愛宕町教会について
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愛宕町教会について

2018-2019年度 愛宕町教会標語

教会-主の勝利を讃える群れ

恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。
主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。

《出エジプト記 第14章13a、14節》



日本基督教団 愛宕町教会は、プロテスタント教会に属する教会です。
現在のキリスト教教会には、その伝統によってカトリック教会、ギリシャ正教会、プロテスタント教会という3つの教派がありますが、16世紀に起こったマルティン・ルターの宗教改革によってカトリック教会から分かれてできたのがプロテスタント教会です。
マルティン・ルターは神学者でしたが、ローマ・カトリック教会が「罪の赦し」の対価として「免罪符」を売っていることに疑問を抱き、1517年10月、「95ヶ条の提題」を公開して信仰改革運動を始め、「救いは人間の行いによらず、信仰のみによる」という「信仰義認論」を唱えました。

以来、プロテスタント教会は、神の御言葉である「聖書(旧約聖書・新約聖書)」にのみ立つことを信条としており、聖書以外のいかなるものも信仰の対象とはなり得ません。聖書は主イエス・キリストを証しするものであり、十字架上で死に3日目に復活された主イエス・キリストを救い主と信じる信仰のみが問われます。

愛宕町教会が属する日本基督教団は、プロテスタントの30有余の教派が一つにまとまってできた教団です。現在、日本基督教団には約1,700の教会・伝道所があり、所在地別に17の教区に分かれています。愛宕町教会は、日本基督教団 東海教区 山梨分区に属しています。

日本基督教団(The United Church of Christ in Japan)沿革

1859(安政6)年に来日したヘボン、ブラウン、フルベッキ等の宣教師は、海外における教派の弊をわが国に伝えることを欲せず、無教派的教会の設立に努力した。したがって明治初年における教会は、みな「公会」といわれた。

しかし、海外から各派の宣教師が多数渡来するようになってからは、この努力もながく維持することができず、各種の教派の教会が全国各地に移植されるようになり、近年に至るまで教派分立時代が続いた。

1923(大正12)年、日本基督教連盟が組織されると教会合同の議が諸方から提唱されるようになり、同連盟主唱のもとに教会合同の研究が熱心に行われはじめた。

しかもこの実現は容易な仕事ではなかったが、1939(昭和14)年宗教団体法の実施された頃から、教会合同の必要が切実に感ぜられ、その機運が日とともに熱してきた。1940(昭和15)年に入るとキリスト教に対する社会および官憲の圧迫が露骨となり、教会の情勢は日々緊張を加えてきた。同年8月には、各派代表者の間に教会合同の懇談が重ねられるようになり、その結果、同年10月17日には、紀元二千六百年奉祝全国基督教信徒大会において、国内全教会合同の決意を表明、その翌日には各教派の代表者による教会合同準備委員会が組織されて、日本基督教団結成の準備が進められた。

1941(昭和16)年6月24日、25両日、創立総会が開かれ、30有余の教派を網羅する日本基督教団が成立し、同年11月25日の文部大臣の認可を受けた。

新しく成立した教団は、当初伝統の似ている教派を集めこれを部とし、11部が相寄って教団を組織した。1942(昭和17)年の第1回総会で部制解消の議が成り、翌年4月1日からこれを実施した。また1943(昭和18)年には、聖公会の60有余の教会が教団に参加した。

1945(昭和20)年8月、終戦となり、宗教団体法は撤廃され、教団は新たに教憲、教規を定めた。

戦後、日本基督教団を離脱して教派を再建するもの、新しく教派を設立する教会もあったが、各教派において教団に留る教会もあり、教団は多様な歴史的特質をうけついでいる。

1954年10月26日、第8回教団総会において「日本基督教団信仰告白」を制定した。1967年3月26日(復活主日)には「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を議長名で公にした。

沖縄のプロテスタント教会は、終戦まで九州教区の沖縄支教区に属していたが、戦後は「本土」から分断されたまま独自の道を歩んだ。その中で1946年2月6日に結成された沖縄基督教連盟は、1950年6月9日沖縄キリスト教会と改称し、さらに1957年3月26日沖縄キリスト教団と改称した。

同教団は1953年6月以来、日本基督教団と協力関係を結んでいたが、1967年2月、沖縄の重荷を共に担おうとする思いをこめて「沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同決意に関する声明」が、両教団議長名で発表された。1968年10月の両教団各々の総会決議を経て、1969年2月、合同式典が挙行された。

(キリスト新聞社刊「2005年版キリスト教年鑑」より抜粋)

日本基督教団 信仰告白 【1954年制定】

我らは信じかつ告白す。
旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。
神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ。
教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。

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