ある晴れた日、永遠が見える 14


ジェームズⅠ世王の犯罪

 私は英語の聖書を買って少し読みはじめた頃、出会ったアメリカ人のクリスチャンたちに、機会があるたびに、こう尋ねたことがあります。

  「なぜ英語の新約ではヤコブがジェームズになっているのか? 旧約ではちゃんとヤコブとなっているのに…」

彼らは一様に「わからない」と答えていました。そして、この疑問もそのまま、私の中にわだかまっていました。
 それからずっと後になってから、メシアニック・ジュー(1)のある先生の講演を聞き、やっとこの答えがわかりました。それはこういうことらしいのです。
 英語の聖書の古い訳に、“King James Version”(KJV、KJ)というのがあります。日本ではキング・ジェームズ訳、あるいは欽定訳と言っています。現在も英語圏で使用されている、ひじょうに定評ある翻訳で、1611年に訳業が完成したものだそうです。いわゆる逐語訳といって、原文のヘブライ語(旧約)やギリシャ語(新約)と1対1で逐語的に訳すのを方針としたものです。それで訳文の中にはイタリック体(斜体)の単語がありますが、これは(英語の読者のために)意味を明確にするために(最小限)付け加えられた言葉だそうです。それぐらい原文に忠実に訳したということなのでしょう。今でも英語圏のクリスチャンの中には、「聖書はやはりキング・ジェームズ訳でなければ…」という人も多いようです。
 ところが、このジェームズ王様はなにを血迷ったか、新約の「ヤコブの手紙」を “The General Epistle of JAMES” としたのです! 日本語ではちゃんと「ヤコブ」となっているのに、英語では“ジェームズ”なのです。
 原文のギリシャ語ではどうなっているか確かめてみましょう。“United Bible Societies”(UBS)の“The Greek New Testament (3rd. Edition)”のヤコブの手紙ではタイトルは“ΙΑΚΩΒΟΥ”です。発音は「ィアコーブー」で「ヤコブの(手紙)」ということでしょう。これはおそらく後代に加えられたものでしょうから、冒頭の文をさらに見てみます。

Ίάκωβος θεοῦ καὶ κυρίυ Ἰησοῦ Χριστοῦ δουλος...

発音は(あまり自信ないですが)「ィアコーボス・セウー・カイ・キュリウー・イエスー・クリストゥー・ドゥーロス」だと思います。
(これも自信なしですが)意味は「神と主イエス・キリストの奴隷ヤコボス」でしょう。
 以上のように、どこにも“ジェームズ”などとは載っていないのです。ジェームズというのは英語です。ヘブライ語でも、ギリシャ語でもありません。
 これは一体、どういうことなのでしょうか?
 結局、このジェームズⅠ世王様が“新約のヤコブの名前を、ジェームズ(という自分の名)に変えた”ということだったのです! おそらく、旧約のヤコブの名をジェームズに変えるのは、さすがに気が引けたのかもしれません。この旧約の יַעֲקֹב(ヤァコーヴ) を“Jacob”と音訳するのは(厳密に音を移すことは困難な以上)許されるでしょう。しかし、どんな理由にせよ、故意に訳文を変造するというのは、決して許されることではないと思います。
 しかしこれ以降、英語の聖書はヤコブ(の手紙)を“James”としてしまいました。その他の訳、たとえば“New King James Version”(NKJ)、“New International Version”(NIV)、“New American Standard Bible”(NASB)、“Good News Translation”(GNT)なども、みな“James”となっています。そして、なにより冒頭で紹介したように、アメリカ人(やイギリス人もおそらく)このことを知っている人はあまりいないようなのです。
 前述したように、このキング・ジェームズ訳は今も根強い人気をもっています。ある本には「この訳は350年間、驚くべき名声を博した。その主な理由は、恐らく訳文の美しさとリズムにあったのであろう」(2)と語っています。上に立つ者としては、このような改変はあまりにも軽はずみで無謀なものだったと思います。
 私はもう死んでしまったこのジェームズⅠ世王のことを裁こうとは思いませんし、できるものでもありません。しかし、このような経緯があって、今もそのことを正すことができないでいるということは、やはり知っておくべきことで、できるのならきちんと正すのがよいと思います。

万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。(サムエル記下 7:8)

神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。

ご覧ください
  わたしの内に迷いの道があるかどうかを。(詩編139編23~24)

(1) イエス(イェシュア)をメシア(マーシアハ)と信じるユダヤ人の人々のこと。さまざまな歴史的経緯から、ユダヤ人クリスチャンとも、へブルー・クリスチャンとも言わず、現在のような呼び方になっている。
(2) 「カラー 聖書百科事典」 p.73、1980.4.3、いのちのことば社刊

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation


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