鐘音(ギンルキ)

 

 

       

十三番隊隊士の中に“浮いている”女がいる、と言うのは有名な話だった。

       

一日中黙りこくっていて、誰にも心を開かない。貴族出身だから怠け癖があるのかと言えばそうではなく、寧ろ倒れるまで稽古を続けようとする。
余りに強情なものだから、しまいには声をかけようとした一部の隊士さえ近付かなくなり―いつもひとりだという。

               

呆れる程に頑ななその女の噂を聞いたのは、数日前。
その顔を拝んでみたい、と思ってから、気弱な副隊長の意見を無視して十三番隊隊舎に自ら赴くまで、大した時間はかからなかった。

               

               

               

               

               

「やあ、市丸。よく来たな。ゆっくりしていってくれ―と言っても俺はこの通りだから何も出来ないんだが―そうだ、茶でも用意させようか?」
「そやな、折角やし」

               

適当に頷きながら、彼―市丸ギンは風切り音のする庭に目をやると、漆黒の死覇装を纏った小柄な人物の後姿が目に入った。
肩口で跳ねた髪もまた死覇装と同じような色で、そこから覗く薄い肩と小柄な体躯から察するに―女だろう。

               

彼女は気合いの声を上げるでもなく、淡々としたリズムで木刀を振りかぶり、横薙ぎに払う。非力ではあるが、よく訓練された、流れるような動きに彼は小さく口笛を吹いた。

       

「・・・誰や、あの子?」
「ああ、彼女はルキアと言って―白哉の妹さんだよ」

       

その位置からは襖に遮られて庭に誰がいるかなど判らない筈なのだが、浮竹は淀みなく答える。
―と、暫くして漸く自分に向けられた怪訝そうな表情の意味に気付いたらしい、浮竹は「庭で訓練しているのは彼女しかいないんだ」と付け加えた。

                       

「へぇー、あんな別嬪さんがおるなんて知らんかったなぁ」

       

僅かに身を乗り出す。無表情だが、芯の強そうな横顔が黒髪の間から窺える。

               

「彼女が朽木家の養子に入ってそう日が経っていないから、そうだろうな」
「ふーん・・・あの子、面白い子やなあ。さっきからずっと見とるけど、決められた型―それも基本の型しかしてない。―まるでわざと下手にしてるみたいや」

               

そう言われて、浮竹も彼女の訓練の様子を見ようと、病弱なその体をゆっくりと起こし襖を開いた。呼吸。リズム。速さ。何も変わった所はない。よくも悪くも平均的な動きだ。

       

「そうか?俺には普通に見えるが・・・」

               

首を捻って振り返った時には、数瞬前までそこにいた筈の客人の姿は既になかった。

               

               

               

       

               

―気を抜いた途端に緩やかになりそうになる呼吸を、努めて短く吐いて、鋭さを保とうと意識する。

               

体力のなさは、今までの人生で痛い程自覚している。どれほど鍛えた所でこれ以上のものにはなり得ないという事も。だが、強くならなければならない。同じ心央霊術院を出た幼馴染みに劣らぬように、正規の試験でここまで辿り着いた隊士達に負けぬように、―四大貴族の名に恥じぬように。
その為なら、どれだけ辛い鍛錬も厭わない。
だから、劣っている私は、隊長や、副隊長の穏やかさ、甘さに流されては―ならない。

               

迷いを振り払うように、疲労に緩みかけた木刀を一際強く握り締め、ぶん、と袈裟に振り下ろした。

               

「・・・!?」

       

―がつん、と鈍い手応えがした。

               

「何や、結構痛いなあ。そんなに細い腕しとるから、もっと非力かと思っとったわ」

               

一瞬で現れ、木刀を片手で止めた長身痩躯の男は、言葉とは裏腹に全く痛そうな素振りも見せず、糸のように細い眼で愉快そうに笑っている。男にしては細い銀色の髪に隠された瞳の色は此方から窺い知る事は出来ない。

               

「やっぱ正面から見ると、可愛い顔やな。ボクは市丸ギン言うねん、よろしゅうな。えーと・・・ルキアちゃん、やったっけ?」
「・・・」

               

その名前には聞き覚えがあった。確か―兄と同じ隊長格の男だ。だから本来席官でもない私が隊長格の男を無視するなど本来あってはならない事なのだが、どうせ興味本位で「朽木家の新しい飼い猫」である私を見に来たんだと思うと、話す気は起きなかった。

       

「いい筋やけど、めっちゃ手抜いとるなあ。そんなんじゃあ訓練にならへんよ?」
「・・・!――何の、事でしょう」

               

わざと私が無視出来ないような事を言ったのだろう。それにあっさりと乗せられて「口を開いてしまった」という後悔と、男の言葉に受けた動揺で、僅かに声が震える。

               

「思っとったより、綺麗な声やな。正直そうで。―気に入った。ボクが君に合った稽古の仕方、教えたるわ」

               

男が心底楽しそうに唇を歪めた瞬間、ざわ、と全身が総毛だった。―胸の奥で警鐘が鳴る。

               

               

               

               

               

「いくで」
「・・・―くっ!」

               

短刀が起こした一陣の風に巻き込まれそうになって慌てて飛びすさる。それは乾いた土を孕んだ砂埃となってもうもうと舞う。

       

「まだや。そんなもんやないやろ」

               

視界からかき消えそうな程の速さで男が地面を蹴る。どの方向に動いたのか、私の肉眼では捉えられないが―音が、聞こえる。呼吸が。砂を弾く音が。
そのまま「危険」を感じる方向に体を捻った。硬い筋肉では到底ついて来れない角度までしゃがみ込んで、無理矢理歪曲させる。

               

「・・・動くな」

               

数秒間の内に私は後ろから回り込むようにして、首筋に押し当てていた。いくら華奢な少女であろうと、両の手で木刀を思い切り引けば喉を潰す位の事は出来る。すなわち致命傷だった。流魂街の最下層で生まれ育ったが故の研ぎ澄まされた本能が、牙を剥く。

               

「さっすがやなあ。ボクちょっと君の事見くびっとったみたいやわ。でも―この体勢で、君の腕の長さやったら―思い切り手前には引けんやろ」

       

言いながら、男は私の脇腹の辺りを手とは違う「何か」でとんとんと軽く叩いた。力を抜かないように注意しつつ視線を落とすと、脇腹に沿うように短刀があてがわれていた。

               

「・・・」

               

丸腰なら兎も角、真剣と木刀では相打ちにさえならない。無言で男を睨み付けながら木刀を引くと、遠くで誰かの声がした。「あーあ、折角楽しゅうなってきたんやけどなあ」という呟きから察するに、恐らくその声は男を呼んでいるのだろう。

               

「しっかし、木刀相手に短刀とは言え真剣はマズかったなあ。おまけにボクの方が立場上やし・・・弱い者いじめやってイヅルに報告されてまうわー」
「・・・イヅル?吉良か?」
「そや。何や、君と同期らしいなあ。此処に来る言うたら慌てて止めに来て、『朽木さんをそっとしておいて下さい』とか言うてたわ。でも無理やな。君はこんなに『目立つ』んやから・・・―これじゃ、暗殺やで?もっと貴族らしく振舞わな」

               

       

貴族らしく。

               

忘れかけていた肩書きの重みに戦慄して立ち尽くす。その全てを見透かしているかのような笑みを浮かべる男の顔は、獲物を狙う毒蛇に似ていた。

               

               

               

       

               

「・・・時間厳守だって言ったじゃないですか・・・」

               

昼下がりだというのに不健康そうな青白い顔でぼやく副隊長に、ギンは苦笑した。

               

「ああ、ごめんごめん。ルキアちゃんがあんまり可愛いからつい夢中になってもうて」
「・・・―朽木さんは元気でしたか?」

               

淡白そうな素振りをしているが、やはり同期の事が気にかかるらしい。一瞬からかってやろうかとも思ったが、今日の所はやめておいてやる。

       

「元気も元気。あの調子ならイヅルの地位も危ないんちゃう?」
「・・・え?そ、そうなんですか?朽木さんがそんなに強くなっているなんて知らなかった。―きっと四大貴族の教育の賜物ですね」

               

違う。あれは先天的な物だ。そして彼女はそれを嫌っていて、何とか捨てようと努力している。浮竹も気付かない程微かにしか漂わないその雰囲気は、自分が同じように流魂街の出身だったからこそ解る危うい物だった。
彼女の兄は気付いているのだろうか。あの鋭い牙に。

               

「そうかもしれんなあ。にしても、ひっさしぶりに動いたからお腹空いたわー。何か食べに行こや」
「・・・は、はい」

               

―鐘の音が聞こえる。それが危険を知らせるシグナルであろうと、恋人が鳴らす愛の印だろうと、鐘は鐘だ。
烙印にも似て、頭の中を響き渡っていくその音に彼はゆっくりと唇の端を上げた。

                               
 

                               END

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お題15「聴こえる」より、ものすごくシリアスな初ギンルキ(というかギン→ルキ)でした。