原脩次郎像 平成16年12月25日

原脩次郎 はら・しゅうじろう

明治3年・4年(1871年)〜昭和9年(1934年)3月6日

茨城県土浦市・土浦城でお会いしました。


京都府出身。
明治28年(1895年)台南弁務署長として台湾に赴任、のち台湾総督府警視補。
退官して実業界に入り台湾で活躍。
大正元年(1912年)帰国し、衆議院議員選挙に奥さんの郷里の茨城県から出馬。
衆議院議員当選5回。
民政党総務。
昭和6年(1931)第2次若槻内閣の拓務相、ついで鉄道相に就く。


銅像碑文

前鐡道大臣従三位勲二等原脩次郎君銅像銘
昭和9年3月6日前鐡道大臣原脩次郎君薨
天子遣使賜賻10年3月郷人相■■銅像■土浦公園使余銘之君本京都人幼而俊邁有大志長■東京修■■
明治28年赴臺灣経臺南辯務署長進總督府警視補保安■長■民■蕃功績大著
37年罷歸卜居土浦土浦夫人之郷里也
謂此土風光明媚可以■永住地及移籍為茨城人静臥者數年■光是有賀田金三郎有従事臺灣東部開拓以蕃禍朗■赴為憂厚禮聘君
君概然許諾尾往而■之■人聞君名畏不敢近民庶来聚漸作■落製糖伐材發電等事業相継■■會社■推君要職名望益隆
大正元年歸郷選為衆議院議員爾後當選■5回■民政黨為其總務又頗盡力郷黨
昭和6年4月任拓務大臣列若槻内閣叙従三位勲二等尋轉鐡道大臣未■内閣更迭
君亦■人期其再出■■■送■赴享年64聞者莫不■惜焉君■幹雄偉資性剛毅主忠信■■■■言■■行果正生無他嗜好悠唯愛書■■揮灑自■■日■山日紫■■■■■■余曽■臺灣過花蓮港市■■扁多君書居民稱其徳業■措■■■人之前■追慕欽仰共謀不朽者豈為無故■■銘曰
■■■山 維樹蒼蒼 湛仗霞浦 維水洋洋 如山之高
■■■■ 伊人■逝 ■徳不■ 仰之■之 千載有光
帝國學士院会員従三位勲二等文學博士市村■次郎撰

(■は判読できなかった文字です)


櫓門

土浦城の櫓門


訪問した時は門の周辺は工事中でした。
銅像は二の丸跡の亀城公園内に建っています。




(平成16年12月25日)



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