坂上田村麻呂



日本最初の征夷大将軍として有名な「坂上田村麻呂」であるが、
鬼退治の英雄としても有名な人物である。
宿敵・蝦夷の英雄:阿弓流為との対決と、3つの鬼退治伝説について語る。

人物紹介 

坂上田村麻呂の生い立ち  


渡来系・東漢氏の流れを組む一族。父は「恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱」を鎮圧した「坂上苅田麻呂」である。
「田村麻呂」の軍人としてのキャリアは23歳の時、近衛将監という下級武官から始まる。その後、数々の武勇伝を残し、34歳とき、蝦夷の「第2次征東軍」副司令官として大抜擢される。このときの位は近衛府少将であり、若きエリート軍人であった。第3次、4次蝦夷征東軍では司令官ちして「征夷大将軍」の称号を得る。彼の英雄伝説は、未だに語り継がれている。

 
蝦夷と阿弓流為との対決  

大和朝廷の本格的な蝦夷との対立は、780年まで遡る。伊治城を拠点に蝦夷と戦っていた参議・按察使:紀広純が、部下の伊治公砦麻呂により殺される。公砦麻呂は、現地官人として外従五位下に序されていたが。蝦夷と通じ、大和朝廷に反乱する。多賀城を攻め、北方に引き上げてしまう。「公砦麻呂の乱」。
781年、桓武天皇が即位して「蝦夷討伐」が本格的となる。
784年、第一回制討計画、征東将軍:大伴家持、副将:大伴弟麻呂。しかし、大伴家持の死去により計画が中止。
788年、征東将軍:紀古佐美、副将:多治比浜成が任命され、5万2800兵が蝦夷に出発。阿弓流為に率いられた蝦夷軍のゲリラ戦により大敗北。死者1000名以上
791年、第二次征東軍。征東将軍:大伴弟麻呂、副将:坂上田村麻呂により、10万の兵が出陣する。斬首457級、150人の捕虜を得、大勝利。
797年、第三次征東軍編成。このときの征東将軍に坂上田村麻呂が任命される。ちなみにこのときから「征東将軍」→「征夷大将軍」と名称が変わる。 801年、坂上田村麻呂に率いられて4万の軍が、蝦夷に向かう。この時に「田村麻呂」と「阿弓流為」が激突している。田村麻呂は、苦戦を強いられたが、胆沢城より更に北に進出するなどの成果を得る。802年、蝦夷の阿弓流為、盤具公母礼が同族500人とともに田村麻呂に降服。理由は、続く戦乱により土地が疲弊したためとも、蝦夷に農耕、養蚕文化が発展し、戦う理由がなくなったからと言われている。「阿弓流為」は、「田村麻呂」と戦ううちに「田村麻呂」に器量を認め、「田村麻呂」なら命を預けても悪いようにはしないと思ったとも言われている。「田村麻呂」も蝦夷制圧後は「阿弓流為」を現地官人として「蝦夷」を治めさせようと考えていたらしい。
802年、「阿弓流為」は、入京する。しかし、「阿弓流為」の武勇を恐れた貴族たちにより死罪を通達される。「田村麻呂」の助命もむなしく「阿弓流為」は処刑される。


鬼退治伝説 

大嶽丸

伊勢国・鈴鹿山で暴れまわっていた「大嶽丸」に帝は「田村麻呂」に3万の兵を託し討伐に向かわせる。神通力を操る「大嶽丸」は、峠を暗雲で覆い、暴風雨、雷、火の粉などで、「田村麻呂」を手玉にとる。攻めあぐんだ「田村麻呂」は、「毘沙門天」と「千手観音」に祈ると「神通の鏑矢」と「鈴鹿御前に助言を求めよ」というお告げをもらった。 「鈴鹿御前」とは鈴鹿山に住む天女で以前から「大嶽丸」が求婚を迫っているという美女であった。「田村麻呂」は「鈴鹿御前」を探し出し「助言」を求めた。
「鈴鹿御前」は「「大嶽丸」は、3つの宝剣に守られていて、それがあるうちは倒すことは不可能。ただし今、1本は天竺にあり、残りは2本だけである。幸いにも、「大嶽丸」は私には油断しているので、宝剣を奪ってあげましょう」と答えた。「鈴鹿御前」の策により、「大嶽丸」の宝剣2本を奪うことに成功した。そこで、「田村麻呂」は決戦を挑むことにする。しかし、「大嶽丸」は神通力で「田村麻呂」を圧倒する。そこで、「田村麻呂」は「神通の鏑矢」を放った。すると、「大嶽丸」の動きが封じられ、首を刎ねることに成功する。その後、「田村麻呂」と「鈴鹿御前」は結婚することになる。

しかし、この話はまだ、終わっていなかった!残りの宝剣の力により、「黄泉の国」より「大嶽丸」が蘇ったのであった。「大嶽丸」は「蝦夷」の「悪路王」の元に身を寄せ再び、「田村麻呂」に戦いを挑んだ!結局、「毘沙門天」の加護により「田村麻呂」は完全に「大嶽丸」の息の根を止める。そして再び復活しないように、「宇治・平等院」にその遺骸を封印したのである。
平等院には「宝殿」として「酒天童子」「玉藻前」「大嶽丸」の三大妖怪の遺骸が今でも封印されている。


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八面大王


信濃:有明山にいた鬼。蝦夷遠征に向かう「田村麻呂」は、有明山の鬼に住民が脅かされているとの噂を聞き、討伐に向かう。討伐に向かう途中に「清水観音」が現れ「13節ある山鳥の尾で弓矢を作れば、一矢目で、闇が晴れ、二矢目で悪鬼が滅び、三矢目で、賊徒が退散する」とのお告げを告げた。そして「力水」という「神通力」を身につける「聖水」を渡した。さっそく「田村麻呂」は付近に「山鳥の尾」を持ってくるように御触れを出した。しばらくして「弥助」という若者が「山鳥の尾で作った矢」を持ってくる。「田村麻呂」は「弥助」に「山鳥の尾」を所望したのに、なぜ「山鳥の尾で作った矢」を持ってきたのか?」と驚いて訪ねると「弥助」は自分の不思議な体験を話した。

「3年前、罠にかかった山鳥を助けたところ、若い娘が家にやってきて、幸せな生活をしていた。そして、3年後「田村麻呂」が御触れを出したころに若い娘は「山鳥の尾で作った矢」と置手紙とともに姿を消した」ということであった。

さっそく「田村麻呂」はその「山鳥の矢」を持ち「八面大王」に戦いを挑んだ。一本目の矢を放つと「八面大王」の神通力により曇っていた闇が晴れてきた。しかし、神通力のある「八面大王」に「田村麻呂」も次第に押され始める。「田村麻呂」は「力水」を飲み、「神通力」を備えるようになり、「八面大王」をバラバラに刻み込んで勝利を収めた。

しかし、まだ話しは終わらない、「八面大王」が死ぬ際に流した血が、「安曇野」の空を赤くし、「雨」となり降り注いだ。その雨に浴びた人々は原因不明の病になった。困った「田村麻呂」は「満願寺」という寺を建立し、7日7晩祈祷した。7日目の満月の日に「清水観音」が現れある「温泉」を湧かしてくれて、そこに入ると万病が治ったといわれている。そこが「中房温泉」と言われている。


>悪路王 (阿弓流為)



陸奥・達谷窟に住んでいた鬼の大王。悪路王は、あの蝦夷の英雄:阿弓流為がモデルであったとも言われている。岩手の守護神:姫神が悪路王に襲われていると察知した「観音」は「田村麻呂」に命じて悪路王の征伐に向かわせる。途中、ひとりの騎兵が軍に現れた。ただならぬ素質を見ぬいた「田村麻呂」はこの騎兵を先鋒に加えた。「悪路王」は、慎重で鉄の門を閉め、城から一歩も出てこようとはしなかった。この城は後方は岸壁、前方は海という堅固な城で、「田村麻呂」も苦戦した。その時、あの謎の騎兵が、突如5体に分身し、馬上のまま海上に進んだ、そしてどこからともなく、黄色い衣を着た20人の者が現れ、それぞれの手に的を掲げた。謎の騎兵は「これこそ、流鏑馬の射礼である!」と弓矢で、すべての的を射抜いた。この不思議な見世物は、「悪路王」「田村麻呂」の部下を驚かせて、その騒ぎに「悪路王」も「鉄の門」と開けて外に出て見物に来た。その瞬間、謎の騎兵の矢が「悪路王」の両目を射抜き、「田村麻呂」により「悪路王」は首をとられた。それを見た「悪路王」の部下は降参する。