私が弘法大師と出会ったのは、随分遅かった。
もちろん、その名前は小さい頃から知っているが、単に歴史上の人物として知っているぐらいで、格別の興味も関りも、自分にはないと思っていたのである。
家の宗派は浄土真宗だったし、あとから禅には興味は持ったが、弘法大師というのはもっと遠い昔の、よくわからない人物で、さほど興味もなかった。
俄然、興味が出始めたのは、いろんな仏縁によって、救いを求めて四国遍路をするようになってからである。
当たり前の話であるが、四国遍路は弘法大師である。
各札所ごとに、大師堂といって弘法大師・お大師様をお祀りしたお堂があって読経礼拝する。
四国の自然風物の素晴らしさと、信仰の根付いた遍路道や札所のお寺の素晴らしさに、これほどのものをつくりあげた、始めた弘法大師って人は、やっぱりえらい人だったんだろうなあっと興味を覚えるようになった。
それで、ぼちぼち本も読み始めたのだが、なかなか血の通った弘法大師像を持つことはできなかった。
というのは、あまりに時代が古い上に、超人すぎて、接点があまり自分と感じられなかったし、肉声がなかなか聞こえてこなかったのである。
そんな中、松永有慶さんの弘法大師についての伝記に出会って、
大学を辞めてから唐に留学に行くまで「冷や飯ぐい」の時代が随分長かったことの記述を読んでから、はじめてとても血の通った、共感のできる人間像が見え始めた。
とんとん拍子で何もかも器用にこなすわけではなく、むしろ不器用に、冷や飯ぐいを経てきた苦労人としての弘法大師像が見え初めて、俄然好きになってきた。
それから、いろいろ折に触れて、本を読み、また遍路も進んで、小さい頃身を投げた伝説のある出釈迦寺や、幼い時の学問所の弥谷寺や、生誕地の善通寺などを訪れて、その風景画だいぶ見えてきて、追体験できるような気がしてきた。
特に、虚空蔵求聞持法を修したという太龍寺や、
明星と一体化した場所である最御崎寺がすばらしかった。
最御崎寺から見える土佐の海は、まさに生命の海であり、あの日に輝く海を見たとき、空海がはじめてわかった気がした。
あちこちの真言宗のお寺を訪れ、遍路道を歩くたびに出会う弘法大師。
そして、あちこちの伝説。
そういうものに触れるたびに、段々と、冷や飯を食いながらも足を棒にして歩き回った若き日の弘法大師が、生きた姿として見え始めた気がする。
そして、その著作を繙いて、そのすべてが一体であり、常楽我淨の生命力に溢れた明るい精神世界が、すこしずつ自分にも見えてきた気がする。
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