第24回・機上対談……青木さんの巻

写真の紹介。 2から5は昨年夏のルート順です。

(編集子前曰)今回は青木さんの登場です。青木さんはたしか電化からコンピューに代わっ来られたはずです。また機構設計をされていましたが電気屋さんではなかったかなとも。定年後も中国へ行く仕事をされているとようです。また、昨年のあやめ会では趣味の写真を披露して頂きました。

これらのことも含めてお話しをお伺いしたいと思います。

1.錦秋の涸沢。

2.北穂高岳頂上から南、朝日の当たった奥穂高、前穂高。
3.北穂高、涸沢岳間の稜線から、
   前穂高の北尾根越しに南アルプスと富士山。
4.涸沢岳頂上から北、右手前の北穂高と
   前方に槍ヶ岳。

(編集子) この前のあやめ会はご苦労様でした。いつも対談は奈良市内で行っていますが、青木さんは橿原ということで
    すので、今回は郡山のシャープ近くの旧
24号線添いです。最近はシャープの前の道を通ることありますか。
(青 木) いや〜、ほとんど無いですね。奈良方面は時々しか行かないし、行くとしても新24号線の方を使いますので。
    
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(編集子) 青木さんは橿原在住ですがどの辺ですか。橿原に住んでどの位になりますか。周りにはどういうものがありま
    すか。

(青 木) 橿原神宮前駅から西へ歩いて5分程度の橿原ニュータウンの端っこです。
(編集子) 歩いて5分のところに戸建のニュータウンがあるんですか。
(青 木) ここに移ったのは昭和6311月です。当時はこういう位置に家を建てられたのです。もう20年程度になります
    ね。近くには橿原神宮の他に色々な遺跡も多く環境の良いところです。

(編集子) ここに来るまでは?
(青 木) 最初は郡山の社宅でした。その後に橿原市の真菅というところに住んでいました。現在の場所は大阪、京都、
    名古屋方面へも行き易いです。自然と移り変わったのですが、だんだん交通の便の良いところになってます。

(編集子) 今日は飛び入りで猪熊さんがご参加されていますが、猪熊さんはずっと生駒ですね。生駒に決めた理由は何で
    すか。

(猪 熊) 四国に近いからです。
(全 員) 大笑い

(編集子) さて、青木さんに電話しますと「中国へ出かけています」とよく言われます。中国はどういう関係で行かれて
    いるのですか。まだ行かれるのですか。今日、飛び入りの三瀬さんも中国へ行かれていましたが。

(青 木) 中国へ出かけるのは仕事の関係です。といっても今は週に3回仕事に行ってる程度です。私は、真ん中は情報関
    係でしたが前後は電化でした。そういうこともあって電化での旧知の方の紹介から、退職後は森田電工という
    ところのお世話になっています。ここは、元々は和泉市の織物屋さんでカーペットとか毛布を作っていました
    が、電気カーペットに取り組んだことをきっかけに、その後、家電関係の仕事をしています。

      中国出張の目的は、カーペット、ストーブ、扇風機等の制御基板現品の設計生産指導のためです。

(編集子) シャープとの関係は?
(青 木) 電気カーペットとか中国向けの小物家電の一部で取引があるだけです。
(編集子)今お話がありましたように、入社時は家電でしたが、どんな仕事をされていましたか。またどういうきっかけ
    でコンピュータの方に来られたのですか。

(青 木) 昭和34年入社で平野の電化へ配属されました。各種の成型を担当していました。
      家電製品はもとより、テレビのバネル成型もやってました。電化でこの成型の仕事を56年やり、その後、原
    価管理の仕事に変わりました。この頃、電卓
(CS-20A)の試作品を見る機会がありました。この電卓を見て「電
    卓をやってみたい」と思いました。そして申し出て、電卓に携わることになったのです。

(編集子)青木さんは電気のこともよく知っておられるので、シャープ独特の「機構設計のできる電気屋さん」と思って
    いましたが。
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(青 木) 機械屋です。といっても電気のことは大好きで、テレビも勉強して修理まで出来るようになっていました。
    
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(編集子) 青木さん、情報へ来られてからの職歴をざっと教えてくれませんか。
(青 木) コンピュータへ来て最初は、電卓CS-32AADD社等OEM版の機構設計でした。あの時に聞いていたことは、
    
CS-20Aは机の上に置いているので盗難に遭うことがあり、CS-32Aは机の引き出しに入れて鍵をかけておける
    電卓ということだったと思います。その後にプリンタ電卓もやりました。

(編集子) プリンタ電卓と言えば、今日飛び入り参加の桐林さんもプリンタ電卓をやってましたね。
(桐 林) プリンタ電卓の初めはCS-50Aでした。青木さんはその大先生でした。()
(青 木) 放電加工による金型製作もこの頃からだったと思います。
(寺 村) 私も科学技術電卓1号機CS-421では青木さんのお世話になりました。
(青 木) そうでしたね。今だから言えますが、春闘の時期につき会社では仕事ができず、寺村さんの家へ電卓試作品や
    シンクロを持ち込み、さらにプリント基板のパターン貼りもやってました。泊まり込みで頑張りました。
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(寺 村) 丁度家内がお産で親元に帰ってた時でした。()

(西 村) 私はあやめ会メンバーではありませんが、今日は特別参加です。私が企画したラテカピュータでは青木さんの
    お世話になりました。当時、ラジカセとテレビを一体としたラテカセと言うのを栃木で作っていて、これに計
    算機をくっつけてラテカピュータと名付けたのです。この商品は
200台程しか作らなかったのですが、ラテカセ
    の改造は青木さんの知恵によるものでした。この構想を栃木に相談した時、栃木の人々は大変驚いていました
    ねぇ。

(青 木) そんなことありましたか。ほとんど忘れていますネ。() 僕にとってはラテカピュータよりラジピュータの方
    が想い出深いですネ。時計付き電卓にラジオをつけたもので、シャープ初のディジタルチューナーラジオだっ
    たと思います。奈良での最後の仕事でしたから。

(編集子) そうでしたか。ラジピュータのラジオの部分は確か橋本さんが担当されていたように思います。ラテカピュー
    タは奈良工場に保管しています。

(
青 木) ラジオのチューニング用PLLは橋本さんが担当されました。そして、PLLICを設計して、日立に作らせたのは
    橋本さんです。そのPLLを使ってチューナーを設計し、ラジオ部分を仕上げたのが私でした。


(編集子) 青木さんは、電卓応用商品も手がけられていたのでは。
(青 木) 高級プログラム電卓CS-363Pのほか、タクシーメータ、ボーリングスコアラー、電子レンジのコントローラ等
    色々とやりましたね。

(編集子) 特別参加の鳴宮さん、これらの商品やっていたのでは。
(鳴 宮) CS-363Pとボーリングスコアラーは青木さんと一緒にやりました。 CS-363Pのカードリーダは三共精機のも
    のを使用しました。三共は私がシャープへ来る前に勤めていた会社で、打ち合わせに行ったら知った人ばかり
    でした。
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(青 木)ボーリングスコアラーは静電気に随分悩まされましたね。
(鳴 宮) そうでしたね。じゅうたんを敷いているので。
(青 木) タクシーメータは、耐久性の面からポリカにアルミを貼り付けた2重構造でしたが、接着の信頼度確保に、熱湯
    と氷水に交互に漬けるという乱暴なことをやりました。
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(青 木)電卓の最後の方は、ハンデイタイプの電卓でした。これは使わない時にキースイッチをカバーで覆い、使う時
    はカバーをスライドさせることでキースイッチが露出するとともにディスプレイのフードも開くというユニー
    クなものでした。このモデルではビス無しを目指しました。すなわち、ほとんど嵌合によるものでビスは
1本だ
    けだったと記憶しています。

(編集子) EL-812でしたね。

(青 木) どの電卓だったか忘れましたが、振動試験のために道路事情の良くない宇和島へ試作品を送って送り戻すとい
    うこともやりましたね。

(三 瀬) 私は宇和島出身なんですが。
(全 員) 大笑い

(編集子) 青木さん、電化へ移られた事情は?
(青 木) 1975年に電子レンジのコントローラを作って欲しいとの調理()からの依頼があって、私が担当することにな
    りました。その後、その仕事は栃木へ移ることになり、栃木から来たプロジェクトに設計移管しました。ラジ
    ピュータの設計が終わった頃、電子レンジのコントローラを調理
()が自力でやりたいとの意向があって、私
    が電化へ異動になっのです。

(編集子) そうでしたか。

(編集子)さて、話は変わります。先般の2年ぶりのあやめ会、皆様方の余暇での取り組みの一端を紹介して戴きまし
    た。如何でしたか。

(青 木) 皆さん器用ですね。国包さんのボトルシップなんてイメージに合いませんね。()
(編集子)青木さんには風景写真を紹介して頂きましたが、とくにどういった写真が好きですか。いつ頃から写真をやり
    始めたのですか。フィルム写真ですか。デジカメですか。

(青 木) 私は山が好きです。山へ行くときにカメラをさげて行ったのがきっかけで、ずっとそのような形で写真に親し
    んでいます。あやめ会で紹介した写真はマッターホルンでした。天気がとても良かったのは偶然でした。

      私が山歩きを始めたのは40歳頃です。近郊では金剛山に行きますが、遠出は北アルプスばかり。一番多いの
    は穂高周辺です。その時の写真を紹介します。

 (編集子)どなたかと?
(青 木) いえ、ひとりでカメラを担いでです。カメラは銀塩でキャノンのEOS3で本体が800gあります。デジカメはま
    だ使っていません。このところは社友会の写真クラブへも入って皆さんと一緒に楽しんでいます。

(編集子)ところで、鳴さん対談の中で、色々と過去の資料の整理の話しが出ましたが、青木さんは沢山ある写真の整理
    はどのようにされていますか。

(青 木) 整理できてません。つっこみっ放しです。() 写真はリバーサルの形で保存してます。
(編集子)次のあやめ会にも是非作品を紹介してください。
(青 木) 解りました。いいのあるかな。

(編集子)写真以外に楽しまれていることはどういうことですか。
(青 木) あまり新しいことはしてませんが。() 音楽を聴くのは昔から好きです。クラシック派です。
(編集子) どんな設備で聞いているのですか。
(青 木) アンプは在職中メンフィスへ行った時に現地でマッキントッシュ製のものを手に入れました。スピーカはイン
    フィニテイ製のものです。

(編集子) こんな大きさですか。(高さ50cm程度を示す)
(青 木) 高さ157cmで重量は70kg、体重よりも重いです。() 8,500くらいで手に入れたと思います。昔は針で聞いて
    ましたが、今は
DVDでライブを聴くのが多いです。
(全 員) ほぉ〜

 (編集子) 今日、鳴さんがご参加。鳴さんは奥様の出身地の信州から帰ってきてすぐ、ここに駈けつけて来てくれまし
     た。青木さんの出身はどこですか。帰られることはありますか。

(青 木) 私は島根県出身です。島根県には兄が住んでいるので、同窓会の時には立ち寄ります。

(編集子)今日は色々とありがとうございました。引き続いてのご活躍を期待しています。
(青 木) こちらこそ。

(編集子――谷本、寺村)

(編集子後曰)

青木さん、まだ現役で頑張っておられます。
とてもお元気そうでした。

山歩きの写真は圧巻です。これからもご活躍ください。

対談の飛び入りは猪熊さん、三瀬さん、桐林さん、鳴宮さん
そして元情報の西村幸祐さんです。

西村さんは最近「きり絵作家」として話題です。
(作品を見せてもらい皆さん感嘆しました)

次回は  高松さんの登場です。お楽しみに。

7.今回の対談
5.穂高からの下り道、ザイテングラードにて。
6.涸沢ヒュッテにて