【アメリカ編】

セントラルパークのはずれに立つその教会は、1900年初頭に作られた建物で、
日曜日になると、韓国系アメリカ人であふれかえる。
しかし、水曜日の今日、
その広い礼拝堂は、がらんと静まりかえり、初冬の寒さが、ろうそくの炎を
ゆるく揺らしていた。


「ジュリアン、出発の準備はできたんだね」
シン牧師にそう問いかけられた少年は、
口元だけで微笑んだ。

大人びた―
シニカルな微笑―
その微笑に逆らえる者がいないことを熟知しているような、冷笑を浮かべたまま、
少年は、答える。

「シン牧師、いろいろと助けてくださり、感謝しています」
「君の養父母のパーカー夫妻が先ほど見えたよ。君のことを心配して、
くれぐれもよろしくとおっしゃっていた」
「パパとママが?はっ、本当にあの二人は心配性だな。
僕をまだ2ヶ月のベイビーとでも勘違いしてるみたいですね。
父は今日、めんどうな裁判をかかえていたはずなのに、裁判所を抜け出して平気だったのかな」
「アーサーもメラニーも、君のことを自分の子供以上に愛してるんだ。
なにしろ君がここへ来たのは、本当に君が生後2ヶ月の時だったのだから」
「そう。そう、聞いています。僕が韓国から養子として海を渡り、ここへきたのは、17年も前だ」

ジュリアン・パーカーは、ふっと丁寧に磨かれた青銅製の鏡を覗いた。

黒い髪。黒い瞳。陶器色の肌。

養父母である両親の亜麻色の髪や青い瞳とはまったく異質のそれらを、初めて意識したのはいつだったのか
ジュリアンは覚えていなかった。
物心がついた頃には、彼らが本当の両親でないことを知っていたが、
それでも、そのことに不満を覚えたことはなかったように思う。

裁判所の判事として、多忙な日々を送るミスター・パーカーと、
夫をささえ、地域のボランティア活動に精を出すミセス・パーカーは
ジュリアンの17年の思い出の中で、片時も途切れることのない存在だった。

新聞やテレビ、学校での仲間うちの話で、日常茶飯に聞く
養父母による幼児虐待や、性的虐待、
それはジュリアンにとって、「物語」の世界でしかなかった。

教会のひんやりとした空気がジュリアンの頬を撫ぜつける。
いつになく心細い気分になり、ジュリアンはかぶりをふった。

そうしてあの日のことを、
手入れの行き届いた広い庭のポーチに腰掛け、養父の飲むマティーニに浮かぶオリーブを見つめながら義父と話し込んだあの夕暮れを、
ジュリアンは思い出していた。



「パパ。隣に座っていいかな」
「ああ、ママの手伝いは終わったのかい」
「ああ、もう僕の出る幕はないね。ママはパーフェクトだ」
「ははは。君の意見に乾杯」

アーサーは手にしたグラスを、空中で目に見えないグラスとカチンとあわせるしぐさをした。
隣の息子は、長い手足をのばし、庭を見つめている。
これからもどこまでもすくすくと伸びるであろう、香りの良い若木のような身体。
ビスクドールのような肌にはしみひとつなく、少年特有のやわらかい産毛が揺れている。

今まさに落ち行く太陽がその残像を刻み付けるように、
少年の顔は、夕日色に染められていた。
チェックのシャツに、風を含ませたシルエットを見ていると、
アーサーはまぶしさで、目を細めずにはいられなかった。

心の中に唐突に浮かんだ、
「美しい息子」という言葉を飲み込むように、
アーサーはマティーニをのどに流し込んだ。

ジュリアンは、父の視線を完璧に無視し、だまって夕日を見つめていたが
やがて意を決したように話し出した。

「パパ、僕、韓国へ行きたいんだ」

いつのまにか声変わりをし、背の高さも自分と並ぶくらいになったジュリアンから目をそらし、
アーサーは、長い沈黙の後、ゆっくりと、答えた。

「ジュリアン、私達は君を愛している」
「わかってるさ。僕は愛されている。誰よりも愛されている」
「ならどうして」
「パパ、僕を見て」

6フィートとすらりと伸びた肢体。
17歳の少年の持つ、あやうさと透明感。
大人びた横顔に浮かぶあどけなさ。

それだけなら、ジュリアン以外にも持つ者がいるだろう。

しかしジュリアンの美しさは、それだけではなかった。
黒い髪がひたいにかかり、鼻筋へと流れていくラインの品の良さ。
横顔のパーフェクトな均等率。
不機嫌な時に見せる瞳の冷たさ。
微笑んだ時の、天使が舞うような柔らかい透明感。

アーサーは、あの小さな赤ん坊が、まさに芸術的と思わせるような、
ここまで美しい少年に育ったことに、大いなる誇りと、それと同等の不安を重ねていた。

そのほんの少しの動揺は決してジュリアンに気づかせたくないものだった。

アーサーは隣に座る大人びた少年をまぶしく眺め、
そうして、人知れず小さなため息をついた。



ここ最近の妻の変化ー
それを頭から追い出してから、その話をしなくてはー

ジュリアンがキッチンでメラニーの手伝いをし、軽く二人の手が触れ合った時、
メラニーが頬を赤らめたのを、にがにがしい気持ちで見たことを
自分の中で認めたくなかった。

ジュリアンのシャツの襟を直すメラニーが、かがみこんだジュリアンの髪を
頬に受け、かすかに指先が震えたことも決して認めたくなかった。

ジュリアンの連れてくるガールフレンドに、必ず不満をもらすメラニーの心の
奥深くに目覚めた何かは、この家族のささやかな日常に
まだ波風のひとつも立てていないことは事実だが、
波紋は、それぞれの心にひたひたと押し寄せてきていた。


「パパ、僕は、パパやママと髪の色が違う。目の色も違う。肌の色も。
それがどうしてか、僕が小さい頃、話してくれたよね」
「ああ、君は神様からの贈り物として、韓国から僕達の元へ来たんだってね」
「そう、普通の子供は、ママのお腹からやってくるんだけど、僕の場合は、やってきかたが違うだけだって言った」
「そうだ。だから君は間違いなく、僕達の子供なんだ。なのになんでいまさら韓国へ行きたいなどと言うんだね」
「…知りたいだけなんだ」
「ジュリアン」

庭先に咲き乱れるたくさんの薔薇。
広い庭を従えた屋敷の窓からは、その薔薇のそれぞれに色をあわせた
ローラ・アシュレーのカーテンが幾重にもかかっている。
薔薇色と薔薇色が交差する光の屈折をあび、庭の緑がより輝きを増す。
えにしだれ。
こでまり。
セージ、ローズマリー、タイム。

イングリッシュ・ガーデン風に無造作でありながら、その実、メラニーが丁寧に手入れしている庭。
元気のいい木々達の健康な匂いが、夕暮れの風にのって、二人を包んでいた。

「僕はいったい何者なんだろう。ここで、パパとママの一人息子として、何不自由のない暮らしをしている。
仕立てのよいシャツを与えてもらい、寝心地の良いベッドも毎日用意してもらっている。
これは本当に僕に与えられたものなのだろうか。僕はずっとここで、こうやって暮らしていていいんだろうか。
あの日、パパとママに渡された子供がもし僕じゃなかったら?
パパ、僕はなぜここにいるんだろう?」
「理由なんてないさ。ここにいるのが君だというだけのこと、僕の隣に座る息子が君だってことだけだ」
「でも、僕の人生は、一人の韓国女性が僕を産み、そして僕を捨てたことが始まりだ」
「それは、彼女の事情であって、君の事情ではない」
「そうだよ。でも、だからと言って、僕とまるっきり無関係なわけじゃない」
「ジュリアン、わたし達に不満があるのかね」
「違う。僕はパパとママに不満なんてないさ。ただ知りたいだけなんだ。それだけだ」

「知ってどうする?」
「ここへ帰ってくる。だって、ここは僕の家だからね」
「知りたいという好奇心だけで動く一人息子を、まだ17歳の息子を、わたし達が簡単に外国へ行かせると思うのかね」
「ああ、パパならそうしてくれると思う」



あの時の、夕暮れのまがまがしいほどの美しさと、
アーサーのやけに老け込んだ横顔を、自分は一生忘れないだろうと、
ジュリアンは思った。

韓国への出発は、明日だ。
韓国での暮らしは、シン牧師がすべて手配してくれていた。
ジュリアンは、留学生として韓国家族の家にステイし、、ソウルの高校へ通うことになっていた。
学校へきちんと通うことを条件に、ジュリアンは自分の本当の母親を探すことを許されたのだ。
今日までの、アメリカからの調査で、ジュリアンの生みの親は、今ソウルに住んでいることがわかっていた。
名前が「イ・スジン」という32歳の女性であることまでが、アメリカでの調査の限界だった。

「ジュリアン、気をつけて行ってくるんだよ。何かあったら、ソウルの教会のソン牧師を尋ねなさい」
「わかりました。シン牧師。いろいろありがとうございました」
「そしてもし困ったことがあったら、遠慮なく私に電話をしなさい」
「もし困ることがあるとしたら、シン牧師に教わった韓国語が通じなかった時だと思います」
「冗談でもそんなことを言わないでくれ。僕の10年に及ぶ優秀な生徒の韓国語が通じないわけがない。
もしそんなことがあったとしたら、君は韓国ではなく、間違って日本に行ってしまったってことさ」
「はい。行き先を間違えないようにします」




第2話へ

睦月創作のTOPへ



Photo Material by Ivory / Java Script by Original JavaScript / Arrangement by Syurayuki

*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
1