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№890(2008/11/16) アキテーヌのライオン紋章

ライオンの紋章といえば、英王室のライオンが有名で、№889にもあるように、ラグビーの英国・アイルランド合同代表チームの愛称やサッカー・イングランド代表チームの愛称にもなっています。この英王室・イングランド王室の紋章が三匹の黄金のライオンになったのは、1198年プランタジネット朝のリチャード1世が紋章として定めたことによります。

ところで、ライオンは鷲とともにヨーロッパの紋章に数多く使われている素材です。

→ライオン紋章http://en.wikipedia.org/wiki/Lion_(heraldry)

ライオン紋章といっても、ライオンのポーズに何種類かあり、一般的なのが後ろ足で立つ「rampant」と右前足を上げた歩く姿の「passant」のタイプです。なかでも大陸ヨーロッパでは前者の「rampant」タイプが主流でライン川流域の諸侯を中心に数多く見られました。現代でも、ベネルクス三国をはじめ、スペイン、チェコ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの国章には、「rampant」タイプのライオンがあしらわれています。これに対し、「passant」タイプは少数派で、現代の国章ではイングランド・英国のほか、デンマーク、エストニアにみられる程度に過ぎません。このため、大陸ヨーロッパでは、イングランド王室の紋章を豹(レパード)と揶揄していたそうです。

現在のイングランド王室は、1066年フランスのノルマンディ公ギョームが、ヘースティングスの戦いに勝利しイングランド王ウィリアム1世としてノルマン王朝を開いたことに始まります。ところが、ノルマン朝では紋章が定着しておらず、イングランド王室の紋章として登場するのはリチャード1世の父でプランタジネット朝の創始者ヘンリー2世が1匹の「rampant」タイプの黄金のライオンを紋章としてからとされています。ヘンリー2世は、ノルマン朝第三代ヘンリー1世の外孫で征服王ウィリアム1世の曾孫にあたり、1154年に即位したとき既に、アンジュー伯・ノルマンディ公を受け継ぎ、アキテーヌ女公アリエノール・ダキテーヌと結婚し、アキテーヌ公領、ガスコーニュ公領、ポワチエ伯領を支配下においていました。つまり、フランス王国の臣下であったイングランド国王はフランス王国の半分以上を領地としていたわけです。

このヘンリー2世のアンジュー帝国を継いだのが獅子心王リチャード1世で、当初は二匹の左右対称の「rampant」タイプの黄金のライオンを紋章に使用していましたが、1198年三匹の「passant」タイプの黄金ラインを紋章に定めます。以後、イングランド王室の紋章として引き継がれていくことになります。

ところで、リチャード1世は、イングランドで生まれたが、アンジューおよびアキテーヌで育ち、イングランドに滞在することわずか6ヶ月は少なく、英語もほとんど話せなかったわけで、いわば、リチャード1世はフランス人であり、事実、プランタジネット朝とそれに続くヨーク朝、ランカスター朝はフランス人の王朝でした。なんとエドワード3世のとき1340年には、フランス王室の紋章である百合の紋章をイングランド王室の紋章に組み込んでいます。

→英王室紋章
http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_coat_of_arms_of_the_United_Kingdom
http://www.geocities.jp/baseball_wind21/wind9/wind847.html

フランス人王朝プランタジネット朝にとって故地は、ノルマンディでもアンジューでもなく、リチャード1世が母アキテーヌ女公アリエノール・ダキテーヌから継いだアキテーヌでした。アキテーヌは、1154年ヘンリー2世がイングランド国王即位してから、1453年百年戦争末期でイングランド軍がフランス軍に敗れ撤退するまで300年間に渡ってイングランド領でした。そのアキテーヌの紋章こそが、「passant」タイプの黄金のライオンでした。

1154~ 1189
父ヘンリー2世の紋章
1189~1198
リチャード1世の紋章
母アキテーヌ公の紋章 1198年リチャード1世
が定めた紋章



出典・参考資料 ウィキペディア