S 11周南市須万秘密尾氷見神社合祀人丸社
鎮座位置(座標参考値)北緯34度14分59秒、東経131度52分51秒
氷見神社 人丸社旧跡(石ヶ谷)

奥畑川の最上流秘密尾は平家落人伝承の地である。壇ノ浦の戦いで敗れた平家は源氏の執拗な追撃を逃げ延びたと伝わる。今も中・四国、九州の山深い里に転々とその痕跡を見る事ができる。山口県でも平家ヶ岳から長野山・馬糞ヶ岳・大峠と続く稜線の東西を流れる木谷川、奥畑川流域にそれは色濃く残っている。彼等は山中の仮住まいで木地を挽き、出来上がった椀・盆など売り生計を立て次第に定住化していったのである。人丸社伝承に木地屋集団が関わっているのは別に述べたが、これは惟喬親王を職祖とする近江系の木地屋であり、平家系の木地屋には相容れない伝承である。

氷見神社に合祀されている人丸社は、もと、少し南に下った石ヶ谷集落への入口部の山の尾根にあったが、集落の無住化により合祀廃社となったという。跡地にあった木造の社祠は崩壊(焼失ともいう)し、屋根の波板が枯葉に埋まっていた(北緯34度14分25秒、東経131度52分19秒)。

石ヶ谷の近く奥大町には明治・大正時代に坂根鉱山(アンチモン)が稼業されている。また奥畑川流域は紙漉き用の楮栽培も盛んに行われていた地域でもある。採鉱職人や紙漉き職人も人丸神伝承に深く関わる集団であるから、ここの人丸社もいずれかに縁由するものであろう。

氷見神社では、旧暦の八朔に柿の葉に盛った赤飯75膳と合せ柿を人丸様への供物とするとのことであった。徳地町から米光・高瀬にかけての、旧徳地宰判に伝わる柿の葉75膳の人丸への神供風習がここにもみられた。


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