APE・VESPAのオート三輪・55年の歴史
BAJAJ
の原型はイタリアの三輪車・PIAGGIO THREE WHEELER APE D です。

1.1948 「ライバルはロバ」からの出発〜Piaggio Ape A〜B

 1948年、戦後の荒廃から復興を始めたイタリアでAPEの歴史はスタートした。
 すでにスクーターVESPAの生産と販売に手応えを感じていたPIAGGIO社は、従来のロバに引かせた荷車に取って代わる貨物用三輪車の生産を始めたのである。
「われわれの任務は、都市の混雑した交通の中で、運転が容易で操縦しやすく、低燃費で維持費の安いオートバイバンを、都市の顧客の実用車として供給することでした。」
 APEと名付けられたオートバイバンは、スクーターの運転席から後ろを切り取り二輪の荷車と接ぎ木したような、極めて簡素な構造を持つ。エンジンはVESPAスタンダードモデルの98ccより強力な125ccエンジンが選択され、積載量は200kgに達した。ロバと競争するためには、このパワーアップは不可欠だった。発売当時の価格は170,000リラであった。
 APEは自動車免許なしでも運転できたため、誰でもAPEを仕事に使うことができた。復興が進み慢性的な労働力の不足に悩んでいた戦後イタリアの都市で、APEはまず小売商店などに受け入れられ、続いてAPEのボディを利用したミニタクシーや、移動販売車としての利用が始まった。
 VESPAがライバルたちを押さえて、スクーターの代名詞的存在となったのは、PIAGGIO社が広告上手だったためでもある。しかし働く三輪車のAPEにとって、最良の広告媒体となったのは、町で働くAPE自身の姿であった。

 初代APEはその後150ccにパワーアップし実用性をさらに増した。好評のうちに、より進化した次のモデルにバトンタッチされることになった。


2.1958 屋根が付いた〜Piaggio Ape C 〜D


 1958年、APEは画期的なモデルチェンジを受けた。
 今までスクータースタイルのままむき出しだった運転席が、キャビンを持ったのである。このモデルチェンジはAPEの座を不動のものとした。快適性の高いキャビンを得ただけでなく、その流麗なデザインは復興した都市の景観にマッチする近代的な印象を与えたのである。
 エンジンはシート下に収められ、後輪は2本のチェーンで駆動された。左右のチェーンケースがサスペンションアームを兼ねるという珍しいメカニズムを持つ。後輪サスペンションはトーションバー方式であった。
 APEに課せられる仕事が多様化するのに伴い、エンジンは175ccに拡大された。都市の荷車として提供されたAPEであったが、この頃までには様々な職種の顧客たちにより多彩な改造を受けていた。PIAGGIO社はここにも注目し、顧客の求めに応じてトラック以外のボデイタイプを提供することにしたのである。
 当時のカタログには、各種の荷台を持つ運搬車、移動販売車、タンク車、ゴミ収集車、高所作業車、ダンプカー、2mほどの短いハシゴを積んだ可愛らしい消防車、などが掲載されている。なかでも特筆すべきは、APEをトレーラーヘッドに仕立てた5輪のトレーラートラックである。本車の積載量は700kgに達し、「象を乗せたAPE」の写真が宣伝に使われた。
 この時期が名実ともにAPEにとっての黄金期であったと言えるだろう。APEはイタリア全土の都市に満ちあふれ、イタリア人の生活には無くてはならない存在となったのである。かつてのロバのように。

 インドのBAJAJ社がいまも生産しているオートリキシャ(auto-rickshaw)は基本的にはこのタイプである。1961年から1971年までPIAGGIOブランドでライセンス生産され、その後はBAJAJブランドに変わって生産中である。メカニズムはAPE D そのままで、キャビンのみ途中から次のモデルのMPに似たものに変更されている。1999年頃から作られているオートリキシャ2というリアエンジンのモデルはBAJAJで独自に開発されたものだ。


3.1966 さらに立派に〜Piaggio Ape MP

 この年APEは3代目にモデルチェンジした。APEはさらに大きく立派になる道を選んだ。キャビンはさらに大きくなったが、生産性を向上させるためか、デザインはおとなしく当たり前になった。タイヤはスクーター向けの8インチサイズから、自動車なみの10インチに格上げされた。エンジンは190ccに拡大され、座席下から荷台下に移動している。これにともない後輪のチェーン駆動は廃止され、一般的なドライブシャフト駆動が採用された。積載量は500kg級である。1968年には積載量は600kgとする小変更を受け、名称もMPVに変更された。

 戦後イタリア人の生活向上に歩調を合わせて、より大きく、より立派になる道を進んできたAPEであったが、そろそろその成長の限界に達しつつあることがはっきりしたモデルでもあった。
 大きくなったAPEは、フィアットなどの四輪車と競合せざるを得なかったし、所得の向上した顧客は、多くの場合APEよりも中古の四輪車を選んだからである。


4.1969 ふたたび原点にもどる〜Piaggio Ape 50

 顧客の求めに応じてどんどん立派になり、丸ハンドルまで選べるようにしたのだが、顧客はフィアットを選んでしまう。勝手なものだとPIAGGIO社では思ったかどうか。
 この年小さなAPEの弟が発売された。現在まで続くAPE 50である。愛称はApino。
 車体はふたたび小型化されたが、それでも1200mm×1250mmの荷台を持つ。スクーターから流用した50ccエンジンを搭載し、積載量は200kgであった。APE 50は大ヒットとなったが、調子に乗ってエンジンを二気筒に拡大したAPE125まで発売したのはやりすぎであった。

 小さくなった体を得て、APEは都市の路地に逃げ込んだ。新しい棲息場所を得たAPEは、21世紀まで生き残ることができた。APE 50は外観を変更するマイナーチェンジを何度か受けながら、今でも現役のモデルとして販売されている。我が国でも成川商会が輸入したことがあり、各地でその姿を見ることができるAPEである。


5.1982 ジウジアーロのボディを身にまとう〜Piaggio Ape TM

 年月を経てさすがに売れ行きに陰りが見えてきたAPEであったが、この年ジウジアーロのデザインでモデルチェンジを受けた。全面的に作り替えられたキャビンは、自動車なみの快適性を持ち、丸ハンドルが標準となった運転席にはシートベルトさえ備わっていた。
 エンジンはガソリン220ccのエンジンの他に、422ccのディーゼルエンジンが用意された。積載量はついに700kgに達した。

 市場の大部分が四輪車に押さえられてた状況のなか、このモデルチェンジは有効であった。ジウジアーロのデザインとディーゼルエンジンは、APEの延命に大きく貢献したのだった。APEでなければ入れない路地もあるイタリアでは、今でもAPE TMとして現役のモデルである。


6.2000 路地裏から再び大通りへ

 都市の路地裏に生き残って21世紀を迎えたAPEであったが、ここ数年、APE CROSS 、APE WEBと呼ばれる若者向けのモデルで人気を集めている。これらは原色系のカラーリングに塗られスポーティーなロールバーを装備したモデルで、若者向けに販売されているが狙っているのは親のフトコロだ。ちなみに現地でのAPE 50の価格は、ベースモデルの3,446ユーロからAPE CROSSの4,330ユーロまでと、意外に高価である。

 APE 50の輸入が再開されました。新しい輸入元は株式会社アルクさん。成川商会時代の一つ目のVESPACAR に流用できるパーツもあるようで、オーナーには朗報でしょう。詳細は右のリンクから。

Ape50