あつしのコラム・雑文集

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野辺の言草

12    面白かった小説 その6 ツヴァイク「エラスムスの勝利と悲劇」
更新日時:
2004.12.21 Tue.
 
 エラスムスというのは、よくわかりにくい人物である。
世界史の教科書ではちらっとしか触れられないのに、なんだか気になる。
時折、とても大きな扱いがされていたり持ち上げられているが、かといってイマイチ何をしたかよくわからない。
 
 ツヴァイクの小説は、このエラスムスを活写したものだ。
私は、そんなにツヴァイクの小説は読んだことがないのだが、エラスムスについて知りたくなって調べていく中でこの本に出会った。
 
 時代背景は、ある意味現代とよく似ている。
カトリックとプロテスタンとが自らの正義を信じて断固とした対決に突入した時代。
そして、国境を越えた理想や友情が軽視され無視され、踏みにじられ始めた時代。
 
 エラスムスは、カトリックにもプロテスタントにも属さず、新旧二つの熱狂から距離をとり両方批判し続けた。
また、国境を越えて活動し、イギリスのトマス・モアや、さまざまな各国の人文主義者と交友を結んだ。
 
 ツヴァイクは、エラスムスのこの、誰にも属ささなかった部分と、国境を越えた世界人としての部分を、ある種の郷愁と羨望をこめて描く。
それは、ファシズムと闘って亡命し、大戦中にシンガポールの陥落を聞いて自殺したツヴァイクにとって、他人事ではない理想であっただろう。
第二次大戦中も、ファシズムとコミュニズムの二つの熱狂があったし、ナショナリズムに人びとは分断されて国際人などというものは軽蔑され無視されがちだった。
 
 現代人は自分たちの時代ほど大変な時代はないと思いたがるが、エラスムスの生きた16世紀も同様に大変だったろう。
当時のヨーロッパの宗教戦争がいかにイカれたものだったかは、映画の「王妃マルゴ」や「エリザベス」など見ると、すこし想像しやすくなる。
実際、ドイツは30年戦争で人口が三分の一に激減したし、フランスやイギリスも殺戮と暴力に満ちた時代だった。
ツヴァイクは、混迷する20世紀中葉の情勢の中で、ある種の祈りと共感をこめてエラスムスの軌跡を辿り直そうとしたのだろう。
 
 ツヴァイクはこの小説の中で、エラスムスと対照的な人物、ルターにも多くの描写を行う。
繊細で温和で静寂を好むエラスムスに対し、
熱狂的で粗野で活力に満ちたルター。
ルターの方が、ある意味生き生きとして描かれるほどだ。
無力なエラスムスに対して、ルターの方が新しい時代をつくるエネルギーと確信と、輝きにすら満ちているほどである。
ツヴァイクは、この小説でルターの方の勝利を描いているようにも思えるし、エラスムスの勝利について懐疑的なようでもある。
 
 宗教改革は、「エラスムスが育てた卵をルターが孵した」としばしば言われる。
そもそも、カトリックの腐敗堕落への批判の口火を切ったのは、エラスムスだった。
「痴愚神礼賛」はいま読んでも流暢な語り口でなかなか面白いが、カトリックの(本当は人間全般なのだが)どうしようもない愚かしさを滑稽にパロディ化して描いている。
エラスムスが口火を切って批判の機運が高まったことが、ルターの宗教改革に結実した。
 
 しかし、ツヴァイクが時にもどかしいとしてすら描くほど、エラスムスはルターの宗教改革に距離をとって同意しなかった。
そのため、プロテスタントからも徐々にエラスムスは敵視されていくことになる。
そうした彼の煮え切らない態度は保身のためだったのだろうか。
そうではない。
 
 エラスムスは、ルターに必ずしも同調しないためにルターから敵として見られて罵られながらも、ルターの言い分の正しいところは認めるべきだとカトリックに対して主張し続けた。
一方完全にカトリックに味方するよう王侯たちから要請されても断り続けた。
エラスムスは、甚だわかりづらい立場をいくわけだが、その様子をツヴァイクは丹念に描く。
この綱渡りのような生き方の中で、エラスムスは随分新旧両派から疑われ悪罵されるのだが、それでもエラスムスは自らの生き方を変えない。
 
 ツヴァイクは、エラスムスが、ルターを保護すべきかザクセン公から相談を受けて、保護するよう勧めたこと、いわばルターの命の恩人であることも描く。
その後も、プロテスタントとカトリックの会議を呼びかけたり、調停になんとか努めようとする姿を描く。
エラスムスが保身のためであれば、そんなことはすまいというわけだ。
この辺りのツヴァイクの筆はよく冴えていると思う。
 
 エラスムスが、保身どころか随分損な役回りを引き受けながら、目指したものは、一体なんだったのだろう。
ツヴァイクは、ともすれば、ルターに大いに共感するように筆が滑ったりしながら、この小説では十分にエラスムスの信念や理想の寄って立つ所を描ききれず、勝利にも懐疑的なまま終ってしまっているかのような観がある。
「エラスムスの勝利と悲劇」という題名にしながら、悲劇ばかり描いて、勝利は十分描けていない。
 
 ツヴァイクのこの小説は、戦時中に日本でも翻訳されて、首相を歴任した近衛文麿も大変な感慨を持ちながら読んでいたとのことである。
近衛も、軍部の台頭を何とか防ぎ、戦争を回避しようと(主観的には)努力しながら、果たせなかったというところに、自らとエラスムスを重ね合わせたのだろう。
 
 だが、史実のエラスムスは、ツヴァイクが描いたり、近衛が自分と重ね合わせたりする像よりも、もっとずっと強く逞しかったと私は思う。
ここから先は、ツヴァイクを離れて、私が他の本を参考にして描くエラスムス像である。(特に木ノ脇悦郎著「エラスムスの思想的境地」参照)
ツヴァイクのを読んでいるうちに、もっとエラスムスについて知りたくなったのだ。
 
 エラスムスの根本を理解するには、彼の人生を支えた根幹を見る必要があるが、
それには、エラスムスとルターの「自由意志論争」を見るのが一番いいと思われる。
自由意志論争は、人間には何の自由意志もなくすべては神の意志であり、奴隷意志しか本当は存在せず、信仰によってのみ救われるとするルターに対し、一般的にはエラスムスが自由意志を擁護したといわれている。
一般的な後世の理解、また当時でもルターの側の理解だと、「自由意志論争」はアウグスティヌスとペラギウス派が行った論争の焼き直しに過ぎないが、実際はそうではない。
 
 エラスムスの本当に主張していたことは、ルターが誤解した、そして後世が誤解した内容とかなり異なるし、ペラギウス派とは全然異なるものだった。
要するにエラスムスはアウグスティヌスをより深く理解していて、以下のような内容を主張していた。
 
 アウグスティヌスが(そしてルターが)言うように、人間がすべてを自由意志で決めることができるわけではなくて、神の恩寵が必要である。
神の恩寵がなければ何もできない。
しかし、神の意志がどう我々に呼びかけているか、我々人間は常にその声に耳を澄まし、どう応答するかの責任がある。
 
 ということを、主張していたのである。
つまり、ペラギウス派や、後年のサルトルのような実存主義者のように、人間がすべて自由に決定できる存在のようには主張していない。
かといって、ルターや、後年のマルクスのように、人間の自由意志が錯覚であり必然に支配されているとも言わない。
わかりやすく日本風に直すと、生きていくうえでは(親鸞が言うような)他力が必要だが、他力だけではなくて、応答の部分には自力が働く余地がある。
しかし、自力だとて万能のものではなく、むしろ極めて非力なものだということだ。
 
 神(今日風に言えば、運命あるいは歴史や世界)が呼びかけてくる声の解読に対して、
人間は実存的な責任を持つ。
しかし、それは何ができるかということよりも、
どのような態度をとるかということに関してのみ、
限定的な責任と自由があるということを、エラスムスは主張している。
そしてその部分に関しては確かに人間の自由と責任があることを、
エラスムスは主張しているわけである。
 
 この考え方からすれば、個々人はなるべく耳を澄ませて神や歴史や運命からのメッセージを聞きとろうとしつつ、
しかもそのメッセージにどのように応答するか自分で決めねばならない。
耳を澄まし受信能力を高めるためにも、メッセージを良く解釈して適切に応答するためにも、個々人は高度の教養と知識が要求される。
 
 何もかもが自分で決めたり変えたりできると考える、ペラギウス派やサルトルのような立場をとると、しばしば人間は自分のあまりの無力さに絶望してしまう。
ツヴァイクや近衛文麿も自殺してしまった。
 
 一方、何もかもが神の意志や必然だとするならば、
自らをその意志を把握した代弁者や前衛と信じてこの上なく残酷になり敵を容赦なく叩きのめそうとしてしまうし(共産主義者やイスラム過激派やネオコン)、
あるいは自分は何もしなくてもいいということになる。
 
 エラスムスは、それらの両極端を避けた、極めてか細い道を辿った。
しかし、この道を歩んだからこそ、何が是か非か、自分の頭で考え、是々非々の立場を貫き通した。
そして、自らを責めすぎて自殺することもなく天寿を全うしたし、また自分の意志判断や責任を放棄して思考停止に陥ってしまうこともなかった。
 
 一個人として自分の判断に責任をあくまで持つ生き方に、エラスムスは徹した。
一方で、自分のできることは自分なりの良心を貫くことだけと知っており、
決して絶望せず天寿を全うできた。
こうした生き方は、決して「悲劇」ではないと思う。
そして、無力でもないと思う。
 
 物事に対してどのような見方をし、どのような言葉をその時紡いだかは、自他の心に必ず残る。
エラスムスは、たとえ無力に見えても、自らの判断を決してやめず、人間としての良心に忠実に生き、ペン一本でカトリックともプロテスタントとも闘い続けた。
エラスムスの「平和への訴え」という本は、「どうして人間が人間に好意を持てないのか」「私たちは本当は同じ人間のはずだ」という、リアリストや革命家からはセンチメンタリズムと一笑に付されそうなことを、切々と訴えている。
それらは、その時代には無力に見えたかもしれない。
 
 しかし、エラスムスは、ラブレーに甚大な影響を与えたことはよく知られるし、エラスムスのような態度や生き方は、ヴォルテールやヒュームや、ロマン・ロランや、西洋の多くの知識人に脈々と受け継がれていった。
今日では、EUができて、絶対主義以来国民国家に分断されていったヨーロッパは、再びエラスムスが理想としたような統合の時代を迎えている。
EUは自らの先駆者としてエラスムスを讃え、人物交流の計画にエラスムスの名前を冠しているほどである。
また二度の大戦を経て、人類の多くは戦争を望まなくなってきた。
 
 ツヴァイクの時は、まだエラスムスが本当に勝利したのか、疑問を持たざるを得ない状況だったし、ツヴァイク自身その勝利を疑いながら書いている。
けれど、疑いながらツヴァイクが祈りをこめて題名にした「エラスムスの勝利」は、ある意味ちゃんと実現してきたと思われる。
ツヴァイクも、もう少し長生きしていれば、ファシズムが負けるのを見れたことだろう。
 
 今日も、ルターのような熱狂と、エラスムスのような「ユマニスム」は未だにせめぎ合っていって、どっちが最終的に勝ったとは言えない状態である。
現代も、9.11以後特に、グローバル化の現代におけるcatholicとprotestant、「普遍者」と「抗議者」の対立が深刻化しつつある。
特に、ネオコンとアルカイダは、宗教戦争の時代と変わらないほど自らの正義に熱狂して野蛮な暴力に耽っている。
日本では、片方の熱狂を無批判に支持する態度や、無批判に傍観する態度が目立つ。
ルターのような生き方に未だに魅力を感じたり、無批判でいる者も多いわけだが、そうした態度がいかに野蛮と戦乱を招いてきたかは、宗教戦争や二度の大戦や共産主義の顛末を見れば暗澹たる思いと共に気付くだろう。
か細い道、狭き門こそ、命に通じる道だと思う。
 
 日本にも、エラスムスは本当はとてもゆかりがある。
江戸時代に、すでにエラスムスは、不思議な縁があった。
オランダ船リーフデ号の船首についていたエラスムス像が、浜辺に漂着したのを、佐野藩の殿様が持って帰り、長いこと正体不明の異形の仏像として龍江院という禅寺の観音堂に祭られ、土地の人から親しまれていたという。
明治になってから、それがエラスムス像だとわかった。
形だけでなく、心も、エラスムスの人文主義の精神は蘭学を経由して日本にも流れ込み、勝海舟などの精神に流れ込んでいると思う。
渡辺一夫や、その弟子の大江健三郎は、自ら「ユマニスム」を主張して、エラスムスの思想や生き方を追慕してきた。
 
 貴重な歴史を蘇らせ、またその探求のきっかけになる本というのは良いものだ。
ツヴァイクのこの本はそういう本だ。
できるならば、ツヴァイク以上の、エラスムス伝をいつか書いてみたい。
20世紀半ばのファシズムとコミュニズムの闘いの中で、ツヴァイクや渡辺一夫らがエラスムスに新たな息吹を吹き込んで軌跡を辿りなおしたように、
21世紀の文明の衝突の中でも、エラスムスは蘇るべきだと思う。
 
 
 
 追記:「ユマニスム」という言葉は、英語のヒューマニズム”humanism”をフランス語で言ったところの”humanisme”である。
しかし、「ユマニスム」を「ヒューマニズム」と言ってしまうと含意が違ってきてしまう気がする。
日本で使われるヒューマニズムという言葉は、古典研究に裏打ちされた人文主義という意味合いから離れて、安っぽい人道主義や偽善主義の代名詞のように使われている。
本来のユマニスム=人文主義は、古典研究から生まれたものであり、古典研究によって培った人間への理解に基づいたものである。
そのため、渡辺一夫や大江健三郎は「ユマニスム」として使っている。
 



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