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秘 密 -1-
私は楓くんの秘密を知っている。
あの分厚い眼鏡の奥には、とっても優しい瞳があるってこと。
まだ誰も気付いてない。
私だけの秘密・・・。
「ねぇ、楓くんって彼女いるの?」
あまりにも唐突な質問に、楓くんは少し引いてるようだった。
うわばきを履いてベッドから降りると、返事に困っている楓く
んの所まで歩いて行く。
「いるの、いないの、どっち?」
こんな質問をするのは、生徒の中できっとアタシくらいだろう。
分厚い眼鏡の奥の瞳は、あきらかに動揺している。
「い、います・・・。」
観念したように楓くんが言った。
なんだ、彼女いるんだ・・・。
ガッカリして楓くんの隣にあるイスに座って、深い溜息をついた。
いないと思ったんだけどな。
だって森下楓くんは、私の通う高校の先生なんだけどね。
先生と言っても、楓くんはとってもめずらしい保健室の先生で。
普通保健室の先生って言ったら女の先生でしょ。
まぁ楓って言う名前は女の子みたいだけど、実際は男の先生で。
その楓くんは牛乳ビンの底のような分厚い眼鏡を掛けていて、
髪はいつも寝癖がついているという、どう考えても女子からは
好かれそうもない容姿なのだ。
こんなこと言ったら失礼だけど、絶対彼女いないと思ったんだ
けどなぁ。
「野原さん?」
かなり落ち込んでいるアタシの顔を覗き込む楓くん。
「楓くん、彼女いるんだぁ・・・。」
「あの、野原さん。その『楓くん』って言うのはどうかな。僕
は一応先生なわけだし。」
「えっ、楓くんって呼ばれるの嫌い?アタシは可愛くていいと
思うけど。」
だって楓くんって呼んでるのはアタシだけだもん。
なんか特別って感じがしていい。
「そう言う問題じゃ・・・。」
楓くんの言葉を遮るように、保健室のドアが思いっきり開いた。
「真帆──。」
入って来たのは同じクラスの美加で、私に鞄を渡すと「帰るよ」
と言ってアタシの腕を掴んだ。
「もう具合はいいんでしょ。授業とっくに終わってるんだから、
もう帰るよ。」
「あ、うん。」
ホントはもう少し話していたかったけど。
「じゃあね楓くん。」
苦笑いする楓くんに手を振って、保健室を出た。
「真帆って変わってるよね。」
ローファーのつま先をトントンと鳴らしながら、美加が言った。
「何が?」
「森下のどこがいいんだか、私にはさっぱりわかんないよ。真
帆、保健室の常連になってるもんね。今日だって・・・仮病でしょ?」
さすが美加、するどい。
初めはホントに具合が悪くて保健室に行ってたんだけど、最近
では2回に1回は仮病だったりする。
小さい頃から貧血気味で、もともと保健室に通う回数は他の人
より数倍多い。
だから保健室に行くって言っても、疑われることはないんだ。
「いいんだもん。楓くんの良さは、アタシにしかわからないの。」
あの秘密は、親友の美加にも教えない。
「あっ。ねぇ、あれ。」
校舎を出て歩いていると、美加が校庭の方を見て指を差す。
その指の先には、こっちに向かって走ってくる西藤の姿があった。
「おまえ達、今帰り?」
西藤は首に掛けてたタオルで汗を拭いながら、アタシ達を見た。
「あ、うん。西藤は部活?」
「うん。そういえば野原、また保健室行ってたんだろ?大丈夫か?」
「あ・・・うん、大丈夫。」
言葉を濁すアタシを見て、美加が笑う。
「何?」
なんで美加が笑ったのかわからない西藤は、首を傾げる。
あぁ、もう美加のバカ。
「あ──、何でもないの。ほら美加帰るよ。じゃあ西藤部活頑
張ってね。」
慌てて美加の背中を押しながら、西藤に手を振る。
「もう美加ってば、変なとこで笑わないでよね。」
「えー、だって仮病なのにさ。西藤マジで心配してたよ。」
「そうだけどさ・・・。」
西藤とは1年の時からずっとクラスが一緒で、男子の中でも一
番仲がいい。
普段は口が悪いんだけど、アタシの体のこととなるとすごく心
配してくれる案外いいヤツなんだ。
「西藤ってさ、絶対真帆に気があるよね。」
へっ?!
あまりにも可笑しなことを言うもんだから、瞬きも忘れたくらいで。
きっとジュースなんか飲んでたら、コントのようにブーって吹
き出してた思う。
「な、何言ってんの?」
「だって話す時いっつも真帆のこと見てるし。見てればわかるよ。」
そんなこと、あるわけないじゃない。
だって西藤は友達だもん・・・。
「もう、バカなこと言ってないの。ほら、早く帰ろ。」
そう言ってまた、美加の背中を押す。
その時、少しだけ後を振り返ってみると、校庭に戻って行く西
藤の姿が見えた。
そんなわけ・・・ないよ。
ピピピピッ。
電子音が鳴ったのに気付いて、楓くんがベッドの側まで来た。
アタシは黙ったまま体温計を楓くんに渡す。
「38℃か。熱下がらないね、どうしようか。」
さっきまで眠っていたのと熱のせいで、頭がボーっとして言葉
が出て来ない。
あぁ、最悪・・・。
風邪と貧血が重なって、お昼前からずっと保健室で眠ってたん
だけど、薬を飲んでも熱は下がってくれないみたい。
「もう下校の時間だけど、家族の人に迎えに来てもらう?」
アタシは顔を横に振った。
「家誰もいないから。」
「えっ?」
「お母さんも働いてるから。たぶん来れないと思う。」
「そっか・・・。」
楓くんは腕を組んだまま、しばらく考え込む。
「いいよ楓くん。アタシ帰れるから。」
そう言って体を起こしてベッドから抜け出そうとした時、眩暈
がして体の動きが止まってしまった。
すぐに気付いた楓くんは腕を支えてくれて、それからアタシの
顔を覗き込んだ。
「大丈夫?無理しない方がいいよ。・・・しょうがない、僕が車
で送って行くよ。担任の先生に言ってくるから、野原さんはこ
こで待ってて。」
保健室から出て行く楓くんの後姿を見ながら、アタシは熱のあ
る赤い頬を緩ませた。
楓くんが家まで送ってくれるんだぁ。
具合が悪くなければもっと嬉しいんだけどな。
でも具合が悪くなければ、送ってもらえないんだもん。
アタシはぼんやりとする頭の中で、いろんなことを考えていた。
楓くんの車はミントの香りがした。
アタシはサイドシートに体を預けながら、静かに楓くんの横顔
を見ていた。
なんでみんな気付かないんだろう。
こうしてよく見ると鼻だって高いし、唇はほどよい厚さで。
そしてこの眼鏡の奥には優しい瞳が隠されてるんだから。
楓くんはそれをわかってて、あんなに分厚い眼鏡を掛けてるん
だろうか。
「帰ったら暖かくして眠るんだよ。それから栄養もたっぷり摂
らないとね。」
ハンドルを握り、前を向いたまま楓くんが言った。
「はーい」と返事をしながらあらためて車の中を見渡すと、い
ろんなものが目に付く。
フロントガラスの左上にある小さな鏡や、エアコンの吹出し口
に取り付けられたドリンクホルダー。
これって全部彼女のためのものなんだ。
そっか・・・。
このサイドシートだって、彼女専用なんだよね。
そう思うとなんだか気分が重くなってしまう。
「ねぇ・・・楓くんの彼女って、どんな人?」
「えぇっ?!何で急にそんなこと聞くの?」
楓くん、動揺してるよ。
「何でって、気になるから。」
熱のせいなのかなぁ。
もうこれって告白に近いし・・・。
答えに困っていた楓くんはしばらく黙っていたけど、思い出し
たように口を開いた。
「優しくて素敵な人だよ。」
あぁ、もっと熱上がりそうだよ。
聞かなきゃ良かった。
だってその言葉を口にした時の楓くん、とっても優しい表情を
してたんだもん。
「ふーん、そうなんだ。」
何だか悔しくて、なんともない振りをして目を閉じた。
それからしばらくして、アタシは肩を小さく揺すられて目を覚
ました。
「もう近くまで来てるとは思うんだけど、ナビしてくれる?」
窓の外を見ると見覚えのある風景で、家まではあと5分くらい
という距離だった。
「あ、2つ目の信号を左に曲がって、ひとつ目の路地を右に入
ったとこ。」
説明をしながら、アタシは後悔していた。
なんで、なんで熟睡なんてしちゃったんだろう。
ほとんど話せなかったし・・・。
思いっきり溜息をつくと、それに気付いた楓くんが心配そうに
こっちを見た。
「何?大丈夫?」
「あ・・・違う、何でもない。」
そう言ってシートに身を沈めたものの、すぐに家に着いてしまった。
静かに車が止まり、ハザードランプがつく。
「どうもありがとう。」
「どういたしまして。熱下がらないようだったら、明日は無理
をしないこと。わかった?」
頷いて車を降りて、開いた窓から楓くんの顔を見て。
「楓くん・・・。」
「うん?」
アタシの呼びかけに、一度押したハザードランプのボタンをも
う一度押し直す。
「・・・うぅん、何でもない。気を付けてね。」
「あぁ、うん。じゃあ。」
そう言って車は走り出した。
別に何か言おうとしたわけじゃない。
ただ、もう少し一緒にいたかったなぁ・・・なんて。
「はっ・・・はっくしゅん。」
そんなこと考えてる場合じゃなかった。
アタシはふらふらとしながら、玄関のドアを開けた。
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