足利聖書バプテスト教会のご案内です。
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齋藤牧師による、週報メッセージ

                                      二〇一〇・二・二一

    「わが子を洗濯機に入れ、ゴミ容器に入れる両親」とは!
  早川執事の今朝の礼拝を感謝し、同時に、備えられたみ言葉に大いに期待している。世相
が様々な深刻な問題を抱えているので、或いは、早川執事が語られる事を、この紙面で重複
させて仕舞う場合があるかも知れないが、心配はしていない。なぜなら、如何なる問題も、
如何なる解決も、所詮は聖書に帰りつくからである。
 まず、最近の話しで最も心が重くなるのは、両親のわが子虐待の話しである。両親のうち
母親は実母であるが、父親は義父である。事情があって母親が離婚し、その後別の男性と再
婚したのであろう。このような例は決して珍しくない。無論、再婚が常に子供に不幸をもた
らすとは限らないが、概して、子供が不幸になる場合が多い。先日、ある若者が結婚の事で
相談にやって来た。話しを聞いてみると、双方の両親が結婚式以前の同棲を容認しているの
で、結婚式は止めるか後日にしたいという。結婚式には多額な費用がかかるし、それに価す
る意味があるのかという。聞けばそれなりの理屈は通るが、「式」とは何事もそうであるが、
古臭く言えば「認知式」みたいなもので、社会の一員として自分を公称し、社会に認知して
貰う式でもあるのだ。そんな手続きなど必要は無いと言ってしまえば一言もないが、公称さ
れた側はそれなりに期待して見るようになるし、公称した側でもそれを機に責任を自覚させ
られるものである。この両者の合意が円滑に受け継がれていって、始めて安心した社会がで
きるのだと思う。ところが、同棲すれば経済的にも生活上も利点が多いという、利便性や経 
済性が優先してしまって、「結婚とは何か」と言うことが何一つ問われていない。家庭とは、
家族とは、子供とは・・・」とう結婚の伴う重要なことが何一つ真剣に問われていない。両
親を始めとして周囲は、何一つ助言しないのであろうか。これが特別な例ではなく、世の中
の風潮なのであろうかと疑ってしまう。このような風潮が、結婚観を間違わせて異例な事件
が起こるのである。すでに周知の事と思うが、一昨日の新聞に次のような記事があった。
 「ゴミ箱窒息死、父実刑」(2歳長男監禁、悪質)。つい最近も同じような事件が報道されたばかりであるが、この件は、2008年12月、東京練馬区で起こった。父親の建築作業員(三五)は、長男(2歳)をゴミ箱に閉じ込めて窒息させたとして、懲役一一年の判決を言い渡された。共犯として妻は分離公判中であるが、両人とも起訴内容を認めている。この両親は自分たちの子をオーブンや洗濯機にいれていた事も認めているという。最近起こった事件も六歳の再婚した母親と、義父になった父親に虐待され、この場合も不思議な事に、洗濯機に入れゴミ容器に入れて虐待している。前例の公判に立ち会った裁判員は取材に対して、「被害者(こども)の気持ちを代弁する人がいないのがつらい」と言ったという。また、刑の軽さに不満を持ったという人もいたという。6歳の子にしろ、2歳の子にしろ、自分の辛い思いを自分で訴えられる年齢ではなく、為すがままにされていた事を想像するとたまらなくなる。信頼などと言うには当たらないこどもの両親への当然の期待が、暴力や虐待となって返って来る現実を、ただ我慢するしかなかったこどもたちの不幸をどう表現したらよいか、裁判員が言うように、「子供の気持ちを代弁する者がいないのはつらい」とは真実である。「一〇ケ月の間、お腹に抱える母親の愛」を、何かがあるとわたしの妻は強調するが、この裁かれる母親たちは別種の人なのかと思ったりする。
実在の人であったハガルは、主人のアブラムと妻サライに利用された不幸な人であった。家督を継ぐ者がいなかった二人は、神の約束を待ちきれずに、エジプトの仕女ハガルに子を生ませる。目的を果たしたもののサライの感情はおさまらず、それに加えて自分にも子イサクが与えられ、用が無くなったハガル親子が邪魔になり、ついには、与える物を与えて追放してしまうのである。家を出されたハガル親子は、行くあてもなく、パンと水の入った革袋を背負い荒野をさまようのである。歩き疲れ、革袋の水も尽きて覚悟せねばならぬと思ったハガルは、一本の樹の下の陰にイシマエルを置いて、『わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない』と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向かってすわるのである。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた」(創世記二一章一五―一六節)とある。自分の不始末でわが子を死なせると思った時のハガルは、どんなにか悔やんだ事であろうか。「矢の届くほど離れたところ」とは、ハガルの母親としての万感を表わす言葉として、わたしは共鳴する。泣き声が聞こえる距離とは、「母親」の愛を象徴している。


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牧 師:齋藤 一彦
住 所:〒326-0056 栃木県足利市大町1-508
電 話:0284-41-7940

JR両毛線足利駅北口より北方面に直進、徒歩5分。



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