帰国の途に着く

(包頭〜北京)


平成18年6月20日(第5日目)
ホテルの前の道 ホテルの前の道

車道も歩道もたっぷりとした広さ。
道路には商店が建ち並んでいます。
観光客なんかこない町ですから、”お土産屋”なんていうものはありません。
全て生活用品を売っている店だけです。
早朝には歩道を掃除していました。(これには感心!)

遂に伊金霍洛旗(エジンホロキ)を去る日が来てしまいました。
当初は1日がなかなか終わらないなぁ〜と思っていましたが、もう帰るのか?
この旅が意外と早く終わってしまうのに驚く。

朝食後、直ちにバスで『包頭』へ向かう。

市場 『包頭』の市場を散策

昼食まで、しばし時間があるとのことで市場を散策する。
”迷子”が出たのでは大変なので、私はこの市場の中を3往復して人員の把握に努める。
何度も行ったり来たりしているものだから、お店の人から声をかけられるが・・・中国語で話しかけられてもねぇ〜
果物屋さん 果物屋さん
饅頭屋さん 饅頭屋さん

買って食べてみたいけど今から昼食だからねぇ〜
我慢。

さて、『包頭』には戦時中、機動歩兵第3連隊が駐屯していた。
機動歩兵第3連隊というのは騎兵第14連隊が昭和16年に改編されて作られた部隊。
改編前の騎兵第14連隊時代には、この『包頭』で中国軍と大きな戦闘もしている。
この騎兵第14連隊は私の祖父が徴兵で入隊して、ここから職業軍人としての人生をスタートした部隊。
この部隊が『包頭』に来ている頃は、祖父は既に異動で他部隊に転出していたから祖父はここには来たはずはないのだが、なんとなく親しみを感じるのです。

今回のツアーに、この騎兵第14連隊出身の方が参加していた。
参加者最高齢の85歳。
祖父亡き後、伯父が騎兵第14連隊の戦友会にも顔を出していたこともあり、また一緒に緑化活動をしていたこともあってお孫さんを連れて”散骨式”に参加してくれた。
当時の話などをお聞かせ願いたいと何度か試みたが、他の参加者に話の途中で話題を変えられてしまったり、邪魔をされたりで(故意ではないでしょうが・・・・)、結局、ろくな話も出来ぬままになってしまった。
話の続きは帰国後にでも・・・と再会を約す。

昭和18年頃の事。連隊長は吉松さん。
この吉松さんは軍人としては異色の人だったかもしれない。
緑の少ない『包頭』に植樹をすることを部下に命じたのだから・・・・
『包頭』周辺に駐屯する各大隊に命じて、それぞれ50万本を目標に植樹をしていたのである。
そして、『包頭』には植樹を記念した”興亜植植樹公園”も作ったのである。
この公園には町の人々も憩え、釣りを楽しめる池も作っていた。
この吉松部隊が植樹した木はどうなっているだろうか?記念公園はどうなっているのだろうか?
それを確認できたら・・・・と思ったのだが・・・・
ガイドさんに聞いても、そういう話は聞いたことがないと言う。
そういう公園は知らないと言う。
そんな馬鹿な・・・・

日本軍がしたことは全て否定されているのか?
”中国4000年の歴史”などと、いかにも歴史を重んじているようなことを言っている割には・・・これだ。
中国の歴史とは何なんだ?自分の都合の良い歴史だけが歴史か?
日本軍が行った”良い行い”は後世に伝えないのか?
だから私は中国が嫌いなんだ。
個人旅行なら探し回るところなのだが、団体旅行ではそれは無理。
もし、この公園や植樹した木の場所がわかれば、参加者の皆さんにも見ていただき、このエピソードをご披露したいと思っていたのだが・・・残念。

昭和18年7月、黄河の大洪水で、『包頭』南方の『東大社』という部落にいた中国人の老人や婦女子約250名が水中に孤立するという災害が起こった。
この部落の男子は出稼ぎで不在とのことで、この地区を警備していた連隊が救出に向かったのである。
この救援で、関沢兵長が水死。
その後、村の人が、”東洋英雄 関沢兵長之碑”を建てて慰霊をしてくれたという。
その碑も見られれば・・・・と思ったのだが・・・・
ガイドに聞いたら『東大社』という部落はない、と言う。
そういう慰霊碑も知らないと言う。
またもやか・・・・

戦後、村は消滅したのか?それとも村の名前が変わったのか?
慰霊碑は破壊されたのか?
中国共産党がやることだからなぁ〜
歴史が消されている!

伯父の散骨以外に、実はこれらの目的も秘して私は参加していたのだが・・・・
残念ながらこれは実現できなかった。

日本軍の”善行”の証拠を見つけることが出来ないまま『包頭』を去る。

包頭空港 包頭空港

行きは寝台列車、帰りは飛行機
ここから約1時間で北京に着く。

空港の”安全検査”はかなりうるさい。
ペットボトルやタバコの箱も開けて臭いを嗅ぐ。
私は持参していたペンライトの中身も確認された。
ボディーチェックも厳しいので、私はズボンのベルトまで外して”ゲート”を通過。
無事”ピンポ〜ン”が鳴らずに済んだのだが・・・・
他の参加者は”ピンポ〜ン”の連続で、靴まで脱ぐはめになっている。
事前に教えてあげているのに何故か言うことを聞いてくれない。困ったもんだ。
おかげで搭乗口に行くまで時間がかかること、かかること。
ボディチェックする係員は若い女性。彼女らに体を撫で回されてニコニコしているのには参った!
まさかこれが目的で、私の忠告を無視していたのではあるまい???
午後3時25分発の飛行機が1時間遅れで離陸。

万里の長城? 万里の長城?

台北に着く直前、”万里の長城”らしきものが見えた。
山の稜線に沿って城っぽい白い筋がジグザグに続いている。
もしかして、かの有名な”万里の長城”か?

北京空港到着 北京空港到着

到着が予定より1時間も遅れたので、当初予定されていた”買い物ツアー”は中止となる。
まっすぐレストランへ向かい夕食。
ところが、食事が終わる頃になりウェイトレスが”お土産品”の押し売りを始めた。
はぁ?呆れるほかはない。

ホテルの部屋 北京のホテルの私の部屋

初日に泊まった”華都飯店”に最終日も泊まる。
当然のことながらエジンホロキのホテルよりはまともです。
平成18年6月21日(第6日目・最終日)

午前5時起床。
朝食後まっすぐ空港へ。
今回のツアーの最後の2日間は移動だけで終わってしまった。
物足りない気もするが、これもやむを得ないか・・・・・内モンゴルだからなぁ〜
9時40分発CA925便で帰国。
時間通りの離陸。本当はそれが当たり前なのだが、時間通りに離陸したことに驚く。
成田到着後、簡単に解散式を行い、我々茨城からの参加組は迎えのバスで帰宅したのでありました。

〜終わり〜


   (付録へ続く)


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