植芝盛平



 植芝は合気道の創始者である。その強さは普通ではなかったらしい。著者の塩田剛三も強かったが、植芝は誰も歯が立たないほど強かった。剣道、槍、合気柔術などを学び、独自に研鑽を積んで合気道とし、道場を開いて弟子をとった。彼は大本教ともゆかりが深く、出口王仁三郎の話を聞きこむと、すぐ飛んで行って弟子になった。熱心に神を祭り(神道)、合気道の弟子たちに毎日正座で一時間以上も神の話をわかるわからないに頓着なくしたそうである。後に柔道を開いた嘉納治五郎を、「自分が本当に目指していた柔道の理想はこれだった」と言わしめ、自分の弟子を教えを知るため植芝の道場に通わせたという。

 塩田は内弟子となって植芝の家に住み込んだ。人間植芝はこの本によれば、超能力者でもあったらしい。武道も究めればそこまでいくのだろう。驚くべき話がたくさん書かれている。
 植芝が豪語するので、自衛隊の人たちがそれなら対決しようと申し込んだ。それも十人が銃で一人の植芝と対決するのである。そして実際行われた。塩田も証人として見届けている。一斉に十発の銃弾が飛んできた時、植芝はダッシュし、一瞬の内に(ずいぶん離れていたらしいが)自衛隊員の一人の後ろに周り、投げ飛ばした。もちろん弾は当たらなかった。自衛隊員たちはわけがわからず、もう一度と頼んだ。もう一度やってもやはり植芝に一人が投げ飛ばされてしまう。塩田も見ていてわけがわからなかったらしい。帰りにどういうことかと聞いてみたら、「弾がスローモーションで飛んで来るので、一番遅い弾を見つけ、その弾を撃った人に向かって走り、投げ飛ばしたという答えだったようだ。時間が植芝にとってその瞬間遅く流れ(植芝が速いモードになったともいえる)実に普通に勝ったらしい。
 ほかにも、弟子たちが夜中道場で熟睡していたら、いきなりふすまが開いて、植芝が走り出てきて道場の床の間にある神棚の前に来ると、掛け声をかけて剣を振り下ろしたらしい。弟子たちが何事かと目をパチクリさせていると、「供物をネズミがかじっているのに、きさまたち気がつかないのか」と、一喝されたらしい。後でみたら、ネズミがたたき殺されていた。
 
 神域に達していた植芝のすごさをよく描いている本だ。合気道は自分から相手をやっつけない。相手がかかってきたら、その力を導いて相手を倒すという技である。合気道は相手とあい和することをもって理想とする。平和の武道とも言える。力技ではないから女性もできる。今、合気道は欧米でさかんである。日本は剣道あり、柔道あり、合気道ありで、武道がさかんになりそうなものだが、日本のものに値打ちを見いださない若者が多く、産みの国の日本より欧米の方がその値打ちを認めているのは皮肉である。逆輸入もそのうち行われるかもしれない。武道は、自分だけが強くなって皆をやっつけたいということでなく、精神の修養も当たり前とされてきた日本の文化の重要な一翼である。外人にまかせるのでなく、日本人が誇りをもって、伝承していきたい大切な精神遺産でもあると考えるのだが。


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