼の状態に追い込み、イラク型の内
戦や宗派紛争を引き起こそうという悪魔のような狙いが潜んでいるのかもしれない。

 イスラエルとの最前線、南部も安定していると言うにはほど遠い状況だ。

 イスラエル軍によるレバノン領空侵犯は連日続いている。21日にはティール市近
郊で、第五次レバノン戦争以後では初めて、レバノン国軍が領空侵犯してきたイスラ
エル空軍機に対空砲火を行った…勿論、イスラエル軍機にかすり傷さえ負わすことは
出来なかったが。

 イスラエル軍によるブルーライン侵犯も頻発しており、今月8日にはほんの数分の
ことではあるが、レバノン国軍とイスラエル軍の初めての直接交戦も起きている(イ
スラエル側はレバノン領土侵犯を否定、交戦現場はブルーライン南部でイスラエル領
内であったと主張している)。双方に負傷者は出ていない。

 一触即発のこの状況の中、19日クネセット(イスラエル国会)の外交防衛委員会
の公聴会において、イスラエル軍情報局のヨシ・ベイダツ大将が「ヒズボッラーは軍
事的には第五次レバノン戦争開始以前よりも強大になっている」と爆弾発言した。安
保理決議第1701号が採択され、レバノン国軍がはじめてイスラエルとの国境地帯
に展開し、あまつさえUNIFIL部隊までが大増強され展開しているというのに、
ヒズボッラーは依然としてリタニ川以南の地域にゲリラ戦士を多数配備し、武器の搬
入を続け、戦前以上に強大になった、というのだ。

 イスラエルは戦争目的に掲げた捕虜兵士の解放も、ヒズボッラーのミサイル攻撃能
力壊滅も実現出来なかった。イスラエルにとって唯一の「戦果」は、決議第1701
号であり、「ヒズボッラーを国境地帯から追い払った」という点である。ベイダツの
発言は、その「戦果」を全否定するに等しい。

 さすがにこの発言にイスラエル政府首脳は慌て、「武器保有そのものは問題ではな
い。それがどう使われるかが問題だ(ペレス副首相)」、「ヒズボッラーは再び根拠
地のレバノン南部で表立って活動しようとしても、武装解除されている上にUNIF
ILやレバノン国軍部隊に逮捕されてしまう。ヒズボッラーがもう一度イスラエルと
戦う気があるとは思えない(オルメルト首相)」と、ヒズボッラーの脅威増大論の打
消しに躍起になっている。

 イランの核問題、ハリーリ暗殺事件の国際捜査、イラクにおける米軍とゲリラの死
闘、イラクの宗派紛争そしてパレスチナ紛争…レバノンは中東で今起きているありと
あらゆる対立に絡め取られてしまっている。他の対立に出口が見えない中、レバノン
政局だけが現在の膠着を打ち破り、新たな局面に進むことは期待出来そうにない。 



連載第58回(2007年2月16日配信)

ハリーリ暗殺二周年

○ 連続バス爆破

 首都ベイルートから北東方向の内陸部に進むと、海岸からわずか数分のドライブで
登り道にさしかかる。マトン山地と呼ばれる地域で、レバノン山岳県の一部を構成す
る。住民はほとんどがマロン派かギリシア正教のキリスト教徒だ。

 このマトン山地の真ん中、標高約800メートル地点にビクファイヤという町があ
る。昨年11月に暗殺されたジュマイエル工業相一族の本拠地である。事件はこのビ
クファイヤから目と鼻の先、アイン・アラク村の高速道路上で起きた。

 激しい雨の中を、二台のミニバスが前後して海岸からビクファイヤへの急勾配の道
を駆け上っていた。2月13日、つまりハリーリ元首相暗殺事件の二周年忌の前日午
前9時15分の出来事である。

 20数名が乗っていた一台目のミニバスが突然轟音とともに爆発した。一瞬車体は
炎に包まれ、ひしゃげた。後続していたバスの運転手は、驚いて急停車すると、やは
り20名を超える乗客を自分のバスに残したまま下車し、前方で煙を上げるバスに駆
け寄った。とその時、今度は彼が下りたばかりのバスが爆発を起こしたのである。

 ふたつの爆発が起きた間隔は7分間。一台目の運転手を含め3名が死亡、23名が
重傷を負って病院に搬送された。爆弾は一台目のバスの後部と、二台目の前部に仕掛
けられていたとみられる。いつ誰が、一体どうやって仕掛けて、どうやって爆破させ
たのかはわからない。

○ 集会妨害の狙い

 わからないが、爆破を取り巻く状況を考えると、おのずと事件の意味合いは明らか
になってくる。まず、無差別殺人を狙った今回のテロの性格である。2004年9月
に公正な大統領選挙実施とシリア軍のレバノン撤退を求める安保理決議第1559号
が採択されてから、それまでは安定と繁栄を謳歌していたレバノン情勢が急激に不安
定化する。キリスト教徒地区でもたびたびテロ事件は発生した。しかしそのパターン
は反シリア政治家やジャーナリストを標的にした暗殺(未遂も含め)事件か、夜間の
商業施設爆破など、殺傷を避けた爆発事件に限定されていた。歴然と人間を、しかも
乗り合いバスで移動する…つまり自家用車を持たない…貧しい市民を無差別に標的と
するような事件は一度も起きていなかった。

 与党カターイブ党とジュマイエル家の本拠地ビクファイヤという場所。14日のハ
リーリ追悼大集会の前日というタイミング。一般人の移動交通手段である乗り合いバ
スという標的。これだけ揃うと、誰もが同じことを思い浮かべるだろう。犯人は与党
が14日に計画していたハリーリ追悼大集会を妨害しようとしたのだ、と。

 昨年12月1日の座り込み開始以来、与党はヒズボッラー、アウン派など野党に街
頭行動のイニシャティブを奪われっぱなしだった。2月14日はその与党が動員力を
内外にアピールする最大のチャンスである。ハリーリ議員やジュンブラートPSP党
首、ジャアジャアLF議長ら与党首脳は支持者に対して大集会への大挙参加の檄を飛
ばしていた。そんな中、13日に連続バス爆破テロが起きたのだ。

 事件後、反シリア派幹部らは集まって早速シリア政府を糾弾する声明を出した。そ
して「メッセージは理解した。我々は断じてテロには屈しない」と、集会を中止する
どころか逆にこうなった以上は何が何でも参加するようにと支持者に訴えかけた。

○ 大集会開催

 翌日14日は未明から北はシリアとの国境地帯のアッカール地方、南はイスラエル
との国境地帯ハスバイヤやラシャイヤに至るまで、全国津々浦々からマイクロバスを
借り上げて反シリア派国民がベイルートの殉教者広場に集結し始めた。レバノン国旗
以外のシンボルを排した過去の集会とは対照的に、この日は各党の党旗を持参する人
が目立った。中でも白地に赤丸で囲んだレバノン杉をあしらったLF党旗が目を引い
た。キリスト教徒地区でアウン派と競合するLFは、党の組織力と動員力をことさら
に誇示する必要があるからだろう。

 殉教者広場の南半分で泊まり込みを続ける野党支持者との衝突を避けるため、国軍
と警察(ISF)部隊が展開し、広場の南北を幾重もの鉄条網で分断した。有事には
この鉄条網に高圧電流が流れる。

 反シリア派(与党)が殉教者広場に入るルートは、広場の北縁の海岸通りに限定さ
れた。広場の北半分だけでは到底収容され得ず、数十万の大群衆は東はベイルート市
域の東端カランティーナ地区、西はハリーリ爆殺現場となったアイン・ムライセ地区
に至るまでこの海岸通りを埋め尽くした。道路の大渋滞を見越した参加者の中には、
北部のジュベール(ビブロス)などの港から船で会場に駆けつけるグループもあった。
このあたりも、ハリーリ暗殺事件の一ヶ月後、2005年3月14日に反シリア派が
行った大集会の再現である。「巨大な街頭行動によって、反シリア派が親シリア派に
拮抗する勢力であることを内外に示す」という集会目的は、十分に達成された。

○ ヒズボッラーの静観

 では広場の南半分に陣取る野党勢力、特にその中核であるヒズボッラーはこの大集
会にどう対応したか?

 この集会に先立ち、故ハリーリ首相未亡人のナーズィクが「2月14日を国民分裂
の日ではなく、国民統合の日にして欲しい」と公開書簡でナスラッラー議長に訴えか
けている。

 ナーズィクに言われるまでもなく、14日の与党大集会が血まみれの乱闘と化して
もヒズボッラーには何のメリットもない。だからヒズボッラーは統制委員を動員して
国軍に協力、与党支持者と野党支持者の衝突が起きないよう、両者の物理的な引き離
しに腐心した。アマルは与党とは別個にハリーリ追悼集会を開催し、アウン派も14
日はテントへの泊まり込み者の数を減らすなど、それぞれに状況の鎮静化のために手
を打っている。

 11日にはムーサ・アラブ連盟事務局長がダマスカスでアサド大統領らシリア首脳
と会談。14日当日にもイランのラリジャーニ国家安全保障会議議長がリヤードを訪
問するなど、イラン、サウジ、アラブ連盟によるレバノン調停工作は続いている。そ
んな中、14日の大集会が暴動や紛争に発展しては調停努力も台無しだ。野党各派が
14日に与党の大集会を静観したのは、調停工作の成功を期待しているからであろう。
 
○ ジュンブラートの罵詈雑言

 与党の側もそこは同じだ。だから14日に大群衆を前に演壇にのぼったスピーカー
らは、焦点を国際法廷設置に絞り、野党攻撃は控えた。対話への復帰を求めるなど、
概して野党を刺激しない穏健な発言が目立った。中にはサファディ運輸公共事業相の
ように、条件付ながら総選挙前倒しという野党の要求を受け入れる発言さえあった。

 しかし発言者のランクが順次上がり、野党首脳の出番が近づくに連れて雲行きが徐
々に怪しくなる。ジャアジャアLF議長はラフード大統領のことを「任期が済めば、
歴史のゴミ箱行きだ」と痛罵。「今後は金輪際、国軍以外が武器を持つことは許され
ない。国軍こそが、そしてレバノン政府と国民こそが本当のレジスタンスだ」と、ヒ
ズボッラーに対しても即時武装解除を迫った。

 だが、罵詈雑言大王と言えばジュンブラートPSP党首をおいて他に居ない。ジュ
ンブラートは今月8日にヒズボッラーが南部に偽装搬入しようとした武器弾薬を国軍
と税関が摘発・押収した件をひきあいに出し、「武器は国軍にくれてやれ。ついでに
あんたらの同盟者(シリアとイラン)にはシャイール(家畜の飼料となる穀物)をく
れてやればいい」と放言してヒズボッラーを揶揄。ジャアジャアと同じく、ヒズボッ
ラーに武装解除を求めた。さらには「サル、けだもの、嘘つき、屠殺者、イスラエル
の被造物、男の腐った奴」と、ありとあらゆる低俗な罵言でアサド大統領をこき下ろ
した。

 ジュンブラートは父(カマール)と、親友(ハリーリ)を実際に殺され、腹心(ハ
マーデ情報相)を殺されかけている。いずれのケースもシリアがやったという確証は
まだ無いが、あらゆる状況証拠からシリアの関与の疑いが濃厚で、本人はそう確信し
ている。そして、アサド政権が裁かれ、罰せられない限りいつ自らの命が断たれても
おかしくない、と怯えている。さらに言うならば、ジュンブラートには自分も殺され
るという恐怖から、敢えて父の仇敵に25年間にもわたって媚びへつらって来たとい
う心の負い目がある。この屈折した心理が、ジュンブラートの常軌を逸した政敵への
罵詈雑言の背景にあるのであろう。

 しかし野党はそうは受け止めない。特に、この日の主役で大トリのハリーリが、野
党に対して極めて穏健に、対話再開を呼びかけているだけに、「ハリーリとジュンブ
ラートの言っていることはまったく矛盾するではないか」、「結局は対野党強硬派と
柔軟派という具合に、ハリーリとジュンブラートは役割分担しているだけではないの
か」と、野党の疑念を募らせる結果となった。

 集会そのものはほぼ平穏に終了したものの、ベカー高原から集会に参加したハリー
リ派支持者の一団が、村への帰路野党支持者と衝突を起こし、銃撃戦となって負傷者
が出る事件も起きている。一歩間違えれば、先月23日と25日に起きたような内乱
状態がいつ再開するかわからない状況はそのままだ。14日の大集会は、与野党が拮
抗した状況にあることを再確認させただけで、閉塞状況の打開にはつながらないので
はなかろうか。



連載第57回(2007年2月5日配信)

内戦の季節

○ アシューラ大集会

 黒装束に鉢巻。まるで忍者のようないでたちの精悍な男たちが整然と隊伍を組み、
ダーヒヤ(ベイルート南郊外)の目抜き通り「殉教者ハーディ・ナスラッラー(戦死
したハサン・ナスラッラー議長の息子)」通りを練り歩く。数十万人が参加するパレ
ードは長大で、楽器を吹奏するボーイスカウトや、顔だけを除き全身をすっぽり黒衣
で包んだ女性たちの一団も含む。故ホメイニ師とハメネイ師の特大の肖像を数人がか
りで掲げ行進するのを見ていると、ここはイランだろうかという錯覚に陥る。

 イスラーム暦でムハッラム月第10日(西暦2007年1月10日)。シーア派信
徒にとって開祖とも言うべきイマーム・フセインがカルバラーの戦いで殉教した日
(アシューラ)である。レバノンではアシューラは公休日で、折からの悪天にも関わ
らず各地でシーア派国民はフセインを追悼し、行進や集会、礼拝など追悼行事を繰り
広げた。

 南部のナバティアなど、一部地域では男たちは伝統を守り、刃物で自らの身体と頭
を傷つけ、血まみれになりながら忠実に凄愴なフセイン殉教劇を再現する。しかしダ
ーヒヤの祭礼を仕切るヒズボッラーは「そんなことをするくらいなら献血せよ」と、
極めて合理的だ。男たちはリズミカルに両の拳で己の胸を打つだけで血は見せずに行
進を続ける。

 北朝鮮人民軍の軍事パレードやかつてのナチスの記録映像を見ていると、何百人、
何千人もの兵士が機械のような精確さで、同じ高さに片足を振り上げながら一糸乱れ
ずに行進している。人間が完全に機械になり切ったその様はどこか滑稽で、しかし同
時に不気味だ。アシューラのパレードには、そんな血の通わぬ機械と化した人間……
時節柄、人間を機械に喩えるとお叱りを受けそうだが……の不気味さはない。その代
わりに、あまりにも生々しく濃厚な人間の情念と信仰のエネルギーを放射しており、
それはそれで見る者を圧倒する。

○ 「黒い木曜日」は陰謀?

 実際、アシューラは「エルサレムの日」と並び、ヒズボッラーが動員力・組織力を
誇示し、政治的メッセージを送るための重要な年中行事となっている。この日もパレ
ードの終わりには、いつもの茶色に替えて喪を意味する黒のマントを羽織ったナス
ラッラー議長が集会場に登場。数十万の大群衆に向かって大演説をぶった。

 この日ナスラッラーのメッセージはふたつあった。「何があっても決してヒズボッ
ラーは同胞に武器を向けない。内戦は絶対に回避する」というのがひとつ。実はこれ
に先立ちナスラッラーは二夜続けてアシューラ集会で演説、同じことを語っており、
この日で3日連続ということになる。だからこのメッセージには意外性はなかった。

 しかし、「今のレバノン危機を収拾するには政治的解決以外にはあり得ない」とい
うもうひとつのメッセージは新鮮だった。先月23日には、ゼネストと道路封鎖とい
う実力行使を指令したナスラッラーが「政治解決しかない」と言うからには、野党は
今後倒閣運動を弱め、対話路線に立ち返るのでは、と読める。早速セニオラ首相や与
党幹部らはナスラッラー演説を歓迎する声明を出し、緊張緩和・対話再開への期待が
急速に高まった。

 ナスラッラーが政治解決に固執するのは、単なる愛国心や倫理感からではないだろ
う。この演説でもはっきりと言っているように、ナスラッラーらは「米国とイスラエ
ルが、第五次レバノン戦争で果たせなかったヒズボッラーの破壊を実現するために、
ヒズボッラーを内戦に巻き込もうと画策している」、つまり内戦は罠だ、陥ってはな
らないと見ているのである。

 1月23日のゼネストとそれに伴う衝突(「黒い火曜日」)で、与党側に6名の死
者が出たあと、今度は25日にベイルート・アラブ大学のキャンパスにおいて与野党
支持の学生同士が衝突。たちまち衝突は構外に広がって、スンニ派・シーア派内戦の
様相を呈した。この結果、野党側中心に4名の死者が出た(「黒い木曜日」)。

 ヒズボッラーのアル・マナール・テレビは、この「黒い木曜日」の衝突の模様を
ばっちり撮影している。映像には路上駐車する車の陰に隠れて、あるいは付近のビル
の屋上に陣取って、ピストルや自動小銃などを乱射する男たちや、すぐ傍に居るのに
それを制止しないISF兵士らの姿がおさまっている。アル・マナールはこの男たち
の氏名、職業までを明かし、「23日の報復のために、ジュンブラートPSP党首が
ハリーリ派の民兵を用いて25日の紛争を仕掛けた」と結論づけている。

 事件の発火点となったベイルート・アラブ大学はスンニ派地区の真ん中で、PSP
の影響も強い地区にある。衝突発生直後に、武装した男たちが出現して狙撃を始めた
のも事前の準備がなければ不可能だろう。さらに、紛争勃発後にハリーリ派とPSP
の支持者が南部やベカーなどヒズボッラーの拠点地域とベイルートやシリアを結ぶ幹
線道路を封鎖した事実もある。

 これらを考え合わせると、「黒い木曜日」は「黒い火曜日」の報復として、ハリー
リ派やPSPが仕組んだというヒズボッラーの主張は説得力を持つ。ナスラッラーは、
ハリーリやジュンブラートの背後には米国やイスラエルが居る、もし挑発に乗ったら
ヒズボッラーは内戦に巻き込まれてしまう、と認識している。イランとサウジがレバ
ノン危機収拾のために直接交渉を始めたのも、その危機感があるからであろう。

○ 内戦は始まっている

 内戦勃発を危惧するのはナスラッラーだけではない。レバノンの政治家や宗教指導
者で内戦の危機を警告しない者は居ない。セニオラ首相などはパリ3会議でも、そし
て帰国後の内外のメディア・インタビューでもレバノンは内戦には向かわない、とい
うことを再三強調している。

 しかし、内戦というのは主権国家同士の戦争とは違い、宣戦布告などない。つまり
「これから内戦しましょう」と誰かが言って内戦に入るわけではない。むしろ逆で、
指導者はみんな「このままでは内戦になる」「内戦になったら破滅だ」と言って支持
者を戒めるのだが、統制が効かずにずるずると戦闘に巻き込まれていく……内戦とは
そういうものだ。

 いったん始まればどちらかの息の根が止まるまで戦いが続く、というようなもので
もない。戦いの最中にも、事態収拾のため各派の指導者や、利害関係を持つ外国が仲
介して停戦させる。停戦が成立したと思ったら、またどこかで火の手があがる。イラ
クやパレスチナ、そして今はレバノンでも、「これは内戦と言うべきかどうか?」
「内戦は起きるだろうか?」とメディアは政治家に問いかけるが、これは愚問だろう。
当事者たる政治家は面子にかけて「内戦が起きた」とは言わないし言えない。目の前
で銃撃戦をやっていても「内戦にはならない」と言い続けるものだ。

 そう考えれば、残念ながらレバノンではもはや内戦が始まったと見るべきかもしれ
ない。ナスラッラーの言うとおり、政治的解決の枠組みが出来上がらないことには、
鎮火したと思ったらまた再燃する、という状況の繰り返しになってしまうだろう。

 レバノンの今後を占うのは、ラフィーク・ハリーリ元首相暗殺事件の2周年にあた
る2月14日が平穏に過ぎるかどうかである。この日、反シリア連合(与党)は、ハ
リーリ廟のある殉教者広場に繰り出し大集会を開く予定だ。しかし殉教者広場の南半
分と隣接するリヤード・ソルハ広場には依然野党支持者がテントを張って泊まり込み
を続けている。2月14日までに政治解決が達成されなければ、最悪の場合、与野党
の間で数十万人単位の乱闘が起きる。流血は必至だ。

 既に、「野党はテント内に武器や凶器を持ち込んで乱闘に備えている」「野党の泊
まり込みを終わらせるため、与党は2月14日までにダウンタウンで野党支持者を挑
発して騒乱を起こし、国軍介入→テント撤去に持ち込むつもりだ」など、様々な噂が
飛び交っており、物騒なことこの上ない。

○ ガザも泥沼に

「イラク、パレスチナそしてレバノン。内戦が起きているところ、あるいはその危険
が迫っているところには占領があり、解放闘争がある。これは偶然ではない」ナス
ラッラーはそう喝破した(もっとも「内戦のあるところイランの影がある」とはナス
ラッラーは言わなかった)が、確かにそうだ。米国はイラクではマーリキ政権、レバ
ノンではセニオラ政権、パレスチナではアッバース議長のファタハと、いずれも自国
の敵と戦う親米勢力に対し、政治的支援にとどまらず強力な軍事支援も行っている。

 イラクよりはまだましではあるが、パレスチナの状況はレバノンよりもずっと危険
になってきた。パレスチナ暫定自治区、とりわけガザ地区において、ファタハとハマ
ースの武装抗争が収まらない。1月20日にアッバースPA議長はハマースの実質的
トップであるハーリド・マシュアル政治局長の亡命先、シリアを訪問。アサド大統領
らシリア首脳と会談した。

 しかしマシュアルとのトップ会談の準備交渉は一向に進まない。最後は「このまま
マシュアルに会わずに帰ったら、ファタハとハマースの交渉は決裂したと誰もが受け
取る。そうなれば内戦はもっとエスカレートする」というシリアの忠告に従い、アッ
バースは渋々マシュアルと会った。そして内戦回避と交渉継続についてだけ合意した。
つまり、イスラエル承認の是非や連立内閣における閣僚ポスト配分など、具体的な対
立点は何ひとつ解消出来なかった。

 この会談後も自治区の抗争は止まず、30日に再びファタハ・ハマース両党は停戦
合意成立を発表する。しかし今度もわずか3日で崩れた。2月1日、エジプトから入
境してガザ市に向かう途上のファタハの車列を、ハマースが待ち伏せ攻撃したのであ
る。ファタハ向けの武器を積んでいたから攻撃したというのがハマースの立場だ
(ファタハ側は人道支援物資だったと主張)。ファタハ側はハマースの牙城、イスラ
ーム大学を攻撃、キャンパスが炎上した。ハマースはミサイル砲でファタハ系PA治
安機関施設を攻撃するなど、1日から2日にかけて紛争はガザ全域に広がり、死亡者
24名、負傷者は250名にものぼった。民間人も多数巻き添えになり、ガザ市の街
頭からは民兵以外の人影が消えてしまった。

「パレスチナ人同士が殺し合えば、イスラエルが漁夫の利を占めるだけ」。ハマース
とファタハの指導者は口を揃えてそう言う。そう言いつつも、政治解決が不在な限り、
そして武器の野放し状態が続く限り、民族的自殺に等しい殺戮と破壊を誰も止めるこ
とが出来ない。



連載第56回(2007年1月26日配信)

よみがえる内戦の風景

○ 黒煙に包まれる首都

 そこかしこから濛々と立ち上がる黒煙。路上で燃えるタイヤが、道路を封鎖する。

 再開発を経て近代的に生まれ変わったダウンタウンの建築群も、そのはるか背後に
聳える冠雪したサンニーン山の雄姿も、黒煙のためにくすんで見える。そこかしこか
ら耳に入るのはパンパン、パンパンとリズミカルな、しかし不気味な銃声。投石して
いるのはマスクや頭巾で顔を覆った青少年たちだ。

 パレスチナのインティファーダの一シーンかと誰もが見まがうことだろう。しかし
ここはベイルートだ。投石の相手はイスラエル兵ではなく、敵対する勢力のメンバー
である。

 レバノンは昨夏、破壊的な戦争を経験した。連日連夜、各地がイスラエル軍の仮借
ない爆撃にさらされた。建物は瓦礫と化し、罪のない多くの市民が殺戮された。その
光景は確かに地獄図絵だった。

 しかしレバノンに暮らす身として、対外戦争と内戦はどちらが恐ろしいかと問われ
ると、私はためらいなく内戦の方だ、と答える。対外戦争の場合、戦場(被攻撃対
象)は大概国境周辺と、ヒズボッラーの拠点地域に限定される。しかし内戦や宗派紛
争の場合、そうはいかない。どこもが戦場となりうる。

 また対外戦争に直面すると国民の間に連帯感が生まれる。助け合ってこの苦難を乗
り越えよう、という宗派や党派を超えた一体感が生まれる。内戦の場合は逆だ。昨日
まで何の隔たりも感じず共に暮らしてきた隣人が、突然信じられなくなる。それまで
は気にならなかった隣人の所属宗派や支持政党が気になりだす。隣人に対して、共感
の代わりに疑念を抱くようになる。

 もうひとつ加えるなら、戦争は高レベルの政治決定で停止出来る。しかし指揮命令
系統が不明な内戦や宗派紛争は、いったん始まってしまえば収拾は容易ではない。

○ 「黒い水曜日」

 1月20日、野党連合は23日にレバノン全土でゼネスト決行するよう呼びかけ
た。その結果が上記の事態である。

「12月1日の座り込み以来、野党は徹底して平和的な手段で内閣改造を求めた。1
00万人規模の超巨大デモを二回行ったが、それでも与党は耳を貸さなかった。この
上は実力行使も止むを得ない」…23日のゼネストでは、野党はそういう論理で行動
した。土塁を築き、タイヤを燃やして道路を封鎖するという実力行動に初めて訴えた。

 野党がゼネストを訴えた後も、政府与党は「野党には何も出来ない」とタカをく
くっていた。セニオラ首相やジャアジャアLF議長ら与党幹部は「病人であっても2
3日だけは出勤しよう。そうすれば、野党の指令に従うのは少数派に過ぎないことが
明らかになる」と、支持者にスト破りを指令した。仮に野党側が道路封鎖などの実力
行使に訴えても、「国軍は必ず封鎖を解除するから、帰宅せずにその場で待つよう
に」ジャアジャアはそこまで指示した。

 与党はゼネストをせいぜい「どちらが多数派かを判明させるための国民投票」くら
いにしか認識していなかったのに対し、野党はこの日「膠着状況打開のため、与党を
驚愕させる」という明確な目標を持っていた。

 ちょっと脱線するが、第四次中東戦争を思い出していただきたい。第三次中東戦争
の圧勝に驕るイスラエルは、アラブ諸国何するものぞ、とまともに交渉に応ずる気配
を見せなかった。そこでエジプトのサダト大統領は、イスラエルに勝てないまでも、
緒戦で大戦果を挙げイスラエルを驚愕させれば交渉の糸口を掴むことが出来る、と判
断。大胆なスエズ運河渡河作戦を成功させた。イスラエルはその後態勢を立て直し、
戦争自体には勝利するが、エジプトとの交渉は不可避という認識が生まれた。これが
後のキャンプ・デービッド合意につながる。

 23日に野党が狙ったのはそういうことであった。国内ではスンニ派社会の、国外
でも米仏サウジの強い支持を頼りに、セニオラ内閣は野党に譲歩の素振りも見せな
い。このあたりで本気になれば野党は国家機能を麻痺させることが出来るのだ、とい
うことを見せつけようとしたのだ。

 野党支持者は23日未明から全土で主要道路を封鎖した。レバノンの唯一の空の玄
関、ベイルート国際空港もアクセス不能となり、事実上機能停止した。ゼネスト無
視、スト参加者は懲罰という姿勢を打ち出していた民間銀行も、従業員が出勤出来な
いためほとんどが閉まったままだった。

 国軍兵士は成す術もなく傍観するだけ。痺れを切らしたハリーリ派やPSP、LF
などの与党支持者も街頭に繰り出し、実力で封鎖を解除しようとした。各地で衝突が
頻発したのはこのためである。どちらの側にもライフルや斧、棍棒、包丁などで武装
する者が居た。こうして23日はレバノン全土、津々浦々で与野党双方の支持者の間
で衝突が起き、少なくとも3名が死亡、100名以上が負傷する暗黒の一日となった。

○ 無力な国軍

 ではなぜ国軍は道路封鎖を解除出来ず、事態を傍観したのか?

 理由はふたつある。まず、いかな重装備の国軍部隊と言えども、全国の主要道路上
で一斉にタイヤを燃やされることは防げない。実力で障害物を取り除こうとすると、
丸腰のスト参加者に銃を向けることになる。

 ここで二つ目の理由になる。ひょっとすれば政府が倒れてしまうかもしれないとい
う時に、あくまで命令を遵守して野党支持者に銃を向け、殺してしまうとどうなるか
? 野党が政権を握った暁には間違いなく軍法裁判にかけられる。

 いや、それ以前に国軍自体が分裂してしまう恐れがある。例えば、ヒズボッラー支
持者が国軍に殺されたことに抗議して、国軍兵士の4割を占めるシーア派兵が軍から
離脱してしまえばどうなるか? 実際に内戦中の1976年にはPLOに同情的なス
ンニ派将校らが中心となって国軍を離脱した苦い歴史もある。

 これがモザイク社会レバノンの国軍が置かれた難しい状況である。「どうして道路
封鎖を実力で解除しなかったのか」という与党からの非難に対し、24日に国軍は
「問題は既に治安問題という域を超えている。政治的な解決なしに、国軍が対処でき
るような状況ではない」と反論。逆に与野党の政治家たちに対して危機収拾のためお
互いに譲歩するよう迫った。まったくもって正論である。

○ 20年前に戻ったレバノン

 第五次レバノン戦争たけなわのころ、イスラエルの軍人だったか政治家だったか失
念したが「レバノンを20年前の状況に戻してやる」と発言した者が居た。ヒズボッ
ラーがもしテルアビブを攻撃するのであれば、レバノン全土を内戦中のような灰燼に
帰してやる、という威嚇だった。

 イスラエルはこの目的を達成出来なかったが、23日にレバノンは確かに内戦時代
に逆戻りしてしまった。

 1975年から1990年の15年間に及んだレバノン内戦には、宗派紛争の局面
と、同一宗派間の殺戮というふたつの局面があった。大雑把に言えば、内戦初期は前
者、後期が後者である。つまり、内戦勃発後最初の数年は、キリスト教徒地区に残さ
れたイスラム教徒地区やパレスチナ難民キャンプが、またイスラム教徒地区に囲まれ
たキリスト教徒の村や町が主戦場となった。包囲された地区の住民は虐殺されるか、
放逐されるかされ、つまり「エスニック・クレンジング」が起き、国土はある程度宗
派別に分割された。これが第一局面。

 その後、今度は同じマロン派のLF対アウン派、あるいは同じシーア派のヒズボッ
ラー対アマルといった具合に、同一宗派内の内戦が起きている。こちらが第二局面だ。

 23日の衝突では、トリポリ市で親シリアのアラウィー派住民と、ハリーリ派支持
のスンニ派住民の間で20年ぶりに紛争が起き2人が死亡した。またベイルート北東
のシーア派の村ルウェイサートの住民は海岸部に降りて、マロン派のカターイブ支持
者と衝突した。内戦の第一期と同じく、異なる宗派コミュニティー間の紛争である。

 一方、キリスト教徒地区では各地で野党のアウン派、マラダ(フランジーヤ元内相
の政党)と与党のLF、カターイブ支持者の間で衝突が起き、LF支持者一名が狙撃
されて死んでいる。LFとアウン派の衝突は、1990年の「殲滅戦争」以来だ。シ
リアのレバノン実効支配が終わってアウンとジャアジャアが政界に復帰して僅か1年
半。23日キリスト教徒地区は同士討ちの硝煙に包まれた1990年にタイムスリッ
プしてしまった。

○ パリ3会議と衝突再燃

 政府与党にとって、23日最大の教訓は、「国軍もISFもあてにならない」とい
う点であったろう。そうで無ければ困る。野党ともう一度話し合って、政治的に対立
を解消するしかないのだ。間違っても「軍はあてにならないから、自派の民兵を投入
しよう」、「いざとなれば米軍や仏軍が助けてくれる」と考えてはならない。

 しかし23日以来、与党指導者の間から聞こえてくるのは、野党の行動を「シリア
とイランの指令によるクーデター」と非難する声ばかりで、具体的な譲歩の用意をう
かがわせる発言は皆無。むしろ、LBCなど与党系列のメディアは「ストが一日だけ
で終わったのは、予期せぬ衝突や混乱状態が起きたから」と野党の計算違いを指摘。
ゼネストは失敗だと結論している。

 政府を驚愕させるという目的は達したから、23日一日だけでストを中断し、道路
封鎖を解除した、というのが野党の立場。つまり、依然として双方の認識は食い違っ
たままだ。

 24日に再開されたベイルート空港からセニオラはパリに向かい、予定どおりに2
5日のパリ3会議に出席している。主な出席者はホストのシラク仏大統領、国連の潘
事務総長、アラブ連盟のムーサ事務局長、ライス米国国務長官、ウォルフビッツ世銀
総裁ら。日本も含め世界の約40カ国と国際機関から、低利子借款と無償援助あわせ
て総額約76億ドルという巨額の支援約束を取り付けた。財政面だけではなく、世界
各国から正統政権と承認された点で、セニオラにとって会議は政治的にも大成功だっ
た。

 とは言え、セニオラが置かれた立場は危ういことこの上ない。何しろ、もしストが
続いていれば、セニオラは自国の空港から出国さえ出来ず、仏軍か米軍のヘリコプタ
ーで逃げるようにパリに向かうしかなかったのだから。

 それだけではない。セニオラがパリで諸国に支援を訴えているまさにその時、今度
はベイルートのアラブ大学構内でハリーリ派とヒズボッラーそれぞれの支持者が小競
り合いを起こした。衝突はたちまち民兵を巻き込んだ銃撃戦に発展、2名が死亡、数
十名が負傷した。

 空港への道は再び閉ざされ、SSNPの事務所が焼き討ちに遭い、民兵は路上に検
問を私設し通行者を尋問する。そこかしこに潜むスナイパーの狙撃をかわすため、人
々は物陰をつたいながら走って移動する。17年前に終わったはずの、あの忌まわし
い内戦の風景が戻ってきたのである。

 国軍はとうとうベイルートに夜間外出禁止令を出した。ナスラッラー議長とハリー
リ議員は国軍に協力して沈静化に努めるよう、支持者にテレビ演説で要請。何とか事
態は収拾に向かっている。

 これが25日現在のレバノンの状況だ。セニオラにはパリ会議の成功に安堵してい
る暇はない。レバノンに戻るとすぐさま事態収拾のための動きを起こさねばとりかえ
しがつかないことになる。



連載第55回(2007年1月19日配信)

野党の次の一手

○ イスラエル軍参謀総長辞任

 1月16日、イスラエル軍のダン・ハルーツ参謀総長が辞表を提出、受理された。
当面はカプリンスキー次長が代行を務める。

 第五次レバノン戦争における戦争指導の迷走からすれば、ハルーツの辞任は当然
で、むしろ遅きに失したと言うべきであろう。ハルーツは、いやオルメルト首相も、
ペレツ国防相も、明らかにヒズボッラーの軍事能力を過少評価していた。だから初期
の戦争目標…拉致された兵士の解放とヒズボッラーのミサイル攻撃能力の破壊…が達
成出来なかった場合、どうやって戦争を終結させるかというシナリオを持っていなか
った。持たぬままに戦争を始めてしまった。空爆、地上部隊の部分投入、再度空爆と
戦略は二転三転。停戦間際に駆け込みで戦果拡大を目論み戦車部隊を大規模に投入し
たが、対戦車砲の餌食になって多数の兵士と戦車を失った。

 米国の政治力のおかげで決議第1701号が安保理を通過、辛うじてイスラエルは
政治的に面目を保ったものの、純粋に軍事的に見るならば歴然たる敗北である。ハル
ーツは戦争中から国内で激しい批判に晒され、戦後には株売り抜けスキャンダルまで
暴かれた。戦争指導の問題点を洗い出す政府調査委員会(ウィノグラード委員会)の
報告書提出を待たずして、ハルーツはとうとう退陣を強いられた。

 しかしハルーツが詰め腹を切って一件落着と言う風には行きそうにない。今後はオ
ルメルトやペレツに対する責任追及の声が高まるのは必至だ。特にオルメルトは、レ
ウミ銀行民営化をめぐる汚職スキャンダルで既に検察の捜査を受けている。ハルーツ
辞任が更にオルメルトを追い込み、政権の基盤はますます揺らぐに違いない。

 いずれにせよ、ハルーツ辞任で第五次レバノン戦争=イスラエルの軍事的敗北、と
いう構図は確定した。いかにヒズボッラー嫌いのレバノンの反シリア連合といえど
も、ヒズボッラーが戦争に勝ったことは認めざるを得なくなった。

○ パリ3会議と与党の読み

 しかしヒズボッラーは未だにこの勝利をレバノン政局に反映出来ない。

 ヒズボッラーが率いる野党連合の座り込みは開始から50日になろうとしている
が、セニオラ内閣はまったく譲歩の姿勢を見せない。それどころかセニオラは経済閣
僚を伴ってサウジやクウェートなどを巡訪、パリ3会議への協力約束を取り付けるな
ど、野党なにするものぞ、と言わんばかりの強気の姿勢で外交・経済政策を推し進め
る。

 野党は倒閣運動「フェーズ2」として労組主体で財政再建プランに抗議するデモを
各地で実施しているが、好天続きにも関わらず人の集まりが悪く、いまひとつ熱気に
欠ける。

 人が集まらないのは、野党最大の…いや、おそらくはレバノンで最大の…動員力を
持つヒズボッラーが本腰を入れないからだ。実際、過去10日ほどの間に行われたデ
モでは「統制委員」以外にヒズボッラーの支持者はほとんど参加していない。「統制
委員」とは、デモが暴動に発展して国軍やISF兵士との衝突に至らないよう、群集
を制止する係である。つまりヒズボッラーはもっぱらデモを管理・統制する役目に徹
しているのだ。

 これは一体、どういうことなのか?

 解釈はいくつかある。ひとつは与党側の楽観論で、「ヒズボッラーは読み誤った」
とするもの。つまり、ヒズボッラーは昨夏の「確かな約束作戦」発動がイスラエルと
の全面戦争を招くことはない、と読み誤ったように、今回も巨大デモを仕掛ければセ
ニオラ内閣はへなへなと倒れてしまう、とタカをくくっていた、と言うのである。実
際、倒閣運動開始とともに、スンニ派国民の間で猛烈な政府擁護の感情が沸き起こっ
たのは野党の計算外の出来事だった。また米仏はもとより、サウジ以下の親米アラブ
諸国までが、露骨にセニオラに肩入れしたのも想定外だったに違いない。

 与党は、従って「ヒズボッラーは今さら座り込みを止めては面子が立たず、前にも
後ろにも進めない状況に陥っている」と理解し、楽観している。セニオラが強気で与
党の政策を進める理由はここにある。

 別の解釈では、ヒズボッラーは依然として交渉による解決の機会を狙っている、と
なる。サウジのハウジャ大使はヒズボッラー首脳との接触を続けているし、イラン、
サウジ間の接触も続いている。ベッリ議長は与党とヒズボッラーの対話の窓口の役目
を務める。まだ交渉で与党から譲歩を引き出せると考えているから、ヒズボッラーは
交渉の窓口を完全には閉ざさぬため倒閣行動を抑えに抑えている、というわけだ。

 これに対して、「野党は与党との全面対決へと向かっている」とする最も悲観的な
見方がある。倒閣運動が衝突へと発展しないようにと野党が細心の注意を払ってきた
ことを、与党は「野党の行き詰まり」「野党の弱さ」の証拠だと読み違え、閣議開催
強行など一方的な行動をとってきた。ことここに至っては、野党としては実力行使
(不服従運動、道路や港湾、空港封鎖など)に踏み切るしかない、ヒズボッラーもそ
の考えに傾いている、とする見方だ。

 事実、過去数日のうちにヒズボッラー指導部の間からも倒閣行動エスカレートを示
唆する発言が相次いでいる。

○ 米国の新政策

 ここで気になるのは米国の動きだ。

 ブッシュ大統領は新たなイラク政策を打ち出す演説で、はっきりとベーカー・ハミ
ルトン提案にNoを突きつけた。そして提案とはまったく逆に、ソマリア内戦への介
入、イラクへの派遣部隊増派、ペルシャ湾岸への空母増派など、中東における軍事的
プレゼンス拡大政策を矢継ぎ早に打ち出している。

 米軍自体のプレゼンスに加え、親米勢力への軍事支援も露骨に増やしている。パレ
スチナではハマースと対峙するアッバースPA議長親衛隊に、レバノンでも国軍に対
する巨額支援を開始した。

 イラクのクルド地区ではイラン領事館を襲撃してスタッフの身柄を拘束。またクウ
ェート訪問中のライス国務長官は「シリアは未だにレバノンから撤退させられたとい
う事実を直視出来ないらしい」「イラクからパレスチナ、レバノンに至るまで、あら
ゆる場所でシリアは過激派を支援して安定を脅かしている」と、シリアを辛辣に非難
した。

 イラク撤退の道筋をつけるどころか、逆に軍事的プレゼンスを高め、イランやシリ
アと対話するかわりに、逆に両国への圧力を倍増させている。こんな状況のもとで、
東西対立の最前線と化したレバノン情勢が安定に向かうとはちょっと想像しにくい。

 なお、14、15日にかけてパレスチナ、イスラエルを歴訪、アッバースPA議
長、オルメルト首相とそれぞれ会談したライス国務長官は、自らの立会いのもとイス
ラエル・パレスチナ首脳会談を近々開催、ロードマップ(中東和平行程表)を再活性
化させるという構想を発表している。このことは日本のメディアでも大きく報じられ
た。

 しかし、その同じ15日にイスラエル住宅省が西岸地区の最大のユダヤ人入植都市
マアレ・アドミムの住宅新規建設工事の入札を公示したことはほとんど報じられてい
ない。

 ロードマップと言えば、パレスチナ側に対してはテロ対策を、そしてイスラエル側
に対しては西岸地区における入植活動の凍結を呼びかけている。つまり、「ロードマ
ップを再生させて和平を達成しましょう」とアメリカが言ったその日に、イスラエル
は敢えてそのロードマップの前提条件を踏み躙ったことになる。将来の交渉や譲歩を
不可能にするため、今のうちに少しでも西岸地区に既成事実を作り上げてしまおう、
というイスラエルの意図は明らかである。

○  野党の出方

 レバノンに戻る。野党首脳のひとり、カラーミ元首相は17日に「1月20日以
降、漸次倒閣行動を拡大していく」と語っている。ただし具体的な行動内容について
は語っていない。これは与党にプレッシャーをかけるため、手の内を明かさないとい
うことなのか。それともジャアジャアLF議長ら与党側が言うように、野党には実は
次に打つべき有効な手が何もなく、行動エスカレートはブラフ(脅し、ハッタリ)に
過ぎないのか。

 前者とすれば、野党は一体どんな秘策を持っているのであろうか? 従来の合法的
な行動の枠を超えて、実力行使に踏み切るのであろうか? その場合、国軍とISF
は治安を維持出来るのであろうか?

 25日にはレバノン経済の今後の命運をかけたパリ3会議が始まる。米仏両国のセ
ニオラ内閣断固支持の姿勢は揺るがず、湾岸アラブ諸国もイランとの対抗上、セニオ
ラ内閣が求めるだけカネを注ぎ込むつもりだ。野党は「セニオラ内閣は既に脳死して
いる。外国が人工呼吸装置をつけて生かしているだけだ」と皮肉るが、仮にそうだと
してもその「人工呼吸装置」は何しろ米欧と湾岸諸国提供の、高価で高性能な特注
品。会議は無事開催されさえすれば、まず成功は間違いない。

 パリ3会議でセニオラ内閣が華々しく正統政府として各国から巨額支援を取り付け
るのを野党は座視するのか。それとも、それ以前に何か行動を起こすのか。

 野党が設定した20日の期限と、25日のパリ3会議。今後1週間は目が離せない
状況が続く。



連載第54回(2006年1月7日配信)

倒閣運動エスカレートへ

○  国家機能停止状態

 あけましておめでとうございます……と書きたいところだが、レバノンは今年もあ
まり目出たくはなさそうだ。

 相変わらず、何もかもが行き詰っている。ダウンタウンにおける野党の座り込みは
既に6週間目に入った。年末に寒波が襲来し、ベイルートも激しい雷雨に見舞われた
が、泊まり込みの青年らはクリスマスも新年もテントの中で迎えた。しかしセニオラ
政府は譲歩する素振りをまるで見せない。それどころか1月4日にはシーア派閣僚不
在のまま新年初の閣議開催を強行、懸案の財政再建プランを承認した。

 この再建プランは今月25日にパリで開催されるレバノン財政支援国会議(パリ3
会議)に提案するためのもの。レバノンの財政赤字は410億ドルにのぼり、国債の
利払いが財政を圧迫している。支出削減、増税、通信事業や電力セクター民営化など
を通じて財政健全化を図り、さらにそれを梃子にして湾岸アラブ諸国や欧米諸国から
低金利で長期融資を取りつける……これがパリ3会議の狙いだ。

 会議を主宰するのは任期も残り少なくなったシラク大統領。米国もライス国務長官
を送るつもりと言う。米欧と穏健アラブ諸国にとって、パリ3会議はシリア・イラン
・ヒズボッラー枢軸に対抗し、セニオラ政権を支えるうえで絶対に欠かせない大舞台。
だからこそ、セニオラは野党の反発を承知の上で再び強行採決に踏み切った。しかし
国際法廷設置問題や、暗殺されたジュマイエル議員(工業相)の後任を決める補欠選
挙など、他の重要課題については何の動きもない。

 かなり話がややこしくなってきたので、このあたりで基本構図をおさらいしておく。
まず、レバノンには大統領と国会議長と首相の三首脳が居る。建国以来の不文律で、
大統領はキリスト教(カトリック)のマロン派、国会議長はシーア派、首相はスンニ
派から出ることになっている。ちなみにレバノンでは公認宗派は17あるが、各種人
口統計によればシーア派約30%、スンニ派、マロン派それぞれ約20%が実情らし
く、この三宗派が数の上で抜きん出ているのは間違いない。

 さて、このうち大統領のエミール・ラフードは国軍司令官時代からシリアの息がか
かった人物で、シリアの強い支持のもと1998年に大統領になり、再びシリアの強
引な介入で2004年に3年間の任期延長を果たした。この任期延長に際しては、国
内ではハリーリ派やジュンブラート派、国外でも米仏両国の強い反対(安保理決議第
1559号)があった。こんにちでも欧米諸国はラフードをボイコットしている。つまり、
正統な大統領とは承認していない。

 国会議長のナビーヒ・ベッリはシーア派政党アマルの党首で、やはりシリアと密接
な関係を持つ。しかしシリア軍撤退後に行われた2005年の国政選挙で、反シリア
連合(ハリーリ派、ジュンブラート派、LFなど)はFRM(アウン派)との対抗上、
あろうことか親シリアのヒズボッラー、アマル両党と同盟して戦った。この関係で、
ベッリは後ろ盾のシリアが去った後も、そして反シリア派が国会議席の過半数以上を
確保した後も、国会議長の座に留まることが出来たのである。

 首相は故ハリーリ首相の経済官僚として辣腕を振るったフォアード・セニオラ。ハ
リーリ家の大番頭のような存在だ。本来ならばハリーリ家の総領にして国会最大会派
のボス、サアドッディーン・ハリーリ議員が首相になるべきところであるが、ハリー
リはラフードが大統領に留まる限りは首相になる気がなく、セニオラをつなぎ役に立
てたのである。

 昨年11月に親シリア派閣僚6名(ヒズボッラー、アマル、大統領派に所属)が辞
任すると、ラフード大統領とベッリ国会議長の両名は、もはやセニオラ内閣の存在は
違憲だという立場を打ち出した。レバノン憲法の前文はレバノンを多宗派社会と規定、
各派の融和を求めており、この原則に背く政府は違憲だと明記している。レバノン国
民の3分の1を占めるシーア派閣僚が一人も居ないセニオラ政府は当然、違憲になる
……これがラフードと野党の論理である。

 つまりこういうことだ。本来なら行政府として大統領府と首相府が、さらにその行
政府と立法府(国会)がそれぞれ相互補完して国政を運営するはずなのに、大統領府
と首相府はお互いを違法な存在と見なし排斥する。国会では与党が多数派を占めてい
るものの、議長は首相府を違法と見なし協力を拒む。このため、国家機能がほぼ完全
にマヒ状態に陥っているのだ。その期間が間もなく2ヶ月にも及ぼうとしている。

 国際法廷合意文書も、補欠選挙実施もセニオラ内閣が強行採決したが、ラフード大
統領の署名が得られぬまま国会に回された。ここでもベッリが審議を拒んだため、宙
に浮いたまま。通常国会の会期は年末で終わってしまったため、特別国会を召集しよ
うとすれば今度はラフード大統領の署名が要る。野党はセニオラ内閣を倒しかねてい
るが、与党の側も、ラフードとベッリの両名を敵に回したままでは何ひとつ国政を運
営出来ない。

○  途切れぬ対話の糸

 平和的な事態収拾に向けた与野党間の接触が完全に途絶えたわけではない。野党の
暴走を食い止めるブレーキ役ベッリのもとには現職閣僚や与党の幹部らもたまに顔を
出す。また年末年始にかけてはサウジの王室が、直接ヒズボッラー首脳と交渉する一
幕もあった。サウジ首脳はヒズボッラーが「確かな約束作戦」を発動、第五次レバノ
ン戦争勃発を招いた時に「冒険主義だ。責任者は裁かれねばならない」と手厳しくヒ
ズボッラーを非難した。イラン直結のヒズボッラーとサウジの間の冷たい関係は、戦
争を機に一層冷え込んだ。これを改善するため、年末にサウジのアブダッラー国王は
自らヒズボッラーのナンバー2カーシム副議長とフネイシュ前水資源エネルギー相を
ジェッダに招き、初めて率直な意見交換を行ったのである。

 会議の雰囲気は上々だったと双方ともに認めている。しかし両者の間を隔てる深い
溝がたった一回の会談で埋まるわけはない。アブダッラー国王も、この会談では何ら
新たな提案は行わず、ムーサ事務局長が取り組むアラブ連盟の調停案への支持を表明
しただけだったという。やはり与野党それぞれの中核(ハリーリ派とヒズボッラー)
の間の交渉が途絶した状況では、事態の打開は困難だ。

 カーシムらはこの会談後、セニオラ内閣の財政再建案強行採決を受けて、倒閣運動
エスカレートの検討に入った。増税や労働時間延長など、再建案でもろに直撃を受け
る労組が前面に出て、座り込みやストライキを実施するという展開になりそうだ。

○  ジュンブラートの口撃

 儀礼的接触の域を出なかったサウジ・ヒズボッラー交渉であるが、国外の支援者
(米、仏、サウジ、エジプトなど)に見捨てられることを極度に恐れるジュンブラー
トPSP党首にとっては、十分に刺激が強かったらしい。年末年始にかけてジュンブ
ラートの対シリア・ヒズボッラー口撃はエスカレートする一方で、もはや後戻りは出
来ないところまで来てしまった。

 まず12月24日、南部のドルーズ派の村で、ジュンブラートは「ダマスカスのあ
のガキは」アサド大統領をそう表現、「シリアでは国民の首根っこを押さえつけ、レ
バノンでは自由人を殺しまくっている」と発言。(ジュンブラートの亡父)カマール
・ジュンブラートからピエール・ジュマイエルに至る30年来の暗殺事件はすべてシ
リアの仕業と決めつけた上、「我々レバノン国民の中から、あるいはシリア国民の中
からナワーフが出でる。ナワーフが出でて、殉教者の恨みを晴らす」と語った。

 ナワーフとは、かつてのシリアの独裁者アディーブ・シシャクリを1964年にブ
ラジルで暗殺したナワーフ・ガザーレを指す。つまりジュンブラートは「第二の暗殺
者よ、出でよ。アサドを殺せ」と言ったに等しい。これにはシリアの軍事法廷も早速
「殺人教唆」の罪で訴追する構えだ。

 さらに28日の「アル・アラビーヤ」テレビのインタビューでは、ジュンブラート
は「ヒズボッラーみずからも一連の暗殺事件に関与している」と発言。初めてヒズ
ボッラーをテロ行為の容疑者扱いした。ヒズボッラーの実効支配地区のダーヒヤ(ベ
イルート南郊外)で破壊活動の準備が行われた可能性や、ヒズボッラーの盟友(SS
NPやラフード大統領)への容疑は再三指摘されてきたが、これまでのところ反シリ
ア連合はヒズボッラー自身の関与は指摘してこなかった。

 それはそうであろう。もしヒズボッラーが犯人だったとしたら、そのヒズボッラー
と選挙協力したり、連立内閣を組んだりした責任も当然問われる。与党としてもヒズ
ボッラーが犯人であっては困るのだ。ジュンブラートのヒズボッラー糾弾は、直接的
にはヒズボッラーによるハマーデ通信相(ジュンブラートの腹心。2004年10月
に暗殺未遂に遭っている)攻撃に対する報復である。この前日、ヒズボッラー系の
「アル・マナール」テレビが「第五次レバノン戦争中、ハマーデはナスラッラー議長
の隠れ家を突き止め米国のフェルトマン大使に通報。フェルトマンの連絡に基づき、
イスラエルはその地点を空爆した」と報じたのだ。腹心をイスラエルのスパイ扱いさ
れてジュンブラートもキレてしまい、証拠も無いのにヒズボッラーのテロ関与容疑を
追及しはじめた……おそらくこれが真相であろう。証拠を握っているのであれば、
とっくにブランメルツ捜査団に提供しているはずだ。

 真意はともかく、ジュンブラート発言のせいで相互譲歩につながる対話ムードは
まったく醸成されていない。

○  隠匿武器続報

 年末に摘発されたSSNP絡みの捜査も、その後あまり進展していない。コーラ地
区で摘発された細胞組織や隠匿武器と、一連のテロ事件を結びつける証拠はあがって
いないからだ。ハリーリ派のメディア、ムスタクバル紙が「ハリーリ暗殺より一ヶ月
前の2005年1月、コーラ地区で開催されたカターイブの集会を妨害するためにS
SNPは爆破テロを計画したが技術的な不備で未遂に終わった」と報じたのが精一杯。
しかし、元来捜査はハリーリ派が握る内務治安部隊(ISF)が独占的に行っており、
そこからの情報がハリーリ派メディアに「リーク」されただけだから、真偽のほどは
誰にも検証出来ない。

 従って、SSNP捜査がハリーリ暗殺事件や一連の爆破・暗殺事件の真相解明をも
たらし、さらにはそれが政局のデッドロックを打ち破る……そんな劇的なシナリオは、
当面期待出来ないだろう。となると、一体どんなかたちでこの危機は収束されるので
あろうか。それとも、危機はエスカレートを続け、とうとう二政府並立→レバノン分
割と言った方向へと向かうのであろうか。



連載第53回(2006年12月26日配信)

隠匿兵器摘発

○ 「いつになったらレバノン人になれるのか」

 日の丸の前に立った青年が自信たっぷりの表情で「私は日本人です」と明晰に発言
する。ちょっとシャイな感じの青年が、しかし誇らしげに星条旗の前で「アイ・ア
ム・アメリカン」と言う。パレスチナ国旗の前でパレスチナ人が、インド国旗の前で
インド人が、という具合に、自分の国の国旗の前で、自分の国の言葉で若い男女が
次々に、「自分は…人です」と語る。

 ところがレバノン国旗の出番になると、最初の青年は「私はスンニ派です」、次の
青年は「ドルーズ派です」、その次の女性は「マロン派です」…他の国の青年たちの
誇りたっぷりな表情とは対照的に、レバノンの青年たちは自分の宗派を語ると、うつ
むいてしまう。背後のレバノン国旗はずり落ち、画面は真っ暗になって、「私たちは
いつになったらレバノン人になれるのでしょう?」という文字が浮かび上がる…。

 野党の倒閣運動が始まってから連日放映されるようになった、大手銀行ビブロス・
バンクのテレビ・コマーシャルだ。レバノン人は宗派や地縁・血縁・所属政党などに
分裂したまま。いつまで経っても本当に一体感を持った「レバノン国民」にはなれな
いのだ…レバノン人なら誰もが嘆き、それでいてどうしても脱却出来ない現実をシン
プルに描いている。

○ 旧オスマン臣民の「自分探し」

 以前、連載第17回でも取り上げたが、レバノンやシリア、パレスチナなどかつて
オスマン帝国の領土であった地域では、どこでも同じようなアイデンティティの問題
がある。

 1918年に第一次世界大戦が終結し、敗戦国となったオスマン帝国はアラブ地域
の領土を失い、小アジア半島に閉じ込められてしまった。それまでオスマン帝国の臣
民として、対外的には「トルコ人」で通っていたこの地域の人々は、一夜にして自分
は一体何者なのか、自ら再定義せざるを得ない状況に追い込まれた。わかりやすく言
うなら、こんにちに至るまで終わりのない中東の人々の「自分探しの旅」が、この時
に始まったのである。

 当時最もポピュラーで、影響力を振るったのがアラブ民族主義である。当然と言え
ば当然であろう。何しろ当時は民族自決が花盛りの時代だった。そこに目をつけた英
国が、アラビアのロレンスを用いてアラブを説得、大戦中に反トルコ蜂起に踏み切ら
せたばかりだった。特に、「イスラーム教徒もない、キリスト教徒もない。アラブは
ひとつなのだ」というこの新思想にアラブ世界のキリスト教徒は魅せられた。後のバ
アス党や1950年代のナセルにつながる思想の源流はここにある。

 西はモロッコから東はイラクに至る広大なアラブ世界をまとめようというアラブ民
族主義に対して、もっとローカルなアイデンティティも生まれた。「自分たちはアラ
ビア語を喋るが、アラブではないのだ」というレバノンのマロン派民族主義は、この
後レバノン国家建国の原動力のひとつとなる。パレスチナでも、エジプトでも、似た
ような独自の地域主義が生まれた。広域のアラブ民族主義をアラビア語で「カウミー
ヤ」と呼ぶのに対し、こんにち存在する各国家の領域を単位とする民族主義を「ワタ
ニーヤ」と呼ぶ。

 カウミーヤとワタニーヤは第一次大戦後、「自分探し」をする人々の間の二大潮流
となった。しかしこの二つですべてと言うわけではなく、他の思想も生まれている。
例えばカウミーヤよりももっと広い、イスラーム世界全体の統一を説く思想が汎イス
ラーム主義である。こんにちのムスリム同胞団系諸組織(ジャマーア・イスラミー
ヤ、ハマース、イスラーム聖戦など)やアル・カーイダなどの源流である。

○ シリア民族主義

 カウミーヤほど大きくはないが、ワタニーヤよりは小さいイデオロギーも生まれた。 
それが汎シリア主義あるいはシリア民族主義である。

 この思想はレバノン生まれのキリスト教徒、アントーン・サアーデが提唱し、シリ
アとレバノンで広まった。簡単に言うならば、キリスト教化される前、イスラーム化
あるいはアラブ化される以前に、西はキプロス、東はイラクに至る地域にシリア人と
いう人種が存在したのだ、という考えである。言語や宗教ではなく、仮定の人種の存
在を説くのが特徴だ。

 サアーデの時代はヨーロッパでファシズムが台頭した時代だ。サアーデの思想が人
種主義的な側面を持つのはその影響である。サアーデは自らの政党をシリア民族社会
党=SSNPと命名したが、このあたりナチスが掲げた「民族(国家)社会主義」に
酷似している。

 さて汎シリア主義は、汎アラブ主義は勿論のこと、レバノンだけを広義のシリアか
ら切り離そうというレバノン民族主義(ワタニーヤ)とも真っ向から対立する。この
ためSSNPは建国間もないレバノン政府から危険な秘密結社と見なされ、迫害され
た。サアーデはこれに対して武装蜂起を謀るが失敗、シリアに逃れるもあえなくシリ
ア当局からレバノン政府に引き渡され、即決裁判で処刑される。1949年7月のこ
とである。

 SSNPの残党は建国の父リヤード・ソルハ初代首相をこの2年後にアンマンで暗
殺している。また1961年にもSSNPはクーデターを起こして失敗した。

 このように反体制活動が中心であったSSNPであるが、1982年のイスラエル
軍レバノン侵攻以来シリアとの関係を深めていく。SSNPはまずイスラエル占領下
で大統領に選出されたシリアの宿敵バシール・ジュマイエルLF司令官を暗殺。その
後も反イスラエル闘争に参加する。ターイフ合意以降は他の民兵組織同様、形式的に
武装解除に応じ、一政党として政権に参加。シリアによるレバノン実効支配の一翼を
担ってきた。

○ SSNPの武器摘発

 そのSSNPが現在レバノン政局の渦中にある。

 12月21日にISFが北部でSSNP幹部らの邸宅数箇所を捜索、大量の武器弾
薬を押収したせいである。ISFの発表では、押収されたものの中にはナンバープレ
ートを偽造した上、色まで塗り替えて偽装した車両や、消音装置つきの銃、200kg
相当のTNT火薬、それに起爆装置や時限タイマーまでが含まれる。

 これだけ揃えば、誰でもハリーリ暗殺事件に続いて起きた一連の反シリア政治家・
ジャーナリスト暗殺事件との関連を想起するだろう。

 SSNPの党首脳は武器押収直後にベイルートの本部で大々的に記者会見を開き、
「武器は対イスラエル闘争時代の残りである。有事に備えて保管してあった。他の政
党もどこでもやっていることだ」と、武器を隠匿していたことは認めた。しかし一連
の暗殺・テロ事件との関係については徹底して否定。「親シリア勢力を陥れようとす
るセニオラ政府の陰謀だ。忍耐にも限度がある」と、逆に政府を恫喝した。ヒズボッ
ラーをはじめ、他の親シリア勢力も相次いでSSNPを擁護し政府に警告する内容の
声明を発出している。

 SSNPは果たしてシロなのか? もしクロだったとすれば、ISFの大金星だ。
ハリーリ暗殺事件と一連の暗殺事件の捜査を進めるブランメルツ捜査団の任期は来年
6月まで。ブランメルツのこれまでの手法からみれば、それまでは暗殺事件の背景が
明らかになり、犯人が逮捕されることはなさそうだ。

 しかしISFがSSNPの犯行を立証すれば、国際捜査団の手を借りずにレバノン
当局は容疑者を芋づる的に摘発出来るはず。さらには反シリアを売り物にしてきたF
PM(アウン派)も、いつまでもSSNPと一緒に倒閣行動をやっている場合ではな
くなる。野党連合から離脱を強いられる可能性も捨てきれない。

 しかしシロだった場合…堂々たる武器隠匿行為であるから、クロはクロに違いない
のだが、もしISFの捜査がSSNPの犯行立件まで至らなかったら、という意味で
ある…事態は一層複雑化しそうだ。公安総局や国軍情報部など、親シリア派が握る治
安機関がLF、PSPなど反シリア連合の隠匿武器を暴いて意趣返しをするかもしれ
ないからである。

○ アラブ連盟、匙を投げる

 さて、ムーサ・アラブ連盟事務局長はハリーリ派の後ろ盾であるサウジを17日に
訪問し、アブダッラー国王ら首脳と会談した後、19日に再度レバノンに来訪。超人
的な体力で連日レバノン各派指導者の間を渡り歩き、調停工作を再開した。

 21日には今度は野党の後ろ盾とも言うべきシリアに半日だけ移動。アサド大統領
ら首脳と会談した後、ベイルートに戻り、深夜までふたたび各派指導者と会談を繰り
返した。

 しかし、サウジでもシリアでも、ムーサは「レバノン国民の決定を支持する」とい
う当たり前の口約束以上の収穫は得られなかった模様だ。サウジとシリアの間は、第
五次レバノン戦争停戦直後の8月15日の演説で、アサドが開戦直後にヒズボッラー
を非難したサウジ首脳を「男の風上にもおけない奴ら」と酷評して以来、冷め切って
いる。両国間の関係がこうでは、その両国に影響力を行使させてレバノン危機を収拾
するなど夢のまた夢といった感じだ。

 レバノン国内でも、ムーサの調停を横目に、与野党ともにまったく歩み寄りを見せ
ぬばかりか、逆に対立を煽るばかり。野党が「もはや内閣改造要求の段階は終わっ
た。セニオラには辞めてもらうしかない。これからは国会総選挙を求める」と要求を
エスカレートさせたと思ったら、与党もラフード大統領の弾劾裁判を求める署名集め
を開始。さらに、ベッリ国会議長が「セニオラ内閣はもはや法的正統性を欠いている
から、内閣が採決したいかなる法案も国会では審議しない」という立場をとっている
ことを十分承知しながら、ベッリに国会開催を迫る嘆願書を持ち込む(受け取りを拒
否されたため、なんと郵送したと言うから、ほとんどジョークだ)など、お互いに対
決姿勢を強める一方だ。

 ムーサは結局23日にベイルートを離れカイロに戻ったが、その前に記者会見を開
き、「レバノン情勢は現在極めて危険な転回点に来ている。このまま放置すれば、
もっと危険な状況に陥る。第二のイラクになりかねない」と、強く警告。与野党双方
に対して行動を自制するよう呼びかけるとともに「レバノン各派指導者同士が話し合
わないことにはどうしようもない」と、各派の直接対話を呼びかけている。事実上、
匙を投げた格好だ。

 各派ともに、クリスマスから新年にかけての休暇中は、行動を自制することを宣言
している。しかし年が明けると事態は果たしてどんな方向に動いていくのであろう
か?



連載第52回(2006年12月19日配信)

レバノンとパレスチナ;二つの戦線

○ 珈琲価格の「暴落」

 ベイルート・ダウンタウンに立ち並ぶ瀟洒なレストランやカフェでは、珈琲一杯の
値段が4〜500円もして、東京とまったく変わらない。いや、全体的な物価水準や
給与水準は東京の方がずっと高いだけに、ベイルートでの飲食の方がはるかに割高に
感じる。

 そんなダウンタウンで、いま一杯40円程度の格安珈琲が出回っている。徹底的な価
格破壊だ。

 これも野党の座り込み効果である。警備上の理由で、ダウンタウンの商店・飲食店
のほとんどは今月あたまから閉鎖されたまま。替わって泊まり込みの青年たちやデモ
参加者相手に珈琲やポップコーンを売る格安の露店が花盛りだ。客は南部、ベカーな
ど僻地の出身者か学生で、金が無い。露店が繁盛する所以である。

 露店の中にはアルギーレ(水タバコ)のレンタル店も。大雨と寒波襲来に備えて、
数十人収容可能な暖房付き大型鉄骨テントも建てられた。バックギャモンやサッカー
に興じる者、卓球台を持ち込む者。泊まり込みの青年たちはみんなめいめいのスタイ
ルで時間を潰す。アウン派などキリスト教徒のテント村ではクリスマス・ツリーも立
ち並ぶ。

 欧米諸国やアラブ諸国の首脳からは連日のようにセニオラ内閣を激励するメッセー
ジが届く。首都ベイルートの都心部こそ野党に乗っ取られたものの、与党支持派はス
ンニ派地区を中心に毎日レバノン各地で大集会を開く。内外のこの強い支持に支えら
れて、セニオラ内閣は依然として譲歩の気配を見せない。野党は長期戦を覚悟してい
る。露店や冬越し支度に忙しいのはそのせいだ。

○ アウンの爆弾発言

 ここまで波乱がなかったわけではない。座り込みが始まって数日後にデモ参加者と
スンニ派地区住民の間で深刻な衝突が起き、死者まで出たことは既報した。その後、
この手の衝突は収まったが、12月10日に野党は再び大動員をかけ、数十万人規模
の大群衆が都心部を埋め尽くした。

 この大群衆を前にテレビ演説を行ったアウンFPM党首は「当面は平和的手段を追
求する。しかしセニオラ政府が首相府に居座り続けるのであれば、野党が非平和的手
段を用いても合法行為だ。ウクラニアやセルビアの例を見よ。鉄条網は首相府を守り
きれるものではない」と爆弾発言。いよいよ首相府への突入強行かと内外のメディア
は緊張した。

 この日のアウンは、FPMのシンボル、オレンジ色の長袖Tシャツに、同じくオレ
ンジ色の野球帽という冴えないいでたち。70過ぎの老人がこの格好をすれば、ゴル
フに出かける農協のおじさんにしか見えず、精悍な国軍司令官というかつての面影は
無い。しかし、言うことは相変わらず過激だった。

 アウンは暫定軍事首相時代の1989年、勝ち目がまったくないのにシリアからの
「解放戦争」を宣言、西ベイルートに砲弾の雨を降らせて、手痛い報復を受けている。
また翌年には「殲滅戦争」と称してキリスト教徒地区で隠然たる力を持つLFの拠点
を国軍に攻撃させ、凄まじい破壊をもたらしたが目的を果たせなかった。ターイフ合
意にも反対し、支持者がマロン派教会の総本山に乱入、合意を推進するソフェイル総
大司教らに乱暴を働くのを許している。

 自分の考えこそは正義だと言う信念。彼我の力関係は度外視して、安易に力を行使
する。アウンはそんな猪突猛進型の人物だ。そのアウンが強行突入をチラつかせるの
だから、洒落では済まない。

 後に報じられたところでは、強硬策を唱えるアウンは、慎重なアマルやヒズボッラ
ー首脳と路線対立を起こしており、この日も直前に「生ぬるい立場をとるくらいなら
俺は演説しない」と駄々をこねて周りを困らせたらしい。

 もしアウン派だけでも突入を図り、警備兵の発砲で死者でも出るような事態になれ
ば、果たしてヒズボッラーやアマルも盟友を放置出来るかどうか。アウンのような狂
犬を陣営に抱える限り、睨み合いが長引けば長引くほどに不測の事態勃発の危険は高
まる。

○ ムーサの調停工作とセニオラ訪露

 紛争収拾能力の低さでは定評のあるアラブ連盟であるが、さすがに今のレバノンを
放置すれば大変なことになるという判断はあるらしい。ムーサ連盟事務局長は訪米日
程を急遽変更し12日から14日までベイルートに来訪、与野党双方の指導者相手
に、調停工作に奔走した。

 いったんベイルートを離れる前、ムーサらは記者会見で与野党が「与党19、野党
10、中立1の30人内閣の樹立に原則合意した」と発表、交渉の進展を強調してい
る。しかし、実態はとても楽観出来ない。

 与党は3分の1ポストを野党に与えると言っているのではあるが、それはあくまで
も国際法廷問題の決着が前提だ。つまり、ベッリ議長が国会を開催し、国際法廷合意
文書を公式に批准するのであれば、3分の1を野党に渡そう、というわけだ。

 一方の野党側は、シーア派閣僚を欠いたままセニオラ内閣が合意文書草案と最終案
を二度にわたって強行採決したのは無効である、改造内閣はまず文書を審議し、その
後再度ラフード大統領の承認を得るべき、と主張する。

 ベッリが国会を開催しない限り合意文書批准は不可能だから、与党としては野党の
求める内閣改造に応じ、3分の1ポストを譲るしかない。しかし、3分の1ポストを
譲り、野党に拒否権を与えてしまえば、合意文書そのものが廃案に追い込まれるリス
クを冒すことになる。これが与党のジレンマだ。

 そこでセニオラが思い立った奇策が、15日のロシア訪問とプーチン大統領との会
談である。もしも現在のデッドロックが続き、レバノン政府が国際法廷合意文書を批
准できなかった場合、米仏両国は安保理で新決議を採択、もはやレバノンの法も主権
も及ばない、純然たる国際法廷を設置してハリーリ暗殺犯を裁くつもりだ。その際に
鍵となるのが、伝統的にシリアの友邦で、これまでにも庇護者として振舞ってきたロ
シアの態度である。

 折しもシリアのアサド大統領は18日から訪露を予定していた。セニオラはアサド
を出し抜くかたちでプーチンと会談、ロシアは国際法廷設置を妨害しない、という言
質を取り付けたのだ。

○ ブランメルツ第四報告書

 そのハリーリ暗殺事件国際捜査を仕切るブランメルツ検事は、12日に第四回目の
捜査報告書をアナン事務総長宛に提出している。今回もこれまで同様に、容疑者への
言及は無かった。捜査の中立性を保持するため、証人および容疑者の身元は裁判まで
明かさない(報告書第10条)という方針に基づく。

 その一方で、報告書は暗殺が自爆犯により実行されたこと、その自爆犯はレバノン
では生まれ育っておらず、レバノンに来たのは犯行のせいぜい数ヶ月前であることな
どをほぼ断定している。相当細かいところまで捜査が煮詰まってきているのは間違い
なさそうだが、ブランメルツが現在のスタイルを貫く限り、捜査期間満了の来年6月
まで、犯人そして犯行グループの氏名が公表されることはなさそうだ。

 ただ、ここに来てシリア政府が露骨に国際法廷への反対の立場を表明し、ロシアは
「国際法廷が政治目的に用いられてはならない」と繰り返している。そこから判断す
れば、やはり捜査の手はじわじわとシリア政権の中枢に迫っているのではなかろう
か。だとすれば、セニオラの訪露は妙手だったと言えよう。

「イラク研究グループ」報告書(ベーカー・ハミルトン報告書)は、ブッシュ政権に
対しイラク情勢収拾のために、イラン、シリア両国と対話することを勧告した。しか
しことレバノン情勢に関しては、当面ブッシュも、ライス国務長官も、シリアに歩み
寄るつもりはまったくなく、連日のようにレバノンへの干渉を止めるように求める発
言を繰り返している。

 ハリーリ暗殺事件の国際捜査と裁判が、米国の対シリア圧力の切り札となる状況
は、今後もしばらくは続きそうだ。

○ 対決の第二戦線

 ベイルートの首相府とリヤード・ソルハ広場を隔てる鉄条網は、いまや中東におけ
る米欧諸国と、シリア・イラン枢軸の対決の最前線になった。

 しかし前線はひとつだけではない。過去一週間ほどの間に、もうひとつの前線が突
如活発化し、爆発寸前の危険な様相を呈してきた。しかも野党が当面平和的手段を維
持しているレバノンとは違い、こちらは与野党双方が重度に武装しており、なおかつ
いとも気軽に武器を用いるから危険極まりない。パレスチナのことである。

 パレスチナでは自治政府与党のハマースが頑としてイスラエル承認を拒んでいるこ
とから、ファタハとの挙国一致内閣樹立交渉は久しく行き詰っていた。

 そんな中、ファタハ系治安機関高官の車がガザで銃撃を受け、高官が乗っていなか
ったため哀れにも高官の子供3人と運転手が身代わりに蜂の巣になって殺された。

 これでガザの緊張が劇的に高まる中、イランを初訪問して巨額の資金援助約束を取
り付けたハニーヤ首相が14日、エジプトとガザの境界にあるラファハから帰国を図
る。イスラエルはハニーヤが巨額の資金を持ち込むのを阻止、ハニーヤは7時間以上
エジプト側で足留めをくらう。

 ハニーヤ帰国阻止の報を受けて激昂したハマースの民兵はラファハ検問所を襲撃、
検問所を警護するファタハの治安部隊(議長警護隊)と銃撃戦に。ハニーヤは運んで
きた現金をエジプト側に残してようやく越境を認められたが、ハニーヤの車列は検問
所通過の際に銃撃を受けた。ハニーヤは助かったが、ボディガード1名が死亡、ハニ
ーヤの息子と顧問が負傷している。

 翌15日、ハマースは事件を「ファタハによるハニーヤ暗殺計画」と断定、ファタ
ハのPLC(パレスチナ立法評議会=国会に相当)議員で、元内相のムハンマド・ダ
ハラーンを黒幕と名指しした。ダハラーンはガザのファタハ系治安機関の大立者で、
アラファト時代にはハマース弾圧の中心人物だったから、緊張は否が応にも高まった。

 そんな中、今度は16日にアッバースPA議長がPLC選挙の前倒しを決定したの
である。前回のPLC選挙から僅か1年未満。ハマースが怒らない筈はない。発表と
同時に、ガザやラーマッラーでファタハ、ハマース双方民兵の深刻な武装衝突が頻発
している。

 親米セニオラ政権が反米野党ヒズボッラーの挑戦を受け篭城するレバノンと、親米
野党のファタハが反米ハマース政権に政権移譲を迫るパレスチナ。いずれのケースも
現地勢力の政権争いに背後の諸国(米、欧、イスラエル、露、イラン、シリアなど)
の対立が複雑に絡まりあい、対決解消への道のりはまったく見えない。



連載第51回(2006年12月7日配信)

宗派紛争の悪夢

○ 長期戦の兆し

 首都ベイルートの再開発地区(ダウンタウン)の真ん中にある、広大な殉教者広場。
2005年2月にハリーリ前首相が暗殺された後、「シリアよ出て行け」と叫ぶ群衆
が幾度となくここに集まり、「自由の広場」と命名した。

 巨大な複合ビルを挟み、そこからほんの200メートルくらい離れた場所にあるの
がリヤード・ソルハ広場だ。ソルハはレバノン初代首相で、銅像が建っている。銅像
のある位置から何本かの道路が放射状に延び、国連ビル、首相府、国会議事堂などの
重要施設につながる。この銅像の東隣、ほとんどが駐車場となっている区画をリヤー
ド・ソルハ広場と言う。

 12月1日以来、ベイルート都心部にある二つの広場、殉教者広場とリヤード・ソ
ルハ広場は、テント村と化した。しかも毎日その数が増えつつある。

 事情を知らない人が見れば、第五次レバノン戦争の避難民か、と思うかもしれない。
実際、500張以上あるテントの中には、「セルビア・モンテネグロ政府寄贈」など
と印字されているものも在るから、戦争中に外国から提供されたテントも用いられて
いるのだろう。

 しかし難民キャンプの場合、住民の過半は婦女子だが、ここで寝泊りするのは学生
を中心に男ばかり。早く目覚めた者はグループになって、朝っぱらから太鼓を打ち
「セニオラ辞めろ」と連呼してダウンタウンを歩き回る。

 昼過ぎには広場に設けられたステージのスピーカーから、ヒズボッラーの勇ましい
マーチが耳をつんざく様な大音響で流れる。周辺にはトウモロコシやパン、清涼飲料
水などを販売する露店が立ち並び、にわかに祭りの雰囲気になる。そして学校や大学
が終わる夕方になると、女子生徒や家族連れも加わり、群衆の数は数倍に膨れ上がる。
深夜まで、野党政治家の演説や愛国歌の演奏が続く。

 泊まり込み開始以来、1週間は好天に恵まれた。しかし12月のベイルートはいつ
大雨や嵐に見舞われてもおかしくない。テントの住民たちは工場で用いる木製のパ
レットを大量に運び込んで、床下浸水に備えている。長期戦を覚悟しているのだ。

 リヤード・ソルハ広場以北、つまり飲食店など商業施設と国会議事堂や官公庁が混
ざる地域は、鉄条網とバリケードで封鎖されたまま。これからクリスマス、イスラー
ム教の犠牲祭、年末年始と祝祭日の稼ぎ時を迎えるはずだったダウンタウンのビジネ
スは壊滅状態だ。この地区の商店主らは一刻も早く抗議集会が終わり、客が戻ってく
ることを祈るような気持ちで待っている。

○ 運転手の本音

 私が勤める研究機関は、上記二つの広場に挟まれた複合ビルの中にある。従って、
毎朝私はハムラ地区からセルビス(乗り合いタクシー)に乗って殉教者広場の南端ま
で行き、そこからテント村の中を5分ほど歩いてオフィスに入る。本当は西側のリヤ
ード・ソルハ広場側から歩いた方が近いのだが、いまは群衆の突入を防ぐため首相府
とリヤード・ソルハ広場を結ぶ道路は鉄条網と装甲車で完全に封鎖されている。だか
ら面倒でも殉教者広場側へと遠回りするしかない。それでも、もしオフィスが道路一
本隔てて北側にあったなら、レストランの従業員と同じくまた失業していたわけだか
ら、幸運を喜ぶべきかもしれない。

 デモ2日目の朝、「殉教者広場まで」と言ってセルビスに乗り込んだら、運転手に
「ジャーナリストか?」と訊かれた。「まあそうだが、どうしてわかった?」「こん
な日に殉教者広場に行くのはジャーナリストしかいないよ」。

 なるほど、確かにそうだ。閑古鳥が鳴く今のダウンタウンで景気が良いのはジャー
ナリストだけだ。世界中のテレビ局がそこかしこの建物の屋上に巨大な衛星アンテナ
を設置して、首相府が群集に包囲される映像を中継している。デモ参加者にインタ
ビューする記者も少なくない。

「あんたジャーナリストなんだろ。だったらどう思う?、このデモを」運転手はそう
尋ねてきた。助手席の前に貼り付けられたプレートに慌てて目を走らせる。そこにタ
クシーのライセンス番号と運転手氏名が記載されているのだ。名前はどこにでもある、
取り立てて特徴のないムスリム名。宗派(スンニ、シーアあるいはドルーズ派)はわ
からない。下手な意見は言わないに越したことは無い……それに大体、ことここに
至った経緯は複雑すぎる。ハリーリが正しい、いや、ナスラッラーが正しい、とは私
には到底判断出来ない。

「難しいね。でもともかくこんな事態が続くとみんな大変だ。早く何らかの合意が出
来て解決すればいいと思う」そう当たり障りのない回答をした。しかし本心からの意
見である。

 運転手は私の中立的な態度が気にくわなかったらしい。「奴らはヒズボッラーやア
マルなんぞをつくる前は、麻薬栽培をやっていたんだ」。シーア派国民のことを総称
して運転手は「奴ら」と言う。「奴らは国家だとか政府だとかは無くてもいいんだ。
無秩序と混乱の方が好きなんだ」。吐き捨てるような言葉だった。スンニ派の街ベイ
ルートの都心部へ、ダーヒヤから大挙してやってきたシーア派に対する憎しみがこ
もっていた。

○ 初の犠牲者

 ヒズボッラーは倒閣運動を起こす前、この運動はシーア派の宗派的な動きではなく、
政治闘争なのだということを、事前に再三強調してきた。アウンやフランジーヤ元内
相など、キリスト教徒の盟友を前面に押し出すのも、「野党は宗派を超越した国民運
動なのだ」とアピールするためであろう。

 デモ初日に、私は仲間に肩車された少年が「フセインよ、貴方に従う」と血書した
Tシャツを着ているのを目撃した。フセインはイラクの聖地カルバラで殉教した、シ
ーア派の始祖とも言うべき歴史上の人物。少年は額を傷つけて血を流していた。明ら
かにシーア派の宗教行事アーシューラをイメージし、再現している。

 少年の姿が公衆の面前にあらわれた途端、「統制委員」と書かれた腕章をつけたヒ
ズボッラーの党員が集まって、少年を引き摺り下ろしてしまった。少年にカメラを向
けた私に対し、党員が「撮るな」と厳しく注意した。シーア派の宗教シンボルが持ち
出されると、野党内の非シーア派はついていけなくなる。無用に宗教感情を刺激して、
野党を分裂させぬようヒズボッラーは細心の注意を払ってきた。

 しかし、抗議行動開始から3日目にあたる12月3日夕方から、状況は暗転した。
集会後にダーヒヤへ戻ろうとした参加者と、通過点のスンニ派地区住民の間で衝突が
発生したのである。

 衝突がどのような状況で発生したのかはわからない。ハリーリ派のメディアとヒズ
ボッラーのメディアが、まったく逆の報道をしているからだ。ハリーリ側は当然「集
会帰りの青年らが住民を挑発した」と言い、ヒズボッラー側は「ダーヒヤに向かって
いた車両が突然住民から投石を受けた」と言う。

 確実に言えるのは、この時にスンニ派住民とシーア派のデモ参加者の間で、投石合
戦や殴り合いなどの激しい衝突が起き、国軍部隊が出動してようやく鎮圧した、とい
うこと。さらに、その後も別のスンニ派地区数箇所で、そこを通過しようとしたデモ
参加者と住民が同じような衝突を繰り返した。このうち一件では商店などがデモ参加
者の焼き討ちに遭い、別の場所では逆にデモ帰りの青年が狙撃されて死んだ。

 この青年、アハマド・マフムードを狙撃した犯人はわからない。ヒズボッラーのア
ル・マナール・テレビは既に犯人3名を特定し、実名で報道しているばかりか、3人
は「ハリーリ派の民兵」のメンバーだと断定する。これに対しハリーリ派のムスタク
バル・テレビは「ハリーリ派は民兵を持たない。レバノンで民兵を唯一維持している
のがどの組織なのかは誰でも知っている」と痛烈にヒズボッラーを批判。狙撃犯とハ
リーリ派の関係を否定する。事件から4日経ったが、例によって当局は犯人を検挙し
ておらず、真相は謎のままだ。

○ 宗派紛争への序章か?

 当初、野党は100万人規模の巨大デモで威圧すれば、政府は屈服し3分の1閣僚
ポストを譲るだろう、と踏んでいたのかもしれない。とすれば、甘かった。セニオラ
は日に日に態度を硬化させるばかりで、野党の要求を呑む気配はまったく見せていな
い。セニオラを支えるのはレバノン内外から寄せられる強い支持である。

 サウジのアブダッラー国王は首相府に電話を入れて、篭城を続ける閣僚一人ひとり
に激励の言葉をかけた。エジプトのムバラク大統領は野党の街頭行動を強く非難、
「野党を支援する国があるのなら、セニオラ政府への支援が届いてもおかしくない」
と語っている。「イランがヒズボッラーに梃入れしてセニオラ内閣を倒すなら、アラ
ブ諸国の軍事介入もあり得る」とも受け取れる発言だ。フランスのド・ビルパン首相
はセニオラに激励の電話を入れ、アラブ連盟のムーサ事務局長はカイロからセニオラ
に会いに来た。イランの勢力伸張を警戒する諸国は、一様にセニオラと反シリア連合
への支持を表明、セニオラ政権を守り抜くつもりだ。

 国内でも各地で政府支持のデモが組織されている。そのほとんどが北部のトリポリ
市、アッカール、南部のサイダ市、西ベカー地区など、スンニ派地域だ。連日首相府
を訪問して政府への連帯を表明する各地の代表団も、ほとんどがスンニ派地域から
やってくる。

 レバノン国家におけるスンニ派の最高ポストである首相が、シーア派のデモによっ
て更迭されようとしている……スンニ派国民の間に、そんな危機感が広がっているの
だろう。だから「スンニ派の首相を守らねば」、ということになりつつある。

 追い詰められたレバノンの政治家は、常に血族や宗派を最後の拠り所にする。この
ため純粋に政治的な対立であっても、容易に宗派紛争や部族紛争へと転化してしまう。
いったん対立の性格が変質してしまうと、容易なことでは元の構図には戻せない。こ
れがレバノン政治の怖ろしさであろう。

 みんなその怖ろしさを知っている。知っていながらも、ずるずるとそこにはまり込
んで抜け出せなくなっていく。



連載第50回(2006年12月3日配信)

倒閣運動始まる

○ 寿司バーの密談

 イギリスで怪死した元KGBスパイ、アレクサンドル・リトビネンコが毒を盛られ
た(あるいは放射性物質を吹きかけられた)のは寿司バーだったかもしれないらし
い。どうにも気味が悪い。

 と言うのも、私も情報源との接触にはもっぱらベイルートの寿司バーを用いている
からだ。

 1970年代中ごろまで、中東のメディアと金融の拠点だったレバノンには100
0人を超える在留邦人が居たが、内戦でほとんど邦人は居なくなってしまった。

 内戦後に邦人は戻ってきたとはいえ、その数は大体7〜80人程度にとどまってい
る。この数字は外交官とその家族を含むから、現地で長期在留する邦人はほとんど居
ないに等しい。

 しかし、そこは好奇心旺盛で、新しいものにすぐに飛びつくレバノン人気質。ここ
数年は爆発的な寿司ブームで、次々に新しい寿司屋が開店する。レバノン料理やイタ
リア料理などと比べるとかなり割高なのだが、健康食という触れ込みと、お洒落な内
装が受けるのか、どの店もよく流行っている。

 2005年2月のはじめのある日、そんなバーのひとつで寿司をつまんでいた私
は、ハリーリ系メディアの要人から驚くべきことを聞かされた。
「ハリーリ前首相は不服従運動をやるつもりで準備を進めている」
と言うのである。

 当時の政情をざっと概観しよう。

 まずハリーリとは犬猿の仲のエミール・ラフードが前年9月にシリアの強引な介入
で三年間の任期延長を果たし、大統領の座にとどまっていた(なお、この介入を機に
国連は安保理決議第1559号を採択、シリアにレバノンからの撤退を迫ってい
る)。ハリーリは下野していたが、盟友ジュンブラートとともに5月に迫った総選挙
で返り咲きを狙っていた。それだけではない。キリスト教徒反体制派とも公然と接触
を開始していた。スンニ派のハリーリを軸に、ドルーズ派のジュンブラート、キリス
ト教徒らが反シリアで徐々に連携を深めつつあった。

 選挙法制定を担当していたフランジーヤ内相(当時)は、ハリーリの選挙地盤ベイ
ルートで、反ハリーリ傾向の強いアルメニア人とシーア派の居住区をくっつけて一選
挙区に統合するなど、ハリーリ封じ込めに腐心していた。そうでもせねば全国的に反
シリア派が大躍進し、親シリア派を少数派に転落させるのは必至の情勢だった。

 メディア要人は言う。「フランジーヤの改正選挙法案が国会に回されるなら、ハリ
ーリは街頭行動に訴えるつもりだ。そして市民不服従運動をやる」。

 それまで、中東で政権交代が起きるのは独裁者が死んだ時か、軍事クーデターが起
きた場合と決まっていた。反政府の不服従運動や大衆デモというのは、その考え自体
が斬新だった。これより2ヶ月前の2004年12月に、ウクライナの「オレンジ革
命」が起きている。「ハリーリはウクライナの成功に触発された。米仏両国の支援も
取り付けている。街頭行動は成功するはずだ」この要人はそう結んだ。

○ 街頭運動で変革実現

 彼と寿司をつまんでから11日後の2月14日午後1時前。巨大な爆音が轟き、ベ
イルートのハムラ地区にある私のボロアパートは爆風に揺らいだ。「まさか、クレイ
トム宮殿を吹っ飛ばしたんじゃないだろうな」私は半ば冗談のつもりで妻に言った。
クレイトム宮殿はハリーリ一族の豪壮な私邸で、我がアパートからは指呼の間にある。

 テレビをつけると、海岸部のアイン・ムライセで巨大な爆発があったと速報が出
た。ハムラから2キロメートルは離れている。にも関わらずあれだけの爆風が届いた
のだから、凄まじい爆発だったのだろう。

 場所は異なったが、私の直感は外れていなかった。爆発はハリーリを標的に仕掛け
られたものだった。

 こうしてハリーリは死んだ。いや、永遠に葬られた。

 しかしその後、誰も予想だにしなかったことが起きた。ハリーリを讃え惜しむスン
ニ派の青年たちが、「シリアよ、出て行け」「自由、主権、独立」と連呼しながら街
を練り歩き始めたのである。それまでは、「シリア出て行け」と公言するのはキリス
ト教徒に限られていた。どんなにシリアに不満を持つ人であっても、イスラム教徒の
口からこの言葉を聞くことはなかった。

 それが、一夜にして変わってしまったのだ。ハムラ界隈に限らず、ベイルートの各
地で、スンニ派国民はこらえにこらえていたものが吹っ切れたかのように、「シリア
出て行け」と叫び、暗殺現場や殉教者広場に向かって行進し始めた。キリスト教徒地
区からも同じスローガンを叫ぶ人たちがダウンタウンに流れ込み、二つのグループが
交わって大きな人の輪となった。こんな光景が連日続き、事件発生の2週間後、2月
28日にはとうとう親シリアのカラーミ内閣は倒れてしまった。

○ 千両役者登場

 反シリア勢力の熱気に圧され、茫然自失していた親シリア派を蘇生させた千両役者
が、ヒズボッラーのナスラッラー議長だった。それまではラフードと故ハリーリの終
わりなき政争にまったく関与しなかったナスラッラーであるが、2005年3月の政
情はもはやヒズボッラーの拱手傍観を許さなかった。このまま放っておくと、間違い
なくシリア軍はレバノンから撤退し、ラフード大統領は退陣に追い込まれ、徹底的な
反シリア政権が誕生し親米政策をとる。そうなれば、ヒズボッラーも安保理決議第1
559号、すなわち武装解除の履行を迫られる…。

 3月8日、ダウンタウンの殉教者広場に隣接するリヤード・ソルハ広場を、ヒズボ
ッラーやアマル、バアス党など親シリア派の大群集が埋め尽くした。ナスラッラー本
人もこの大集会に出席し、「シリアは我々の兄弟であり味方だ。アメリカに死を!
イスラエルに死を!」と獅子吼した。意気消沈していた親シリア派の士気は否が応に
も高まる。

 反シリア派に対して、ナスラッラーはこうも言っている。「レバノンはウクライナ
ではない」。街頭行動で政権変革を求めても無理だ、親シリア派の同意を得ないま
ま、反シリア派だけで政策を決定・遂行することは許さない、と釘を刺したのである。

○ 野党、街頭行動開始

 それから1年9ヶ月が経過し、レバノンを取り巻く情勢は激変した。イラクにおけ
る米国の敗色は濃厚で、イランやシリアを排除したままの解決は覚束なくなってい
る。力でヒズボッラーを武装解除しようとするイスラエルの冒険は惨憺たる失敗に終
わった。そしてレバノン国内ではイスラエルとの戦争を機に、与党の反シリア連合と
ヒズボッラーの関係はもはや修復不可能の状態にまで悪化した。

 野党の内閣改造要求をめぐり、レバノン政局は完全に行き詰った。11月30日、
いまや野党連合の総指揮官とも言うべきナスラッラーは遂に首都ベイルートにおける
無期限デモ開始を宣言する。かつて「レバノンはウクライナではない」と語り、街頭
行動による政変を否定したナスラッラーが、とうとう街頭行動に訴えることを決めた
瞬間である。

 ナスラッラーの演説が放送されると、ダーヒヤではヒズボッラーの支持者が祝砲を
撃つ銃声が響いた。ダーヒヤでは与党に対する積年の不満が渦巻いていた。司令官の
ゴーサインを今か、今かと待ちわびていたのだ。

 30日夜、ジュマイエル工業相暗殺事件以来、首相府で寝泊りするセニオラ首相が
記者会見を開き、野党の街頭行動を「クーデター」と非難、徹底抗戦する立場を示し
た。土壇場での妥協成立の望みはこれで消えた。セニオラ演説が終わると、今度は与
党の支持者が銃や花火を打ち上げ、ハリーリ父子やセニオラの写真を車に掲げて街を
走り回った。

○ 巨大デモと泊まり込み開始

 翌12月1日、朝からベイルートのダウンタウンには続々と人波が流れ込んでき
た。大集会開始予定の3時までには主要会場となったリヤード・ソルハ広場と殉教者
広場の南半分(ハリーリ廟がある北半分は国軍が鉄条網で封鎖した)を、レバノン国
旗を手にした大群衆が完全に埋め尽くした。それでも足りず、ダウンタウンに隣接す
る橋梁や道路までも参加者で溢れ返った。先月23日に反シリア派が行ったジュマイ
エル葬儀集会の10倍くらいはあったろう。

 さすがに反シリア系メディアも、野党のこの圧倒的な動員力を認めざるを得なかっ
た。そのかわりに、「デモの主力はヒズボッラーであり、アウン派などキリスト教徒
の参加は極めて限定されていた」と強調して報道、アウンを孤立させる戦略をとって
いる。逆に、野党のメディアはシーア派以外の参加者に絞ってインタビューを行うな
ど、デモが超宗派的な国民運動であることを強調する。

 野党はダウンタウンの集会場にテント500張以上を設置。簡易トイレや給水車も
設置して、長期間座り込みを続ける体制を整えた。一方、目と鼻の先の距離にある首
相府にはセニオラ以下10数名の閣僚が寝泊りを続け、事実上の篭城状態だ。

 両者を隔てるのは国軍兵士約2万人。それに加え、ISF要員数千名、さらにヒズ
ボッラーなど野党側が組織する自前の警備グループ数千名が参加者の動きに目を光ら
せ、衝突や暴動などの発生を防ぐ。

 初日の1日は、概ね平和のうちに集会は終わった。それでも、夜更けになって首相
府への出入り口近くにヒズボッラー要員がテントを設置、首相府を事実上封鎖しよう
としたため、セニオラがベッリやサウジの介入を仰ぐ騒動が発生している。座り込み
が長引けば長引くほど緊張が高まり、不測の事態が発生する危険も高まる。

 反シリア連合の支持者は、2日夜の時点では各派指導者の決定に従い、対抗デモな
どを起こすつもりはなさそうだ。むしろ3日に予定どおりベイルート・マラソン大会
を開催するなど、つとめて平常の市民生活を演出し、野党の要求を受け流す構えだ。
しかしまた反シリア派要人の暗殺事件などが起きれば、与党支持者が野党の集会に殴
り込みをかけるようなことになりかねない。

 火種をいっぱい抱え込んだまま、政府と野党の根競べが始まった。



連載第49回(2006年11月28日配信)

葬儀集会の失敗と採決強行

○ 公開情報の重要さ

 テレビや新聞社の記者、あるいは情報収集活動に携わる外交官の中には、やたらと
現場に出て、大物と会って話を聞きたがる人が多い。

 私はジャーナリストを名乗っているが、あまり外は出歩かない。むしろひとり事務
所に篭って、新聞やテレビで公開されている情報をフォローすることに重点を置き、
現場をのぞいたり人と会う機会はそれほど持たない方針で仕事をしている。

 私がこんなスタイルをとるのは、勿論しがないフリーランスならではの制約・・・
人と会ったり現場に駆けつけるには何しろカネがかかるし、組織のバックを持たない
無名のジャーナリストにすすんで会ってくれる要人は少ない・・・のせいであるが、
それだけではない。人から話を聞くときに、こちら側が相手の経歴や、話題に関する
情報を備えていないと、相手の話を十分には消化出来ないし、それどころか情報操作
に引っかかってしまう恐れがあるからだ。それは現場訪問にも言える。知識が無いま
まに現場に行くと、状況を誤解して伝えてしまうことになる。

 例を挙げると、「エルサレムの旧市街でイスラエル兵が(ヘブライ語ではなく)非
常に流暢にアラビア語を喋っていた。軍はよほど語学研修を徹底しているのだろう」
という類だ。イスラエル国民の5人に一人はアラブ人だと言うこと、そしてエルサレ
ムにはドルーズ兵が多く配備されていることを知っていれば、こんな誤解は生じない
はずだ。

 いずれにせよ事前に公開情報を精査し、インタビューならば相手のバックグラウン
ドや話題に関する基礎情報を、現場訪問なら訪問先の地理や歴史に関する情報を十分
にたくわえておいて、初めて取材は生きてくる。

○ 失敗に終わった葬儀集会

 しかし23日に行われたジュマイエル工業相の葬儀とそれに続いて行われた大集会
では、私も敢えて現場に出向いた。そうして正解だった。と言うのも、この集会後、
各派メディアはあまりにも露骨に自派に都合の良いように宣伝放送を繰り広げたから
である。もし自分の目で見ていなければプロパガンダに振り回されるところだった。

 集会の翌日、ハリーリ派のムスタクバル紙はこの集会参加者を100万人と報じて
いる。ウォール・ストリート・ジャーナルは80万人。一方読売新聞は数十万、BB
Cは数万人。大変な数の開きであるが、私はBBCの数字が一番現実に近かったと思
う。

 ハリーリ暗殺事件以降に殉教者広場で行われた巨大デモをいくつか取材したが、い
ずれも広大な広場は立錐の余地がないほどに人で埋まっていた。通勤ピーク時を少し
だけ外した時間帯の山手線、という感じか? まさに鮨詰め状態で、人ごみを掻き分
けて数メートル移動するだけでも大変だった。

 これに比べると、23日の殉教者広場はさしずめ休日午後の近鉄田原本線(超ロー
カルな話ですみません。大和路観光のついでに乗ってみて下さい)。驚いたことに広
大な広場の北端から南端まで、すいすいと歩いて縦断出来た。人ごみに押し返されて
通過に苦労したのは広場中心部のほんの50〜60メートルくらいの距離だけだった。

 ところが事務所に戻ってテレビを見ると、反シリア派のLBCやムスタクバルは、
その半径30メートルくらいの区域に焦点を当てて映像を送っており、それはそれは
ものすごい迫力だ。何十万人の大集会、と言われても…実際にアナウンサーはそうが
なり立てている…信じかねない。対照的にヒズボッラーのマナールTVは意地悪い。
広場のガラ空きとなった部分ばかりを大映しにし、「我々こそが多数派だ。やつら
(野党)は幻想にとらわれている(この集会におけるハリーリ議員の演説より)」の
字幕を重ね、揶揄っている。

 この葬儀にはフランスからは外相が、カイロからはムーサ・アラブ連盟事務局長が
駆けつけている。殺されたジュマイエルがレバノンの一閣僚に過ぎないことを考えれ
ば破格の扱いだ。レバノン情勢に対する国際社会の異例の関心の高さと、セニオラ内
閣への支持がアピールされたから、与党にとって外交的には葬儀は成功だったと言え
よう。しかし集会は失敗だった。反シリア派が威信をかけて大動員をかけたにも関わ
らず、そして絶好の好天に恵まれたにも関わらず、会場には隙間が目立った。自分た
ちこそが依然として国民の多数派を占めるのだ、とアピールすることに、与党は失敗
した。

 反シリア派はなぜ動員に失敗したのか?

 かつてイスラエルと協力したジュマイエル家に対するスンニ派国民の抜き難い反
感、アウン派の不参加など、いろいろな事情が考えられるが、おそらく最も大きいの
はテロへの恐怖だったのではなかろうか。これまでの集会で見られたような、家族連
れや子供連れの参加は少なく、かわってガラの悪く、党派色剥き出しの愚連隊のよう
な青年や少年らの姿が目についた。アウンやナスラッラーに対する罵詈雑言も飛び交
い、夜になってヒズボッラー支持者がダーヒヤ(ベイルート南郊外)街頭に繰り出す
事態を招いている(ナスラッラー本人がマナール・テレビで自制を呼びかけて収拾さ
れた)。

○ ヒズボッラーの警告

 反シリア派が反転攻勢に躓いたことで、野党は自信を取り戻した。

 折からセニオラ内閣は25日の緊急閣議開催を決めた。2月以来辞任していたサバ
ア前内相を復職させ、定足数を満たした上で国際法廷合意文書の公式承認を強行しよ
うとしたのである。セニオラは閣議開催前にまた閣僚が殺されないよう、何と国防相
を除く閣僚全員を首相府に泊まらせるという措置までとっている。

 葬儀の翌日の24日からヒズボッラーとアウンは猛烈な反政府キャンペーンを再開
した。

 野党系メディアはニュースの中でも「セニオラ政府」という表現を用いるのを止
め、かわって「セニオラ違憲政府」、「(実効)統治を続ける与党」などと言う表現
を使い始めた。

 24日にヒズボッラー系教育機関の卒業式で演説したサフィーッディーン政治局長
にいたっては、セニオラ政権のことを「政権簒奪者集団」と断定、レバノンはセニオ
ラ政府の決定には一切拘束されないと語っている。「簒奪者」の語は「強姦者」と同
義で、パレスチナ勢力やヒズボッラーが「パレスチナを簒奪したシオニスト」とイス
ラエルを形容する時などに用いる言葉だ。政敵を批判するのに用いる用語としては、
最も激越な部類に入る。ヒズボッラーはもはやセニオラをイスラエルと同一視し始め
たと言えるだろう。

 それだけではない。サフィーッディーンはこの演説の中で、もっと由々しきことを
言っている。「簒奪者の政権を正統とみなして承認し、支援する各国や国連は、レバ
ノン国内対立の一方の当事者に肩入れして介入するものとみなす」。これは看過出来
ない発言だ。UNIFILに対する攻撃を示唆しているとも受け取れる。

 ここで思い出すのは、1983年にレバノンを舞台に起きた激しい争乱である。平
和維持軍の名でレバノンに展開していた米仏両軍は時のジュマイエル政権を支援、シ
リアの後押しを受けるPSPやアマル、ヒズボッラー(当時はまだ地下組織で設立は
公表されていない)との内戦に巻き込まれる。そしてヒズボッラーによる一連の自爆
特攻作戦で何百人もの兵士を失い、ついに撤退に追い込まれたのである。

 サフィーッディーンはナスラッラーの後継候補として有力視されるヒズボッラーの
重要人物。その人物がセニオラ政権ばかりではなく、政権を支持する諸国に対しても
警告を発した。今の与党と野党の対立は、一歩間違えばイラン・シリア・ヒズボッラ
ー連合と国連や米国との間の全面戦争にも発展しかねないということである。

○ セニオラ内閣、再び採決強行

 24日深夜にはベッリもナスラッラーと合同で声明を発表。2005年12月12
日、アマル・ヒズボッラー両党の閣僚が閣議ボイコットを決めた経緯や、今月11日
に辞任を決めた経緯を縷々説明した。「両党は、国際法廷設置は一貫して支持してい
る。それなのに与党はまるで両党が国際法廷設置を妨害しているかのように情報を操
作している」と、与党の攻撃に反論。その上で「両党が抗議しているのは、シーア派
閣僚の意見を聞こうともせず、多数派の論理を押し付けようとするセニオラ内閣の姿
勢に対してである」とし、あらためて3分の1閣僚ポストを野党に譲る様セニオラに
迫った。そしてセニオラがシーア派閣僚不在のまま25日の閣議開催と合意文書最終
承認に踏み切った場合、あらゆる合法的手段で抵抗する姿勢をあらためて示した。

 セニオラは間髪をおかず、両党が国際法廷支持を公表したことを歓迎。両派の閣僚
が職務に復帰し、合意文書の審議に参加するのであれば閣議開催を数日遅らせても良
い、と発表した。しかし、両党閣僚辞任の公式の理由、つまり「3分の1ポスト」問
題では譲歩していない。ヒズボッラーとアマルはセニオラ提案を「頑迷で対話の可能
性を閉ざしたのは野党の側だ、とアピールするためのポーズ」と受け止めた。

 25日は閣議開催の午後5時を超え、6時過ぎまで与党と野党の間でぎりぎりの折
衝が続いたが、双方とも頑として要求を譲らず、結局閣議はシーア派閣僚不在のまま
開かれ、全員一致で国際法廷合意文書を採択した。

 文書が今後、正式にレバノン政府総体としての承認を得、国連との間での協定調印
を実現するには、ラフード大統領の署名と国会承認が必要だが、ラフードもベッリも
「セニオラ内閣はもはや違憲であり、従って内閣の決定も無効である」と宣言してい
る。大統領と国会議長の両方を敵に回した反シリア連合の行き先には茨の道が待ち構
えている。

 国際法廷の行方を心配する以前に、内閣の将来の方を心配すべきかもしれない。ジ
ュマイエルの一週忌が明ける27日以降に、野党は街頭で倒閣運動を始めるであろ
う。セニオラ内閣は果たしてこの挑戦を乗り切れるのか? 乗り切れなかった場合、
国際法廷の行方はどうなるのか? ますます今後の展開が読みにくくなってきた。



連載第48回(2006年11月23日配信)

白昼の閣僚暗殺劇

○ ジュマイエル工業相暗殺

 ベイルートの東郊外にあるキリスト教徒地区ジュデイデで、銀色のKIAのセダン
がこっそりと発車した。

 時は11月21日午後3時半、レバノン建国記念日の前日にあたる。さらに一日前
の20日夜にニューヨークでは国連安保理が開催され、ハリーリ前首相暗殺事件の国
際法廷合意文書を審議している。ラフード大統領の反対を受けて、ロシアと、アラブ
連盟を代表して出席するカタルが承認を保留、結論は21日夜に持ち越された。レバ
ノンの反シリア勢力が「安保理が国際法廷設置承認」という朗報を待ちわびる中、凶
行は起きた。

 レバノンでも政治家が乗る車と言えば、たいてい黒塗りで図体が大きく、威圧的な
ベンツかボルボあたりと相場が決まっている。KIAは大衆車の中でも飛びぬけて低
価格で、体面にこだわる政治家はまず乗らない。ましてやキリスト教徒の名門政党、
カターイブ所属議員にしてセニオラ内閣で工業相を努める34歳のピエール・ジュマ
イエルがみずから運転しているとは誰も思わなかっただろう。助手席にはボディガー
ド、後部座席にも国軍所属の護衛が武装して乗り込んでいる。しかしナンバー・プレ
ートも一般車両のそれで、国会議員や閣僚の公用車ではない。そう、ジュマイエルは
「庶民」を偽装していたのだ。

 今月11日から13日にかけて、ヒズボッラー、アマルなど親シリア派閣僚6名が
相次いで辞任し、セニオラ内閣は崩壊の危機に瀕していた。憲法の規定では閣僚の3
分の1が不在になったらその内閣は倒れたものとみなされる。セニオラ内閣の閣僚数
は元来、24ポストだった。そのうちサバア内相が2月のデンマーク大使館焼き討ち
事件で引責辞任している(ただし辞表は受理されていない)から、現在の欠員は7
名。あと一人欠員となると内閣は倒れ、国際法廷に関する審議も出来なくなる。「国
際法廷阻止のため、シリアは閣僚暗殺を図るのでは」という情報がかけめぐってい
た。ジュマイエルが「庶民」を偽装したのは、暗殺作戦の標的となるのを避けるため
だった。

 しかし、刺客は周到かつ大胆だった。ジュマイエルのKIAが発進すると、黒いホ
ンダが後続した。ジュマイエルは追跡に気づきアクセルを踏み込んだが遅かった。ホ
ンダは急速度でKIAを追い越すとそこで急停車、車体をKIAにぶつけた。前部が
ひとたまりもなく破損し動かなくなってしまったKIAに、ホンダの後部座席からサ
イレンサー(消音装置)の付いた銃を持った男が近寄り、無言のまま20数発の銃弾
を浴びせた。男は近くに待機させてあった別の車に乗り込み、悠々と逃走した。ジュ
マイエルはほぼ即死状態で、助手席のボディガードも数時間後に病院で息を引き取っ
た(なお、22日夜現在までに捜査当局は犯行の経過を公式発表しておらず、メディ
アによって犯行の描写は違っている。この描写はサフィール紙を参考にしたものであ
る)。

○ ジュマイエル一族

 大都会の真ん中で、しかも衆人環視の中起きたマフィア映画さながらの閣僚処刑劇
はレバノン世論を震撼させた。カターイブの支持者は激昂し、ダウンタウンの殉教者
広場近くにある党本部や、ジュマイエルの遺体が運ばれた病院の周囲でタイヤを燃や
すなど騒然とした雰囲気になった。血気にはやる青年たちは大統領府に殴り込みをか
けよう、とさえ叫んだが、故人の父で元大統領のアミーン・ジュマイエルに制止され
た。

 ジュマイエル家の出自はベイルート北東方のマトン山岳地帯の村、ビクファイヤで
ある。アミーンの父、ピエールはレバノン建国以前にカターイブ党を結成し、194
3年の独立時、1958年、1975年の内戦で大きな役割を果たした。ピエールの
長男がアミーンで、次男はこれまで何度か言及したバシールLF前司令官である。バ
シールは1982年に大統領に選出された後、おそらくはシリアの手で爆殺された。

 バシールの死後、アミーンが1988年まで後継大統領をつとめたが、カターイブ
は内部分裂を繰り返し、現在ではFPM、LFの二大政党におされ、キリスト教徒の
中心勢力という地位は過去のものとなった。

 しかし、アミーンの長男ピエール(祖父と同名)は歯に衣着せぬ率直な反シリア言
動により、若く戦闘的なキリスト教徒の間で人気を博していた。暗殺者の意図が、レ
バノンを内戦の泥沼に引きずり込むことにあったとすれば、ピエールは格好の標的
だったと言える。

 アミーン・ジュマイエルは大統領時代にはイスラエルとの間で条約を結んでいる
(当時親シリアの民兵指導者だったジュンブラートやベッリの蜂起により、結局この
条約は破棄した)。また先日辞任したラムズフェルド前米国国務長官とも親交が深
い。このため政敵は彼に極右のレッテルを貼るが、最愛の長男の死に直面してアミー
ンが見せた振る舞いは元大統領の名に恥じぬ立派なものだった。報復を叫ぶ支持者に
向かい、アミーンは手をあわせんばかりにして、「聞いてくれ、頼むから聞いてく
れ」と呼びかけた。「内戦に引きずり込まれてはならない。ピエールは祖国のために
死んだ。どうかピエールの死を汚さないでくれ。報復してはならない。今夜はただ
祈ってくれ、ピエールと祖国のために」。

 1982年9月、バシールが殺された2日後には、カターイブ(当時はLFと一体
だった)の民兵は復讐として悪名高いサブラ・シャティーラ虐殺事件を引き起こして
いる。21日にアミーンの献身的な呼びかけがなければ、レバノンは一気に内戦へと
なだれ込んでいたかもしれない。

○ 野党、出鼻を挫かれる

 反シリア連合の総帥で、影の首相とも言うべきサアド・ハリーリ議員はその時、ベ
イルートの私邸「クレイトム宮殿」で記者会見を開き、国際法廷設置の重要さを論じ
ていた。

 壇上のハリーリのもとにメモが差し出された。それを一瞥したハリーリの目つきが
一変する。「今入った報せだ…ジュマイエル工業相が撃たれ…殉教した。会見は終わ
りだ」そう言うなり、ハリーリは立ち上がり側近に両脇を支えられながら控え室に向
かった。

 かと思うと、数分後にはホールに再び現れ、明らかにぶち切れた様子で、シリアを
非難した。この後、CNNのインタビューでもハリーリはジュマイエル暗殺にはシリ
アが絡んでいると断定している。

 ハリーリだけではない。自制を呼びかけたアミーン・ジュマイエルを除き、ほとん
どの反シリア政治家はシリアの犯行と断定する声明を次々に出している。ジャアジャ
アLF議長はラフード大統領の即時辞任を求めた。

 21日深夜にはカターイブ本部に反シリア連合首脳が集まり、暗殺事件後の対策を
協議する。そしてジュマイエルの葬儀を22日ではなく23日に順延すると決めた。
少しでも多くの国民が参加出来る様、準備の時間を設けたのだ。カターイブは無論、
ハリーリ派、LF、PSPなど反シリア連合の諸勢力は、猛然と活動家や支持者に動
員をかけ始めた。

 葬儀は殉教者広場に程近い教会で行われる。それに合わせて2月14日(ハリーリ
元首相の命日)以来の巨大集会を開催し、全世界に向かって、そしてヒズボッラーや
アウン派など野党に向かい、「レバノン国民の多数派は国際法廷を支持している。シ
リアは裁かれねばならない」と声をあげるつもりなのだ。

 シリアに父を殺された(ことを疑わぬ)ハリーリとジュンブラート。弟と長男を殺
されたジュマイエル。シリアの手で11年間地下牢に閉じ込められたジャアジャア。
反シリア連合首脳は、シリアと戦い続ける決心を再確認した。

 ジュマイエル暗殺事件で割をくったのは、倒閣のための街頭行動に踏み切る寸前
だった野党の側だ。ヒズボッラーそしてラフード大統領など親シリア勢力とアウン派
は一様に暗殺を非難する声明を出している。しかし「暗殺の背後にはシリアが居る」
と考える反シリア派は、ラフードやヒズボッラーが本当にシロかどうか疑念を深めて
いる。野党がいま倒閣行動を起こすと「やはり野党の真の狙いは国際法廷を妨害し、
シリアを守ることなのだ」という与党=反シリア派の主張を証明するような格好に
なってしまう。

 それを避けるには当面ジュマイエルの喪に伏し、目立った行動を控えるしかない。
もし本当に暗殺はシリアの犯行で、ヒズボッラーはシロだとすれば、ヒズボッラーの
首脳は「シリアが余計なことをしてくれた」と歯噛みしているのではなかろうか。

 いずれにせよ、ここまで街頭行動というカードをちらつかせながら与党を少しずつ
追い詰めてきた野党は、いったん受身に回らざるを得なくなった。

○ 「アサド政権の棺の釘」?

 セニオラ内閣と与党への追い風はニューヨークからも吹いてきた。セッション2日
目にロシア、カタル両国は保留を取り下げ、安保理は国際法廷設置を承認、レバノン
政府との合意調印をアナン事務総長に委任したのである。

 今後、レバノン国会が合意文書を3分の2の議員の支持で承認すれば、ラフード大
統領がセニオラ首相と連名で署名、合意は公式にレバノン政府の承認を得たことにな
る。ベッリ国会議長あるいはラフード大統領の反対により、このプロセスが完了しな
い場合は、安保理は新たな決議を採択、レバノン政府が関与しない純然たる「国際法
廷」を設置すると予想される。いずれにせよ、ハリーリ前首相暗殺事件の容疑者が法
の前で裁きを受けることは、ほぼ確実な情勢となった。

 22日に本拠地ムクターラで記者会見を開いたジュンブラートPSP党首は、「国
際法廷妨害のために今後もシリアはセニオラ内閣閣僚の暗殺を図るだろう。しかし何
人殺されても、レバノン人は屈しない。暗殺はアサド政権の棺に打ち付ける釘になる
だけだ」と語っている。国際法廷設置に向けた動きが軌道に乗った以上、必ずやアサ
ド政権の中枢にメスが入り、政権崩壊につながるという観測である。

 しかし、イラク情勢もパレスチナ情勢も日に日に混迷を深め、どちらの国でも米国
がシリアの協力を仰がざるを得ない状況に陥るかもしれない。その際、あくまでも米
国はシリアを断罪する道を追及するのだろうか? それとも、1990年にそうした
ように、イラクにおけるシリアの協力と引き換えに、レバノン問題ではシリアに譲歩
するということにはならないのであろうか?



連載第47回(2006年11月21日配信)

言葉の力

○ 個性的な政治家たちと言葉

 この連載がきっかけでレバノン情勢に興味を持ったという人が、「レバノン政治は
まるで群雄割拠の三国志のようだ」と書いておられるのをネットで見かけた。

 そう言えばなるほど、三国志に似ている。まず、登場人物の多さ、そして多彩さ。
軍人あがりの政治家(ラフード大統領、アウンFPM党首)は権威主義的で、いつも
周りを怒鳴り散らす。内戦で台頭した軍閥あがり(ジュンブラートPSP党首、ジャ
アジャアLF党首、ベッリ・アマル党首)は狡猾に立ち回り、ゼネコンの総帥にして
ホワイトハウスからエリゼー宮まで自由に出入りする華麗な、しかし経験不足の大富
豪政治家(ハリーリ)を支え、揺さぶる。これに対するは強国イスラエルさえも脅か
す僧形のカリスマ的ゲリラ指導者(ナスラッラー)…と、みんなそれぞれに個性的
で、「キャラが立っている」。

 三国志には「桃園の義を結ぶ」、「泣いて馬謖を斬る」、「死せる孔明、生ける仲
達を走らしむ」話など、印象的なエピソードや言葉がいっぱい出てくるが、レバノン
政界で個性的なプレーヤーたちが吐き出す言葉もまた面白い。政局を喩える当意即妙
の名セリフがぽんぽんと飛び出してくる。レバノン情勢を眺める醍醐味のひとつは、
こう言ったセリフや比喩を味わうところにある。

○ 再び「洗濯物を外で干す」レバノン

 連載第14回で「洗濯物を他所で干す」という言い回しを紹介したのをご記憶であ
ろうか? その時はアラブ連盟の晴れ舞台で、ラフード大統領とセニオラ首相が「レ
バノンを代表するのはこの私だ」「いや、私だって政府を代表している」と押し問答
してアラブ各国首脳の失笑を買った一件を扱った。

 今月13、14日にかけて、レバノンのこの洗濯物陳列劇がまたしても繰り返され
た。今度の舞台はよりによって厳粛な国連安保理だから、しゃれにもならない。

 ことの起こりはセニオラ内閣が13日に緊急閣議開催を強行し、ハリーリ元首相暗
殺事件の国際法廷設置に関わる合意文書を承認してしまったことにある。

 前回報告したように、この2日前にヒズボッラーとアマルは反シリア連合が所定の
手続きを無視して国際法廷合意文書の承認を急ぐことに反発、5閣僚を辞任させた。
さらに13日にはラフード大統領派のサッラーフ環境相も辞任している。

 ラフードは、シーア派閣僚を欠いたセニオラ内閣は「宗派間の共存」をうたったタ
ーイフ合意の精神に違反しており、もはや正統性を欠く、今後の閣議も、閣議決定も
無効である、とセニオラに通達した。しかしセニオラは閣議開催を強行、合意文書を
承認してアナン国連事務総長に送付してしまった。

 そこでラフードはどうしたか?

 アナンに書簡を送ったのである。「合意文書承認には大統領である自分の承認が必
要な筈。セニオラ内閣が送った合意文書は違憲であり無効である」と。大統領と首相
を夫婦に喩えるならば、妻が契約書にサインして送ってきた翌日、夫が「妻にはそん
な権限はない」と契約取り消しを求めてきたようなものだ。

 一国の首相と大統領から相反する内容の書類が同時に届く…おそらく、国連始まっ
て以来の椿事であろう。このあたりぜひ春さんに教えていただきたいところだが、こ
う言うケースに国連はいったいどう対応すればよいのであろうか?

 なるほど、安保理決議第1559号(注:2004年9月、シリアがレバノン大統
領選挙に介入、憲法を改正させラフードの任期延長を強行した際、米仏両国が主導し
て採択された決議。公正な大統領選挙の実施を求めている。ラフードの政敵、故ハリ
ーリ首相が採択の舞台裏で暗躍したとされる)に違反して任期延長を果たしたラフー
ドの正統性にはクエッション・マークがつく。欧米諸国は軒並みラフードをボイコッ
トし、国家元首として遇していない。

 しかし国連加盟国の中でも、シリアは勿論のこと、イラン、ベネズエラ、キューバ
などの反米諸国はラフードを正統な国家元首とみなすし、国連総会でもレバノン代表
として演説している。つまり国連としてラフードの正統性を否定しているわけではな
いのだ。そのラフードから待ったがかかった場合、安保理は黙殺出来るものであろう
か?

 安保理は20日から合意文書を審議することになっている。ロシアなどはラフード
が提起するレバノン憲法との整合性の問題を持ち出すとみられており、採択までにひ
と悶着あるかもしれない。

○ 「修復より建替えがまし」

 さて、当初は円卓会議の決裂と同時に始まるかとみられていた野党の反政府街頭行
動であるが、19日現在になってもまだ始まっていない。

 会議決裂直後の13、14日あたりに動きがなかった理由はふたつ。ひとつは折か
らの悪天だ。もうひとつはテヘランに外遊していたベッリの不在である。今やベッリ
はナスラッラー、アウンと並ぶ野党の領袖だから、ベッリ不在の中では行動を起こし
にくいということだろう。

 一方の反シリア派や、調停工作に奔走するサウジやエジプトなどの外交団にとって
も、各派に幅広いパイプを持つベッリはやはりキー・パースンだ。15日夜にベッリ
が戻るや否や、国会議長公邸のアイン・ティーニには連日各派の政治家や各国大使が
訪れ、政府と野党の間の対話再開に向けた様々な提案を持ち込んだ。19日までに野
党側が閣僚辞任に続く次の動きを見せていないのは、おそらくこの調停努力を無碍に
撥ね付けることが出来ないせいであろう。

 アナン事務総長がイランのアハマディネジャード、シリアのアサド大統領に電話し
てレバノン情勢鎮静化への協力を要請したり、駐レバノンのサウジ大使が直接イラン
大使とかけあうなど、調停努力は国際的な広がりを見せている。

 レバノンのシーア派聖職者の中からも、街頭行動が与党、野党双方のデモ隊同士
の、あるいはデモ隊と警察部隊の衝突など、流血の事態を招くのでは、という懸念の
声が上がり始めた。ヒズボッラーはベッリだけではなく、イランやシーア派聖職者か
らもストップをかけられ、なかなか街頭行動に踏み切れないのかもしれない。

 セニオラ首相がベッリに持ちかけた提案は、閣僚数を現在の24から30に拡大、その
うち19を与党(反シリア派)、9を野党(ヒズボッラー、アマル、アウンなど)に
割り当て、残り2ポストは「ジャマーア・イスラミーヤ」など野党、与党双方と関係
良好な中立勢力に与える、というものだったらしい。しかし円卓会議決裂で面子を潰
されたベッリは、野党の「3分の1」ポスト要求さえ満たさない提案に今さら乗るつ
もりはない模様だ。

 ベッリはサウジのハウジャ大使に対しても「修復するよりは建て直した方がましだ
と思う」と、もはや単なる内閣改造ではなく、総選挙や新内閣組閣などの抜本的改革
を支持する立場を示している。

 ハウジャだけでなく、米国のフェルトマン大使、エジプトのダッラール大使らが連
日ベッリを訪れた後、記者団に向かってベッリを「真の愛国者」、「有能な調停者」
と持ち上げる発言を行っている。ベッリをおだてて何とかもう一度、調停者としてや
り直す気になるよう仕向けたいらしい。ダッラールにいたっては「ベッリ閣下は、離
婚後、離婚当事者のことよりも残された子供たちのことを第一に考えておられる」つ
まり、ベッリはアマル党首として党益を考えるのではなく、国会議長の立場から国民
の利益を最優先している、素晴らしい愛国者ではないか、と持ち上げている。

○ ナスラッラーの「非暴力」宣言

 しかし、現在の小康状態が一体いつまで続くかはわからない。

 18日にアウンは支持者たちに向かって「シーア派閣僚が辞任した今、セニオラ内
閣はもはや合法的な政府とは言えない。セニオラ内閣は辞任を強いられる前にみずか
ら退陣すべきだ」と促している。同じ日にナスラッラーもヒズボッラー党員を前にし
た演説でセニオラ政府のことを「米国の傀儡。セニオラ政府と言うよりは(米国大使
の)フェルトマン政府」と断罪し、
「挙国一致内閣を受け入れるか、あるいは総選挙前倒しに同意するか。どちらにも応
じないならば街頭行動で政府を倒す」
 と宣言し、対決姿勢を一層エスカレートさせている(この演説は翌19日、アル・
マナール以下ほとんどのレバノンのテレビ局で中継放送された)。

 この演説でもナスラッラーの弁舌は冴えわたった。

 例えば、演説の冒頭、ナスラッラーは「ヒズボッラーは国家内国家をつくってい
る」、「ヒズボッラーはターイフ合意を潰すつもりだ」、といった与党のヒズボッラ
ー非難に対して逐一反駁しているが、「ヒズボッラーの反政府姿勢はイラン核問題と
連動している」という非難に対しては「馬鹿馬鹿しさの極みだ。そのうち、ヒズボッ
ラーがセニオラ政府に反対するのはオゾン層破壊が原因だ、と言い出すに違いない」
と一蹴している。

 圧巻は、街頭行動はあくまでも非暴力で、と訴えたくだりである。「政府は我々の
平和的なデモの中に、工作員を送りこんで煽動するかもしれない。煽動に乗せられて
はならない。煽動する者が居たらスパイだと思って抑えつけなさい。もし政府支持の
デモ隊や警官隊に殴られても、いや、殺された場合ですら、殴り返してはならない。
自制して、我々が民主的・平和的・文明的な抗議行動を行っているのだと知らしめな
さい。自制するのは勇気が要ることだ。そしてこれこそが本当の勇気なのだ」まる
で、キリストかガンジーばりの非暴力主義である。

「ヒズボッラーはテロリスト」と思っている人からみれば、ナスラッラーが非暴力を
訴えると言うのはまるで世界一の核大国米国が核廃絶を訴えるみたいなものに映るか
もしれない。しかし、「自分たちが武装を続けるのはあくまでもイスラエルの侵略と
戦うため。どんなことがあっても同胞に対して銃を向けることはしない」というヒズ
ボッラーの宣伝のためには、ナスラッラーのこの言葉ほど有効な手段は他にあるま
い。

 与党、野党問わず、各派指導者のレトリックが日に日に好戦的になり、国民の不安
が増幅する中、ナスラッラーはあえて「非暴力宣言」をし、メディアを通じて全国民
に非暴力のメッセージを送った。まことに計算されつくされた政治的発言と言わねば
ならない。



連載第46回(2006年11月13日配信)

会議決裂、全面対決へ

○11月11日、午前11時

 1943年11月。

 フランス委任統治政府は、ビシャーラ・フーリー(初代大統領、マロン派)、リヤ
ード・ソルハ(初代首相、スンニ派)らレバノン独立派の政治家を一斉検挙し、南東
部の山岳地帯ラシャイヤにある城砦に監禁した。この事件はそれまでフランス寄りで
あったキリスト教徒社会を一挙に反仏・独立派に変えた。11月11日午前11時に、
独立派のレバノン人はベイルートで街頭行動を開始、レバノンはついに独立を達成し
た。11月11日午前11時は、宗派を超えたレバノン国民団結の時刻として記憶さ
れることになった。

 それから実に63年の歳月を経た2006年11月11日午前11時。

 国会議事堂ビル3階の特別会議室に、主要政治勢力の首脳14名が集まり円卓会議
を開催した。6日の第一回以来、4回目となるセッションである。

 首脳たちはたびたび声を荒げ、切り口上と捨て台詞を連発、会議は何度も中断した。
開会からわずか2時間……何度も中断されているから、実質的な協議時間は1時間に
も満たないだろう……で、会議は完全に行き詰った。司会役のベッリ国会議長(アマ
ル党首)は慣例を破り、記者会見を行わぬまま閉会を宣言、外遊先のテヘランに向
かった。

 ベッリがまだ機上にあった午後7時、ヒズボッラーとアマルは合同で声明を発表し、
両派所属の5閣僚の辞任を発表した。皮肉なことに2006年11月11日午前11
時は63年前とは正反対に、レバノン国民分裂の象徴となってしまった。

○「運命の1週間」の経過

 6日に始まった円卓会議は大方の予想どおり、波乱含みで展開した。

 会議には暗殺のリスクが最も高いヒズボッラーのナスラッラー議長を除く13首脳
全員が参加した。ナスラッラーはヒズボッラー所属国会会派の長老、ムハンマド・ラ
アド議員を代理出席させ、交渉にあたらせている。

 6日の第一セッションでは、反シリア連合とアウン派、それにヒズボッラーの各出
席者が、それぞれ自派の立場と要求を開陳した。いわばジャブの応酬のようなもので、
それほど険悪な雰囲気にはならなかった。

 しかし翌7日の第二セッションで具体的な交渉に入ると、会議はたちまち暗礁に乗
り上げた。ヒズボッラーやアウンの側は、今や自分たちの側こそが国民の多数派だと
確信している。にも関わらず、3分の1ポストしか要求せず、セニオラ首相の続投も
承認しているのだから、これ以上の譲歩は出来ない、と主張する。「3分の1」は最
低限の要求なのだ。

 一見リーズナブルな提案であるが、反シリア連合側にとっては「3分の1」は死活
問題だ。早い話、憲法上、閣僚の3人に1人が辞任してしまえば、政府は潰れるので
ある。つまり今後、国際法廷問題や第3回パリ会議(レバノン経済支援国会議。故ハ
リーリ首相の親友シラク仏大統領のイニシャティブで過去2回開催されている。第3
回目は2006年1月開催の予定)、大統領選挙問題などで、アウンとシーア派は意
に叶わないことが起きると、いつでも政府を潰し内閣改造あるいは総選挙に持ち込め
るわけだ。野党に「3分の1」を与えることはセニオラ内閣にとって自殺行為にも等
しい。

 買い手の最安希望小売価格が、売り手が出せる最高値を上回っていると、商売は成
立しない。「3分の1」問題はどれだけ議論しても打開の道が見えなかった。

 前回予想したように、反シリア連合はアウン派から4閣僚入閣という条件は早々と
認め、アウンとヒズボッラーの切り離しを図った。だが抜本的な改革を求める両者は
しっかりと足並みを揃えており、なかなか各個撃破が出来ない。

 ベッリは7日のセッションの後、協議期間と称して8日を休会にし、9日に第三
セッションを召集する。だがこのセッションでも進展らしい進展はなく、ベッリは再
び48時間会議を延期、11日午前11時に第四セッションを設定した。

 ベッリはこの後、テヘランで開催されるアジア諸国議会連盟の総会に出席するため、
イランに向かうことが決まっていた。このため、少なくともベッリが戻る15日まで、
会議は決裂せず休会状態のまま続く、という見方が支配的になった。ヒズボッラーも
「(当初の期限として設定した)13日からすぐさま街頭行動をやるつもりはない」
と交渉継続の意志をうかがわせるコメントを出した。

 劇的な進展への期待は低かったものの、「反シリア連合の最大の懸念は国際法廷設
置を妨害される恐れなのだから、法廷設置を妨害しないという保証がヒズボッラーと
アウン派から得られるのであれば、3分の1ポストを譲るのでは」という楽観的な見
方がいったん広まった。

○国際法廷合意文書

 しかし、10日に国連がハリーリ暗殺事件の国際法廷設置に関する合意文書を公式
にレバノン政府に手渡したことで、状況は一転する(なお、レバノン法やレバノン人
判事も関わることから、正式には「国際法廷」ではなく「国際的性格を帯びた法廷」
という用語が使われている。しかし煩雑になるので「国際法廷」と略式表示する)。
合意文書をレバノン政府と国会が承認すれば、いよいよ国際法廷が設置され、今後
ブランメルツ捜査団が起訴する容疑者たちが裁かれることになる。

 この文書の原案は、すでにラフード大統領から事実上、拒絶されている。反シリア
連合はハリーリ暗殺事件をシリアとラフードによる犯行と確信しているから、ラフー
ドの反対を「シリアと己を守るための妨害工作」と見て、強行突破する構えだ。セニ
オラ首相は13日に緊急閣議を開催して、合意文書を審議することを決めた。ラフー
ドは大統領の反対を無視して緊急閣議を開催するのは違憲行為と主張、政府と正面か
ら対立する。

 11日の円卓会議第四セッションでは、この問題に「3分の1ポスト」問題が交錯
した。サアド・ハリーリ議員(ハリーリ元首相の遺児)は、ヒズボッラーのラアド議
員に「(過去の円卓会議で)あなた方は国際法廷設置の原則に同意したはずなのに、
今になって『詳細の議論が必要だ』と言う。それにこれまでに会議が決定した事項も
何ひとつ履行されていない。3分の1ポストを与えたら、あなたたちが政府を内側か
ら潰してしまわないという保証がどこにあるのか?」と詰め寄った。

 ラアドの側も「あなたが『レジスタンス(ヒズボッラー・ゲリラ)を支持する』と
今後2ヶ月間言い続けたところで信用するわけにはいかない」、とハリーリへの不信
をむき出しにする。ヒズボッラーは、第五次レバノン戦争勃発当初にハリーリが「無
責任な冒険主義」とヒズボッラーのイスラエル兵士拉致作戦を批判したことを決して
忘れていないし、許しもしない。それどころか、裏ではハリーリは米仏両国とつるん
で、イスラエルがヒズボッラーを殲滅するのを勧めていた、とさえ疑っている。だか
らこそヒズボッラーは拒否権を発動出来る3分の1ポストを確保したいのだ。ハリー
リ派とヒズボッラーの間を隔てる深い相互不信は、1週間の会議を経てもまったく埋
まらなかった。

 こうして第四セッションも結論が出ないまま時間切れとなった。ハリーリは国会議
事堂から至近の距離にある亡父の廟所に詣で、国際法廷設置合意文書を捧げた。亡父
ラフィークを殺した犯人は必ず突き止め、裁きを受けさせる。国際法廷問題を決して
政治的取引の材料にしたりはしない、というゼスチュアだったのかもしれない。

○シーア派閣僚辞任

 ベッリの方はいったん国会議長公邸に戻り、アマル幹部やヒズボッラー首脳と協議。
イランに向かう前に、両党所属の閣僚を辞任させることを決定する。

 反シリア派の大物議員、ジュブラーン・トウェイニが昨年12月12日に暗殺され
た時、セニオラ内閣は緊急閣議を招集、国連に対し国際法廷設置を要請することを決
議した。ヒズボッラーとアマルは「その問題は数日後の定例閣議で審議する筈ではな
かったか?」と、反シリア連合が両党に諮問せず一方的にこの問題を決めたことに反
発、その後7週間にわたり閣議をボイコットした。

 今回も、ベッリはセニオラが自分の意向を無視し、緊急閣議で性急に国際法廷設置
を決めようとしたことにいたく立腹し、閣僚辞任に踏み切った。いきなり街頭行動に
訴えるよりは、治安状況への悪影響も少ないという判断もあろう。

 しかし反シリア連合は、ヒズボッラーとベッリはやはりラフードと組んで、国際法
廷設置を妨害するつもりなのだと判断した。12日夜、ハリーリの私邸「クレイトム
宮殿」に集まった反シリア連合政治家たちは、「12月12日と、11月11日、2
度までも国際法廷問題をめぐってヒズボッラーとアマルが閣僚を引き上げた。もはや
その意図はシリアとイランのために国際法廷設置を妨害することにあるのは明らかだ」
と、激越な両党弾劾の声明を発表。両党の閣僚辞任を「クーデター」と位置づけ、体
制維持のための戦いの開始を宣言した。

 ヒズボッラーやラフードだけでなく、反シリア連合はこれでベッリをも敵に回した
ことになる。もし「戦い」に敗れても、もはや退路は絶たれてしまった。

 同じ12日に、ラフード大統領はセニオラに書簡を送り、シーア派閣僚を欠いたセ
ニオラ内閣はもはや憲法上の正統性を失った、今後の閣議も閣議決定も無効であると
通知している。しかしセニオラは全面対決を選んだ反シリア連合の路線に沿って、1
3日の緊急閣議開催を強行する構えだ。

 いよいよ待ったなしの状況になった。



連載第45回(2006年11月8日配信)

運命の1週間

○揺れる中東
 
 前回のレポートの後、中東は大変なことになっている。

 パレスチナでは11月1日からイスラエル軍がガザ北部のベイト・ハヌーンやベイ
ト・ラヒヤなどの村に、重装歩兵部隊と装甲車両、戦車、空軍機を投入して大規模な
攻撃を開始した。カッサーム・ミサイルによる攻撃の根絶が目的というが、ライフル
銃と手榴弾程度の貧弱な装備しか持たないゲリラを相手にするにしては、随分ともの
ものしい。

 第五次レバノン戦争で失態を演じたイスラエル軍は、威信を回復するためにもどこ
かで派手な軍事作戦をやって大きな成果を内外に誇示したいところだろう。そのター
ゲットとしてガザ以上にふさわしいところは他に見当たらない。イランやシリアに手
を出すと弾道ミサイルが飛んでくるかもしれないし、レバノンでも、今下手に動けば
UNIFILとの衝突になって全世界を敵に回しかねない。

 その点ガザなら心配ない。際限のないハマースとファタハの内輪揉めに世界は愛想
を尽かしており、少々の荒療治をやっても国際世論の袋叩きを受けるような心配はな
い。反撃されるリスクと言えば精度が低く、搭載出来る爆薬の量もたかが知れている
自家製カッサーム・ミサイルによる攻撃か、散発的な自爆テロくらいだ。

 1日からのイスラエル軍のガザ北部攻撃による死者は6日までに既に50人を超え
ている。レバノンのケースほどひどくは無いにせよ、今回も婦女子や学童など、何人
もの非戦闘員が巻き添えになって命を落としている。

 イラクではサッダーム・フセイン元大統領が逮捕された時、さらには悪名高いアブ
・ムスアブ・ザルカーウィがこの春に殺害された時に、「これでゲリラの抵抗は終息
に向かう」という希望的観測が流れたが、全然そうはなっていない。むしろ、先月の
米軍兵士の戦死者数は100人を越え、占領開始以来最悪となるなど、混乱は深まる
ばかりだ。

 5日にはサッダーム・フセインが初めての死刑判決を受けたが、それがイラクの混
乱と流血の収拾につながる見込みは薄い。アラブの独裁者が暗殺や病死、或いはクー
デターではなく、自国民に裁かれ、処刑されるというのはなるほど目新しい事態かも
しれない。しかしフセインは既に過去の人だし、彼がいくつもの死刑判決を受けるの
もわかりきっていた事態だ。マスコミが今更大騒ぎするのがどうも腑に落ちない。

○内戦のインフラ

 すっかりパレスチナとイラクの蔭に隠れてしまった感のあるレバノン情勢だが、ど
うして、こちらもいよいよ危ない段階に差しかかってきた。

 ベイルートの私の家から道路を2本、ブロックをひとつ超えるとクレイトム地区に
入る。ハリーリ家の豪勢な私邸(通称「クレイトム宮殿」)がそこにある。ラフィー
ク・ハリーリ元首相が暗殺されるまで、宮殿の周囲の雰囲気はのんびりとしたもので、
私たち夫婦もよく子連れで近くを散歩した。

 暗殺事件の後、宮殿の脇を走る道路に少しずつバリケードやコンクリのブロックが
置かれ、一般車両の通行が禁じられた。民間警備会社のスタッフだけではなく、内務
治安部隊(ISF)の要員も詰めて警備にあたるようになった。爆弾搭載の車両によ
る特攻攻撃を阻止するためであろう、第五次レバノン戦争の後にはさらにそのバリケ
ードの数が増えた。ブロックを隔てた次の道路、つまり我が家の隣の道路でさえ、仕
掛け爆弾を防ぐため路上駐車は厳禁、周囲の撮影も禁止されるようになっている。魚
屋、八百屋、散髪屋などが立ち並ぶ庶民の町までが、緊張感とものものしさに覆われ
つつある。

 ベイルート・アメリカ大学時代の私の恩師は、1967年から1976年にかけて
レバノン国家の統治システムがいかにして崩壊し、内戦勃発を防げなかったかを詳細
に分析する著作をものにしている。2001年当時、この教授の口癖は「内戦は再発
しない。なぜなら内戦にはインフラが必要だが、そのインフラが今のレバノンには無
い」というものだった。即ち、ヒズボッラー以外の民兵組織は、基本的に1990年
代初めに武装解除に応じており、巷には武装集団も居ない。シリアの実効支配に反対
する人はキリスト教徒を中心にたくさん居たが、いかんせん彼らは武器を持っておら
ず、活動家らしい活動家はことごとく逮捕されるか亡命中だった。2001年当時、
「内戦はあり得ない」とする教授の言葉には説得力があった。

 シリアの覇権が終焉した現在の状況は当時とは異なっている。反シリア連合は武装
していないものの、内務治安部隊(ISF)は完全にハリーリ派が握っており、親シ
リア派の目には「ハリーリ派の私兵」と映る(ISF兵営は2日、4日の夜にもミサ
イル砲や手榴弾による攻撃を受けている。犯人は捕まっていない)。またセニオラ内
閣が一時熱心だった難民キャンプのパレスチナ組織(ファタハが圧倒的に強い)の武
装解除をてんで求めなくなったのも、「いざ内戦という事態になったら、スンニ派を
守ってもらおう(レバノン在住のパレスチナ難民のほとんどはスンニ派)という魂胆
ではないか」とうがった見方をする人も居る。

 いずれにせよ、シリアががっしりと覇権を握っていた2001年当時とは違って現
在のレバノンには、間違いなく「内戦を引き起こし、持続させ得るインフラ」が存在
する。

○好戦的レトリックの応酬

「内戦のインフラ」とは、兵器や兵員など、目に見える物的・人的要素だけではなく、
国民の思考形態や行動原理といったメンタルな要素も含む。この点でも、現在のレバ
ノン各派首脳のメンタリティは、「こちらの要求を呑むか、さもなくば対決するか」
という内戦時代の軍閥のメンタリティそのままだ。

 11月1日、アル・マナール・テレビのインタビューに出演したヒズボッラーのナ
スラッラー議長は、円卓会議に臨む目的は「反シリア連合の独走を食い止めるため、
ヒズボッラー、アマル、FPM(アウン派)の野党勢力で、閣僚ポストの3分の1を
握ることにある」と公言。さらに反シリア連合の時間稼ぎ戦術を批判、円卓会議の会
期はベッリ国会議長の当初の呼びかけとおり11月12日までとし、「もしそれまで
に反シリア連合が内閣改造要求を呑まないのであれば街頭行動を起こす」と警告した。
事実上セニオラに最後通牒を突きつけたのである。

 翌2日、今度はLFのジャアジャア議長がNTVのインタビューにライブ出演。ナ
スラッラーによる閣僚ポストの3分の1要求を「論外」と撥ね付けたばかりか、ヒズ
ボッラー・アウン派の街頭行動に対しては反シリア連合も街頭行動を起こす、と非妥
協的な姿勢を打ち出した。そればかりか、「ヒズボッラーはベイルートにおけるマハ
ディ軍団(イラクのサドル派民兵組織)に堕してしまうつもりか?」と挑発的に警告
している。

 会議再開前夜の5日には上記クレイトム宮殿に反シリア連合首脳が結集、円卓会議
における立場の統一を図っている。その後、ハリーリ派そして反シリア連合の総帥、
サアド・ハリーリ議員自らがLBCに出演。第五次レバノン戦争中に、一方的にイス
ラエルに有利な内容だった米仏の停戦決議案を修正するため、セニオラ政府がいかに
努力したかを強調し、「そのセニオラ内閣を何故改造せねばならないのか。政策決定
への参加を求めると言うが、勝手に戦争を始めるなど独断で国政を動かしてきたのは
ヒズボッラーの側ではないか」とヒズボッラーを非難している。そしてジャアジャア
議長と同じく「街頭行動をやりたいならやれば良い。しかしその場合、反シリア連合
も街頭に繰り出す。自分(ハリーリ)もその先頭に立つ」と啖呵を切った。

○バザールの駆け引き?

 交渉開始前に双方がこれほどまでに非妥協的な言辞を弄する理由については、ふた
つの解釈がある。ひとつは、バザールの買い物交渉よろしく、どちらも交渉を有利に
するために事前に値を吊り上げているのだ、とする解釈だ。もしこの見方が正しいの
であれば、今後1週間の会期中に、双方はどこかで折り合いをつけ、両派のデモ隊同
士が街頭で衝突するという悪夢のシナリオは回避されることになる。

 一部メディアはサウジやベッリが、閣僚数を現行の24から30に拡大、アウン派
を閣内に取り込む方針で調停を進めていると報じる。アウン派の入閣要求に応じる一
方で、ヒズボッラーの「3分の1」要求は拒み、ヒズボッラーとアウンの同盟関係に
ヒビを入れる……反シリア派の交渉戦術としてはなかなか上策かもしれない。過去数
日間のうちにアウンが内閣改造に反対するソフェイル・マロン派総大司教やフェルト
マン米国大使と会い、街頭行動には慎重な態度を示し始めたことからみても、あるい
はこの見方が正しいのかもしれない。

 もうひとつの見方は悲観的で、やはり双方の立場の隔たりは大きく、妥協点は見つ
からないだろう、とする。ヒズボッラーとアウンが求めているのは根本的な勢力均衡
の変革であり、アウン派から何人か入閣させて「挙国一致体制」を演出する、といっ
た形式的な改革では満足しないという見方だ。こちらが正しいのであれば、1週間後
には双方の支持者が街頭に出てデモを繰り広げ、首都ベイルートは革命あるいは内戦
前夜の騒然とした雰囲気に包まれるかもしれない。

 ともあれ、6日午前11時から、ナスラッラーを除く各派首脳は国会議事堂に入り、
5か月ぶりに円卓会議を再開した(ヒズボッラーからは国会会派の会長ムハンマド・
ラアドが代理出席している)。ダウンタウン周辺の路上には装甲車や兵員輸送用のト
ラックが何十台も並ぶ。赤のベレー帽と迷彩服、M16ライフルを構えた国軍兵士が
10メートルおきに立ち並び、会議場の周辺に向かう人々の動きを厳しく監視する。
まさに戒厳令下の雰囲気だ。

 イスラエルの熾烈な攻撃を耐えしのいだレバノンは、その後わずか3ヶ月で、今度
は泥沼の内戦状態に陥るのか? それとも、各派の指導者たちはお互いに譲歩しあっ
て、崖っぷちでこの危機を回避出来るのか?

 全国民が固唾をのんで見守る中、レバノンの運命を決める会議が始まった。



連載第44回 (2006年10月31日配信)

円卓会議再開の呼びかけ

○ ベッリの記者会見

「私は恐れている」
 25日午前11時。
 アイン・ティーニ(ベイルート市の一角)にある国会議長公邸に記者団を集めて、
国会議長のナビーヒ・ベッリはそう切り出した。「今の緊張が続いた場合、いったい
何が起こってもおかしくない」。

 内戦中は親シリアのシーア派民兵組織アマルの司令官として権勢を振るい、内戦後
は16年間にわたり国会議長のポストを独占するベッリ。2005年、ハリーリ元首
相暗殺事件に続く一連の政変で、親シリアの有力政治家のほとんどが失脚する中で
も、ベッリは生き延びた。それどころか右はLFから左はヒズボッラーまで、ありと
あらゆる政治勢力が仲介者・調停者として抜群に有能なベッリに頼る。ベッリはいま
やレバノン政界のキングメーカーと言っていい。

 抜け目無さと鷹揚さ、そしてユーモアのセンスがベッリの持ち味だ。これまで政局
が緊張を高める度に、ベッリはジョークと毒舌を織り交ぜた「ベッリ節」を展開。場
の雰囲気を和らげ「大丈夫。何とかなるさ」と楽天的な見通しを述べてきた。

 ベッリはラマダーン中にサウジ訪問を果たしている。イランがヒズボッラーのスポ
ンサーだとすれば、サウジはハリーリ派のパトロン。反シリア連合に絶大な影響力を
持つ。ベッリはサウジ経由で膠着する政局の打開を図ったのだ。

 サウジから戻ったベッリは「断食明けのプレゼントがある」と、祝日明けに政局打
開に向けて何らかのイニシャティブをとることを予告した。そして冒頭の記者会見に
なったのである。

 しかし、「プレゼント」の中身を発表するにしてはこの日のベッリの表情は険しか
った。
 
 実はこの記者会見に先立つこと10時間、25日未明に議長公邸からほんの200
メートルほどの場所で手榴弾が投擲される事件が起きている。現場はやはり各派間の
調停に奔走するサウジ大使公邸の正面だった。

 幸い負傷者は出なかったが、第五次レバノン戦争停戦後にベイルート市内で起きた
破壊活動はこれで4件目。サウジやベッリによる危機収拾努力を快く思わない何者か
が、妨害を図ったと考えるのが自然であろう。ベッリの表情がいつになく強張ってい
たのも無理はない。

「この国では、各派のリーダーなら誰でも、たった一人で国を混乱に突き落とすこと
が出来る。しかしどのリーダーも一人では国を再建出来ない。この国では街頭行動に
訴えることは回避してみんなで話し合うしかないのだ」

 ベッリはそう言って、各派首脳が膝詰め談判する3月以来の円卓会議の再開を呼び
かけた。ベッリが提示した議題はふたつだけ。挙国一致内閣問題と選挙法改正問題で
ある。

○ 会議延期へ

 会議再開の呼びかけは、内閣改造を強く求めるヒズボッラー・FPM(アウン派)
連合にとってはまさしく「プレゼント」だった。各派の中でもヒズボッラーが翌26
日に真っ先にベッリの呼びかけを歓迎、参加を約束したのもうなずける。

 しかし反シリア連合首脳は失望を隠さなかった。反シリア連合の基本要求であるラ
フード大統領の罷免や、ヒズボッラーの武装解除問題は議題に上らず、反シリア連合
が死守したいセニオラ内閣の改造だけが協議されるのだから、不満は当然だ。

 それだけではない。ベッリは協議期間を30日から最長15日間と区切っている。
つまり、反シリア連合は15日間ヒズボッラーやアウンの猛攻をしのぎ、何とかセニ
オラ内閣を温存するか、仮に内閣改造に応じたとしても3分の2以上の閣僚ポストを
維持せねばならない(拒否権発動には3分の1ポストが必要)。もし15日間を過ぎて
双方が合意に達しなかった場合、ヒズボッラーとアウンは今度こそ「反シリア連合の
頑迷が原因で、もはや改革のために他に手段はなくなった」と、大衆行動で倒閣を図
るであろう。レバノンは再び内乱の危機に瀕し、反シリア連合がその責任を問われる。

 かと言って会議の開催そのものを拒めば、「対話の可能性を閉ざした」ことにな
り、今後どんな事件が起きても後々まで非難されるに違いない。ヒズボッラーと断交
状態の反シリア連合にとって、ベッリはヒズボッラーとの最後の対話チャンネルであ
り、今ベッリを敵に回すことは絶対に出来ない。そんな状況で反シリア連合に出来る
ことはひとつだけ。

 すなわち、会議再開を原則支持しつつ、大統領問題を議題に加えるなど、ベッリと
条件交渉することだ。そのためには時間が必要だ。

 ちょうど都合良く、会議初日の30日からジュンブラートPSP党首の米国訪問予
定が入っていた。ハリーリ派の総帥、サアド・ハリーリ議員も「外遊の予定がある」
と言い出した。ヒズボッラーのナスラッラー議長も、暗殺のリスクを理由に代理を送
るつもりだから、なんだかんだと14人の各派首脳のうち、4〜5人は30日からの
会議には出席出来そうにない。

 結局、ベッリは28日深夜になって会議開催を一週間遅らせ、11月6日からと決
定した。

○ 決定的な会議

 延期されたこの一週間にも、反シリア連合はベッリに対して様々な働きかけを行う
だろう。果たして予定どおりに6日から会議が開催出来るかどうかもわからない。

 しかし会議が開催され、内閣改造問題が協議された場合、その結果は今後の政局の
行方を決定的に左右することになる。

 これまでにも幾度か触れてきたが、今後数ヶ月の間にレバノン政府はハリーリ暗殺
事件の国際法廷設置問題や、戦後復興の支援を仰ぐためのパリ3会議開催などに関
し、極めて重要な決定を下さねばならない。その時に、あくまでシリアを擁護しよう
とするヒズボッラーや、「パリ会議をやって巨額の支援金を得ても、また反シリア連
合の政府が着服して国庫の財政赤字が増えるだけだ」と放言するアウンが拒否権を握
っていた場合、どうなるか? セニオラ内閣が進めるあらゆる政治・財政プランが行
き詰ってしまうのが火を見るよりも明らかだ。

 実はそれだけではない。もっと厄介な問題が後に控えている。2007年11月に
任期を満了するラフード大統領の後継問題である。

 憲法第49条の規定により、新大統領の選出には国会議員総数の3分の2以上の票
が必要。反シリア連合の議員総数は128議員中71名だけであり、3分の2には届
かない。従って、反シリア派と親シリア派(アウン派含め)も納得できる中立候補擁
立の合意が出来ない限り、国会は大統領選出セッションを開会出来ず、大統領ポスト
が空白になってしまう可能性が極めて高い。いや、ヒズボッラーの武装や対イスラエ
ル闘争継続の是非をめぐる世論の分裂ぶりを見ていると、今の政府と国会が続く限
り、まず確実に2007年11月の新大統領選出は不可能だ。

 もし、規定の時期に新大統領が選出されなかった場合はどうなるか?

 その場合、今度は憲法第62条の規定で、内閣が大統領の権限を代行するのであ
る。つまり、ヒズボッラーやアウンは2007年11月までのいずれかの時点にセニ
オラ内閣を倒すか、改造させない限り、反シリア連合主導の政府が大統領権限までを
握ることになってしまう。

 いま政界の焦点となっている内閣改造問題は、単に野党勢力が「もっと自分たちに
も権力を分配しろ」、と談判しているわけではないのだ。今後数年間にわたって政局
を左右する大問題なのである。

○ イスラエル軍使用兵器への疑惑

 さて、話は変わるが第五次レバノン戦争中にいったい、イスラエルはレバノンでど
んな兵器を用いたのか? 停戦発効後2ヶ月半経過した現在も、この問題が新たな注
目を集めつつある。

 クラスター爆弾の問題については前回も少し言及した。百万個とも言われる膨大な
数の子爆弾が南部やベカー高原の広範な地域に不発弾となって残っている。子供たち
が遊んでいて、あるいは羊飼いや農民が作業の途中で接触して爆発を引き起こすとい
う不幸な事件が連日のように起きている。

 22日にはイスラエルの閣僚ヤアコブ・エデリが、戦争中にイスラエル軍がヒズボ
ッラーの軍事標的に対し白燐弾を用いたことを初めて認める発言を行っている。戦時
中にラフード大統領や医療関係者から、イスラエル軍による白燐弾使用を糾弾する声
が上がっていたが、イスラエル軍側は
「燐酸弾の使用は位置確認(印付け)のために限定している」
とし、戦闘には用いていないと主張してきた。

 さらに28日付の英紙「インディペンダント」は、イスラエル軍がこの戦争で濃縮
ウランを用いた新型爆弾を実験的に用いたのではないか、という疑惑を報じている。

 この記事を書いたのは中東報道の大ベテラン特派員として定評のあるロバート・フ
ィスク記者。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻や、サブラ・シャティーラ虐
殺事件などで数々のスクープをものにしてきた人物だ。オサーマ・ビン・ラーディン
にも数回インタビューしている。

 フィスクは欧州放射能汚染協議会(ECRR)に所属する英国人、クリス・バスビ
ー博士を引用し、「イスラエル軍の激しい空爆を受けたヒヤームなどで採取した土か
ら高度のウラン同位元素が検出された。ウランを用いた新型の爆弾か、濃縮ウランを
用いた地下壕貫通爆弾(バンカー・バスター)の一種である可能性がある」
と報じている。

 もっとも、戦争報道記者としてフィスクが偉大なところは、この記事が単純で一方
的なイスラエル非難で終わっていない点であろう。フィスクはヒズボッラー側もイラ
ンの新型兵器や即席クラスター爆弾を用いていたと指摘、今度の戦争も古今東西の戦
争の例にもれず、新型兵器の実験場になっていた現実を浮かび上がらせる。

 次に戦争が起きれば、レバノン国民はまたしても新型兵器のモルモットにされるか
もしれない。そんな状況で、レバノンの各派指導者もいつまでも終わりのない政争を
続けている場合ではないと思うのだが。



連載第43回(2006年10月24日配信)

エルサレムの日

○ 南部の危うい情勢

 10月22日。今年の断食月(ラマダーン)の最終日だ。明日23日からレバノン
ではスンニ派もシーア派も、ともに断食明けの祝日に入る(シーア派の一部は24日
から)。

 今朝まで私たち一家が居たブシャッレはもう暖炉に薪をくべて暖をとるくらいに寒
く、曇りがちで薄暗かった。ベイルートはそれとはうってかわって、夜でもTシャツ
一枚で過ごせる暖かさだ。断食明けを祝う爆竹や花火の音があちこちから聞こえてく
る。電気の配給制(計画停電)もほぼ終わり、商店にもモノが溢れ返る。スンニ派が
中心の、ここハムラ地区に居る限りは、もはや戦争の傷跡をほとんど実感せず、普段
と変わらぬ祝日気分が味わえる。

 しかし南部ではそうは行かない。今日22日もマルジュアイユーン近くで薪を集め
ていた少年二人がクラスター爆弾の不発弾に接触、爆発が起きて12歳の弟の方が死
んだ。8月14日の停戦発効後、不発弾の爆発で命を落とした人は20人を超える。
平均すると、停戦以降に一日3名か4名が死傷している。

 クラスター爆弾だけではない。イスラエル空軍機のレバノン領空侵犯は連日続いて
いる。祝日の前日である22日にも、イスラエル軍機はこれみよがしに旋回飛行や急
上昇・急降下を繰り返し、大空を我が物顔で飛びまわった。ペレツ国防相は「ヒズボ
ッラーはリタニ川以南の地区で武装解除して居ないし、兵器搬入も続けている。レバ
ノン側が安保理決議第1701号を履行しない限り、イスラエルはレバノン上空の偵
察飛行(『領空侵犯』ではなく…ものは言いようだ)を続ける」と宣言している。

 イスラエルが領空侵犯をエスカレートさせたのには伏線がある。レバノンの守護者
を以って任じる旧宗主国フランスが、ここのところイスラエルのレバノン領空侵犯に
対する姿勢を硬化させているのだ。中でもフランス人のペリグリーニUNIFIL司
令官が19日にニューヨークで「外交手段によってイスラエルに領空侵犯をやめさせ
ることが出来ないのであれば、他の手段も検討する」と、地対空ミサイルの使用を仄
めかした時はイスラエルもレバノンも驚いた。考えようによっては、22日の派手な
領空侵犯は、「やれるものならやってみろ」、というUNIFILへの威嚇だったの
かもしれない。

 いくら地対空ミサイルを装備しているとは言え、イスラエル空軍に本気で攻撃され
たらUNIFIL部隊はひとたまりもない。だからペリグリーニは本気で実力行使す
るつもりではないだろう。

 となると、ペリグリーニの真意はどこにあるのか?

 実はアナン国連事務総長は安保理決議第1559号(シリア軍撤退とともに、ヒズ
ボッラーの武装解除を求める内容)の履行状況半期報告書を既にまとめており、30
日に安保理で審議される。この報告書は、これまで以上にはっきりとヒズボッラーに
対し速やかな武装解除と、純然たる(つまり非武装の)政党への移行を促している。

 イスラエルによる占領や領空侵犯が続くままヒズボッラーに武装解除を迫れば、ア
ラブ世界から「不公平だ」という反発を招くだけ。だからペリグリーニに強硬な発言
をさせてバランスをとったというのが真相ではなかろうか。

 いずれにせよ、レバノン国軍やUNIFIL部隊の南部展開、イスラエル軍の撤退
など、表面的には南部情勢は安定に向かっているものの、対立の構図は戦前と何も変
わっていない。イスラエル、ヒズボッラーともに、第二ラウンドに向けて準備を進め
ているのは間違いなさそうだ。

○ 「エルサレムの日」、ベイルートにて

 さて、10月20日の金曜日は「エルサレムの日」だった。そんな日があったの
か、と驚く人も多いだろうが、無理もない。これはもともと米国を大悪魔、イスラエ
ルを小悪魔と呼んでイスラエルを敵視したイランの故ホメイニ師が、パレスチナ人へ
の連帯と支援を訴えるために設定した日なのだ。イランの影響が無いところに暮らす
人たちがピンと来なくても当然なのである。

 ホメイニ師は例年ラマダーン月の最後の金曜日をこの「エルサレムの日」に指定し
た。レバノンではヒズボッラーがこの日に大規模な軍事パレードを行い、ナスラッラ
ー議長が炎のような激しい反イスラエル・反米のアジテーションをやる。レバノンで
は恒例行事なのである。

 しかし、今年はちょっと赴きが違った。まず、例年の様にダーヒヤ(ベイルート南
郊外)やバアルベックなど、ヒズボッラーの拠点で大規模な中央集会を開くのではな
く、各地に分散し、小規模な集会を開くにとどめた。また、千両役者のナスラッラー
は出席しなかった。さらに恒例の軍事パレードも行わなかった。

 ナスラッラーが出てこなかったのは、暗殺のリスクを減らすのと、先月22日の
「祝勝大集会」で演説したばかりだからだろう。あまり頻繁に人前に現れてはミステ
リアスな超人的指導者のカリスマが失せてしまう。

 軍事パレードをやめたのは、第五次レバノン戦争でヒズボッラーの軍事能力を全世
界に知らしめたから、もはや国内で誇示する必要は無い、という判断か。

 ベイルートの会議施設で開かれた記念集会では、ナスラッラーに代わり副議長のナ
イーム・カーシム師が、ハマースの駐レバノン代表らとともに出席。「アラブ諸国は
国連決議で平和が実現出来ると思っているらしいが、甘い。イスラエルを追い出すに
は武装闘争しかない」と、あくまでも武装を続けイスラエルと戦う姿勢をはっきり示
した。

 この前日、19日には反シリア連合の総帥、サアド・ハリーリ議員(暗殺されたラ
フィーク・ハリーリ元首相の子息)が亡父の盟友シラク仏大統領と、パリで2時間に
も及び会談。イスラエルが早期にレバノンから撤退し、領空侵犯も止めるよう圧力を
かけてくれと要請している。「武装闘争しかない」というカーシムの演説は、ハリー
リの外交努力に対するあてつけとも言える。

○ テヘランにて

「エルサレムの日」の言いだしっぺであるイランはどうか?

 テヘランの集会では、例によってアハマディネジャード大統領がイスラエルのこと
を「これから消滅に向かう存在」、イスラエルの指導者たちを「テロリストども」と
表現。イスラエルのメディアは大きな扱いでアハマディネジャード大統領の挑発的な
発言を取り上げた。

 地図を見れば一目瞭然だが、イランはイスラエルと国境を接しておらず、遠い彼方
の国だ。イスラエルから直接的・日常的な脅威を受けているわけでもない。大抵のイ
ラン人は一生涯ユダヤ人やイスラエル人と接する機会もないだろう。そんな国で、果
たしてイスラエルに対する敵愾心が国民の間に根付くものであろうか? あるいは、
見たことも接したことも無い存在だからこそ、日々プロパガンダや教育で刷り込まれ
ると、無条件に相手を悪魔視するようになるものなのだろうか? イランに暮らした
こともなければ、イラン人の知己もまったく居ない私には、そのあたりの感覚がどう
もつかめない。

 とは言え、イランの指導部がイスラエルの殲滅や抹殺を公言しているのは事実だ。
そして、そのイラン革命のイデオロギーを継承するヒズボッラーがイスラエルの国境
に陣取り、高い軍事的能力でイスラエルの脅威となっていることも事実だ。

 イスラエル国内では、第五次レバノン戦争を機に、今後イスラエル国家の存続にと
って最大の脅威はイランである、という認識が定着しつつある。今年の「エルサレム
の日」で、イスラエルのユダヤ人国民は危機感を一層強めたに違いない。対ヒズボッ
ラー戦争の失敗で求心力を失ったオルメルト政権は、対イラン強硬派のリーベルマン
「我が家イスラエル」党首の閣内取り込みを図っている。イラン、イスラエル双方の
強硬派のレトリックが加熱し、対決の雰囲気が醸成されていくことが心配だ。

○ ガザの泥沼

 さて、「エルサレムの日」の本来の主役たるべきパレスチナはどうだったか?

 ラマダーン最後の金曜日に、エルサレムのアル・アクサ・モスクで礼拝しようとす
る西岸地区の住民が、イスラエルの警官隊とベツレヘムで衝突、負傷者が若干出てい
る。

 しかしはっきり言って、今パレスチナ人にとってはイスラエルとの対立よりも、パ
レスチナ人同士の対立の方がはるかに深刻な問題だ。

 20日にはガザで見過ごすことが出来ない事件が二つ起きている。

 ひとつはヌセイラート難民キャンプのモスクでハニーヤ首相が行った説教だ。ファ
タハとハマースの間で挙国一致内閣の組閣交渉が暗礁に乗り上げる中、アッバースP
A議長はハニーヤ内閣を解散し、無所属のテクノクラートからなる暫定内閣を組織す
る方向に傾いているが、ハニーヤはそれに言及。「テクノクラート内閣も、PLC選
挙前倒しも、ハマースを政権から追い出すための策謀だ」と、アッバースの案を拒否
したのである。

 ハニーヤの指摘は図星だろう。イスラエル承認の是非などが争点になっているが、
問題の本質はファタハとハマースの権力闘争だ。今年初頭のPLC選挙における圧勝
を背景に、権力を手放そうとしないハマースと、政権への返り咲きを狙うファタハ。
両者の利害がなかなか折り合わないから、組閣交渉も進まない。しかしその間にも、
自治区の治安経済状況は悪化する一方である。ファタハもハマースも、どこかで何ら
かの打開策を見つけないと、どちらも民衆からそっぽを向かれかねない状況だ。

 この説教の後、今度はそのハニーヤの車列が銃撃される事件が起こった。首相の車
自体は銃撃を受けなかったらしいが、同行していた別の車両が被害を受け、炎上して
いる。翌21日にはファタハの活動家が誘拐され、22日には別のファタハの活動家
が殺された。

 ガザのパレスチナ人は「エルサレムの日」にエルサレム奪還を目指すどころか、身
内同士の果てしない抗争をどうやって鎮めるか、一向に出口が見つからず喘いでいる。



第42回(2006年10月17日配信)

政争は国境を超えて

○  変貌するシリア

 数日前から家族連れでシリアに来ている。第五次レバノン戦争のせいで一時封鎖さ
れていたベイルートの研究機関がようやく再開される目処が立った。再開すると土・
日を除き毎日出勤するから、なかなか外国旅行に行く機会は無くなる。それで今のう
ちに出かけることにしたのである。

 シリアを行き先に選んだ理由は何と言ってもレバノンから近くて交通費が安いから。
交通費だけではない。ここ数年でかなり高騰したとは言え、それでもイスラエルを除
き中東でも一番物価が高いレバノンと比べれば、タクシー料金、宿泊費、レストラン
での食費などは感動的に安い。

 私が留学していた1991年ごろ、物価はべらぼうに安いが、そのかわり生活の隅
から隅までにアラブ様式(シリア様式?)が徹底していて、不便を感じることも多か
った。例えば珈琲を飲みたいと思っても、濃厚なアラブ・コーヒーしか選択がない。
アラブ料理以外の食事はよっぽどの高級ホテルでしかとれなかった。料理は概して美
味しく、リーズナブルなのだが、どこのレストランもお世辞にも清潔とは言えない。
特にトイレがひどかった。洋式便器も普及しておらず、トイレット・ペーパーも無い
から、左手と水で処理するしかない。新聞と言えば毎日トップにアサド大統領の顔が
来るバアス党系の三紙だけで、まるで金太郎飴。衛星放送もインターネットもない時
代だ。経済鎖国、情報鎖国という表現がぴったりで、世界から孤絶しているような感
覚がいつも拭えなかった。

 2000年にハーフェズ・アサド大統領が死去して息子のバッシャールが跡をつぐ
と、次第にシリアは変わり始めた。新聞はアラビア語紙に加え英字紙や仏語紙もスタ
ンドで簡単に手に入るようになった。アラビア語紙の中でも、レバノン各紙やサウジ
系のアル・ハヤー紙も、当日版がレバノンよりもずっと安く売っている。おしゃれで
センスが良く、清潔そのもののレストランやカフェも、ダマスカスの街のいたるとこ
ろにある。アラブ料理、イタリアン、お菓子、どれもこれもレベルが高い。その割に
は家族4人でおなかいっぱい食べても滅多に10ドルにもならない。レバノンの約4
分の1か5分の1程度だ。

○  ポンプ役のレバノン

 シリアはかつて厳格な統制経済をとっていた。非効率な官僚機構は肥大化し、膨大
な軍事支出にあえぐ国民経済を圧迫した。動脈硬化を起こしていたシリア経済の心肺
機能を停止させないためにも、レバノンは不可欠な存在だった。シリアと、建国以来
一貫して自由主義経済体制をとってきた隣国レバノンの関係は、かつての共産中国と
香港の関係に比較出来るかもしれない。内戦中でさえ、飽くなきダイナミズムで欧米
の消費財やサービスを導入し続けたレバノンは、経済鎖国状態にあったシリア経済に
とって貴重な西側世界への窓口だった。またターイフ合意以降に猛然と復興を進める
レバノンは、最盛期で100万人…レバノン人口の4分の1にあたる…のシリア人労
働者に職場を提供した。シリア経済にとって、レバノン経済は心臓の役割を果たして
きたと言える。そして圧倒的な政治力と資金力で、エネルギッシュにその心臓を揉
み、血液を送り続けたのが、レバノン復興事業を推進したゼネコン宰相、故ハリーリ
首相であった。

 2005年4月のシリア軍のレバノン撤退によって両国間の関係は薄れたかと思え
ば、決してそんなことはない、と今回の旅で実感させられた。

 ベイルートとダマスカスを結ぶ「ダマスカス街道」上の検問所で、日本国籍の私と
息子、娘の三人は、まずレバノン出国カードに記入し、パスポートに出国印を押して
もらうのに手こずった(ちなみに、レバノンは父系主義で母親がレバノン人であって
も国籍はくれない)。次にシリア側でも、1歳半の娘も含め、3人全員が25ドルず
つ払って入国ビザを購入し、入国印を押してもらうのにかなり待たされた。しかしレ
バノン・パスポートの妻に対しては、どちら側でもポン、ポン、とリズミカルに判子
を押してくれて、それで終わり。一銭もかからない。余談ながらレバノン旅券はよほ
ど世界中から忌避されているらしく、妻と一緒に外国旅行をしていて旅券のせいで良
い目にあったことはない。日本への乗り継ぎで経由したイスタンブールでは、11時
間の乗り継ぎ時間を過ごすため空港の外のホテルを予約してあったが、妻がビザを持
っていないためどうしても「入国」させてくれなかった…ホテルはほんの数十メート
ル先に見えていたのに、である。

 フランクフルト空港では空港内のウイングからウイングに移動する時でさえ、「レ
バノン旅券はビザが無ければ通せない」と言われて、大阪に着いてからわざわざドイ
ツ領事館まで通貨査証を取得しに行った。いずれも日本旅券の私は何の問題もなく通
過出来たケースである。

 ともかく、レバノン旅券がこんなに歓迎されるのは、世界でもシリアくらいであろ
う。もっともシリアはレバノンとの間に大使館も交換せず、本音ではレバノンを独立
国家として認知していないのだとすれば当然なのかもしれないが。

 ダマスカスにはレバノンを代表する有力金融機関のアウディ銀行や、ビブロス銀
行、同じくレバノンの誇る世界的なチョコレート・メーカー「パチ」などが支店を開
いた。ヒズボッラー人気は相変わらずで、街のいたるところでヒズボッラーの党旗と
ナスラッラー議長の肖像にお目にかかる。その上、レバノンの新聞もテレビ放送も見
ることが出来るとあっては、あまり外国に来たという実感が湧かない。

○  アウンのコメント

 さて、1990年10月13日は、シリアのレバノン支配に最後まで抵抗を続ける
アウン将軍派がシリア軍の総攻撃を受け、バアブダ大統領府が陥落した記念日である。
アウン派(FPM)はこの行事を記念して今年も15日に大集会の開催を予定してい
た。とは言え、内閣改造要求を強めるアウンの目下の政敵は、シリアではなくハリー
リ派やジュンブラート派などの反シリア連合である。「敵の敵は味方」の論理で、ヒ
ズボッラーとの同盟関係を強化させるアウンにキリスト教徒が幻滅、支持が激減し
た、という風評が広がる中、アウンがどれだけの規模の集会を開催出来るかが注目を
集めていた。

 生憎15日は大雨で、大集会は延期になった。しかし、前日の14日にアウンはサ
フィール紙のインタビューで、「自称『反シリア連合』の実態は、権力闘争に敗れた
シリア人に過ぎぬ」と、徹底的な反シリア連合批判を展開している。

 ハリーリ前首相やジュンブラートPSP党首は、シリアによるレバノン支配を取り
仕切ってきたハッダーム副大統領や、カナアーン駐留シリア軍情報局長官(当時。後
に内相となるが、2005年10月に執務室で不可解な死を遂げている。シリア当局
は自殺と発表したが、クーデター計画が発覚して殺害されたとする見方もある)の盟
友だった。

 ハッダーム前副大統領は、1970年にハーフェズ・アサドが政権を掌握した時か
らアサドの右腕として活躍した政治家だ。1976年にシリア軍がレバノン内戦への
介入を決定した時にも中心的な役割を担った。それ以降、カナアーンとコンビを組ん
で、一貫してシリアの対レバノン政策を仕切ってきた。前述したように、レバノンは
シリア経済にとって極めて重要な位置を占めていたから、ハッダームやカナアーンも
様々な利権を握って巨万の富を築いた。その事業のパートナーだったのが、他ならぬ
ハリーリでありジュンブラートだった。

 ハーフェズ・アサドの健康が悪化し、後継者としてバッシャール・アサドが台頭し
た1998年、バッシャールはハッダームからレバノン政策担当の地位を奪う。これ
以降、シリア国内ではバッシャール・アサド、シャラア外相(現副大統領)、ショウ
カト軍情報局長官(バッシャールの義兄)ら、「改革派」と、ハッダームやカナアー
ンに代表される「守旧派」が対立を深める。

 ハッダームの背後には絶大な資金力を持つレバノンのハリーリが居た。バッシャー
ル・アサドがハリーリの政敵、エミール・ラフードをレバノン大統領の座に据えて、
さんざんにハリーリの政策を妨害したのはこのせいである。つまり、レバノンにおけ
るハリーリとラフードの政争とは、シリアにおけるハッダームとバッシャールの政争
の延長であった。国境を越えて、両国の支配層が合従連衡を繰り返しながらすさまじ
い政争を繰り広げているのだ。

 だから、アウンの言っていることは荒唐無稽な話ではなく、かなりの程度事実に即
している。もっとも、レバノンの反シリア勢力を分裂させ、弱めるために2005年
以降にシリアがアウンを最大限に利用しているのも事実ではあるが。

 ダマスカスのホテルでアウンが演説する様子をテレビで見ていたら、従業員が話し
かけてきた。「俺はアウンが好きだ。アウンは本当にレバノンとシリアのことを考え
ている。自分の利害しか考えない後の連中とは違う」…。果たして、アウンは彼の言
うように、私利私欲を超越した愛国者なのであろうか? それとも、悲願の大統領の
座を射止めるためなら誰とでも組む凡俗の政治家に過ぎないのであろうか?

 今後、レバノン政局は内閣改造をめぐり、さらにはハリーリ暗殺事件の国際法廷設
置、そして2007年夏の大統領選挙に向けて、加熱する。シリアとレバノン両国を
またぐ政争に、イスラエルや米国、フランス、イランなどの利害や思惑が絡まり、問
題はどんどんと複雑になっていくだろう。その中で、アウンの動きが台風の目になる
のは間違いなさそうだ。



連載第41回(2006年10月10日配信)

紛争頻発

○  マルジュアイユーン兵営問題

 第五次レバノン戦争中のエピソードで、あまり外国では報道されなかった事件のひ
とつにマルジュアイユーン兵営問題がある。

 マルジュアイユーンはレバノン南東部の山岳地帯にあるキリスト教徒の町。200
0年まで続いたイスラエル軍の南部占領期間には、イスラエルの支援を受けてPLO
やヒズボッラーと激しい戦いを繰り広げた南レバノン軍(SLA)が本部を置いた場
所である。

 停戦間際の8月10日、イスラエル軍が大規模な地上侵攻を実施、この町の中にあ
る兵営がイスラエル軍に占拠された。この時、ISF(内務治安部隊)と国軍兵士併
せて400名近くが捕虜となり、翌11日午後になってようやく解放され、町からの
退去を認められた。ここまでは世界のメディアが報じている。

 しかしそこから先は、戦争の本筋から離れるので世界的にはほとんど報道されてい
ない。いや、レバノン国内でさえ、反シリア連合系列のメディアはあえて報道しない。

 兵士の解放が実現して間もなく、まだ戦争が終わらぬうちから、ヒズボッラーのア
ル・マナール・テレビが、イスラエル軍が占拠する兵営内部の様子をおさめたビデオ
を放映し始めたのだ。映像は、屈強そうなISF兵員が、重装備のイスラエル兵の前
に整列させられ、ひとりひとりIDカードのチェックを受ける屈辱的なシーンをとら
えている。もっと悪いことに、この兵営の責任者だったISFのアドナーン・ダウー
ド司令官が、イスラエル軍の若い兵士らと親しげに談笑し、所長室内で部下にお茶を
入れさせ、イスラエル軍兵士にふるまわせる卑屈なシーンまでがばっちりと写ってい
るのだ。

 2005年2月のハリーリ前首相暗殺事件以後の政変でハリーリ派が掌握、急速に
拡大されたISFに対して親シリア勢力の間では反感が高まっていたが、マルジュア
イユーン兵営のこの映像はそれに油を注いだ。

 ISFは本来、警察あるいは機動隊のような国内治安対策を専門とする部隊であっ
て、国防を担う正規軍ではない。だから侵攻してきたイスラエル軍には抗すべきもな
い。それに、ISFの隊員や司令官にしてみれば、何でヒズボッラーが勝手に始めた
戦争のために自分らが死なねばならぬのか、という気もあったに違いない。だから乗
り込んできたイスラエル軍にまったく抵抗しなかったのだろう。

 しかしヒズボッラー他の反イスラエル勢力は、イスラエルがレバノン一国を相手に
戦争し、レバノン全土のインフラを破壊し、連日民間人を容赦なく殺傷している時に、
ISFが抵抗の素振りすら見せなかったことは、恥ずべき売国行為と受け止めた。だ
からアル・マナールだけでなく、NTV、NBN(アマル系列)などもこの「問題」
を取り上げ、未だにダウード司令官の処罰を求めている。今にして思えば、戦後に続
発するISF絡みの事件のきっかけはここにあったのかもしれない。

○  渦中のISF

 停戦発効後の9月2日に、ISF情報局のシハーデ副局長がサイダで暗殺未遂に
遭った。その後、ISF情報局の電子情報システム「オンライン」へのシステム接続
問題をきっかけに、フトフト暫定内相とジェッズィーニ公安局長の対立が表面化、
ジェッズィーニが送検されるところまでエスカレートした。

 公安局長の留任が決まり危機が収拾されたと思ったら、今度はISFとダーヒヤ
(ベイルート南郊外)の群集が衝突し、住民側2名が死亡する事件が10月6日に勃
発。ただでさえ騒然たる政情を、一層不安定にしている。

 内務省側の言い分では、第五次レバノン戦争でダーヒヤ一帯が激しい空爆にさらさ
れ、行政の空白が生じたのにつけこんで、ダーヒヤの一角ラメル・アーリー地区で住
宅や貸店舗などの違法建築が始まった。この地区の役場の要請を受けて、違法建築を
撤去すべくISF部隊が派遣されたが、撤去に抗議する住民が投石などで抵抗したた
め衝突となり、17歳と11歳の少年それぞれ一名ずつが銃撃を受けて落命した。

 違法建築を強制的に取り壊す必要があるのはわかるが、非武装で抗議する群集の排
除に、放水車や催涙弾、ゴム弾などを用いず、いきなり実弾を使ったと言うのでは、
過剰な実力行使のそしりを免れない。これについてもISF側は「群集の中に破壊分
子が混ざっており、先に発砲してきた」「死傷者の体内から検出された弾丸はISF
の装備ではない」と当初説明したが、10日現在までにその主張は裏付けられていな
い。被害者側はISFが責任逃れをしていると受け止め、一層感情を害する結果に
なっている。

 なお、フトフト暫定内相や閣僚は、いずれも6日の衝突による死者のことを「殉教
者」と呼んでいる。イスラエルとの戦争で殺されれば殉教者、反シリア闘争で殺され
ても殉教者。そこまでなら「なるほど、相手が誰であっても祖国のために戦って死ん
だなら殉教者になるのだな」と納得出来るが、違法建築取り壊しの抗議デモで、機動
隊に殺されても殉教になるというのは理解を超えている。要は政治家にとって便利で
使いやすい用語ということなのだろう。

 8日にはベイルートのISF兵営に爆弾が投擲される事件も起きた。犯人は摘発さ
れておらず、6日の衝突事件とすぐに結びつくかどうかは不明であるが、情勢が確実
にきな臭さを増しているのは間違いない。

○  マロン派司教会議声明

 4日にマロン派司教会議が出した声明も、物議をかもしている。

 声明は挙国一致内閣樹立=内閣改造の要求について、「要求の背景に、ハリーリ前
首相暗殺事件の国際法廷設置を阻止しようという隠れた意図があってはならぬし、外
国あるいは特定勢力の意志に応えるものであってもならない」と牽制。政治的中立を
旨とする教会としては異例に踏み込んだ立場を示した。

 ヒズボッラーが内閣改造を求める表向きの理由は、「レジスタンス=ヒズボッラー
の武装闘争庇護」を施政方針に掲げる筈のセニオラ内閣が、ヒズボッラーの武装解除
へと態度を翻したからである。施政方針を変更するのであれば、もはやヒズボッラー
は閣内にとどまれない、国会選挙を前倒しにするか、さもなければ内閣を改造せよ、
というわけだ。

 アウンが内閣改造を求めるのは、キリスト教徒最大派閥であるアウン派(全128
議席中22議席を押える)が疎外されているのはおかしい、という理由からである。
ヒズボッラーの言い分も、アウンの言い分も、民主主義の原則に照らせば無理ない主
張だ。

 これに対して、「内閣改造要求はシリアの意向を呈し、国際法廷設置を妨害するた
め」とする司教会議の声明は、全面的に反シリア連合の主張に沿っている。反シリア
連合が声明を大歓迎し、アウン派やヒズボッラーが拒否するのは自然な成り行きだ。

 9日には、キリスト教徒地区クスラワーンの村で、アウンとフランジーヤ元内相
(代表的な親シリアのマロン派政治家の一人。LFとハリーリ派の連合の前に200
5年の国政選挙で落選。ヒズボッラーとも盟友関係にある)を支持する家族が、武装
集団に襲われ一人が入院する事件も起きている。アル・マナールはこの集団をLFメ
ンバーであると報じている。

 過去半年以上にわたって国内対立の絶妙の火消し役を務めてきたベッリ国会議長も、
ハリーリ派とヒズボッラーが断交状態にある今、どこから調停を開始すれば良いのか
わからず、お手上げと言った様子だ。しかし各勢力のアジテーションとレトリックは
日に日にエスカレート、街頭レベルでもきな臭い事件が頻発しており、放置していて
はいつ爆発してもおかしくない。

 ベッリは9日にサウジを訪問し、アブダッラー国王と会談している。国内のプレー
ヤー同士の調停がままならないので、レバノンのスンニ派社会に大きな影響力を持つ
サウジに働きかけて、ハリーリ派を軟化させる作戦であろう。果たしてベッリの目論
見は成功して、対イスラエル戦争を生き延びたレバノンは、内戦で自壊することを避
け得るのであろうか?

 レバノン南部では停戦発効後2ヶ月にならんとする現在も、クラスター爆弾の暴発
と犠牲者のニュースを聞かない日はない。と言うのに、他の地区ではレバノン人同士
の抗争で犠牲者が出始めている。その事実に暗澹たる思いをするのは私だけではない
だろう。


連載第40回(2006年10月5日配信)

パレスチナ内戦の危機

○ レバノン国軍が国境沿いに展開

 レバノンの地中海岸をベイルートから南に向けて下っていくと、まずサイダ、次い
でティールというふたつの海岸都市に到達する。それぞれ「シドン」「ツロ」の名で
聖書に登場する由緒ある町だ。爆撃で橋という橋をことごとく破壊されたため、高速
道路はズタズタながら、フランス軍工兵隊が突貫工事でつくった鉄橋があるので、そ
れほど迂回せずとも南部に到達出来るようになった。

 ティールを越えると海岸沿いの村落はぐっと減り、見渡す限り青い海と、広大なバ
ナナ農園が広がる。海岸部の人口密度は低くしかもほとんど開発されていないため、
海は透き通るように綺麗だ。第五次レバノン戦争で流出した重油もこの地域までは流
れ着かなかった。

 青く澄んだ海の沖合い10数キロ、肉眼でもはっきり確認出来る位置に、イタリア
の軍艦が何隻か浮かんでいる。それが無ければ、つい2ヶ月前まではこの地域が世界
でも最も過酷な戦場であったとは誰も思い及ばないだろう。

 やがて道路は海岸の切り立った崖を上り始める。ここからがイスラエルとの国境の
町、国連暫定平和維持軍UNIFILの本部があるナクーラだ。空爆によって道路は
随所で寸断されており、四輪駆動のアウトドア仕様車でない限りアクセスは大変だ。
要人は悪路を避けてヘリコプターでやって来る。

 数キロメートル先から、道路の右手に延々と続く白壁と鉄条網が現れる。ここがU
NNIFIL本部だ。左手にはUNIFIL兵士相手のバーやレストラン、ディスコ
などの歓楽施設や土産物屋が並ぶ。戦争でこの地域は経済的にいったん壊滅的な打撃
を受けたが、その後UNIFILが当初の2500人規模から1万5000人へと大
増強されることになったため、このあたりの商店主らもほくほく顔だろう。昼間から
ガーナ、インド、フランス軍などの兵士がそこいらの商店の店先に暇そうに座って談
笑している。

 安保理決議第1701号ではUNIFILの任務はバッファーとして南部に展開するこ
とだけ。ヒズボッラーの武装解除をやるわけではないし、領空侵犯するイスラエル軍
機を打ち落とすわけでもない。だから実際に戦争が始まらない限り、まあ暇であろう。

 このナクーラから左手にせり出す丘がある。ラッブーネの丘と言う。ナクーラ岬と
イスラエル領を一望出来る戦略要衝だ。

 2日朝、この要地にレバノン国軍部隊が展開した。実に1970年以来の出来事で
ある。国軍司令官のミシェル・スレイマンがやってきて、国旗の掲揚式典を行い、
「可能な限りの能力を動員してイスラエルの侵略を食い止めるように」と訓示を垂れ
た……とは言え、空軍のカバーを持たない旧式戦車群は、戦争になると瞬時にして壊
滅するであろうが。

 この日、国軍部隊はラッブーネだけではなく、マロン・ラアス、クファル・キッラ、
ジャバル・メイスなど、国境沿いのほとんどの村への配置を完了した。いずれも第五
次レバノン戦争でヒズボッラーとイスラエル軍の死闘の舞台となった場所だ。前日1
日に残存していたイスラエル軍がほとんど撤退したので、空白を埋めるべく直ちに展
開したのである。まだ一箇所、休戦ラインで南北に分断されたガジャル村というとこ
ろに小部隊が残ってはいるものの、概ね今度の戦争で占領した地域からイスラエル軍
の撤退は完了した。発効当初はいつ崩壊するかと危ぶまれた停戦状態であるが、2ヶ
月の時間を経て、少しずつ安定の方向に進んでいるのは間違いない。

○ 国内避難民問題

 イスラエルとの戦争再開の危険が薄まるのに反比例し、国内では紛争勃発の危険が
増大している。公安長官問題が収拾された今、当面の最大の焦点はシューフ山岳地帯
のキリスト教徒国内避難民の帰還問題だ。

 この問題には長い伏線があるので若干の説明が必要だ。1983年、前年のレバノ
ン大侵攻でシューフ山岳地帯を占領したイスラエル軍が突如撤退を開始。軍事的真空
地帯となった同山岳地帯のドルーズ派住民とマロン派キリスト教徒の間で凄まじい宗
派紛争が起こった。この戦いを「山岳戦争」と呼ぶ。

 レバノン内戦と聞くと、キリスト教とイスラーム教の宗派紛争だというイメージを
抱く人が多いが、実は15年間に及んだ内戦のうち、宗派紛争の性格を帯びた紛争は
意外に少ない。例えば内戦第一期の1975〜76年にかけては、左派・PLO連合
軍とカターイブ、NLPなどキリスト教徒民兵組織が戦った。前者には共産党やバア
ス党、SSNPなど非宗派政党が参加していたし、PLOの中にもPFLPやDFL
Pなど、キリスト教徒が指導する組織も加わっているから、イスラーム教対キリスト
教という図式は当てはまらない。

 ヒズボッラーの例をとってみれば、内戦中に戦った相手はイスラエル以外には同じ
シーア派のアマルくらい。従って、ヒズボッラーは基本的にはイスラエルとの対外戦
争のプレーヤーであり、内戦の当事者とは言い難い。

「ヒズボッラーの武器はイスラエルとの闘争のためのもの。決してレバノン人同胞に
は向けない」というヒズボッラーの宣伝がある程度の説得力を持つのはこのせいであ
る。内戦中は、シーア派のアマル対ヒズボッラー、キリスト教徒のLF対アウン派
(国軍)という具合に、異宗派間の紛争よりもむしろ同一宗派内部の主導権争いの方
が激しかった。

 そんな中で異彩を放つのが「山岳戦争」だ。ドルーズ派とマロン派の混住地帯であ
るシューフ山岳地帯では19世紀から幾度か宗派紛争が起きていた。1982年、こ
こを占領したイスラエル軍が当時同盟していたLF民兵の進駐を許し、その後一方的
に撤退したため、ワリード・ジュンブラートのPSPとサミール・ジャアジャア麾下
のLFの間で激しい内戦が起きたのである。双方が民間人の虐殺など戦争犯罪をおか
し、戦況は酸鼻を極めた。余談ながら、こんにちに至るまでジュンブラートとジャア
ジャアに「軍閥上がり」「内戦の当事者」という血なまぐさいイメージがつきまとう
理由はここにある。結局PSP民兵はLFをさんざんに打ち負かし、多数のキリスト
教徒が国内避難民としてキリスト教徒地区へと逃れた。

 内戦終了後、レバノン政府は「国内移民省」を新設、莫大な予算を投下して難民帰
還事業を行ったが、避難中に家屋が不法占拠されてしまっただとか、避難先で定職を
得てしまった、あるいは紛争再発の恐怖など、様々な理由から帰還は一向に進まず、
実際に郷里への帰還を果たしたのは避難民のうち2〜3割に過ぎない。

 ジュンブラート派が牛耳る国内移民省の帰還事業については、非効率や不明朗な会
計をめぐり以前からも批判が強かった。しかし第五次レバノン戦争で南部からベイル
ート周辺などに逃れた避難民が、停戦発効後即座に帰還し、政府もそれを迅速に支援
するのを見て、「山岳戦争」の避難民の間からも「なぜ同じレバノン国民なのに、自
分たちの帰還問題はなおざりにされたままなのか?」と不平の声が高まってきた。

 反シリア連合にとってはこの問題は二重の意味でアキレス腱だ。

 まず、反シリア連合の頭目、ジュンブラートとPSPには避難民の発生と、帰還事
業停滞の両面で責任がある。次に、やはり反シリア連合を構成するLFが、今や与党
となり、仇敵ジュンブラートと組んでいるにも関わらずこの問題を解決できない点も
問題である。

 キリスト教徒社会におけるLFのライバル、FPM(アウン派)や、ドルーズ派社
会におけるジュンブラートのライバル、アルスラーン民主党党首らにとっては、この
問題はまさに政敵追及の切り札だ。両者は30日にベイルートの郊外で合同集会を開
き、ジュンブラートら関係者を法廷で裁くよう要求をエスカレートさせた。

 公安長官問題で対立したアマルとハリーリ派支持者の間でも、30日夜にベイルー
ト市中のつまらない諍いが、発砲事件にまで発展し国軍に鎮圧されるなど、不穏な状
況が続いている。ラマダーン(断食月)が明けると、アウン派と親シリア勢力は合同
して「挙国一致内閣」の旗印のもと、内閣改造を迫るか、場合によっては倒閣に動く
可能性も大いにある。

○ ハマースとファタハの紛争激化

 ところで、「挙国一致内閣」が政局のキーワードに浮上しているのはレバノンだけ
ではない。イスラエルでは戦争指導の迷走ぶりで完全に求心力を失ったオルメルト政
権に対し、辞任あるいは内閣改造によって挙国一致体制をつくるよう求める声が高
まっている。

 第五次レバノン戦争のおかげで、すっかり影が薄れてしまったパレスチナ自治区で
も状況は同じだ。むしろレバノンやイスラエルと比較しても、もっと状況はひどく、
危険になりつつある。

 ハマース単独政府であるハニーヤ内閣は欧米諸国の兵糧攻めにあって、17万人に
ものぼる公務員にほとんど給与を支払えない状態が続いた。さらに6月のイスラエル
兵拉致事件以降はイスラエルによってハマース所属の閣僚やPLC議員が幾人も逮捕
拘束され、もはやハマース政府は機能しなくなった。

 この状況を受けて、ファタハとハマースの間ではいったんハニーヤ内閣が総辞職、
ハニーヤを首班にファタハも参画して挙国一致内閣を樹立する、という線で合意が出
来た。イスラエルの生存権すら否定するハマースの単独政府ではなく、ファタハが参
加する穏健な政府なら国際社会の支援再開を期待できると判断したのだ。こうして9
月13日、全閣僚がハニーヤ首相に辞表を提出した。

 ありがちなパターンであるが、しかしこの後になってハマース内では「何があって
もイスラエルの生存権など承認しない」という強硬論が台頭。ファタハとの間の組閣
交渉は暗礁に乗り上げた。

 ファタハ系列の治安機関要員や教職員らは、給与支払いを求めてPA施設にデモを
かけ、それをハマース直属の民兵組織(シヤーム内相が新たな治安機関として発足さ
せたが、アッバース議長の承認が得られないため、非公式な民兵という位置づけにと
どまっている)が実力で解散させようとし、ガザ南部を手始めに今月1日から各地で
銃撃戦が起きた。4日現在までに双方の死者12名、負傷者は100名以上にのぼっ
ている。自治政府関連機関やハマース系慈善組織の事務所が放火される事件も西岸・
ガザの各地で起きている。

 3日にはファタハ系の民兵組織、アル・アクサ殉教者旅団がハマースのトップ、マ
シュアル政治局局長ら3名を「汚らわしい扇動者の頭目ども」と批判、見せしめのた
めに処刑する、という声明を出すところまで過激化した。

 アッバースPA議長、ハニーヤ首相ともに、支持者に対して状況鎮静化を呼びかけ
ているが、アル・アクサ旅団はかつて故アラファト議長やハマースと組んで、アッバ
ース首相(当時)の指令を徹底的に無視、対イスラエル攻撃を激化させ、挙句はアッ
バースを辞任に追い込んだ前科がある。ハニーヤの方もダマスカスに居るマシュアル
ら強硬派にイニシャティブを奪われっぱなしの実権なき指導者であり、民兵に命令の
執行を徹底出来そうに無い。

 オスロ合意に則って、パレスチナ自治政府が1994年に誕生して以来12年。パ
レスチナ内戦の危機は現実化しつつある。しばらくはイスラエル、パレスチナ、レバ
ノン三カ国で、いずれも「挙国一致」が実現しない中途半端な状態が続くかもしれな
い。



連載第39回(2006年9月30日配信)

ブランメルツ第三捜査報告書

○ 反シリア連合の反撃

 22日の「神のもたらした勝利」祝賀大集会でヒズボッラーが仕掛けた政治的攻勢
に対し、反シリア連合はすぐさま反撃を開始した。

 24日にまずレバノン軍団(LF)が、ジュニエ市郊外のハリーサの丘にある大聖
堂で殉教者(内戦期以来の戦没者を指す)追悼ミサと集会を開催。数万人の支持者を
前に、ジャアジャア議長が激しい演説を行った。

 ジャアジャアの演説のほとんどは22日のナスラッラー議長演説への反論だった。
例えばナスラッラーが「強く、公正な国家」の樹立を求めたことに対して、「政府の
目先で公然と(ヒズボッラーが)武器を密輸するような状況で、どうやって強く公正
な国家をつくることが出来ようか? 国家をつくる大前提はヒズボッラーの武装問題
を解決することにある」と真っ向から反論した。

 同じく24日、ジュンブラートPSP党首も本拠地ムクターラを訪れた支持者のグ
ループの前で演説。22日にナスラッラーが「(ジュンブラートは)ヒズボッラーの
支持者は考えが足りないとか、全体主義的だとか、我々を侮辱している。謝罪せよ」
と述べたことについて、「ヒズボッラーは事実全体主義の政党だ。謝る気はない。自
分が謝るとすれば亡父カマールに対してのみだ」と言い放った。

 ワリード・ジュンブラートの父カマールはレバノン内戦初期の1976年、シリア
と対立し、シリアが軍事介入した後の1977年に何者かによって暗殺されている。
ワリードはカマールを殺したのはシリアだと確信しているにも関わらず・・・いや、
それ故に・・・亡父と同じ運命をたどることを恐れ、2004年まで一貫して親シリ
アのスタンスをとってきた。ワリードは、そのことを亡父に恥じる、と言っているの
だ。つまり、今後はシリアのこともヒズボッラーのことも恐れず、言いたいことを言
い、やりたいことをやる、と宣言したに等しい。

 さらに26日夜、ラフィーク・ハリーリの遺児でハリーリ派の総帥サアド・ハリー
リ議員が、ベイルートの私邸でイフタール(断食明けの夕食会)を開催。セニオラ首
相やスンニ派ムフティのカッバーニ師も居るこの席で、「第五次レバノン戦争は国民
的大惨事だった。戦争の結果レバノンは再び占領され、経済は破壊され、捕虜の数は
増えてしまった」と発言。戦争は「歴史的・戦略的勝利」だったとするナスラッラー
の見解を真っ向から否定した。

 それだけでなく、内閣改造を求めるナスラッラーの発言を「まるでダマスカスの言
い分を聞くようだ」と撥ね付け、改造には応じず、あくまでもセニオラ首相を守り抜
く姿勢を明確にした。

 これまで反シリア三巨頭・・・ハリーリ、ジャアジャア、ジュンブラート・・・の
間には明らかな役割分担があった。ハリーリはシリアを攻撃するが、ヒズボッラーへ
の攻撃はジャアジャアとジュンブラートに任せると言うのがそれである。

 ハリーリがヒズボッラーの直接批判を控えてきた背景には、スンニ派を代表するハ
リーリがシーア派最大勢力のヒズボッラーと正面衝突すれば、イラク型の内戦をもた
らしかねないという政治的判断が働いていたせいであろう。一方のヒズボッラーの側
にも、異教徒(ドルーズ派やキリスト教徒)のPSPやLFとは違い、同じイスラム
教徒のハリーリ派となら、少々の政治的立場の違いは克服できるという考えがあった
かもしれない。

 しかし、ヒズボッラーがはっきりとセニオラ内閣を標的にし始めたために、ハリー
リとしてもいつまでも受身のままでは済まなくなった。レバノン政局の二大陣営の旗
頭、ナスラッラーとハリーリが、これまでは辛うじて存在していた紳士協定を反故に
し、直接非難を応酬し始めたことにより、紛争回避のメカニズムがまたひとつ、取っ
払われたと言うべきかもしれない。

○ 公安長官留任

 前回報告したジェッズィーニ公安長官の処遇問題は、その後ジェッズィーニがフト
フトの命令を無視して出勤し続けたために、ハリーリ派の中から「ジェッズィーニを
逮捕して軍事裁判にかけろ」という声が出るところまでエスカレート、フトフトはと
うとうジェッズィーニを送検処分にしている。

 それでもベッリ国会議長をバックにするジェッズィーニは何もなかったかのように
出勤し、フトフトも内務治安部隊(ISF)にも手が出せない。セニオラとべッリの
間で、何とか双方の面子を立てて騒動に幕引きを図るため、幾度も協議が開かれた。
結局27日朝になって、ようやくジェッズィーニがフトフトを訪問、フトフトはジェ
ッズィーニの謹慎処分と送検処置を解き、この対立はいったん収拾された。

 そこからが面白い。フトフトは即座に声明を発表して「ジェッズィーニが謝罪し
た」と主張し、LBCなど反シリア系のメディアがそれを大々的に報じた。つまり、
暫定内相の権威は守られた、と宣伝したのである。これに対してベッリの側も間髪を
入れずジェッズィーニ謝罪の事実を否定し、アル・マナールなど親シリア系メディア
が大きく取り上げた。

「言った」、「言ってない」、とはまるで子供の喧嘩だ。しかも双方のメディアをフ
ル動員してそれをやるのだから、馬鹿馬鹿しい話ではある。

 しかし内相の命令に公然と反抗し続けた公安長官が、処分らしい処分を受けぬまま
地位を全うするという事実は動かない。政治的にはこの一件で、反シリア連合はまた
しても手痛い敗北を喫したと言える。

○ フランス語圏諸国サミット問題

 別の分野では反シリア連合が一矢を報いた。

 ラフード大統領が28日からブカレストで開催されるフランス語圏諸国首脳会議に
招待してもらえなかったのである。

 かつてフランスの委任統治領で、フランス語圏諸国会議の設立メンバーでもあるレ
バノンはサミットの常連だった。ラフード自身も2002年のサミットをベイルート
でホストし、大成功させている。それだけに今回招待してもらえなかったことが余程
腹に据えかねたのであろう、フランスのシラク大統領に対しては「個人的な理由(シ
ラクとハリーリ一族の親密な関係をさす)のために、伝統あるフランス・レバノン両
国関係を台無しにしている」、またホスト国のルーマニアに対しても「シラクの理不
尽な介入に屈した」と、恨みつらみたっぷりの声明を出した。さらには「レバノンか
らは誰が参加したとしても、それはあくまでも個人的なものであり決してレバノンを
代表するものではない」と念を押している。

 ルーマニアはセニオラには招待状を送った。セニオラ本人は欧州議会への出席とド
イツ訪問を理由に仏語圏サミットを欠席したが、かわりにミトリ文化相を参加させて
いる。そういうかたちで、公然とラフードの顔を潰したわけだ。反シリア連合の勝利
と言えるだろうが、シラクの支援という「外圧」があって初めて可能になった勝利で
あるのも間違いない。

○ ブランメルツ第三報告書

 さて、25日にはハリーリ前首相暗殺事件の国際捜査が始まってから第5回目、現
職のブランメルツ検事の手になるものとしては三度目の捜査経過報告書がアナン国連
事務総長に提出された。29日に安保理で審議される予定である。

 報告書提出前には例によって無責任な憶測や噂が飛び交った。某サウジ紙などは、
「今度こそ報告書はシリアの犯行であると断定する」とトンデモ記事を書き、レバノ
ンでもLBCやナハール紙など反シリア系メディアはそれにとびついて大きく報じた。
しかしフタを開けてみればブランメルツの先立つ二つの報告書同様、今回の報告書も
冷静極まりない筆致に貫かれており、憶測や推論に基づく部分はまったくなかった。
当然、特定個人や国家、組織を容疑者とみたてるような箇所も無い。

 例えば、捜査に対するシリアの協力は「概して有効でタイムリー」と評価しつつ
も、引き続き全面的な協力を求めている。ハリーリ暗殺事件と他の14件の爆破・暗
殺事件については相互に関連している可能性を強く匂わせているが結論は避けている。
また爆発の形態についても、自爆犯によるものであった可能性に大きく傾いているよ
うであるが、こちらも断定はしていない。

 要は、まさに「途中経過報告書」であり、結論や断定は先送りにするということだ。
従って、レバノン内外の反シリア勢力も、親シリア勢力も、この報告書をかつてのメ
ヘリス報告書のように、政治的なカードに用いることは出来ない。

 だいたい、第五次レバノン戦争という世界の耳目をそばだてる大事件が一ヶ月も続
いたから、ハリーリ暗殺事件の影はすっかり薄れてしまった。「まだそんな捜査をや
っていたのか」と思われた向きも居られよう。

 しかし、この問題は今後間違いなく再びレバノン情勢の焦点になる。何故なら、捜
査が終わると裁判が始まるからだ。

 裁判は「国際的性格を持つ法廷」で行われることになっている。

「国際法廷」ではなく、「国際的性格を持つ法廷」である点がポイントだ。なぜ単に
「国際法廷」ではないのか、と言うと、親シリア勢力が反対したからだ。国際法廷で
は、判事は全員外国人という可能性もある。それに対して、レバノン人も参加する
「国際的性格を持つ法廷」では、レバノン人法曹家が裁判の行方を左右出来る。

 レバノン人と外国人法曹家の割合はどうなるのか? そのレバノン人法曹家は反シ
リアの人間なのか、それとも親シリアなのか。誰が判事になるかによって、裁判の行
方は大きく変わる。だから、この法廷の判事構成や人選をめぐる交渉と言うのは、そ
れ自体がすでに親シリア派と反シリア派の政争の素材なのである。

 親シリア派による現在の内閣改造要求についても、反シリア派は「真の狙いは国際
法廷設置交渉のイニシャティブを奪って、法廷を骨抜きにする(=シリアに甘い法廷
にする)ことなのではないか?」と疑心暗鬼になっている。

 今後も反シリア派と親シリア派の間で政局の膠着が続く場合、大統領の去就問題や
ヒズボッラーの武装問題にかわって、ハリーリ暗殺事件国際裁判の法廷設置問題が、
政局の新たな台風の目として浮上するはずだ。



連載第38回(2006年9月24日配信)

羅針盤なき航海

○ 「神がもたらした勝利」記念大集会

 9月22日、第五次レバノン戦争で集中的な爆撃を受けたダーヒヤ(ベイルート南
郊外のシーア派地区を指す)に、レバノン各地から空前の大群集がやってきた。南部
の国境沿いの村から徒歩でやってきたというグループもある。

 鮮やかな黄地に緑文字のヒズボッラー党旗が、広大な会場を埋め尽くす。レバノン
国旗やアマル、アウン派=FPMなど、戦争中にヒズボッラーを支持した諸政党の旗
やレバノン国旗も散見される。参加者数推計はメディアによってまちまちである。ヒ
ズボッラー系アル・マナール・テレビの200万人は流石にどうかと思うが、50万
人程度は居ただろうというのが大方の一致した見方だ。2005年3月14日に反シ
リア連合が殉教者広場で行った大集会に匹敵するか、それをしのぐレバノン史上最大
規模の集会だったのは間違いない。

 7月12日に拉致された兵士の解放を口実に、レバノンに全面的な戦争を仕掛けた
時、イスラエル軍と米国は二週間程度でヒズボッラーを粉砕出来るとみていた。ペレ
ツ国防相ら政府と軍の首脳は、「戦争の目的はヒズボッラーの解体だ」と公言した。

 ヒズボッラー・ゲリラの抵抗が意外に頑強でミサイル攻撃も一向に収まらないのを
見て、イスラエルの達成目標はヒズボッラーのミサイル攻撃能力の破壊へと引き下げ
られた。それもままならないので米国が懸命に時間稼ぎしてやったが、やはり駄目だ
った。イスラエル軍は時間切れぎりぎりになってクラスター爆弾を闇雲にバラ撒き、
4万人の兵士と強力な戦車部隊を投入してレバノン南部を蹂躙しようとしたが、何十
両もの戦車を破壊されて返り討ちにあった。こうして戦争は終わった。

 それでも、イスラエルや米国、さらにレバノン国内の反シリア勢力からは「ヒズボ
ッラーは戦争に負けた」という声が止まない。曰く、「軽率な行動によってヒズボッ
ラーはレバノン国民を戦火に引きずり込んだ。ヒズボッラーへの支持は激減した」。

 ナスラッラーが「神がもたらした勝利」記念集会と銘打ち、22日の戦勝祝賀大集
会の開催を決め、大動員をかけたのはまさにここに理由がある。「ヒズボッラーは勝
った。国民の支持は戦前より高まりこそすれ、決して衰えてはいない」と全世界に、
そして反シリア連合に知らしめる必要があったのである。だからこそナスラッラー本
人も、イスラエルに暗殺される危険を冒して敢えてこの集会に顔を出した。

○ ヒズボッラーの戦後構想

 ナスラッラーは、「停戦後ほど無く、ヒズボッラーは軍事能力の建て直しに成功し
た。ヒズボッラーは今も20.000発以上のミサイル砲を所有しており、1982
年(ヒズボッラー誕生のきっかけとなったイスラエル軍のレバノン大侵攻が起きた
年)以来最強の状態にある」と誇り、ヒズボッラーは戦争で深刻なダメージを受け
た、とする米国やイスラエルの主張を一蹴した。

 また、「涙で国は守れない」と、戦争中にアラブ緊急外相会議で涙ながらに支援を
訴えたセニオラ首相を婉曲に、しかし痛烈に批判。「ヒズボッラーは当面停戦決議を
遵守するが、イスラエルが今のようにレバノンの主権侵害を続け、レバノン政府がし
かるべく対処出来ないのであれば、いつまでも黙っては居ない。1982年にそうで
あったように、レバノン国民が対処する」と、状況次第ではいつでもまたイスラエル
と戦うつもりであること、武装解除の意思はまったくないことをはっきりと示した。

 国内政治についても踏み込んだ発言をしている。

 セニオラ政権については「祖国を守る能力も、再建する能力もなければ国民を団結
させることも出来ない」と切り捨て、FPMなどヒズボッラーの盟友を取り込んで挙
国一致内閣を結成するよう要求した。

 最大野党のFPMの要求に、ヒズボッラーは閣内にありながらもはっきりと呼応し
たのである。以前のレポートでも報告したように、反シリア連合はラフード大統領が
その座にとどまる限り、内閣改造に応じる意思は無い。従って、FPM・ヒズボッラ
ー連合と反シリア連合の関係は今後ますます緊張の度を高めそうだ。後述するが、こ
れまでは火消し役に回っていたアマルも反シリア連合との関係を悪化させており、政
局は抜き差しならぬ状態にはまりこむ可能性がある。

○ UNIFILとの関係

 ナスラッラーはこの演説で、「次の戦争でヒズボッラーの武装解除が出来ると考え
る者が居るならば、リブニ(イスラエル外相)、ペレツ(イスラエル国防相)、アレ
ンス(同元国防相)らに聞くが良い。みんな『ヒズボッラーの武装解除を実現出来る
軍隊など地上に存在しない』そう言っているではないか」とも語っている。

 武装解除が出来ないからこそ、せめてヒズボッラーが新たに武器を補給するルート
を断ち切ろう、というのが安保理決議第1701号のエッセンスのひとつだ。拡大U
NIFIL部隊をシリア・レバノン国境に展開させよという議論や、ベイルート空港
や領海を監視させよ、という議論はここから出てくる。

 そのUNIFILの増派状況であるが、イタリア軍やフランス軍部隊が続々と到
着、南部に展開を開始し、20日までにその数はイスラエルが自国軍撤退の目安に設
定した5.000人に達した。このため、いったんハルーツ参謀総長は22日(ユダ
ヤ新年にあたる)の撤退完了見通しを語ったが、さすがにヒズボッラーの戦勝記念集
会当日ではまずいと思ったのであろう。完全撤退はユダヤ新年の休暇が明けるまで数
日間延期されることになった。しかしいずれにせよシェバア農地を除くレバノン領か
らイスラエル軍が出て行くのは間違いなさそうな状況である。

 しかし、UNIFIL軍とヒズボッラーの関係は微妙で、一歩間違えばいつでも衝
突が起きる危険をはらむ。

 22日の演説で「UNIFIL部隊は歓迎する。ただし、レバノン国軍の補佐とい
う本来の任務に徹することが条件だ」、ヒズボッラーの活動をスパイしたり、国内の
政争に首を突っ込むな、とナスラッラーはUNIFILに警告を発しているが、これ
が両者の危うい関係を象徴しているだろう。

 ドイツは21日に正式にレバノン領海に海軍艦艇と兵士2.400名を派遣、ヒズ
ボッラーへの武器密輸監視の任務にあてることを決定している。これによりドイツ海
軍は第二次世界大戦以来、初めて中東に展開することが確実となった。

 メルケル首相はホロコーストの記憶のためドイツ軍派遣には極めて敏感なイスラエ
ル世論を慮り、「ドイツ軍の任務はイスラエルを守るため」と言わずもがなのことを
言ってしまったために、ヒズボッラーをはじめレバノンの親シリア勢力の猛反発を招
いてしまった。

 ドイツ出身のローマ教皇ベネディクトス16世の発言がイスラーム世界に巻き起こし
た怒りも、鎮静化したとは言え、完全にはおさまったわけではない。むしろ断食月
(ラマダーン、週末から始まる)を迎え、怒りが増幅される恐れさえある。

 そんな中、仏、独、伊と欧州諸国が中核を担う拡大UNIFIL部隊は、ヒズボッ
ラーばかりでなくスンニ派の原理主義勢力からいつ「新たな十字軍」と見られ、攻撃
されてもおかしくない状況だ。

○ 治安機関をめぐる暗闘

 武器密輸絡みでヒズボッラーと対立するのはUNIFILだけではない。反シリア
連合も自らの影響下にある治安情報機関を用いて武器の流れをコントロールしようと
しており、親シリア勢力と激しくせめぎ合う。

 レバノンの治安情報機関は元来、すべてシリアやラフード大統領の強い影響下にあ
ったが、2005年2月のハリーリ暗殺事件を機に、反シリア連合が親シリア派を粛
清、自派の影響力拡大を図った。それ以来、両派は激しい暗闘を繰り広げている。

 反シリアのハリーリ派は、内相ポストと、内務省傘下の内務治安部隊(ISF)を
握った。そしてISFの情報局を大幅に拡大強化し、大統領派の牙城である国軍情報
部や、公安総局と競っている。ハリーリ暗殺事件の容疑者として国軍情報部、公安総
局、ISFの元ボスたちを逮捕したのもISF情報局だ。しかし、治安機関の幹部人
事は宗派に基づいて行われるために、反シリア連合は各組織のトップを逮捕あるいは
更迭しても、その後任に自派の人材を送り込むことが出来なかった。このため、依然
としてISF以外の組織ではシリアやラフード大統領、ヒズボッラーなどの影響が強
い。

 19日、反シリア系のLBCテレビの討論番組で、ジュンブラートPSP党首は
「ベイルート空港の貨物セクションを管理する公安総局がヒズボッラーへの武器密輸
に協力している」とジェッズィーニ公安長官を批判。21日、今度はヒズボッラーに
近い「アル・アフバール」紙などが「フトフト暫定内相(ハリーリ派の政治家)は公
安総局や国軍情報部の権限を縮小してISF情報局の拡大を進めている」とスッパ抜
いた。

 この政争は22日になって、とうとう暫定内相が公安長官(組織機構的には内務省
の管轄下)を20日間職権停止処分にする事態へと発展する。ジェッズィーニのパト
ロンであるベッリ国会議長は激怒し、右腕のハリール議員が緊急記者会見を開き「フ
トフトは暫定内相の立場を逸脱して権限を行使している。憲法に対するクーデターに
等しい」とフトフトを激越に非難した。

 今年の春には国民対話円卓会議を提唱・主宰し、第五次レバノン戦争停戦後には海
空封鎖に対して泊まり込み抗議行動を主導するなど、ベッリは政局が過熱する度に調
停役を果たしてきた。

 しかし反シリア連合が停戦後たちまちヒズボッラー攻撃を強め、ブレア英首相を招
くなど、ヒズボッラーを刺激していることを、不快に感じているらしい。そこに持っ
てきて今回公安長官の問題が加わったことで、ベッリとアマル自身も中立的な立場は
維持しづらくなった。

 25日にはハリーリ暗殺事件の国際捜査団のブランメルツ検事が中間報告書を安保
理に提出、月内に審議される。その後は国際法廷設置交渉も具体化していく。

 武装解除問題だけではなく、国論を二分する出来事は、今後も目白押しなのである。
かつてはシリアが、そして最近ではベッリが果たしてきた調停役を誰も演じなくなっ
た場合、いったいこの国の政治はどこへ向かうのであろうか。



連載第37回(2006年9月19日配信)

歴史認識の違い

○ 連続する記念日

 この季節、9月の中旬には中東とレバノンの現代史上、忘れられない事件の記念日
が連続する。2001年の9月11日は米国の同時多発テロ事件であまりにも有名に
なった。この事件は、その後アフガン戦争、イラク戦争、さらに米国の「拡大中東=
中東民主化政策」へとつながり、5年後の現在も中東全体を土台から揺るがし続けて
いる。

 1993年9月13日は、イスラエルとPLOが結んだ「パレスチナ暫定自治に関
する合意宣言」、すなわち「オスロ合意」の調印式がホワイトハウスで行われ、積年
の仇敵ラビン・イスラエル首相とアラファトPLO議長が歴史的な握手を交わした記
念日である。ラビンとアラファトは鬼籍に入ったが、実際にこの時の調印を行った脇
役二人…シモン・ペレスとマハムード・アッバース(アブ・マーゼン)は13年後の
現在も、それぞれイスラエル副首相、PA議長として…二人ともその影響力は著しく
衰えたが…現役で活躍している。

 私事で恐縮ながら、この時、私は日本の某NGOの現地駐在員としてパレスチナ占
領地に暮らしており、オスロ合意をめぐるパレスチナの世論の沸騰と分裂を間近に体
験する機会にめぐまれた。詳しくは拙HP中「パレスチナ関連未発表原稿」→「間近
で見たオスロ合意」をご参照いただきたい。テレビ朝日の「ニュースステーション」
の仕事で、先方はご記憶かどうかはわからないが、小宮悦子さんを友人の結婚式にお
連れした思い出もある。人間よりも羊やヤギの方が多い西岸地区の半農半牧の僻村
で、小宮さんが物怖じすることもなく村の女性たちの輪に入り込み、花嫁と楽しそう
に踊っておられたのが強い印象で記憶に残っている。

 オスロ合意は中東に9.11に勝るともおとらぬ大きな地殻変動をもたらした事件
だった。当時日本メディアの中でも、これが恒久的な中東和平への第一歩になるとい
う希望的観測が幅を利かせたが、結果はご存知のとおり。具体的な青写真も、執行力
も欠いたままの和平プランは、あまりにも脆かった。13年後のこんにちに至っても
パレスチナとイスラエルの和平への道筋はまったく見えない。

 なおオスロから三年後、1996年の9月13日にはレバノン南部で起きたイスラ
エル軍とヒズボッラー・ゲリラの戦闘で、ハーディ・ナスラッラーという若干18歳
の青年が命を落としている。無敵のヒズボッラーの指導者として今や神格化されるハ
ッサン・ナスラッラー議長の愛息である。

 政府高官の多くが様々な手段で子弟を兵役逃れさせるのが当たり前のレバノンで、
最愛の長男を戦場に送り「殉教」させたナスラッラーは、期せずして政敵たちからさ
えもある種の同情と尊敬を得るようになった。ナスラッラーはハリーリ元首相が暗殺
された後、「当時首相だったハリーリの強い希望で、政府はダーヒヤを走る道路を
『ハーディ・ナスラッラー通り』と命名した」という秘話を明かしている。若き殉教
者の名を冠したこの大通りは、その後ダーヒヤ随一の目抜き通りへと発展したが、今
度の戦争で灰燼に帰した。

○ 傷の記憶

 1982年9月14日はバシール・ジュマイエル暗殺事件が起きた日である。

 バシールはレバノン現代史上でも最も毀誉褒貶の激しい人物だ。キリスト教徒の名
門政党、カターイブ創始者で閣僚ポストを歴任したピエール・ジュマイエルの次男と
して生まれ、内戦勃発後はバラバラだったキリスト教徒の民兵組織を統合、レバノン
軍団(LF)へと育て上げていく。その過程でライバルのキリスト教徒民兵を粛清す
ることも辞さなかった。

 平和維持軍の名のもとで1976年にレバノンに駐留したシリアとキリスト教徒が
対立した時、キリスト教徒を引っ張ったのは当時まだ30歳にもならない若きバシー
ルだった。レバノンからシリアとPLOを追い出す夢と、大統領の座への野望を秘め
て、バシールはイスラエルとさえ積極的に協力した。1982年のイスラエル軍のレ
バノン大侵攻はこうして実現した。

 アラブの宿敵イスラエルと手を組んだことで、汎アラブの立場の人々にとってはバ
シールは永遠の敵役となった。その反面、自分をアラブとは考えないレバノンのキリ
スト教徒の多くにとっては、バシールは愛国の英雄である。

 バシールはイスラエル軍が取り囲むベイルートで首尾よく大統領に選出される。し
かし就任目前にベイルートのカターイブ本部もろとも爆殺された。ハビーブ・シャル
トーニという親シリア政党SSNPの活動家が犯行を自白して逮捕されている。軍事
的にイスラエルに敗退を強いられたシリアが、巻き返しを図ってバシールを消したと
いう見方が一般的だ。

 しかし、当時のLF支持者はシリアではなくパレスチナ人の犯行を疑った。その結
果起きたのが翌々日、9月16日に始まった有名なサブラ・シャティーラ難民キャン
プの大虐殺事件である。イスラエル軍が包囲する中、LFをはじめキリスト教徒民兵
組織が3日間にわたり「ゲリラ掃討作戦」の名のもと、キャンプ内で殺戮を欲しいま
まにした。この事件は世界を震撼させ、後にシャロン国防相(当時)の失脚につなが
る。虐殺自体は当時LFの情報局長だったエリ・ホベイカの犯行であることが確実視
されている。

 余談ながらこのエリ・ホベイカはその後、1985年にシリアと手打ちし、内戦終
了とともに親シリア・キリスト教徒政治家の重鎮として閣僚ポストを与えられている。
だがシリアで故ハーフェズ・アサド大統領が死去し、息子のバッシャールの代になる
とシリアの庇護を失い、2002年に何者かによってベイルート東郊外で爆殺された。
サブラ・シャティーラ事件について国際法廷でホベイカが証言することを恐れたイス
ラエルの仕業とも、CIAとの再接近をかぎつけたヒズボッラーの仕業とも言われる
が、真相は闇の中だ。

 今年の9月14日、ベイルートの教会でカターイブやLFの支持者が集まり、バシ
ール・ジュマイエルの追悼ミサと集会を行った。故人の遺児ナディーム以下ジュマイ
エル一族やジャアジャアLF司令官が参加したのは当然として、ハリーリ派の政治家
や、内戦中は激しくバシールと対立していたジュンブラート派の政治家も参加した。
一方16日前後にパレスチナ難民キャンプではサブラ・シャティーラ事件を記念する
集会やデモが実施されている。

 バシールという存在を歴史にどう位置づけるかと言うのは、まさにレバノンの歴史
認識問題そのものである。シリアの干渉排除とレバノンの主権回復を掲げる反シリア
連合にとっては、シリアと戦ったバシールは先駆者であり、イスラエルと協力したと
いうネガティブな事実はさして重要ではない。一方、イスラエルとの対決を最重視す
る親シリア勢力にとっては、バシールは決して許すことの出来ない裏切り者だ。

 靖国問題に見られるように、日本では60年以上前に起きた大東亜戦争の位置づけ
をめぐって、いまだに国論はまっぷたつに分裂し、政治テロさえ起きる(加藤議員宅
放火事件)。バシールの同時代者がまだまだ生きているレバノンで、国民の間に存在
する歴史認識の根本的なギャップを埋めるのは至難の業だ。

 ところでヒズボッラーのナスラッラー議長は17日、第五次レバノン戦争の「戦
勝」祝賀大集会を22日にダーヒヤで開催すると発表、国民に広く参加を呼びかけて
いる。

 戦争を「歴史的勝利」と位置づけるヒズボッラーと、「ヒズボッラーの独走の結果
起きた国民的惨事」ととらえる反シリア連合。第五次レバノン戦争で、レバノン国民
の間にはまたしても新たな「歴史認識」の食い違いが生まれた。

○ 第二の戯画問題へ発展か?

 今度の戦争やバシール・ジュマイエルどころか、中世の十字軍の歴史的意義につい
てさえ、レバノン国民の間では根本的な認識ギャップが存在し、容易に埋められそう
にない。

 イスラーム教徒にとって十字軍は言語道断の侵略者である。しかしキリスト教徒、
とりわけカトリックのマロン派の中には、アラブ人、イスラーム教徒こそキリスト教
が先に根付いていた地域に後からやってきた侵略者であり、従って十字軍は解放軍だ
ったという根深い考え方が存在する。

 日本史で言えば十字軍の時代とはおおよそ元寇の時代(最後の第8回十字軍出兵は
1270年。文永の役は1274年の出来事)。元寇が侵略行為であったのかどう
か、日本国内で深刻な論争が起きたということは寡聞にして知らない。ましてや、元
寇を理由に現代のモンゴルを敵視する日本人など私は会ったこともない。しかしレバ
ノンや中東では十字軍をめぐる論争や、十字軍を理由にイスラーム世界や欧米世界を
敵視する論説と言うのは、未だに日常の現実として存在するのである。

 この違いはどこから来るのであろうか?

 考えられるのは、元寇はたった二度の単発的な試みであり、しかも失敗に終わった
という点だ。もし一部なりとも元が日本の国土の占領に成功し、「日本モンゴル帝
国」を打ちたてていたら状況は大きく変わっていたに違いない。仮にその後「日本モ
ンゴル帝国」が解体消滅したとしても、モンゴル人を始祖とする日本人とそれ以外の
人々の対立は長く日本史に影響を及ぼしたであろう。

 十字軍の場合は200年程度で終了した。しかしその後もキリスト教徒世界とイス
ラーム世界の対立はかたちを変え、プレーヤーを変えながらも続いた。「反テロ戦
争」を十字軍になぞらえるブッシュ米大統領の不用意な発言が飛び出てくる土壌はそ
こにあるのであろう。

 ローマ教皇ベネディクトス16世がドイツにおける神学講義で、「イスラームは布
教に暴力を用いている」という趣旨のビザンツ皇帝発言を引用、イスラーム世界から
激しい反発を招いている。残念ながらこれまでほとんど教会が襲われたことがなかっ
たパレスチナでも、西岸やガザで教会が放火されるなど、「あくまでも古い文献から
の引用であり、自分の考えではない」という教皇の釈明にも関わらず、この事件は第
二のムハンマド戯画事件へと発展しかねない勢いだ。

 多宗派が混在するレバノンは、「文明間の対話」の先進国。対話が失敗して「文明
の衝突」を経験したこともたびたびだ。ただでさえ国内の緊張が高まっている今、教
皇発言問題が新たに宗派紛争をもたらすことがないよう、祈るばかりである。



連載第36回(2006年9月13日配信)

離婚は不可避か?

○ 波乱含みの政略結婚

 かたや、シリア軍のレバノン撤退以降も一貫して親シリアの立場を貫くヒズボッラ
ー。かたや米仏両国やサウジの支持を頼りに、シリアの影響の排除に懸命な反シリア
連合。2005年の国政選挙で、両者はこの根本的な政治姿勢の隔たりにあえて目を
つぶり、選挙協力した。或る種の政略結婚だったと言える。

 順当に選挙に勝ち、国会内で地位を固めた革命政党ヒズボッラーは、野党の立場を
貫くという結党以来の党是を捨て、セニオラ内閣に初めて閣僚を送った。これも、ヒ
ズボッラーが閣外で政府決定をブロックすることを恐れる反シリア連合と、反シリア
連合の独走を抑えるには閣内に居た方が有利というヒズボッラー側の計算がたまたま
一致したからだ。皮肉な話だが、両者は立場が隔たり過ぎているが故に、結婚するし
か選択がなかったと言うべきか。

 この政略結婚はたびたび破綻の危機を迎えた。特に深刻だったのは、2005年1
2月、反シリア連合のトウェイニ議員が暗殺された後である。ヒズボッラーはハリー
リ暗殺事件国際捜査団の捜査権限拡大を決めるなど反シリア連合の独走に反発、同じ
シーア派のアマルとともに、シーア派閣僚5名の閣議参加を凍結する措置をとった。

 ヒズボッラーの政府参加が政略結婚だとすれば、閣議ボイコットはさしずめ家出あ
るいは別居状態か。しかしシーア派閣僚は辞任には踏み切らなかった。離婚届に判子
を押さずに、ベッリ国会議長の和解調停を受け入れたのだ。最終的にセニオラ首相が
国会で「ヒズボッラーの対イスラエル武装闘争は、国民的な反占領闘争であると認識
している」と答弁、ヒズボッラーの面子を立てて事態は収拾された。こうして50日
ぶりに再び同居生活が始まった。

○ 口撃の応酬エスカレート

 別居状態解消の条件が、反シリア連合によるレジスタンスの正当性承認であった以
上、前者がふたたびレジスタンスの正当性に疑義を挟み、声を大にしてヒズボッラー
の武装解除を求め出したら、別れ話が再燃するのも当然だ。

 前回のレポートではブリストル会議がヒズボッラーの武装解除要求を前面に打ち出
した件を報告した。それ以降、両者の口撃の応酬はエスカレートする一方で、もはや
離婚を回避するのは難しくなってきた。別れ話がもつれて刃傷沙汰になる恐れさえ出
ている。

 反シリア連合は、ヒズボッラーがアウン派に同調して内閣改造を求めていることに
ついて、「ハリーリ暗殺事件の国際法廷設置を阻止するつもりだろう(ジュンブラー
トPSP党首)」と、その意図に疑いを投げかける。いま親シリア派の言いなりに
「挙国一致内閣」を結成し、親シリア派の発言力が強まれば、今後ハリーリ暗殺事件
の国際捜査や、大統領選挙(2007年11月)や国政選挙前倒しなど、今後の政局
の様々な局面でイニシアティブを奪われてしまうという反シリア派の恐れがこのジュ
ンブラート発言からみてとれる。

 ヒズボッラー系のアル・マナール・テレビや、反ハリーリを身上とするNTVなど
のメディアは、政府による戦後復興支援事業の策定や資金の支払いが不透明に行われ
ていると追及、アウンなどは「反シリア連合が内閣改造に応じないのは、復興資金を
盗み続けるためだ」と政府を攻撃する。

 ヒズボッラーは武装解除要求にはあえて反論せず、対話の必要だけを説く従来の方
針を転換、ブリストル会議を正面から批判する声明を発出し、「もはやセニオラ内閣
が改造なしに存続することは許されない」という立場を前面に打ち出した。

○ ブレア首相来訪

 過熱する一方の国内の緊張に油を注いだのは、中東歴訪中のブレア英国首相が11
日に行ったレバノン電撃訪問である。

 第五次レバノン戦争を通じて、英国はアフガン戦争やイラク戦争の時と同様、まっ
たく米国と歩調を合わせ行動した。つまり停戦決議成立を遅らせる方向に協力したの
である。

 ヒズボッラー支持者や戦争被災者が英国に抱く感情は推して知るべしだが、それだ
けではない。戦争中、米国はイスラエルへのスマート爆弾供与を英国経由で行ったと
レバノンでは報じられている。だから、ヒズボッラーの支持者にとっては、ブレア首
相は「人殺しへの加担者」に他ならない。

 ブレアはベイルート空港に到着すると、例によってラフード大統領をボイコット、
大統領府には赴かず首相府でセニオラ首相と会談した。セニオラとの合同記者会見で、
ブレアはレバノンの戦後復興支援や、国軍のトレーニングや装備強化などに協力する
立場を表明している。しかし親シリア勢力にとっては、米国や英国がヒズボッラーへ
のカウンターバランスとしてレバノン国軍の強化に取り組むこと自体が内政干渉であ
り、座視出来ないことだ。だから支援表明をやってもレバノン人の反発を和らげるこ
とは出来なかった。

 ブレアとセニオラ政府閣僚との会談にはサッルーフ外相を除き、シーア派閣僚は全
員欠席。ベッリ国会議長自身もブレア来訪の前々日にそそくさと「私用で」渡欧し、
体よくブレアとの会談から身を交わした。対照的にサアド・ハリーリ議員、ジュンブ
ラートPSP党首ら反シリア連合の政治家は、セニオラとともにブレアを囲む昼食会
に参加している。

 ブレアが首相府で会談中、ヒズボッラー支持者をはじめ、戦争中の英国の立場を非
難する数千人規模の群集が、厳戒態勢のダウンタウン近くで集会を行い、口々にブレ
アと、そのブレアを賓客として受け入れたセニオラ首相を批判した。

 ブレアのレバノン滞在は正味4時間程度であったが、レバノン国内世論の分裂を深
めるには十分だった。

○ 一線を超えた口撃

 ブレアがベイルートを去った後、11日夜には戦災被害がまだまだ生々しいダーヒ
ヤ(ベイルート南郊外)で、ヒズボッラーが戦後初めての集会を開催。アリ・アンマ
ール議員が反シリア連合政治家のことを「イスラエルや米国と組んで、ヒズボッラー
の抹殺を謀っている」と激越に非難した。

 続いて12日放映されたアル・ジャジーラ・テレビのインタビューで、ナスラッラ
ー議長は、「反シリア連合は戦争開始直後から停戦するまで、『ヒズボッラーはイラ
ンの核問題から世界の目を逸らすため戦っている』『シリアのためにハリーリ暗殺事
件の国際捜査から世界の目を逸らそうと対イスラエル戦争を仕掛けた』などとヒズ
ボッラーを貶めるキャンペーンを展開、幾度となくヒズボッラーの背後を刺した。こ
れは単に背後を刺したと言うよりも、もはや敵の側について戦争に参加していたに等
しい」と発言。

 かつて日本の左翼の内ゲバや、パレスチナのインティファーダの裏で、イスラエル
への内通者……あるいは単にその嫌疑を受けた者……が、裁判もなく同胞に処刑され
ていった例を見るまでも無い。

 同胞を敵への内通者呼ばわりするところまで来れば、殺し合いが始まるまではあと
一歩だ。ヒズボッラーはその危険をわきまえているから、第五次レバノン戦争が終わ
るまで、いくら政治的立場が対立する相手であっても、レバノンの他の国内勢力を通
敵行為で非難することは避けてきた。

 しかし戦争と、それがもたらした破壊と流血が流れを変えた。

 今回、ヒズボッラー首脳から相次いで反シリア連合を敵への協力者扱いする発言が
出て来たことで、レバノン国内の緊張は一層激化しそうだ。この緊張が政治テロや宗
派紛争へと発展しないことを願うばかりである。

 なお、同じインタビューでナスラッラーは、ブレアのレバノン訪問についてこう
言っている。「ブレアは殺人の加担者だ。そのブレアを賓客として受け入れるとは、
セニオラ首相や反シリア連合の政治家には、戦争で殺された者、負傷した者、家を壊
され難民となった者たちの感情への配慮はまったく無いのか?」

 確かにそのとおり。セニオラは無神経過ぎたかもしれない。しかしこれに対し、反
シリア連合はこう応えるであろう。「勝手に戦争を始め、何の罪も無い多くの国民の
生活を破壊して、『イスラエルに勝利した』と誇るとは、ヒズボッラーには国民の感
情に対する配慮というものが無いのか?」。

 ヒズボッラーと反シリア連合の対立には、従来の政治路線上の対立にとどまらぬ感
情的な要素が加わっている。どこかで落としどころを見つけないことにはいつ暴発し
てもおかしくない。

○ ダマスカス米国大使館襲撃事件

 さて、ハリーリ暗殺事件の国際捜査や、拡大UNIFIL部隊の国境展開問題をめ
ぐって、米仏両国とシリアが対立を深める最中の12日、ダマスカスの米国大使館が
武装グループに襲われるという事件が起きた。

 シリア国営通信や内相の発表によれば、武装グループはスンニ派原理主義組織(名
称には言及なし)の4名で、自動車爆弾を爆発させた上、RPGミサイル砲などを用
いて大使館の襲撃を図ったが、シリア側警備要員との銃撃戦の末、3名が死亡、1名
は負傷して攻撃は失敗に終わった。米国大使館のスタッフには被害はなかった。

 数年前から、ダマスカスはじめシリアの各地で結構頻繁にスンニ派原理主義組織に
よるテロ事件、あるいはテロ未遂事件が起きている……とシリア国営通信は報じてき
た。何しろメディアの報道には厳しく目を光らせる警察国家体制であるから、自由で
中立的なメディアが事件の真偽を確認して報じることは出来ない。

 しかも、これらの事件はアサド政権にとっては「シリアも原理主義の脅威と戦って
いるのだ」「アラウィ派(イスラーム教の異端とみなされる)主導の世俗的なバアス
党政権が倒れると、過激なスンニ派原理主義者が政権をとってしまう、それでもいい
のか?」と、政権を擁護するメッセージを送るチャンスにもなる。

 だから、この手の事件が起きた時、外国メディアの報道姿勢はかなり懐疑的だ。

 12日の米国大使館襲撃事件についても、アル・ジャジーラやBBC、CNNなど
はいずれも事件を事実として断定することは避け、「『米国大使館襲撃事件をシリア
治安当局が未然に防いだ』とシリア当局は言っている」と、かなり懐疑的な調子で報
じている。

 12日は米国同時多発テロ事件発生5周年記念日の翌日。しかも11日にはアル・
カーイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリが新たなテロ攻撃を予告するビデオ声明
を出している。そんな状況であるから、実際にシリアの治安当局の監視の目をくぐっ
て決行されたテロ事件であった可能性は否定出来ない。米国もとりあえずライス国務
長官らが「テロ攻撃へのシリア当局の対応」への謝意を表明している。

 果たして、シリアのスンニ派原理主義組織は首都の、それも大統領宮殿のすぐ近く
で白昼にテロ事件を起こすだけの能力を本当に持っているのであろうか? もし持っ
ているのであれば、シリアやレバノンでもいずれイラクやサウジのように、原理主義
のテロが猛威を振るう脅威は現実ということになる。

 もし持っていないとすれば、それは体制側が原理主義組織のテロリズムを猛獣使い
のように使いこなして、政治的プロパガンダに利用しているということになる。それ
もそれで恐ろしい話だ。



連載第35回(2006年9月8日配信)

「日常」を取り戻すレバノン

○ 空域封鎖解除

 7日午後6時。天気快晴、視界は良好。

 首都ベイルートの上空にパリ発の中東航空1210便が姿を現した。白い尾翼には
国旗と同じくレバノンのシンボル、レバノン杉が鮮やかな緑色で描かれている。飛行
機はゆっくり高度を下げ、議員たちが終結する国会議事堂の真上をゆっくりと旋回し
た後、そこから数キロ南に離れたベイルート国際空港(故ハリーリ首相にちなみ、
「殉教者ラフィーク・ハリーリ国際空港」という別名を与えられている)に着陸した。
操縦席右側の窓から突き出されたレバノン国旗が、爽やかな初秋の風にたなびく。

 ME(中東航空)1210便はイスラエルによるレバノンの空域封鎖が解除されて、
初めて着陸した民間商業機である。続いてクウェート航空機、ロンドン発の中東航空
機が相次いで着陸を果たした。レバノンの空の玄関口、ベイルート国際空港は7月1
2日以来、およそ2ヶ月ぶりにようやく正常に稼動し始めた。

 イスラエルは7日の午後6時を以って、レバノンの空域封鎖を解除した。オルメル
ト政権が軍や拉致兵士家族の強い反対を押し切ってベイルート空港再開を認めた背景
には、米国と国連の強い圧力があった。米国や国連にしてみれば、封鎖を継続したと
ころで拉致兵士解放の目処が立たないのであれば、早めに封鎖をやめて苦境のセニオ
ラ首相を救った方が得策だ、という判断があったのであろう。セニオラ政府の必死の
嘆願にも関わらず封鎖が長引くとレバノン政府と反シリア連合の権威は失墜し、ヒズ
ボッラー以下の対米・イスラエル強硬派がますます勢いを得ることになる。

 アナン事務総長とライス米国国務長官は、関係各国とぎりぎりの調整を続け、最新
装備を携えたドイツの治安部隊関係者がベイルート空港でレバノンの空港当局を支援
し、武器密輸を監視するという線でイスラエルを説得した。

 ドイツはさらに海軍もレバノンの領海に派遣し、レバノンの港湾を経由した武器密
輸を取り締まることに合意した。これによって海上封鎖も同時に解除されることに
なった。こちらはドイツ海軍艦艇到着までのアレンジに不備があるということで、7
日の封鎖解除は延期されたが、イスラエル政府筋は48時間程度で解除が実現すると
いう見通しを伝えている。

 戦争に起因する非日常の要素が、これでまたひとつ消えた。

○ 情報機関幹部暗殺未遂

 5日にはレバノンにもうひとつの「日常」が戻ってきた。

 内務治安部隊(ISF)情報局の副長官サミール・シハーデが暗殺未遂に遭ったの
である。安保理決議第1559号が採択された2004年9月以来、2005年末までの
1年3ヶ月の間、反シリアの立場をとる政治家やジャーナリスト、あるいはキリスト
教徒地区を狙った暗殺・暗殺未遂・爆破事件は実に14件も起きている。第五次レバ
ノン戦争が始まるまで、暗殺事件はまぎれもなくレバノンの日常の一部だった。

 シハーデは、部下やボディーガードとともに2台の車に分乗し、サイダ市近郊の自
宅からベイルートのISF本部へ出勤する途中だった。2台の車はルメイラ村の路傍
に仕掛けられた爆弾の直撃を受けた。シハーデは負傷したが一命を取り留めた。しか
しボディーガードら4名は死亡した。

 シハーデが助かったのは替え玉を使ったからだ。シハーデは普段は黒の日産パス
ファインダーを自分で運転するが、この日は後続の白のパスファインダーに乗ってい
たため、難を逃れた。替え玉になった哀れなボディーガードは死んだ。

 2005年2月のハリーリ元首相暗殺事件以降、7月のセニオラ政権発足につなが
る一連の政変の中、反シリア連合はラフード大統領派をはじめとする親シリア勢力と
の間で、激しく治安関連ポストを奪い合った。そのうち、首尾よく反シリア連合が奪
取したのは、内務省とその傘下にあるISFである。シハーデはそのISFの副長官
として、ハリーリ暗殺事件の捜査に大きな役割を果たしてきた。2005年8月に起
きたサイイド公安長官(当時)、ハムダーン共和国防衛隊司令官ら、治安機関首脳一
斉逮捕の陣頭指揮もとっている。いわば、ハリーリ暗殺犯追及の最前線に居る人物
だった。

 7日からはアナン事務総長の法律顧問ニコラ・ミシェルが、レバノン政府との間で
交わす国際法廷設置に関する合意文書の草案を携えレバノンに来訪している。ハリー
リ暗殺事件の容疑者を裁く国際法廷設置の交渉が、いよいよ山場にさしかかっている
のだ。また今月中にブランメルツ国際捜査団は捜査経過報告書を安保理に提出するこ
とになっている。捜査と裁判所設置交渉が重要な局面を迎えたところで、枢要な捜査
担当官の命が狙われたのである。

 替え玉を用意していたことから明らかなように、シハーデは脅迫を受けていた。そ
してミシェルがレバノンに到着する直前のタイミングで狙われた。

 シハーデはハリーリ暗殺事件以外にも、レバノン国内のアル・カーイダ組織や、7
月にドイツで起きた鉄道網爆破未遂事件(レバノン人容疑者3名が拘束されている)
の捜査も手がけていたと言い、即断は禁物だが、事件のタイミングを考えると、やは
りハリーリ暗殺事件の容疑者=シリアが怪しまれて当然の状況である。

 それにしても、もし今回の暗殺未遂にシリアが背後で糸を引いているのであれば、
実に大胆不敵と言わざるを得ない。ハリーリ事件を材料にして締め付けを強める米仏
など西側世界に対して、あくまでも挑戦するつもりなのであろうか。とすれば、また
してもレバノンがその争いの舞台になってしまう。

○ シリア議員団の訪問

 シリアと言えば、シリアの国会議員6名と、各宗派の聖職者たちからなる合同代表
団が6日、レバノン国会を訪問している。「第五次レバノン戦争におけるレバノンの
勝利を祝福し、イスラエルによる封鎖解除要求に連帯する」というのが公式の訪問目
的である。

 しかし、8月15日にはアサド大統領が「反シリア連合はイスラエルの被造物」と
こきおろす演説をやっているのだ。レバノン国会の過半数を握る反シリア連合にとっ
ては、シリアの議員団がレバノン国会にやってきて「寛容と友愛」を説くというのは
挑発以外の何ものでもない。

 反シリア連合の議員はシリア代表団が国会議事堂に入る前に示し合わせて退出し、
サアドッディーン・ハリーリ議員の私邸に集結した。そして代表団が退出した後に国
会議事堂に舞い戻り、「友愛を示したいのであれば、シリアに拉致拘束されているレ
バノン人政治犯を連れ帰ってきて欲しかった」「シリアはレバノンへの連帯を示す前
に、まずレバノンの主権を認め、レバノンに関する国連決議をすべて履行すべきでは
ないか」と、痛烈にシリア代表団を批判する声明を読み上げている。

 封鎖反対でレバノンの各派の国会議員が団結しているところへシリアの代表団が乗
り込んでくれば、レバノン議員団が分裂することは火を見るよりも明らか。そこをあ
えて乗り込んできたからには、分裂させること自体が目的であったとしか思えない。
反シリア連合は、レバノンへのカムバックを図るシリアが、露骨に国論分裂を仕掛け
てきたのだと警戒を隠さない。

○ ブリストル会議

 シリア代表団訪問の翌日、空域封鎖が解除された7日に、反シリア連合の政治家は
久々にベイルートのブリストル・ホテルに集まり、第五次レバノン戦争後の行動方針
を協議した。ハリーリ議員、ジュンブラートPSP党首、ジャアジャアLF議長の反
シリア三巨頭もこぞって出席した。

 会議はあらためて、ラフード大統領には退陣を、ヒズボッラーに対しては武装解除
を、シリアに対しては安保理決議遵守とレバノン内政への干渉停止を求めた。

 この3点はおおむね前日6日にマロン派司教会議が発表した声明と同じ内容だ。さ
らに、ブリストル会議の数時間後にはセニオラ首相も記者会見で声明を読み上げ、
まったく同じことを求めた。

 反シリア連合の要求は、第五次レバノン戦争以前の立場の繰り返しであり、特に真
新しいものではない。しかし、戦争中、そして戦後は封鎖への抗議行動を通じて生ま
れたある種の国民的な一体感や連帯感はこれで消滅した。国難を前に現出した融和ム
ードははかなく消えて、ふたたび対決モードが表に出て来たと言うべきかもしれない。

 セニオラ首相は声明で「国家のみが」「国軍のみが」と連発、ヒズボッラーが国家
内国家として独自に武装し、独自の行動をとり続けることにはっきりノーと言った。
例えば「国防は国軍だけが責任を負うべきであり、パートナーは必要ない」と語って
いる。これは「正規軍(国軍)と非正規軍(ヒズボッラーのゲリラ)が相互補完して
こそ安全保障が成り立つ」とするヒズボッラーの国防理論への真っ向からの挑戦であ
る。

 イスラエルとの戦争という非日常が終わるや否や、親シリア派と反シリア派が対立
し、反シリア派はシリアのカムバックを恐れる日常がレバノンに戻ってきた。どう
やっても政治的な安定はあり得ないと言うのが、この国の宿命なのであろうか。



連載第34回(2006年9月6日配信)

終わりなき外交戦争

○議事堂に泊り込む国会議員

 レバノン政財界の目下最大の関心事は、第五次レバノン戦争が勃発した7月12日
以来、イスラエルにより課せられている海上・空域封鎖を、いかに打破するかという
一点にある。天然資源に乏しいレバノンの経済は観光業と貿易に大きく依存している。
海路・空路がともに封鎖された現在の状況が続くと、戦後復興プロセスに与える悪影
響は計り知れない。

 国会議長でアマルの党首、ナビーヒ・ベッリは8月31日、ティール市で開かれた
ムーサ・サドル師(アマルの創設者。レバノンのシーア派の生活水準向上に貢献した
が1978年のリビア公式訪問中に謎の失踪を遂げた。現在でもシーア派レバノン国
民の間で深い尊敬を集める。イラン出身)の失踪記念大集会で、9月2日からベイル
ートの国会議事堂に泊り込み、封鎖に対する抗議行動を展開すると宣言。党派・宗派
を超えて泊り込みに参加するよう、議員たちに呼びかけた。

 一刻も早い封鎖解除は国民的な課題であり、それを求めてアクションを起こすこと
には誰にも異存はない。こうして右はLFやPSP、ハリーリ派から、左はアウン派、
ヒズボッラー、アマルの議員までが、連夜10数名ずつ交代で国会議事堂に泊り込み
を始めた。

 アナン事務総長やシラク大統領、プーチン大統領など、世界の首脳がいくら声を大
にして即時停戦を求めても、まったく聞く耳を持たずレバノンの民間標的を爆撃し続
けたイスラエルが、レバノンの国会議員が泊まり込みをやったところで封鎖を解除す
るはずはない。ハンストを提案する議員もいるが、ジュンブラートPSP党首などは
パレスチナ革命の標語「アッサウラ・ハッタ・ナセル(革命は勝利の日まで)」をも
じって、「シヤーム・ハッタ・モウト(ハンストは死んでしまうまで)」と自嘲気味
に語っている。自国の安全保障が確保されない限り、イスラエルはレバノンの国会議
員が泣き喚こうが栄養失調で死んでしまおうが、封鎖をやめない。レバノンの政治家
であればそれは誰でも知っている。

 となると、老獪な政治家ベッリが前代未聞の国会議員合宿を始めた狙いは別のとこ
ろにあるとみるべきだろう。

○緊張緩和が狙いか?

 ハリーリ前首相暗殺事件一周忌の2月14日、反シリア連合が1ヶ月以内にラフー
ド大統領を引き摺り下ろすことを宣言、政局が一気に緊張を増した直後、ベッリは各
派巨頭があまねく出席する国民対話円卓会議を提案。巨頭たちはこれに応じ、親シリ
ア派と反シリア派が街頭行動に打って出て、衝突・流血に発展する最悪の事態は回避
された。

 会議を通じて、両派の溝は根本的にまったく埋まらなかったが、各派のボスが定期
的に顔をつきあわせて協議している時に、支持者が勝手に街頭行動をやるわけにはい
かない。ベッリは円卓会議主宰という方法で、暴発寸前の緊張を緩和させたのだ。

 現在の状況は当時に酷似している。

 アウン派とヒズボッラーが求める内閣改造の動きを、反シリア連合は「シリアと結
託して(反シリア連合が議会の多数派となった)2005年国政選挙の結果をひっく
り返そうとするクーデター」、「内閣改造の前にラフード大統領が辞めるべきではな
いか」、と、厳しく批判。これに対してアウンはいかにも元軍人らしい権威主義的な
態度で、「キリスト教徒最大派閥(アウン派)を含まぬセニオラ内閣の存続自体が非
民主的だ。セニオラには辞めてもらうしかない」と、対決姿勢をエスカレートさせる
一方だ。

 ハリーリ派とヒズボッラーの相互不信も深刻だ。

 サアド・ハリーリ議員はヒズボッラーが7月12日にイスラエル兵士拉致作戦に踏
み切る数日前にナスラッラー・ヒズボッラー議長と5時間以上にもわたって会談し、
「ヒズボッラー側からイスラエルに手を出すことはない」という言質をとっている。
にも関わらずナスラッラーが「確かな約束」作戦を発動したことで、ハリーリは裏切
られたと思っている。

 ナスラッラーの側も、開戦直後にハリーリがサウジやヨルダンに同調、「無責任な
冒険主義者は裁かれねばならない」と、まるでヒズボッラーはもうこれでお仕舞いだ、
と言わんばかりの態度をとったことを忘れてはいない。ハリーリとナスラッラーの相
互不信は、いつスンニ派とシーア派の宗派紛争に転化してもおかしくない。

 一歩政局の舵取りを間違えれば、いつどこで発火するかわからないような危険な状
況なのである。

 本来なら、ベッリは再び円卓会議を招集したであろう。しかしナスラッラーが地下
潜伏を続ける現状では、円卓会議の再開は到底無理だ。そこでベッリが考えたのが、
「国会議員合宿」作戦だったのではなかろうか。各派所属の議員たちを呉越同舟で国
会議事堂に缶詰にし、封鎖解除のための作戦を連日協議させる。そうすることで、普
段ならば口も聞かない関係の議員同士の間に、人間的な信頼関係や友情、連帯感が生
まれ、相互の立場を理解しやすくなるだろう。

 初日の2日は、犬猿の仲のLFとFPMそれぞれのナンバー2、アドワーン議員と
カナアーン議員が議事堂内部の同じ部屋で泊まった。2人が個性的でワンマンなそれ
ぞれの上司……ジャアジャアLF議長とアウンFPM党首……のことを愚痴り、そう
か、貴君も苦労しているんだなあ、と互いに慰めあう光景が目に浮かぶようだ。ベッ
リの狙いが真実、緊張緩和にあるのだとすれば、さすが「火消し役」のあだ名にふさ
わしい妙案と言える。

○カタル航空機の「封鎖破り」

 そんな中、3日にカタルの国営航空会社、カタル航空は、空路封鎖を破ってイスラ
エルの事前承諾なく、アンマンを経由することもなく、ベイルート空港に直接乗り入
れる商業便を再開させると宣言。翌4日にドーハから実際に142人の客を乗せてベ
イルート空港に航空機を着陸させた。ベッリ議長やサファディ運輸・公共事業相は各
国の航空会社に対して「イスラエルの許可を得ずに、ベイルートに向けて直接飛行機
を飛ばすよう」要請していたが、それに応えた第一号機となった。

 ヒズボッラー系のアル・マナール・テレビも含め、レバノンのテレビ各局はこれを
敢然たる封鎖への挑戦だ、壮挙であると絶賛、後に続くように他の航空会社に呼びか
けている。

 しかし、他ならぬレバノンの国営航空会社の中東航空も、これまでのところ「封鎖
破り」はやらずに、すべてのフライトをアンマン経由で飛ばしているのだ。カタル航
空が最悪の場合は撃墜される危険を冒してまで本当に「封鎖破り」をやったのかどう
か。

 イスラエル紙「イディオト・アハロノット」電子版は、「カタル航空は人道支援物
資の搬送という目的で既に1週間前に今回のフライトの許可を申請、イスラエル側が
許可している」と報じているが、おそらくこれが真相だろう。なお、カタルはイスラ
エルとの間に通商代表部を交わしている。

 ペルシア湾岸の小さな首長国カタルは汎アラブ、反米、反イスラエル姿勢で日本で
も有名になった衛星テレビ局アル・ジャジーラのスポンサー。しかし上述したように、
イスラエルとの間に外交関係を持ち、イラク戦争では米軍の本部基地を受け入れるな
ど、米国、イスラエルとの関係も良好だ。

 にも関わらず、と言うべきか、それとも、それ故に、というべきなのか。第五次レ
バノン戦争において、カタルは大きな役割を果たした。まずはアラブ連盟を代表する
非常任理事国として、カタルは安保理を舞台にレバノンの立場を徹底的に擁護。イス
ラエル寄りの米仏停戦案を、レバノン政府の意向に沿って修正する上で大きく貢献し
た。

 停戦発効1週間後の8月21日には、外国元首としては初めてハマド・ビン・ハリ
ーフェ・アール・サーニ首長がレバノン訪問を果たし、ダーヒヤの被災地区を視察。
この時には西側諸国や国連がボイコットするラフード大統領を敢えて訪問、ハリーリ
派(セニオラ首相)ばかりではなく、ラフード、ヒズボッラーからも熱烈な歓迎を受
けた。

 ストックホルムのレバノン復興支援国会議では一国としては最高額の財政貢献を約
束。さらに4日には、アラブ諸国としては初めて拡大UNIFIL部隊への2〜30
0人規模の派兵を表明している。

 東にイラン、西にサウジと言う大国に挟まれ、西側寄りの立場と汎アラブの立場を
両立させるカタルの外交は、ほとんど曲芸的とさえ言える。しかし、可能な限り敵を
つくらず、敵対する国のいずれからも最大限の利益を引き出すことが外交の要諦であ
るとすれば、カタルがやっている手品のような外交は、ある意味で理想の外交術とも
言える。

 対決の様相を深めるイランと米欧との間に挟まれて、日本は今後難しい外交を求め
られるが、カタルの巧みな遊泳術はその際に参考になるかもしれない。



連載第33回(2006年9月2日配信)

内閣改造圧力高まる

国連事務総長の中東歴訪

 アナン国連事務総長は28日にレバノンに到着、ベイルートで1泊した後、翌29
日夕方イスラエルに移動した。アナンの今回の訪問先は中東11カ国。シリアやイラ
ンとの交渉を拒否する米国とは違い、アナンは両国も訪問し、ヒズボッラーへの武器
供与問題やイランの核開発問題に関しても協議する予定だ。

 アナンがレバノンとイスラエルを相次いで訪問したのは、両国に安保理決議第1701
号の遵守と履行を求め、いつ壊れてもおかしくない現在の危うい停戦状態を何とか維
持し、長期的な停戦につなげるためだ。そのためにレバノンではベッリ国会議長、セ
ニオラ首相に加えて、ヒズボッラー所属閣僚(フネイシュ水資源エネルギー相)とも
会談し、ヒズボッラーが拉致・拘束しているイスラエル軍兵士2名の速やかな解放を
要求している。

 しかしアナンの外交は出足からつまずいた。フネイシュ大臣は会談翌日の記者会見
で、「イスラエル兵士の無条件解放はあり得ない。第三者を通じ捕虜交換交渉をする
というのがヒズボッラーの原則的立場だ」と、アナンの要請は撥ね付けている。セニ
オラ首相やヒズボッラー所属議員に伴われて実施したダーヒヤ(ベイルート南郊外)
の被災地域視察では、アナンは戦争中の国連の対応の鈍さに憤るヒズボッラー支持者
数百名に囲まれ、視察を急遽切り上げ逃げるようにして被災現場から立ち去った。

 イスラエルではアナンはオルメルト首相、ペレツ国防相らと会見、レバノンの海空
封鎖の早期解除とレバノン南部からのイスラエル軍撤退を強く求めたが、イスラエル
側はUNIFIL部隊がシリア・レバノン国境に展開しヒズボッラーへの武器供給ル
ートを断つことや拉致兵士の解放に固執、協議はまったくの平行線をたどった。イス
ラエル側がレバノン封鎖解除に消極的な背景には、封鎖が解除されれば拉致された兵
士の身柄がレバノン国外に移送されてしまうのでは、という不安もあるようだ。

内閣改造要求

 イスラエル国内では、ハ・アレツ紙が運輸相時代のオルメルト首相が友人のビジネ
スに便宜を図った疑惑を暴露、ただでさえ窮地に立たされているオルメルトの立場は
ますます苦しくなってきた。8月31日付で同紙が公表した世論調査結果では、いま
与党カディーマの党首選を実施すると3月のクネセット(イスラエル国会)選挙でカ
ディーマに投票した人のうち、39%がリブニ外相に投票、15%のオルメルトに圧
勝するという。イスラエルの政局には第五次レバノン戦争の影響がまだまだ尾を引き
そうだ。

 日本も含め、世界のメディアはUNIFIL部隊の動向や、レバノン支援国会合
(31日からストックホルムで開催される)など、西側諸国が関わるレバノン情勢だ
けを報じ、レバノン国内の政治動向をまったくといっていいほど報じないが、政府が
存続出来るかどうか危ういという点では、実はレバノンもイスラエルと同じである。

 停戦発効から2週間が経過した現在のレバノン政局の基本構図は、戦争勃発前の状
況に逆戻りしている。反シリア連合が多数派を握る現セニオラ内閣に対し、親シリア
勢力が「挙国一致内閣」結成を求め、せめぎ合う……これが概要だ。

 ここで言う「親シリア勢力」とはキリスト教徒最大勢力であるアウン派=FPMを
含む。シリアによるレバノン支配に最後まで抵抗してパリに亡命し、ハリーリ暗殺後
ようやく帰国を果たしたアウン本人は、もとより親シリアであるはずはないのである
が、今は「敵の敵は味方」の論理で、反シリア連合と敵対する親シリア勢力と組んで
いるのである。ややこしいことにその中には与党の一角を構成するヒズボッラーも含
まれる。

 もし今後停戦が固定化し、レバノンをめぐる地域情勢が安定していった場合、次の
レバノン政治の最大の焦点は2007年11月の大統領選挙だ。ハリーリ派、ジュン
ブラート派、LFを中核とする反シリア連合は、何とか国会と内閣における現在の多
数派を維持し、次こそ反シリアの大統領を選出したい。これに対して、親シリア側は
今のうちに内閣改造を行って、反シリア連合の行動を抑制し、次の大統領選挙におけ
るイニシアティブを奪回するつもりだ。

 27日のNTVインタビューでナスラッラー・ヒズボッラー議長は、「キリスト教
徒の圧倒的多数の支持を集めるアウン派が入閣していないのはおかしい」と、アウン
派から閣僚を取り込むようセニオラ政府に求めている。

 ナスラッラーのこの立場は今に始まったことではなく、開戦前にも同じことを要求
していた。しかし、戦争中を通じて反シリア連合がサウジやヨルダン、エジプトなど
親米アラブ政府に同調、ヒズボッラーの行動を「冒険主義だ」「勝手に戦争をはじめ
て国家全体を戦争に巻き込むのか」と非難したのと対照的に、アウンは一貫してヒズ
ボッラーを擁護。「ヒズボッラーの武器はあくまでもイスラエルと戦うための名誉の
武器であり、決してレバノンの同胞に向けられたことは無い。それは歴史が証明して
いる」と、庇い続けた。これによりヒズボッラーとアウン派の関係は戦前よりも一層
緊密強固なものとなっている。戦前にナスラッラーがアウン派入閣を求めたのはたぶ
んに新たな盟友へのリップサービスだったかもしれないが、今は本気でアウンと共闘
して反シリア連合の動きを封じるつもりであろう。

 これに対し、ハリーリ派の総帥サアド・ハリーリ議員は28日夜、アナン事務総長
をホテルに訪問した後、記者会見で「内閣改造はあり得ない」と、親シリア派の要求
を撥ね付けている(なお、アナンは今回のレバノン訪問ではラフード大統領をボイ
コット、シリアの介入で任期延長を果たしたラフードの正統性への疑問を婉曲に表明
している。そのアナンが一議員に過ぎないハリーリと会ったのは、反シリア連合とセ
ニオラ政権への支持をアピールする狙いであろう)。

 またセニオラ首相もストックホルムへ向かう直前、30日に記者会見を開いて「政
府は辞職しないし改造もしない。国会の信任を得ている限り任期を全うする」と内閣
改造要求をはっきりと退け、逆に「決議第1701号は国際決議であり、レバノンは履行
する義務がある。履行に反対する者はその結果に責任を負わねばならない」と、逆に
ヒズボッラーを批判した。

 もしヒズボッラーがアウン派以下の野党勢力に同調し、閣僚を引き下げるなど倒閣
に動いた場合、議会解散、総選挙前倒しへと進む可能性もある。

2005年国政選挙

 閣内にありながら野党と協調し、政府を揺るがすヒズボッラー。キリスト教徒の多
数派の支持を得ながらも、野党の座にとどまるアウン派……今のレバノン政局の複雑
な状況を理解するには、2005年国政選挙の結果をあらためて分析する必要がある。

 2005年国政選挙は5月と6月にまたがり、4回に分けて各選挙区で投票が実施
された。内戦終結以降では4回目、2005年4月にシリア軍が撤退してからでは初
めての国政選挙である。当然ながら、反シリア勢力がどれだけ伸びて、それまで議会
の主導権を握っていた親シリア勢力を追い落とすかという点に世界のメディアの注目
が集まった。反シリアのハリーリ派が19議席すべてを押えた第一ラウンド(ベイル
ート選挙区)の結果しか報じないメディアさえあった。

 しかしこの選挙の本当の焦点は第三ラウンドにあった。その理由は数の上での重要
さ(全128議席中の58議席を一気に決める)だけではなく、キリスト教徒地区で
投票が行われた点にあった。

 キリスト教徒はこの選挙が2000年選挙法に基づいて実施されることに強い不満
を抱いていた。内戦終結をもたらしたターイフ合意では、キリスト教徒とイスラム教
徒はそれぞれ64議席ずつを選出することになっている。しかし、だから公平かと言
うとそうはいかない。選挙区の境界線の引き方次第で、どうにでもなってしまうから
だ。

 我が地元、ブシャッレの例を挙げよう。ブシャッレとその周辺、カディーシャ渓谷
地区の選挙民2万人はほぼ100%がマロン派キリスト教徒。しかもその大多数がレ
バノン軍団(LF)支持だから、まともに選挙をすればLFがブシャッレ選挙区に割
り当てられた2議席を確保するはずだ。

 しかし、2000年選挙法は、ブシャッを敢えて南方のマロン派地区から切り離し、
スンニ派地区ディンニーヤやアッカール(選挙民14万人)とともに「北部2区」に
編入する。つまり、マロン派の議席を実質的にはスンニ派選挙民が選ぶことになる。

 2000年選挙法に限らず、ターイフ合意以降の選挙法はいずれもこのように、決
して反シリアのキリスト教徒が自分で自分の代表を選べない仕組みになっていた。キ
リスト教徒の二大勢力、アウン派とLFが2005年まで選挙をボイコットし続けた
のはこのためである。

 シリア軍が撤退した後の2005年国会選挙では、キリスト教徒は選挙法改正を熱
望した。内戦以来反シリアの立場を貫き、当局の弾圧にさらされたキリスト教徒から
みれば、ハリーリやジュンブラートなどは、シリアのレバノン支配に協力してさんざ
ん甘い汁を吸った挙句、2004年に時流に乗って態度を変えた「にわか反シリア勢
力」に過ぎない。やっと自分で議員を選べるかと思ったのに、2000年選挙法が用
いられるのではシリアにかわりイスラム教徒のハリーリやジュンブラート(ドルーズ
派はイスラームの一派)がキリスト教徒議員を選ぶだけだ。

 しかし、一刻も早く国会からシリアの影響力を排除してしまいたい米国は、キリス
ト教徒の悲願に耳を貸さず、選挙法を改正しないまま選挙を期日とおりに実施するよ
う圧力をかけた。ハリーリ派、ジュンブラート派はアマル、ヒズボッラーと協力して、
各地で相乗り候補を立て、各派の取り分を決めた(「四者連合」と呼ぶ)。

 これに反発するキリスト教徒は、四者連合との対決を宣言したアウンのもとに結集、
第三ラウンドで四者連合の支持を受けたキリスト教徒候補を各地で打ち破り、15議
席の一大派閥を形成するに至った。さらに親シリアのキリスト教徒議員が合流し、ア
ウンは22議席と、現在ではハリーリ派に次ぐ大所帯になっている。

 2005年国政選挙の結果は次のように総括出来るだろう。本来、反シリア勢力と
親シリア勢力の対決が起きるはずだったが、そうはならず、反シリア勢力は分裂(ア
ウン派)し、結局反シリア連合(ハリーリ派、ジュンブラート派、LFなど)、親シ
リア連合(ヒズボッラー、アマル、バアス党、SSNPなど)、アウン派の三者が鼎
立するかたちになった。

 その後、反シリア連合と親シリア連合の対立が深まるにつれて、後者とアウン派は
協力関係を深めた。反シリア連合は国会と内閣で多数派を構成しながら、イニシア
ティブはまったくヒズボッラーに奪われたままだ。

 イラクやパレスチナで、米国は現地の複雑な住民感情や政治システムに配慮せず、
「民主主義」を一方的に押し付けた挙句、泥沼にはまっているが、レバノンでも選挙
実施を急いで同じ過ちを犯したと言えるだろう。



連載第32回(2006年8月28日配信)

シーア派レバノン人

戻って来た日常

 24日から、8日ぶりに単身ベイルートに出て来た。

 渋滞を避けて午後4時半にブシャッレを出たのが正解だったらしい。迂回路でもほ
とんど渋滞に巻き込まれることなく、2時間半ほどでベイルートに着いた。瀟洒なダ
ウンタウンのカフェテリアやレストランには灯りが点っている。まだまだ客の人影は
まばらで、経営は厳しいだろうが、店が開いたことだけでも大きな前進だ。

 ハムラ通りに入るとスターバックス・コーヒーも営業を再開していた。真偽のほど
は知らぬが、アラブ世界ではスターバックスは社主が熱烈なシオニストでイスラエル
支援者ということになっている。反米、反イスラエル感情が沸騰していた戦時中はそ
のためどこの支店も営業を中止していた。

 停電問題はかなり改善された。イスラエルが発電所の燃料タンカーの接岸を認めた
ことと、シリアからの送電線の補修が済んだせいらしい。24日は夜零時を過ぎると
朝6時までまったく電気が来なかったが、25、26日にかけては夜中に一度も停電
せず、26日朝に二時間程度の停電があっただけ。これで安心して肉類や牛乳を買え
るようになった。

 10日ぶりに訪れたダーヒヤ(ベイルート南郊外)では、予想以上に復興作業が進
んでいた。ガラスの破片やコンクリの塊が掃き集められ、マスクなしでも気にならな
い程度に粉塵が減った。崩れかけた建物の取り壊しも進み、随所に瓦礫が集められて
いる。粉塵をものともせずにヒズボッラー党旗を掲げて歩く女性の話を第29回で紹介
したが、彼女たちを撮影した道路にも、瓦礫が積み重ねられていて通行不能になって
いた。「殉教者の主」ホールを撮影していると、ヒズボッラーの警備員に呼び止めら
れ、撮影は民家の方向だけにしてくれ、と注意された。ヒズボッラーの治安要員がよ
そ者に目を光らすのがダーヒヤの本来の姿であり、日常だ。それが戻りつつある。

 14日の停戦発効以来、一体いつまた本格的な戦闘が再開されるのか、と落ち着か
ない思いをしてきたが、ここ数日間で、ようやく「ああ、これで戦争はともかく終わ
ったんだ」という実感が湧いてきた。

 スターバックスが開いたり、アパートの停電が減ったこともその理由であるが、外
的な理由もある。24日の夜、フランスが従来の姿勢を軟化させ、2.000名規模
のUNIFILへの派兵を決定、翌25日のEU外相会議ではフランスに引きずられる
ように各国が相次いで派兵の意思を表示した。イタリア軍の先遣部隊は29日にも展
開を開始すると言う。同じ29日にはストックホルムで西側諸国がレバノン支援会議
を開催、それに対抗するかのようにイランも独自にレバノン復興支援を行うらしい。

 米国やイスラエル、フランス、シリア、イランなど、各国の利害のために戦場とな
り、無茶苦茶に破壊されたかと思うと、今度は各国が争って派兵や復興支援を申し出
る…レバノンというこの小さな、しかし魅力的な国と、そこに住む人々は常にそう
やって他人の勝手な思惑に翻弄される。

 ヒズボッラーが武装解除に応じる姿勢を見せないこと、イランが国際社会に挑戦す
るかのように26日に重水製造施設を稼動させたことなど、不安要因は残っている
が、拡大UNIFIL部隊の展開が始まれば、戦闘再開のリスクは確実に軽減される
はずだ。

あるシーア派聖職者のコメント

 26日、LBCテレビにティールおよび南部地区のシーア派ムフティ、アリ・アミ
ーン師が出演していた。ムフティとは宗教令「イフター」を発出する権限を持つ高位
聖職ポストである。そのアミーン師が、ヒズボッラーを辛辣に批判する。例えば、ヒ
ズボッラーが第五次レバノン戦争を「歴史的・戦略的な勝利」と位置づけていること
に対して「これだけレバノン国民に災厄をもたらしておいて、何が勝利なものか。な
るほど、ヒズボッラーの戦士は勇敢に戦って、イスラエルの攻撃をしのぎ、敵にも損
害を与えた。しかしその何倍もの損害をレバノン全体が蒙ったのだ」、こんな具合だ。

 言うまでもなくLBCはLF系列で、反シリア、反ヒズボッラーを基本姿勢とする
メディア。またアミーン師は内戦中にヒズボッラーやアマルなどの政党が台頭したた
め、かつての権勢を失ったシーア派名家の出身だ。LBCがアミーン師のような人物
を出演させ、ヒズボッラー批判の論調を打ち出すのは当然とも言える。しかし、そん
な事情を割り引いても、アミーン師の話には説得力があった。

 アミーン師はヒズボッラーが人質拉致作戦を政府とも調整せずに実行に移し、レバ
ノンを戦争に引きずり込んだと批判する。「これは市井の人が言っていたことだ。
『世界で一番高価な人間はだれか? それはイスラエルの獄中に居るレバノン人政治
犯だ』。ヒズボッラーはわずか3人の政治犯の釈放を勝ち得ようとして、イスラエル
に今度の戦争を引き起こす口実を与えてしまった。その結果、1000人以上が殺さ
れ、何十億ドルもの損失を蒙った」。なお、26、27日にはナスラッラー議長とナ
ンバー2のナイーム・カーシム師が潜伏先で相次いでメディアのインタビューに応
じ、「イスラエルの出方を読み誤った。人質拉致作戦に対して、イスラエルは限定的
な空爆で報復するだけであり、紛争は最長で3日間だと判断していた。まさかあれほ
ど激しく野蛮な攻撃をしかけてくるとは思わなかった」と、ヒズボッラー指導部に状
況判断の誤りがあったことを率直に告白している。

 「シーア派以外の人は、シーア派はみんなヒズボッラーを支持していると考えてい
るが、決してそんなことはない。シーア派国民であっても、ヒズボッラーが国家内国
家として、独自に武装をし、勝手に戦争を始めることについてはおかしいと思ってい
る。ヒズボッラーの武装継続か、或いはヒズボッラーは武装解除し、南部においても
国軍に治安維持を委ねるか。いま国民投票をすれば、シーア派国民の圧倒的多数が後
者を選択するはずだ」、アミーン師はそう断言する。

レバノン国家とシーア派

 果たしてそうであろうか? 本当のところ、レバノンの人口の3〜4割を占めるシ
ーア派住民は、いったい第五次レバノン戦争をどう評価しているのであろうか? ヒ
ズボッラーの武装問題や、イランとの関係についてどう考えているのか?

 アミーン師の番組を見た後に乗ったセルビスの運転手は、こちらから尋ねたわけで
もないのに、「俺は南部の最前線の村出身のシーア派だ」と名乗った上で、「ハリー
リ派やLFなど、反シリアの連中はレバノンをアメリカやイスラエルに売り渡そうと
している。そうはさせない」と力説する。ダーヒヤやシヤーハでも、ヒズボッラーを
断固支持するシーア派に何人も会った。しかし、何の罪も無いのに戦争に巻き込ま
れ、家を潰され、職を失い、家族を奪われたシーア派住民の中には、ヒズボッラーに
対する恨みの声があってもおかしくない。周囲の手前、大きな声で言えなくとも、ア
ミーン師に内心共鳴する人たちだって少なくないはずだ。

 実際のところ渦中に居るシーア派の人々の真情を、単純化して表現することは難し
い。しかし、ハリーリ暗殺事件以来、レバノン国民の大多数が反シリアに傾き、レバ
ノン一国主義的な立場をとる中で、シーア派は概ね反対の立場をとり、逆にシリアや
イランに傾斜してきたのは事実だ。とすれば、やはりアミーン師より、上述のセルビ
ス運転手の方が、シーア派の最大公約数的な意見の持ち主と理解すべきだろう。

 どうしてそうなのか? そこを理解するために、レバノンという国家の成り立ち
と、そのレバノン国家におけるシーア派の地位について、一度振り返っておきたい。

「レバノン」の語源はセム系言語で乳白色を意味する「ルブナーン」。赤茶けて乾燥
した荒野が広がる中東の中で、雪に覆われた3000メートル級の高峰は、驚嘆の対
象だった。そこでこのレバノン山脈地帯を指して「レバノン」と呼ぶようになった。

 おわかりであろうか? 元来「レバノン」とはレバノン山地のことであり、トリポ
リやベイルート、サイダ、ティールなどの海岸部、あるいはバアルバックなどベカー
高原は、「レバノン」ではなかったのだ。

 このレバノン山地の元の住民はイスラームの一派(だが、正統派のスンニ派からは
異端視された)のドルーズ派と、キリスト教の一派のマロン派だった。中東ではキリ
スト教の主流はギリシア正教など東方正教会だから、カトリック系のマロン派も、中
東キリスト教社会の中では異端視されていた。峻険なレバノン山地は異端視されたこ
の二宗派にとって、安住の地だったのだ。日本で言えばさしずめ平家の落人部落か、
隠れキリシタンの里と言ったところか。

 第一次世界大戦後、ここを委任統治したフランスは自国と同じカトリックのマロン
派を中心に、つまりレバノン山地を核にして、独立国家レバノンをつくる。その過程
で、トリポリやベイルートなど、海岸のスンニ派の都市、ベカーや南部などのシーア
派地区も「レバノン」に編入された。こうして、複雑極まりない多宗派混交のモザイ
ク国家、レバノンが生まれた(正式の独立は第二次世界大戦中の1943年)。

 建国当初、この新国家の中核を担ったのは、レバノンでも最も都市化され、教育水
準も高いマロン派とスンニ派だった。大統領はマロン派、首相はスンニ派というこん
にちに連なる不文律もこの時期に生まれた。

 人口で三番目(当時)に多かったシーア派は、国会議長ポストを与えられる。しか
しベイルートを中心に政治・経済が発展していく中、シーア派農民が暮らす僻地のベ
カーや南部ではインフラ整備が遅れた。中産階級も育たず、レバノン社会におけるシ
ーア派の地位は人口比の割には不当に低いままだった。レバノン国家が発足した当初
から、シーア派社会はスンニ派やマロン派が主導する国家に対して、根本的な不信感
を抱いていた。

 レバノン国家に対するシーア派国民の不信感と恨みは、パレスチナ問題の進展とと
もに一層深まる。難民となったパレスチナ人が住み着き、ゲリラの拠点となり、それ
故にイスラエルの攻撃にさらされたのはもっぱら南部だったからだ。南部のシーア派
住民は、我が物顔に振舞うパレスチナ・ゲリラの横暴と、問答無用で報復してくるイ
スラエル軍によって二重に痛めつけられる。そしてレバノン国家はシーア派住民を、
PLOからも、イスラエルからも守ってくれなかった。

 ヒズボッラーは1982年のイスラエル軍侵攻の後に生まれた。自分の土地を占領
されたシーア派住民の武装闘争と、革命の輸出先を探すイランと、イスラエルや米国
への反攻の機をうかがうシリアの三者の利害が一致したのである。ヒズボッラーはそ
の後18年の武装闘争を戦い抜き、南部を解放した。

 武装解除に頑として反対するヒズボッラーの支持者は、こう言う。「武装解除すれ
ば、レバノン国軍が本当に自分たちを守ってくれるのか? レバノン政府はイスラエ
ルに捕まった政治犯を釈放してくれるのか?」イスラエルの脅威に直接さらされてい
るのはシーア派だ、スンニ派や、キリスト教徒、それにドルーズ派は、結局のところ
安全地帯に居るではないか…シーア派国民の心の奥底には、そんな根強い被害者意識
がある。それを解消しない限りシーア派国民と他の国民との間の意識のギャップはな
かなか埋まらないだろう。



連載第20回(2006年7月5日配信)

深まるパレスチナ危機

帰ってきたイスラエル軍

 イスラエル軍がガザに戻ってきた。シャロン首相(当時)が入植者や右翼の強い反
対を押し切って、ガザからの「歴史的な撤退=一方的分離」に踏み切ってから僅か
10ヶ月。撤退前にイスラエルはこれでもか、これでもかと執拗にガザを攻撃した。
ハマースが撤退を「武装闘争の成果」と喧伝し、ガザを牛耳る事態を恐れたからだ。
この作戦でハマースの活動家や指導者の多くが殺された。

 にも関わらず、イスラエルはガザのハマース組織を壊滅させることが出来なかった。
それどころか、2月のPLC選挙で初参加のハマースはファタハに圧勝。ハマース単
独政権が誕生し、ガザはイスラエル右派の危惧したとおり、文字通りに「ハマース・
ランド」と化してしまった。

 政権政党となったハマースがイスラエルを承認するなど、現実路線に転換するので
はという希望的観測も内外にあったが、その後の展開は期待を裏切るものだった。イ
スラエルと国際社会の締め付けを受けてハマースは態度を硬化させた。アッバース議
長のファタハとハマースの権力争いも熾烈を極め、ガザはゆっくりとではあるが、確
実に内戦状態に陥りつつあった。イスラエルによる砲爆撃と活動家暗殺作戦も継続。
ハマースは表向き2003年以来の停戦を遵守して、対イスラエル攻撃は控えたもの
の、ハマースから分派した武装勢力(「イスラーム軍」など)や、逆にファタハを分
派してハマースの影響下に入った勢力(「民衆抵抗委員会」など)は、イスラエル領
内へのカッサーム・ロケット砲攻撃で報復した。

 6月9日、イスラエル軍の砲弾がガザの海岸でピクニック中の家族を直撃する。瞬
時にして家族を失い、錯乱し絶叫する少女の映像が衛星テレビで世界中に流れた。イ
スラエル軍はその後の独自調査で、「軍はその地点を砲撃していないし、近くを砲撃
した時間ともずれがある。爆発はハマースが埋めた地雷によるものではないか」とい
う報告を発表したが、この対応のまずさが火に油を注いだ。外国の人権団体から「や
はりイスラエル軍の責任だ」と指摘され、それでも国際調査も受け入れないというの
だから何をかいわんやである。そのうちイスラエルのメディアもやはりあれは軍の誤
爆だったと指摘するようになった。

 それでもイスラエル軍はガザ攻撃を続け、前後してパレスチナ側に20名近い死者
が出た。その多くが民間人である。ハマースも停戦破棄を宣言。折しもハニーヤ首相
以下、ガザのハマースの政治指導部は、ファタハとの間で、イスラエル間接承認につ
ながる合意(西岸・ガザ・東エルサレムに限定してパレスチナ国家を樹立し、対イス
ラエル攻撃も西岸・ガザに限定する内容)を協議している最中である。その一方で、
軍事部門はイスラエルとの闘争を再開した。ハマースもファタハに劣らず、組織がバ
ラバラである内情が露呈したのである。

 指揮命令系統が判然としない組織が交戦当事者になると、紛争は容易に収拾出来な
い。

大胆な兵士拉致作戦
 
 ガザの誤爆事件に続いて事態を劇的に悪化させたのは、6月25日にゲリラ連合軍
が敢行した大胆極まりない作戦である。ガザ南部とイスラエル領を隔てるフェンスの
地下に、1キロメートル近いトンネルを掘りイスラエル側に侵入、戦車を爆破して兵
士3名を殺害したのだ。

 攻撃に参加したのは民衆抵抗委員会、イスラーム軍、カッサーム旅団(ハマース)
のメンバー計8名。交戦でゲリラ2名も犠牲になったが、残りのメンバーは負傷した
イスラエル人兵士ひとりを拉致すると、トンネルをくぐってガザに戻った。

 イスラエルはただちにガザへの出入り口すべてを封鎖し、ゲリラの拠点に爆撃を加
え、捕虜の即時解放を迫った。

 ガザの人々の反応は複雑だった。

 これまでやられっ放しだったゲリラが、無敵のイスラエル軍に一矢を報いたのだか
ら、さぞかし爽快な思いだろう。それに今回の標的は歴然たる敵戦闘員だから、卑劣
な「テロリスト」の誹りを受けることもない(イスラエルのメディアはそれでもこの
攻撃を「テロ攻撃」と報じるが)。

 そして何より、これで数千人にのぼるパレスチナ人政治犯が帰ってくるかもしれな
いという期待があった。レバノンのヒズボッラーが、これまでにイスラエル兵士を捕
らえ、イスラエルに幾度も捕虜交換を強いた例を知らぬ人は居ないから、否が応でも
期待は高まる。事実、ゲリラはイスラエル獄中のパレスチナ人政治犯のうち、少なく
とも女性と未成年だけでも釈放するようイスラエルに要求した。だが反面、イスラエ
ルが行う徹底した集団懲罰は怖い。軍事封鎖下に置かれるだけでも疲弊しきったガザ
経済にとっては深刻な打撃である。

 これまでファタハとハマースの交渉を仲介してきたエジプトと、フランスの両国が
中心となり、問題解決のため調停が行われた(捕虜となったギルアド・シャリート軍
曹はフランスとの二重国籍者だったため)。しかし「『テロリスト』とは交渉しない
し、一切譲歩しない」と言うのはイスラエルの国是。政治犯釈放要求にまったく応じ
る気配を見せず、交渉は行き詰った。息詰まるような緊張の中、27日にはハマース
政府はファタハとともに、イスラエル間接承認につながる文書に合意する。しかしゲ
リラは逆に西岸地区でイスラエル人入植者2名を拉致した。

ハマース幹部一斉拘束

 28日になるとイスラエル軍はガザを南北に結ぶ道路に架かる橋梁を爆破、陸の孤
島と化していたガザをさらに細切れに分断する。ガザ唯一の発電所も破壊された。
25日のゲリラの攻撃の舞台となったガザ南東部には戦車と装甲車の部隊が侵入し、
空港周辺などを制圧。部分的とは言え、ガザの再占領が始まったのである。

 イスラエル軍が「夏の雨」と名づけたこの軍事侵攻作戦の表向きの名目は、ガザの
住民とパレスチナ自治政府に対し、シャリート軍曹解放の圧力を加えることにある。
しかし作戦発動とほぼ同時に、それだけが目的ではないのがはっきりとする。

 イスラエル軍はガザ北部ベート・ハヌーン村にビラを撒き、住民に退去を要求した。
ベート・ハヌーン一帯はゲリラがカッサーム・ロケットの発射に用いる場所だ。これ
によりロケット攻撃根絶も、作戦の目的であることが明らかになった(7月3日現在
まで、この地域における地上作戦は始まっていない。エジプトの要請によるものとさ
れる)。

 また28日深夜から29日未明にかけて、イスラエル軍は西岸地区各地と東エルサ
レムでハマースの政治家一斉摘発を開始した。7月3日現在までに、自治政府の3分
の1にあたる8名の閣僚と、PLC(パレスチナ立法評議会)の議員を含め70名を
超える政治家がイスラエル軍に逮捕拘束された。イスラエル人捕虜3名のうち、入植
者1名は間もなく遺体で発見されたが、イスラエルの軍事行動と政治家逮捕は続く。

「夏の雨」作戦の真の狙いは、捕虜解放ではなく、軍事政治勢力としてのハマース組
織壊滅にあるのはもはや明らかである。自治区に侵入してハマース政治家を拘束する
作戦は、すでに数ヶ月前から立案されていたとも言う。

 イスラエルは1982年、北部へのカチューシャ・ロケット攻撃を食い止めること
を口実に、レバノン領内への大侵攻(「ガリラヤの平和作戦」)に踏み切った。軍は
はるかベイルートまで侵攻、PLO指導部が退去するまで包囲爆撃を続けた。この時
も、パレスチナ人を代表する唯一の政治組織だったPLOを破壊し、ベイルートから
遠くに追い払ってしまえば、西岸・ガザのパレスチナ人も抵抗力を失い、西岸・ガザ
のイスラエル領化が容易になるという楽観的な読みが背景にあった。

 結果はどうであったか?

 PLOとアラファトは弱体化したが、生き残った。西岸・ガザ住民の反イスラエル
活動はイスラエルの狙いとは逆に加速し、5年後に第一次インティファーダが勃発、
イスラエルは結局PLOを承認し、パレスチナ人の自治を認める方向へと政策転換を
強いられる。

 今回イスラエルが軍事的・物理的にハマースを掃討し、ハマース政府を崩壊させた
としても、自由な選挙でハマースを選んだ人々の意思を変えることは出来ない。早晩
別の、そしておそらくはハマース以上に非妥協的・戦闘的な組織が台頭するだけなの
ではなかろうか。

地域紛争拡大の懸念

 イスラエルの動きの中で、もうひとつの懸念はシリアへの態度だ。

 25日のゲリラの攻撃直後から、ペレス副首相、ペレツ国防相ら政府要人はたびた
び「攻撃はダマスカスに亡命しているハマースのマシュアル政治局長が直接指令した
ものだ」と、マシュアルを名指しで非難。28日に空軍機をシリア北西部のラザキア
に飛ばし、大統領宮殿上空を威嚇飛行させ、マシュアルを匿うシリアのアサド大統領
をも恫喝した。シリアが攻撃された場合、ヒズボッラーを抱えるレバノンも巻き込ま
れる可能性が高い。現在のガザの状況は、イスラエルの出方次第では一気に地域紛争
に発展しかねない。

 マシュアルと言えば、殺されたアハマド・ヤシーン師らハマース創設世代よりは随
分若いが、組織のカネと人事を握って過去10年以上、ハマースの実質的トップと見
なされている人物。1997年にはヨルダンのアンマンでモサドのスパイに猛毒のV
Xガスを噴きかけられて、あやうく暗殺されるところだった。彼が今回の人質略取作
戦に関わっている可能性は勿論、極めて高い。

 しかし西岸・ガザの状況を見ていると、ゲリラの細胞組織とは地縁や血縁関係を単
位とする限りなく小さな集団で、それらが時にはハマースを、時にはファタハを名乗
り、分裂統合を繰り返すなど、従来の政党組織の枠に収まりきらない混乱状況にある。
その中で、本当にダマスカスに居るマシュアルがガザの状況を完全にリモート・コン
トロール出来ているのかどうかは疑問だ。イスラエルがシリアとの紛争のリスクを冒
してマシュアル殺害に踏み切った場合、自治区をめぐる状況は安定するどころか、い
っそう混乱を深めるのかもしれない。



連載第19回(2006年6月20日配信)

モサド細胞組織の摘発

友達とお客様の違い

 中東諸国を旅して来た人から「レバノンではホテルやレストランの従業員の接客マ
ナーが他の国よりずっと良いので感心しました。何故でしょうか」そんな風に尋ねら
れることがままある。「それはね、友達とお客様の区別が分かっているからですよ」
筆者は大抵、そう答える。

 日本人の私(筆者)が、周辺諸国で従業員の接客マナーに不満なのは、彼らが私を
サービスに対価を支払うお客様としてではなく、友達であるかのように扱うからだ。
良い意味でも悪い意味でも。

 良い点は、こちらが困っているとなると必要以上に親身になって助けてくれること。
アラビア語を学び始めたころには、飽きずにいつまでも会話につきあってくれる人が
どこにでも居るのだからこれは有難かった。

 困るのは、友達感覚ならではの馴れ馴れしさといい加減さ。大事な仕事の打ち合わ
せの最中に、レストランのウェイターがこちらの迷惑にはお構いなしで「あんたたち
日本人か? ヒロシマは大変だったなあ。ヒロヒトは元気か?」こんな感じで会話に
割って入ってくる。ホテルでお湯が出なくても、タクシーが約束の時間に遅れても、
レストランで料理にハエが入っていても、「マアレーシュ(気にするな)」。友達と
して付き合っている分には良い人たちだが、一緒に仕事をすると言うのはどうも……
パレスチナやヨルダン、シリアではそう思うことが多々あった。

 その点、レバノンは確かに違う。レバノンは1世紀以上の長きにわたり、世界中に
移民を送り出してきた歴史がある。移民とその子孫の中には日産のカルロス・ゴスン
(ゴーンはフランス語読み。アラビア語で彼の姓は小枝を意味する「ゴスン」)のよ
うな世界的なビジネスマンも少なくない。そんな国際的な環境で生きるレバノン人は、
中東・アラブ・地中海世界ならではの社交性を保ちつつも、ビジネスとプライベート
の境界をびしっとわきまえている。ホテルの接客態度ひとつとってみても歴然と違う
のは、そのあたりが原因だろう。

徹底したヒズボッラーの治安対策

 治安警備対策におけるファタハやハマースなどパレスチナ組織と、レバノンのヒズ
ボッラーの差も、同じところから発しているのかもしれない。

 筆者はこれまでパレスチナ自治区とレバノンで、ハマースやPFLP、ヒズボッラ
ーなどイスラエルと敵対する組織の活動家をたびたびインタビューし、集会の模様を
取材してきた。その経験から言えば、ヒズボッラーの治安警備対策はパレスチナ系組
織に比較すると、はるかに厳しく、担当者たちはプロフェッショナルである。

 パレスチナ系組織の場合、概してオープンで近づきやすい。パレスチナを旅した人
ならたいてい経験しているだろうが、パレスチナの人々は概して他所者にびっくりす
るほど親切で、気楽に家に招き、泊めてくれたりする。このオープンさは政治家で
あっても似たり寄ったり。取材を申し込めば要人がいとも気軽に(無警戒に)会って
くれるし、大物がずらりと立ち並ぶ大集会であっても、荷物のチェックも何もなく、
簡単に中に入り込んで取材出来る。

 ヒズボッラーの場合、こうは行かない。関係者を取材したければどんなにランクが
低い相手であっても必ず党の広報センターを通さねばならない。集会の取材は1週間
以上前に広報センターに届けて許可証をとる。当日ぶらりと出かけていっても屈強な
警備員たちがしっかり張り付いていて、まず入れてもらえない。

 ヒズボッラーの警備体制の徹底ぶりは、ナスラッラー議長みずからが出席する国民
対話円卓会議の際に遺憾なく発揮された。サアド・ハリーリやアウンFPM党首など、
他の要人たちはカメラの放列の前で会場に到着、報道陣に笑顔を振り向きながら会場
に入る。会議が終わると記者たちにニ、三コメントし、近くのカフェテラスで一般人
に混ざってランチを取りながら打ち合わせをする。ところがナスラッラーの場合だけ
は、いったいいつ会場に到着したのか、どこから会場に入ったのか、いつ会場を離れ
たのか、誰も知らないというまさに徹底的な隠密行動。「専用の地下道路でもあるの
では」「会場で寝泊りしているのかも」という憶測が飛びかうくらいだった。

恐るべきモサド

 しかし上には上が居る。

 国際謀略小説やスパイものでおなじみのイスラエルのスパイ組織、モサドと言えば、
CIAやかつてのKGBをしのぐ恐るべき秘密諜報機関として知られるが、レバノン
に居るとそれを嫌でも実感させられる。何しろ、鉄壁に見えるヒズボッラーの警備体
制を突破して、これまで幾人も要人を葬っているのである。

 1992年にイスラエルは走行中の自動車を空爆、ナスラッラーの前任アッバース
・ムーサウィ前議長を葬った。1999、2002、03年にはそれぞれ1名ずつ活
動家が自動車爆弾で殺されている。このうち後の2件はいずれもヒズボッラーが治安
維持を掌握するダーヒヤ(ベイルート南郊外)、つまりヒズボッラーの心臓部で起き
ており、犠牲者は2人ともパレスチナのインティファーダ支援要員だった。ヒズボッ
ラーと協力してやはりインティファーダを支援してきたPFLP?GCのジハード・
ジブリール(アハマド・ジブリール議長の息子)は2002年に、イスラム聖戦の
「アブ・ハムザ」は既報したように先月、やはり自動車爆弾で殺された。

 ムーサウィとジブリールを除けば、被害者はレバノン人もその存在を知らない無名
の活動家ばかり。しかも全員が極秘にパレスチナのインティファーダ支援を担ってい
た人物である。だからどの事件でもイスラエルの仕業であることを疑う人は居なかっ
た。しかし犯人は捕まらなかった。「モサドはインティファーダ支援に携わる活動家
の身元を割り出し監視下に置いている。いつでもどこでも暗殺を実行出来る体制にあ
る」そんなモサド神話ばかりが広まった。

スパイ網の摘発

 ところが、である。今月に入ってとうとうレバノン国軍情報部が、「アブ・ハムザ
兄弟」暗殺犯を突き止め、摘発したのである。やられっぱなしのレバノン諜報機関が
やっとのことでモサドに一矢を報いたのだ。

 今回逮捕されたのはマフムード・ラーフィアという60歳近い元警官で、南部のハ
ースバイヤという町の出身。モサドとの関係はハースバイヤ一帯をまだイスラエル軍
が占領していた1990年代初めに始まったらしい。

 ラーフィアが故郷に築いた豪邸からは、モサドの女性エージェントらの顔写真が
入った偽造身分証や、精巧緻密な通信機器など、スパイ用品が大量に押収された。本
棚やテレビ台などは仕切り板の中が極薄の引き出しになっていて、そこに通信機器が
隠されていた。忍者屋敷顔負けの、絵に描いたようなスパイの仕事部屋だ。

 ラーフィアの自供によれば、先月の「アブ・ハムザ」暗殺に用いられた爆弾は、メ
ルセデス・ベンツの右前方のドアに埋め込まれ、イスラエルから極秘に搬入された。
それをサイダで盗難車のドアと交換、「アブ・ハムザ」兄弟の隠れ家の前に駐車し、
隠しカメラで兄弟の行動をモニターした。本人たちが階段から下りてきたところで、
上空を飛んでいた無人飛行機がリモコンで起爆させるというハイテク作戦だったらし
い。

 ラーフィアはさらに、前述した1999年からの5件の暗殺事件のうち、4件への
関与を自白した。モサドが長い年月をかけて築いてきたレバノンにおけるスパイ網に
とって、大きな打撃になるのは間違いない。レバノン当局はラーフィアの自供に基づ
き、細胞組織のメンバーでパレスチナ人のフセイン・ハッターブの行方を追っている。
ハッターブは元PFLP?GC幹部。上記のジブリール暗殺事件の他、ダマスカスで
起きたハマース活動家暗殺作戦にも関与した容疑が濃厚である。ハッターブも首尾よ
く拘束された暁には、レバノン、シリア両国をまたにかけたイスラエルの秘密工作が
相当程度暴かれることになるだろう。

事件の政治利用

 今月10日、ハリーリ暗殺事件国際捜査団のブランメルツ検事は第2回目の捜査経
過報告書をアナン国連事務総長に提出した。前回同様に、今回もブランメルツは証人
を危険に晒さないことを最優先、現時点で結論めいたことを書くことは避けた。前任
のメヘリス検事がやったように、シリアやレバノン政府を容疑者扱いするわけでもな
く、かと言って嫌疑を晴らすわけでもない。「捜査は確実に進展しているが、まだま
だ時間が必要」これが第2報告書の結論といえば結論である。安保理はこれに応えて
捜査期間をさらに来年6月まで1年間延長した。この調子で行けば、ハリーリ暗殺事
件捜査がレバノン政局を左右するのはまだ1年ほども先のことで、当面の影響は限り
なく小さい。

 これとは対照的に、モサド・スパイ網摘発のニュースはたちまち国内政争の新たな
ネタとなりつつある。

 イスラエルの脅威が立証されたことは、対イスラエル闘争継続を唱える親シリア勢
力にとっては強力な追い風である。今回摘発されたスパイ網が、2005年に荒れ
狂った反シリア政治家・ジャーナリスト暗殺事件の一部にでも関与していたことが明
らかになれば、テロ事件が起きる度に「シリアの仕業だ」と断定してきた反シリア勢
力にとっては大きな痛手になるだろう。

 しかし反シリア勢力も負けてはいない。「国軍情報部が単独でイスラエルのスパイ
網を摘発出来たのだから、今後は南部全域に国軍が展開して治安維持にあたるべきだ」
と、ヒズボッラーに武装解除を迫る口実にしようとしている。ジュンブラートPSP
党首などは「モサドのスパイ網を摘発できるほど優秀な国軍情報部が、なぜ1千キロ
グラム以上の爆弾が首都ベイルートにこっそり搬入されていることを探知出来なかっ
たのか?」とコメント、ハリーリ暗殺事件にはやはりレバノン当局が関与していたか、
少なくとも黙認していたのだと仄めかす。

「ああ言えばこう言う」、いったいこの国では、どんな事件が起きても各派各様、自
派に都合のいいよう解釈することになっているようだ。



連載第18回(2006年6月6日配信)

内でも外でも一触即発

イスラエルとの本格交戦

 5月28日未明。レバノン南部から何者かがミサイル砲を数発、イスラエル北部に
向けて発射した。物的・人的被害は大したことはなかった(兵士1名が負傷)ものの、
この攻撃はイスラエル軍首脳を震撼させた。ミサイルのうち一発が、サファド市近く
の空軍施設に命中したからである。

 それまでレバノン領内から発射されるミサイルと言えば、ゲリラが肩に携行してど
こからでも発射できるRPG?7やカチューシャがほとんどで、射程も短かった。し
かし28日の攻撃には別のミサイルが用いられ、国境から20キロメートルも離れた
重要軍事施設に命中したのである。イスラエル軍は国境に近いキリヤト・シュモナな
ど複数の町の住民に対し、シェルターへ避難するよう勧告。程なく、空軍機や迫撃砲
を用いてレバノン領内のゲリラ拠点を空爆した。

 このイスラエル軍の第一次攻撃で標的になったのは、親シリアのパレスチナ・ゲリ
ラ組織、PFLP?GCの拠点である。首都ベイルートからほんの数キロの地点にあ
るナアメ基地も爆撃に曝された。

 その後、午後に入ると午前中は沈黙を守っていたヒズボッラーが参戦。東はシェバ
ア農地から、西は地中海岸のナークーラに至るまで、国境沿いの広い地域で、ヒズ
ボッラーの迫撃砲とミサイルが火を噴いた。イスラエル側は空軍機による爆撃で応戦。
国連(国連レバノン暫定軍=UNIFIL)の介入で停戦が成立するまで、3時間に
わたり国境をまたぐ激しい砲火の応酬が起き、ヒズボッラー側に死者1名、イスラエ
ル軍にも負傷者が出た。ヒズボッラーがこの交戦中にコマンド部隊をイスラエルに侵
入させ、兵士の拉致を試み(ヒズボッラーは捕虜交換交渉に用いるため、これまでに
もイスラエル軍兵士を何人か拉致している)、ゲリラ3名が戦死したとする報道もあ
る。

 幸いなことに流血は比較的少なく済んだものの、2000年5月のイスラエル軍レ
バノン撤退以降では最大規模の交戦となった。

衝突の伏線

 今回の交戦の伏線はその5日前にあった。その日、ベイルートのホテルで開催され
た「抵抗の文化」と題するシンポジウムで、ナスラッラー・ヒズボッラー議長は「レ
バノン国軍だけでは中東最強のイスラエル軍には太刀打ち出来ない。レバノンにとっ
て最良の国防政策とは、国軍とゲリラが相互補完的に連携することにある」と持論を
展開。内外で高まるヒズボッラーの武装解除要求には応じない姿勢をはっきり示した。
さらに、ゲリラの存在がイスラエルの侵略に対する抑止力になっている、と言うため
に「ヒズボッラーは1万2千発以上のミサイル砲を所蔵している。イスラエルの北部
はあまねくヒズボッラーの攻撃の射程範囲内にある」と宣言した。

 1996年4月、イスラエルは「怒りの葡萄」作戦と銘打ち、レバノン南部を数週
間にわたって大規模に空爆、ヒズボッラー・ゲリラの掃討を図った。しかし神出鬼没
のゲリラは連日違う地点からイスラエル領内にカチューシャ・ロケットの雨を降らせ、
イスラエル北部の住民はシェルター生活を強いられた。ヒズボッラーにはこの「実績」
があるから、ナスラッラーの恫喝は単なるブラフではない。

 ナスラッラーの恫喝の3日後、26日に南部のサイダ市で、イスラーム聖戦(ジハ
ード)の活動家「アブ・ハムザ」兄弟が自動車爆弾で殺害された。「アブ・ハムザ」
が実際にレバノンでどんな活動を行っていたのかはトップ・シークレットで謎に包ま
れているが、パレスチナ・ゲリラ組織の中でもジハードがイラン及びヒズボッラーに
最も近い組織であることは周知の事実。「アブ・ハムザ」暗殺は、ナスラッラーの恫
喝に対するイスラエルの返礼であったと考えるのが自然だろう。

「アブ・ハムザ」の葬儀にはヒズボッラーの南部地区司令官、ナビール・カウークも
出席、暗殺をモサドの仕業と断定し、報復を誓った。

 28日の交戦のきっかけとなった未明のミサイル発射は、こんな状況の中で起きた
のである。

 一連の事件を通じて、レバノン南部ではパレスチナ組織やイスラエルの情報機関が
暗躍していること、レバノン・イスラエル国境はいつ狼煙が上がってもおかしくない
一触即発の状態にあることなどが浮かび上がった。

シーア派地区の暴動

 一触即発はイスラエルとの間だけの話ではない。今のレバノンは国内にも多くの火
種を抱えており、いつどんな原因で大爆発を誘引してもおかしくない、さながら火薬
庫のような状況にある。6月1日夜のシーア派住民の暴動も、まったく突発的に起き
た。

 きっかけはLBCテレビの政治風刺番組がナスラッラー議長を茶化したことだった。
「バス・マート・ワタン(祖国が滅んだら、の意)」という毒々しい名前のこの番組
のウリは、コメディアンたちが大統領や首相、各勢力の指導者など、あらゆる著名な
政治家に扮して皮肉なコメントをすることにある。1日にその槍玉に上がったのが、
イスラエル軍が撤退してもあくまでも武装解除を拒み続けるナスラッラー議長だった。

 この番組を見たベイルート南郊外(通称「ダーヒヤ」、シーア派地区でヒズボッラ
ー関連施設が集中する)の青年たちが、神の如く崇拝する指導者を冒涜された、と憤
激して、街頭に繰り出しタイヤを燃やして高速道路を封鎖するなどの行動に出た。数
千人の群集のうちの一部は暴徒化し、ダーヒヤに程近いキリスト教徒地区やスンニ派
地区に繰り出して、通行人を殴ったり、車両を破損するような出来事もあった。

 ナスラッラー議長は自らマナール・テレビ(ヒズボッラーのテレビ局)で支持者に
自制を要請。LBC側も番組プロデューサーが謝罪のコメントを発表して、とりあえ
ず暴動は収拾された。しかし、攻撃された側のキリスト教徒やスンニ派の間でも、血
気盛んな若者たちの中にはグループで暴徒に挑む動きもあり、国軍の出動が遅れたら
宗派紛争に発展していたかも知れない。また、短時間とは言え、暴徒がベイルートと
空港を結ぶ道路を封鎖したことも、これから本格的な観光シーズンを迎えるレバノン
にとっては不吉極まりない出来事である。

 報道の自由が認められている多様なモザイク社会レバノンでは、古くから自由なメ
ディアが花開いてきた。衛星放送の時代になってアル・ジャジーラ・テレビが台頭す
るまでは、レバノンは中東のメディア・センターだった(アル・ジャジーラなど湾岸
諸国の衛星テレビ各局でも、報道や経営分野でレバノン出身者が占める割合は大き
い)。そんな伝統があるから各派の政治宗教指導者であっても日常的に批判にさらさ
れるし、戯画化されることもある。ナスラッラーにしても、茶化されたのは今回が初
めてというわけではない。

 にも関わらず今回に限って風刺番組が大問題に発展した背景には、LBCの母体、
レバノン軍団(LF)とヒズボッラーの対立がある。

 ヒズボッラーにとっては、かつてイスラエル軍と同盟し、レバノン南部にイスラエ
ル軍を引き入れたLFは、原理原則的に相容れない仇敵である。だからヒズボッラー
所属議員は、シリア軍撤退後にジャアジャアLF司令官が恩赦法改正で保釈されるこ
とになった際にも、最後まで反対した。3月に始まった国民対話円卓会議でジャア
ジャアとナスラッラーは初めて面会、国政に関する対立事項を直接協議することに
なったが、大統領進退問題や、ヒズボッラーの武装解除問題などで両者の溝は一向に
埋まらない。マナール・テレビは今でも1987年のラシード・カラーミ元首相暗殺
事件など、ジャアジャアの旧悪(容疑)を追及し続けている。

 一方のLFも、米国ネオコン政治家の中でも親イスラエル派の筆頭、ボルトン国連
大使を「レバノン解放(シリアからの)に多大の貢献をした」と顕彰するなど、ヒズ
ボッラーから見れば挑発的な行動をとってきた。こんな経緯があったため、LF系列
のLBCによるナスラッラー風刺が、今回の暴発につながったのだ。

 実はLF指導部とLBC経営陣の間では、経営方針をめぐる対立があり、暴動の前
日、5月31日にLBCはLFからの独立を宣言したばかり。しかしヒズボッラー支
持者はそうは受け止めず、LFに対して怒りを爆発させた。

 いや、LFだけではない。ベイルートではキリスト教徒やスンニ派地区各地が攻撃
の対象になった。政治的立場の対立が容易に宗派対立に転化してしまうところに、レ
バノンの怖さがある。

第二ブランメルツ報告書

 今後、6月中旬にはハリーリ暗殺事件国際捜査団のブランメルツ検事が、二度目の
捜査報告書をアナン国連事務総長に提出する予定になっている。

 ブランメルツは隠密捜査に徹しており、新たな報告書の内容に関して、ほとんどリ
ークらしいリークはなされていない。シリアの関与を今度こそ断定するという予測が
あれば、いや、シリアではなくイスラーム原理主義組織の関与を指摘するという憶測
もある。前回同様、今回も固有名詞には触れず曖昧な表現にとどめるのでは、という
見方もある。ブランメルツは6ヶ月間の任期延長を受け入れる意向であるという報道
と照らし合わせると、あるいは最後の憶測の可能性が高いのかもしれない。

 しかし、もし新報告書がシリアの関与を指摘した場合、再びレバノンの国論がまっ
ぷたつとなり、親シリア派と反シリア派の論戦が激化するのは必至の情勢だ。それが
論戦にとどまらず、1日のような暴動や紛争に発展することが無いよう祈るばかりで
ある。



連載第17回(2006年5月23日配信)

アイデンティティをめぐる葛藤

 一緒にするなという気持ち

 間もなく三歳になる息子に海の生き物や昆虫の名前を教える時、よくこんな言い方
をする。
「これはアオリイカ。こっちはスミイカ。どちらもイカの仲間だよ」
「これはトノサマバッタ。あれはショウリョウバッタ。どっちもバッタの仲間だ」
 そう言いながら、心の中に引っかかる部分がある。
 アオリイカにはアオリイカのプライドがあるかもしれない、スミイカと一緒にする
な、と思っているかもしれない…トノサマバッタにはオレはトノサマバッタなんだ、
他のバッタとは違うんだという思いがあるかもしれない。第三者の私(筆者)が彼ら
の「意向」を無視して、勝手に分類してもいいものだろうか?…これが引っかかる理
由だ。

 どうしてイカやバッタのプライドやアイデンティティなりが気になるようになった
かと言うと、筆者も日常的に日本人としてのアイデンティティを意識する環境で暮ら
しているからだ。  

 レバノンでは乗り合いタクシーの運転手や、八百屋の店員など、見知らぬ人間から
不躾に「チャイニーズか?」、「フィリピン人か?」と尋ねられ違和感を持つことが
ある。「日本人だ」と言っても、「日本も中国も同じようなものだろう、言葉も文字
も同じなんじゃないのか?」とか言う返事が返ってきて、ムカついたりする。

 自分では特にナショナリストであるつもりはないのだが、第三者から日本人ではな
く別のグループの人間だと決めつけられるのは、あまり愉快ではない。そのグループ
が中国やフィリピンのように、私自身がほとんど親近感を抱かない国の場合、なおさ
らである。そんな時はわけもなく「いいや、俺は日本人だ」と主張したくなる。 

 思えば、中東で起きている紛争や対立のかなりの部分は、このアイデンティティの
相違に根ざしているのではなかろうか。例えば、レバノン国民がパレスチナ問題や、
隣国シリアとの関係をめぐってどうしてこんなに分裂してしまうのか、と言う問題も、 
アイデンティティの面から考えるとわかりやすくなる。

 兄弟か、他人なのか

 ある日隣家に突然、ふらっと見知らぬ家族がやって来て、「うちの祖先が二千年前
ここに住んでいた。だから自分たちにはこの家に住む権利がある。あんたは出て行っ
てくれ」そう言い出したとする。隣人はそんな馬鹿な、と裁判所に訴えた。があろう
ことか裁判所は見知らぬ家族の言い分を認め、二階建ての家のうち一階部分を家族に
譲るよう判決(分割案)を下した。隣人は二階だけを保持することに甘んじ得ず、一
階に居座った家族と喧嘩を始めたが返り討ちにあい、二階さえ失って家から叩き出さ
れしまった。居場所を失った隣人は、ほうほうの体であなたの家に転がり込んできた。 

さあ、あなたはどうするか?

 もしこの隣人があなたの弟だったなら、あなたは弟を匿ってやるし、弟が自分の家
に戻れるよう弟に加勢して隣と喧嘩するかもしれない。隣の方が喧嘩はずっと強いか
ら、あなた本人まで報復をくらい痛い目にあうが、仕方ないではないか。血を分けた
弟なのだから。

 しかし、隣人が仮に従兄弟か又従兄弟くらいで、一応血のつながりはあるものの、
身内としてのつきあいは永らく途絶えていたとすれば? しかもあなたとは別の宗教
にはまって、あなたのことを日ごろから不信心者扱いしていたとすれば? ひとこと
で言ってこの隣人に身内としての同情心を持てなかったなら、それでもあなたはこの
親戚のために隣と喧嘩しようと思うだろうか?

 おそらく思うまい。気の毒だから当面はうちに寝泊りさせてやるが、一刻も早く出
て行って欲しい、もし隣家に帰れる見込みが立たないのであれば、どこでもいいから
早く出て行って欲しい…こんな風に思うのではないだろうか。

 イスラエル建国によってパレスチナの地を追われたパレスチナ難民がレバノンに流
れ込んできた時、レバノンは彼らを受け入れるしかなかった。しかしその後、パレス
チナ人の滞在が長期化し、難民キャンプが武装を始め、イスラエルに対するゲリラ攻
撃を開始し、イスラエルがレバノンのインフラを対象に報復を開始するに及んで、レ
バノンの国論は真っ二つに割れた。スンニ派のイスラム教徒を中心に、パレスチナ人
を同じアラブの兄弟だと見なす人々は、どんな犠牲を払ってでもレバノンはパレスチ
ナ・ゲリラを守り、イスラエルと戦うべきだと主張した。一方、マロン派のキリスト
教徒を中心に、自分たちはアラブではないと考える人たちにとっては、パレスチナ人
は兄弟ではなく他人である。他人のために戦争に巻き込まれるのはもう沢山だと考え、 
ゲリラを抑えようとした。

 1975年に内戦の引き金を引いたのは、パレスチナ・ゲリラの存在をめぐるこの
レバノン国民同士の対立であった。

居座った「長男」

 1976年に内戦が激化し、それを収拾する口実で軍事介入したのがシリアである。 

 アラブ民族主義者の視点から見れば、次男と三男が次男の家で大喧嘩を始めて、ど
ちらかが死なない限り決着しそうになかったので、一番腕っぷしの強い長男が出てき
て喧嘩を力づくで止めた、ということになる。

 しかしレバノンの独自性を主張するレバノン民族主義者にとっては、シリアはパレ
スチナ・ゲリラよりはるかに危険な存在だった。当時も今も、シリアは汎アラブ、つ
まり「アラブはひとつ」というイデオロギーを掲げるバアス党政権である。しかも、
シリアにとってレバノンは歴史的な結びつきが深く、軍事戦略上・経済的にも極めて
重要な隣国である。シリアは内戦が終結した1990年以降もレバノンに居座った。
特殊な兄弟関係を口実に、レバノンとの間に大使館も交換しなければ、国境線の画定
作業さえ行ってこなかった。

 米国とイスラエルは、1976年にシリアがレバノン内戦に介入することを黙認し
た。1991年の湾岸戦争でシリアが米国の側に立って以来、シリアがレバノンを実
効支配することも黙認してきた。レバノンが自由になって、スンニ派原理主義者やパ
レスチナ・ゲリラが跳梁跋扈するよりは、シリアの強権支配のもとにレバノンが平安
を保つ方が望ましいということだったのであろう。

 しかし2001年の同時多発テロ事件を機に米国の対中東政策は一変する。米国は
仇敵ヒズボッラーの支援を止めないシリアを、一転して目の敵にし始めた。シリアが
イラク戦争に反対し、イラクの反米武装組織を支援し、ハマースやジハードへの支援
も止めず、イランとの関係を強化するに及び、米国とシリアの関係は確実に悪化。2
005年2月のハリーリ元首相暗殺事件で対立は決定的になった。

 5月17日に、国連安保理はシリアに対してレバノンとの外交関係樹立と国境策定
を求める内容の決議第1680号を可決した。米英仏が主導し、「レバノンを独立主
権国家として認知せよ」というレバノンの反シリア連合の要求を、国際的に後押しし
たわけである。

 シリアは即座に「国連はシリア・レバノン両国関係に干渉すべきではない」と決議
を非難する声明を出した。レバノン国内でも、ヒズボッラー以下親シリア勢力が同様
の立場を表明している。シリアとレバノンは兄弟だと考える人にすれば、「これは兄
弟喧嘩なのだ。警察や役所が介入してもややこしくなるだけだ、放っておいてくれ」
ということだ。

 しかしレバノンの反シリア連合の大多数は、シリアは他人だと思っている。兄弟だ
と思っている人の中でさえ、横暴で押しつけがましい兄にいい加減嫌気がさして、し
ばらく放っておいて欲しいと言う思いは強い。この人たちは当然国連の決議を歓迎す
るから、決議に反対する勢力と対立することになる。

PLO事務所再開

 さて、イスラエルの建国記念日にあたる5月15日は、パレスチナ人にとっては屈
辱の祖国喪失記念日であり、離散の苦難が始まった日でもある。

 その15日に、レバノンではファタハ執行委員のアッバース・ザキ新代表を迎えて、 

1982年以来24年ぶりにPLO事務所が再開された。レバノンでPLOと激しく
対立を続けたシリア軍が撤退し、ようやくPLOが事務所を再開出来たのである。

 しかし、レバノンにおけるPLOの立場は微妙だ。

 レバノンに存在するパレスチナ勢力のうち、PLOの傘下にあるのは半分くらい。
残り半分はパレスチナ自治区でファタハと激しく対立するハマースや、完全にシリア
政府の影響下にあるPFLPーGCやファタハ・インティファーダ(1983年に、
シリアの支持を受けてアラファトに叛旗を翻し、ファタハを分派した組織。アブ・ム
ーサ派とも呼ばれる)など、PLOの権威を認めない連中だ。せっかくPLO事務所
を再開しても、ザキ新代表は自動的にレバノンにおけるパレスチナ人の代表と認めて
もらえるわけではないのである。レバノン政府からも、シリア政府からも、そしてレ
バノンのパレスチナ人からさえも。

 シリアとレバノン、そしてPLO。レバノンを舞台にしたこの「三兄弟(なのか、
それとも三人の赤の他人なのかはわからぬが)」の愛憎劇は、これから第二幕に入る。 



第16回(2006年5月9日配信)

シリア締め付け、再び強化

ブランメルツのダマスカス訪問

 ハリーリ元首相暗殺事件の国際捜査を指揮するセルジュ・ブランメルツ検事は4月
25日、レバノン国軍によるものものしい警備に守られて国境を越え、シリアに入国。
一路ダマスカスに向かった。シリアに入国してから、再度レバノンとの国境を越える
までの時間は約6時間。この間、ブランメルツはアサド大統領と初めて「会見」した
他、シャラア副大統領とも会っている。

 この会見は通常の来賓受け入れの域を出るものではなく、決して大統領が暗殺事件
の容疑者として事情聴取を受けたわけではない……これがシリア政府の公式の立場。
国際捜査団の側も徹底した秘密主義を貫いており、この「会見」の中身について一切
発表を控えているので、実際にどのようなやりとりがあったのかは想像するしかない。

 ブランメルツ検事の前任、メヘリス検事が昨秋提出した第一報告書では、2004
年8月にアサド大統領がレバノンのラフード大統領の任期を延長するよう故ハリーリ
首相(当時)に強要、「延長が実行されないのであればお前とジュンブラート(進歩
社会主義党党首)の頭もろともレバノンを叩き潰す」と脅迫したことになっている。
ブランメルツはアサドに脅迫の事実があったかどうかを問いただした可能性もある。

 その翌日、26日はシリア軍がレバノンから全面的に撤退してちょうど一周年にあ
たるが、この日米国のブッシュ大統領は突如、ハリーリ暗殺事件の容疑者に対し在米
資産凍結などの経済制裁措置をとる大統領令に署名した。事件へのシリア政府・情報
機関高官の関与は濃厚な状況だから、ブッシュの制裁措置はシリアへの制裁に等しい。

 この一見唐突な米国の行動は、前日のブランメルツ・アサド会談の結果であると考
えれば納得がいく。ブランメルツはおそらくシリアが十分に捜査に協力せず、情報を
隠しているという印象を持ち、アナン事務総長に報告した。アナンから連絡を受けた
ブッシュは、シリアへの警告の意を込めて、間髪を入れずに制裁措置を発動したので
あろう……一部レバノン・メディアはブランメルツ・アサド会談と米国の制裁措置を
そのように結びつけて解釈している。

セニオラ訪米、ロード・ラーセン報告書、新決議

 シリアに対するブッシュ政権の締め付けは今に始まったことではなく、2003年
のイラク戦争以来延々と続いている。当初、シリアが睨まれた主な理由は、イラクの
反米勢力支援だった。また中東和平ロード・マップ(行程表)を掲げてパレスチナ問
題の解決に乗り出した当時の米国としては、シリアが「和平の敵」ハマースやジハー
ドを匿っていることも看過するわけにいかなかった。

 その後、2004年にシリアが米仏両国の反対を押し切り、ラフード大統領の任期
延長に踏み切るに及び、レバノン問題が米国・シリア間の新たな火種となった。さら
にハリーリ暗殺事件で両者の関係は決定的に悪化、米国はただちに駐ダマスカス大使
を本国に召還し、シリアがレバノンから手を引くよう猛烈なプレッシャーをかける。
シリアはこうしてとうとうレバノンから全面撤退を余儀なくされた。

 2006年に入り、パレスチナ情勢とイラク情勢、さらにイランの核開発問題が急
展開を見せる。一方レバノン情勢と言えば、親シリア派と反シリア派ががっぷり組ん
で、何事も動かない停滞状況が続く。米国は一向にらちの明かないレバノン情勢にば
かり構っていられなくなった。3月のブランメルツ報告書が、従来のメヘリス報告書
とは対照的にシリアの協力姿勢を評価したことで、シリア締め付けの口実も失った。
過去数ヶ月、米国がシリア非難をトーンダウンさせたのには、こんな背景があった。

 しかし、ここに来て米国は再びシリアへの締め付けを強化しつつある。

 その第一弾は、4月にセニオラ・レバノン首相をホワイトハウスに招待したことだ。
国家元首ではないセニオラを、ブッシュはホワイトハウスに招き、連日のように政権
首脳と会談させ、事実上ラフード大統領にかわるレバノン国家元首として遇した。そ
の目的は二つある。ひとつは対レバノン経済支援の窓口を親シリアのラフードではな
く、反シリア連合のセニオラに絞ること。もうひとつは、経済支援と引き替えに、ヒ
ズボッラーの武装解除やシリアとの国境策定を進め、シリアがレバノンに維持する影
響力を排除することである。滞米中の4月21日に急遽国連安保理で演説する機会を
与えられたセニオラは、シリアに対して国境策定と外交関係樹立(レバノンとの「特
殊な兄弟関係」を主張するシリアは、建国以来レバノンに大使館を置いておらず、レ
バノン大使館もシリアには無い)を求め、米国の期待に応えた。

 これより先、4月19日には安保理決議第1559号の履行状況監視を任務とする国連
のロード・ラーセン特使が第三回目の報告書を安保理に提出している。セニオラ演説
と概略は同じで、やはりシリアに対しレバノンとの国境策定や外交関係樹立を求める
内容だった。米国は英仏両国とともに、この報告書を基礎に新たなシリア非難決議を
安保理で採択するべく安保理メンバー諸国に働きかけており、本稿が配信される9日
には新たな決議か議長国声明が発出されているかもしれない。これも米国によるシリ
ア締め付け政策の一環である。

ハマースの武器密輸と土塁問題

 ハマースによるヨルダンへの「武器密輸」事件を前回報告した際、それがハマース
との関係を断ち切るために仕組まれた事件かもしれないと書いた。しかしその後ヨル
ダン当局は、この武器密輸はダマスカス在住の某ハマース活動家が実行したものと発
表。ただでさえイラクやレバノンへの武器密輸疑惑で国際非難を受けているシリアが、
ヨルダンにまで武器を送り込み、不安定化工作を行っているとなれば、「テロ支援国
家シリア」というネガティブなイメージは拭い難くなる。もしこの事件が政治的意図
をもって行われた捏造だったとすれば、その真のターゲットはハマースではなくシリ
ア政府であったのかもしれない。

 シリアに対するネガティブ・キャンペーンの最新版は、レバノン領土侵犯問題であ
る。5月2日、ハリーリ派のフトフト内相がベカー高原北東部アルサール地区におい
て、シリア軍がレバノン領内各所に土塁を築いていると発表。反シリア系メディアが
このニュースを大々的に取り上げてシリア批判キャンペーンを開始した。

 問題のアルサール地区は武器や麻薬の密輸入ルートとしてこれまでにも何度か話題
になった地域。中東全体に言えることだが、ここでも国境線の両側にまたがる氏族や、
国境をまたいで移動生活を送るベドウィンが居り、主権国家の領土という厳密な概念
が当てはまりにくい場所で、双方向の密輸・密入国が常態化している。問題の土塁は
おそらく、密輸入を監視・取り締まるためにシリア軍が築いたのであろうが、随所で
レバノン領内に入りこんでいる。場所によっては4キロメートルも入っているという
から明らかな領土侵犯である。

 しかしヒズボッラーのナスラッラー議長ら親シリア派政治家は、「その土塁は5年
前からあった」と言う。今に始まった問題ではないのに、安保理がシリア非難決議を
出そうと言う時に反シリア・メディアがこの問題をことさら大きく取り上げるのは解
せない、新たにシリアを攻撃する材料として用いているとしか思えない、というわけ
だ。この見方に従うなら、レバノンの反シリア勢力は米英仏のシリア締め付けに便乗
して、あるいは指示を受けて、シリアを一層苦しい立場に追い込もうとしていること
になる。

 この騒動の真っ只中に、反シリア連合の旗振り役の一人、ジュンブラート進歩社会
主義党(PSP)党首はシリア政権の最大の脅威、ムスリム同胞団(1970年代後
半から1980年代前半にかけて、シリア領内各地で武装蜂起し、政権を転覆の瀬戸
際まで追い込んだ)の使節を居城に受け入れ、会見している。このためシリアは「反
シリア連合はレバノンをシリア政権転覆の拠点に変えるつもりではないか」と、猜疑
を募らせている。

イラン核問題

 シリア非難をトーンダウンさせていた米国が、ここに来て再びシリアの咽喉元を押
さえつけようとする理由は何か?

 ブッシュ政権の支持率が低迷の一途をたどり、今後中間選挙にかけて、ますます内
向きにならざるを得ない国内事情が理由のひとつだ。そうなる前に、今のうちからな
るだけシリアの首根っこを押さえておきたい、という判断があるのは間違いない。こ
れは大統領選挙を来年に控え、シラク大統領の求心力低下が著しいフランスの場合に
もあてはまる。
 
しかし、それ以上に重要なのは、イランの核開発問題との関係だ。イランがこのまま
ウラン濃縮を継続し、核拡散防止条約から脱退するなど、米欧との対決路線を突っ
走った場合、米国による軍事オプションも排除出来なくなってくる。

 米国の軍事攻撃を受けたイランの報復としては、ホルムズ海峡封鎖やイラク駐留米
軍、あるいはイスラエルへのミサイル攻撃など、いろいろなシナリオが想定出来る。
そのひとつとして無視出来ないのが、ヒズボッラーによる対イスラエル攻撃だ。ある
いはレバノン国内の米国権益が標的となる可能性もあり得る。

 いずれにせよ、イランとの対決が迫れば迫るほど、米国としてはヒズボッラーと、
ヒズボッラーの兵站補給にとって決定的に重要なシリアとを、封じ込める必要が出て
くる。米国がシリアを再びじりじりと捩じ上げ始めたのは、イランとの軍事対決は回
避出来ないという状況判断に基づいているのかもしれない。



第15回(2006年4月25日配信)

ハマース政権四面楚歌

ドナー諸国の経済制裁

 似たり寄ったりの政治経済体制をとる国家が集まる地域の中に、政治理念を全く異
にする政権が突然変異的に誕生すると、その政権は周辺諸国にとっては深刻な脅威と
なる。各国の支配層は革命の波及を恐れて、隣国に生まれた革命政権つぶしに躍起に
なる。その手段は様々だ。まずは経済封鎖。次に旧政権の残党など、反体制派を匿い
支援する。反体制ゲリラに軍事教練を施し、故国に送って戦わせる。それでも革命政
権が屈しないとなると、正規軍を派遣して戦争をふっかけ、領土の一部なりとも占領
する。

 フランス革命が起きて、革命政権が王族や貴族を次々に処刑した時、周辺諸国の王
政は震撼し、革命潰しを図った。この戦いの中から卓越した軍事指導者ナポレオンが
台頭したのは周知のとおり。ロシア革命の時には我が国もシベリアに出兵してボリ
シェビキ政権を潰そうとした。イランでイスラム革命が起きると、米国と湾岸アラブ
諸国はサッダーム・フセインのイラクを惜しみなく支援し、イランと戦わせた。アラ
ブ世界のど真ん中に誕生したユダヤ人国家イスラエルが、その後に歩んだ道のりも、
その例に加えてよいかもしれない。

 今、パレスチナでハマース政権が置かれた状況もぴったりと上の図式にあてはま
る。

 ハマースはイスラーム原理主義政党としては、アラブ世界で初めて政権政党になっ
た。しかも民主的な選挙を経て、完全に合法的な手段で権力を握った(実はアルジェ
リアでも1990年代初めにイスラーム原理主義政党FISが選挙で大勝している。
しかし軍が介入し、選挙結果を無効にした。この結果、原理主義は周辺諸国に波及し
なかったが、アルジェリア国内は血を血で洗う内戦状態に陥った)。

 それまでPLOをパレスチナ民族の唯一正統な代表と認め、ファタハが主導するパ
レスチナ自治政府(PA)に巨額の支援金を注ぎ込んできた西側諸国は最初は驚き、
戸惑った。やがて落ち着いてくると、「少なくともイスラエルを承認し、暴力を放棄
するまでは支援は出来ない」と、一部の人道支援を除いて対PA支援を凍結し始めた。 


 パレスチナ人は民主的に選挙をやって、ハマースを選んだために罰せらねばならな
いのか? 一体米国の言う民主主義とは何なのか? 自分たちにとって好ましい結果
にならないなら、民主的な選択は認めないと言うのか…ハマース政府はそう反発す
る。その言い分には一理ある。

 しかし世界にはパレスチナよりも支援を必要とするところはいくらでもある。にも
関わらず、日本も含めドナー諸国がPAに巨額の経済支援を行ってきたのは、あくま
でも中東和平を支援するため。ハマース政権が依然としてイスラエルの抹殺を政策目
標に掲げる限り、援助を続けるわけにはいくまい。

 とは言え、武装闘争継続を掲げて選挙に勝ったハマースがドナー諸国の圧力の前に
あっさりと「ではイスラエルを認めましょう」と態度を翻しては、前回書いたように
日本社会党の二の舞だ。

 ドナー諸国もそのあたりの事情を含んで、ハマースと、ハマースを選んだ自治区住
民の面子を潰さないかたちで、もう少し柔軟に対応できないものであろうか? 「今
すぐ選挙公約を破棄しろ、さもなくば援助停止だ」と言われたら、ハマースも譲歩で
きるものまで出来なくなってしまう。

 何はさておき政権政党となったハマースには国民を食わせていく責任がある。米欧
が支援をやめたらハマースはますますイランへの依存を強めるだけだ。そうすれば、
結局西側ドナー諸国にとっては戦略的な損失なのではなかろうか。

エジプトとヨルダンの冷たい仕打ち

 ハマース政権のザッハール外相は現在緊急財政支援を求めてアラブ諸国の間を飛び
回っているが、反応は芳しくない。

 中でも冷たいのはイスラエルと和平条約を結んでいるエジプト、ヨルダンの両国だ。 


 ザッハールはアラブ連盟のムーサ事務局長に会うためカイロに入ったが、アブ・ア
ル・ゲイト外相はじめエジプト政府要人には会ってもらえなかった。一方、21日に
予定していたヨルダン訪問は、前日になってヨルダン側から一方的にキャンセルされ
た。

 どたキャンの理由は「ハマース活動家がシリアからヨルダン国内に武器を密輸入
し、テロ攻撃を準備していた」というもの。

 先代フセイン国王の治世には、ヨルダン王室とハマースの関係は良かった。フセイ
ンは西岸地区とエルサレムの領有権をめぐって長らくPLOと対立していたから、P
LOを牽制するためにもハマースとの関係は必要だった。1997年にハマースのマ
シュアル政治局長がアンマンでモサドの工作員による暗殺未遂に遭った時、フセイン
はマシュアルの命を救ったばかりか、捕らえた工作員とハマース創設者アハマド・ヤ
シーン師の交換をイスラエルに掛け合い、見事ヤシーン師を釈放させたほどである。

 しかし1999年にフセインが死ぬと、あとを継いだアブダッラー国王は一転して
ハマースに厳しい姿勢をみせる。同年中にマシュアルらハマース幹部4名がカタール
に追放され、以降ヨルダンにおけるハマースの活動は厳しく制限された。

 それにしても、今回ヨルダン側が摘発したというハマースのテロ計画には、首を傾
げたくなる部分が多い。ハマースはこれまで攻撃対象をイスラエル、場所もイスラエ
ルとパレスチナ自治区に制限しており、イスラエルの最大の支援国たる米国でさえも
攻撃対象には含めてこなかった。この点、「異教徒なら殺してもいい」というアル・
カーイダとは根本的に発想が異なる。そのハマースが、しかも政権政党になった直後
で、対イスラエル攻撃さえ自重している時に、ヨルダンで破壊活動を行うとはちょっ
と考えにくい。

 ハマースが非難するように、もしヨルダンの主張がハマースとの関係を断ち切るた
めのでっち上げならば、「人が困っている時に、そこまでするか?」という感じで、
パレスチナ人ならハマース支持者ならずともヨルダンへの感情を悪化させるに違いな
い。

イスラエルの暗殺作戦とテルアビブ自爆攻撃

 イスラエルがとるハマース政権締め付けの手段は政治・経済・軍事面の三本立て
だ。

 政治面ではPA閣僚との接触を全面的に禁止。経済面では、PAへ還付すべき税金
を差し押さえている。自治区への物資搬入のほとんどはイスラエル経由なので、イス
ラエルが一旦関税を徴収した後、PAに還付するシステムになっているが、その還付
を止めたのである。イスラエルで働くパレスチナ人労働者から源泉徴集した税金も渡
さない。なお、米国は世界の民間銀行に対しPAとの取引を停止するように圧力を加
えており、カタールなどが拠出したPAへの緊急支援資金もPAに届かない状態だ。

 軍事的には相変わらず西岸・ガザ両地区でゲリラ掃討作戦を継続し、活動家殺害を
続けている。相変わらずの暴力の連鎖で、自治区からもイスラエルにミサイルなどで
報復するゲリラも出てくるし、イランの影響力の強いイスラーム聖戦は17日、テル
アビブで自爆攻撃を久々に実行、民間人9名を殺害した。

 アッバースPA議長は「卑劣なテロ行為」と最大限の表現で攻撃を非難した。しか
し武装闘争継続を公約に政権を奪取したハマースはジハードの攻撃を非難するわけに
はいかない。「イスラエルの度重なる攻撃に対する正当防衛である」とスポークスマ
ンが発言し、ますます国際的な立場が厳しくなった。

養鶏場を守る狼:PLOとの暗闘

 このように、イランやシリア(ザッハールのアンマン訪問がキャンセルされた翌々
日に、ヨルダンにあてつけるかのように国賓待遇でザッハールを迎えた)、カタール
など少数の例外を除き、各国から総スカンをくらうハマース政権だが、目下最大の敵
は「意地悪な上司」アッバースPA議長かもしれない。

 今月20日にシヤーム内相は、各派の武装ゲリラを糾合して治安部隊を新設するこ
とを決定、その司令官にジャマール・アブ・サムハダーナと言う人物を任命した。

 アブ・サムハダーナは元は自治警察の警官だったが、アル・アクサ・インティファ
ーダを取り締まれという命令に反抗してクビになった。そして「人民抵抗委員会」と
いう名の新たなゲリラ組織をつくり、たびたびイスラエルの標的を繰り返してきた。
当然ながらイスラエルには睨まれており、これまで二度暗殺未遂に遭ったが間一髪の
ところで生き延びた。

 そんな人物をPA公認の治安部隊のトップにすると言うのだから、イスラエルが
「これでハマース政府の本性が明らかになった。養鶏場を狼に守らせるつもりか」と
警戒・反発するのも無理はない。

 しかしハマースの真の狙いは対イスラエル攻撃ではなく別のところにある。ひとつ
は野放し状態の武装ゲリラを何らかのかたちで管理統制すること。もうひとつは、フ
ァタハとアッバースPA議長が握る既存のPA治安部隊とは別に、独自に動かせる部
隊をつくることだ。議長が側近を新設治安ポストに任命し、内務省から治安権限を奪
い取ろうとしたことを前回報告したが、今回のハマースの決定はそれへの対抗策と見
てよいだろう。

 果たしてアッバース議長は翌日にPLO執行委員会を招集、「ハマース内閣には治
安部隊を新設する権限は無い」と決定を無効にしてしまった。アッバースはハマース
政権成立後、初めて議長の拒否権を行使したのである。これに対しダマスカスに居た
マシュアル・ハマース政治局長は「アッバース議長はイスラエルと謀ってハマース政
権を潰すつもりだ」と批判。ガザの大学では両派の支持者が武装衝突を起こし、負傷
者が出る事態に発展した。

 翌日にはアッバースはザッハール外相の訪問を拒んだヨルダンを敢えて訪問し、ハ
マースによるヨルダンへの武器密輸に懸念を表した。ヨルダン側の言い分を認めたわ
けで、「意地悪な上司」の面目躍如といったところか。

 国際世界が注視する中、権力配分をめぐるハマース政府とファタハの対立は次第に
危険な水域に近づきつつある。冒頭に掲げたフランスやロシア、イランの例ではいず
れも革命政権がしぶとく生き延びたが、果たしてハマース政権も生き延びれるのであ
ろうか。


第14回(2006年4月11日配信)

意地悪な上司!?…レバノンとパレスチナ

「洗濯物を他所で干す」レバノン

 レバノンのメディアが好んで用いる表現に「洗濯物は他所で干すな」というのがあ
る。「洗濯物」は内輪の争いの喩え。レバノン人同士の意見の対立はレバノン国内で
話し合うことにして、外に持ち出すべきではない、と言う考えだ。しかしこれまで幾
度か書いてきたように、レバノン国内の政治勢力は必ずと言っていいほど外部の勢力
と結びついているから、往々にして国内の対立は、国連やアラブ首脳会議など国外に
持ち出されることになる。国際会議の桧舞台でレバノン人同士がみっともない喧嘩を
繰り広げる……この状況を喩えて、「洗濯物を他所で干す」というわけだ。

 3月28日にスーダンのハルツームで開かれたアラブ・サミットでは、このレバノ
ンの泥まみれの洗濯物が、大々的に陳列される格好になった。サミットには、国家元
首としてラフード大統領が早々に出席を決めていた。このためセニオラ首相は苦い選
択を強いられる。プロトコールに従えば、首相はあくまでも大統領の補佐。サミット
では大統領の背後の椅子に腰掛け、大統領と対等の立場での発言は許されない。「ラ
フード大統領はシリアの介入によって憲法を踏み躙り任期を延長した。ラフードには
レバノンを代表してサミットで演説する資格はない」ハリーリ派の議員はサミットに
先立ち、そうムーサ事務局長に申し入れている。セニオラは、他ならぬそのハリーリ
派に所属する政治家だ。ラフードに従属するかたちでサミットに出席するというのは
信念に反する。かと言って欠席すれば、ラフードがレバノン代表として我が物顔で振
舞うのを黙認することになる。

 セニオラは結局、サミット前日になって参加を決め、徹底してラフードをボイコッ
トする戦術をとった。ラフードとは別の飛行機でスーダン入りし、各国首脳とも別途
会談、開会セッションには欠席する(開会セッションは公開セッションなので、出席
するとラフードの背後で写真に納まってしまう)という念の入り様である。実質的に
レバノンは立場が相反する二つの代表団を送り込んだに等しい。

「洗濯物」陳列劇のクライマックスは、開会セッションに続いて開かれた非公開セッ
ションだった。サミット共同宣言の草案協議がこのセッションの目的である。宣言に
はレバノンの「レジスタンス」、つまりヒズボッラーによる対イスラエル闘争継続を
支持する文言が盛り込まれていた。これに対してセニオラは、「レジスタンスについ
ては現在、レバノン円卓会議で協議中であるから、『レバノン国民の抵抗闘争を支持
する』という表現に書き換えてもらいたい」と注文をつけたのである。

 ラフードにとっては、ヒズボッラーは大統領の座にとどまるための最後の頼みの綱
である。だからここでヒズボッラーのためにラフードが踏ん張った。「レジスタンス
支持はレバノン国民のコンセンサスだ。サミットがこれを支持して何がいけないのか」
と反論。アラブ・サミットの晴れ舞台で、レバノンの大統領と首相が、「レバノンを
代表するのはこの私だ」「いや、私だって政府を代表している」と数十分にわたって
応酬する前代未聞の事態になったのである。セッションの様子は非公開ながら、各国
首脳が呆れ果てた顔つきでこの応酬を見守る様子が目に浮かぶようだ。結局、司会役
のバシール・スーダン大統領が「サミットは各国元首の会合である。貴下は元首では
ない」とセニオラをたしなめ、共同宣言は原案とおり採択された。ラフードとヒズ
ボッラーの完勝である。

怒号のうちに流れた閣議

 サミットでのこの一悶着は、当然ながらレバノン国内で波紋を呼んだ。おさまらな
いのはヒズボッラーである。セニオラ内閣は施政方針演説で、はっきりと「レジスタ
ンス」支持の立場を打ち出しているし、ヒズボッラーが政府ボイコットを終了し、政
府に復帰するに当たってもセニオラ首相はその立場を再確認したはずだ。アラブ連盟
が「レジスタンス」を支持する、と宣言してくれると言うのに、それにクレームをつ
けるとは一体何事か?

 ヒズボッラーはこれ見よがしに自派議員団を大統領官邸に派遣、サミットにおける
大統領の態度に謝意を示した。セニオラへのあてつけである。一方、反シリア連合は
セニオラの立場を擁護。3月30日の閣議で、逆にラフード大統領を攻撃することを
決めた。他所で干した洗濯物が乾かないので、今度は家に持ち帰って干し直すことに
したのである。

 レバノンの閣議は非公開が原則。冒頭にテレビ・カメラが数分間入り、閣僚たちの
姿を無声で撮影するが、協議の様子は撮影しない。ところがこの日の閣議では冒頭に
ハマーデ通信相が起立、司会役のラフードの隣まで進むと、敢えてテレビ・カメラの
前でラフード弾劾演説を始めたのである。

 ハマーデはジュンブラートPSP党首の腹心で、ハリーリ暗殺事件に先立ち200
4年10月、自動車爆弾による暗殺未遂に遭い、九死に一生を得た人物。以来、シリ
アとラフード打倒に命を賭けており、反シリア連合の切り込み隊長のような存在であ
る。

 ラフードは当初、「貴下にはテレビ・カメラの前で演説する権利はない。まあ座り
給え」とたしなめた。しかしハマーデがこれを無視して弾劾を続けるので、軍人上が
りのラフードは怒気を発し、顔を紅潮させて、「座れ、座れといっているのがわから
んのかっ」と怒鳴った。

 ここでハリーリ派のフトフト内相がハマーデに加勢し、何やら揶揄したので、ラフ
ードの堪忍袋の緒を切らし、「お前を粉々に砕いてやる」とフトフトに罵声を浴びせ
た。「フトフト」というアラビア語には「粉々に砕く」という意味があるから、いわ
ば内相の名に引っ掛けた駄洒落である。しかし一連の反シリア政治家・ジャーナリス
トの暗殺事件にはラフードが関与している、と信ずる反シリア連合にとっては、ジョ
ークでは済まない。

 反シリア連合の閣僚は、結局このやりとりの後閣議場から退出、閣議はこうして流
れてしまった。なおフトフト内相は上記のラフードの言葉尻をとって、「ラフードに
暗殺の脅迫を受けた」と司法に訴え、却下されている。

 大統領と政府の対立も、お互いが相手を人殺し呼ばわりするところまで来れば、い
ずれかが退陣し、国会解散・早期選挙へと進みそうなものだが、そうはならないのが
レバノンの不思議さ。この閣議の衝突のあと、セニオラ首相とベッリ国会議長が火消
しに奔走し、5日と6日には、同じようにラフード大統領主宰で閣議が開催された。
そして、まるで何事も無かったかのように、国際通話料金値下げやブロードバンド回
線導入など、IT分野中心にいくつかの改革案を決定している。まるで狐と狸のばか
し合いだが、円卓会議の方も今月28日まで中断され、その時にラフード残留の可否
を最終的に決めるはず。それまでは閣議はセンシティブな問題は回避し、IT関連な
ど、差し障りない問題だけを協議することになりそうだ。

ハマース内閣とアッバース議長

 行政府のトップたる大統領(議長)と政府が対立、政府は上司である大統領に手足
を縛られて、思うように政策を実行出来ない……レバノン政局のこの行き詰まりの構
図は、隣のパレスチナにもあてはまる。

 周知のとおり、パレスチナ自治区ではハマースのイスマイル・ハニーヤを首班とす
る新政府が発足した。予測されたこととは言え、ハマース単独政府に対する国際社会
の風当たりは猛烈に強い。米国とEUは相次いでパレスチナ自治政府への財政・開発
支援を停止、自治政府関係者との接触さえも禁止する措置をとった。「少なくともハ
マースがイスラエル殲滅の目標を撤回しない限り、支援は出来ない」というのがその
理由だ。それはそうであろう。

 今のハマースが置かれた状況は、1994年に日本社会党が政権をとった時の状況
に似ている。55年体制下では万年野党として、「自衛隊は違憲」「非武装中立」
「日米安保条約反対」と、浮世離れした政策を掲げ続けてきた社会党だが、自民党の
内紛・分裂のあおりで棚ボタ式に政権が転がり込んできてしまった。それから起きた
ことはご記憶の方も多いだろう。与党となった社会党は国際政治の現実に初めて直面、
それまでの党是を180度転回させた。牛歩戦術までやって阻止を試みた消費税も、
PKO法案も、ことごとく黙認した。その結果、それまでの支持層の信用を決定的に
失い、爾後こんにちに至るまで低迷を続けている。

 ハマースも目前の障害を乗り切るためにこれまでの主張を投げ捨ててしまえば、お
そらく社会党と同じ運命に陥るであろう。だから何とかサウジやイランなどの支援を
新たに開拓して、当面の財政難に対処するつもりだ。しかし、ハマースの足を引っ張
るのは米国やEU、イスラエル(暗殺作戦を続けるだけでなく、徴収した税の自治政
府への返還を凍結するなど、兵糧攻めにも余念が無い)だけではない。アッバースP
A議長もハニーヤ政府の動きを縛っている。

 アッバースは警察などPAの治安機関3つを統括するポストを新設、腹心のファタ
ハ幹部を任命した。元来この3つの機関は内務省の管轄下にある組織で、ハマースは
党幹部のサイード・シヤームを内相に任命、治安維持の鍵を握るこの三組織の支配を
固めようとしていた。そこに議長が待ったをかけたのだ。

 アッバースと言えば、アラファト存命中の2002年に、アラファトから治安権限
をもぎとろうとする米欧の強い後押しを受けて、新設の首相ポストに任命された。し
かし権力闘争の権化のようなアラファトの策謀に翻弄され、結局何の権限も与えられ
ないまま、わずか数ヶ月で辞任に追い込まれている。そのアッバースがPA議長に
なった今、今度はハマース政府に主導権を渡すまいと、様々な策を講じて新政府を妨
害している。

 上司にいびられ続けたサラリーマンが、管理職について今度は部下を苛めている…
そんな連想をしてしまうのは、筆者だけであろうか。


第13回(2006年3月28日配信)

アウンとジャアジャア 両雄並び立たず

行き詰った円卓会議

 アラブ・サミット(3月28、29日)とイスラエル総選挙(28日)という中東
の二大イベントを控え、レバノン・シリア情勢にはドラマチックな動きが乏しかっ
た。

 3月15日にハリーリ暗殺事件国際捜査団のブランメルツ検事が捜査報告書を安保
理に提出した。前任のメヘリスの報告書とは違いシリアやレバノンの治安情報機関の
犯行を示唆する箇所は皆無で、インパクトに欠ける内容だった。

ブランメルツは、
「捜査の進行中に不用意に情報を公開すれば証人に危険が及ぶかもしれず、捜査に
とってはマイナスになる」
 という考えの持ち主。1月の就任以来、記者会見は開かないしメディアへのリーク
も、容疑者逮捕も行わず、徹底した隠密捜査を続けている。今回の報告書もその慎重
姿勢を反映して、無用な推測を生むような表現は避け、淡々とした事実の列挙に終始
している。

「捜査協力を拒否している」
 とシリア政府を再三非難したメヘリスとは対照的に、ブランメルツは
「シリア政府は捜査団の協力要請にこれまでのところほぼ応えている」
 と評価。安保理の制裁措置を恐れ続けたシリア政府は、ほっと一息ついている。

 しかし、これでシリアが安心していいかどうかは別の話だ。4月にはブランメルツ
はアサド大統領とシャラア副大統領に「会見」する予定。捜査の矛先は依然としてシ
リア政府に向けられている。

 前回報告したレバノン円卓会議の方は、米国から戻ったジュンブラートPSP党首
も参加して13、14日の両日にかけて再開された。懸案のシェバア農地帰属問題で
はジュンブラートが折れ、全会一致で
「シェバア農地はレバノン領」
 という決議を採択。しかし国連にシェバアをレバノン領であると承認させるには、
レバノン一国だけではなくシリア政府の協力が不可欠だ。このため会議はセニオラ首
相をシリアに派遣して協議させることにしたが、
「拉致されるなよ」
 という冗談が飛び交うほどに、両国関係は緊張している。

 ラフード大統領の進退問題は先送りされ22日に再開されたが、退陣を迫る反シリ
ア連合(ハリーリ派、ジュンブラート派、レバノン軍団など)と、ラフード留任を支
持するヒズボッラー、アウン派の間で議論は沸騰し、物別れに終わった。

 この膠着状況を打開するには、サウジ、エジプトを中心とするアラブ諸国が、ラフ
ードを切るようシリアに働きかけるしかない。結局、アラブ・サミットが終わるまで
はセニオラ首相のシリア訪問も無いし、ラフードの進退問題も進展しないだろう。

アウン派(FPM)とレバノン軍団(LF)

 さて、今回は紙数に余裕があるので、アウン派(FPM)とレバノン軍団(LF)
の対立について書いてみたい。

 レバノン政治はある程度歴史を遡らない限り、誰と誰が何をめぐって争っているの
かさっぱりわからない。FPMとLFの対立はその最たるものであろう。

 FPMとLFはいずれもキリスト教徒の政党である。いずれも反シリア姿勢をと
り、シリア支配下ではどちらも厳しく弾圧されてきた。それなのに何故この両党は未
だにこんなに仲が悪いのか?

 LFの発足は内戦初期の1976年に遡る。当時キリスト教徒はいくつもの民兵組
織に分かれて、バラバラにパレスチナ・ゲリラや左派民兵と戦っていた。これを統合
したのがLFである。つまり、LFは元来民兵組織の連合体として出発したのであ
る。当初の指導者はバシール・ジュマイエル。1982年にイスラエル軍の占領下で
大統領に選出されるが、就任を目前にしてシリアのエージェントに暗殺される。激し
い跡目争いを経て、1986年以降はサミール・ジャアジャアが司令官になった。

 アウンの台頭はこれより後、1988年のことだ。レバノン国民は13年目に入っ
た内戦と、民兵の支配に疲れ、辟易しきっていた。だから失われた国権の最後の象徴
である国軍に対する期待が高まった。

 その国軍の司令官だったのがアウン将軍だ。過激な反シリア、反民兵主義者で、レ
バノン国家の復活、民兵解体、国土の解放と再統合を呼びかけ、キリスト教徒だけで
はなく一部のイスラム教徒の間でも人気を博した。世俗的な国家主義者と言える。こ
の点で民兵を出発点とするLFとは相容れなかった。

 1988年、アミーン・ジュマイエル大統領は任期満了を迎えるが、シリア、米
国、LF、国軍などの思惑が一致せず、大統領選挙が実施出来ない事態に。切羽詰っ
たジュマイエルは退任直前にアウンを暫定軍事内閣の首班に任命する。

 当時のレバノンは、国土のほとんどをシリア軍が支配、西ベイルートにはシリアが
後押しするホッス内閣もあった。しかし東ベイルートから北部バトルーンにかけての
キリスト教徒居住地区は、米国とイスラエルの暗黙の庇護のもと、事実上の自治区に
なっていた。そこに反シリアを唱えるアウン内閣が誕生したのである。レバノンはこ
うして南北朝ならぬ東西内閣が並立する分裂時代に入った。

 この狭い自治区の中で、アウンの軍事内閣とLFが対立する。独自の兵力を持ち、検
問所を設け、徴税を行うLFは、アウンにとっては国家内国家以外の何者でもなかっ
た。だからこの時期のアウンとLFの対立は、国家と民兵の対立と言えるだろう。

 PLOがヨルダン国家と、後にはレバノン国家と対立したように、またパレスチナ
自治政府がハマースと対立したように、国家と民兵(ゲリラ)組織の共存は長続きし
ない。アウンとジャアジャアは早晩対決する運命にあった。

「殲滅戦争」

 一触即発の両者が実際に激突したきっかけは、タイフ合意である。

 1989年、サウジと米国はサウジのリゾート地タイフにレバノンの国会議員を集
め、内戦終結のための政治改革案を決議させた。この改革案をタイフ合意という。

 アウンは合意を受け入れなかった。合意ではシリアが支持する西ベイルートのホッ
ス政権の方が正統ということになり、アウンに大統領官邸の引渡しを迫ったから、ア
ウンが拒むのも当然である。

 しかしLFは受け入れた。「身内」の裏切りにアウンは怒りを爆発させた。国軍は
各地のLF拠点に総攻撃を仕掛けLF殲滅を図ったことから、この事件を「殲滅戦
争」と呼ぶ。1990年2月のことだ。

 シリアと激しく敵対するイラクのフセイン政権は、シリアのレバノン支配を妨害す
るため、キリスト教徒にせっせと武器を供与していた。その武器で、国軍とLFは凄惨
な「同士討ち」を繰り広げたのである。

 この戦いは結局痛み分けに終わった。

 8月にはイラクがクウェートに侵攻し、もはやイラクはレバノンどころでは無く
なった。米国はシリアを反イラク包囲網に引き入れるため、シリアがアウンの「反
乱」を掃討することを黙認。10月13日の総攻撃で大統領官邸はあえなく陥落、ア
ウンはフランスに亡命した。15年に及んだ内戦はこうして幕を閉じ、シリアのレバ
ノン支配が完成した。

 タイフ合意を認め、武装解除にも応じたLFだが、シリア軍は合意に背き、一向に
レバノンから撤退する様子を見せない。ジャアジャアはこれに抗議して国政選挙をボ
イコット、入閣要請も蹴った。これがシリアの警戒するところとなり、1994年に
陰謀にはめられて投獄される。FPMより4年遅れてLFも解党・非合法化の憂き目
にあう。

2005年国政選挙と相克の再開

 タイフ合意から15年。ハリーリ暗殺事件に端を発した2005年の政変で、シリ
アのレバノン支配は遂に終焉した。アウンはパリから、ジャアジャアは国防省地下の
独房から、レバノン政治の表舞台に舞い戻った。

 アウンはもはや国軍司令官ではなく、ジャアジャアも民兵指揮官ではない。タイフ
合意も過去の話だ。にも関わらず、この両雄はどこまでも反目を続ける運命にあるの
だろうか。二人は早速2005年5月の国政選挙で真っ向から対立する。

 この選挙で二人が対立した原因は、ハリーリ派、ジュンブラート派など、反シリア
勢力との関係である。アウンはスンニ派のハリーリや、ドルーズ派のジュンブラート
が、キリスト教徒の議席を自在に操ることに反発、あえて両者と対決する道を選ぶ。
その過程で親シリア勢力と手を組むことさえ辞さなかった。一方、シリアの影響力排
除を最優先するジャアジャアはハリーリやジュンブラートと組んで選挙を戦った。

 結果はアウンの勝利だった。アウン派は21議席を獲得、ハリーリ派に次ぐ国会内
第二勢力になった。一方のLFは6議席しかとれなかった。しかし、LFは反シリア
連合主導のセニオラ内閣に参加して与党になるが、FPMは締め出されて野党の地位
に甘んじることに。

大統領問題

「国家vs民兵」、タイフ合意の是非、国政選挙…アウンとジャアジャアは、様々な
原因で20年越しの対立を繰り広げてきた。

 2006年の今、両者の対立の焦点は大統領後継問題に移っている。

 齢70を超えたアウンは焦りもあるのであろう、
「キリスト教徒最大派閥を率いる自分が大統領になることは当然だ」
 と公言。ラフード大統領後継の座を狙う。米国との関係を犠牲にしてまでヒズボッ
ラーと同盟し、
「自分が大統領になれないのならラフード退陣には反対する」
 という姿勢を打ち出している。

 一方、ジャアジャアはハリーリやジュンブラートとともに、ラフードに退陣を迫っ
ているが、同時に、アウンが後釜に座ることだけは絶対に阻止するつもりだ。LF関
係者の間では「殲滅戦争」の教訓から、
「アウンに権力を与えると、また何をしでかすかわからない」
という恐怖は根強い。

 日本史上では、皇室継嗣問題に将軍家の継嗣問題、摂関家(管領家)や武家同士の
権力争いなどが複雑に絡み合い、幾度か大乱が起きている。保元の乱や応仁の乱がそ
れだ。今のレバノン政治もそれに似ているかもしれない。シリアとの関係、ラフード
の進退やヒズボッラーの武装をめぐる対立に、キリスト教徒社会におけるアウンとジ
ャアジャアのライバル関係が絡まり、今後の展開を一層読みにくくしている。


第12回 (2006年3月14日配信)

ジュンブラートの「転向」

国民対話円卓会議

 ベイルートの都心部(通称ダウンタウン)には、国会議事堂などの政府機関と、最
先端のブティック・瀟洒なレストランやカフェテリアなど、商業施設が同居する。東
京に例えるなら霞ヶ関と表参道が合体したような場所だ。数キロメートル四方の広大
な地域全体が歩行者天国で、石畳が敷き詰められ、コロニアル調のレトロで重厚なビ
ルが立ち並ぶ。

 かつて「中東のパリ」と呼ばれたセレブな街ベイルートの再建を目指した故ハリー
リ首相が、その舞台に選んだのがこの一角だった。ハリーリの狙いは成功した。ハリ
ーリ本人が殺され、テロや暗殺事件が頻発する今でも、この一角だけは昼も夜も買い
物客や親子連れ、水タバコをふかしながら談笑する人々らで賑わう。ベイルートの復
活と繁栄を象徴するような場所である。

 しかし3月2日から1週間近く、このダウンタウン一帯はゴーストタウンと化した。
50メートルおきに重装備の兵士が立ち、厳しく周囲に目を光らせる。まるで戒厳令
下の緊張感だ。それというのも、国会議事堂にレバノンの各政治勢力と宗派のボスた
ち14名が集まり「国民対話円卓会議」を開催したためだ。

 会議を呼びかけたのは国会議長でシーア派政党アマルの党首でもあるナビーヒ・
ベッリ。15年に及んだ内戦時代は民兵組織の頭領だった人物だ。その彼が他の大物
ボスたちに、鳩首会談を呼びかけたのである。

 その背景には、親シリア勢力と反シリア勢力の対立のせいで、閣議さえまともに開
けないほどに政局が行き詰ってしまったことがある。どちらの勢力も、自派メディア
を動員して相手を攻撃するか、米仏サウジ、シリア、イランなど外国の指導者と協議
するばかりで、肝心のレバノン人同士の対話が一向に進まない。これを打開する方策
として選ばれたのが今回の円卓会議である。

 主な参加者は、ベッリの他、故ハリーリ首相の後継者で、国会最大会派を率いるサ
アド・ハリーリ、ヒズボッラーのナスラッラー書記長、ジャアジャア・レバノン軍団
(LF)司令官、ジュンブラート進歩社会党(PSP)党首、アウン元将軍など。こ
のうち、ジャアジャアとジュンブラートはベッリと同じく、内戦中は民兵の首領だっ
た。アウンも国軍司令官としてLFやPSPと激しく戦っており、みんなお互いに仇
敵と言える。終わりなき抗争に終止符を打つため、とうとう大ボスたちが出馬、仇敵
たちと膝詰め協議することになった……マフィア映画のそんなシーンをイメージして
いただければわかりやすいかもしれない。

会議中断、延期へ

 最初の2日間、会議を取り巻く雰囲気は上々だった。イスラエルとの戦いで息子を
失ったナスラッラーと、内戦中そのイスラエルと手を組んだジャアジャアが初めて顔
を合わせ、にこやかに握手を交わす。ナスラッラーはサアド・ハリーリに伴われ、初
めてダウンタウンのハリーリ廟に詣でた。会談初日には幸先よく、ハリーリ暗殺事件
の国際法廷設置で参加者全員が合意。会議の行方へ楽観論が広がった。

 風向きが危うくなりだしたのは3日目以降だ。前日にジュンブラートが訪米のため
に欠席、アリーディ情報相を代理に送った。2日目には「シェバア農地がレバノン領
であると合意」と報じられたが、4日になるとアリーディが「合意していない」と否
定。さらに6日に米国のブルッキングス研究所で講演したジュンブラートが「シェバ
ア農地はレバノン領ではない」と発言したことで、会議の雰囲気は完全に壊れてし
まった。7日には開始後1時間ほどで、ナスラッラーが「ジュンブラートが代理を送
るなら、私も代理を送ればよいだろう」と言うなり退出、会議は事実上決裂した。
ベッリをはじめ残りの参加者は大急ぎで協議して、ジュンブラートが米国から戻る1
3日まで1週間会議を延期することを決めた。

 シェバア農地がレバノン領なのか、それともシリア領なのかという問題は、今回の
会議の焦点のひとつだ。もしシェバア農地がレバノン領だとすれば、レバノン領土は
未だにイスラエルに占領されていることになり、ヒズボッラーが武装闘争を続ける根
拠になる。逆に、シェバア農地が本当はシリア領なら、レバノンはシリアの対イスラ
エル戦争に従属させられているだけ、ということになる。当然その場合、ヒズボッラ
ーが武装を続ける根拠も消失する。

 なお、この問題はラフード大統領の運命とも結びついている。ヒズボッラーも本音
では、何が何でもラフードにこだわる理由はない。ラフードの後任がシェバアはレバ
ノン領と認め、ヒズボッラーの武装闘争継続を支持するのなら、おそらくラフード退
陣に同意するだろう。それだけに、シェバア農地の帰属問題は円卓会議全体の鍵にな
る重要問題なのである。

 現実にシェバア農地近辺に土地を持っているレバノン人が居り、古い地図でもレバ
ノン領となっている。会議の冒頭には出席者がほぼ全会一致で、「シェバアはレバノ
ン領である。それを証明するようシリア政府に協力を求めていく」という方向で合意
しかけたらしい。ところが米国に渡ったジュンブラートが、シェバアはレバノン領で
はない、ヒズボッラーは武装解除すべきだ、と場外から宣言したので、話は振り出し
に戻ってしまった。

 外国に頼らずに、レバノン人同士で話し合って、対立点を克服していこうというの
がこの会議の趣旨だ。そのために各首脳は暗殺の危険を冒してダウンタウンに集まっ
ている。と言うのに、参加者のひとりがさっさと切り上げて米国に行き、そこから会
議の進行を無視する発言をするのでは、残った者たちが「ではいったい自分たちは何
のためにここで談判しているのか?」と馬鹿馬鹿しくなるのも当然だ。

ワリード・ジュンブラート

 この辺で、渦中の人ワリード・ジュンブラートを紹介しておこう。ジュンブラート
家はドルーズ派に属する。ドルーズというのは中世にシーア派から分派して生まれた
イスラム教の一宗派で、レバノンの他、シリア、パレスチナ(イスラエル)、ヨルダ
ンなどに住む。レバノンでは中部のシューフ山岳地帯にコミュニティが集中する。現
在のレバノンでは総人口の1割にも満たないマイノリティであり、大統領、首相、国
会議長のような枢要ポストは与えられない。

 17世紀から続くドルーズ派の名家がジュンブラート家である。もともとはシリア
のクルド人の一族だったらしいが、シューフ山岳地帯に落ち着いてからは封建領主と
して君臨してきた。反逆者の血でも流れているのか、19世紀からこの一族には政争
に敗れて非業の死を遂げた者が少なくない。ワリードの父親、カマール・ジュンブラ
ートもそうだった。

 カマールは若い時に、ナセルの汎アラブ主義、その後は社会主義に影響を受け、P
SPを結成、初代党首となった。封建領主が社会主義者と言うのも変な話だが、つま
りは何代にもわたり絶対的な忠誠を誓ってくれる一族郎党が居るので、政治路線など
いくら宗旨替えしても構わないということだ(このことは、徹底的な親シリアから反
シリアへと180度路線を転換した息子のワリードにも言える)。

 1975年に始まった内戦で、カマールのPSPはPLOと同盟し、キリスト教徒
勢力をあと一歩のところまで追い詰める。しかし左派・PLOの勝利→イスラエル軍
が介入、というシナリオをおそれるシリアが一足先に軍事介入し、キリスト教徒を
救った。軍事力でレバノンの政治改革を達成するカマールの野望はこうして挫かれた。
失意のカマールはほどなく、1977年3月に暗殺される。犯人はわかっていないが、
あらゆる状況証拠からシリア犯行説が確実視されている。

 後を継いだワリードは、その後2004年までシリアに忠実に行動した。今になっ
て本人が言うには、「父のように殺される恐怖から逃れることが出来なかった」らし
い。1983年には根拠地のシューフ山岳地帯で、LF相手の血みどろの宗派紛争に
勝利、シリアに協力して米国以下の多国籍軍をレバノンから追い落とすことにも成功
した。なおこの時LF民兵を率いたのが、現在の盟友サミール・ジャアジャアだ。

ジュンブラートの「転向」

 ジュンブラートがシリアと袂を分かったのは、2004年のラフード大統領の任期
延長に際してである。機を読むに敏な彼は、9月11日事件の後、米国の中東政策が
劇的にシフトし、シリアのレバノン支配に終わりが近づいたと悟ったのであろう。そ
れ以降シリアとの対決姿勢を強め、ハリーリ暗殺後は「独立のためのインティファー
ダ」のけん引役を果たした。今年に入ってからはとうとう20年来の盟友ヒズボッラ
ーをも「イランやシリアの指示を受ける民兵組織」と切り捨て、反シリア連合の中で
も最も過激で闘争的な姿勢をとるようになった。30年の隠忍自重を経て、ようやく
亡父の復讐に立ち上がったとも言える。

 2003年のイラク戦争の時、ジュンブラートはレバノンの反米勢力の旗頭として、
得意の毒舌でブッシュ政権首脳を片っ端からこきおろした。ブッシュは「狂気の独裁
者」、ウォルフォウィッツ国防副長官(当時)は「アラブ世界に腐敗を撒き散らすば
い菌」、ライスは「石油利権の代弁者」と言った具合だ。ウォルフォウィッツが宿泊
したホテルがミサイル攻撃を受けたときには、「惜しかった、命中すれば良かったの
に」と発言、米国から入国査証の発給禁止措置さえくらっている。

 シリアとヒズボッラーを相手に回した戦いを完遂するため、ジュンブラートは今回、
世銀総裁となったウォルフォウィッツや、国務長官になったライスに過去の罵言を謝
罪し、「レバノンの独立と民主主義を守るため、米国の協力が必要だ」と訴えた。

 しかし、米国は従順になったジュンブラートにすんなりと協力してくれるかどうか。
そして、イラクでもパレスチナでも読みが外れっぱなしの米国が、レバノンでだけは
ジュンブラートを利用して、首尾よくラフードを更迭し、ヒズボッラーを解体、シリ
アの影響力も排除出来るものだろうか。


第11回(2006年2月28日配信)

革命の完遂なるか?

ハリーリ暗殺一周年の大集会

 2006年2月14日。
 レバノンを大きく揺り動かしたハリーリ元首相暗殺事件から一周年にあたるこの
日、首都ベイルートの中心部にある「殉教者広場」は赤、白、緑のレバノン国旗を手
にした数十万規模の大群衆で埋め尽くされた。昨年3月14日の100万人規模の反
シリア大集会の再現である。

 反シリア連合はこの日の大集会を一種の国民投票であると位置づけていた。シリア
からの独立を完遂するかどうかを問う国民投票だ。シリアは昨年4月のレバノン撤退
後も、要人暗殺など…レバノン国民の多くがシリアの犯行と信じている…様々なかた
ちでレバノンに干渉し続けている。何人殺されようとも、この先何年かかろうとも、
独立のために戦い抜くのかどうか。

 ハリーリ派は全国に張り巡らした奨学生や職能組合のネットワークを用いて、総動
員をかけた。暗殺を恐れパリで亡命生活を送っていた総帥のサアド・ハリーリ議員も
帰国、盟友ジュンブラート(進歩社会主義党党首)、ジャアジャア(レバノン軍団議
長)らと共に、生命の危険を冒して集会に参加し、士気を鼓舞した。

 この時期、レバノンは1週間以上にわたり嵐が続く悪天に見舞われたが、14日の
午前だけは奇跡のように爽やかな青空が広がった。この天候にも助けられて、反シリ
ア連合は国民投票に勝った。国民の大多数は革命の完遂を求めているということを、
内外に示すのに成功したのだ。

ラフード大統領とシリア

 この大集会で、ハリーリ、ジュンブラート、ジャアジャアの三巨頭は揃ってラフー
ド大統領に退陣を求めた。大集会成功の余勢を駆って、翌々日に反シリア連合は「3
月14日までにラフード大統領を退陣に追い込む」と宣言、一挙に情勢は風雲急を告
げた。

 このあたりで、ラフード大統領とシリアについて説明しておこう。

 ラフードは内戦最末期から1998年まで国軍司令官を務めた軍人だ。1990年
10月、大統領官邸に籠もり最後までシリアに抵抗するアウン将軍の部隊にシリア・
レバノン連合軍が総攻撃を加え、力づくで内戦を終結させたが、この時の名目上の総
指揮官がラフードだった。それ以来、ラフードはシリアによるレバノン支配の中心的
な役割を担ってきた。サウジやフランスと強いコネを持つハリーリや、軍人嫌いのジ
ュンブラートとは折り合いが悪く、1998年にシリアの強い支持のもとラフードが
大統領の座に上り詰めると、ハリーリもジュンブラートもいったん下野している。

 ハリーリ・ジュンブラート連合は2000年夏の国政選挙で大勝、政権の座に返り
咲き、ラフードはハリーリとの共存を強いられた。しかし両者は相変わらず反りが合
わず、ありとあらゆる政策をめぐって対立。政府機能は麻痺し、その都度シリアの仲
介を仰ぐというパターンが定着した。

 ハリーリには、ラフードの任期が満了する2004年11月までの辛抱だ、という
腹があったに違いない。憲法で大統領の任期は一期6年だけに限定されているのに対
し、首相は何度でも再任出来るのだ。

 しかしイラク戦争以降、東部国境で米軍の脅威に直面するようになったシリアにと
って、忠実な盟友ラフードは、西からの脅威に対する防波堤である。強引にレバノン
政治に介入し、2004年9月、レバノン憲法を改正させて3年間の任期延長を決め
てしまった。これが安保理決議第1559号採択、更にはシリア軍のレバノン撤退に
つながったのは周知のとおりである。

 それまではシリア政権と持ちつ持たれつの関係だった故ハリーリ首相が、はっきり
とシリアに反対する立場をとり始めたのは、このラフードの任期延長のせいだ。

 なおラフードとハリーリの政争の裏には、ラフードの後ろ盾アサド大統領と、ハリ
ーリの後ろ盾ハッダーム前副大統領の政争があった。更にアサドの背後にはイラン
が、ハリーリの背後には米仏両国が控えていた。ラフードとハリーリの対立は、もは
やレバノン一国の政争の枠をはるかに超え、国際問題になりつつあったのである。

「杉の革命」と国政選挙

 ハリーリが昨年2月14日に爆殺された時、レバノン内外で多くの人がラフード大
統領の関与を疑った。何しろラフードは、過去15年間にわたりレバノンの治安警察
機関を一手に握ってきた人物だ。犯行がシリアによるものであるとすれば、ラフード
が関係していないはずはない…そういう論理だ。

 ハリーリ暗殺後、レバノンでは宗派を超えて反シリア感情が燃え盛り、治安機関高
官は次々に辞任に追い込まれ、親シリアのカラーミ内閣も倒れてしまった。いわゆる
「杉の革命」である。反シリア勢力は、次はラフードを引きずりおろすと息巻いた。

 しかしこの時には反シリア連合は目的を達成出来なかった。その最大の理由は、ヒ
ズボッラーなど親シリア勢力ばかりでなく、キリスト教徒の反シリア勢力の中からも
慎重論が出たせいだ。

 マロン派のソフェイル総司教は護憲主義者で、ラフードの任期延長に強く反対した
人物だ。しかし曲がりなりにも国会の手続きを経て実現した憲法改正=ラフードの任
期延長が、今度は大衆デモによって無効になるようでは、憲法は二重に蹂躙されると
抵抗した。反シリアの精神的支柱たる総司教に反対されてはどう仕様も無い。反シリ
ア連合は街頭行動を断念、選挙で憲法改正に必要な86議席(128議席中)を握
り、法的にラフードを退陣に追い込む手段を模索することにした。

 だが2005年5、6月にかけて行われた国政選挙では反シリア勢力が内紛を起こ
し、アウン将軍派が分裂してしまった。結果的に反シリア連合は72議席しかとれ
ず、親シリアのヒズボッラーやアマル(33議席)か、アウン派(21議席)の協力
を得ない限り憲法改正は出来ない状態に陥る。

国際捜査

 街頭行動や、国会を通じたラフード罷免に失敗した反シリア連合が、次に期待を寄
せたのは、メヘリス国際捜査団によるハリーリ暗殺事件の捜査である。捜査団の要請
に基づき、レバノン当局は2005年8月に、ラフードの側近だった治安機関高官4
名をハリーリ暗殺関与容疑で逮捕。このうち1名は、大統領警護を任務とし、大統領
府で起居するハムダーン共和国防衛隊司令官だった。

 大統領警護の責任者が暗殺関与容疑で逮捕されたのだから、仮に大統領本人がシロ
であったとしても、引責辞任は避けられまい…反シリア連合はそう判断した。

 しかし、ラフードは
「自分はまったく潔白であり、何の良心の呵責も感じない。自分は国民から与えられ
た信任に答え、任期を最後まで全うする」
 と涼しい顔で、引責辞任要求には応じそうにない。憲法上は国家反逆罪が適用され
ない限り大統領罷免は出来ない。頼みのメヘリス捜査団は幾度か大統領からも事情聴
取を行っているが、大統領がクロと言う確証は何も見つかっていない。「大統領の犯
罪」を突破口にラフードを更迭に追い込むシナリオも行き詰った。

再び行き詰った政局

 この様に、ラフードは後ろ盾の駐留シリア軍を失ったにも関わらず、激動するレバ
ノン政局をしたたかに生き延びてきた。

 これを反シリア連合の側から見れば「シリアによるレバノン統治体制の一角が未だ
に大統領府に君臨し続けている。ラフードを大統領の座から引き摺り下ろさない限り
は、革命は完遂されない」ということになる。

 とりわけ反シリア連合が憤慨するのは、人事権を行使するラフードのために、治安
・司法機関の再編が遅々として進まない点だ。例えば昨年12月に起きたトウェイニ
議員暗殺事件では、主任検事の任命もまだ行われていない。ラフードが辞任しない限
り、今後も反シリア政治家を狙った暗殺事件の捜査が妨害され続ける、という危惧が
ある。だから反シリア連合は、今回一挙にラフード打倒を進めようと決意したのだ。
もちろん米国はこの動きを公然と支持している。

 しかし、それでは実際にどうやってラフードを打倒するのか?

 既に見たように、憲法の枠内でラフードを退陣に追い込むのは不可能に近い。ヒズ
ボッラーはラフードが退陣に追い込まれると、次は間違いなく自らの武装問題がター
ゲットになると警戒しているから、ラフードを守り続けるだろう。アウンは自分が後
継大統領になるのでない限り、反シリア連合に協力するつもりはない。従ってヒズボ
ッラーやアウンの協力を得て憲法改正を果たすことはまず無理だ。

 街頭行動もリスクが高過ぎる。

 2月23日には、反シリア連合は閣議場に向けて数千人規模のデモをかけ、ラフー
ド退陣を要求するつもりだった。しかしこの日にライス米国国務長官が電撃訪問、反
米勢力のデモと衝突になる恐れが高まったので、デモは急遽中止された。イラクでは
サーマッラーのシーア派聖廟爆破事件を機に、スンニ派とシーア派の血なまぐさい宗
派紛争が起きており、レバノンのイスラム教指導者はこの紛争がレバノンに波及しな
いようにと躍起になっている。そんな時に、反ラフード(スンニ派が多い)と親ラフ
ード(シーア派中心)両勢力のデモが衝突した場合、恐ろしい結果を招きかねない。

 そんなわけで反シリア連合の当初の威勢の良さは、急激にトーンダウンし、指導者
の中からも
「3月14日と期限を区切ったのは性急過ぎた」
 という自省の発言が出始めている。実際問題としてラフード追い落としに向けて反
シリア連合がとりはじめた具体的な行動は、署名集めと、閣議ボイコットくらいしか
ない。

 シーア派閣僚(5名)の閣議ボイコット問題がようやく決着したかと思うと、今度
は反シリア連合の閣僚(15名)が、大統領の出席する閣議のボイコットを決定。2
月23日に予定されていた週例閣議は延期になった。今後反シリア、親シリアの両陣
営がどのように落とし処を見つけ、いつ、どこで閣議が再開出来るのか、見当がつか
ない状態だ。もはやレバノンは政府不在の内戦時代に遡ってしまったと言うべきかも
しれない。


第10回(2006年2月14日配信)

デンマーク大使館焼き討ち事件

シーア派閣僚の政府復帰

 2月2日、国会の質疑応答でヒズボッラーに対する見解を問われたセニオラ首相は、
「ヒズボッラーによる対イスラエル闘争は、国民的な反占領闘争であると認識してい
る」と答弁。シーア派連合(ヒズボッラーとアマル)はこの答弁を評価して、数時間
後には閣僚5名を政府に復帰させる決定を下した。こうして50日間に及んだシーア
派閣僚の政府ボイコット劇は幕を下ろした。

 この答弁は、事前にベッリ国会議長(アマル党首を兼ねる)とすり合わせた上で行
われた。米国や国連から「民兵組織」ヒズボッラーの武装解除を迫られるハリーリ派
(セニオラ首相が所属)は、ヒズボッラーが求めるように「ヒズボッラーは民兵では
ない」と宣言するわけにはいかない。そんなことをすれば、財政再建のため喉から手
が出るほど欲しい国際支援はもはや期待出来なくなってしまう。かと言って、5閣僚
が辞任してしまうと、ヒズボッラー、アマル両党の支持を受けないシーア派閣僚を補
充することは不可能で、政府不在状況を一層長引かせてしまう。一方のヒズボッラー
も、アマルを抱き込めば政府の決定を自由自在にブロック出来るということを満天下
に知らしめたので、ここらが鉾の納め時と判断したのであろう。結局、上記のような
間接的な表現で双方(ハリーリ派とヒズボッラー)が妥協するというシナリオが描か
れた。

 こうして形式的には政府の分裂は終焉した。しかし、シリアやイランとの関係をめ
ぐる反シリア連合(ハリーリ派、ジュンブラート派、レバノン軍団など)とシーア派
連合の対立点は何一つ解消していない。だからセニオラ内閣はいつまた崩壊の危機に
瀕するかわからない。

 それを見越してのことだろう、ナスラッラー・ヒズボッラー議長は6日、突然野党
の領袖アウン元将軍と初会談を行い周囲を驚かせた。アウンは言わずと知れた反シリ
アの闘士で、内戦末期には最後までシリアと戦った果てにパリに亡命。パリでも反シ
リアのロビー活動を続け、シリア軍撤退とヒズボッラーの武装解除を求める安保理決
議第1559号成立に尽力した人物だ。しかし昨年5月に帰国してからは選挙をめぐり反
シリア連合と対立。「敵の敵は味方」の論理で、アウンはヒズボッラーの武装継続を
認めるなど従来の政策を180度転換し、ヒズボッラーとの協力に踏み切った。ヒズ
ボッラーは、イランやシリアに続き、キリスト教徒最大勢力の支持も取り付けたこと
になる。最近のヒズボッラーの打つ手打つ手はことごとく当たり、その存在感は着実
に増している。今後もレバノン政局は、当面ヒズボッラーを軸に動くことになりそう
だ。

デンマーク大使館焼き討ち

 ところで、預言者ムハンマドの風刺画に対する抗議行動はイスラム世界を席巻して
いるが、とうとうシリアとレバノンにも波及した。4日にダマスカス、その翌日5日
にはベイルートで、相次いでデンマーク大使館が暴徒と化した群集に襲われ放火され
る事件が起きた。

 しかしこの二つの事件はどうも胡散臭い。単なる宗教感情の暴発では説明できない
ところが多過ぎるのだ。元来、シリア、レバノン両国ではパレスチナ、ヨルダン、エ
ジプトなどの周辺諸国と比較して、スンニ派原理主義勢力が相対的に弱い。シリアに
至っては、1982年にハマ市の虐殺でムスリム同胞団をほぼ根絶した筈だし、そも
そも集会の自由もない警察国家だ。そんな国で大規模なデモが組織され、しかもそれ
が当局の制御を離れて暴徒化するようなことが起きるものであろうか? 当局は本当
に焼き討ちを防げなかったのか?

 一方のベイルートでも、昨年には数十万人規模の超巨大デモが幾たびも行われたが、
一度たりとも暴動には発展しなかった。それがなぜ今回だけ手に負えないような事態
に陥ったのか? なぜ広いイスラム世界で、よりによってこの両国だけで大使館が焼
き討ちされるところまでエスカレートしたのか? 不審な点を数えるときりがない。

 米国のライス国務長官は「群集を煽動している」とシリア政府を厳しく非難してい
るが、煽動はともかく、防ごうと思えば防げたのにそうしなかったのは事実だろう。
「アサド政権を倒してしまうと、過激な原理主義者が政権を握る」国際圧力にさらさ
れるアサド政権としては、デンマーク大使館焼き討ち事件は、そう政権の存在意義を
アピールする格好の材料だったのではなかろうか。

反シリア連合の言い分

 シリアの場合、メディアも捜査機関もすべて官製だから、上記のような不審点は解
明されそうにない。しかしレバノンではメディアも捜査当局も、相当程度反シリア勢
力が握っているため、事件についてかなりのことが明らかになっている。それから判
断する限り、ベイルートの焼き討ち事件におけるシリアの関与は濃厚だ。

 もともと5日の集会を呼びかけたのは、ダール・アル・ファトワ(政府公認のスン
ニ派宗教機関。ファトワ=宗教令を発出する権限を持つ)やジャマーア・イスラミー
ヤなど、穏健なスンニ派イスラム組織だった。しかし集会に過激分子が潜入、平和的
な抗議集会を破壊行為へと導こうとしている、という情報が前日になって届き、主催
者側から国軍や警備部隊に「警備体制を強化して欲しい」という要請さえ行っていた
らしい。

 筆者も集会を取材したが、参加者の圧倒的大多数は家族や子供連れだった。主催者
側が平和的な抗議集会を意図していたのは事実だろう。しかし大使館に近づくに連れ
て、目を血走らせ、武器や石を手にした青年の割合が増えた。大使館周辺の教会や商
店を略奪するなどの狼藉を働く者も居た。

 一方、集会を呼びかけたダール・アル・ファトワやジャマーア・イスラミーヤの法
学者らは、身を挺して破壊行為に走る青年たちを説得・阻止しようと試みた。しかし
焼け石に水で、大使館の入ったビルに火の手があがると、法学者らは現場から退去し、
「過激分子が潜入している。制御できない」と批判する声明を出した。

 事件後、これまでに数百人が逮捕されているが、レバノン人は半分程度。残りはほ
とんどシリア人かパレスチナ人である。パレスチナ人の中にはシリアとのつながりの
深いPFLP−GCやスンニ派原理主義組織のメンバーが多数含まれている。

 フトフト暫定内相(サバア内相は事件当日に引責辞任)は8日夜、ムスタクバル・
テレビで、「群集の中で拡声器を用いて破壊活動を煽動したのはマージド・ハムダー
ン(ハリーリ暗殺関与容疑で拘束されている治安機関高官の弟。国外逃亡中)の側近
だ。また非拘束者の中にはジャーミア・ジャーミア(ハリーリ暗殺事件当時、駐留シ
リア軍情報局のベイルート地区責任者だった人物。メヘリス捜査団から容疑者視され、
二度にわたりウィーンで取り調べを受けている)の部下も居る」と語り、焼き討ち事
件におけるシリア情報機関の関与を強く示唆している。

シリアの狙いは?

 5日の焼き討ち事件の背後でシリアが糸を引いていたとすれば、その狙いは何か?
ジュンブラート議員ら反シリア連合は、「レバノン政府にはレバノンの治安を維持す
る能力がない。レバノンの安定のためにはシリア軍駐留が不可欠なのだ」と「証明」
するためだと言う。

 それもあろうが、もうひとつはハリーリ派への牽制だろう。

 昨年2月14日に起きたハリーリ元首相暗殺事件で、それまではシリアの支配に従
順だったレバノンのスンニ派住民が怒りを爆発させた。レバノンの総人口を10とす
れば、スンニ派、シーア派、キリスト教諸派がそれぞれ3程度ずつを占める。それま
では大雑把に言ってキリスト教徒が反シリアで、スンニ派とシーア派が親シリアだっ
た。だから親シリア勢力の方が断然多数派だったのであるが、ハリーリ暗殺事件のせ
いでスンニ派が一挙に反シリアに向かい、反シリア勢力が多数派になった。そのレバ
ノン・スンニ派のリーダーがハリーリ家であり、殺されたラフィークの息子、サアド
・ハリーリ議員である。

 5日のデモにはシーア派はほとんど参加していない(ここでもヒズボッラーは点数
を稼いだといえる)。スンニ派一色だったこのデモは、ハリーリに近いダール・アル
・ファトワの統制を離れ大使館焼き討ちへと発展し、スンニ派のリーダーとしてのハ
リーリ家の権威には大きな傷がついてしまった。また、暴徒によるキリスト教の教会
襲撃は、反シリア連合におけるスンニ派とキリスト教徒の団結を脅かしかねない。シ
リアの狙いはそのあたりにあったのではなかろうか。

 シリアに暗殺されることを恐れ、パリとサウジの間を転々としているサアド・ハリ
ーリが、「亡父ラフィークを暗殺した勢力と、5日の暴動を起こしたのは同じ勢力だ」
とシリアを非難するのも頷ける。

 この原稿が掲載される14日は、ハリーリ元首相暗殺事件の一周年記念にあたる。
事件の結果、親シリアのカラーミ内閣は総辞職に追い込まれ、1976年以来レバノ
ン駐留を続けたシリア軍もとうとう撤退を余儀なくされた。反シリア連合は政権を握
り、暗殺事件の国際捜査も開始され、シリアに対する容疑は濃くなる一方だ。

 このように、この一年間で反シリア勢力は多くを達成した。しかし、反シリア政治
家に対するテロや暗殺は一向に後を絶たない。シリアによるレバノン間接支配の象徴
とも言うべきラフード大統領も、ベッリ国会議長もいずれも残留している。アウン派
は連合から脱落し、シリア擁護姿勢を貫くヒズボッラーと合流する有様。そしてここ
に来て、反シリア連合内部でも補欠選挙やシーア派閣僚復帰問題をめぐり、綻びが目
立ち始めている。

 反シリア連合は、「自由、主権、独立!!」の旗印のもと、宗派を超えてレバノン
人が団結した1年前の熱気を取り戻そうと、ベイルート市中心部の「殉教者広場」で
久しぶりの大集会を計画している。12日にはサアド・ハリーリもとうとう帰国し、
役者は揃った。あの熱気は果たして戻ってくるのであろうか?


第9回(2006年1月31日配信)

ハマース大勝

裁かれたファタハ

 1月25日に行われたパレスチナ立法評議会(PLC)選挙で、初参加のハマース
は全132議席中、単独過半数を優に超える76議席を獲得。今後の組閣交渉を主導
することになった。一方、1960年代末から40年近くにわたり、パレスチナの意
思決定をほぼ独占してきたファタハは43議席しかとれず、権力の座から追われた。

 ファタハが危ないのは事前にわかっていた。

 10年来の和平交渉で、イスラエルから譲歩らしい譲歩を引き出せず、独立パレス
チナ国家樹立は夢のまた夢。汚職が蔓延しているのに誰一人追及されない。オスロ合
意以来、日本も含め国際社会が湯水のごとく支援金を注ぎ込んだが、自治区の生活環
境は一向に改善されず、職にあぶれた若者たちが街にあふれている。その一部は武装
集団となって誘拐や銃撃など絶えずトラブルを引き起こす。

 外にこれだけ問題を抱えているというのに、ファタハ指導部は内部で権力闘争に明
け暮れてきた。12月も半ばになってから若手幹部らがファタハを飛び出し、独立リ
ストで出馬する有様。

 当時の地方議会選でハマースが躍進し、危機感を高めたファタハは若手を懐柔し、
何とかリストを一本化した。しかし公認リストから洩れた候補者が立候補を取り下げ
ない。例えば西岸地区のある選挙区では、定数1に対しハマースとファタハがそれぞ
れ1名ずつ公認候補を擁立。そこに実に9名のファタハ非公認候補が加わる乱戦と
なった。
 これではファタハ候補同士の共食いとなり、共倒れするのも当然だ。

 だから今回の選挙結果には、「有権者を裏切り続けたファタハが鉄槌をくらった」、 
「ファタハは自滅した」という側面が大きい。

ハマースの強み

 しかしもちろんそれだけではない。ハマースの主張や活動が有権者の共感を得たと
いう面も無視できない。

 例えば和平交渉に対する態度がそうだ。

 和平交渉を続けても、イスラエルは占領地からまったく出て行こうとはせず、逆に
入植地や分離壁をつくって占領の恒久化を図った。しかし、ハマースが粘り強く武装
闘争を続けたガザでは、イスラエルは一方的に撤退した。

 前回書いたように、この撤退実現にはシャロンの様々な計算が働いており、単純に
「武装闘争の成果」と結論出来るものではない。だが40年来の占領に苦しんできた
人たちが、「和平交渉では返ってこなかった領土が武装闘争によって返ってきた」と
受け止めるのも無理はない。

 それから、ハマースが行ってきた地道な社会活動もある。

 筆者は1990年代に日本のNGOの現地代表として、西岸・ガザ地区で様々なパ
レスチナ系組織と関わってきたが、その中で印象に残っているのはやはりハマース系
の組織である。

 ファタハやPFLPなど、PLO系組織とハマース系の組織との大きな違いは、地
域社会への密着度だ。

 PLO系組織は、大体欧米の大学で博士号をとってきたような開発経済分野のエリ
ートが運営している。英語に堪能で、しかも国連や西側世界がどんな開発分野(例え
ばジェンダーや平和構築など)に興味を持つかを熟知しているから、プレゼンテーシ
ョンが上手い。

 ドナーの側にはアラビア語が出来る人材は滅多に居ないから、流暢な英語を操るパ
レスチナ人エリートから、ジェンダーや平和構築など、開発分野のトレンドを押えた
プレゼンを受けると、ころりと参ってしまう。

 そうやってドナーを説得して資金を確保するところまではよいのだが、何しろ自己
資金が無いものだから、活動に継続性が無い。担当者がプロジェクトを投げ出して古
巣を飛び出し、別団体を立ち上げるということも度々起きる。

 こういう団体の場合、ドナーとのつきあいは生命線だから、やたらと会議や出張に
金がかかる。新たな団体が出来るたびに事務所の家賃や家具代、オフィス機器の経費
もかかってくる。

 資金源も発想も、ついでに言えば服装や食生活に至るまですべて外国仕込みだか
ら、本当に援助が必要な農村や難民キャンプに入っていくとどうしても浮いてしま
う。その村の複雑な人間関係も理解していないから、プロジェクトをめぐってトラブ
ルが起きると、収拾する能力もない。

 ハマース系組織は違う。財源は地域の喜捨(ザカー)基金や、湾岸諸国の信徒から
の寄金が中心だ。喜捨はイスラーム教徒の義務だから、こういった金は安定して供給
される。それに加えて、診療所や養鶏場、薬局、保育園など、収益のあがる事業も行
っているので自前の資金もある。だからドナー諸国の意向や事情に左右されることは
ない。医師や弁護士、技師など専門技術を持った人材も豊富で、しかも現地でリクル
ートしている。地域社会を熟知し、完全に溶け込んで活動しているから効率的だ。
「殉教者」の遺族の面倒もよくみる(もっとも、これは自爆攻撃というかたちで「殉
教」させた側の責任というべきか)。

 褒めすぎのように思われるかもしれないが、実際開発事業の現場に居るとハマース
には適わない、と思うことが多かった。

 昨年12月の地方選挙のあと、ハマースのハムダーン駐レバノン代表にインタビュ
ーして
「勝利は予想どおりでしたか?」
とたずねると、
「いや、予想以上だった」
と答えてから、各地方議会における予測得票率と獲得議席数をすらすらと並べるので
驚いた。しかも各選挙区の候補者名をすべて諳んじている。現場から離れたベイルー
トの広報担当官なのに、現場の事情を緻密に把握しているのだ。

 PLC選挙の投票前日に会ったPLO大物幹部はその点対照的だった。豪放磊落で
筆者も好きなキャラクターではあるのだが、獲得議席数の予想を問うたら
「ファタハ60議席、ハマース30議席というところかな」
と言う。いくらなんでも呑気過ぎないか、と思ったが、果たしてそうだった。

衝撃の余波

 予測を上回るハマースの大勝で、関係諸国も一様に衝撃を受けている。米国やEU
諸国、日本などこれまでせっせとパレスチナ自治政府≒ファタハを支援してきたドナ
ー諸国政府は、困惑を隠しきれない。小泉総理は「ハマースも責任を自覚して共存共
栄の道を歩んでくれると良い」と珍妙なコメントを発したが、イスラエルの存在を認
めず、自爆攻撃を繰り返すハマースと、ハマースの存在を認めず幹部をしらみつぶし
に殺してきたイスラエルが果たして「共存共栄」出来るものかどうか。

 とりあえず、米欧諸国は
「ハマースがイスラエル殲滅と言う目標を捨て、武装部門を解体しない限り交渉は出
来ない」
という立場を打ち出した。ハマースとしても実際に政権与党となるなら、傘下の「カ
ッサーム旅団」を野放しにするわけにもいかず、自治政府の治安部隊にでも組み込ん
でいくしかないだろう。とりあえずはそこから始め、ファタハとの関係を修復し、自
治区の治安回復に取り組むのが先決だ。

 イスラエルは選挙直前まで、自治政府に対してハマースを選挙に参加させるなと圧
力をかけてきた。投票の前々日には、テロ容疑で無期懲役5回分の判決を受けて獄中
にあるファタハ候補マルワーン・バルグーティに異例のテレビ・インタビューを受け
させるなど、ハマースの勝利を食いとめるために様々な手を打ったが、目的は果たせ
なかった。

 しかしハマースの圧勝はイスラエルにとって必ずしもマイナスではない。「和平交
渉を再開しようにも相手が居ない」という理由で、西岸地区の入植地拡大や分離壁建
設など、ますます一方的な措置をとりやすくなるからだ。

 ただし、ハマース大勝が3月のイスラエル総選挙にも大きく影響することは必至だ。 

リクードは
「ハマースが勝ったのはガザ撤退の結果」
という論理で、早速シャロンの政治路線を攻撃しはじめている。

喜ぶシリア

 ではレバノンとシリアへの影響はどうか?

 組織機構的な話をすると、パレスチナ民族の亡命政府にあたるのはPLOで、アラ
ブ連盟や国連から全世界のパレスチナ人の代表として認められている。一方、パレス
チナ暫定自治政府(PA)と、その議会にあたるPLCは、1993年のオスロ合意
の結果設置された、西岸・ガザ地区だけに限定される組織であり、機構上はPLOの
下にある。

 パレスチナ難民の生活環境向上や武装解除問題をレバノン政府と交渉しているのは
PLOであってPAではないから、論理的には、今回のハマースの大勝はパレスチナ
・レバノン交渉とは関係ない。

 とは言え、これまでパレスチナ側で対レバノン交渉を担って来た人材はほぼ例外な
くファタハのメンバーだ。今回の大敗によって、PLOとファタハは大幅な人事改造
をやるだろうから、当面レバノン政府との交渉も凍結するだろう。

 ハマースの勝利で得をしたのはシリアだ。

 シリアのバアス党政権は、レバノンと同じくパレスチナも一部と見なしている。だ
から1960年代〜1980年代にかけて、故ハーフェズ・アサド大統領はPLOの
主導権をアラファトとファタハの手から奪い取ろうと権謀術数をめぐらせたが、遂に
果たせなかった。

 そのファタハがPLC選挙で当のパレスチナ人から裁かれ、権力の座を追われたの
である。そして、自国の強い影響下にあるハマースがファタハにとってかわったのだ。 


 本来、シリア・バアス党にとって、ハマースの母体であるムスリム同胞団は危険極
まりない存在だ。1970年代後半から80年代前半にかけて、バアス党は同胞団の
テロ攻勢で、政権転覆の危機にさえ瀕した。

 そんなハマースだが、パレスチナ問題では対ファタハ、対イスラエルのカードとし
て使い道がある。ということで、シリアは米国やイスラエルの再三の圧力をはねつ
け、オスロ以来15年近くにわたってハマース指導部をダマスカスに匿い続けた。そ
のハマースが自治区で合法的に権力を奪取したのだ。

 シリアにしてみれば、リスクを承知で買った株が、15年の隠忍自重の末に大当た
りした、というところだろう。



第8回(2006年1月17日配信)

シャロンは和平の希望か?

ハッダームの暴露攻勢

 筆者の元上司は外○省を辞めてから『さらば外○省』という暴露本をものし、古巣
のスキャンダルを次々に暴いて話題をさらった。シリアのハッダーム前副大統領が今
パリでやっているのはそれと似ている。政権内で窓際に追いやられた私憤が暴露の動
機になった点も酷似している。政権側はハッダームを汚職容疑で追求開始、ハッダー
ム一族の資産を凍結するなど報復措置をとっているが、それにつれてハッダームも政
権批判をエスカレートさせている。

 前回紹介した「アル・アラビーヤ」のインタビューの後、ハッダームはハリーリ暗
殺事件国際捜査団のメヘリス委員長の事情聴取に応じ、「アサド大統領本人の指令な
くしてはハリーリ暗殺という重大決定が下せるはずはない」と証言した……もっとも、
引退前の数年間、重大な政策決定から外されていたハッダームが、大統領の関与を裏
付ける決定的証拠を本当に握っているかどうかは疑わしいが。

 この他、ハッダームはほぼ日替わりで世界中のメディアに出演、アサド大統領やそ
の取り巻き、ラフード・レバノン大統領らへの攻撃を続けている。さらにはシリア国
内外の反体制勢力に対し、政権交代実現のため協力を呼びかけるなど、パリのハッダ
ームは窮地のアサド政権にとってますます目障りな存在になりつつある。

 メヘリス捜査団(近くメヘリスは退任し、ベルギー人のセルジュ・ブランメルツが
後任になる)はハッダームの暴露発言を受けて、アサド大統領やシャラア外相に対す
る事情聴取を要求。シリア側は主権侵害であるとして拒否しており、またしてもサウ
ジとエジプト両国が間に入って調停を行っている。

レバノン政局の膠着

 イスラム教の犠牲祭の祝日を挟んだこともあり、レバノン政局も膠着したままだ。
反シリア連合(ハリーリ派、ジュンブラート派、キリスト教徒の『レバノン軍団』な
ど)とシーア派連合(ヒズボッラーとアマル)は、後者の閣僚復帰に向けた交渉を延
々と続けているが、溝は埋まらない。むしろイランが核開発問題で西側との対決姿勢
を強めるにつれて、イラン・シリアとの関係を優先するシーア派連合は、ますます反
シリア連合との亀裂を深めている。シーア派閣僚を欠いたまま政府が片肺呼吸を続け
る状態はまだしばらく続きそうだ。

 そんな中、9日ベイルート南方のナアメ丘陵地帯で、パレスチナ・ゲリラ組織PF
LP−GCのメンバーがナアメ市税務署の車両に発砲し職員2名に重傷を負わせる事
件が発生。怒ったナアメの住民が反シリアのスローガンを叫びながら高速道路を閉鎖
する騒ぎに発展した。

 PFLP−GCは形式的にはパレスチナ人の組織だが、リーダーのアハマド・ジブ
リールは元シリア軍将校で現在もダマスカスに暮らす。PLO主流派との関係は悪く、
シリア軍とPLOがレバノンで衝突した1976年、1983年にはいずれもシリア
側に立って戦うなど、パレスチナ組織と言うよりは実質的にシリア治安機関の延長の
ような存在だ。発砲事件の後ナアメの住民が反パレスチナではなく、反シリアのスロ
ーガンを叫んだ理由はここにある。

 この事件で、反シリア勢力による親シリア系組織の武装解除要求はいっそう高まる
だろう。その一方で、次は自分が標的になることを恐れるヒズボッラーは、パレスチ
ナ組織の武装解除にも反対の姿勢をとる。

 国内の緊張は高まる一方なのに、政府は内部分裂のために決定的な政策を何一つと
ることが出来ない。

シャロン首相突然の退場

 膠着ばかりが目につくシリア、レバノン両国の情勢と比べ、イスラエルは年明け早
々に、シャロン首相が脳卒中で倒れる異変に見舞われた。

 シャロン首相は12月にも軽い脳卒中を起こし、短時間意識不明に陥っている。血
栓を発生させる原因が心臓の小さな穴にあるというので、1月5日に心臓手術を行う
予定になっていた。その前日に、今度は深刻な脳卒中に見舞われ、大量の脳内出血を
起こした。それ以来意識不明の重体が続いている。14日現在までに2度の難手術を
乗り切り、当面生命の危機は脱したものの、脳機能に深刻な障害が生じたことは確実
で、政務復帰はほぼ絶望視されている。

 2001年2月の首相就任以来、5年間にわたりイスラエル政局の中心に居たシャ
ロンが突然舞台から退場してしまったことで、イスラエル政局は予測し難い段階に
入った。当面シャロンの側近、エフド・オルメルトが首相代行を務め、3月にはクネ
セット選挙が実施されるが、求心力を欠いた「シャロン新党」カディーマが当初の予
想通りに第一党となり、シャロンの政治路線を継承できるかどうかはまったくわから
ない。

西岸地区が問題の核心

 シャロン重体の報は、イスラエル国内にとどまらず全世界に衝撃を与えた。西側各
国の首脳はこぞって、シャロン退場が中東和平に与えるネガティブな影響への懸念を
表明。日本のメディアにも、「和平は危機を迎えた」という論調があふれかえってい
る。

 しかし、本当にそうだろうか? シャロン首相がこれまで通り強力なリーダーシッ
プを発揮するのであれば、100年来のパレスチナ紛争が平和に収拾されたのであろ
うか?

 筆者はそうは考えない。なるほど、シャロンには他のイスラエル人政治家の誰もが
持ち合わせていない強力なリーダーシップがあった。国民の信頼も得ているし、ガザ
撤退をやってのけた実績もある。しかし問題はシャロンがやろうとしていたことが、
本当にイスラエルとパレスチナの対立の解消につながる性格のものかどうか、という
点にある。

 パレスチナ問題とは周知のとおり、パレスチナ・アラブ人とユダヤ人の民族紛争で
ある。イスラム教とユダヤ教の対立という宗教紛争の側面も持つ。しかし問題の根源
は土地をめぐる争いだ。同じ土地をめぐり、二つのグループが争う……これが問題の
本質だ。

 その土地とはどこか? 広い意味ではかつてのイギリス委任統治領パレスチナ(現
在のイスラエル領と西岸・ガザの両地区)全体である。しかし、その中でも特別に重
要なのがエルサレムも含めた西岸地区だ。

 ガザ地区は元来が水資源に乏しい砂漠地帯だ。住民の大多数は現在のイスラエル領
から逃れてきたパレスチナ難民で、ガザ地区には何の生産基盤も持たない(だからイ
スラエル領内に出稼ぎするのだ)。もうひとつ付け加えるなら、ガザは旧約聖書にお
けるイスラエルの民の土地ではなく、異邦人(ペリシテ人)の土地だ。つまり、ガザ
はイスラエルにとっては、水資源・経済・宗教など、あらゆる意味で不要な土地なの
だ。パレスチナ側にとっても、ガザは独立国家としてやっていけるような場所ではな
い。

 西岸はこれとは対照的だ。面積はおよそ愛知県と同じ程度。しかも標高1000メ
ートル近い高地を含むので降雨量が多く、沿岸部よりも水資源に恵まれる。分断され
なければ、ひとつの国家の領土として数百万人のパレスチナ人を養えるだけの土地だ。
沿岸部のイスラエル人は、西岸の水が無ければ生きていけない。さらにエルサレムか
らベツレヘム、へブロンに至る西岸南部の丘陵地は旧約聖書の父祖の地だ。ユダヤ人
にとっては宗教的にも極めて重要な場所なのである。

 つまり、パレスチナ紛争の本当の舞台は、もはや係争の余地がないイスラエル領で
はなく、見捨てられた土地ガザでもなく、西岸地区なのだ。ここにイスラエルは、1
967年の占領以来、営々と入植地を築き、住民の人口バランスを変えてきた。現在
では東エルサレムも含め、西岸地区住民の4人に1人はユダヤ人である(ちなみに撤
退前のガザではユダヤ人口は1%にも達していなかった)。本当にこの入植地を諦め
るのか? 西岸地区の巨大入植地を撤去して、存続可能なパレスチナ国家樹立を認め
るのか? ここが核心だ。もしシャロンが本当にそうするつもりだったのなら、「シ
ャロンの退場で和平が危機に瀕する」という言い方も出来るだろう。

「ガザ撤退は西岸地区恒久支配のため」

 しかしシャロン首相にはその意図はなかった。それは、テロリスト潜入防止の名目
で彼が建設を始めた分離フェンスのルートを見れば一目瞭然だ。フェンスはイスラエ
ルと西岸地区を隔てるグリーンライン(1948年の第一次中東戦争の際、ヨルダン
軍とイスラエル軍の間に引かれた軍事境界線)よりもはるかに西岸地区の奥深くに食
い込んでいる。エルサレムの東方にあるマアレ・アドミムやナブルス南西のアリエル
など、人口数万人規模の巨大な都市型入植地は、イスラエル領側からみてフェンスの
内側に囲まれることになる。逆に、パレスチナ側はこれにより領土を寸断されること
になる。

 シャロンの側近中の側近で、首相の懐刀、ドブ・ワイスグラスは2004年10月
イスラエル紙ハ・アレツの紙上で、シャロンが一方的なガザ撤退に踏み切る理由は
「和平交渉を凍結させ、パレスチナ国家樹立を阻止することにある」と明瞭に語って
いる。「和平を進めるにも、パレスチナ側にはパートナーが居ない」という理由で、
一方的にお荷物のガザからの撤退を進める。そうすれば、国際社会は「平和のために
思い切った譲歩を行った」とイスラエルを高く評価、西岸地区からも撤退せよ、とい
う圧力が劇的に弱まる。

 結局のところ、シャロンは何を求めていたのか?「自分の目の黒いうちには本当の
和平はあり得ない。少しでも交渉を遅らせ、イスラエルの西岸支配恒久化のため既成
事実を積み重ねておくことが自分の役目」冷徹なこの現実主義者は、そう割り切って
いたのではなかろうか。3月の選挙に圧勝し首相三選を果たしたら、分離フェンスで
囲い込んだ入植地を一方的に併合し、フェンスをもってイスラエル・パレスチナ国境
と宣言する……これがシャロンのシナリオだった可能性は高い。

 だから、筆者は「シャロンの退場によって和平への希望が遠のいた」とは思わない。
そんな希望はもとより存在しなかった。


第7回(2006年1月4日配信)

政局の鍵を握るヒズボッラー

前副大統領の爆弾発言

 2005年はレバノン、シリア両国にとって激動の1年だったが、大晦日の前日に
なって、最後を飾るかのように衝撃のニュースが飛び込んできた。6月にポストを退
いて以来パリで事実上の亡命生活を送っていたシリアの前副大統領アブドル・ハリー
ム・ハッダームが、サウジ系の衛星テレビ「アル・アラビーヤ」のインタビューで、
アサド政権批判を始めたのだ。

 ハッダームは「もし大統領が私の献策に耳を傾けていたならシリアは地雷原に迷い
込まずに済んだ」と、バッシャール・アサド大統領の独断傾向を批判。レバノンのラ
フード大統領の任期延長への反対や、レバノンで絶対権力者として振舞っていたガザ
ーレ前駐留レバノン軍情報局長の更迭を勧告したが、アサドは耳を貸さなかったと明
かした。

 それだけではなくアサド本人が、故ハリーリ首相に対して「シリアの決定を邪魔す
るものは潰す」と威嚇したこと、やくざ映画さながらにガザーレがピストルを突きつ
けながらハリーリを脅迫したことも、すべて事実だと証言したのである。

 ハッダームはアサドの父、故ハーフェズ・アサド大統領の側近中の側近で、ハー
フェズが権力を掌握した1970年以前から閣僚ポストを経験、今年6月のバアス党
大会まで一貫して政権中枢に居た人物だ。内戦が始まった1975年から1998年
まで、対レバノン政策の最高責任者でもあった。しかしハリーリを嫌うバッシャール
が大統領の座を継ぐと、ハリーリと親しいハッダームは、カナアーン前内相(ガザー
レの前任で、20年以上にわたり事実上のレバノン総督として君臨したが、第一メへ
リス報告書提出の2日前に謎の「自殺」を遂げている)らとともに次第にレバノン・
ファイルから遠ざけられていった。

 アサドやガザーレがハリーリを脅迫したという話自体はメへリス報告書にも出てお
り真新しいものではない。しかし、シリア・レバノン関係を知り尽くした他ならぬ
ハッダームがその事実を認めたというのは衝撃だ。「ハリーリを殺したのは誰か」と
いう問いに、ハッダームは回答を避けている。しかし同時に「あのような大掛かりな
作戦は(国家の)治安情報機関以外には実行不可能だ」「シリア情報機関が独断でや
れるようなものではない」「シリアがハリーリを殺すとは思っていなかった」などな
ど、政権中枢の関与を強く示唆する発言が随所に出てくる。とりあえずバアス党は
ハッダームを裏切り者扱いして除名したが、内外の反響は収まりそうにない。ハリー
リ暗殺事件の無罪潔白を主張してきたアサド政権にとっては、手痛いインサイダーの
告発になりそうだ。

レバノン政局の停滞

 一方のレバノンでは、依然としてシーア派連合(ヒズボッラーとアマル)の閣僚5
名が政府参加を凍結したままで、政府不在状態は既に3週間に及ぶ。セニオラ首相と
の間で復帰交渉は続いているが、立場の隔たりは一向に狭まらない。交渉が決裂する
と、国会解散・総選挙へと政局が一挙に流動する可能性もある。

 シーア派連合が政府参加を凍結したきっかけはハリーリ暗殺事件の国際法廷設置問
題だったが、交渉がもつれるうちに争点はヒズボッラーの武装解除問題に移っている。
反シリア連合(政府主流派)の主張はこうだ。「レバノンはかつて1970年代、P
LOゲリラの跳梁を許した結果、内戦の辛酸を嘗めた。これを繰り返さないために、
ヒズボッラーのゲリラは政府の指揮下に入るべき。イスラエルとの戦争も和平も、決
定するのは政府だけだ」これに対しヒズボッラーは、「国軍には単独でレバノンを守
る力は無い。正規軍(国軍)とゲリラが相互補完して、初めて対イスラエル抑止力と
なり得る。たとえイスラエルがシェバア農地(イスラエルの占領下にある)から撤退
しても武装解除せず、国軍と協力して国防に尽くす」と主張する。

 反シリア連合の言い分は理に適っているが、レバノンの現実にはそぐわない。貧弱
な国軍だけではイスラエル軍に敵わず、ゲリラ戦でしか勝機を見込めないのは事実。
それに、国軍がヒズボッラーの武装解除を強行すれば、国軍の4割を占めるシーア派
兵士が離反して内戦に陥る危険もある。
 
 この根本的な対立に、さらにシリアとの関係が絡むから話はややこしい。ヒズボッ
ラーは同じシーア派のアマルを抱き込み、あくまでもシリア擁護の立場を貫く。これ
まで米国の圧力からヒズボッラーを庇い続けてきた反シリア連合だが、一向にヒズ
ボッラーが反シリアで歩調を合わせようとしないので、いい加減しびれを切らし始め
ている。

ヒズボッラーの誕生と対イスラエル闘争

 このようにレバノン政局の鍵を握るようになったヒズボッラーは、そもそもどう
やって生まれたのか?

 ヒズボッラー誕生の淵源は、イラクのシーア派聖地ナジャフにある。1960〜7
0年代にかけてこの地に学んだレバノンのシーア派法学者たちが、当時イラクに亡命
していたホメイニ師らイランの宗教家と交流し影響を受けた。やがて1979年のイ
ラン革命を経て、1982年イスラエル軍が南部レバノンに軍事侵攻するという事件
が起きる。

「革命の輸出」を掲げるイラン革命政権は、米国・イスラエルと敵対するシリアの協
力を得て、ダマスカスのイラン大使館を通じレバノンに革命防衛隊を送り込んだ。こ
の革命防衛隊の指導のもと、反米・反イスラエル闘争を行ういくつかのレバノンのシ
ーア派組織が次第に統合され、「神の党」を意味するヒズボッラーになっていった。
ヒズボッラーは、いわば革命イランとシリアの戦略同盟の落とし子として誕生したの
だ。レバノンの組織でありながらヒズボッラーが発足以来イラン、シリア両国と特別
な関係をもつ理由はここにある。

 1983年、ベイルートの米国大使館や海兵隊基地がトラックによる特攻作戦で爆
破され、米仏伊の多国籍軍はレバノン撤退に追い込まれるが、この一連の爆破事件は
草創期のヒズボッラーによるものとされる。この後、80年代後半にもヒズボッラー
は米国機ハイジャックやベイルートでの米国人誘拐事件を起こし、米国から不倶戴天
の仇敵と見なされるようになった。

 1990年にレバノン内戦が終わると、他の民兵組織は武装解除されたが、ヒズ
ボッラーだけは武装を解かずイスラエルとの戦いを続けた。ここにもシリアとイラン
の意向がある。ヒズボッラーが挑む消耗戦に手を焼いたイスラエルは、2000年5
月レバノン領土から一方的に撤退した。イスラエルがゲリラ戦に屈して占領地から撤
退するのは、1948年以来半世紀以上に及ぶアラブ・イスラエル紛争でも初めての
ことである。

 しかし南部解放を実現したヒズボッラーは、今度はレバノン内外からの武装解除要
求に直面した。シリア軍がレバノン駐留の口実を失ったのと同じ理屈だ。

 シーア派のヒズボッラーだけが武装していることに対し、レバノン社会を構成する
他の宗派はいずれその武器が国内に向けられるのでは、という猜疑心を抱いている。
国外でも軍事力でヒズボッラーを屈服させ得なかった米国やイスラエルが、機会をと
らえてはヒズボッラーの武装解除を迫る。

 この圧力をどうかわすか?
 
巧みな「国内外交」

 2000年以降にヒズボッラーがとった政策は巧妙だった。まず、ゴラン高原に隣
接しイスラエル占領下にあるシェバア農地がレバノン領であるという名目で、不定期
にそこのイスラエル軍と交戦を続けた。

 国連やイスラエルはシェバア農地をシリア領と見なすが、元来はレバノンとシリア
の係争地だ。だから、ヒズボッラーが「レバノン領土はまだ占領されている」と言え
ば、政府も闘争継続に反対しづらい。

 国内政治では各勢力との間で巧みな外交を展開、決して誰をも敵に回さないよう細
心の注意を払ってきた。国会選挙に参加しつつも歴代政権には入閣せず、ライバルの
アマル(別のシーア派政党)にシーア派閣僚ポストを譲ったのがその一例だ。キリス
ト教徒や、ハリーリなどスンニ派勢力首脳とも周到に根回しして、どんな課題でも正
面からの対決は回避。政争(例えばラフード大統領と故ハリーリ首相の対立)には、
中立の立場を徹底した。

 手早く言えば、内戦以後のヒズボッラーは国内政治で中立・脇役の立場を貫きイス
ラエルとの対決に専念し、それを理由に武装継続を認められてきたのだ。

主役に躍り出たヒズボッラー

 しかし2004年夏、シリアはラフード大統領の任期延長を強行する。これに反発
した安保理はシリア軍のレバノン撤退を求める決議第1559号を採択し、レバノンが国
際政治の焦点になると、もはやヒズボッラーは中立では居られなくなった。シリアと
の同盟関係はヒズボッラーにとっては生命線だ。それに何よりも、決議第1559号では
ヒズボッラー自身が標的になり武装解除を求められている。

 決議採択を機に、ヒズボッラーは親シリア勢力の中心的な役割を演じ始めた。ハリ
ーリ暗殺事件以降、国民の反シリア感情が爆発する中でも、ヒズボッラーはシリア支
持の巨大デモを組織し対抗した。

 6月の国政選挙では……ここがモザイク社会のわかりにくいところなのだが……ア
マルのほか、反シリアのハリーリ派やジュンブラート派とも同盟し、地盤の南部やベ
カーで圧勝。ハリーリ派のセニオラ首相を首班に抱く新内閣には閣僚2名を送り、初
めて政権に参加した。

 反シリア連合は、国民の4割近くを占めるシーア派を国政から排除するわけにはい
かない。それにヒズボッラーを閣内に取り込んでしまえば、いずれ協調出来ると踏ん
だのだろう。しかし、事態はそんな方向には進んでいない。むしろ、シリアの立場が
苦しくなればなるほど、ヒズボッラーはシリアを支えて反シリア派と対立し、政局が
膠着する。

 モザイク国家レバノンは、民主的であろうとすればするほど、身動きがとれなくな
る皮肉な状況に陥っていく。



第6回 (2005年12月20日配信)

第二メヘリス報告書と政府分裂の危機

第二メヘリス報告書

 6月15日より6ヶ月間にわたりハリーリ前首相暗殺事件の国際捜査を率いたディ
ートレフ・メヘリスは、任期満了の4日前にあたる12月11日、第2回目の報告書
をアナン事務総長に提出した。

 第二メヘリス報告書は、10月に提出された第1回目の報告書と同様、事件へのシ
リアの関与を強く示唆している。この時点までに取り調べたレバノン人およびシリア
人のうち計19人を容疑者と指定し、両国の捜査当局が拘束するか、さもなければ国
際捜査団の監督下に置くことを要求している。ただし容疑者の固有名詞は伏せてあり、
現在レバノンで拘禁中のレバノン治安機関元幹部ら4名以外、身元は明かしていない。
これは後述するが、証人や容疑者本人や親戚などに危害が及ぶことを避けるための措
置である。

 報告書は12月5日と7日にウィーンで事情聴取を受けた5名のシリア情報機関高
官(この5人の名も伏せられている)のうち、2名が「レバノンに関する機密情報は
すべて焼却された」と証言したことを明かしている。この部分などは「シリアが組織
的に証拠隠滅工作をやった=シリアが犯行に関わっている」と言っているに等しい。

 一方、前回の寄稿で取り上げた「覆面証人」ホサーム・ホサームについて報告書は、
「ホサームが(シリアでの記者会見で)公式に証言を撤回する前に、シリアではホサ
ームの親戚が逮捕され脅迫を受けた」としており、ホサームは二重スパイではなく、
本物の証人だったが、親戚を人質にとられたため態度を翻した、という見方をとって
いる。この部分もシリアによる捜査妨害を指摘していることになる。

 報告書はシリアが捜査に協力しはじめたことは認める。しかしその協力はおよそ全
面的とは言いがたく、また極めてスローテンポだと批判する。「シリアが今のような
ペースでしか協力しないなら捜査はあと2年かかる」メヘリスは13日の安保理審議
でそう指摘した。結論として第二報告書は第一報告書と同じく、シリアに迅速かつ全
面的な捜査協力を促している。


トウェイニ議員暗殺

 第二メヘリス報告書のコピーはニューヨーク時間で12日朝、安保理メンバー諸国
に配布された。13日の審議の前に、各国が内容を検討する時間を与えるためだ。

 その12日の朝、ベイルート市の東郊外を走行中の国会議員ジュブラーン・トウェ
イニの車が、路傍の車に仕掛けられた強力な爆弾で破壊され炎上、トウェイニはボ
ディガードら3名とともに即死した。シリア軍撤退後に暗殺された反シリア政治家と
しては3人目になる(他にムッル国防相とテレビ・キャスターのマイ・シディヤーク
が標的となったが奇跡的に一命を取り留めた)。

 ギリシア正教徒のトウェイニはレバノンの最有力日刊紙「ナハール」の社主で主筆
も兼ねる。内戦中はキリスト教徒民兵組織「レバノン軍団」のバシール・ジュマイエ
ル司令官(イスラエル軍占領下の1982年、大統領に選出されたが、就任前に爆殺
された。これがきっかけで、サブラ・シャティーラ両難民キャンプにおけるパレスチ
ナ人虐殺事件が起きた)やアウン将軍を支持し、反パレスチナ、反シリアの立場を
とった。内戦終了後もシリアのレバノン実効支配を批判し続け、ハリーリ暗殺事件に
続いて勃発した大衆行動「独立のためのインティファーダ(大衆蜂起を意味するアラ
ビア語)」の牽引役を果たした。5月末の国政選挙ではベイルート選挙区でハリーリ
派の選挙リストから出馬して当選したが、その後暗殺計画の警告を受け、パリで避難
生活を送っていた。最近ようやく帰国して、集団墓地問題でラフード大統領の捜査を
要求するなど、反シリア、反ラフードの活動を再開したばかりだった。

「独立のためのインティファーダ」の反シリア・デモに対抗して、ヒズボッラーなど
の親シリア派が巨大デモを組織した際、トウェイニは「人間の集団と羊の群れとは一
緒くたに出来ない」と放言して、大顰蹙を買った。トウェイニにはそんな鼻持ちなら
ないエリート臭があった。しかし、シリアの支配が社会の隅々にまで行き渡る中でも、
敢然とシリアやラフード批判を続けたのも事実。その勇気は政敵からも賞賛された。

「独立の英雄」暗殺の報に、レバノンの世論は怒りに沸き返った。レバノン国民の大
多数は、今回もシリアの仕業に違いないと受け止め、久しぶりに反シリア感情を爆発
させた。ハリーリ暗殺の時と同様に、3日間の服喪が宣言され、全国規模でゼネスト
が実施された。14日の葬儀には数万人が集まり、3月以来最大規模の反シリア集会
と化した。

 しばらくシリア批判の舌鋒を緩めていたジュンブラート進歩社会主義党党首は「バッ
シャール・アサド(シリア大統領)は病気だ。反シリア政治家を皆殺しにするつもり
だ。あの男が大統領の座に居続ける限り中東に安定は訪れない」と、はじめてシリア
の政権交代さえ是認する発言を行った。なお「独立のためのインティファーダ」のリ
ーダーのひとり、ジュンブラートの名も「暗殺リスト」のトップにあると言われ、暗
殺の脅迫や警告を何度も受けている。

 トウェイニ暗殺は安保理が第二メヘリス報告書を審議する前日というタイミングで
起きた。しかも現場となった道路は、国際捜査団本部のあるモンテベルディ・ホテル
とベイルートを結んでおり、メヘリスら捜査団関係者が日常的に利用する道でもある。
標的といい、手口といい、この事件もシリアによる犯行である可能性は実際、極めて
高い。しかし、もしそうだとすればシリアは捜査団に対して、実に大胆不敵な徹底抗
戦のメッセージを送ったことになる。


政府分裂

 トウェイニ暗殺は、長らく危惧された政府の分裂を招いた。暗殺事件を受けて召集
された緊急閣議で、閣内主流派は国連安保理に対し
1.ハリーリ暗殺事件の国際法廷設置(前回寄稿記事参照)、
2.メヘリス捜査団の捜査対象を、ハリーリ事件だけではなく、トウェイニ暗殺を含
  む一連の爆破・テロ事件へも拡大すること、
を要請するべしと主張した。シリア擁護の立場をとるヒズボッラーとアマルの閣僚が
これに反対したため、主流派は多数決を提案。ヒズボッラー、アマルの閣僚5名はこ
れに抗議して退席し、政府への参加を凍結させた。

 閣議でコンセンサスが得られなかった場合に多数決をとることは、憲法上認められ
ており、違法行為ではない。しかし、多様な宗派や政党が微妙なバランスの中に共存
するレバノンでは、多数決は事実上タブーだ。多数決で物事を決める原理を認めてし
まうと、どのグループも自派の数を水増しするために「人口統計を取り直せ」「帰化
した外国人の国籍を剥奪せよ」「海外に移民したレバノン人にも投票権を与えよ」な
どと言い出し、収拾つかなくなるのが目に見えている。だから、多数決は回避すると
いうのが暗黙のルールだ。これまでは、例えばラフード大統領派とハリーリ首相派が
対立して政局が行き詰まると、多数決は避けシリアの調停を仰いで事態打開が図られ
た。

 しかしそのシリアは、もはや居ない。調停役不在の中、主流派は13日の安保理審
議前に公式要請を決定せねばと焦った。そして多数決を強行したため、シーア派閣僚
の政府参加凍結を招いてしまったのだ。ヒズボッラーとアマルはシーア派の議席をほ
ぼ独占している。両党の閣僚が引き上げてしまった場合、他のシーア派閣僚を任命し、
組閣し直すことは不可能に近い。そうなれば政府不在の危機が長期化する怖れもある。
治安状況が悪化し、財政支援国会議を控える状況下での政府不在は、最悪のシナリオ
だ。

 セニオラ首相とヒズボッラー、アマル首脳の間では、何とか両党閣僚の政府復帰を
実現すべく連日交渉が続けられている。しかし18日現在までに解決の目処は立って
おらず、政府は事実上機能麻痺の状態に陥っている。


安保理決議第1644号

 レバノン政局が危機を迎える最中の15日、ニューヨークでは安保理決議第1644号
が全会一致で採択された。シリアがラフード大統領の任期延長に動いた際に出された
決議第1559号以来、レバノンに関するものとして実に5番目、ハリーリ暗殺事件に関
するものとしても3番目の安保理決議だ。この事実だけでも、国際社会が異例に高い
関心を小国レバノンに寄せているのがわかる。

 決議第1644号はハリーリ暗殺事件の捜査期間をさらに半年間延長した。また捜査へ
のシリアの非協力姿勢に対する憂慮を表明している。

 しかし、協力を促すだけでシリアに対する具体的な制裁措置への言及は無い。また、
レバノン政府が要請した国際法廷設置については、検討を約束したが承認はしなかっ
た。捜査対象拡大も承認されず、レバノン捜査当局への技術協力を表明するにとど
まった。

 全体として、シリア批判のトーンは継続しているが、これまでの国際圧力に比べる
と、かなりトーンダウンした感は否めない。ウィーンでの高官取調べに応じるよう、
シリアを説得したロシアが、中国やアルジェリアとともに今回もシリアを強く擁護し
たことが影響した。決議案を提案した米英仏三ヶ国も、全会一致を優先し、表現をか
なり緩和させることに同意した。

 とりあえずシリアはホッと一息ついている。しかし米国のボルトン国連大使は「ロ
シアの抵抗があったので、表現を緩和させた。しかしシリアに圧力を加え続ける方針
に変更はない」と明言している。今後も米国は機会を見つけてはシリアへの締め付け
を強めるだろう。

 また、第二メヘリス報告書も、通話記録の比較を通じて、ハリーリ暗殺事件と一連
の爆破・暗殺事件との間に関係があることを匂わせている。今後捜査が進展し、シリ
アがハリーリだけではなく、その後国際捜査が行われる中でも反シリア政治家の暗殺
を続けた、と暴かれた場合、シリアの立場は今よりももっと苦しくなるはずだ。



第5回 (2005年12月13日配信) 

シリアの反撃


「覆面証人」の逃亡

 この原稿が配信されるころにはメヘリス捜査団の最新報告書の内容がおそらく明ら
かになっているだろうが、前回寄稿の後、ハリーリ暗殺事件の国際捜査は意外な展開
を見せた。メヘリス捜査団の信用がぐらりと揺らぐ事件が起きたのである。「覆面証
人」のシリア逃亡劇がそれだ。

「覆面証人」とは、メヘリス捜査団に対し、「アサド・シリア大統領の弟マーヘル
(共和国防衛隊司令官)、義兄のショウカト(軍情報局長官)らがハリーリ暗殺を決
定した」という決定的証言を行った人物で、10月のメヘリス報告書では「シリア情
報機関で働いていたレバノン在住のシリア人」となっている。正体を隠すため、実際
に覆面を被り拘留中のレバノン人被疑者と対面させられたことにちなみ、捜査の核心
を握るこの人物を、メディアは「覆面証人」と名づけた。

 ウィーンにおけるシリア人高官の取調べが目前に迫った11月27日。その「覆面
証人」はレバノン司法当局に出頭を命じられていたが姿を見せなかった。ホサーム・
ホサームと名乗るこの青年はこの日、レンタカーを借りてシリア国境に向かい、そこ
から徒歩で検問所を迂回してシリアに越境「逃亡」した。

 シリアについたホサームは、ハリーリ暗殺事件のシリア側真相究明委員会に迎えら
れ、即座に大々的な記者会見を開いた。そして世界のメディアに向かって、「メヘリ
ス捜査団とレバノン治安当局、サアド・ハリーリ(故ハリーリ首相の遺児)らは、拷
問や脅迫を用いて偽証を迫った。それが駄目なら金銭を提示して誘惑した」……つま
り、シリア政権の首脳が犯行に関わったとする証言は嘘だ、と宣言したのである。


二重スパイ?

「サアド・ハリーリ本人が偽証の報酬として袋入りの現金130万ドルを提示した」
「モンテベルディ(ベイルート郊外にあるメヘリス捜査団本部)ではハリーリ本人や、
暗殺未遂に遭ったテレビキャスターのマイ・シディヤークにも会った(シディヤーク
はモンテベルディがどこにあるのかも知らない、とコメントした)」など、ホサーム
がシリアで語った内容は首を傾げたくなるような箇所だらけで、普通だったら単なる
大ボラ吹きで済んだはずだが、そうはならなかった。

 と言うのも、サバア内相やメヘリスが、他ならぬこのホサームが「覆面証人」であ
ることを渋々認めたからだ。サバア内相は「ハリーリ暗殺事件に関して重要な秘密を
知っているのでぜひ会いたいと求められ、面会した。話を聞いてみると確かに由々し
き情報を持っているので、そのままモンテベルディに送った」。またメヘリス捜査団
の方も、「ホサームは宣誓・署名した上で証言を行った。もし嘘の証言を行ったなら
偽証罪に問われる」とコメントし、ホサームこそが「覆面証人」であったことを事実
上認めたのである。

 それにしても、このホサームに関する報道は、「家賃を踏み倒した」「二重に婚約
していた」「不渡りの小切手で買い物をしまくった」等など、いかがわしい話ばかり
で、こんな人物が何故証人として採用されたのか理解に苦しむ。

 筆者は、ホサームは捜査を撹乱し、信用を貶めるためにシリアが捜査団に送り込ん
だ二重スパイだったのではないか、と推理する。機密情報を握らせ、それをエサに捜
査員を信用させる。首尾よく証言が報告書に掲載された頃合を見計らって、「あの証
言は嘘だった。捜査団に誘惑され脅されて、止む無く語ったのだ」と証言を撤回する。
そうすれば、捜査の客観性や中立性に大きな疑問符がつく。ホサームとは別にメヘリ
ス報告書が実名入りで引用している証人、ムハンマド・サッディーク(現在パリで拘
留されている)にも芳しくない話が多く、その証言の信憑性を疑う人は多い。筆者は
サッディークも二重スパイなのではと考えている。そう考えれば、もうひとつの謎も
解ける。

 その謎とは、10月にメヘリス報告書が出た後の演説で、アサド大統領が「この報
告書によってシリアの無罪は証明された」と発言した理由だ。

 報告書はシリアが真っ黒だと指摘しているのに、どうしてそういう結論になるのか
?ほとんどの人は当時理解に苦しんだ筈だ。しかしホサームとサッディークが共にシ
リアが植え込んだスパイだったとすれば、納得が行く。「メヘリス報告書はホサーム
とサッディークの証言に依拠している。両名の証言が偽証である限り、メヘリス報告
書の論理はもはや崩壊した」ホサームの記者会見を演出したシリア側真相究明委員会
は、早々と「勝利宣言」を行った。同じように、報告書にふたりの証言が掲載されて
いるのを確認して、アサドもにんまりしたのではなかろうか。

 メヘリス捜査団は国連史上前例の無い強大な捜査権限を与えられている。世界中か
ら100名にのぼる精鋭捜査員を集め、予算もふんだんにある。その捜査団がスパイ
を見抜けず、まんまと乗せられてその証言を権威ある報告書に記載してしまった……
二重スパイ説が正しいなら、国際スパイ小説さながらの謀略でシリアはメヘリスに一
矢報いたことになる。

 ホサームがスパイでは無かったとしても、貴重な証人の逃亡を許してしまったのは
メヘリスの大失態だ。真相はともあれ、メヘリス捜査団の信用に大きな傷がついたこ
とは間違いない。


メヘリス離任

 では、このホサーム騒動の後、捜査はどう進むのか? ふたつの見方がある。ひと
つは、捜査は今後長期化する、という見方だ。例えば、エジプトのムバラク大統領は
「今後一年くらいはかかるのではないか」と語っている。シリア人証人の事情聴取が
大幅に遅れたこと、「覆面証人」ホサームの証言がもはやあてにはならなくなったこ
となどがこの見方の根拠だ。

 もうひとつの見方は、これとは正反対に捜査は事実上終了した、とする。メヘリス
は12月15日の任期満了を持って、捜査団長の地位を退任する意向を固めており、
その前に威信挽回を賭けて決定的な捜査報告書を提出する、という観測である。実際
の捜査は証言だけではなく、携帯電話の通信記録の解析や、爆薬やトラックの搬入ル
ート追跡など、多岐にわたっている。前回は公開しなかった物的証拠を、メヘリスは
次回の報告書では明示してシリアとレバノン両国情報機関の犯行であると断定する、
というのである。メヘリス本人も再三「ホサームの証言撤回が捜査に及ぼす影響は少
ない」と発言しており、次の報告書がシリアをさらに追い詰めることを暗示している。

 12月5日から7日にかけて、ウィーンでガザーレ前レバノン駐留シリア軍情報局
長や、その部下でハリーリ暗殺事件の舞台となった西ベイルート地域一帯を担当して
いたジャーミア・ジャーミアら5名のシリア人の事情聴取が行われた。5名はいった
んシリアに帰国したものの、捜査団はガザーレやジャーミアらの逮捕をシリア当局に
要求すると見られている。メヘリスの第二報告書は12日に安保理に提出され、13
日に審議される。その結果、シリアに対する国際圧力が一層高まることになりそうだ。


国際法廷設置問題

 ハリーリ暗殺事件の捜査が進展し、シリアの立場が苦しくなればなるほど、レバノ
ン政界も緊張の度を高める。現在のセニオラ内閣は6月の国会選挙で過半数を確保し
た反シリア勢力主体の連立政権だ。しかしラフード大統領派や、ヒズボッラー、アマ
ルのシーア派二大政党など親シリア勢力も入閣している。このため、シリアを追い詰
める動きが出るたびに、閣内の摩擦が表面化する。当面の争点はハリーリ暗殺事件の
国際特別法廷設置問題だ。

 反シリア勢力は設置要請を急いでいる。パン・アメリカン航空爆破事件やルワンダ
虐殺事件など過去の例を見れば、正式な設置要請から実際に法廷が設置されるまでに
1年は要する。それを考えればレバノンは今すぐにでも設置要請すべきだ、と言う。
「シリアはレバノンにおける証人の取調べにさえ反対した。レバノン国内でシリア人
を裁こうとするともっと激しい抵抗があるだろう。国際法廷を設置するしかない」と
いうのが反シリア派の立場だ。

 これに対し、ヒズボッラーは「まだ捜査は継続中で、起訴状さえ出ていないのに何
故法廷の設置をいそぐのか」と反対する。時間がかかるからだ、という言い分には意
味がない。ヒズボッラーが本当に怖れるのは、国際法廷設置を通じ、仇敵米国の影響
力がますますレバノンへ浸透してくることだからだ。ヒズボッラーはこれまで連続爆
破事件やジャーナリスト暗殺事件に際して、セニオラ内閣がFBIの協力を仰いだこ
とにも強く反発している。今後セニオラ首相が国際法廷設置要請を強行するなら閣僚
引き下げも辞さない構えだ。


集団墓地発見

 国際法廷問題だけでも厄介なのに、12月に入るとさらに難題が持ち上がった。シ
リア国境に近いアンジャル村で集団墓地が発見され、30体近い遺体が発掘されたの
だ。

 現場のアンジャルは今年4月の撤退まで駐留シリア軍の本部が置かれていた場所で、
それまで一般のレバノン人は近づけなかった。レバノンにはシリアの実効支配下でシ
リア軍に拉致され、こんにちまで行方不明になっている人が数百人居る。被害者の家
族がこの集団墓地と拉致問題を結び付けるのも無理はない。拉致被害者の家族や反シ
リア派の政治家はこの問題についても国際捜査を求める声を上げた。

 一方シリアは「1980年代に起きたアブ・ニダール派(ファタハを分派したパレ
スチナのテロ組織)の内ゲバの名残りだろう」と、責任は認めない立場だ。逆に、最
近シリア国内で頻発するスンニ派原理主義組織の破壊行動を例に挙げ、「レバノンが
シリアの反体制派に武器を密輸し、シリアの不安定化を図っている」とレバノンを非
難する。

 12日には反シリアの急先鋒でメディア界の重鎮、トウェイニ議員がハリーリ前首
相とほぼ同じ手口で暗殺される事件も起き、レバノン国内の緊張は高まっている。

 30年間「連れ添った」シリアとレバノンの離婚劇は、泥沼の様相を呈してきた。


第4回 (2005年11月29日配信)

ふたつの隣国:シリアとイスラエル


レバノン情勢とシリア、イスラエル情勢のリンケージ

 レバノンは三方を地中海とイスラエル、そしてシリアに囲まれている。だから、レ
バノン国民が望むと望まずに関わらず、シリアおよびイスラエル・パレスチナをめぐ
る情勢は、もろにレバノン情勢に影響してくる。1943年の建国以来、そのことは
幾度となく証明されてきた。イスラエルが建国され、パレスチナ地方がアラブ世界か
ら孤立したことによって、当初レバノンは利益を得た。パレスチナの富裕層の投資が
レバノンに流れ込んだからだ。またレバントにおける主要貿易港の地位はハイファ港
からベイルート港に移った。一方この時期、シリアが社会主義経済体制をとったため、
シリアの資金もレバノンに流れている。1970年代前半まで続くレバノン経済の繁
栄の条件はこうして整ったのである。

 しかしものごとは良い方向ばかりには進まない。1967年の第三次中東戦争後、
パレスチナ・ゲリラの活動が活発になると、ゲリラの拠点となったレバノンはとばっ
ちりをくらうようになった。ゲリラがイスラエルを攻撃してはレバノンがイスラエル
の報復攻撃を受ける。ゲリラを支持する声と、ゲリラの取り締まりを求める声との間
で、レバノン世論は分裂した。そこに様々な国内対立も重なり、とうとう1975年
からレバノンは泥沼の内戦・政府不在状態に陥ってしまった。

 これがようやく収拾されたのは実に15年後の1990年になってからである。そ
れまでシリアによるレバノン支配を許さなかった米国とイスラエルが態度を翻したか
らだ。第一次湾岸戦争でシリアが反イラク多国籍軍に加わるのと引き換えに、米国は
シリアによるレバノン実効支配を認めた。イラクのクウェート侵攻から2ヶ月強が経
過した1990年10月13日、シリア軍は最後まで大統領府にこもって抵抗を続け
るアウン将軍派の部隊に総攻撃を加え、アウンはパリに亡命を強いられた。それまで
レバノン領空へのシリア空軍機の飛来を許さなかったイスラエルは、米国とともにこ
の成り行きを黙認した。こうしてシリアのレバノン実効支配が完成したのである。


シリア高官の事情聴取実現へ

 そのシリアの実効支配が終焉した2005年11月の現在。レバノンは再びシリア
情勢の進展を、息をひそめて見守っている。

 前回寄稿したハリーリ・レバノン前首相暗殺事件に絡むシリア人高官の事情聴取問
題では、進展があった。メヘリス捜査団長が回答期限と定めた11月25日になって、
それまで強硬姿勢を貫いてきたシリア側が突然折れた。高官5名を事情聴取のため
ウィーンに派遣することに同意したのである。シリアに捜査への全面協力を求める安
保理決議1636号が採択されてからほぼ1ヶ月。29日にようやく事情聴取が実現する
見通しが立った。

 シリアが土壇場で折れたのは、サウジやロシアの強い説得があったからだ。特にロ
シアは、「もしメヘリス捜査団が事情聴取後に5人を容疑者と認定したとしても、オ
ーストリア国内では逮捕させず、いったんシリアに帰国させる」という保証をシリア
に与えた模様だ。

 シリアは「事情聴取はシリア国内で」という要求を引き下げた。一方メヘリスの側
は、「事情聴取はベイルートの捜査団本部で」という要求と、「6人の事情聴取」と
いう要求を引き下げたことになり、いわば双方の痛み分けのかたちで妥協がはかられ
たのである(なお、今回の事情聴取から除外された1名が誰かは公表されていないが、
アサド大統領の義兄アーセフ・ショウカト軍情報機関長官ではないかとする見方が有
力)。

 行き詰まりはとりあえず打開された。しかし、メヘリス捜査団の任期が満了する1
2月15日までに捜査が完了する可能性は低いし、今後シリアが捜査団側の要求に唯
々諾々と応じる可能性も極めて低い。ハリーリ暗殺事件をめぐるシリアと国際社会の
間の緊張はまだまだ続きそうだ。


イスラエル政局の急展開

 一方、イスラエル政局は今月に入って誰もが予想しなかった速度で急変しつつある。

 ことの起こりは、10日に労働党の党首選でアミール・ペレツがシモン・ペレス副
首相を破ったことだった。モロッコ系移民で労働総同盟議長のペレツは、ロシア・ポ
ーランド系ユダヤ人が指導部を握るエリート政党労働党の中では、目立たぬ存在だっ
た。国際的にもほとんど無名に近い。対するペレスはイスラエルの核開発計画推進者
にしてオスロ合意の立役者、故ラビン首相、故アラファト議長とともにノーベル平和
賞をもらった世界の名士である。

 そのペレスがペレツに苦杯を喫した理由はふたつ。ひとつは、連立与党の一部とし
て、リクードの政策に従属するばかりの指導部に対し、党内の反発が強まったことだ。
もうひとつは経済政策である。安全保障問題優先のシャロン政権下で、失業率がかつ
てなく高まるなどイスラエル経済は苦しい。労働者のための政党という党の原点に回
帰しようとする党内の声が無視できなくなっていた。党内のこういった雰囲気の変化
が、無名のペレツを党首の座に押し上げたのだ。

 党首となったペレツは公約どおりにリクードとの連立解消・クネセット(イスラエ
ル国会)選挙前倒しを求めた。これにより、シャロン内閣の崩壊・選挙の早期実施は
不可避の情勢になる。

 ここで今度は老獪なシャロンが行動を起こした。何と、リクードを割って出て、新
党を立ち上げたのである。軍から政界入りして以来、一貫してリクードの枢要幹部と
して活躍してきたシャロンが、惜しげもなく党を捨てるという奇策に打って出たのだ。

 シャロンが8月に強行したガザ撤退政策は、元来大イスラエル主義(旧英国委任統
治領パレスチナ全土をイスラエル領と見なし、入植や併合を推進する立場)によって
立つリクードを震撼させた。ネタニヤフ前首相を中心とする党内右派の抵抗は激しく、
最近のシャロンは党内の反発によって閣僚人事も自由に進められない状況に陥ってい
た。

 早期選挙が不可避となった以上、これ以上リクードの枠に固執していては労働党に
負けるかもしれない。仮に勝てたとしても、党内で足を引っ張られていては自らの信
ずる政策を遂行できない……そう読んだシャロンは、リクードを捨てて新党を立ち上
げるという奇手に打って出た。21日にシャロンはカッツァーブ大統領と会談し、ク
ネセット早期解散・総選挙前倒しを要請。その日の夜には記者会見を開き、中道新党
「国民の責務」設立を宣言した。

 イスラエルの主要日刊紙複数が行った世論調査結果では、全120議席のうち、
シャロン新党は30議席前後を獲得する反面、リクードの獲得議席はその半数程度に
とどまる。労働党は25、6議席前後。どの調査結果も、シャロン新党が第一党と
なって、労働党あるいは宗教政党、左派・中道政党などとの連立与党を構成し、シャ
ロンが首相三選を果たすと予測している。

 パレスチナ側では来年1月25日に、1996年以来実に10年ぶりの自治評議会
選挙が実施される。そしてその2ヵ月後の3月28日、今度はイスラエル側で総選挙
が実施される。そうやってイスラエル・パレスチナ双方の新指導部が発足する4月以
降まで、和平交渉にはほとんど動きがないだろう。


ヒズボッラー、イスラエル軍と大規模交戦

 さて、イスラエル政局がシャロン新党騒ぎで大混乱する最中の21日、イスラエル
とレバノン国境付近の広範な地域で、シーア派武装組織ヒズボッラーとイスラエル軍
の間で大規模な交戦が起き、ヒズボッラー側のゲリラ4名が戦死、イスラエル軍兵士
1名も死亡した。

 空爆や迫撃砲でヒズボッラー側拠点を攻撃するイスラエルに対し、ヒズボッラー側
はカチューシャ・ロケットと迫撃砲でイスラエル領内に砲弾の雨を降らせ、国境に近
いイスラエル側の町では住民が地下シェルターに避難する騒ぎになった。2000年
5月にイスラエル軍がレバノン南部から撤退した以降では、最大規模の交戦である。

 今回の交戦のきっかけについて、イスラエル側は「ヒズボッラーのゲリラがバイク
でイスラエル領内に侵入、イスラエル軍兵士を拉致しようとしたため銃撃戦になった」
と説明している。国連や米国もこのイスラエル側の立場を受け入れ、ヒズボッラーを
非難する声明を発出した。

 一方、ヒズボッラーのナスラッラー書記長は25日に行われた戦死者の葬送集会で、
衝突に先立ちイスラエル側が度重ねてレバノン領土・領空・領海侵犯を行っていたこ
とを指摘。ヒズボッラーの反撃を正当防衛であると弁護した。

 イスラエル軍兵士拉致を企てたかどうかは明言しなかったが、「拉致は犯罪ではな
い。レバノン人捕虜が未だにイスラエルの獄中にある限り、そしてイスラエルから譲
歩を引き出すには力を行使する以外ないというのが現実である限り、イスラエル軍兵
士の拉致はヒズボッラーの権利、いや義務である」と断言、「イスラエルに死を!ア
メリカに死を!」と連呼する大群衆から喝采を受けた。

 米国やイスラエルからは、悪魔のテロリスト集団のように忌み嫌われるヒズボッラ
ーとは、いったいどんな組織なのか? レバノン社会の中ではいったいどのような地
位を占めているのか? 国際批判をものともせず、彼らがこれほど強気に振舞う根拠
は何なのか。紙数が尽きたので、次回ヒズボッラーに焦点を当ててみたい。




第三回(2005年11月17日配信)


対決姿勢を強めるシリア

安保理決議第1636号

 前回報告のメヘリス報告書提出から十日後の10月31日。日本も含めた国連安全
保障理事会のメンバー諸国15カ国は、全会一致で決議第1636号を採択した。

 決議第1636号の原案は対シリア強硬派の米英仏3ヶ国が起案した。シリアがメヘリ
ス捜査団に捜査に協力しない場合、直接的に制裁をちらつかせるきつい表現が用いら
れていた。またシリアに「テロ支援」中止を求める箇所もあった。つまり、間接的に
「シリアはテロ支援国家」だと言っているわけだ。

 伝統的にシリアの友邦であるロシアと中国、それにアラブ連盟を代表して安保理に
参加するアルジェリアの3ヶ国は米英仏の原案に反対した。米英仏としてもシリアが
国際社会の要求に従順になり、メヘリスの捜査に協力させることが当面の目的であり、
性急に制裁を課することは目的ではない。そのためには、安保理メンバー諸国、なか
んずく拒否権を持つ中露両国を説得して、全会一致で決議を採択する方が望ましい。
要は、シリアに対して「これが国際社会の総意だ」というかたちに持ち込むことであ
る。

 結局、米英仏が妥協し、決議案の表現を随分と緩和させた。直接的な制裁への言及
は避けて、「(シリアが今後も協力を拒む場合)更なる手段を検討せざるを得ない」
とするにとどめた。テロ支援中止要求も削除された。

 こうして文言が和らげられた結果、決議第1636号は全会一致で採択された。

 決議はシリアに対し、メヘリス捜査団あるいはレバノン政府がハリーリ元首相暗殺
事件の容疑者と認定した人物らを拘束するよう要求している。また国連加盟国に対し
ても、容疑者らの出入国拒否、保有資産凍結などの措置をとるよう求めている。

 シリアにとって最も痛いのは、シリア人容疑者の尋問場所と、その方式を自由に決
定する権限がメヘリス捜査団に与えられた点だ。これまでシリアはシリア人「証人
(現時点では、メヘリス捜査団は「容疑者」の用語は慎重に避けている)」に対する
事情聴取場所を、ダマスカス郊外のホテルに限定した上、シリア外務省関係者の立会
いを条件付けていた。勿論、これでは「証人」が自由に証言出来るはずはない(シリ
ア領内の施設なら、シリア側が盗聴するのを防げない。このあたり、2002年の小
泉首相訪朝の際のエピソードを想起していただきたい)。シリアがかたくなにレバノ
ンでの事情聴取を拒む背景には、いったんレバノンに入れば最後、メヘリスはレバノ
ン当局を用いて、シリア人「証人」を「容疑者」に切り替えて、拘束してしまうので
は、という懸念もある。

 決議第1636号はその点にずばりと切り込んだ。メヘリスがシリア高官らを自由に取
り調べることが出来るようにしたのである。シリアに与えられた時間は、メヘリス捜
査団の任期が切れる12月15日までの約45日間。この間に、捜査への「全面的・
無条件の協力」を示さなければ、シリアはさらに厳しい国際圧力にさらされる。


シリアの対応

 決議第1636号採択が確実になった10月末以来、シリア政府は国内外で次のような
対応をとった。

 まず、国内ではシリア独自にハリーリ暗殺事件捜査委員会を設置した。シリア法曹
界の大物を委員に据え、ウェブサイトやホットラインを開設し、「ハリーリ暗殺事件
の解明につながるどんな情報でもお持ちの方は電話してください。情報源は絶対に秘
匿しますからご安心を」と宣伝した。シリアはあくまでも無実なのだ、真相解明にも
こんなに努力している、という見えすいたパフォーマンスである……どうせパフォー
マンスをするなら、せめてメヘリス報告書が提出される前にやっておけばよかっただ
ろうに、と思わないでもないが。

 一方、国外ではサウジ、エジプトを中心に、アラブ諸国との接触を密にした。エジ
プトのムバラク大統領は10月28日に急遽ダマスカスを訪問し、アサド大統領と会
談している。またムアッリム外務次官を湾岸はじめアラブ諸国に派遣し、シリアの立
場を説明させた(なお、シャラア外相のかわりに次官のムアッリムを送った点がミソ
だ。シャラアはハリーリ暗殺事件の情報撹乱工作に関わったとメヘリスに名指しされ
ており、現在のシリアの国際孤立を招いた責任者とも言える)。11月16日にはロ
シアのイワノフ国家安全保障委員会顧問とトルコのグル外相が急遽ダマスカスに来訪、
アサド大統領に態度軟化をうながしている。

 以前にも指摘したことだが、シリア周辺のアラブ諸国はアサド政権が外圧の前に崩
壊し、イラクのような混乱状態に陥ることを危惧している。中でもエジプトやサウジ
のような親米国家は、イラクに加えてシリアまでが反米原理主義勢力の巣窟になって
しまうと国家の安全が脅かされる。だから、何とかシリアが国際社会の要求に従順に
なってくれないか、と説得や仲介に奔走するわけだ。

 このように、シリアは国内外で、当座の圧力をかわすパフォーマンスは行っている。
だが、肝心のメヘリス捜査団との関係はどうか?

 断食明けの休暇に入る直前の11月2日、メヘリス捜査団は国連を経由して、治安
情報機関の高官6名を「証人」としてベイルート郊外の捜査団本部に出頭させるよう
シリア政府に要請した。この6名には大統領の義兄、アーセフ・ショウカト軍事情報
局長、ロストム・ガザーレ前レバノン駐留シリア軍情報局長も含まれている。

 この情報は5日になってメディアに流れたが、その間シリアがとった対応と言えば、
駐英大使に「アサド大統領本人を含め、メヘリス捜査団はいかなるシリア人からも事
情聴取が可能である。ただしその場所はシリア国内の国連施設だ」と発言させること
だった。つまり、「尋問場所はベイルートの捜査団本部のみ」というメヘリスの要求
をはぐらかしたことになる。さらに、6日になってもシリア外務省筋は「6名が出頭
要請を受けた事実はない」と、要請があった事実自体を否定し続けた。7日になって
シリア政府はようやく要請があったことを認めたが、回答はしなかった。そのかわり、
10日にアサド大統領がダマスカス大学構内で重大演説を行う、という発表がなされ
た。大統領みずから、この演説でメヘリスに回答するのでは、という観測が強まった。


アサド演説の挑発

 ハリーリ前首相暗殺事件の後、レバノン国内で連日反シリア・デモが起き、シリア
に対する国際批判も高まる中の3月5日、アサド大統領は国会で演説した。強気の口
調とは裏腹に、その内容はレバノンからの撤退を宣言する、いわば屈服表明だった。
だから今回も、アサド大統領は新たな譲歩……メヘリス捜査への全面協力の約束……
を表明するのであろう、という予測が広がったのも無理は無い。

 しかしこの予測は外れた。10日の演説で、アサド大統領は、それまでになく激し
い調子で米国とレバノン政府を批判した。曰く、「シリアはこれまでにメヘリス捜査
団に対する協力を惜しまなかった。しかしいくら協力しても、『協力していない』と
批判される。シリアは標的にされているのだ」「バッシャール・アサドは世界の誰に
対しても屈服することはない」「レバノンは、シリアに対する陰謀の通過点、準備拠
点そして資金提供者となってしまった」こんな調子である。

 親シリア勢力以外のレバノン国民はみんな「外国の陰謀への加担者だ」と表現した
り、セニオラ首相のことを「奴隷(米国と歩調を合わせるハリーリ家を指す)の奴隷」
と口汚く罵ったりする箇所もあり、レバノン国民の神経をさらに逆撫ですることに
なった。

 演説の中で、アサド大統領は「メヘリス捜査団に協力する」と何度も約束した。し
かし同時に捜査の中立性に対する疑問を投げかけ、肝心の高官6名の出頭問題につい
ては何の回答も行わなかった。

 当然のように、この演説に対してレバノンの世論は反発で沸騰した。フランスのシ
ラク大統領は間髪を置かず、「シリアが捜査に協力しないというなら、制裁を検討す
るしかない」と警告を発し、ブッシュ大統領もそれに続いた。

 しかし、11月13日現在でも、シリアは高官の尋問場所を「シリア国内の国連施
設か、あるいはカイロのアラブ連盟本部か」に限定する立場を崩していない。この膠
着状態が続いた場合、メヘリスは安保理に対して「シリアは決議第1636号を履行して
いない」と報告、安保理は新たなシリア非難決議採択に向けて動くことになるかもし
れない。シリアの国際孤立は深まっており、今のところ、はっきりとシリアの側に
立って、「シリアは捜査に十分協力している。捜査が米国の政策の道具になってはな
らない」とメヘリス捜査団に批判的な立場をとるのは、11月15日にムッタキ外相
をダマスカスに派遣したイランくらいだ。


シリアの強気の根拠

 ハリーリ暗殺事件以来、国際社会の圧力の前に譲歩し続けてきたアサド大統領が、
ここに来てこれほど強硬に対決姿勢を打ち出した理由は何だろうか? 考えられるの
は、今後シリアをとりまく状況は有利になっていく、という読みである。

 例えば、イラク情勢がそうである。現状ではイラクの治安回復は夢のまた夢という
感じだ。英軍の撤退可能性もかなり高まっている。米国国内でもブッシュ大統領の支
持率は急速に低下、イラク戦争は間違いだった、という世論が形成されつつあり、米
英軍が結局は目的を達せず、敗退するかたちでイラクから引き下がる可能性がどんど
ん高くなっている。そんな状況下では、いかな米国と言えどもシリア相手に新たな戦
端を開くことは難しい。

 シリア包囲網の一翼を担うフランスは、アラブ・アフリカ系移民の暴動で混乱して
おり、いつまでレバノン問題に関わることが出来るかどうかはわからない。一方、核
開発問題で米欧と対立するイランはシリアとの同盟関係を強化しつつある。レバノン
においてはヒズボッラー、パレスチナでもハマースやイスラム聖戦など、対イスラエ
ル強硬派はいずれもはっきりとシリア擁護の立場を打ち出している。

 イランやヒズボッラー、ハマースなど地域内の反米勢力と連携を深めていけば、ま
だまだ米国の圧力に対抗出来る、という状況分析をしているのかもしれない。

 1982年にイスラエル軍がレバノンに侵攻した際、レバノンを実効支配していた
シリア軍は緒戦で精鋭空軍機の大半を喪失。ほうぼうの体でレバノンからの退却を強
いられた。しかしその後、シリアはソ連や革命イラン、さらにレバノンの反米勢力、
パレスチナの反アラファト派と連携して、イスラエル、多国籍軍(米仏伊3ヶ国)、
親米のジュマイエル・レバノン政権に対して反攻を開始、1985年までにイスラエ
ル軍と多国籍軍を敗退させた(イスラエル軍はその後ヒズボッラーの根強い抵抗運動
を受けて、2000年5月に最終的にレバノン南部から撤退する)。この粘り腰の反
攻を指揮したのが、現大統領の父親、ハーフェズ・アサド前大統領だ。

 バッシャール・アサド大統領は、この亡父の先例に習い、これからしぶとく米欧の
圧力と対峙し、あわよくばレバノンを奪回するつもりなのであろうか。そうなった場
合、レバノンはまたしても国際政治の大波の中に翻弄されることになる。

 シリアからの武器密輸取り締まり措置の一環で、シリア産の廉価なディーゼル燃料
がレバノンに入ってこなくなった。灼熱の中東というイメージとは裏腹に、標高3千
メートル級のレバノン山地や内陸のベカー高原は、冬は雪に覆われ、冷え込みが厳し
い。これからの季節、暖房用の燃料価格高騰は多くの地域で人々の生活を直撃する
(私事で恐縮ながら、標高1400メートル地点の山間部にある我が家でも、冬の到来が
早い今年は10月後半からすでに暖房をフル稼働させている)。

 11月11日、ベカー高原の住民が燃料価格の高騰に反対するデモを行い、一部で
はタイヤを燃やして道路を封鎖するなど、ちょっとした暴動に発展した。これを見た
シリア紙「ティシュリーン」は、デモによってセニオラ内閣を打倒するようレバノン
国民に呼びかけるなど、露骨にレバノン内政に干渉し始めた。各宗派や政党、地域勢
力などの微妙なバランスの上に成り立つレバノン政治は、ひょんなことからバランス
を崩して混乱に突き進む危うさを秘めている。



第二回(10月27日配信)

メヘリス報告書の衝撃

シリア政府の関与指摘

  10月21日、ハリーリ・レバノン元首相暗殺事件の国際捜査団は、これまで約4ヶ月に及んだ捜査の報告書をアナン国連事務総長に提出した。ほどなくその内容はインターネットやメディアを通じて公表された。
 報告書は大方の予想とおり、犯行がシリアとレバノン両国の治安情報機関によるものである可能性をずばり指摘した。具体的なシリアの関与として報告書が言及しているのは、

・アーセフ・ショウカト軍情報局長(現職)が、アブ・アダス青年(犯行声明のビデオに映っていたパレスチナ人)を用いて偽装工作を行った
・シャラア外相が捜査撹乱工作に関わった
・爆薬と三菱製ピックアップ・トラックはシリアから搬入された(ちなみにこの三菱カンターは何と2004年10月12日に相模原市で盗まれたものだという)

などの各点である。
 報告書は捜査におけるシリア側の不協力姿勢を批判し、シリア政府に対し捜査への協力を強く求めている。

 
土壇場のバージョン変更

  実は報告書は事務総長に提出される寸前に何度か手直しされており、最終版が発表される前に、別のバージョンがメディアと安保理メンバー諸国の代表団に配布されるという考え難い「手違い」が起きている。
 このバージョンは最終版よりももっと衝撃的だ。第96パラグラフで、あるシリア人証人の証言を引用し、
 「安保理決議第1559号が採択されておよそ2週間後、ショウカト・シリア軍情報局副長官(当時、現長官)、マーヘル・アサド共和国防衛隊司令官、ハリール軍情報局長官(当時)、スレイマーン内務治安部隊長官(当時)、サイイド・レバノン公安長官(当時。現在はハリーリ暗殺事件の容疑者として獄中にある)の5名がハリーリ暗殺を決定した」
と、首謀者たちを名指ししているのである。さらに、この5名が暗殺謀議をこらした場所のひとつとして、シリアの大統領府も挙げられていた。

 ショウカトはバッシャール・アサド大統領の姉ブシュラの夫、つまり大統領の義兄で、政権のナンバー2と一般に目される人物。またマーヘルは大統領の弟だ。この2人にハリールとスレイマーンを加えた4名は、いずれもアサド政権の中枢人物と言ってよい。その彼らが、しかも大統領府で堂々と暗殺謀議をやっていたと言うなら、もはやこれは国家テロ以外のなにものでもない。もし土壇場で版の差し替えが無ければ政権は土俵際に追い詰められていたはずだ。

 しかし、最終版はこの5名の名前を削り、単に
「シリアとレバノン両国高官」
と表記するにとどめた。
 このため、各国のメディアが
「アナン事務総長か、各国政府の間から、表現を緩和するよう圧力がかかったのでは?」
と疑い騒ぎになったため、メヘリス本人が緊急記者会見を開き、
「どこからも圧力は受けていない。すべて自分の判断である」
と釈明する始末になった。メヘリスによれば、版を差し替えたのは、
「報告書がすぐに公表されるとは知らなかった。容疑者らは容疑者に過ぎず、無実の可能性もあるのだから、本名を出すのはどうかと思った」
からだと言う。
 

意図的なリーク?

 しかし、このメヘリスの説明はいかにも苦しい。
 まず、ここまで国連のプロトコールに沿って綿密に本部と調整して動いてきたメヘリスが、報告書がメディアに公表されることを知らなかったとは考えにくい。
 それに報告書の他の箇所では、メヘリスは遠慮なく何十人もの容疑者の実名に言及している。現に、ショウカト本人の名前さえ別の箇所では削除せずに用いている。

 そこで考えられるのは、メヘリスは意図的に5人の名前をリークしたのではないか、ということだ。つまりシリアに対して、メヘリスは
「あなた方が素直に捜査に協力しようと、しまいと、もはや我々はシリア政府の関与の証拠を掴んでいる。ならば素直に協力する方があなた方のためだ」
というメッセージを送ったのではなかろうか。

 メヘリスは報告書提出前にも、フランスやドイツのメディアに対して幾度か捜査状況をリークしている。今回も同じで、協力を拒むシリア政府との心理戦の一環なのかもしれない。

 今後、メヘリス捜査団の捜査期間は当面12月15日まで延長される。
 報告書を審議する10月25日の安保理事会で、メヘリスはシリア政府に対して
「この期間(12月15日までの期間)は、シリア政府が協力姿勢を示すチャンスだ」
と呼びかけた。
 

国際社会の対応

 メヘリス報告書を受けて、国際社会はどう動くか?
 当面この報告書を一番喜んでいるのは、シリアと最も激しく対立してきた米国とイスラエル、英国だ。特にイラク問題やパレスチナ問題でシリアと対立する米国は、シリアに対する圧力を強める絶好の口実を得たことになる。その勢いをかって、出来ればシリア寄りのロシアが安保理議長国になる前(10月中)に、新たなシリア非難決議の採択にこぎつけたいところだ。

 ただ、あまりに強く締め付けられて、アサド政権が倒れてしまうような事態を恐れる声は強い。特にエジプトやサウジなど、地域内の親米アラブ政権は、シリアが第二のイラクとして過激な反米原理主義者の巣窟になることを極度に恐れている。イスラエルでさえ、弱体化したアサド政権が存続して、イスラエルの要求を呑んでくれるようになれば良い、というのが本音だろう。ここまでレバノン問題では米国と歩調を揃えてきたフランスからも慎重な声が上がっている。これから12月15日にかけて、国連を舞台に各国間の駆け引きが激しくなる筈だ。


シリアの反応
 
 シリア政府は報告書発表と同時に…否、それ以前から…、メディアを総動員し、
「報告書は偏向している」
「イスラエルや米国による反シリア政策の道具と化した」
と批判を繰り返している。24日には首都ダマスカスと、第二の都市アレッポの二箇所で、メヘリス報告書を批判する大規模な「民衆デモ」が組織された。
 ただし、政府高官は報告書を非難する声明を出すごとに
「シリアは捜査に全面的に協力してきたし、今後も協力する意思がある」
と付け加えることを怠らず、完全に国際孤立する事態は回避しようとしている。どこまでなら譲歩出来るのか、見極めようとしているのであろう。

 2002年から翌年にかけて、イラクは国連の大量破壊兵器査察要求に対し、譲歩に次ぐ譲歩を繰り返した。 最後にはミサイル砲を自主的に廃棄し、大統領宮殿まで開放するところまでやったが、米国の攻撃を回避出来なかった。シリア政府首脳のあたまには、その記憶が生々しい筈だ。体制の存続を脅かさぬ範囲では、捜査にどこまで協力出来るか、どこまでなら譲歩出来るのか。大統領は義兄や実弟を、取り調べのために捜査団に差し出すのは体制ぐるみの犯行であると認めるようなものだから、難しい(これまでシリア側はメヘリス捜査団がシリア人証人の事情聴取をシリア国外で行うことは認めていない)。かと言って、取り調べを拒み続けると間違いなく制裁措置を受けることになる・・・追い詰められたシリアにとって、次の一手は難しい。一歩読み違えれば致命的な結果を招く。


レバノン政治への影響
 
 メレス報告書の最終部分は、通話記録の詳細な解析のために割かれている。
 この中で、鍵を握る人物として浮上するのが、親シリアのスンニ派原理主義組織「アハバーシュ」の幹部、アハマド・アブドル・アールだ。アハマドは2月14日の犯行の前後に、レバノンとシリア両国の治安機関首脳との間で、膨大な回数の通話を行っているからだ。
 このアハマドの弟、マハムード・アブドル・アールも「アハバーシュ」のメンバーとして、事件前後に不審な通話を幾度か行っている。
 報告書の第200パラグラフは、
「マハムードは2月14日の爆発直前、12時47分にラフード大統領の携帯電話に、また12時49分にアザール軍情報局長(当時。現在は容疑者として獄中にある)の携帯電話に電話をかけた」
と指摘している(爆発は12時56分に起きた)。

 ラフード大統領は、報告書発表後間もなく声明を発して、
「メレス捜査団の活躍に感謝する。今後も協力を惜しまない」
と、まるで他人事のようにコメントしたが、反大統領派はおさまらない。マハムード・アブドル・アールは何故爆発の寸前に大統領に電話をかけたのか?マハムードと大統領はいったいどんな関係だったのか?本当に大統領は暗殺計画について何も知らなかったのか?

 報告書提出の翌日、マハムード・アブドル・アールは逮捕され、ラフード大統領に対する疑惑は急速に膨れ上がった。
 ラフード大統領の辞任を求める声は再び上がり始め、それに呼応して大統領選への出馬表明を行う政治家たちも出始めた。
 今年に入ってから、ハリーリ元首相暗殺、後ろ盾であるシリア軍撤退、自ら任命した治安機関幹部らが一斉逮捕されるなど、ラフード大統領はたびたび逆風と辞任要求にさらされてきたが、その都度したたかに生き延びてきた。果たして今回も、メヘリス報告書の衝撃からも立ち直れるのであろうか?あるいは今後の捜査で、大統領自身の関与も暴かれることになるのであろうか?
 まだまだレバノン政局の先は読めない。

 

 第一回(2005年10月8日配信)

真相は暴かれるか?
―――メレス捜査報告書を待つレバノン―――

 1.ハリーリ前首相暗殺事件

  2005年2月14日。

 ベイルートの都心に近いアイン・ムライセ地区を走行していたラフィーク・ハリーリ前首相の車列が爆破され、前首相や側近、通りすがりの不運な市民ら20名が殺害される事件が発生した。

 巨大なゼネコン・グループの総帥ハリーリは世界的な大富豪で、レバノン内戦の終結、戦後の猛烈な経済復興の立役者になった。サウジ王室の信頼厚く、サウジ国籍も持つ。レバノンの旧宗主国、フランスのシラク大統領とは「選挙資金を提供する関係」とされ、家族ぐるみの親交がある。自家用機に乗って訪日したことも何度かあり、小泉首相とも会談している。レバノンという小国の枠をはるかに超えた巨人であり、世界の名士と言ってよい。

 内戦終結後、レバノンを実効支配するシリアと、ハリーリは微妙な関係を続けてきた。イラク問題やパレスチナ問題をめぐって国際孤立を深めるシリアにとって、世界に顔が利くハリーリは外交上の資産だ。しかしハリーリの国際的ステータスと財力の周りに、レバノンの反シリア勢力が結集すればシリアにとっては脅威になる。 
 2004年9月、ハリーリはシリアの全面支持を受ける大統領エミール・ラフードの任期延長にぎりぎりまで反対した。ラフードとハリーリは前者が国軍司令官、後者が首相だった時代からの政敵だ。がちがちの軍人大統領ラフードと、市場経済の申し子のようなゼネコン宰相は、あらゆる経済政策をめぐり対立してきた。ハリーリはきっとラフードが任期満了するまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせてきたことだろう。
 しかし、親シリア勢力の砦たるラフードの任期を、シリアは土壇場で延長させる決定を下した。ゴネるハリーリは真夜中に駐留シリア軍情報局に呼びつけられ、ラフードの任期延長手続きを進めるよう強引に命じられた(この時、或いはその前のアサド大統領との会談で、ハリーリが殺害の脅迫を受けたという証言も少なくない)。これを機にハリーリとシリアの関係は決定的に悪化する。
 ハリーリは内閣改造を果たせず下野した。そして2005年5月に予定されていた国政選挙で返り咲きを狙い、着々と選挙準備を進めていた。

  強引にラフードの任期を延長させたシリアに対し、米仏サウジなどの諸国は国連安保理決議第1559号を通過させ、シリア軍のレバノン撤退を強く迫った。

 一方レバノン国内では圧倒的な財力と選挙マシーンを背景に、公正な選挙が実施された場合、親シリア議員の多くが議席を失い、ハリーリが首相の座に復帰することは確実な情勢だった。
 こんな具合に、2005年の初めシリアは30年近くにわたって実効支配してきたレバノンを失う危険に直面していた。ハリーリは公然と反シリア・反政府の活動をすることは控えたものの、水面下では反シリア勢力を支援した。ハリーリが安保理決議第1559号の背後で糸を引いているのでは、とシリアは疑った。またレバノンの親シリア勢力も、シリアの後ろ盾を失い、政治的影響力を失うことを恐れた。反シリアの立場をとる政治家が暗殺未遂に遭い、ハリーリ系の団体が頻繁に封鎖されるなど、内戦後、表向き平穏だったレバノン情勢は少しずつ緊張の度を高めていった。ハリーリ暗殺事件はこんな文脈の中で起きたのである。

 2.事件の余波

 ハリーリが殺されると、レバノン国民の大多数は当然のようにシリアおよび親シリア派の仕業だと考えた。
「シリアよ、出て行け」
「自由、主権、独立」
と連呼しながら、老若男女が宗派を超えて結集、連日にわたって数万人規模の大集会を開いた。内戦終了以降、反シリアのスローガンを掲げるのはほぼキリスト教徒(全人口の3割弱)に限られていたが、ラフード大統領の任期延長以後はそこにドルーズ派(1割弱)、さらにハリーリ暗殺によってスンニ派(3割程度)が加わった。シーア派(3割強)を除く国民の多数派が、一気に反シリアに傾き団結したのだ。
 西側メディアはこの現象をレバノン国旗にちなみ「レバノン杉革命」と名づけ、独裁政権だらけのアラブ世界における初の民衆革命と持ちあげた。

 ハリーリ暗殺から6月までの短い期間に、レバノン情勢は劇的に変化した。親シリアのカラーミ内閣は総辞職し、シリアの影響下にあった治安機関幹部らはほとんど更迭された。内外の圧力に押されてシリア軍はとうとうレバノン領から撤退し、国政選挙ではハリーリ派を中心に反シリア勢力連合が過半数を確保。反シリア派が主導する新政府を組閣した。そして6月からはベルリン地検のベテラン検事ディートレフ・メヘリスをトップに国際捜査団が到着、ハリーリ暗殺事件の捜査を開始した。

 3.メヘリス捜査報告書

  このように、シリアとレバノンの親シリア勢力はハリーリ暗殺事件の高い「勘定を支払わされた」わけだが、では一体、本当にハリーリを暗殺したのは誰なのか?本当にシリアなのだろうか? 

 それが間もなく明らかになる。
 メヘリスは2005年10月上旬現在までに主要な捜査を終え、月末に捜査報告書を国連に提出する。メヘリス本人と捜査団が厳しいかん口令を敷いているため、報告書の内容は謎に包まれており、数ヶ月前から反シリア、親シリアの両勢力が、様々な憶測をめぐらせている。

 反シリア勢力は、報告書によってついにシリアによるレバノン恐怖支配の実態が暴かれる、と期待を高める。
 この期待には根拠がある。8月末、国際捜査団はレバノン警察に要請してラフード大統領の警護隊長(現職)と、シリアの息のかかった治安機関元幹部ら3名を一斉逮捕したからである。

 この4名は泣く子も黙る治安機関のボスとして長らくレバノンに君臨してきた。彼らの権勢の前には、議員や閣僚、司法もなす術が無かった。そんなアンタッチャブルな彼らが、ハリーリ暗殺謀議の罪で逮捕され投獄された。多くの国民が快哉を叫び、メヘリスの人気は沸騰した。この凄腕のドイツ人判事なら、シリア支配下でこれまで闇から闇へと葬られてきた政治暗殺事件の真相を暴いてくれるに違いない、というわけだ。この見方に従えば、現在レバノンで続いている政治暗殺・テロ事件もシリアの仕業である。メヘリスがずばり、シリアと親シリア派による犯行を暴けば、テロ犯たちも一網打尽に出来る。

 メレス捜査団は、レバノン総督としてレバノンに君臨してきた歴代の駐留レバノン軍情報局長(カナアーン現内相とロストム・ガザーリ)がレバノンに持つ銀行口座情報を開示させ、両人の事情聴取も行った。だから、報告書がハリーリ暗殺とシリアの関わりを指摘する可能性は高そうに見える。

 これに対し、
 「メヘリスはそのうち、ケネディを殺したのもシリアだと言い出すだろう」
 シリア政府やレバノンの親シリア派は、そう言って暗殺捜査の「政治化」を批判する。ヒズボッラー関係者などは、アラブ占領地からのイスラエル軍撤退決議を未履行のまま何十年も放置する国連が中立のわけはない、メヘリス報告書も証拠があろうがなかろうが、シリアの犯行にするつもりだろう、と言う。そうして米国・イスラエルのシリア締め付けに加担すると言うのだ。報告書がもたらすであろう衝撃に対し、今から予防線を張っているとも言える。メヘリスがシリアの無罪を宣言しない限り、捜査は無効だと言っているに等しい。

4.報告書の衝撃

 メヘリス報告書がレバノンとシリア両国政府関係者の関与をずばりと指摘した場合、地域情勢に及ぼすインパクトは強烈だ。ハリーリ暗殺以来の政変をしたたかに生き延びてきたラフード大統領は、今度こそ退陣を強いられるかもしれない。もっと深刻なのは40年以上続いたシリアのバアス党政権が崩壊するケースだ。

 イラク戦争以来、米国のブッシュ政権はシリアを目の敵にしている。イラクの反米闘争が止まないのも、パレスチナでロード・マップが頓挫してしまったのも、レバノンが不安定化しているのも、すべてシリアの干渉のせいである…そんな立場から、米国はシリアを捩じ上げてきた。今もシリア国境に近い地域でイラク武装勢力の掃討作戦を展開し、シリアにプレッシャーをかけている。
 そこにさらにハリーリ前首相暗殺の容疑がかけられた場合、アサド政権は果たして保つのかどうか?政権中枢の人物が国際法廷に引き出され、国家テロと断罪された場合、それでもアサド政権は存続出来るのであろうか?
 万一アサド政権が倒れてしまった場合、その空白は誰がどうやって埋めるのか?第二のイラクの地獄が現出するのではないか…レバノンと周辺アラブ諸国の人々が固唾を呑んでメヘリス報告書を見守るのは、そんな先行きへの不透明感があるからだ。