日本書紀によると、景行天皇の四十年日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷を平定した帰りに酒折の宮にて宴会をした。このとき詩を以て武者達に問うた。
「新治筑波を過ぎて、幾夜か寝つる。」
諸々の武者達は応えられなかったが、この時火を燭していた者が尊の詩に続き
「かがなべて夜には九夜 日には十日を。」
と詠った。そこでこの火燭人の聡明を誉めて厚く褒美をしたと云う。
(古事記では、火燭人が火薪の老人となっていて、褒美に東の国の造にしたとなっている)
また、この詩の問答から、ここ酒折宮が「連歌発祥の地」といわれている。