陸軍水戸飛行場

茨城県ひたちなか市新光町552−40


水戸つばさの塔周辺 水戸つばさの塔周辺

水戸つばさの塔


水戸つばさの塔

(茨城県ひたちなか市)

陸軍水戸飛行場跡の一角にあります。



(平成17年2月6日)
由来記の碑 『由来記』の碑
(茨城県ひたちなか市)

由来記

昭和13年 ここ前渡の地に千二百ヘクタールに及ぶ水戸飛行場を設定し翌年水戸陸軍飛行学校が開校 通信 戦技 武装 高射 化学戦 自動車 特操 佐尉官等の教育と研究を実施し 東部に陸軍航空審査部水戸試験場が設置された
昭和15年 水戸南飛行場に陸軍航空通信学校が開校され 通信教育と研究を移管した
戦局の要請により昭和18年8月 明野陸軍飛行学校分校が開校 水戸校は仙台に移駐した
昭和19年6月に至るや 分校は常陸教導飛行師団に改編 精鋭空中戦士の養成と研究に加え 本土防空の作戦任務を附与された
この地にあってその職に殉ずる者および 昭和20年2月16 17日の艦載機群邀撃等により身命を捧げた者その数百八十余柱
また南飛行場に於いても電鍵を片手に華と散った者数知れず 
更に昭和19年11月以降特別攻撃隊一宇隊 殉義隊 第24振武隊 第53振武隊 第68振武隊 平井隊 誠35飛行隊の勇士七十余人は 相ついで進発レイテ沖に 台湾 沖縄海域に敵艦船を求めて突入し国難に殉じた
昭和20年4月 師団主力は群馬県新田飛行場に移動し終戦に至った
ここに終戦30周年を期し 関係者ならびに有志相計りこの戦跡を後世に伝え 殉国英霊の偉業を顕彰し 祖国永遠の平和を祈念して この塔を建立す

昭和50年5月3日
水戸飛行場記念会

(石碑銘文より)

水戸つばさの塔 水戸つばさの塔

設計製作 圓谷良夫
施行 中野組石材工業株式会社
昭和50年5月吉日 建立

碑文
散る桜 残る桜も 散る桜

菅原道大 書
水戸つばさの塔



水戸つばさの塔






(平成17年2月6日)

建立の経過

昭和41年8月21日
水戸飛行場ゆかりの会を開催、慰霊塔の建立を決議した。
昭和42年1月21日
水戸飛行場記念会を結成し、水戸つばさの塔建立委員会が発足した。
建設用地を借用するため旧那珂湊市を通じて、防衛施設庁、大蔵省、ならびに米軍に陳情を重ねること8年間、上京は二十数回に及んだ。
昭和48年3月15日
射爆場が全面返還され、塔建立の募金運動が開始された。
昭和50年3月22日
国と旧那珂湊市との間に、つばさの塔公園用地として、5千平方米の国有地の管理委託契約が完了、ただちに塔の建設工事に着手した。
昭和50年5月3日
竣工除幕式ならびに慰霊祭を執り行い、名称を水戸つばさの塔奉賛会と改めた。
昭和50年8月15日
第2回慰霊祭を挙行。
以後毎年慰霊祭を執り行い現在に至っている。

つばさの塔の概要

所在地:茨城県ひたちなか市新光町552−40 元水戸飛行場内
設計:東京都新制作協会 円谷 良夫
諸元:
ブロンズ像 高さ1.2米 つばさと日本刀を象徴
塔柱 高さ3.1米 白みかげ石
台座 高さ0.87米 白みかげ石
階段 高さ1.0米 白みかげ石
計 高さ6.17米 総重量27屯

奉賛会と現況

名称会長
水戸つばさの塔奉賛会 会長 星田 皎(少候22期)
目的
水戸(東)飛行場跡地に建立した塔を護持し、管理運営のための奉賛を目的とする。
組織
本会の会員は元水戸陸軍飛行学校、仙台陸軍飛行学校分校、陸軍航空通信学校、明野陸軍飛行学校分校、常陸教導飛行師団、水戸教導航空通信師団、陸軍航空審査部水戸試験場に在籍の軍人、軍属およびそのご遺族ならびにこの趣旨に賛同される一般の方々をもって組織する。
事業運営
年1回殉国者の霊を招魂して、慰霊の式典を執り行う。
つばさの塔護持のため常に周辺の清掃作業を行う。
会員相互の親睦、教養、融和をはかる。
その他目的達成のため必要な事業を計画する。
現況
平成6年11月1日、旧勝田市と旧那珂湊市が合併して「ひたちなか市」となる。
平成8年、前面の道路拡幅工事により、用地が1千平方米減少して4千平方米となる。
平成16年10月17日、第31回慰霊祭を挙行。
今回までに合計1,077柱の御霊が合祀されている。

※水戸つばさの塔奉賛会・事務局長の佐藤様より資料をお送りいただきました。

(平成17年3月14日追記)

御手洗 御手洗
(茨城県ひたちなか市・水戸つばさの塔)



この御手洗みてらいはかつて本部前の航空神社に奉納されていたもので正面には当時の常陸教導飛行師団所属機が尾翼につけたマークが刻まれている

昭和52年1月吉祥日
水戸つばさの塔奉賛会

(説明板より)

陸軍航空通信学校門柱



陸軍航空通信学校の門柱
(茨城県ひたちなか市・水戸つばさの塔)




(平成17年2月6日)



この校門は昭和15年陸軍航空通信学校が開校された元の所在地(水戸市住吉町)附近の畑に破損したまま放置されていたものをここに運び開校当初の原型通りに復元したもので表題字は同校元副官山口敦氏の揮毫である

昭和56年4月16日
水戸つばさの塔奉賛会

(説明板より)

プロペラ プロペラ
(茨城県ひたちなか市・水戸つばさの塔)
プロペラ プロペラ

(後から見たところ)



このプロペラは昭和20年2月16日の艦載機大空襲の際に当飛行場から迎撃に飛び立ち激闘のすえ壮烈な自爆を遂げた戦友(不詳)の最期を偲ぶもので昭和51年8月11日日立港沖合の海底から引揚げられたものである

寄贈者
本体一式 那珂湊市 市川辰次郎殿
鉄骨製作 那珂湊市 岸 繁殿
基礎工事一式 勝田市 石田定信殿

昭和52年1月吉祥日
水戸つばさの塔奉賛会

屠龍のエンジン 二式複座戦闘機(キー45屠龍)のエンジン
(茨城県ひたちなか市・水戸つばさの塔)

後に釣り下がっているのは屠龍の増槽タンクか?
エンジンは大洗沖で漁船の網にかかり引揚げられたものとのこと
ハウスベック少尉の顕彰碑 ハウスベック少尉の顕彰碑
(茨城県ひたちなか市・水戸つばさの塔)

碑文

水戸砲術地区分遣隊長ハウスベック少尉は明朗快活なる典型的なアメリカ軍人として部下将兵及我々日本人の尊敬と親愛とを受け着任以来軍務に精励されて居たのである
偶々昭和21年9月9日飛行訓練中事故に依り不幸にして殉職せられたる事は洵に痛惜に耐えない
我々は此の遺徳を偲びて茲に碑を建て故少尉の不滅の徳を永久に讃へるものである

譯文

陸軍少尉
グレゴリ―・シー・ハウスベック
生年月日
1925年(大正14年)4月30日
北米合衆国ミシガン州サギナウ町
水戸砲術地区分遣隊長
昭和21年3月24日より同年9月9日
死亡月日
昭和21年9月9日


昭和21年12月25日建立
故ハウスベック少尉遺徳顕彰会
水戸 北川北仙謹刻


明野飛行学校水戸分校

昭和18年8月、B-29対策の一環として、防空戦闘に関する教育と研究のため設置。
研究の主体は高高度戦闘および夜間戦闘。
昭和19年2月初旬、陸軍航空士官学校56期卒業の12名が複座戦闘機班(二式複座戦闘機”屠龍”)に着任。
2月10日、礒野一清少尉が、2月20日に飯野政司少尉が離陸直後の失速事故で殉職。
残り10名は昭和19年5月まで訓練を続け複戦装備の各戦隊に赴任する。
6月10日、熊谷飛行学校の助教13名が着任し複戦の未修を始める。
6月20日付で水戸分校は常陸ひたち教導飛行師団として独立する。

参考文献:渡辺洋二著・「双発戦闘機屠龍」

(平成17年2月15日記)


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