野砲兵第1連隊の慰霊碑

(リモン峠)


5月6日

第1師団慰霊場に別れを告げて更に坂道を下ります。
すぐに野砲兵第1連隊の慰霊碑のある場所に到着しました。

慰霊碑のある場所 道の右側に英文のプレートがあります。
場所は『KM976K13』の道標がある場所。
KM976はマニラから976kmということか?
K13はカナンガという町まで13kmという意味です。
慰霊碑への入口 慰霊碑への入口

石段の右側に英文のプレートがあります。
英文で書かれているというのは良いことだと思います。
これなら現地の人にもわかってもらえるでしょ?
REQUIESCAT IN PACE
THE 1ST FIELD ARTILLERY REGIMENT THAT WAS CROWNED WITH THE OLDEST GLORY OF THE JAPANESE ARMY,PARTICIPATED IN THE DECISIVE BATTLE OF LEYTE AND ALL ITS SOLDIERS DIED WITH HONOR IN THE BRAVE AND COURAGEOUS FIGHTING THAT TOOK PLACE IN THIS ISLAND LAST WORLD WAR U.

WE,THE ASSOCIATION OF HOO−1,HEREBY NAME THIS AREA ”HOO−1 HILL” THE MAIN POSITION OF THE ABOVE REGIMENT DURING THE MOST SEVERS BATTLE IN LEYTE,AND BUILD A CENOTAPH TO COMMEMORATE THE HONORABLE SOULS AND OFFER OUR SINCERE PRAYERS TO ALL THOSE WHO SACRIFICED THEIR LIVES DURING THE WAR.

WE HOPE THAT THIS MONUMENT WILL SERVE AS A SYMBOLIC FOUNDATION FOR THE PEACE OF THE WORLD AND STRENGTHEN THE TIES OF FRIENDSHIP BETWEEN THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES AND JAPAN.

NOVEMBER 1982
THE ASSOCIATION OF HOO−1

ここは野砲兵第1連隊の連隊本部・第1大隊・第3大隊が展開していたリモン南高地西側ではないだろうか?
昭和19年11月12日に展開を完了し、翌日には米軍に対して初弾を発射。
しかし、15日からは三方から敵の攻撃を受けて砲の殆どが破壊されてしまい、銃を取って戦っています。
12月1日、砲3門に減少。
12月6日には完全に孤立してしまい、連隊長熊川致長大佐以下の残兵は独断で西方山地に脱出しました。

鎮魂の碑 『鎮魂』の碑
碑文
日本陸軍最古の栄誉に輝く野砲兵第1聨隊は太平洋戦争に於いてレイテ決戦に参加し勇戦敢斗の末聨隊長以下カンギポット山麓に玉砕した
本決戦最大の激戦地リモン峠周辺第1師団の戦斗に際し聨隊主力の陣地であった此の地を砲一台と名付け碑を祀り鎮魂の祈りを捧げると共に日比親善と世界平和の礎石たらしめんとするものである

昭和57年11月建之
砲一会
木製の慰霊碑 碑の後に木製の『野砲兵第1連隊戦没者慰霊碑』が立てかけられていました。
文字が消えかかっているかなり古いものです。

慰霊碑のある場所 慰霊碑のある場所

慰霊碑は中央の大きな木の下にあります。
手前のバスケットボールのコートは最近出来たもののようです。
ドミンが「昔はこんなものはなかった・・・・」と言っていました。


      


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