流山市の紹介

                                                                          
     私の家族が当市に来て、早や28年になります。つくばエクスプレスの開通によって周辺開発が飛躍的に進み、東京の
   ベッドタウンとして将来性が大いに期待されます。南流山駅から秋葉原まで快速列車で20分、各駅停車でも25分の交通
   に便利な場所となりました。東京デズニーランドへは自宅から約45分、羽田空港、成田空港へはそれぞれ約1時間という
   便利さです。また常磐自動車道、東京外環自動車道のインターチェンジも近く鉄道、道路それぞれに利便性の恩恵を受け
   ています。
    流山市が歴史的にも多く残る史跡、旧街道沿いに残る古民家、江戸時代から創業が続くみりん工場など風情ある街並み
   を楽しみながら散策することができます。私も足を運んで風情ある街並みを堪能してきましたが、地元の皆様方の街を挙
   げてのとても熱心な地元PR活動をしていることに感銘いたしました。私も市民の一人として何か協力しなければと思い、
   この「流山市の紹介」というページを作成しました。市も街おこし活動に積極的に取り組んでおりますので是非流山市にお
   越しいただければ幸甚に思います。
                                                                       平成25年10月


         位置図



 
   
1.流山市の歴史
2.流山市の史跡
.流山本町界隈
4.みりん工場について
5.切り絵行灯
6.江戸川の渡し跡
7.流山市の花火大会
8.流山市の無形民俗文化財

9.流鉄開業100周年記念祭 
 
      1. 流山市の歴史                             

       流山市は、千葉県北西部にあり、明治初期には葛飾県や印旛県の県庁が置かれていたところである。人口約17万
     2千人である。(平成27年1月1日現在)
     現在は住宅都市となっているが、かつては江戸川や利根運河を利用した水運で栄え、一時期県庁が置かれていた。
     1950年代以降、江戸川台や松ケ丘を中心に住宅開発が行われ始め、市内各所が住宅街となる。1970年代までに
     流鉄流山線、東武鉄道野田線、JR武蔵野線が市内に通るものの、それぞれが市内で接続せず、地域ごとの繋がりが
     薄い市となっていたが、2005年(平成17年)の首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開通により、それらの地域が結
     ばれ、現在は流山おおたかの森駅を市の新拠点として整備している。市域は南北に長く、江戸川沿い及び市の南部は
     平坦な低地、市の中部や北部は緩やかな高低差の台地となっており、ほぼ全域が住宅街や農地などになっている。
                                                                    流山市観光協会資料より 

      
                                                                     
   2.流山市の史跡   
史跡散策コース                 史跡散策コース拡大図 
 
  

  利根運河は上段の位置図の中の「利根運河」
  をクリックすれば表示されます









            図のアルファベットで示す寺院等を
            クリックすると説明文が表示されます。

                                                          流山市観光協会資料より


 アルファベットは下記に記述してある散策コース図での場所を表します  
 A.赤城神社         

 流山のまちは江戸川に面した低地上に 開けた。その低地に椀をふせたような海抜15メートルの小山がある。これが赤城山であり、山頂に赤城神社が祀られている。伝説によると、「そのむかし大洪水によって上州赤城山の崩れた土塊が流れついたのがこの小山であり、“山が流れてきた”から“流山”という地名がついた」となっている。
 江戸時代に創建。祭神は、大己貴命を(おおなむちのみこと)祀っている。敷地690坪の境内には、本殿(銅板葺流造)、拝殿(瓦葺)、社務所(瓦葺)が建ち並ぶ。また、波切不動尊や一茶の句碑、流山橋架設記念碑などがある。10月に行われる流山市指定無形民俗文化財の「大注連(しめ)縄行事」は有名。例祭共々多くの参拝客や見物客が訪れ賑わいます。
周辺には、赤城山公園、光明院、流山寺、長流寺、一茶双樹記念館、寺田稲荷などがある。 

 私の家族は毎年元旦に参拝して家内安全と交通安全の破魔矢とお守りをいただいております。またお神酒と甘酒をいただいています。




入口にある大しめ縄
 
拝殿
       






       大しめ縄つくり
  奥さん方や子供たちが手伝って
  います 
     (平成25年10月13日撮影)
       
 
 しめ縄製作中          一本出来上がり         しめ縄の取り付け作業
       
 
    元日には参拝者で賑わいます
       (平成26年元旦)
       今年も初詣に来ました
      
  拝殿
       
     
愛犬も初詣です
 (平成26年元旦)

    厄除、家内安全、交通安全などを
   求める人で賑わっています


       
      お神酒をいただいて今年も元気!  
       

       
       
 B.利根運河        

 利根川と江戸川を結ぶ利根運河は1890年(明治23年)年に東北からの物資を船で東京へ早く安全に運ぶ目的で民間資本で開削し、最盛期には高瀬船や外輪蒸気船が1日100艘ほど運航していました。やがて鉄道や自動車の時代になって、昭和17年には国に買収されました。休日には多くの親子連れで賑わい、市民の憩いの場所となっている。
 
       
  C.浅間神社       

 江戸時代初期の創建。 社殿の裏には市指定文化財の富士塚がある。ここを登ると実際の富士山に登ったのと同じご利益がある、とされている。ここの頂上はあたり一帯が見渡せるポイントなのだが今は住宅地で遠くは見えない。
 幕末に新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いて錦の御旗を立てて新選組を包囲した場所である。新選組はまさか新政府軍が北から進入してくるとは思ってもいなかったのだろう。

















   
 

富士塚 

      頂上に建てられた碑
     
  D.常与寺          

 鎌倉時代の創建、日蓮宗寺院。
流山に印旛県庁が置かれていた明治5年(1872年)9月に教員養成のための印旛官員共立学舎(後の千葉師範学校=現千葉大学教育学部)の設置と県内最初となる流山小学校が設置された。敷地内には千葉師範学校発祥の地の碑が設置されている。
明治6年6月15日千葉県が誕生すると県庁は千葉町に移り、千葉師範学校となり、現千葉大学教育学部の前身となった。




 
拝殿
   
千葉師範学校発祥の地の碑
       
  E.近藤勇陣屋跡    

 板垣退助が参謀をつとめる官軍を甲府で迎え撃つため近藤勇は甲陽鎮撫隊を結成したが甲州勝沼で衝突、敗走し陣を立て直すため流山に移動した。
 流山では醸造家長岡屋を本陣として光明院、流山寺などに分宿していたが、情報を得た新政府の先鋒隊に包囲されてしまう。
近藤勇は、大久保大和と名乗り、流山に駐留している理由を釈明するために出頭したが板橋本陣へ行く途中で新選組の近藤勇であることが露見し、板橋にて処刑された。近藤勇は流山市内を戦火に巻き込まないために出頭したとも言われている。この地は近藤勇と土方歳三の最後の別れの地となった。


 動画
 
「新選組最後の本陣」
 「NHK映像マップみちしる」より)
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    (NHKより)
      
新選組流山本陣跡 北総新選組の皆さんと 
    
   

近藤 勇になった気分


   

       
 F.閻魔堂        

 閻魔堂は、その名の通り、閻魔大王を祀り、安永5年(1776年)の座像が安置されている。境内には、如意輪観音や宝篋印塔などの石造物があり、また、義賊金子市之丞(かねこいちのじょう)と遊女三千歳(みちとせ)の墓がある。昔からこの墓に詣でると、頭の病気が治るとか犯罪者の刑が軽くなるなどと言われている。

金子市之丞とは?
 江戸時代、流山の金子屋という醸造業の裕福な家庭の息子として生まれた市之丞は何不自由することなく育ちました。しかし、市之丞が7~8歳の頃に父親が事業に失敗しそれがもとで亡くなってしまいました。一転貧乏生活を強いられた市之丞は、それに耐えられず悪の道に走ってしまい、さらには盗賊になってしまいました。しかし、金持ちばかりを狙い、そのうえ奪った金品を地元の貧しい人々にばらまいたことから陰では『ビン小僧市之丞様』と、ありがたがられました。やがて、役人に捕らえられ、処刑されてしまいましたが、地元の人が首をそっと引き取り閻魔堂の脇に葬りました。明治になって講談や歌舞伎に取り上げられ大変な評判となりました。後にかの有名なねずみ小僧次郎吉もその義行をまねたと言われています。
 
閻魔堂入口
 
        閻魔大王像
 

金子市之丞 の墓






  新選組の衣装を着て素晴らしい
  演武をする北総新選組の副隊長
  さん     
演 武
        

                     
  北総新選組
   2004年から新選組本陣跡の隣にある閻魔堂において観光案内ボランティアをしている。毎年3月~11月の晴れた土、
 日曜、祭日に新選組史跡や市内の案内の活動や演武の稽古および披露をしている。たくさんの方に流山市や新選組につ
 いて知ってもらいたいと熱心である。 皆さん大変礼儀正しい人ばかりである。
       
 G.長流寺          

 長流寺は、江戸時代の創建といわれる浄土宗の寺院です。境内には江戸時代の中期前に制作され観音堂があります。千手観音坐像・本尊阿弥陀如来坐像が安置されています。慶長12年(1607年)に建立された馬頭観音の石造物があります。また、流山七福神の恵比寿(福寿無量)を祀り札所としても知られています。
毎年4月には近藤勇、土方歳三の子孫が参加する「勇忌」がここで行われます。

 
   
       
 H.一茶双樹記念館   

  俳人小林一茶とみりん醸造創設者の一人と言われる五代目秋元三左衛門(俳号双樹)は交友があり、一茶はこの地を15年間訪れています。安政年間(19世紀中頃)のみりん工場内にあった住まいの建物を昭和10年代に曳き家したが、古くなったため平成3年に解体復元し、平成7年に双樹亭及び往時を偲ばせる主庭を中心に、商家を再現し、みりん関係資料などを展示する秋元本家、茶会・句会等に利用できる双樹庵および一茶庵が誕生した。 
 木造平屋建,寄棟造瓦葺きの「新座敷」と呼ばれる建物で江戸時代末期の商家建築の様式を伝える文化史上極めて貴重な遺構である。
「天晴」は鳥羽伏見の戦いで征討大将軍に任じられた小松宮彰仁親王が秋元家に訪れた時の直筆のものである。
(本物は市の博物館に保存してある)
















 
   枯山水の庭を見ながら一休み 

双樹亭の奥の間

    当時の資料を展示している
       
 Ⅰ.光明院      
 
 光明院は、創建は不詳。本尊は不動尊。江戸時代の石造物のある真言宗豊山派の寺院です。明治初期までは赤城神社の別当祈願所でした。赤城山神楽寺が寺号です。
境内には、市指定有形文化財の菩薩形坐像、庚申塔や享保7年(1722年)建立の六地蔵があります。また、秋元家の5代目で、味醂醸造創業者の秋元三左衛門氏(葛飾派で俳人で号は双樹)の墓があり、昭和53年(1978)に建てられた高さ2mの双樹と一茶の連句碑がある。
万上味淋の開発者である堀切家のお墓もある。
慶応4年4月新選組が分宿したお寺である
 





 
    左側の墓石が双樹の墓
 




       
  流山寺 りゅうざんじ   

 江戸時代初期に創建され昭和40年に火災で再建された曹洞宗の寺院。
流山七福神の大黒天像がある。
江戸時代の俳人、大川斗囿の句碑もある
慶応4年4月新選組が分宿したお寺である。






 
 
 
     
     3.流山本町界隈.
      江戸川沿いに位置する流山の街は、江戸時代から明治・大正にかけて商業の中心として栄えていました。
   今も明治時代前後の土蔵造りの家屋と百数十年の歴史ある老舗が点在し当時の面影を忍ばせています。
   老舗の呉服店や製菓店、古い建物を利用した飲食店、芸術文化ギャラリーなど見て食べて楽しむぶらり散策コースーです。
   本町界隈は現在の流山1~8丁目と加5~6丁目のエリアである。
   このような散策コースが自宅からこんな近くにあるとは知りませんでした。
               
++ 
  右図の丸数字で示す名称(①~⑦)等を
  クリックすると説明文が表示されます。

















流山市観光協会資料より
   
 ①あかり館 「彩」 いろどり

 このお店は最近当地に構えたもので本社が岐阜県にある。1300年の歴史を誇る伝統工芸,美濃和紙の紙すき技術を受け継いだ繊細できめ細やかな和紙を使い手作りで照明を作っている。現代の住宅にマッチするような照明をより多くの方へ届けたい、そして美濃和紙という素晴らしい紙を絶やすことなく後世に伝えることが使命だとのこと。
築後80年の乾物商だった建物を改築し平成25年7月にオープンした。美濃和紙の魅力を生かした照明や小物を販売している。手すき技術が世界無形文化遺産に登録された。(平成26年11月)。
 



 
     現代アート的な作品 


      優しく落ち着く照明
 
 柔かな照明

        
       
 ②ましや呉服店舗

 「安政の大獄」、「横浜港開港」と日本が激動していた幕末・安政6年(1859年)、当地に呉服太物商「増屋」を創業し、以来、江戸・明治・大正・昭和・平成と各時代に流山の近郷近在のみならず大勢の得意先に支えられ、特に紬織物に関しては専門店ならではの品揃えを心がけており、希少品も多く取り揃えている。 呉服、和装品、和雑貨などを取り扱っている。
土蔵は市指定有形文化財である
 千葉のローカル線・流鉄流山線に乗って旅する特集でテレビ東京で紹介された

 
 土蔵は明治3年に建てられ、本町界隈
 で現存する最古のひとつ

 
     由来が書かれた立札

 
       
  ③呉服新川屋店舗

創業は幕末の弘化3年(1846年)で、江戸日本橋の新川で酒などを扱う商店として創業し、3代目が流山に来て呉服商を
構え今日に至っている老舗である。
 建物は明治23年(1890年)に建てたもので1階が店舗で2階が住居となっている「見世蔵」形式である。土蔵造り2階建ての正面は漆喰作りで、屋根の北側に恵比寿様、南側に大黒様の鬼瓦が備えられ、商売繁盛を祈願している。
平成16年11月8日付けで国登録有形文化財に指定された。
  
     「見世蔵」形式の新川屋店舗


 
   新川屋の由来が書いてある
  左上は「恵比寿様」、左下は「大黒様」   の鬼瓦の写真

       
  ④蔵日和 (切り絵ギャラリー)
 
大正期の診療所を改修した建物で、最初はベーカリーカフェであったが、現在、切り絵ギャラリーとなっている。
「一茶双樹記念館」や「見世蔵」を描いた切り絵、また、行灯設置場所が一目でわかる「行灯あちこち案内図」、制作過程がわかる行灯の骨組みなど、展示している。
パンは隣の「丁字屋」で販売している。


 

 
  切り絵の行灯(家庭用)を展示して
  いる
       
     
   飯田信義氏の切り絵作品の展示 
 コーヒーを飲んで切り絵を楽しみました
 (現在、カフェはやっていません)
           切り絵行灯
       
  ⑤丁字屋

  歴史ある、ここ流山本町の中でも、重厚感のある佇まいが印象的な大正12年築の町屋造りのこちらの建物はもともとは足袋屋でした。その屋号の「丁字屋」を頂いて、イタリアンレストランとして生まれ変わった。外観も店内も、昔の建物の風情をなるべく残しており、歴史的な建造物としての情緒も感じられる。
自家製生パスタや窯焼きピッツァ、パティシエ自慢の創作スイーツ。ワインも豊富に取り揃え、夜はしっとりとした雰囲気の和の空間でゆっくりと食事が楽しめる。
  右端にイタリア国旗が掲げてある

 


 
       
   ⑥清水屋

 清水屋は明治35年創業で創業115年の老舗和菓子店です。流山本町散策の際のお土産にぴったりの品々が揃っており、「陣屋モナカ」や「一茶の宿」が好評です。
故地井武男さん出演のテレビ朝日系列「ちい散歩」でも紹介された。

平成26年、『国登録有形文化財(建造物)』に登録された。





   
       
  ⑦見世蔵

 寺田園茶舗「見世蔵」では、流山市在住で、世界的に活躍している万華鏡作家・中里保子さんをはじめ、多くの作家の方々の万華鏡作品を展示・販売している。
3周年記念展として、記念日に贈る万華鏡の展示やペンダント型、外観も美しいスタンド型、またスマートフォン型のようなものなど、個性的な作品ばかりです。

 このお店は江戸から明治期にかけ、店舗兼住居として建てられた 土蔵(見世蔵)を利用している。
平成23年、『国登録有形文化財(建造物)』に登録された。

 
「見世蔵」形式の店舗

 
 個性的な万華鏡がズラリと並んでいる
 幻想的な世界へ引き込まれそうだ
   

子供の頃の見た万華鏡とは違った世界
が見える現代万華鏡がいっぱい
 
こんなに美しい世界が見られます
(ポストカードより)

  万華鏡の世界に入ってしまった私
       
  4.みりん工場について
 かつて流山市には二つの味醂工場があり、「天晴みりん」と「万上みりん」であり共に江戸時代からの創業で、時代の流れととも
に「天晴みりん」が平成19年に工場を閉鎖してしまいました。

みりんは、原料の蒸したもち米と米麹を焼酎とともに仕込み、ゆっくり時間をかけ熟成させ、搾って濾過させることにより生まれます。流山は、古くから米の集散地で、酒造技術があり、江戸川の水運により大消費地江戸と結ばれていたことから、みりんづくりに最適の地でした。 醬油における「野田」のようにみりんといえば「流山」と想起するほど有名だ。
白みりんは最初は飲むものでしたが次第に調理用として利用されるようになっていきました。
 「天晴みりん」

 一茶双樹記念館の元の所有者である秋元家は、江戸時代中期(天明年間)に4代目秋元三左衛門が味醂醸造を始めたことにはじまりますが、5代目三左衛門は、もち米、米麹の他に焼酎を加える醸造方法を開発しました
この時期、流山では「天晴」ブランドの秋元家と、「万上」ブランドの堀切家が共に白味醂で繁盛していました。小林一茶と交流のあった5代目三左衛門は秋元家が大きくなる上昇期に位置し、味醂醸造を始めた当主が俳句という文芸に手を染めることができたことは、秋元家の経営が確立していたことを窺わせています。
 何らかの理由で、昭和16年には事業を他の会社に譲らざるを得なくなりました。秋元家では離れと中庭を自宅として使用するために残し、それ以外の敷地や設備を「帝国清酒」に売却しましたが、「帝国清酒」は戦後解散し、「東邦酒類」に売却され、さらに「東邦酒類」が会社を解散すると「三楽オーシャン」に売却されました。「メルシャン流山工場」としてワインを製造していましたが、平成19年(2007年)3月31日 流山工場を閉鎖解体し、その跡地にケーズデンキが進出し、現在に至っています。
     
   メルシャン流山工場の跡地に
   ケーズデンキが進出
 

  秋元家の分家が経営している酒店

 近藤勇のラベルを貼った焼酎(右)
 と純米吟醸酒(左)を買ってきました
「万上みりん」

 万上みりんは、江戸時代中期に相模屋の堀切紋次郎が開発した白みりんです。万上みりんは、現在も厳選された原料を伝統的な醸造法により熟成させ造られています。文化11年(1814年)に流山白味醂として発表されました。白みりんは江戸から関東一円にまで広がりました。
明治10年に宮内省御用達となり、この上ない栄誉を授かった紋次郎は
「おもいきや、醸す味醂をかくまでに、かしこき方にめさるべしとは」
と詠みました
そして、万上味醂株式会社は大正14年(1925年)にキッコーマンと合併し (流山キッコーマン(株))、今日に至っています
 現在は調理用としての味醂をこの工場で造っています。「万上本みりん」は市のふるさと産品に指定されています。





二代目紋次郎が詠んだ歌から「万上」の商標ができました。
「関東の誉れはこれぞ一力で上なき味醂醸す相模屋」















      県道流山街道からキッコーマン工場
 正門を臨む
     江戸川の堤防より工場を臨む 
 
 万上本みりん
       
 「流山白みりん200年祭」      
  今年(平成26年)は流山で白みりんが誕生してちょうど200年になります。
万上みりん工場は江戸時代からの創業で約250年間続いております。白みりん誕生200年を記念して流山キッコーマン株式会
社が中心となり「流山白みりん200年祭」が10月13日に開催されました。この200年祭を記念して工場の塀に「まちなかミュー
ジアム」が作られました。
「流山白みりん200年祭」のビデオを撮りました。
こちら

 「流山白みりん200年祭」の様子
     
   少しばかりの雨が降りましたが
  大盛況でした

  「流山白みりん200年祭」限定の「飲
  む白みりん」を販売
 
    明治35年創業の老舗清水屋さんが
  和菓子を販売

       
       
   「流山史跡ガイドの会」発足以来
  ちょうど2万名のお客さんへの表彰状  と記念品を授与
    「ろこどる」のグッズが大繁盛 

   
       
       
    白みりん誕生200年を記念して
   「まちなかミュージアム」を掲示
   白みりんを開発した2代目堀切
   紋次郎夫妻

        みりん工場の銅版画

       
       
 歌川広重の「高輪二十六夜待遊興の図」



 「関東の誉れはこれぞ一力で上なき味醂
 醸す相模屋」と二代目紋次郎が詠んだ
 歌から「万上」の商標ができた 

     工場内への引き込み線
   みりんは流山駅から常磐線馬橋駅
   経由で東京方面へ運ばれた
   昭和4年頃の写真
  
       
    


    5.切り絵行灯(あんどん)
        昔ながらの街並みが残る本町界隈の旧街道沿いに切り絵を使った風情ある行灯が並んでいる。地元に住む切り絵
      担当の飯田信義さんと行灯制作担当の長谷部年春さんが手作業で制作されている。この二人の阿吽の呼吸で行灯
      の優しい明かりで街を灯し、この街の歴史や文化に思いを馳せて未来へつなげていきたいという二人の思いが地域
      の賛同を受けています。市長から流山本町の観光復興と活性化に大きく貢献されたとして感謝状が贈呈されました。
      NHKにも放映されました。

      
 
夕方には旧街道沿いに切り絵行灯の優しい明かりが灯る 
 
 
あかり館 「彩」 
 
 
ましや呉服店舗  
     
 
 丁字屋  
     
 
清水屋  
     
 
 見世蔵 
     
 
一茶双樹庵
  

     6.江戸川の渡し跡

       江戸川とともに栄えた商都流山は、江戸時代から明治時代にかけて、通商の中心地でした。
     その商圏は茨城や、埼玉をも含み往来は終日大変な賑わいでした。茨城方面からの街道は、諏訪道(今の柏流山線)と
     野田街道で諏訪道の途中には諏訪神社があり、出店が建ち並ぶ絶好の休憩ポイントでした。
     そして、埼玉方面に向かう人々は江戸川を渡らなければならないために渡し舟を利用したのでした。
     当時の江戸川には8箇所もの渡し舟が存在しましたが陸路が主流となった現代では、渡し舟を利用する人もいなくなり
     その姿を見ることは出来なくなりました。
     しかし、近年になりその跡を後世に残そうということで流山市観光協会では8本の標柱を整備しました。
                                       
                     流山市観光協会資料より

      私の家から江戸川の堤防のサイクリングロードを自転車で「幸房の渡し」から「深井新田の渡し」まで8本の標柱の写真
     を撮りながら1時間足らずの道のりでした。秋の澄み渡った空気を吸いながらのんびりと史跡を巡り、江戸時代の人々
     の生活や新選組のことを思い巡らしました。  

                                      □で囲まれた名称をクリックすると写真と説明が表示されます   
    】深井新田の渡し跡
  深井新田は江戸時代の江戸川開さくで分断された地域
  で、対岸に耕作地を持つ人も多く、認可は明治10年6月
  だが、江戸時代からの古い渡しである。

  
        
         標柱は堤防の外側に建っている 
         左側が江戸川、堤防の頂部は舗装
         されサイクリングロードとなっている
 
江戸川
 
  】尼谷の渡し跡
  平方村新田と平方新田(埼玉側)が共同で運営していた
  渡しで、30人ほどが乗れる大型の舟を使用し、時には牛
  や馬、自転車も渡したと伝えられている。
 
 
          】六兵衛の渡し跡
       別名「上新宿の渡し」と言うが、六兵衛なる人が運営し「六兵衛の渡し」が一般的。作業場(対岸の耕作地や
       流作場)への渡しとして昭和20年頃まで存続。
       *流作場(ながれさくば/りゅうさくば)とは水害を受けやすい田のこと。 


 
取水口
 
           】半割(南)の渡し跡
        3,4人が共同で運営、昭和20年代後半まで存続した。埼玉側では農閑期に牛や馬を千葉側に預けること
        が多く、「馬船」と呼ばれる大型の舟を使用した。
 

 
            】羽口の渡し跡
        流山に屯集した新選組を制圧するため、新政府軍が来流し、砲列を敷いた。田中藩が統治した加村の
        公営の渡し場だが、近くに賭博場があったとも言われる。
 
 
           【矢河原(やっから)の渡し跡
          「加村の渡し」とも言い昭和35年頃まで存続した。幕末に再起を図るため流山で屯集した新選組の局長
        近藤勇は新政府軍の包囲に単身出頭、この渡しで流山を後にし、二度と帰らぬ人となった。

 
                】丹後の渡し跡
             「羽口の渡し」と並ぶ公営に渡しで小金道の一部として3艘の舟が用いられていた。新選組が来流時に
           利用したとも言われる。昭和10年の流山橋架橋で廃止された。
その橋も昭和40年2月に現在の流山橋
           の完成で姿を消した。右の写真のように現在では橋脚だけが残って往時を忍ばせている

 
 
 
「丹後の渡し」付近のサイクリングロード  
 
                 】幸房の渡し跡
           「岩野木の渡し」、「七右衛門新田の渡し」「幸房の渡し」と様々な名称がある。江戸川の渡しは
           千葉側と埼玉側の地名を交互につけたが、自分側の地名で呼ぶことが多い。
 
 
          
                「幸房の渡し」付近から下流側のサイクリングロードは災害時緊急用道路として
              7mに拡幅され2013年3月に完成した

 
 
 拡幅される前の状況 
 毎年4月には菜の花がいっぱい咲く。(2012年4月19日撮影)
 
     7.流山市の花火大会 

   夏の風物詩として江戸川沿いで花火大会が今年も行われました。夏の夜空と江戸川の川面を華麗に彩る流山市の花火大会。
  今年も埼玉県三郷市と同日開催し、両市あわせて1万発の花火が打ち上がりました。
  花火大会のビデオは
こちら                                      開催日  平成26年8月23日(土)
 
   
    スクリーンショット
   
     
 
     
 
     
 
     
 
                                   
 8.流山市の無形民俗文化財 

      流山市には衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗・慣習や、民族芸能などが残っています。
    今回はこの内の無形民俗文化財として赤城神社の「大しめ縄行事」、雷(いかづち)神社の「おびしゃ行事」および
    三輪野山茂侶神社の「ヂンガラ餅神事」をご紹介します。、
   
 赤城神社の「大しめ縄行事」  
   流山6丁目にある赤城神社の本祭りは10月第3日曜日に
行われますが、その1週間前は「宮薙(みやなぎ)」といい、
神社の清掃が行われ大しめ縄が作られます。
大しめ縄は氏子さん達や町内会の人たちが約300人集まっ
て毎年10月の第2日曜日に作られます。 これを「大しめ縄
行事」といいます。
しめ縄は、神前または神聖なる区域に懸け渡して内外を区
画し不浄をさえぎるものです。
大しめ縄は青竹を芯にワラと縄を巻きつけてしめ縄を作り、
完成した3本のしめ縄をより合わせ、鳥居前の鉄柱に掲げ
ます。
 大しめ縄は長さが約6.5m、太さ約1m、重さ約500kgあ
り、県内では最も大きいしめ縄です。

 大しめ縄作りをビデオでご紹介します。こちら (約15分)
   
 (いかづち)神社の「おびしゃ行事」  
    鰭ヶ崎にある雷神社の氏子さん達によって毎年1月20日
に神社で行われる祭礼を「おびしゃ行事」といいます。
これは弓矢で赤鬼、青鬼の的を射て今年の豊凶を占う行事
です。
歩射は拝殿から鳥居の方向に二つの的を立て、神官、氏子
総代、世話人、氏子の七人の当番が七福神の扮装をして順
に射ます。
歩射が終わると来年の当番に目録を渡し道具類を車に積ん
で来年の当番の家に行き引継ぎをします。引継ぎが終わっ
た後、直会に移り獅子舞と田子作が踊られます。

おびしゃ行事の様子をビデオでご紹介します。こちら(約6分)
NHK首都圏ニュース845(2015.1.20) で放映 こちら
   
 茂侶神社の「ヂンガラ餅神事」  
   三輪野山にある三輪茂侶神社の氏子さん達によって1月第
2日曜日に行われる祭礼を「ヂンガラ餅神事」といいます。
8升の鏡餅(上3升・下5升)、8種類の野菜の煮物、8升のお
神酒が神殿に供えられます。
神官による祝詞奏上やお祓いのあと、宮司の掛け声で上半
身裸のサラシ姿の若衆の中に投げいれられた3升の鏡餅を
割れるまで激しく揉み合い、凄まじい熱気で奪い合います。
柱に打ち付けて餅を割り、神宮は餅の割れ口で豊作や凶作
を占います。その割れ方によってその年の作柄を占い、また
五穀豊穣を祈願します。


ヂンガラ餅神事の様子をビデオでご紹介します。こちら
                             (約5分)
   
   
  9.流鉄開業100周年記念祭
     流鉄流山線は松戸市の常磐線馬橋駅から流山駅まで5.7kmを大正5年3月14日に開業したもので、2016年(平成28
   年)3月14日、開業100周年を迎えました。
    流山は江戸時代、明治時代は江戸川の水運で栄えた町ですが、大正時代になると鉄道や自動車の発展により水運が徐
   徐に衰退して行き、水運の衰退とともに流山の町も活気を失うようになっていったのです。従って鉄道を造らなければ陸の
   孤島になってしまうということで
当時の町民がお金を出し合って造ったのがこの鉄道なのです。いわゆる町民鉄道なのです。
    現在では市民の通勤、通学、買い物等に欠かせない身近な足として親しまれています。単線でワンマン運転で、全車両に
   「あかぎ」、「なの花」、流星」、「流馬」、「若葉」などの愛称が付けられるなど、レトロな雰囲気たっぷりで鉄道ファンにも人気
   があります。
    
この100周年記念祭りは2016年3月12日(土)に行われたもので、イベントは「流鉄と綱引き」、「乗務員室での写真撮
   影」、「流鉄100周年プレミアムロゴを探せ」、「ロードトレインが流鉄車庫を走る」、「流鉄車両内で鉄道ジオラマ展示」、「千
   葉県内の鉄道各社ブース」、「飲食ブース」(流山)、流山市が舞台モデルとなったアニメ「普通の女子高生が【ろこどる】や
   ってみた」のトークショー(馬橋)などが行われました。
   記念祭のビデオを撮りました。
こちら

   
   
 
   
 
   
 
   
 
   
   
   
   
 流鉄流山線・馬橋―流山間の車窓ビデオを撮りました。平成28年4月3日撮影 約15分 こちら  
 
   
 
   
 
   
   
 


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