平成17年4月2日

藤原俊成 ふじわらのとしなり

永久2年(1114年)〜元久元年11月30日(1204年12月29日)

愛知県蒲郡市竹島町・竹島園地でお会いしました。


御子左みこひだり家藤原俊忠の子。
母は藤原敦家あついえの娘。
子に藤原定家などがいる。
父の死後、葉室顕頼の養子となり、53歳まで顕広あきひろを名乗る。
63歳で出家。法名は釈阿しゃくあ
源俊頼や藤原基俊に学び、やがて歌壇の指導者の地位につく。
和歌の道で対抗する六条(藤)家を圧倒し、定家など新古今時代の歌人たちを育てた。


藤原俊成卿像


藤原俊成卿像
(愛知県蒲郡市竹島町竹島園地)

向こうに見えるのは「ホテル竹島」です。



(平成17年4月2日)

藤原俊成卿像

この像は、平安時代に三河の国司として蒲郡の竹谷、蒲形地区を開発したといわれる藤原俊成卿の像である。
俊成が国司をつとめたのは、久安元年(1145)12月から久安5年(1149)4月まで、俊成が32歳から36歳までの間、藤原顕広と名のっていたころである。
俊成は、三河湾に面して温暖な景勝地の当地を好み、当時クスの木などが群生していた荒地の開発等をおしすすめて蒲郡の礎を築いたといわれている。
俊成が開発成就を願って琵琶湖竹生島から勧請したという俊成ゆかりの竹島は、現在蒲郡のシンボルとなっている。
俊成は、歌人としてもすぐれ、千載和歌集の撰者として知られており、鎌倉時代の代表的歌人、藤原定家の実父で、平安時代末期から鎌倉時代初期における業績は現在でも高く評価されている。
この銅像建立は、蒲郡開発の祖ともいえる俊成を通じて、広く一般に郷土歴史の理解を深め、文化の高揚をはかろうとするものである。
この像は、日本彫刻界の重鎮、文化勲章受章者、日本芸術院会員の富永直樹先生の制作である。
この「藤原俊成卿像」が、永く市民に親しまれて、ふるさとの歴史・文化発展の誘因となることを願うものである。

平成3年4月28日
蒲郡市

(碑文より)


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