艦船製造量に見る日米差

 以前書いた、「航空機生産量に見る日米差」 に引き続き、今回は艦船の製造力の差という観点から日米差を見ていきたいと思います。
 各種の軍艦および商船について、竣工した年ごとにその量をまとめています。

航空母艦

正規空母
日本 米国
2隻1941年0隻
2隻1942年1隻
0隻1943年7隻
5隻1944年7隻
0隻1945年7隻
9隻合計22隻
 	
軽空母
日本 米国
2隻1941年0隻
3隻1942年15隻
3隻1943年31隻
1隻1944年34隻
0隻1945年13隻
9隻合計93隻
 戦時体制に入ったアメリカの建造力がいかに強烈であるかを、この空母の建造数の差ははっきりと示しています。
 1942年末、日本のガダルカナル戦の敗北が確定したころからコンスタントに作られていったエセックス級空母は、中部太平洋における米軍の制空権確立に絶大な威力を示し、戦局を大きく転換させました。エセックス級は数だけでなく性能も極めて優れており、太平洋戦争において1隻の沈没艦も出していません。

 またアメリカは軽空母の建造にも熱心でした。大戦初期には巡洋艦や商船を改造したものを多数作り、中期以降は新造の軽空母を次々と完成させていきました。その中でも1943年から44年にかけて作られたカサブランカ級軽空母は、1年間に50隻という驚異的なペースで建造が行われています。圧倒的な量の軽空母により、大戦中期以降の太平洋、大西洋の制空権は完全に連合国のものとなっていきました。

 では、日本について見てみましょう
 正規空母については、1941年に 「翔鶴」 「瑞鶴」 を建造し、42年に 「隼鷹」 「飛鷹」 の就役を行うなど、戦争序盤は比較的順調に新たな空母が誕生しています。しかし、1942年7月に 「飛鷹」 が完成したまではいいものの、その次の正規空母は 「大鳳」 で、竣工したのは44年4月です。つまり、 「飛鷹」 が完成してから1年半以上にわたり、日本は正規空母のブランク期間が存在します。この空白の期間内に、アメリカは8隻のエセックス級を竣工させています。
 44年には 「大鳳」 に続き、「雲龍」 「天城」 「葛城」 「信濃」 と、一応は大量の建造が行われていますが、すでに戦局は空母の使用を可能にする状況になく、この4隻は何ら戦局に寄与することなく、空襲や潜水艦により戦闘力を失いました。一応は、「信濃」 「雲龍」 「天城」 で機動部隊を編成するといった計画はあったようですが・・・・・

 軽空母に関しても、日本はアメリカに大きく見劣りします。日本海軍は、戦争になった場合に水上機母艦や商船を改造して軽空母を作る戦略をとっていました。そのこと自体は身の丈にあった戦略ですが、最終的な数はアメリカと比べ物にならないほど少ないものとなっています。日本の軽空母の質自体は、そこまでアメリカに劣るものではありませんでしたが、これだけの物量の差は覆しようがありませんでした。

戦艦・巡洋艦

戦艦
日本 米国
1隻1941年2隻
1隻1942年2隻
0隻1943年4隻
0隻1944年2隻
0隻1945年0隻
2隻合計10隻
 
巡洋艦
日本 米国
1隻1941年1隻
2隻1942年8隻
3隻1943年11隻
1隻1944年14隻
0隻1945年15隻
7隻合計39隻
 やはり空母と同じく、日米の懸隔がはっきり現れています。
 戦争中、アメリカは次々と新規に戦艦や巡洋艦を作り始め、実際に完成させて戦争に参加させています。それに対し、日本が開戦後に起工した艦で完成したのは 「酒匂」 のみになっています。
 日本の資源、工業力では、戦前にすでに着手していた艦を完成させるのが精一杯でした。。

駆逐艦・潜水艦

駆逐艦・護衛艦
日本 米国
8隻1941年7隻
10隻1942年82隻
27隻1943年426隻
125隻1944年268隻
67隻1945年78隻
237隻合計861隻
 
潜水艦
日本 米国
11隻1941年12隻
50隻1942年34隻
37隻1943年55隻
39隻1944年81隻
30隻1945年31隻
167隻合計213隻
 左の表は、駆逐艦や護衛駆逐艦、海防艦といった小型の軍艦を全て含んでいます。
 アメリカは、護衛駆逐艦を43年から大量に完成させています。それに対し日本の海防艦の量産が軌道に乗り始めたのは、表からわかるとおり44年以降です。この一年間のタイムラグに、日米の海上護衛に関する熱意の差がよく表れています。

 潜水艦はかなり拮抗に近い数字となっています。日本は、偵察用の大型潜水艦、通商破壊用の中型潜水艦、輸送用の小型潜水艦など、用途ごとに別の種類の潜水艦を建造するというよくない癖がありました。それに対し、アメリカは中型潜水艦に生産を絞り、建造量やコストを改善しています。

 またこの表には表れていませんが、日本の駆逐艦、潜水艦の消耗率は、戦局が悪化するにつれて極めて高い数字になっていきました。開戦時に約100隻あった日本駆逐艦のうち、敗戦時に戦闘力を有していたのはただ1隻、「雪風」 のみであったほどです。終戦時には、比べ物にならない兵力差が生まれていました。

商船

 この表だけは隻数でなくトン数で表しています。

商船
日本 米国
29,4000トン1941年103,2000トン
21,0000トン1942年548,0000トン
26,0000トン1943年1144,8000トン
170,0000トン1944年928,8000トン
60,0000トン1945年584,0000トン
306,4000トン合計3308,8000トン
 開戦時、日本は約650万トンの商船を有しており、保有量は世界第3位の水準に達していました。表にあるように、戦争中にさらに300万トンが新たに建造され、それらのうち800万トンが沈みました。終戦時の保有量は134万トン、そのうちまともに動くものは80万トンであり、戦前の八分の一にまで落ち込みました。これにより、日本の海運は終戦時、終戦直後には壊滅的状況にありました。

 それに対しアメリカは、戦争中に3300万トンもの建造を行っています。特に大量生産された貨物船 「リバティー級」 は、2714隻、1944万トンという、単一船種としては史上最大の建造がなされました。この物量に対し、日本はまったく太刀打ちできませんでした。

まとめ

 アメリカの建造力を端的に表すと、「4ヶ月に1隻戦艦を作り、1ヶ月に1隻巡洋艦を作り、10日に1隻空母を作り、3日に2隻駆逐艦を作り、1日に2隻の貨物船を作った」 ことになります。

 戦争中、日本も全力を挙げて艦船の建造を行いました。しかし、アメリカとの差は、あまりにも・・・・・・・
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