十字架山

(パロ郊外)


5月6日

朝早いというのに、ビッショリと汗をかくほど暑い。
さて、次はどこへ行くのかな?(私は大まかな訪問地は指定していたが、ルートはドミン任せ)
ドミンに尋ねたら「ヒル522」へ行くという。
はぁ?「ヒル522」って何?

案内板 ヒル522の案内板

ヒル522は米軍が付けた名前。
パロの町の北にある丘で高さが522フィートあるので、ヒル522と名付けられたという。
日本軍名は「十字架山」
山の頂上に十字架が建っているので、そう名付けられた。
フィリピンではギンハンダンと呼んでいる。

幹線道路から細い脇道に入りしばらく進むと直角に曲がる。
そこが「十字架山」の裏手になり、そのふもとに慰霊碑がある。

十字架山 十字架山

昭和19年10月20日にレッドビーチに米第24師団が上陸。
その米第19連隊第1大隊がこの山を攻略しに来た。
ここはタクロバン街道とカリガラへ向かう2号線の分岐点という重要拠点。
この十字架山を守る日本軍は第16師団(京都)隷下の歩兵第33連隊(三重県・津)第3大隊。
パロの町一帯には、この第3大隊と連隊本部がいました。
上陸と同時に米軍は艦砲射撃の集中攻撃をかけてきました。
この砲撃で歩兵第33連隊長・鈴木辰之助大佐は全身に砲弾の破片を受け、10月23日未明に拳銃自殺をしたという。
10月20日には十字架山の頂上を米軍に占領され、21日にはパロの町に米軍が侵入、これに対して激しい斬込み等の反撃を繰返しましたが、10月25日にはパロの町は完全に米軍の手に落ちました。
米軍の記録によればこの地区を攻撃した米第24師団は日本兵1,928名の戦死体を埋葬したといいます。


戦後、歩兵第33連隊第3大隊の生還者は2人だけだったそうです。
(参考:筒井忠勝著『レイテ生き残り記』)

(平成18年1月8日追記)


供養塔 供養塔
比島戦没者供養塔 比島戦没者供養塔
永平慧玉納書

September 1978
曹洞宗三重県第一宗務所 建立

碑文は英文で記されていました。

This is the tower erected for the repose of many war deads souls on the fields in the Philippines during World War U.
We pray sincerely for the worlds eternal peace.

September,1978

発願者
日本国曹洞宗三重県第一宗務所 建立
供養塔台座の穴 供養塔の台座に穴が・・・・

山下財宝(山下奉文大将が隠したという財宝)探しの跡だという。
山下財宝探しの穴 供養塔の石段のふもとの大木の側に、3箇所ばかり深い穴が掘られていました。
これもまた、山下財宝探しの穴だそうです。
(こんなところにあるわけないってば!)

      


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