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COLUMN

生き方について
主に仏教やユマニスム

知足観ということ
 
「遺教経」という経典の中で、仏陀は足るを知ることを観察すること、つまり「知足観」を説いている。
欲が多いと苦しみが増し、欲が少ないと乏しいものでも満足する。
大金持ちでも欲が多いと不満足である一方、欲が少ない人ならばどんなところでも豊かに富んでいる。
と仏陀は説く。
 
人間、ともすれば、自分の現在の境遇に感謝することを忘れがちだ。
不満の種はいっぱい見つけるけれど、
満足の種を見つけようとはあまりしないものである。
 
知足観をして、現在ただいまのことに感謝をしようとしていくと、どうだろう。
自分は良いものをいっぱいすでに手にしている気がしてくる。
そして、それらがいかにかけがえのない縁でいま自分と結ばれているか、わかる。
そうすると、心は確かに穏やかになって、満足するものだ。
 
現代社会は、満足ではなく、不満足を煽るようにできている。
ちょっとテレビをつければ、CMの山であり、番組の中でもしきりに素晴らしい商品がアピールされ、自分が持っていないものが欲しくさせられる。
お金があれば、さぞかし良かろうと思わせられる。
消費を中心に世の中が回っている。
それはそれで、いいこともあるのだろうけど、
心が不満足だったり、いそがしすぎたりするようなら、本末転倒だと思う。
 
心豊かにもの満ちて、というのが理想だろう。
いまの日本の物質的豊かさや消費文明を一概に否定するつもりはないが、
自分の人生に関しては「知足観」をやって、現在感謝を忘れずに生きたほうが、
ずっと精神衛生上良いことだけは確かなようである。
 
更新日時:
2005.04.24 Sun.

読経・写経の功徳
 
 
くたくたになって家に帰って、疲れた心、ささくれだった心が、
仏壇の前で手を合わせてお経を読むと不思議とやわらかくなる。
心が落ち着き、和む。
お経の功徳とは、このようなものだろうか。
 
お経は意味がわかって読経した方が良いが、
音だけでも慣れていると、それだけでもけっこう良いものなのかもしれない。
意味をあれこれ考えるより、
繰り返し声に出して読むことや、
音の響きの素晴らしさに慣れることの良い効果というものはきっとある。
土台、サンスクリット語のお経(陀羅尼)や真言は、本を片手にしないと、なかなかその意味はわからない。
 
弘法大師以来、日本でもサンスクリット語は大事にされ、その場合音を何より大事にするようにされてきた。
サンスクリット語の般若心経や、千手観音大悲心陀羅尼、諸仏の真言など、
サンスクリット語を唱えていると、何よりその音に、いろんな魂の響きを感じる。
 
考えてみれば、遠い昔の遠い国の人の発したと音と、
ほぼ同じ響きを、いま自分の口が発音しているのは、
とても不思議なことだと思う。
時空を越えて、その音が確かに生き、よみがえっているということだ。
貴重なことだと思う。
 
サンスクリット語を発音したり、梵字を書くと、
とても心が落ち着く。
そこにあるのは、実用性を全く離れた何かだ。
純粋な時間を味わえる。
生き馬の目を抜く市場競争の役にはおそらく全く立たない、
そうした世俗の価値観を超越したものに触れる時間である。
 
別にラテン語やヘブライ語でもいいかもしれない。
私の場合、たまたまサンスクリット語だったというだけだ。
それも、素人の手習いの、本を見ながらの筆写に過ぎない。
けれど、それで精神がとても浄化されるなら、
こんなに害のない素晴らしい娯楽もまたとない気がする。
 
読経や写経というのは、精神を異世界に触れさせ、浄化する効能がある。
サンスクリット語の場合は特に。
 
更新日時:
2005.04.25 Mon.

弘法大師雑感
私が弘法大師と出会ったのは、随分遅かった。
もちろん、その名前は小さい頃から知っているが、単に歴史上の人物として知っているぐらいで、格別の興味も関りも、自分にはないと思っていたのである。
 
家の宗派は浄土真宗だったし、あとから禅には興味は持ったが、弘法大師というのはもっと遠い昔の、よくわからない人物で、さほど興味もなかった。
 
俄然、興味が出始めたのは、いろんな仏縁によって、救いを求めて四国遍路をするようになってからである。
当たり前の話であるが、四国遍路は弘法大師である。
各札所ごとに、大師堂といって弘法大師・お大師様をお祀りしたお堂があって読経礼拝する。
四国の自然風物の素晴らしさと、信仰の根付いた遍路道や札所のお寺の素晴らしさに、これほどのものをつくりあげた、始めた弘法大師って人は、やっぱりえらい人だったんだろうなあっと興味を覚えるようになった。
 
それで、ぼちぼち本も読み始めたのだが、なかなか血の通った弘法大師像を持つことはできなかった。
というのは、あまりに時代が古い上に、超人すぎて、接点があまり自分と感じられなかったし、肉声がなかなか聞こえてこなかったのである。
そんな中、松永有慶さんの弘法大師についての伝記に出会って、
大学を辞めてから唐に留学に行くまで「冷や飯ぐい」の時代が随分長かったことの記述を読んでから、はじめてとても血の通った、共感のできる人間像が見え始めた。
とんとん拍子で何もかも器用にこなすわけではなく、むしろ不器用に、冷や飯ぐいを経てきた苦労人としての弘法大師像が見え初めて、俄然好きになってきた。
 
それから、いろいろ折に触れて、本を読み、また遍路も進んで、小さい頃身を投げた伝説のある出釈迦寺や、幼い時の学問所の弥谷寺や、生誕地の善通寺などを訪れて、その風景画だいぶ見えてきて、追体験できるような気がしてきた。
特に、虚空蔵求聞持法を修したという太龍寺や、
明星と一体化した場所である最御崎寺がすばらしかった。
最御崎寺から見える土佐の海は、まさに生命の海であり、あの日に輝く海を見たとき、空海がはじめてわかった気がした。
 
あちこちの真言宗のお寺を訪れ、遍路道を歩くたびに出会う弘法大師。
そして、あちこちの伝説。
そういうものに触れるたびに、段々と、冷や飯を食いながらも足を棒にして歩き回った若き日の弘法大師が、生きた姿として見え始めた気がする。
そして、その著作を繙いて、そのすべてが一体であり、常楽我淨の生命力に溢れた明るい精神世界が、すこしずつ自分にも見えてきた気がする。
 
更新日時:
2005.05.16 Mon.

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Last updated: 2005/5/16