兵站自動車第35中隊


「祖国よ永遠に」の碑

北支兵站自動車第三十五中隊従軍記念碑
祖国よ永遠に
元中隊長 木村鈞 書
(愛知県幡豆郡三ヶ根山・比島観音霊場)




(平成17年4月3日)

兵站自動車第35中隊従軍記念碑

昭和12年8月25日、北支事変勃発するや逸早く、名古屋輜重第3連隊で、木村鈞を隊長に、兵站自動車第35中隊が編成され、直ちに北支豊台に進駐し、保定、正定、石家荘へ一挙に進撃、難攻不落を誇った、山西省娘子関旧関の要衝を激戦の末これを突破、陽泉、寿陽を経て太原を占領すると共に、直ちに石家荘に反転、爾来、彰徳、邯鄲、新郷を攻略し、北支の占領に多大の貢献を成す。
昭和13年6月、派遣全部隊による徐州大作戦に参加、新郷より河南省蘭封へ黄河の渡河作戦を強行、敵軍の後方遮断に出撃するも多数の優勢なる中国軍に苦戦を強いられ、開封附近の黄河堤防の決潰による混乱の中漸くにして水なき黄河を渡り新郷に帰還することを得た。
徐州作戦に全軍の精鋭を投入せしため各地留守部隊の劣勢を見込み、山西省に新4軍蟠る、、直に之を掃滅せんと急遽山西省臨粉方面に移動中、沁水鎮東■嶺附近山岳地帯に待ち受けた大軍と死闘を繰り返し車両の大半を焼失する。
更に幾多の戦友を失い戦傷者多数を出し危く翼城えの脱出に成功する。
その後は北支五省民生の安定に尽力すると共に正太、同蒲線の鉄道改修及び占領部隊の必需品の輸送に専任、楽土建設治安維持に努めた。
昭和15年2月、第二次五原作戦始るや、邯鄲より包頭に転戦し極寒零下40余度の中を奮戦、要衝五原を攻略大いに戦果を挙げた五原作戦を最後に天津に集結し部隊は任務を終了する。
其の間実に2年8ヶ月であった。
今われわれは相集いわが名誉ある第35中隊従軍の感激を思い出し、幾多の戦友が皇国の勝利を信じつつ戦死あるいは不幸にも戦病死された諸英霊を慰め且つその功績を讃える。
常に護り続けて来た祖国の安泰と、滅私奉公、報国の精神を子々孫々に伝えると共に、之を受け継ぎ、以って世界平和の確立を永久に祈念すべく、終戦40周年に当り、太平洋を一望出来る景勝の地、ここ三ヶ根山頂に、この意義ある従軍記念碑を建立する。

昭和60年12月吉日

※ ■はパソコン上で表示不可能な文字です。


 トップページに戻る   陸海軍部隊のリストに戻る