西村勝三像 (平成18年8月30日)

西村勝三 にしむら・かつぞう

天保7年12月9日(1837年1月15日)〜明治40年(1907年)1月31日

千葉県佐倉市・佐倉市民体育館前でお会いしました。


佐倉藩側用人の子に生まれ、佐野藩で砲術助教を勤めたが脱藩。
横浜で修業ののち、慶応3年(1867年)江戸で伊勢勝商店を開業。
戊辰戦争では大総督府御用達として武器売買で巨利を得た。
明治3年(1870年)伊勢勝造靴工場・製革工場を設立して軍靴を製造、『甲申事変』で経営を軌道に乗せ、近代的製革・製靴業の先駆者になった。


西村勝三翁像



西村勝三翁像

(千葉県佐倉市・佐倉市民体育館)

昭和59年3月15日建立



(平成18年8月30日)

西村勝三翁の業績

この地を下った所には、曽て佐倉藩の士魂を磨いた「成徳書院」の武道場があった。
その武道場を、断乎改造して、製靴の業を教えたのが、西村茂樹(1828〜1902)・勝三(1836〜1907)の兄弟である。
大塚岩次郎(大塚製靴創始者)もここでその業を習った一人であった。
時に明治4年7月であり、この月には「廃藩置県令」が出されている。
佐倉藩の士族授産行政は、この様にまさに間髪を入れぬ素早さと、先見に富んだ大胆なものであった。
茂樹は当時佐倉藩大参事であり、勝三はその前年3月15日日本初の製靴工場を築地入船町5丁目1番地に建てていた。
父西村芳郁は、成徳書院の前身「温故堂」の頭取となり、又支藩佐野藩への附家老も勤めた有能の士で、母楽子は、佐倉藩士荒井宗輝の長女であった。
勝三は初め佐野藩の禄を喰んだが、安政3年(1856)脱藩し、その後武士も捨てて、佐野の豪商正田利右衛門と横浜に出て貿易に従事した。
やがて明治2年(1869)大村益次郎から製靴をすすめられ、弟の綾部平輔と製革製靴事業創始を決意して断髪した。
断髪令に先立つこと2年であり、この決意に感動して、高見順は「日本の靴」を著したほどである。
勝三翁の創業は「伊勢勝製靴場」といったが、その後「桜組」と改称、更に大同合併して皮革は「日本皮革株式会社」、靴は「日本製靴株式会社」として今日の大をなす源となった。
翁は又、正田利右衛門から製鉛法の研究を託され、それが耐火煉瓦の研究となり、明治8年「伊勢勝白煉瓦製造所」に結実し、之が後「品川白煉瓦株式会社」となり、今日の盛業を見るに至った。
本碑及び像周辺の煉瓦は、特に寄贈された同社製の耐火煉瓦である。
翁は又、ガス・ガラス・靴下・洋服等々の事業も手がけ、夫々の業界の先達と仰がれている。
この様に勝三翁の生涯は、日本工業の創業の苦闘の歴史そのものであった。
翁の無二の理解者であり、且つ最大の協力者であった渋沢栄一は「西村翁はいつも国益を優先し、自己の利害を顧みず、百難を排して日本の工業を創始した。」と、その士魂商才の面目を絶賛している。

(碑文より)


近代硝子工業発祥の地碑



近代硝子工業発祥の地碑
(東京都品川区北品川4−11−5・三共株式会社)





(平成20年5月18日)

碑文

此ノ地ハ本邦最初ノ洋式硝子工場興業社ノ跡デアル
同社ハ明治六年時ノ太政大臣三條實美ノ家令丹羽正庸等ノ發起ニヨリ我國ニ始メテ英國ノ最新技術機械施設等ヲ導入シ外人指導ノ下ニ廣大ナ規模ト組織ニ依テ創立サレタモノデアル
然ルニ最初ハ技術至難ノタメ経営困難ニ陥リ同九年政府ノ買上ゲル所トナリ官営ノ品川硝子製作所トシテ事業ヲ再開シタ
同十七年ニハ再ビ民営ニ移サレ西村勝三其ノ衝ニ膺リ同廿一年品川硝子會社トシテ再興ノ機運ヲ迎ヘタガ収支償ハズ同二十六年マタマタ解散ノ已ムナキニ至ッタ
其ノ間育成サレタ技術者ハ東西ニ分布シテ夫々業ヲ拓キ斯業ノ開發ニ貢献シ本邦硝子工業今日ノ基礎原動力トナリ我國産業ノ興隆ニ寄與スル所頗ル大ナルモノガアッタ
吾等ハ其ノ業績ノ偉大ナルヲ偲ビ遺跡ノ保存ヲ圖ッタガ會々此ノ擧ニ賛シタ 三共株式會社ハ進ンデ建設地ヲ無償提供サレタ
斯クテ有志ノ協賛ト相俟ッテ今茲ニ由緒アル發祥地ニ建碑先人ノ功ヲ不朽ニ傳フルヲ得タノデアル

昭和40年12月

官営品川硝子製造所跡



官営品川硝子製造所跡
(東京都品川区北品川4−11−5・三共株式会社)





(平成20年5月18日)

品川区指定史跡
官営品川硝子製造所跡

所在 北品川4丁目11番5号 三共株式会社
指定 昭和53年11月22日(第8号)

日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治6年(1873)に東海寺境内に創設された興業社こうぎょうしゃである。
興業社は、明治9年(1876)に工部省こうぶしょうに買収されて官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。
明治18年(1885)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治25年(1892)に解散した。
昭和36年(1961)に官営時代の建物は取り片付けられたが、煉瓦造りの工場の一部は、明治初期の貴重な建築物として、愛知県犬山市の明治村に移築され保存されている。

平成6年3月31日
品川区教育委員会

(説明板より)


西村勝三の墓



西村勝三の墓
(東京都品川区北品川4−11−8・東海寺大山墓地)





(平成20年5月18日)

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