
神様に何を祈ればよいのですか。
世の中に「苦しいときの神だのみ」という言葉があります。
もちろん、困ったときに祈るのもよいでしょう。
でも、祈りは困ったときだけのものではありません。
あなたは、どうしてこの世に生きているかを、考えたことがあるでしょう。
命、身体、毎日の糧、自然の恵みなどは、全部、ただでもらったものです。
どなたからもらったのですか。どなたがこれらを造られたのでしょうか。
あなた自身やあなたが使用しているものも、すべて神の恵みです。
祈ることは、まず、「神に感謝する」ことです。
あなたがいただいたすべての恵みのために、神に感謝してください。
今ここにいること、健康であること、幸せであることを感謝してください。
感謝する事の大切さは、古来の日本の考え方にもある通りです。
また、祈ることは「神を賛美する」ことです。
自然、小鳥、花、子供の素直さ、すべての美しいものの中に、神の知恵と偉大さを感じ取って、神を賛美してください。
さらに、祈ることは「神にゆるしを願う」ことです。
私たちは、これほどの恵みを受けたにもかかわらず、神を忘れたり、
自分勝手に振る舞ったりしたことを思い出して、神におわびしましょう。
最後に、祈ることは、謙虚な気持ちで「神にお願いする」ことです。
あなたの悩みと必要なことを神のみ心におゆだねください。
神は、私たちの幸せを望んでおられる方なのです。
神はどこにもおられる方です。すなわち、祈る場所はどこでも結構です。
でも、教会の静かな雰囲気の中では、もっと落ち着いて祈れるでしょう。
平日でも、教会があいているときは、ひとりで祈りに来てもいいのです。
神に祈ることによって、あなたの心は安らぎを見出すでしょう。
教会の中を説明してください。
教会は、私たちが共に神に祈り、み教えを聞く場所です。
そのため、みなが一緒に集まれる広い場所となっています。
入ってみると、真正面に、教会の中心となる「祭壇」があります。
式を司る司祭は、この祭壇でみなの祈りを神にささげます。
特に、教会のいちばん大事な祈りである「ミサ」を祭壇でささげます。
祭壇の側に「朗読台」があります。それは、聖書朗読や説教をするところです。
また、祭壇に「十字架」が飾られていて、信者はそれに向かって敬意を表します。
イエスがみなのために命をささげられたことを思い出すためです。
両側の壁には「十字架の道行き」の十四場面が飾られています。
キリストのご受難とご復活を黙想するためです。
キリスト信者は、ご受難とご復活のことをしばしば記念します。
また、教会には、マリアさまや他の「聖人のご像」も飾られています。
キリストにならい、模範的にみ教えを実行した人たちを思い出すためです。
もちろん、この方々は神ではありません。
また、教会の中に洗礼を授ける場所もあります。
「洗礼」とは、キリストに従って生きようとする人のための入門式です。
受けられるのは、よく準備した上で、自分からそれを望む方々だけです。
入口には、水の入っている器があり、司祭の祈りで聖別された「聖水」が入っています。
教会に入るとき、手の先を聖水に浸して「十字架のしるし」を切る習慣があります。
これは、神から心を清めてもらいたいという気持ちを表すためです。
私たちは、「教会」のことを「聖堂」などとよぶこともあります。
正しく言えば、本当の「教会」は建物ではなく、文字通り、「教えの会」です。
教会建築の内部・外部の形は、教会から指定されていませんので、
場所と時代によって、様々な様式の教会建築が見られます。
日曜日の礼拝「ミサ」とは何ですか。
ミサとは、カトリック教会で行ういちばん大事な祈りです。
日曜日の他に、平日、また、結婚式、葬儀などの大事なときにも行います。
司祭が司式し、信者と共にミサをささげるのです。
ミサの由来は、キリストの最後の晩餐、彼が死を迎えようとされた時にさかのぼります。
その時、十字架の死を覚悟しておられたイエスは、
食事の途中、パンと葡萄酒の杯を取り、弟子に与えて、こう言われました。
「これは、あなたがたのために渡される私のからだである。これは、私の血である。私の記念としてこれを行いなさい」
そのとき以来、教会はキリストの使命どうりに最後の晩餐の式を繰り返してきました。
それによってキリストの死と復活を記念し、
私たちの救いのために神にいのちをささげられたキリストに、心を合わせるのです。
ミサのとき、私たちは、神のすべての恵みのために感謝をささげることにしています。
それで、ミサは「感謝の祭儀」とも呼ばれます。
なお、このとき、私たちはキリストを記念するために、まず、その教えを聞きます。
すなわち、ミサの前半には「聖書」が読まれ、「説教」が行われるのです。
日曜日に読まれる聖書の箇所は、原則として、「旧約聖書」から1箇所と、「新約聖書」からイエスの「使徒たちの文章」と、「福音書」のそれぞれ1箇所です。
毎日曜日、どんな箇所が読まれるかは、全世界の教会のために決まっています。
みなの便宜のため、その日の聖書朗読を印刷したものが準備されていますので、
教会の入口で「聖書と典礼」というパンフレットをもらってください。
それは、ミサが済んでから持ちかえっても結構です。
ミサの祈りの順序が書いてある小冊子もあります。それを使ってすぐなれるでしょう。
歌われる聖歌は、また、別冊にあります。教えてもらってください。
ミサの途中、みなが立って祭壇へ進み「ご聖体」という白いパンをいただくとき、
あなたは自分の席に残っておすわりください。洗礼を受けた方だけがいただくからです。
教会によって、そのとき、洗礼を受けていない方のために祝福を祈る習慣があります。
お望みにならば、前に進み、頭を下げ、手を合わせたまま祝福をいただいてください。
イエスさまとはどういう方ですか。
イエスさまは、私たちに神の道を教えてくださった方です。
およそ2,000年前、イスラエルのベトレヘムで貧しい状態でお生まれになり、
30才ぐらいで、国を廻って人々に教えたり、不思議なわざを行ったりされました。
だが、わずか、2、3年後、西暦30年ごろ、十字架にかけられました。
ところが、聖書が言うとうり、3日目に復活され、弟子たちにお現われになりました。
全世界にみ教えを伝えるようにと命じられたのち、神のもとへお戻りになりました。
イエスさまは、ご自分が旧約聖書で約束された「メシア・キリスト」世の救い主、
また、天のおん父が世に遣わされた「神の子」であることを宣言されました。
ご自分の教えを「福音」、すなわち「よい知らせ」と呼び、
それに従って生きるならば、幸せになれると言われました。こうも教えておられます。
「自分と同じように、他人を愛せよ」
「自分が他人からしてほしいと思うことを、他人にしなさい」
「もらうよりも、与えることに喜びがある」
マリアさまとは、どういう方ですか。
マリアさまは、イエスさまの母です。
イエスさまを育てただけでなく、十字架のもとに立つほどの勇気のある方でした。
彼女は、救い主の母となるために、どんな人よりも神から恵みに満たされ、
だれよりも神さまとみ子イエスをお愛しになった方です。
そのため、教会の信仰の模範となり、私たちはその手本に見習うようにしています。
私たちは、マリアさまを尊敬し、神の前で取り次いでくださるように祈ります。
それで、教会や家庭でマリアさまの肖像を飾ったりするのです。
なお、私たちは、イエスさまに従うように努めたすべての人々をも尊敬します。
かれらが天国で神様から愛され、永遠の幸せを得ていると信じるからです。
その中で、いちばん模範的な人は教会で「聖人」と呼ばれ、
私たちはその取り次ぎを願い、その模範に見習うようにします。
日本の教会にも多くの聖人がいますが、その中で特に尊敬されているのは、
信仰をもたらした聖フランシスコ・ザビエルと、信仰のために殉教した26聖人です。
聖書は、どういう本ですか。
聖書とは、神が行われた救いの歴史と神の教えを伝える本です。
「旧約聖書」と「新約聖書」に大きく分かれています。
旧約聖書は、イエスが生まれる前に書かれたもので、46の文章からなっています。
新約聖書は、イエスの生涯とその教えを伝え、27の文章からなっています。
旧・新約聖書は、ともにキリスト教の「正典」、すなわち、正式の教えの本です。
書かれた時代と文化圏が違うので、正しく理解するためにいくらかの準備が必要です。
はじめて読まれる方には、イエスの教えを伝える4つの福音書が勧められます。
わが国には、最近、いくつもの日本語訳聖書があります。
カトリック教会から出ているものには注解があります。それは、助けとなるでしょう。
また、聖書を分かりやすく紹介する本もありますので、
はじめて聖書を読まれる方には、そのような本が勧められます。
家の宗教が違いますが、どうしたらよいでしょうか
カトリック教会は、キリストの教えが正しいと固く信じていますが、
他の宗教の教えが全部間違っているとは思っていません。
教会は、他の宗教の中にあるよいところを理解するように努力しています。
経験が示すとおり、人間は、自分の勘違いに気が付かないことがよくあります。
また、弱い人間なので、すべてにおいて正しい人は、一人もいないでしょう。
勘違いは、もちろん正すべきですが、人の善意と心を何よりも大事にすべきです。
すなわち、教会は、それぞれが正しいと思う信仰に従う権利を尊重するのです。
家に違う宗教を信じる人がいれば、お互いの気持ちを尊重するようにすればよいです。
その上、カトリックもお墓がないがしろにされる心配はありません。
なお、洗礼を受けていない方でも、教会での結婚式がゆるされることがありますが、
神さまの祝福を得るため、その前にふさわしい準備が要求されます。
家でとなえるやさしい祈りがありますか。
神に祈りたいときには、心の中で神を思いうかべて、自分の言葉で祈ればよいのです。
日本の習慣に従って、正座しながら手を合わせて祈る習慣があります。
祈るとき、自分が一生懸命にやっている毎日の仕事を神にささげればよいのです。
よいことをしようとしているならば、その行いが必ず神に喜ばれるからです。
よいことをしようとする心は、神へのいちばんすばらしい供え物です。
また、祈る気持ちを助けるために、祈りの文句を覚えるのもよいことです。
教会で特にみなが唱える2つの祈りがあります。
1つは、イエスさまが教えてくださった祈りで、「主の祈り」と言います。
もう1つは、聖書の中の受胎告知のことばから取った、マリアさまへの祈りです。
ほかに、アッシジの聖フランシスコが作った「平和の祈り」もお勤めいたします。
特に朝晩、神に1日をささげるためにこういう祈りを唱えることはとてもよいことです。
なお、正しく生きるために、イエスの教えと「十戒」を思い出すのもよいのです。

主の祈り(新約聖書による)
天にましますわれらの父よ、
願わくは、み名の尊まれんことを、
み国の来らんことを、
み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを。
われらの日用のかてを、今日われらに与えたまえ、
われらが人にゆるすごとく、われらの罪をゆるしたまえ、
われらを試みに引きたまわざれ、
われらを悪より救いたまえ。アーメン。
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| 天使祝詞(前半は新約聖書による)
めでたし聖寵満ち満てるマリア、
主おん身と共にまします。
御みは女のうちにて祝せられ、
ご胎内のおん子イエズスも祝せられたもう。
天主のおん母聖マリア
罪人なるわれらのために、
今も、臨終のときも、祈りたまえ。アーメン。
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平和を求める祈り
神よ、私をあなたの平和の使いにして下さい。
私が、惜しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
いさかいのあることろに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように助け、導いてください。
神よ、私に、慰められるよりは、慰めることを
理解されるよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを望ませてください。
自分を捨てて始めて自分を見出し、ゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠に生命によみがえることを深く悟らせください。
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神の十戒
第一 私は、あなたの主なる神である。私のほか、誰をも神としてはいけない。
第二 あなたは、神の名をみだりに呼んではならない。
第三 あなたは、安息日を聖とせよ。
第四 あなたは、父母を敬いなさい。
第五 あなたは、殺してはならない。
第六 あなたは、姦通してはならない。
第七 あなたは、盗みをしてはならない。
第八 あなたは、偽称してはならない。
第九 あなたは、他人の妻に思いをかけてはならない。
第十 あなたは、他人のものをみだりに欲してはならない。
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