市川団十郎像 平成17年1月20日

市川団十郎(9代目) いちかわ・だんじゅうろう

天保9年10月13日(1838年11月29日)〜明治36年(1903年)9月13日

東京都台東区浅草・浅草寺でお会いしました。


江戸の歌舞伎界で「宗家」と呼ばれた特権的名家で、江戸前期から12世を数える。
屋号は成田屋。
9代目の本名は堀越秀。
7代目市川団十郎の五男。
近代随一の名優で「劇聖」と呼ばれた。
演劇改良に熱心で活歴物かつれきものを次々と上演し、後年には古典にも近代的演技術を導入して後世への軌範を残した。


九代目市川団十郎像



九代目市川團十郎


(東京都台東区浅草・浅草寺の大型バス駐車場脇)



(平成17年1月20日)



大正8年 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の浅草寺境内に 劇聖と謳われた明治の名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られました
この銅像は 近代彫塑の先駆者新海竹太郎氏の傑作であり 歌舞伎の象徴として全國の人々から親しまれておりました
ところが第二次世界大戦中の昭和19年11月30日金属類回収のため この「暫」の銅像も供出の命を受け 四十余年を経てまいりました
この度 十二代市川團十郎襲名を機に 復元の気運が高まり 浅草寺の御理解のもと 多くの方々に御尽力を賜り ここに「暫」の銅像が再現されました
十一代目並びに十二代市川團十郎父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられたことになります
こののちも 歌舞伎の隆盛とともに この「暫」の銅像が歌舞伎の象徴として 日本國民はもとより世界の人々からも 幾久しく愛されますことを願ってやみません

昭和61年11月3日
宇野信夫撰書

九代目市川團十郎「暫」銅像復元建設委員会
十二代 市川團十郎
浅草観光連盟
松竹株式会社

(説明碑文より)


年表

天保9年 1838年 1歳 生後7日目で河原崎座の河原崎権之助の養子となる
河原崎長十郎と名乗る
徳川斉昭
将軍に内憂外患を説く
嘉永3年 1850年 13歳   国定忠治処刑(41歳)
嘉永5年 1852年 15歳 河原崎権十郎と改名  
嘉永6年 1853年 16歳   ペリー浦賀に来航
嘉永7年 1854年 17歳 兄の8代目市川団十郎が19歳で自殺。  
安政2年 1855年 18歳   江戸大地震
藤田東湖圧死
安政5年 1858年 21歳   安政の大獄
万延元年 1860年 23歳   桜田門外の変
井伊直弼害死
明治元年 1868年 31歳 養父の権之助が強盗に殺害される  
明治2年 1869年 32歳 7代目河原崎権之助を襲名  
明治5年 1872年 35歳 新橋横浜間鉄道開通
明治6年 1873年 36歳 義弟に8代目として河原崎権之助の名をを譲る  
明治7年 1874年 37歳 市川家に戻り九代目市川団十郎を襲名  
明治10年 1877年 40歳   西南の役
明治11年 1878年 41歳 演劇改良運動に力を注ぐが大衆から反発や不評を買う 大久保利通暗殺
(49歳)
明治16年 1883年 46歳   鹿鳴館落成
明治20年 1887年 50歳 明治天皇の前で展覧劇を上演
役者の社会的身分の向上に貢献
東京に電燈がつく
明治22年 1889年 52歳   大日本帝国憲法発布
明治31年 1898年 61歳   岡倉天心
日本美術院創立
明治33年 1900年 63歳   北清事変
明治36年 1903年 66歳 逝去 滝廉太郎没(25歳)
5代目尾上菊五郎没
(60歳)

市川団十郎  歌舞伎



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