私だけの古代史 第二部・エジプト編



   第1章 ピラミッド大和三山



   1. ピュアガール


『私だけの古代史』ですっかり古代史通?になった私は、エジプトのピラミッドの謎解きを心待ちにしていた。けれど、先生はなかなか腰を上げない。そんな中、瞳に誘われて宇都宮に行くことになった。それは、先生が例によってエクソシストのために宇都宮に出かけていたからである。

 先生によると、栃木は悪霊の本場で、有名な那須の殺生石(せっしょうせき)は、インドから中国へ渡り、最後に日本へやって来た悪霊が石に封じられたものだそうである。中国では幽王の后に変じ、日本では玉藻ノ前(タマモノマエ)という美女に変じて宮廷に入り世を乱したというから、かなりの大物である。そんな悪霊が石の封を破り、末の世に人の心を乱すために解き放たれたらしい。もっとも、これは神による試しの一つなのだそうだが。先生は、昭和の頃から先生の行くところ天皇ありという因縁のため、那須に御用邸のある天皇家を守るために那須の悪霊と対峙(たいじ)しているのである。


 私と瞳は東武線に乗り、何度か乗り換えて西川田という小さな駅で降りた。そして、駅から数分の小さな競馬場に直行した。どうやら先生は、開催中の競馬を楽しんでいるようである。

 こういう施設が初めての私達は、ガードマンさんに尋ねて百円の入場券を買い、閑そうにお喋りしている受付の女性に手渡した。入るとすぐに競馬新聞を売っているが、私達は馬券は買わないので素通りした。そして、決して多いとはいえない人の流れから、スタンドの端のほうにパドック(レース前の馬の下見所)があるのを確認し、そちらに向かうことにした。

 先生は、箱庭のように小さなパドックの、馬の出入り口に近い場所で馬の登場を待っていた。私達が来る事を先生には知らせていないので、先生はすっかり安心?して油断していた。私達は、しばらく先生を泳がして観察することにした。

 パドックにガードマンが一人立つと、やがて厩務員さんに引かれた馬の入場である。私には馬の良し悪しや仕上げは分からないが、それでもサラブレッドの馬体の迫力には感動する。でも何となく、馬に元気が感じられない。それは、テレビで見るのは頂点のレースばかりだからかもしれない。厩務員さんは制服のようなものを着用し、ヘルメットを被っているので一目オシャレではない。そんな風に馬と人を見ていると、いきなり次元の違う光景が飛び込んで来た。それは、背筋がすらっと伸びた乗馬服姿の女性が現れたからである。いや、乗馬服というのは間違いかもしれない。規則の中で、精一杯のオシャレを極めている女性の厩務員さんなのだ。

 年齢は女子大生くらいだろうか?ヘルメットにはカヴァーをかけ、足元はブーツの出で立ちだが、長い髪を金髪に近い茶髪にしてウエーブをかけている。またそれがよく似合う美人なのだ。馬に寄り添う表情は硬いが、余った手綱を丸く束ねて素手の左手で握り、手を大きく振り、馬の歩幅に負けないくらい大股に歩く様子は、誇りとこだわりに満ちてとても美しいものに感じられた。こういう女性を先生はどのように見ているのかと窺うと、先生はデジカメを取り出して写している。そっと近くまで行ってみると、隣のおじさんと何やら話している。

「ありゃー、調教師の娘かい?」と知らないおじさんが栃木弁で話し掛ける。

「そうかもしれませんねー、美人ですよねー」と半ズボンにTシャツの先生。知らぬが仏とはこの事である。

 先生は、美人の厩務員さんが回ってくると目を見つめ、左手の人差し指を立てて顎に当てた。見ようによっては一着を暗示しているようにも見える。変なおじさんに見つめられた厩務員さんの手綱に力が入ったのか、おとなしく引かれていた馬が急に淹れ込んだ。彼女は、素手の左手で馬の首の辺りを軽く叩いてなだめている。この人は、本当に馬が好きなのだ。やがて騎手が整列し、号令と共に馬に走り寄る。厩務員さんは騎手の膝下に右腕を差し入れ、軽く持ち上げるようにして騎乗の手助けをする。美人の厩務員さんは、騎手に何かを話し掛けられ、それまでとは一変して明るい笑顔になった。きっとこれが彼女の本当の姿なのだ。瞳もそうだが、こういう笑顔をする人は間違いなく純粋である。

   
写真は クイックチェリー号

 レースが始まると、彼女の担当のピュアガールは先行から直線突き抜けて一着となった。先生は、ピュアガールが先頭に立つと飛び上がって応援し、最後は握りこぶしを振り回していた。小さな競馬場にはふさわしくない光景だが、私は生のレースに感動していた。人間が作り出したものの中で、こんなに美しく感動的なものはない。美人の厩務員さんは、ワゴン車から飛び出してくると笑顔に満ちていた。他の厩務員さんにも言葉をかけられているようだ。一着賞金がわずか20万円の世界でも誇りを失わず、馬を愛し、ひたむきに馬に接している。その報奨金はわずかだが、ここには別の価値観が生きている。トタン屋根が錆付いた壊れそうな厩舎を思うとき、私はイエス・キリストが馬小屋で生まれた意味を理解し、涙が溢れてくる。馬小屋は貧しさの象徴ではなく、謙虚さの象徴なのだ。謙虚さがなくて、どうして馬に一生を捧げられようか。私は、ピュアガールという名が、馬だけではなく、彼女を含めたサークルにこそふさわしいと思った。

 馬券の払い戻しを終えると、先生はギクッとして私達を見た。瞳は「先生、万馬券嬉しいでしょう!」と言って先生の手を掴んだ。

「えっ、万馬券だったんですか?」と私。

「そうよ、枠連1万8千円の大穴。そうでしょう、先生?」瞳は、いつのまにかオッズを確認していたのだ。そうか、それで先生は小躍りしていたのか。先生は諦め顔になったが、瞳はさらに追い討ちをかけた。


「先生、美人ですよねー!」

 この一言で、先生はすっかり観念した。瞳は「もう一人の美人が見つかったのだから、いよいよピラミッドの謎解きですねー」と決め付けた。こうして、我が先生は一月後の講座を確約させられたのである。 


 九月最初の土曜日、第1回目の講義となった。私は、クフのピラミッドの謎解きという事で、今回は予め予習をしておいた。先生が薦めるアンドレ・ポシャンの『ピラミッドの謎は解けた』を読んでおいたのである。この本の特徴は、ピラミッドの寸法を最初からメートル法で計測していたことにある。名前から分かる通り、ポシャンはフランス人で、メートル法の恩恵を素直に受け入れている。ポシャンが参考にしているピートリはイギリス人だが、測量技術者としても成果を上げている。でも多くの研究者は、ニュートンがそうだったように、ヤードやインチでの測量結果を、そのままか、あるいはメートル法に換算して用いている。この結果、メートル法ならばぴったりと割り切れる数値が、小数点以下何桁まで計算しても割り切れないと言う泥沼に陥ってしまう。その点、ポシャンの測量は最初からメートル法によっているので、酒船石や益田岩船と同じように、1pあるいは0.5p刻みでデータが並ぶことになる。特に女王の間に穿たれた階段状の凹みは、71pと84pなどでピッタリ割り切れている。だから、先生の講義もこの寸法について行うものと思っていたら、意外にも話は日本、それも『酒船石』で出てきた大和三山であった。



   2.大和三山の標高の謎


「今回の講義はクフのピラミッドの謎解きですが、主に内部通路の構造と寸法の謎に迫ることになります。けれど、酒船石や益田岩船のときもそうでしたが、謎というものは極めて多くのファクターから成り立っているが故に謎なのです。従って、最初に謎を謎として認識できる知能、すなわちインテリジェンスが必要です。でも、多くの人にはまずこれが欠落しているのです。何が謎なんだか分からない。そもそも謎とされているものに対して全く興味が持てない。こういう人に対しては、僕は語る言葉を持ちません。

 謎というのは、言葉に迷うと書きます。要するに、常識では説明が付かないということです。だから、常識に捉われない自由な発想が出来、しかも論理的あるいは合理的なアプローチができる人でなくては謎を解くことは出来ないのです。さらに、酒船石のように象徴で造られているものに対しては、ある意味で非論理的なアプローチも必要とされます。しかしそれは、論理性や合理性を廃したものでは有り得ません。非論理思考の世界は、論理性や合理性と矛盾しない、直感的で象徴的な体系を有しているからです。垂直思考や水平思考のさらに上を行く立体思考の世界、それが謎解きの本質なのです。例えば、謎という字は言葉に迷うですが、では石井さん迷うという字は何でしょう」

「えーと、米の道と書きます。でも、その意味は分かりません」私は、突然の質問にうろたえながら答えた。

「そうですね。米の道が何故迷いなのでしょう。この謎を解くには、更に米という字の本質を知らなくてはなりません。米という字は、十字架を挟んで新旧の神が同じである事を示すと言いませんでしたか?」

「あっ、ヤクルトの米野の名前のときに」

「そうでしたね。でもあの時は解き明かしはしませんでした。今からそれをしましょう。米は、八十八と書くように手間隙のかかる作物です。けれど、八という数字はヤと読むように、ヘブライの神のヤハウェのことを指します。ヤ、ユ、ヨが出てきたら、神の事だと思って間違いないでしょう。だから、八幡様も主神はヤハウェなのです。そして、ヤハウェはイエス・キリストでしたね。従って、米の字は、飛鳥説のように十字架を挟んで新約と旧約の神が同一という構図を表したものなのです。だから、ご飯のことをマナの奇跡にちなんでマンマと言うのです」

「先生、マナの奇跡とは、出エジプト後の荒野を放浪したイスラエルの人々の上に、神が天から降らした食物の奇跡ですね」

「そうです。マナは、焼いたり、煮たり、餅にしたり、まるで米のような調理がなされています。けれど、米ではありません。ただ、真っ白でマナによく似た食物ということでマンマと呼ばれているだけなのです。マナガツオという魚の名前から見ても、日本人がマナのことをよく知っているのは間違いありません。さて、米のことは分かりましたね」

「はい」

「では、次に米の道を迷うと言うことの説明です。これはライスロードがどのようなルーとか分からないという意味ではありません。先の、十字架を挟んで新旧の神が同じである事を、理解できなくて人々が迷うことを意味しているのです」

「なるほど!ユダヤ教の人々がイエスをヤハウェの受肉と理解できないようにですね」

「そうです。だから、謎という文字に新旧の神が隠されているという事は、謎という言葉にヤハウェすなわちイエス・キリストの奥義が隠されている事になるのですね」


 私は、先生の言葉を、酒船石の謎解きでいやと言うほど思い知らされた。だから先生は、謎解きを封印を解く作業と言い換えて使うのか。すると、今回も封印を解く作業に立ち会うことになる。先生はこのように前置きした後、いよいよ本題に入っていった。

「石井さんも瞳ちゃんも、日本のピラミッドの話を聞いたことがありますね。各地の山にピラミッド状の山や構築物があるという説です。けれど、クフのピラミッドに最も似ているのは大和三山なのです」

 
  

「先生、耳成山は確かに円錐型に近くてピラミッドのように見えますが、畝傍山も天香具山も、形はピラミッドとは言えないのではないでしょうか?」

「そうですね。普通の感覚ではピラミッドの条件を満たしていないように見えますね。でも、この古代史は普通の感覚は必要としないのです。必要とするのは、常識に捉われない視点です。例えば、畝傍山の標高を見てみましょう。国土地理院の2万5千分の1地形図では、199.2mとなっていますね」

「はい」

「では瞳ちゃん、ポシャンのピラミッドのデータを出して下さい」

「はーい。もう出しています」

「おっ、用意がいいですね。では、現在の高さは何mですか?」

「139.1mです」

「では、基壇の高さと、それを加えた全高はどうなってますか?」

「基壇が0.5m。全高は130.6mです」

「では、地中海の海面から岩盤までの標高は何mですか?」

「はい、岩盤の標高は59.6mです」

「では、クフのピラミッドの標高はどうなりますか?」

「岩盤の標高に基壇からの高さを全部足すと、答えは199.2mです」


 私は、一瞬耳を疑った。そして、頭の中でもう一度整理してみた。クフのピラミッドの標高?今までそんなものを聴いたことも見たことも無い。又しても先生の独創的な発想だ。

「先生、クフのピラミッドの標高と畝傍山の標高が全く一緒という訳ですね」

「そうです。ピラミッド建造当時はともかく、地中海と大阪湾の現在の平均海面から導き出した標高は完全に一致するのです。驚きましたか?」

「驚いたなんてもんじゃありません!それにしても、クフのピラミッドの標高という発想が意外です」

 
  

「では、瞳ちゃんカシミール3Dを立ち上げて、耳成山の周囲にポインタを置いてください。そこの標高は何mですか?」

 瞳はカシミールを立ち上げると、畝傍山の2万5千分の1地形図を出し、耳成山の北西にポインタを移動させた。画面の右端では、ポインタの移動に合わせて標高データが目まぐるしく変化している。 

「先生、ここでいいですか?ここは60mです」

「えー、ギザの大地と同じなんですか?またしても驚きです」

「驚くのはまだ早いですよ。だって、耳成山も天香具山も、クフのピラミッドと高さが同じなんですから」


 先生はまたしても謎めいた言い方をする。耳成山の標高は139.7mだから、クフのピラミッドの岩盤からの高さ139.6mとは10pしか違わない。これは理解できる。しかし、天香具山は152.4mである。これはどうやっても、クフのピラミッドのデータと一致するはずがない。ところが先生は、とんでもない方法で見事に一致させたのである。

 
  

「さて、天の香具山の標高は152.4mでした。これは、クフのピラミッドのいかなるデータとも折り合いをつけることが出来ないものです。ただし、常識的な方法では。でも、僕たちは既に、太陽角度連動メートル法を手中にしています。これを用いてみましょう。用いるのは明日香の緯度です。明日香の緯度は34.5度。これを2倍して69度にし、直角に対する比率を求めます。それにクフのピラミッドの標高を掛けるのです。

 69÷90×199.2m=152.7m

 どうですか?香具山との誤差はわずかに30pに過ぎません。これは、199.2mに対しては0.15%の誤差という精度です。もしかしたら、誰かが香具山の頂上にあった石をオムスビコロリンと蹴落としたのかも知れません。そんな風に思えるほどですね」

「先生、益田岩船の矩形部と同じく、ここでも太陽角度を寸法に置き換えるという手法が用いられているわけですね。すると、香具山が人工的なものだとしたら、岩船と同じ思想で造られていたことになりますね」

「そうですね。太陽角度連動メートル法の極意は、角度を寸法に置き換えるという事ですから、まさに石井さんが考えた通りという事になります。けれど、ここで大事なのは、明日香の緯度、すなわちエルサレムの冬至の南中高度を2倍した69という数字が用いられているということです。69はイエス・キリストを象徴する数字と教わりましたね」

「はい、ゲマトリアのところで」

「では、なぜ香具山にイエス・キリストが現れるのでしょう。その理由が分かりますか?」

 私は、香具山にイエスが関わる理由を考えた。しかし、私の知識程度では歯が立たない。そこで降参して先生に尋ねることにした。けれど、先生はすぐには答えないで、これからの講義の流れとかを考慮してタイミングを計っているようだ。そして、ようやく口を開いた。

「ウーン、どうしようかな。日本書紀か古事記に香具山の事が出てくるので、石井さん調べて来てくれませんか。天照の岩戸隠れの所だと思いましたが」


 ということで、私と瞳は相模大野図書館へ出かけた。それにしても、クフのピラミッドの謎解きが何時の間にか古事記である。先生は万事がこの通り飛躍するので、一般の人には、先生の考えていることが理解できるわけが無い。先生の行動や考えには、確たる根拠と段取りがあるのに、凡人の目には理解し難いと映ってしまう。それが先生の孤独の原因だろうか。私や瞳のように、言われるままに行動できる者でなくては、先生の要求に答えたり、先生の助けにならないのかもしれない。きっと先生は、私たちに何かを見つけて欲しくて図書館に行かせたのだから。

 図書館への道を歩きながら、私は先生について瞳に質問した。先生がこの古代史を担う理由が知りたかったのだ。瞳はちょっと考えてから、次のように語り出した。

「もう十年前かな。私がまだ中学校の頃、父が東京に引っ越す前だから1993年かな。10月8日の岩手の文化祭のような日。皇太子さんが結婚してから初めて盛岡にいらっしゃるというのに朝から雨だった。その頃、先生がたまたま盛岡に来ていたのにあの性格でしょ、騒ぎの前に東京に帰ると言い出したの。それで、私は先生を見送るために盛岡駅まで行った訳。そうしたら、そこで奇跡が起こった」瞳はそこで言葉を切った。私は、瞳から語られる奇跡を固唾を飲んで待った。

「朝の10時頃かな。先生が切符を買おうとして自販機にお札を突っ込んだの。そしたら、一万円札を入れても、五千円札を入れても、機械が受け付けてくれない。先生は隣の自販機で試してみたけど、ここもダメ。その隣もダメでとうとう諦めてしまった。そして私の顔を見て、神様が祝福しなさいって言ってるから待ってようか、と言ったの。

 私は最初意味が分からなくって、それが皇太子さんを祝福する事だと気が付くまで随分時間がかかった。駅を出て、時間を潰そうと材木町の方へ歩いて行ったら止みそうも無かった雨がスーと上がり出した。喫茶店で一休みして沿道に出ると、そこはちょうど皇太子さんの車が通る所だった。みんな旗を持って待っていたんだけど、いざ車が差し掛かると、先生はお辞儀をしているのね。たった一人だけ。で、その事を不思議に思ったので、尋ねてみたの。そうしたら、先生は次のように語りだした」瞳は又言葉を切り、今度は先生の言葉を再現した。

「皇太子さんの結婚式の日、僕は余り祝福する気分ではなかったので寝ていたの。古代史で徹夜していた事もあって、目が覚めたらもうパレードの時間だった。パレードは生憎の雨の中で行われていた。でも、僕が起きてテレビを見始めたら雨が上がってしまった。今日と同じようにね。だから、さっきも自販機でなくて窓口で買う事も出来たんだけど、天が皇太子さんを祝福しなさいって言ってるように思えたので帰るのを諦めたの。前の昭和天皇の時にも、あっちこっちで鉢合わせしているから、今回も又かなって感じかな。大学二年のカリキュラムで東北へのスケッチ旅行のときも、帰りの列車が盛岡の手前で、植樹祭に出席する陛下の列車で足止めを食わされた。クラスのみんなは偶然と思っていたけど、僕は偶然ではなく天の祝福と感じていた。だって、予備校は新宿御苑前、大学は恩賜公園、ほかにもいろいろあって、今は天皇家のルーツに関する研究をしている。瞳ちゃん、うちの家系は桓武平家だから、この世に特別な役割があるかもしれませんよ」

「ふーん、先生の祝福が必要だったから盛岡で鉢合わせとなった訳か」

「ていうか、先生が皇室に余りに無関心だから天から怒られたのね。でも、あの後は自販機もちゃんと受け付けてくれたんだから、先生の言うのも半分当たってるかも」

「じゃ、先生が関心を持ってちゃんと起きていたら、結婚式の日にみんな濡れる事が無かったわけじゃない。そう考えると先生のグータラに腹が立つわね」

「そうね。それが先生の欠点ね。だから、いつも反省ばかりしているのね」

「でも、これで何となく先生の仕事の大事さを理解できたな。つまり、先生の仕事を天皇家の神様も応援しているって事でしょ」

「そうね、天皇家が表向きに出来ない事を代わりにやっているとも考えられるし」

「じゃ、私たちもきっと祝福されているわね」

「それは絶対。あの盛岡の沿道の人も、先生が見知らぬお婆ちゃんを一番前に座らせてあげたけど、本当に快く席を譲ってあげていた。先生が祝福するものは祝福され。呪うものは呪われる。先生にはそんなことも感じてしまう。だから私はあの日を絶対に忘れない」



   3.記紀の謎


 私たちが古事記と日本書紀を借りて帰ってくると、先生は名盤『ヴェトナムの音楽』を聴いていた。ヴェトナムの音楽はガムランとも違い、竹などで作った打楽器が多く、やたらにパルス成分の弾ける音が多い独特の音楽である。全体的に津軽三味線に通ずるノリのよさと、複雑なリズムが渾然一体となり、南国の激しいスコールを連想させる。録音がやたらにいいので、瞳のシステムでは30%しか再生できないと先生は言ってたが、それでも物凄い迫力。頭の中が爽快感で一杯になる。

「先生、借りてきました」瞳が言うと先生はCDを止めた。そして本を受け取ると、パラパラとめくって「古事記だったね」と言って講義に入った。

「古事記には、有名な天照の岩戸隠れが出てきます。岩戸に隠れた天照を連れ戻すために、神々は一計を案じます。この時に、香具山の眞賢木(まさかき)に、五百津(いおつ)の御須麻流(みすまる)の珠(たま)と八尺鏡(やたのかがみ)を掛けています。賢木とは榊(さかき)の事ですが、榊に掛けられた鏡に映ったのは天照の自分の顔でした。自分以外に神はいないはずなのに、今見た神は誰だろうと怪しんで岩戸を少し押し開きます。この瞬間に手力男(たぢからお)が天照を無理やり引き出してしまいます。こうして高天原(たかまがはら)に光が戻るわけですが、この話は聖書に載っているとされています。それは、何でしょう」

「はい、イエスの復活です」瞳が答えた。

「そうですね。古事記と聖書の類似点は昔から指摘されてきたようです。でも、類似ではなく同一であるという説は、割に新しいものです。これについては、飛鳥昭雄氏の『失われたカッバーラ、陰陽道の謎』に詳しく載っています。僕の資料も登場するので、石井さん、後で瞳ちゃんから借りて読んで下さい。さて、ここでは天照とイエスが同一であるという説の検証は行いません。それは飛鳥氏が十分に立証しているし、今回の講義の目的でもないからです。大事なのは、天香具山にイエスを象徴する69という数字が出てきたという事です。これは、計らずも、天照=イエス説を裏付けるものとなります」

「先生、古事記は神話ですよね。それは、聖書を神話にしたという事ですか」

「基本的に、三本の柱に象徴される三人の神、人間と関わる太陽神、太陽神の死と復活、それを象徴を用いて神話化したのが古事記ではないでしょうか。それに対して、日本書紀は聖書の記述に近いかもしれません。基本的には歴史書という形を取っているからです。けれど、聖書の知識無しに日本の歴史を理解する事は出来ないのです。

 例えばリベラル派に毛嫌いされる皇国史観ですが、西暦1940年が紀元(皇紀)2600年とされています。紀元前660年に初代天皇神武が即位したとする計算ですね。これは、推古九年(西暦601年)を、神武即位から1260年後と定めた事が根拠となっています。でも、1260年は聖書に登場しましたね」

「はい、七倍罰の半分の3.5倍罰です」

「では石井さん、この計算では七倍罰が明けたのは何年になりますか?」

「601年プラス1260年だから1861年です。プラスアルファの1290年、1335年を足したものは、えーと1891年、1936年です」

「そうですね。この計算には無理がありますね。でも、軍部はこの計算を拠り所にして戦争を推し進めたのではないでしょうか。なぜならば、文字の表記を、古代ヘブライ民族と同じく右から左への横書きに改めたからです」

「ということは、軍部は聖戦と位置付けた訳ですか?」

「神風に代表される、ジハードですね。でも、七倍罰の始まりと神武即位を同じにしたのがそもそもの間違いなのです。神武はアレクサンダーがモデルとされていますから、アレクサンダーの歴史に則って、前332年のエルサレム入城に2300年をプラスするべきだったのです」

「でもどうして推古九年だったんですか?」

「それはよく分かりません。というのも、僕の古代史ノートに走り書きでメモしてあったものなので、出典を書いていなかったから確認のしようが無いのです。でも推量するに、推古が33代の天皇とされる事と関係があると思います。すなわち、イエスの磔刑が西暦33年ですから、33という数字に特別な意味を見たという事ですね。九年も救世主の象徴の9ですから」

「そう言えば、先生は聖徳太子の享年が一年ずらして巳年に設定されていると説明しましたが、何か関係があるんでしょうか」

「聖徳太子は622年に亡くなっていますが、日本書紀のように、推古二十九年、巳年の621年説もあるのです。いずれにしても、推古も架空の可能性があるし、この時代は何かが断絶していますね。なぜならば、推古とは古(いにしえ)を推(お)し量るですから、昔はこうだっただろうなあと想像するという意味になるからです」先生はそう言うと、話をピラミッドに戻した。

「ところで、クフのピラミッドと畝傍山の標高の199.2mですが、この数値に見覚えはありませんか?」

「はい、七倍罰の謎解きのところで、確か鏡の法則の1290日目が1992年でした。ということは、クフのピラミッドと畝傍山の標高が199.2mと同じになった時代に、七倍罰の最後の段階を迎えると解釈できます。しかもそれは、1992年から始まるという事ですね」

「そう解釈できますね。でもそれは、あくまでも聖書学的な解釈なのです。細かな数字にこだわると本質を見失います。例えば、イスラエルの分裂にしても、前928年説、前926年説、前922年説、があります。ソロモンの神殿建設着工でも、前962年説、前957年説などがあり、酒船石では前966年となります。これらのうち、どれが正しいかを争う事は無意味なのです。

 特に神殿建設では、
『列王記上6章』に、出エジプト後480年に建造開始とあります。これはソロモン治世4年とされています。建設期間は7年ですから、例の490年周期の暦も合わせて考えると、ソロモン治世の元年が出エジプト480年となります。なぜならば、490年目に神殿が完成しなくてはならないからです。要するに、実際の工期は7年でも、準備も含めると10年かかっていたという事です。さらに、神殿の計画は父のダビデが行い、ソロモンのために必要なものは取り揃えていたのですから、ソロモン神殿の事実上の着手はダビデの晩年、前966〜965年と考える事が出来ます。これは奇(く)しくも、酒船石の前966年と一致するのです。もっとも、出エジプト480年は全くのでたらめでしたが」

「すると、イスラエルの分裂も、酒船石の前927年が正しいのかもしれないのですね」

「そうですね、ソロモンが定説のように前928年に亡くなっているとすれば、息子のレハベアムが引き起こした分裂は前928〜927年にかけてと考えられますから。けれど、大事なのは過去ではなく未来なのです。我々は、未来への展望を過去から得るのです。古代の人が知恵と技術の粋を傾けて造った遺跡に対して、謙虚な心構えを忘れては何も見えなくなります。謙虚になりさえすれば、古代遺跡の寸法にある種の連続性を感じる事が出来ます。そういう意味では、僕たちがしている事は、古代の尺度の本質を理解した上で、その寸法の必然性を探る行為となります。ここから、時代も規模も大きく違うクフのピラミッドの謎解きでも、基本的には酒船石と同じアプローチが可能なのです」



   4.クフと畝傍(クホ)


 クフのピラミッドの謎と一口に言っても、建造方法、建造年代、欠けている頂上部、内部通路の構造、塞がれていた通路、貫通していない通気口、井戸と言われる穴の意味、入り口の記号の意味、空だった石棺、などなど数え上げたら切りが無い。従って、先生の講義も、他の研究者とは違う視点で行ったものに限られる事になる。しかしそれでも、これから膨大な紙幅を要するのである。だから、ピラミッドに対しての知識が有る人の方が、先生の口から語られる新たな事実に驚嘆する事になる。その最初が、クフという名前である。

「さて、大和三山とクフのピラミッドの関係は、標高だけに留まるのではありません。例えば、畝傍は音読みではクホとなります。どっかで聴いたことがある名前ですね?」

「先生、それはクフの事ですか?」私はこのとき鳥肌が立っていた。

「畝傍山とクフのピラミッドの共通性から見て、クホがクフを指している可能性は高くなりますね。そして、クホの音に漢字をあてがったのが、久保、窪、久保田、窪田という名前ではないかと考える事が出来るのです。なお、田がつく方はクホの土地を意味します。漢字の久保がクフを指すものだとしたら、ピラミッドというモニュメントの永遠性を象徴して久保(クホ)と呼んだのかもしれないということ。クホとは永久に保つですから」

「先生、大和三山の残りの二つの山も、ギザのピラミッドと名前が似ているのですか?」

「それを調べて見ましょう。まず耳成山ですが、ミミはエジプト語では間を意味します。(mm)と書いて、〜の間を表します。そう言えば、耳は顔の両端に付いているので間を形成しますね。耳成とは、畝傍山と香具山の間にある(間=ミミを成す)という意味だったのです。次に香具山ですが、香具とは火具の事で、コンロのようなものを指します。ヒエログリフでは角度を表す(g)が火具とされています。

 さて、クフのピラミッドは畝傍山と名前が同じでした。では、耳成山はカフラーのピラミッドでしょうか、それともメンカウラーのピラミッドでしょうか?」

「はい、頭文字の音からは耳成山がメンカウラーで、香具山がカフラーのピラミッドとなります」

「そうですね、メンカウラーはミンカウラーとも呼ばれるので耳成山にピッタリですね。石井さんが行ったのは首字音訳というもので、頭文字が同じ音になるように訳したものです。ということは、イスラエルの民は、三大ピラミッドを今と同じように呼んでいたという事になるのです」

「つまり、三大ピラミッドをセットで考えていたので、それに倣った大和三山も首字音訳の順に高さが決められた訳ですね」

「耳成山が一番低い理由は、石井さんが言ったようにメンカウラーにイメージを重ねたからでしょうね」

「そうすると、耳成の意味は、本場のメンカウラーのように端にある事を指すのではないですか?」

「そうかもしれませんね。というのも、大和三山は二等辺三角形ですが、香具山と耳成山を結んだ線が底辺となります。この底辺を東西軸と考えると、耳成山は東の端に収まり、本来の耳の位置に来るという事になります。これは日本列島を回転させなくてはなりませんが」

 ギザの三大ピラミッドと大和三山の関係は、高さのみではなく名前にも認められた。これは明日香の遺跡を残した人々が、古代エジプトに住んだ経験のあるイスラエルの末裔である事を証明する。けれど、先生は更に問題を提起するのである。

「さて、今までは定説に従ってクフのピラミッドと読んできました。けれど、ここからはクフのピラミッドの称号は捨てて、大ピラミッドで話を進めます。なぜならば、クフのピラミッドの本当の建造者はクフではないからです。クフは、ヒエログリフの表記では。発音記号ではkhwfwだからクフで良いのですが、これは実在した王の名前としてのみ意味を持ちます。クフが大ピラミッドの傍らに王妃用の小ピラミッドとイシス神殿を建てただけなのに、あたかも大ピラミッドの建造者として通っているのは、多くの誤解と怠惰の成せる技です。クフ建造説の根拠となっているヴァイスが発見した王命ですが、は太陽神ラーですから、絶対にクフと読む事は出来ません。ヴァイスが偽造したのは明白です。でも、このいきさつを説明すると長くなるし、何よりも発表されている文献で確かめた方がいいでしょう。南山宏著『大ピラミッド、1万2000年の秘密』に、ピラミッド研究の歴史や問題点と共に載っています。英国産のインチの方がフランス産のメートル法より地球の大きさを正確に表しているなどの論争も書かれていて、皮肉っぽく見れば誤りの歴史学のようにも読む事が出来ます。

 さて、クフがクホとして日本に伝わった理由は何か?それを考えると、先のモニュメントの永遠性をクホと表現したのではないかという説のほかに、さらに二つの可能性が出てきます。一つは、エジプト時代のイスラエルの民が、すでにクフと誤解されて呼ばれていた大ピラミッドを知っていたという事。これは、大和三山が三大ピラミッドに呼応している名前である事から、可能性としては一番高いですね。 二つ目は、ヤコブの名前は神の(ヤ)踵(かかと=コブ=ク・オブ=水瘤の形)ですから、クォブがクォフになり、さらにクォフがクホに変化したと考えられるという事です。瞳ちゃん、大ピラミッドの仮想頂点までの高さは何メートルですか?」

「はーい、146.6m、約147mです」

「先生、仮想頂点とは何ですか?」

「それは、大ピラミッドの頂上が平らな事から、仮想的に角錐の先端を想定して頂点までの高さを求めたものです。それが約147mということは、ヤコブが亡くなったときの年齢に一致するという事です」

「ということは、ヤコブと大ピラミッドが関係しているという事ですか?」

「石井さん、イスラエルの人々が古代エジプトに与えた影響は極めて大きいのです。例えば、カフラーの石像には耳輪がありません。これは、エジプトのファッションから逸脱しています。そういう事も踏まえて、様々な角度から検証して行くという事です。結論は、そのときに分かるでしょう」

「では、ヤコブが関係している、あるいは関係していないケースのどちらにしても、イスラエルの人々は、出エジプトの前にはクホと呼んでいたという事ですね」

「多分そうだと思います。だから、イスラエルのエジプト時代の、何時から大ピラミッドが存在していたかが問われるのです。最初からか、あるいは途中からか、その謎に対する回答が内部通路の寸法に刻まれている可能性があるのです」


 こうして、講義の一日目が終わった。先生は大和三山を持ち出し、あたかも大ピラミッドの謎解きの鍵が大和三山にあるかのような印象を残した。それは、ヒエログリフの正確な解読の鍵が日本語にあるのと同じ構図だ。大ピラミッドは、何時、誰が、何のために建造したものなのか、いや、もう最後の答えは出ている。問題なのは、如何にして答えに辿り着くかの道程である。次回は、一体何の話になるのだろう。私は、砂塵の中にあって焦点のはっきりしない大ピラミッドが、だんだんと姿を現すイメージを描いていた。


                         第1章 終わり


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検索で訪れた方へ。このページは平御幸(Miyuki.Taira)のエフライム工房より、夥しい事実を公開する『私だけの古代史』第二部・エジプト編です。第一部の酒船石編を読んでいないと理解できない内容となっています。トップページから入り直して下さい。また、引き続き第三部の法隆寺編もご覧下さい。