ジミー竹内のドラマー生活60周年記念ライブパーティー&ちょっとだけ快気祝い




戦後まもない頃、14歳のドラマーが進駐軍のクラブでデビューした。その後、原信夫と一緒に日本の代表的なビッグバンド「シャープ&フラッツ」を世に送り出した。彼の名はジミー竹内。日本のジャズドラムの歴史イコール彼そのものである。

ジミー竹内は今年で75歳になる。デビュー60周年記念、そして、75歳の誕生日を祝い、仲間達が集まり、ささやかなるも、とても楽しいパーティーが開催された。

場所は、十条駅前のクィーンズアベニューというライブハウス。ジミーの自宅である赤羽からほど近い。司会は、不肖私めが仰せ仕った。


(左)かつての弟子が集まった。その一人の清家さん。去年はリサイタルも開いたりとアクティブだ。
  因みにジミーの被っている帽子は、転んでも大丈夫なようにヘルメットの役割を果たしているのである。
(右)会場にはジミーの若い頃の映像が流れていた。懐かしい。

2005年6月25日(土)、スタッフは11時現地集合ということだったが、直前まで仕事をやっていたので、私の到着は8分遅れだった。土曜日なので通行量が少なかったこともあり、10分ほどしか遅れなかったのは幸いだ。幕張から現地まで三十数分で到着したことになる。特に中央環状が空いていたのはラッキーだった。

もちろん、スタッフは全員集まっていて、神村さんたちの出演者もサウンドチェックを始めていた。ジミーももちろん、そこにいた。ボウヤ(ジミーのお弟子さん)にドラムの皮の張りを調整させていた。この会の主催者である錦織氏は、忙しそうに走り回っていた。ご苦労様である。




クラリネット、サックスの鈴木孝二(左)と、この日のバンドを仕切ってくれたトランペットの神村英男(右)。上の写真はリハの「スウィング、スウィング、スウィング」で。ジミーがドラムを叩く。

開演前にジミーや錦織さんや出演者の方々と軽く打ち合わせをする。開演は13時である。ジミーは誰かにつかまったりしながらも、会場内を精力的に歩きまわり、徐々に集まり始めた来場者に挨拶をする。数年前に脳梗塞で何度か倒れ、死の淵から這い上がってきた男が一生懸命来場者に挨拶する姿は痛々しくも、とても感動的なのである。俺も頑張らなきゃいけない、などと思ってしまう。

そうしているうちに13時になった。会場には久々のジミーのタキシード姿を見ようと、遠方からのお客さんも来ている。ドレスアップした方も、普段着で来られた方も、ジミーを見つけて、近寄り、握手する。司会の私は、ステージのやや左側のマイクを持って、このパーティーのイントロ(前説)を始めた。私とジミーの出会いから、そして今までの経緯などを簡単にご紹介する。そして、この会の主旨を説明する。

正直言えば、本来のジミーの集客力からすればお客さんはやや少ない。ジミーが脳梗塞に倒れる前には業界の著名人をはじめ、各界の大御所と呼ばれる方々が積極的に集まってきたのである。偉大なドラマーの60周年記念にしてはちょっと寂しいけれど、でも、それでも75歳になって、病気に倒れてもなおかつドラムを叩くジミーを見たいという熱心なファンの方々には頭が下がる。

13時10分。都内の有名レストランなどを経営する灘田社長からのご挨拶がある。灘田氏は、ジミーの協力な支援者で、ジミーが病気で倒れた後にも、コンサートの主催者として、また場所の提供者として多大な力を与えてくださるのである。次は80歳の誕生パーティー、あるいは70周年記念(85歳の誕生パーティー)を企画してほしい。

次に、ジミーの小学校時代の同級生の菅沼氏からのご挨拶。小学校時代にジミーが模型飛行機を作るのが上手だったというエピソードを話してくれた。ジミーもマイクを取り、壇上で昔話に花が咲く。さあ、飲み物の準備が出来た。先ほどの灘田社長の乾杯の音頭で、めでたくパーティーの始まり。ジミーがよろよろしながらドラムに歩み寄る。


[左] タンバリンに似たバンディーロという楽器を巧みに操り、チェット・ベーカー風の歌も披露してくれた神村。
[中] 神村のトランペットは超一流なのである。
[右]左手が殆ど麻痺して動かないが、力強い太鼓を叩いてくれたジミー。





[上段・左] リハの時にも本番さながらのドラムを叩いているジミー。
[上段・中] ジミーと同じ赤羽在住のベーシスト、青島氏。以前、ベイタウンにも来てくれた。
[上段・右] ジョー蒲池。シャープ&フラッツではジミーの後輩にあたる。
[中央] シャープ&フラッツでも活躍の神村氏。公私に渡り、ジミーを助けてくれている。
[中段・右] 乾杯の音頭をやってくれた灘田氏。
[下段・左] 第2部のステージの始まりは、酔水亭珍太さんの落語から。「寿限無」の一席。
[下段・中] 元校長先生の菅沼氏。ジミーとの思い出話を語る。
[下段・右] 左の美人は、ジミーに無くてはならない人。お子様、お孫さんも会場に。
       彼女、実は10代の頃からのお付き合いで、元々はジミーの弟子であった。

1曲目は、「朝日のように さわやかに」。文字通り、爽やかな楽曲である。ドラムは、大阪からわざわざやってきた池田氏が。キメのユニゾンは神村、鈴木がぴったり息が合っている。1曲終わったところで、メンバーからジミーへの祝いの言葉。ジョー蒲池氏の北海道のツアーの思い出話が面白かった。2曲目は「鈴懸けの径(みち)」。今度はジミーがメインに叩く。鈴木のクラリネットが素晴らしい。3曲目は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。神村の得意中の大得意な曲で、まさに日本のチェット・ベーカーである。気だるく、しかし、優しい声で歌ってくれる。

さあ、ここでお待ちかねの渡辺明日香の登場である。以前は白い肌が売りだったのに、褐色になって登場。スリムながらも胸の大きさを強調するワンピースで、目のやり場に困ってしまう。





渡辺明日香をナマで聴いたのは3年ぶりで、ジミーの家で開催された新年会ライブの時以来である。しかし、ずいぶんまた歌がうまいと改めて思う。もちろん、以前聴いたときもそう思ったわけだから年々着実に歌がうまくなっているのだ。しかも、低い声がちゃんと出ているのが素晴らしい。女性ボーカルの場合、高音部が綺麗だとか、可愛いとかだけで評価されがちだが、低いパートの図太さが有る無しで、雰囲気が全然違うのである。

彼女は段々、カーメンマクレエやサラヴォーンのような雰囲気を身につけている。即ちホワイトジャズではなく、黒人のようなよりネイティブなジャズに傾倒していっているのではないか。間違いなく、トップに君臨してもおかしくないレベルに達している。しかし、歌がどんどん円熟期を迎えているのに反比例してルックスは益々若くなっている。本当に魅力的なヴォーカリストである。そんな素敵な女性がジミーを祝ってくれていることに更に大きな感動。彼女は、以前のパーティーで、ジミーが大事にしていた酒を会場の皆さんに大盤振る舞いしたことを挨拶に中に入れて、会場を沸かせてくれた。

渡辺明日香は3曲歌い、一旦袖に戻った。そして、第一部のラスト曲はお馴染みの「A列車で行こう」。本来はビッグバンドでやるタイプの曲なのだが、迫力ある神村のトランペットと鈴木のサックスが楽器構成を完全にカバーして余りあるといった演奏だった。ジョー蒲池(城下町と呼びそうになる)のキーボードの音色も多彩だ。だいたい15時ちょうどくらいに曲が終わり、休憩タイム。途中、予定していた曲を数曲削ったので、乾杯の音頭から遅れ気味だった進行がほぼ元に戻った。


[左] 渡辺プロダクションの渡辺美佐さんから届いた素敵なお花。残念ながら彼女は海外旅行中のために来場はできなかった。
前会長の故渡辺晋氏に、ジミーがザ・ピーナッツを発掘して、紹介し、プロダクションとしても大きな利益を上げたということから、未だにお付き合いが続いている。
[右] ジミーの介護をしてくれている女性。大きなお花を抱えて会場に来てくれた。身長167センチ。びっくりするくらいスタイルが良くて、プロのカメラマンの蒲田氏も大絶賛していた。

第2部が始まるまでのほんの僅かな休憩時間も、会場のお客さまは殆ど席を立たなかった。ジミーもマイクを握って、次々に面白いことを言ってファンを喜ばせていた。また、花束も続々届いた。上の写真の介護の女性などは、ジミーがドラムを叩いていることは知っていながらも、タキシード姿のジミーを見て、超感動していた。しかし、こんな素敵な女性が介護してくれているなんて、なんと羨ましい!俺も、年寄りになったら面倒見てもらおーっと。

後半は、いよいよジミーのドラムソロである。「スウィング、スウィング、スウィング」では、大丈夫なのか、というくらいに長めのソロを披露してくれた。左手が麻痺して殆ど感覚が無いので、手数の多さという点では全盛期の頃とは比較にならないが、リズムの正確さやマインドではずっと日本のトップドラマーだったことを彷彿させる叩きっぷりである。「テイクファイブ」のドラムソロもジーンと来るものがあった。正直言えば、「テイク・ファイブ」を演ったらまた倒れてしまうのではないかと思ったくらいで、第2部の始めには「やめておいたほうがいいですよ。」とこっそり話していたのである。

でも、ファンの皆さんは大喜び。ジミーがこんなに元気だったことを知り、安心したという方もいらっしゃった。奇妙なヘッドギアをつけているし、歩くのもおぼつかないジミーがこんなに凄いドラムを叩くなんて誰が想像したであろう。会場の中には涙ぐむご婦人の姿もあった。

「テイク・ファイブ」が終わると、時間をかけて、ボックス席のほうへ向かうジミー。誰のところに行くかと思ったら、例の介護の女性のところだった。

「どう?凄いだろ?」開口一番、ジミーがまるで子どものような口調で発した言葉だ。
「ええ。驚いちゃいました。」彼女は興奮した様子。

ドラムを叩かなければ、自分が介護する他のお爺ちゃんとなんら変わらないのだが、今日のジミーを見て、明日からのジミーに対する接し方が変わるかな?(笑)
第2部がどんどん進行する。再び渡辺明日香の歌もあり、神村英男のバンディーロの演奏もあった。そして、ラスト曲には「マック・ザ・ナイフ」。夕刻の5時10分前には全ての予定が終了した。4時間という長丁場のライブだったけど、あっと言う間だった。右の写真の白髪の男性が、今回のイベントを全て仕切ってくれた錦織氏。ジミーのご近所であり、大友人である。有難う!
楽しい宴が終わり、お客さんも徐々に帰ってゆく。だんだん寂しくなる会場。渡辺明日香など演奏者も次の仕事の現場に向かうので退却した後にも神村さんは残ってくれていて、打ち上げに参加してくれた。打ち上げにはジミーのお弟子さんやジミーの身内に加え、私も参加し、他愛の無い話で盛り上がる。しかし、さっきまで演奏していたジミーはくたくたになって、言葉数も少なかった。ご苦労様。また明日から療養生活に戻るのだ。



(左・上)JR十条駅
(左・下)十条銀座の入り口のコロッケ屋さん
     こういった惣菜屋さんが多い。

(上)十条銀座のアーケード

クィーンズアベニューでの打ち上げが終わって、私が外に出たのは、7時近かっただろうか。その後、同行者と十条の街を散歩した。そこ頃、まだスタッフは3次会と称して、焼き鳥屋に飲みに行ったようだ。ジミーは焼き鳥と鰻を食べたいと言っていた。食欲旺盛なのである。久々に長丁場のステージを務めたので無理もないか。
夕暮れの十条は次々にネオンが輝き始めた。駐車場にゆっくりと私は戻りながら、ジミーが一生懸命にスティックを振り下ろしてた姿を思い浮かべていた。日本一のジャズドラマー、ジミー竹内が病気で倒れ、75歳という年齢にも関わらず、まだ人々に勇気と感動を与えてくれるドラムを叩けることの嬉しさ、そして、ジミーを支えてくれている多くの方々がいることを改めて知った喜びをかみしめていたのは言うまでもない。

有難う、ジミー。そして、みんな有難う。
また是非、こんな素晴らしいパーティーを開きましょうね。

こうして、生涯をドラムに捧げた男の生き様を披露するパーティーが終了したのである。
(2005/6/25 Zaki)


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