半径1キロめーとる 33 奇跡
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「日が落ちてきたねー」 山間部の日没は、平野部に比べて早い。 山の稜線の輪郭を色濃く描きながら、徐々に辺りの光は頼りないものになっていき、ひぐらしの鳴き声が、風の音に混ざって辺りに響く。 「秋には、この辺りの山一帯が紅葉に染まるのかな?」 「うーん。針葉樹ばかりだからなー」 郁哉は実紅の手を取ると、握りしめる。 「もう時間遅いし、飯行こう」 辺り一帯は、民家もまばらだ。 食堂はおろか、人一人として見かけない。 実紅は不安げに辺りを見回している。 「ねえ、食事っていうけど店なんてどこにもなさそうだよ?」 「平気だって」 郁哉は一本裏の通りに入ると、そこには昔ながら、という表現が似つかわしい木造の建物がある。 「こんなところに食堂があったんだ。何で知ってるの? もしかして郁哉くん、ここに来たことあるの?」 「ん? どうだろうね」 実紅は不思議そうに見上げてくるが、郁哉は構わず手を引いて食堂の扉を開いた。 食事が終わり、疲労が蓄積されているのだろう。 橋本が指定したタイムリミットまで、刻一刻と迫っている。 「ほら、薬飲め」 鞄から薬を取り出すと、実紅に飲ませる。 「じゃあ、出ようか」 店を出ると、辺りは既に暗闇に覆われている。 「夜になっちゃったね。帰らないと」 田舎で、街灯もない夜に実紅は不安が隠せないようだ。 通りに出てから、郁哉は屈むと背中を実紅に向ける。 「実紅、乗って」 「え?」 突然の郁哉の申し出に、実紅は戸惑っているのだろう。 「でも、私重いし……」 実紅は同年代の女性平均よりも、わずかに体重が重いことを気にしているようだ。 「いいから、ほら」 体力的にも、あまり余裕はなかったのだろう。 実紅は素直に郁哉に従うと、負ぶさる。 背に当たる感触が、柔らかく温かい。 しっとりと滑らかで、シャンプーとはまた違った甘い匂いが郁哉の鼻腔をくすぐる。 「ちょっと歩くからな、退屈だったら寝てていいよ」 「もー。また私のことを子ども扱いする」 歩き始めてすぐの郁哉の言葉に、実紅は拗ねた声を出すが、体力は相当に消費されているのだろう。 まもなく静かな寝息を立て始める。 実紅は軽かった。 他の女性を背負ったことなどないので、比較することはできないが、それでも軽いと思う。 ただ、長時間背負っていると、自分一人で歩いているよりは体力消費が多い。 また、ただ背負っているだけではなく実紅を起こさないように、痛い思いをさせないように気遣っているとその分消費は多い。 きちんと実紅の重みまでもを受け止めて、思いやって背負って生きたい。 今、きちんと背負って歩き続けられたなら、きっとこの先の長い人生も二人で生きていける。 願掛けともジンクスとも違うが、無性にそんな風に思った。 間もなく山道に差し掛かる。 足場が悪く、平坦とは言えない道だ。 実紅を背負い続けて歩くには、つらくないと言ったら嘘になる。 けれどもこれから先、もっとつらいことがあるだろう。 背負い続けるのだ。 どんなことがあっても。 だから、信じてほしい。 実紅も、二人で歩き続けられることを信じて欲しい。 「ついたよ、実紅」 「……ん」 郁哉が呼びかけると、実紅は目を擦って見上げる。 まだ眠いのだろう。 目の焦点が定まっていなくて、寝起きの子どものようだ。 「郁哉くん、ここどこ? ……!」 彼女はすぐさま目を見張ると、空を見上げる。 「すごい……」 遮るものもなく、三百六十度広がる夜空を見上げて、実紅は感嘆の声を漏らす。 辺りには、一面に星。 この辺りで一番高くて見晴らしのいい展望台の頂上に、二人はいた。 「すごい! ねえ郁哉くん。すごい星!」 実紅の反応は、無邪気な子どものようで、夢中で星空を指差している。 郁哉は腕時計に視線を落とすと呟く。 「もうそろそろ、のはずなんだけど」 実紅は一瞬怪訝そうに眉根を寄せ、それから目を丸くして郁哉の背後を指差す。 「今星が流れた!」 間髪入れず、実紅は別の場所を指差す。 「また流れた! 今度は二つ同時だった!」 郁哉の視界でも、既にいくつかの星が流れている。 今年は、数十年に一度の流星群の年なのだそうだ。 空気のいい田舎で、一面の星空を見られるこの場所ならば、という期待はあったがここまで上手く行くとは思っていなかった。 実紅は体力を使い果たしたことも忘れて、夢中で空を見上げている。 「すごーい。また流れた! まるで雨みたい。星の雨」 郁哉は実紅の肩を背後から抱きしめると、そっと抱き寄せる。 「言ったとおりだろ?」 実紅は星を目で追うことに夢中で、郁哉の言葉に適当に返事をしている。 「実紅が降って欲しいと思っていれば、雨は降るって言ったよな」 郁哉の言葉に、実紅は先ほどの昼間のやり取りを思い出したのだろうか。 目を見張って、振り返ると郁哉を見上げる。 その目は潤んでいて、星空よりもきれいだ。 「もしかして、郁哉くん。これを私に見せてくれるために今日連れ出してくれたの?」 見せられたらいい、とは思っていたが、ここまで全てが上手く行くとは思っていなかった。 改めて問われるのは恥ずかしいものだ。 郁哉が口を噤んでいると、実紅は目尻を垂らして明るい笑顔を見せる。 その目に、一筋の星が流れた。
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