海岸のトーチカ

(サンホセ・ホワイトビーチ)


5月7日

時刻は12時半。
今度は、タクロバンに向けて海岸線を北上。
12時40分、トロサという町を時速80kmで通過。
午後1時にタクロバン市に到着し、コカコーラ・ジャンクション(Coca−cola Junction)にある食堂で昼食。
その食堂は小さな小さな食堂でした。
6人も入ったら満席になるようなお店です。
昼食代は3人で177ペソ(354円)なり。

1時半、出発。
トーチカが残っている場所があるというので、そこへ向かいました。
場所は、海岸にあるレイテ湾コンベンションセンター。
LEYTE GULF CONVENTION CENTER
ここに2つのトーチカが残っていました。

1つ目のトーチカ 1つ目のトーチカ

ちょっと目立ちません。
ただのコンクリートの土台のように見えます。

海岸のトーチカ 海岸のトーチカ

JAPANESE PILLBOX
WHITE BEACH,SANJOSE,TACLOBAN CITY
BUILT BY THE JAPANESE IMPERIAL FORCES DURING WORLD WAR U AS PART OF THE FORTIFICATION AGAINST THE ALLIED LIBERATION FORCES LED BY GEN.DOUGLAS MACARTHUR ON D−DAY,20 OCTOBER 1944.
THE UNITED STATES MARINES CAPTURED AND USED IT AS SHELTER FROM AERIAL BOMBARDMENTS BY JAPANESE PLANES.
AS WAR RELIC,TEH DIO ISLAND RESORT HAS MAINTAINED AND PRESERVED IT FOR POSTERITY.

記念碑の碑文によれば、この日本軍のトーチカ(PILLBOX)は米軍が奪取した後、日本軍の航空攻撃から身を守るためシェルターとして使用されていたそうです。

トーチカ 2つ目のトーチカ

コンベンションセンターの入口の前にありました。
トーチカの内部 トーチカの内部

昭和19年10月20日、米軍上陸正面の北端である、この「ホワイト・ビーチ」に上陸したのは、米第1騎兵師団。
対する日本軍守備隊は歩兵第33連隊第1大隊の一部。
しかし、前日の艦砲射撃による打撃が大きかったため守備隊は山のほうへ退避していたという。
このため、米軍の上陸に対しての抵抗は散発的なものだったといいます。

ホワイト・ビーチ ホワイト・ビーチ

トーチカのある場所から北(サンホセの空港方向)を見る。

ホワイト・ビーチ ホワイト・ビーチ

トーチカのある場所から南(パロのレッド・ビーチ方向)を見る。

さて、時刻は1時50分。
「もう一ヶ所ぐらい回ろうか?」とドミン。
しかし・・・マニラへ帰る飛行機は4時35分発。
少なくとも1時間前には空港にいなければならないから・・・・
1時間半ぐらいしか余裕はなさそうです。
危ないなぁ〜
途中でモタモタしたら乗り遅れるかもしれないなぁ〜
よし!諦めよう!空港へ行くぞ!
約10分で空港に到着。
いくらなんでも早く着きすぎたかな?

2日間ご機嫌斜めの運転手に別れを告げて、PR194便でマニラへ。
空港税は二人で60ペソ(120円)
運転手へのチップは100ペソ(200円)

マニラ空港では、エルニーが迎えに来ていてくれました。
彼と一緒に送迎車でパビリオンホテルへ。
チェックインを済ませて・・・・さぁて、コーヒーでも飲みますか。
ドミンは、さっさと帰っちゃったので、エルニーとレストランへ行ったら・・・・
そこにはステラさん(エルニーの奥さんです)と日本人のK氏がコーヒーを飲んでいました。
あれ〜!何でここにいるの?
K氏は先月2回ほど慰霊祭でお会いした方。
マニラに到着したばかりとのこと。
午後9時のバスで北部山岳地帯に行き、その後、別の島に行くという。
3時間ほどホテルでおしゃべりして、その後、ホテル近くの中華料理店で夕食を一緒に食べて見送りました。

K氏を見送って、私の部屋でエルニーとおしゃべり。
1年ぶりの再会ですから話が弾む、弾む。
やっと風呂に入れたのは午後11時。
やっぱりバスタブのお湯に浸からねば・・・・・う〜ん、最高だぁ〜


地図


      


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