御言葉・説教・祈り(最近のこどもの教会礼拝より) 2010年8月8日
       前回掲載以前の「御言葉・説教・祈り」はこども教会説教集のページに掲載しています
【御言葉(聖書)】

    マタイによる福音書 6章9節(ルカ11:2)
音声

  祈るときには

だからこう祈りなさい。
 『天におられるわたしたちの父よ、
  御名が崇められますように。


説教

「父なる神さま」
音声 祈り 音声
 おはようございます。突然ですが、皆さんにお聞きします。皆さんが生まれてから、最初に口にした文章、「パパ」とか「ママとかアブアブとかではなく、ちゃんとした文章としてしゃべったことを覚えている人いますか?私は覚えています、覚えているつもりになっています。それは何かというと、「天にまします我らの父よ」、主の祈りの一番最初の言葉です。今日の題名、「父なる神さま」私たちの毎日毎日のお祈りの最初の言葉。多分、私は、生まれてから最初にちゃんとした文章をしゃべったのは、「天におられる我らの父よ」だと思っています。
 私は長野県の須坂という教会で生まれました。私の父が須坂教会の牧師でしたから、そこで私は、ずうっと小さい時から、もう母のお腹にいた時から教会にいました。それで生まれてからも教会で育ちました。教会にいれば、こういう風に色んな人が来ますから、次々次々、ハイハイハイって何も分からないままに色んな人に抱っこされながら教会で育ちました。そこで、ずうーっと小さい時から、「天にまします我らの父よ」と主の祈りを聞いていました。だから、2歳か3歳か分かりませんけれど本当に小さい時から、「天にまします我らの父よ・・・」と主の祈りが全部言えました。それが嬉しくて嬉しくて、教会に来る人たちの前で、どうだっていう感じで自慢気に主の祈りを何度も何度も言ったことを覚えています。
 でも、それがいくら言えても、「天にまします我らの父よ」、その言葉の本当の意味が分かったのは、ずうーっと後になってからです。もっと正直に言うと、牧師になるために神学校に入る時まで分からなかった。自分がいつもいつも繰り返してお祈りしていた主の祈りの意味が分からなかった。「天にまします我らの父よ」ってどういう意味なんだろうかと、そのことをよくよく考えていくと、あぁ、そうだったんだ、大切な言葉だったんだ、ということが分かったのです。
 先週からこの主の祈りのお話を聞いています。主の祈りというのがどういうお祈りだったかというと、イエスさまが、「お祈りするときには、このようにお祈りしなさい」と教えて下さったお祈りのお手本です。お祈りというのは、神さまとお話しするとき、神さまとの対話です。人間と対話するわけではなく、神さまとの対話です。「天にまします我らの父よ」そのように呼びかけてからお祈りしなさい、とイエスさまは教えて下さった。
 では、最初の呼びかけとは何なのか。「天にまします我らの父よ」、この聖書のところでは、「天におられるわたしたちの父よ」、「私の父よ」ではなく、「わたしたちの父よ」とはどういうことなのか。そのことをよく考えると、ああ不思議だなぁと。でも、このお祈りする時には、最初に神さまに呼びかけることが大事なのです。神さまに呼びかけるとはどういうことか。皆さんも誰かに話しかける時は、「ねぇねぇねぇねぇ」と呼んで、分かるときもあるけれど、大抵は、「○○さん」とか「お父さん」とか「お母さん」とか呼びますよね。そうしないと向いてくれない。夫婦の間では、「おい」とか「ああ」とか指差しただけで通じるようなこともあるかもしれませんけれども、本当はちゃんと名前を呼んでお話しする、呼びかけるということが大事なのです。その人にちゃんと心を向けて、そい人に向かってお話しをすることが大事なのです。だからお祈りも、「天にまします我らの父よ」と呼びかけるということは、まずは心を神さまにちゃんと向ける、これはとっても大事なことです。
 イエスさまはそのことを、お手本としてこのようにお祈りしなさいよ、と最初に言って下さった。なぜかというと、イエスさまもそのようにお祈りしていたからです。イエスさまがお祈りする場面というのは、聖書の中を読んでいるといくつか出てきますが、最もよく知られているところは、イエスさまが十字架に貼りつけにされる前の晩、ゲツセマネの園、オリーブ山で、弟子たちから離れたところで一人お祈りをした場面がよく知られているところです。その時にも、弟子たちに「ここで待っていなさい」と言って一人離れたところに行ってお祈りしました。何とお祈りしたか。「天の父よ」とお祈りしている。マルコによる福音書では、「アッバ父よ」。「アッバ」とはどういうことか、それは、やっと言葉がしゃべれるようになったくらいの小さな赤ちゃんが、膝の上に乗ってお父さんを見上げて「パパ」と呼びかける、それが「アッバ」という言葉です。その、子供が呼びかける「アッバ」という言葉は、絶対の信頼のもと、お父さんは本当に頼りになる、お父さんしかいない、そういった本当に信頼する心が「お父さん」と呼びかける言葉です。イエスさまは神さまに対して「アッバ父よ」と、絶対的に、本当に信頼できる方として「アッバ父よ」と呼びかけ、「できればこの杯を取り去って下さい。」つまり、「十字架にかかるのは本当に怖いです。できれば十字架にかからないようにして下さい。」とお祈りしました。「だけども、父なる神さま、あなたの思う通りにして下さい」というふうにイエスさまはお祈りしました。それは、神さまを本当に信頼しているからこそ、神さまからなされることは全て私は受け入れますという信頼、どんなことでも受け入れますという信頼です。イエスさま自身がそのように祈ったからこそ、弟子たちにも、お祈りするときにはこのように祈りなさいと教えたのです。
 「天にまします我らの父よ」私たちのお父さん、神さま、これは神さまに対する絶対的な信頼。
そして続く言葉。「御名が崇められますように」。御名というのは神さまのお名前です。神さまのお名前が崇められますように。どうか全ての人が神さまのお名前を崇めますように。全ての人が「天の父なる神さま」と言って、心を神さまに向けますように、そのことができますように。これがお祈りの一番最初の一番大事なところです。イエスさまはまず、そのことを私たちに教えてくださいました。弟子たちに教え、弟子たちもその通りお祈りしました。だから今私たちもこうして同じ「主の祈り」を一緒に祈っています。毎週毎週繰り返して祈る「主の祈り」。私はこんなに小さな時から覚えました、皆さんも何も見ないで言えるよ、という人もたくさんいると思います。その最初の言葉はとても大事です。
 昨日の夜、大きいお兄さんたち(小学校高学年、中学生)が教会でお泊り会をしました。皆でカレーを作ってカレーを食べて、皆で蛇骨湯という銭湯に行ってまるでプールのように遊んできました。そして帰って来て、お部屋に行く前に皆で集まって、今日一日何が楽しかったか、どんなことに感謝してるか話をしました。そして最後に一人ずつお祈りをしました。皆が口を揃えて同じ言葉を言いました。「天の父なる神さま」皆が同じ言葉でお祈りを始めることができました。とっても嬉しかったです。本当に心を神さまに向けてお祈りする、そして神さまこそが崇められますように、そのことを一緒にお祈りする、毎週毎週の日曜日の礼拝というのは、そのことを私たちが一生懸命お祈りをすることで確認できるのではないかな、と思います。
(祈り)
 父なる神さま、あなたのお名前を称えます。私たちは毎週こうして礼拝を捧げています。そして、イエスさまを通して、このように祈りなさいという、祈りのお手本を教えていただきました。その最初のあなたに対する呼びかけ、天におられる父なる神さま、そのことを私たちがいつもいつも心に留めていることができますように。いつもいつも心をあなたに向けていることができますように。イエスさまのお名前によって祈ります。 アーメン。

 恵み深い、私たちの命の源なる神さま、あなたのお名前を称えます。あなたにのみ、栄光がありますように。今日も私たちに、新しい朝を与えて下さいましたことを、心より感謝申し上げます。それぞれ、あなたによって命を与えられ、健康を支えられまして、週の始めの日、あなたの独り子であるイエスさまの復活を祝う主の日に、私たちはあなたによってこの場に礼拝を捧げるために集められました。心より感謝申し上げます。
 毎日毎日、暑い日が続いております。しかし、私たちはあなたによって大きな恵みをいただき、こうして日々生かされていることを、重ねて感謝いたします。どうか私たちの日々の歩みを、あなたが守り導いて下さいますように。
 特に今、この8月は平和について色々な事を考える時が、あなたによって与えられています。65年前、広島と長崎に原子爆弾が落とされ、多くの方々が亡くなられましたことを憶えます。また、その影響によって、今もなお苦しんでおられる方々がおられることを思います。戦争は二度としてはならない。二度と同じ過ちは繰り返してはならない。どうか、この8月に、私たち一人一人がそのことをしっかりと心に留めることができますように。人間同士が憎み合い殺し合うのではなく、人間同士が互いに愛し合い、互いに違いを認め合って受け入れ合って、思いやりを持って、歩むことができますように。本当の平和が実現しますように。私たちがそのことのために働くことが出来ますように導いて下さい。
 今日この礼拝の時を憶えながらも、ここに集えない方々をも、どうぞあなたが顧みて下さいますように。
 この一言の祈りを、イエスさまのお名前によって御前にお捧げいたします。 アーメン。

あゆちゃんのノートより
 今日は主の祈りの話しでした。
 大切なところは、神さまに祈る時は、かならず、神さまに心をむけてから祈ることです。
「自分の思ったこと」
 わたしは、いつも自分の話したいことばかりで、神さまに心をむけてから祈っていませんでした。でも、今日、教会にいって、気づきました。祈る時は、必ず神さまに心をむけてから祈ることが じゅうよう だったということに。


(因みに以下も転載)
 主日礼はい
 8/8今日の大事なところは、自分も幼子のようになりなさいというところです。幼子のようになるということは、自己主ちょうしないということです。
「自分の思ったこと」
 わたしは、イエスさまが本当にとってもとっても子どもが好きなんだと心から思いました。

※大事なところはその通り!でも、最近幼子から人間へと変わりつつある彼女は、「自分勝手な自己主張をしないようにしたい」とは思わなかったらしい。(母コメント)
 
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